Men and women are like …

 バーバラさんはカリフォルニア州選出の下院議員で、9.11のテロに対する武力行使案にたった一人で反対票を投じ、その結果、全米からの非難が集中したのでした。いのちまでも狙われた。彼女の出自(アフリカ系)による差別も激しさを増した。だが、彼女は負けなかった。その時、彼女は「差別は私が生まれるときから受けていたから、平気でした。母が私を生むために産院にいったのに、「黒人はお断りだ」と出産を拒否された。母は帰宅し、「一人で私を生んだ」のだ。

 下院議員になってからは、98年のイラクに対する空爆にも、さらに99年のコソボへの戦闘部隊派遣にも(ただ一人)反対。戦争(武力行使)に反対する彼女の姿勢は一貫しています。

 このような姿勢はどこから生まれたのか、もちろん彼女の資質もありますが、それ以上になにかがありそうですね。

 もう一人の女性を紹介します。ジャネット・ランキン(Jeannette Rankin)(1880~1973)で、モンタナ州から選出された、アメリカで最初の国会議員になった(1916年11月)女性です。この当時の時代状況を考えてください。1916年。もうすでに第一次世界大戦は始まっていました。彼女が議会に出た時には、まさにアメリカの参戦が問題とされていたんですね。

As the first woman in Congress, she was obviously under enormous pressure and scrutiny from the very moment she entered politics. But only six days after taking office, the first vote Ms. Rankin registered forced her to put her moral conscience and her political future in the balance, and to decide whether or not to declare war on Germany.

When the voting roll was called, she broke a 140-year old convention in the House by not merely announcing “yes” or “no,” but standing to address the legislative body saying, “I want to stand by my country, but I cannot vote for war. I vote no.” The rest of her term was obscured in the controversy generated by her bold vote of conscience, and, of course, re-election was out of the question.

She won by a narrow margin and took her seat at the 77th Congress after a 22-year absence from the House. After the December 7, 1941 bombing of Pearl Harbor, she once again faced a declaration of war, and once again voted no. This time, however, she was the only person in both the House and the Senate to vote against war with Japan, and was forced to shout her explanation over the reprimands of House Speaker Sam Rayburn. Once more her words upheld both feminist and pacifist principles: “As a woman, I can’t go to war, and I refuse to send anyone else.” (Aaron Parrett)

 第一次大戦への参戦決議に反対(50名)したときと同様に、真珠湾攻撃を仕掛けた日本への「宣戦布告決議案」に反対(たった一人で)して、ランキンはその後の選挙で落選しました。しかし、彼女はひるむことなく、反戦運動、女性解放のために活動を続け、1968年にはベトナム戦争反対で5千人以上の女性を集めてワシントンまでデモをしました。それはジャネット・ランキン軍団(右写真)と呼ばれたほど。その時彼女は88歳でした。ガンジーに会うために何度もインドを訪れました。73年に亡くなるまで、行動を続けたんですね。バーバラ・リーさんにバトンは確実に渡されたといえますね。

●Jeannette Pickering Rankin First Woman Member of the U.S. Congress (Born: June 11, 1880; Died: May 18, 1973)

Jeannette Rankin took her seat in the U.S. House of Representatives – the first woman to be elected to either chamber – on April 2, 1917. It would be another three years before women throughout the United States earned the right to vote.

Rankin, born in Montana, was an energetic young woman with a zest for politics and a life-long devotion to feminist and pacifist causes. With a degree from the New York School of Philanthropy (later Columbia University’s School of Social Work), she became a social worker in Seattle, in Washington State. To gain first-hand knowledge of her clients’ condition, she worked for a while as a seamstress. Rankin joined the 1910 suffrage drive in Washington and led the successful campaign in 1914 for women’s suffrage in Montana. The new women voters in Montana helped Rankin become one of the few Republicans elected to Congress in 1916.

Seeing it as her “special duty” to speak for American women, she helped draft legislation helping women and children and supported a constitutional amendment to give women the right to vote. She did not stay in Congress long enough to see suffrage extended to all American women in 1920, however. Voters rejected her bid to become a senator in 1918, probably because of her vote against U.S. entry into the First World War a year earlier.

Rankin returned to social work and to reform organizations, such as the National Consumers’ League, the Women’s International League for Peace and Freedom, and – in 1919 – attended the Second International Congress of Women in Zurich. Re-elected to Congress in 1940, she cast the only vote in Congress against war on Japan after the attack on Pearl Harbor. With her political career ended by this unpopular vote, Rankin devoted the rest of her life to her favorite causes. At age 86, for instance, she participated in the March of Washington opposing the Vietnam War.

Jeannette Rankin understood the importance of engaging women’s talents and expertise to build better societies. “Men and women are like right and left hands; it doesn’t make sense not to use both,” she said. In her will, she left money to ensure that women could get an education to help improve society. The Jeannette Rankin Foundation, one of the many legacies of this determined and committed American, has been providing educational opportunity to low-income women since it was chartered in 1976.(https://americancenterjapan.com/aboutusa/translations/4889/#enlist

 反戦あるいは非戦の系譜は、アメリカといわず日本といわず、どこかで「国家の壁」を越えて連携してきました。たった「一人の反対票」の背後には無数の人民の力強い支持や応援があったことをぼくたちは知ることができます。ここではリーさんの前にはランキンさんがいたという事実しか述べませんが、機会があれば、さらにそれをアメリカから広げて、多くの先駆者のつながを考えてみたいと思います。

(この「つながり」を歴史というなら、どのような分野にもきっと途切れない歴史が刻まれています。ぼくたちが自らの生き方を過ちの少ないものにしたいと願うなら、このような歴史に学ぶことは不可欠の課題です。そしてこのような経験は、おそらく学校ではできないものだといえそうです。権力者がつくる「学校教育」では、権力者の過ちや戦争などの非人道行為は決して偏らないで教えられることはないからです。なかったことにさえしたがるのです。「南京虐殺はなかった」「アウシュビッツは存在しない」等々。「歴史の改ざん」が生じるのは故ないことではありません。いわゆる、「歴史改竄主義」の横行闊歩の退廃の時代にあります)

 男は戦い、女は抵抗(親和)する。右と左の闘いは連綿と続いています。

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なぜ、病は隠喩なのか

 ペストが猖獗をきわめた十六世紀から十七世紀にかけてのイギリスでは、歴史学者キース・トマスによれば、「幸福な人間はペストにかからない」と広く信じられていたという。伝染の実態がまだ判らなかった頃には、心が幸福な状態にあれば病気を避けられるとする空想が、どの伝染病についても流布していたのである。病気の原因は精神状態であり、意志の力でなおせるものだという理論は、間違いなく、病気の肉体にかかわる面がいかに理解されていないかの目印となるものである。

 まだある。何事についてもそうであるが、現代では病気の心理学的説明をとくに偏愛する。心理学を持ち出しさえすれば、実のところ人間にはまるきりどうにもならないか、それに近い経験や出来事(たとえば重病)まで何とかできるようになると思うらしい。心理学的な理解は病気の「現実性」を骨抜きにしてしまうのだ。しかしその現実性こそ説明されねばならないのである。(その現実性こそ実は意味を持つのであり、何かの象徴となるのであり、あるいはそう解釈されるべきなのだ)。

 死を前にして宗教的な慰めを持たない者、死を(あるいは他のすべてを)自然のなりゆきと感得する力のない者にとって、死とはおぞましい神秘である。究極の侮辱である。禦すことのできないものである。否定するしかないものである。心理学の人気と説得力の大半は、それが昇華された精神主義であることに、物質よりも「精神」が上であることを主張する世俗的な、ひとまず科学的な方法であることに由来する。病気という、ひたすらに物質的であるしかない現実さえも心理学的に説明がつく― 死そのものも、結局、心理的現象と考えることができるとされてしまうのである。(スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い エイズとその隠喩』富山太佳夫訳)

いん‐ゆ【隠喩】 の解説 比喩法の一。「…のようだ」「…のごとし」などの形を用いず、そのものの特徴を直接他のもので表現する方法。「花のかんばせ」「金は力なり」の類。暗喩。隠喩法。メタファー。(大辞泉)

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 ソンタグは現代のアメリカでもっとも勇気ある発言と政治にコミットする行動をもった作家でした。奇しくも彼女も癌に罹患していました。(彼女は30年間、「乳癌」と「子宮癌」を患っていたとされます)

 どんな種類の肉体の病気でも、それを精神(心理学)的病なのだと考えると、すべてが説明されたように感じさせられる時代が長くつづいています。心理学の時代である、精神分析の世紀がまだ終わっていないのです。ソンタグにいわせれば、近代以降の思想は、精神の病の範囲をますます拡大してきたのであり、彼女は、この拡大を支えた二つの仮説があるというのです。

 《ひとつは、すべての社会的逸脱は病気と考えうるとする仮説。もし犯罪行為を病気と考えうるなら、犯罪者を咎めたり、刑罰を加えたりすることはできない寸法で、(医者と同じように)理解し、手当てし、治療しなくてはならなくなる。第二は、すべての病気は心理学的に考察できるとする説。病気は心理学的な現象と解釈するのが基本線となり、人間は(無意識裡に)病気になりたいと思うから病気になるのであって、意志の操作によって快復できる、死なないでいることができると信ずるように仕向けられる。》

 エイズと癌は今日における二大隠喩です、避けなければならないが、避けられない運命というもの。ぼくたちの社会ではこの点に関しては長い歴史と伝統があります。たとえば、ハンセン病(らい病)がそうでした。もちろんこの社会だけではありません。ソンタグも触れています。「中世においては、癩患者とは堕落を目に見えるものとする社会的テキストであり、頽廃の見本、象徴であった。病気に意味を与えることくらい―そういう時の意味は必ず道徳臭が強くなるから―懲罰性のあらわな行為はない」

 ぼくたちはいまだに「中世の暗闇」から解放されていないようです。「あいつはこのクラスのばい菌だ」「ヤツはこの会社の癌だ」などと、いとも簡単に言ってのけます。特定の病気にかかれば、家族や一族までもが忌避されます。ある種の「逸脱」に走った子どもの親兄弟・姉妹はいわず語らずのうちにのけ者にされます。それは現代版の「魔女刈り」なのですか。「魔女刈り」などというおぞましい行為など、誰にも教わりもしないのに、人をその行為に駆り立てる、そのもとは何でしょうか。「村八分」の意味も歴史も知らない幼子たちが、大人顔負けの「排除」をやってのけるのです。

 「病気について考える!― 少なくとも病人がこれまでのように、病気自体よりも、病気について思いめぐらして苦しむ必要がないように、病人の想像力を鎮めること ― 思うに、それはなかなか意味のあることだ。大変なことだ!」(S. S.)

  今は「コロナ」の季節です。文字通りに地球規模で周章狼狽しています。「病気」の正体は何かということ以上に、「災厄」の張本人をだれ(なに)にしようかと、世間はいたるところで、「監視網を」張り巡らせている。この機会を千載一隅の絶好機と狙いを定めている不届き物が横行している。

 いったい「新型コロナ」はなんの「隠喩」なのでしょうか。

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<金口木舌> 自粛警察 「緊急事態宣言が終わるまでライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます」。東京のダイニングバーの看板に4月、張り紙があったという。店舗は自主休業中で、張り紙が見つかった日は歌手のライブを無観客でネット配信していた▼新型コロナウイルスの感染拡大を受け、店舗に休業を求める嫌がらせが相次いでいる。「自粛警察」とネット上で呼ばれる行為だ。市民が市民を監視し非難する。コロナ禍は人の心までむしばんだのか▼新型コロナ関連の110番は4月、東京都内で前月の約6倍に達した。警視庁によると「自粛しなければいけないはずなのに、公園で子どもが遊んだり高齢者が集まったりしている」「居酒屋の営業は良いのか」などの苦情があるという▼ネット上には感染者の氏名や所属先を暴く真偽不明の情報もあふれる。相互監視の中で密告が横行する社会といえば、戦前を思い起こす▼ミュージシャンの七尾旅人さんが自粛を巡り、SNSで「争う必要のなかった場所にまで分断と排斥が進行している」と書き込み、政府を批判した。仕事を失った音楽関係者を支援するネット配信に取り組む▼今、必要なのは社会に敵を作りだし、恐怖をあおることではない。そもそも監視する相手が違うだろう。非常時だからこそ、権力を持つ者に対し一層目を光らせる必要がある。(2020/05/08琉球新報)

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As we act, let us not become the evil…

Statement of Rep. Barbara Lee on the floor of the House of Representatives・Sept. 14, 2001.

Mr. Speaker, I rise today with a heavy heart, one that is filled with sorrow for the families and loved ones who were killed and injured in New York, Virginia, and Pennsylvania. Only the most foolish or the most callous would not understand the grief that has gripped the American people and millionsacross the world. This unspeakable attack on the United States has forced me to rely on my moral compass, my conscience, and my God for direction.

September 11 changed the world. Our deepest fears now haunt us. Yet I am convinced that military action will not prevent further acts of international terrorism against the United States. I know that this use-of-force resolution will pass although we all know that the President can wage a war even without this resolution. However difficult this vote may be, some of us must urge the use of restraint.

There must be some of us who say, let’s step back for a moment and think through the implications of our actions today–let us more fully understand its consequences. We are not dealing with a conventional war. We cannot respond in a conventional manner. I do not want to see this spiral out of control. This crisis involves issues of national security, foreign policy, public safety, intelligence gathering, economics, and murder. Our response must be equally multi-faceted. We must not rush to judgment.(omit)

Finally, we must be careful not to embark on an open- ended war with neither an exit strategy nor a focused target.(omit)

I have agonized over this vote. But I came to grips with it in the very painful yet beautiful memorial service today at the National Cathedral. As a member of the clergy so eloquently said, “As we act, let us not become the evil that we deplore.”

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 引用の英文はその日付からもわかりますように、2011年9月14日、「WTCビルへのテロ攻撃」の三日後に、アメリカ下院議会で行われたバーバラ・リー議員の演説内容です。時のブッシュ(ジュニア)大統領は「アルカイダへの武力決議案」を大統領権限として議会に出した。リー議員は「武力行使はアメリカに対する国際テロのさらなる攻撃を防ぎえない」と決議案に反対を表明したのです。議会の議決を要しない大統領案にもかかわらず、彼女は「この(反対」投票がどんなに困難であっても、私たちのだれか自制するように説得しければならない」と述べる。

 ぼくは、当時、この演説草稿をリー議員のHPから手に入れて、繰り返し読んだことをはっきりと覚えています。議会に出すことなく、大統領は「戦争できる」にもかかわらず、決議案を提出して議会の一致を求めたのです。圧倒的な支持と同意を手にしたかったのです。すでに上院では大統領決議案は「98対0」で通過していた。リー議員の反対演説には全米からの非難や中傷が浴びせかけられたのでした。「私たちは急いで判断してはならない」と彼女は訴えた。

「私は確信しています。軍事行動でアメリカに対する、これ以上の国際的なテロを防ぐことはできないということを」

「急いで判断をくだしてはならないのです。もうすでに、あまりにも多くの無実の人びとが亡くなっているのです」

「出口も、また明確な目標もない終わりのない戦争にふみださないようにしなければならないのです」

このように述べて、彼女は演説を終えました。

 投票の結果は「420対1」だった。その直後から、彼女は全米中の激しい非難や中傷の的になった。陰湿な脅迫すら受けた。しかし彼女は引き下がらなかった。彼女の「一票」に、もし正しさがあったなら、それはやがて五にも十にもなるでしょう。もし「0」だったら、そこからは何も生まれないどころか、敵愾心に襲われた国家の反逆が殺戮をほしいままにするでしょう。ぼくは何度も、この「一票の反対」の意味を考えた。全員一致がどんなに危険であるか。反対がなく「全員」が武力行使に賛成であることを大統領もアメリカ市民も求めた熱狂の中で、一票の反対は、それこそ「目の敵」「目ざわり」「度し難い反抗」とされたのです。「千里の道も一歩から」というのは本当ですね。その「一歩」、そう、最初の一歩をだれが踏み出すか。これが問われたのです。

 全体がまちがえたなら、その過ちを救うのはだれか。リーさんの出した問題は困難きわまりないものでしたが、かろうじてアメリカを救出する可能性を示す光となったのではなかったか。あえて言う必要もないことですが、「満場(全員)一致」は退廃であり、堕落であることがほとんどです。それは「たった一人の意向」に無条件で従うことでしかないのですから。ある問題や状況に、反対意見があるというのは、健全であり望ましいことだとぼくは信じてきました。今はことにそう信じています。反対を許さないという風潮に、ぼくたちはよく抗しえているか。

 あえて異議を唱えるというのは、けっして生半可なことではない。どんな物事にも裏表の二面(両面)がある。事柄の一面しか見ないという「狭さ」が人を過ちに誘うのです。バーバラさんの行動を知るにつれて、ぼくは見果てぬ夢のデモクラシーの所在に、いっそうの思いを重ねてきました。「異議あり!」「ナンセンス!」と。(この項は、つづく)

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〇 Barbara Lee 職業・肩書 政治家 米国下院議員(民主党) 国籍米国 生年月日1946年7月16日 出生地テキサス州エル・パソ 学歴ミルス大学〔1973年〕卒,カリフォルニア大学バークレー校大学院(社会福祉)〔1975年〕修了 経歴アフリカ系。1990年から6年間、カリフォルニア州議会下院、2年間同上院議員。’98年4月カリフォルニア州選出の民主党連邦下院議員に当選。平和、環境、社会福祉などの問題で活躍。2001年9月ニューヨークなどで起きた同時多発テロ事件直後、アフガニスタンに潜伏するテロリストに対する武力行使を、ブッシュ大統領に認めるか否かの決議に際し、上院は全会一致だったが、下院でただ一人反対票を投じ(420対1)、注目を集めた。2002年初来日し広島などを訪れた。(「現代外国人名録2016」)

ナショナリズムを考える(2)

 ■国家が続く確信が偏見を乗り越え、未来への行動生む

――戦後日本では、ナショナリズムをやっかいなものだと考え、遠ざけて考えないようにしてきました。

「本来、ナショナリズムは未来志向なんです。考えてみてください。私たちはなぜ税金を払うのか。それは、例えば公園や美術館を維持するためだと考えて納得します。その前提となっているのは、国家は将来も存続し続け、自分の孫や子たちもきっとこの国で生き続けるという揺るぎない確信です。私たちは、国家があるからこそ、未来のため、まだ生まれもしていない子たちのために行動することができる」

「米国の例を挙げましょう。1960年代に黒人解放運動が盛んになりました。その潮流はフェミニズムや同性愛者の権利擁護にもつながる。その際に大きな役割を果たしたのが実はナショナリズムなのです」

 「私が言いたいのはこういうことです。黒人の権利、同性愛者の権利を認めるとき、人々は『彼らだって同じ米国人なんだから、同じに扱わなければ』と考えたはずです。国家という概念が、こんな考え方を可能にする。ナショナリズムは、人種偏見や性差別を乗り越えるのです」

「一方で、排外的な人種主義、民族主義は、過去にとらわれる思考です。旧ユーゴスラビアの分裂は、その好例でしょう。クロアチア人、セルビア人らは第2次大戦前から一つの国家として共に暮らしていたにもかかわらず、過去に拘泥して悲惨な内戦を戦い、『民族浄化』すら起きた。過去に目を向けているという点では、中国で清朝時代を美化したドラマに人気が集まっていることも気がかりです」

――日本でも中国でも、インターネットが排外主義的なナショナリズムをあおっている面がありますが。

「ネット上には、差別を助長するような内容の情報が漂っています。米国ではオバマ大統領は実はイスラム教徒だとか、日本でも嫌韓、嫌中などの情報が真偽もあいまいなまま、あふれています」

「人は、自分が信じたいものを信じるものです。ネットでは、自分のお気に入りのリンクだけ見ていれば、他のニュースは見ずに過ごすことができる。政治、経済、国際などのニュースが一つになっている新聞とは正反対のメディアです。『リンクの世界』では24時間、特定の情報にだけ接して過ごすことができるし、グーグルで検索すれば何もおぼえる必要がない。コンピューターの前に座るだけの生活はもうやめたほうがいいと若者たちには言いたい」

――私たちはナショナリズムとどう付き合えばいいのでしょうか。

「いくつか、ヒントがあると思います。スポーツの例は重要です。印象に強く残っているのは、2002年の日韓サッカーW杯で、日本が敗退した後に、多くの日本人が韓国の応援をしていたことです。米国もサッカーが強くないので、2番目にひいきのチームを応援する人が大勢います。自国のチームが負けたから無関心になるのではなく、別の国を応援する。ナショナリズムは、こんな形で昇華することもあるのです」

「ナショナリズムを中和するような情報についても考える必要があります。日本では韓流ドラマや歌手が人気ですが、米国人はハリウッド映画ばかり見ていて多様な文化に触れる機会が少ないのは問題でしょう。さらに重要なのは、移民の存在だと思います。グローバル化が進み、今後は多くの労働者が外国に移り住むようになります。日本政府の移民政策は評価できませんが、『外人が来たら、日本らしさが失われる』というような議論が出始めたら危険です。それはナショナリズムなどではなく、単なる差別主義なのです」

■取材を終えて

「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」。アンダーソンさんの名著「想像の共同体」の一節だ。国民は創作物なのかと驚いたのを覚えている。だからこそ、国家を維持するためにナショナリズムが不可欠だという。日本では負の印象がつきまとう存在だが、問題はどう飼いならすか、なのだろう。(真鍋弘樹、中井大助)

〇 Benedict Anderson 1936年、中国・昆明生まれ。コーネル大名誉教授。専門は東南アジア。(Asahi digital・12/11/13)(2015年12月13日、インドネシアにて死去された)

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Benedict Anderson, Scholar Who Saw Nations as ‘Imagined,’ Dies at 79   By Sewell Chan Dec. 14, 2015

Benedict Anderson, a scholar of Southeast Asia who transformed the study of nationalism by positing that nations were “imagined communities” that arose from the fateful interplay of capitalism and the printing press, died on Saturday night at a hotel in Batu, Indonesia. He was 79. / The death was confirmed by his friend Tariq Ali, who had worked with him at the journal New Left Review and at the publishing house Verso Books. The cause appeared to be heart failure, Mr. Ali said. / Dr. Anderson’s best-known book, “Imagined Communities: Reflections on the Origin and Spread of Nationalism,” first published in 1983, began with three paradoxes: Nationalism is a modern phenomenon, even though many people think of their nations as ancient and eternal; it is universal (everyone has a nation), even though each nation is supposedly utterly distinctive; and it is powerful (so much so that people will die for their countries), even though on close inspection it is hard to define. / Dr. Anderson believed that liberal and Marxist theorists had neglected to appreciate the power of nationalism. “Unlike most other isms, nationalism has never produced its own grand thinkers: no Hobbeses, Tocquevilles, Marxes or Webers,” he wrote.

https://www.nytimes.com/2015/12/15/world/asia/benedict-anderson-scholar-who-saw-nations-as-imagined-dies-at-79.html?_r=0#story-continues-1

上野公園(だれのものでもない=みんなのもの、か)

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「本来、ナショナリズムは未来志向なんです。考えてみてください。私たちはなぜ税金を払うのか。それは、例えば公園や美術館を維持するためだと考えて納得します。その前提となっているのは、国家は将来も存続し続け、自分の孫や子たちもきっとこの国で生き続けるという揺るぎない確信です。私たちは、国家があるからこそ、未来のため、まだ生まれもしていない子たちのために行動することができる」と彼は言う。たとえば、上に示した「国立博物館」は国が管理し、、右に示した「上野公園」は都が管理しています。しかし、それは所有を意味しない。「みんなのもの」といえるなら、それは「国有」でも「都有」でもないでしょう。維持管理は「税金で」やれと、「みんな」から委託されている。という程度の国や都ですね。

 国家に対する揺るぎない確信が持てる人はさいわいです。ぼくは生来の「ナショナリスト」ではないらしい。不十分な考えで何かを言うのは憚られますので、ぼくは多言・贅言を慎みます。でも、国家が成立してたかだか百五十年のこの島において、それが未来(永劫かどうかは別として)にも連綿と維持されるとは、ぼくには考えられないんですね。射程の短い、近視眼の想像力であることは否定しないが、さて、今あるような「国」がさらに持続されるにはどんな力学が求められるのでしょうか。

 以下に、参考までに引用しておいた久野収さん(1910-1999)の「ナショナリズム」論を、さらに深く学びたいと願っているのです。

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 「戦後の日本には、ナショナリズムを禁句にしておこうとする考え方が強かった。デモクラシーとインターナショナリズムで日本の将来を打開していこうという考えが支配的だった。しかし、ナショナリズムと積極的に関係しないデモクラシーはやはり抽象的であるのを免れない。デモクラシーを土着化させるためにはナショナリズムを避けて通れない。インターナショナリズムについても同じ事で、それぞれの国民国家を作り、支えている国民相互がどう関係し合っているかがインターナショナリズムにとっても問題になる。デモクラシーもインターナショナリズムも、戦後は無国籍みたいな感じだったが、ここへ来て反省を迫られているのではないか。戦後もナショナリズムをつづけ、その上にデモクラシーを重ねるだけであれば、天皇制ナショナリズムの続きになりかねないから、いったん切断する作業は大事だったのですが、…。」(久野収「ナショナリズムを考える」)(久野さんは「週刊 金曜日」の「生みの親」でした。無類のしゃべくり人間、大阪は堺の人でした)

 「…もう一ついえば、ナショナリズムの最も危険なところは、個人の実在を超える高次の実在として、民族とか国家を信じ込む態度にある。個人の集合を個人より高次の実在と信じた瞬間、あらゆる集団悪が出てくる。個人が無力になればなるほどファシズムのように大きな集団に自分を同化し、自分に力ができたと思いこむ。それをどうやって平静心でもって、個人の集合体は共通の行動様式から成立する制度だと考えうるか。それと、国民の後に、フォークロア(地域的民俗)のルーツを発見していく方向。そうすれば、「敵か味方か」だけで外側しか考えない過激ナショナリズムとは違うナショナリズムが出てくるかもしれない。(久野収・同上)

 (右の「対話史」において、久野さんの本領がいかんなく発揮されています。数百人との際限のない、時間を惜しまない(と思われる)「対話」にこそ、久野さんはデモクラシーへの信をおいていたと、ぼくには読むたびに思われてきます)「わたし」と「あなた(たち)」との公共空間における関係かな。(この項、続く)

ナショナリズムを考える(1) 

 B・アンダーソンさんに聞く(ナショナリズム研究の第一人者)

 急に燃え上がったり、刺激し合ったり、ときに暴走して好戦的になったり。扱いを誤るとたいへんなことになるのがナショナリズムだと思っていた。国民とは「想像の共同体」であると唱えて世に衝撃を与えた、米コーネル大名誉教授のベネディクト・アンダーソンさんに聞いた。私たちは、これをどう扱えばいいのでしょうか。

■本来は社会つなぐ欠かせない接着剤 差別的思想とは別

――日本で、いや中国でも韓国でも近頃、国家の誇りやナショナリズムを強調する言葉が目立ちます。

「確かに、みんな大声を張り上げていますね。日本では例えば、石原慎太郎さんですか。都知事を辞職して、きっとさらに大声になるのでしょう。安倍晋三さんも再び、自民党の総裁になりましたし」

「彼らは、もっと強硬な外交政策を採るべきだと主張しています。しかし、これは本来のナショナリズムとは違うものです。彼らのような主張が受け入れられるようになったのは、この15年ほどの間、自民党にしろ民主党にしろ、政治が機能しなかったことに原因がある。不安や自信喪失といった感情が、こういった現象を呼び起こしています。日本はもはや大国ではないという思いが、人々に大きな声を上げさせるのです」

――石原前知事の言うようなことは、本来のナショナリズムではないということでしょうか。

「ええ、違います。自分の国がどうもうまくいっていないように感じる。でも、それを自分たちのせいだとは思いたくない。そんな時、人々は外国や移民が悪いんだと考えがちです。中国、韓国や在日外国人への敵対心はこうして生まれる。これはナショナリズムというよりは、民族主義的、人種差別的な考え方です」

「米国でも同じことが起きています。国民の多くが、米国の優位性が弱まり、下り坂になったと感じているからこそ、新しい敵は中国だというプロパガンダが横行するのです。過去には、この役回りをネーティブアメリカンやファシスト、共産主義者、イスラム教徒がしましたが」

――国民は、近代になって「創作」されたものだと主張されていますね。では、ナショナリズムとは、いったい何なのでしょうか。

「通常のナショナリズムは、日常生活の一部であり、習慣やイメージであり、空気のようなものなのです。例えば、テレビで天気予報を見るとします。その際、どうして日本各地の天気しか予報していないのか、などとは誰も疑問を抱きません。テレビのコマーシャルが、すべて日本人を対象にしていることについても、誰も注意を向けない。誰もが、『日本人』であることを当たり前に受け入れています」

「ですが、日本が国民国家としてスタートしたのはほんの百数十年前、明治時代です。それまでは、自分は『日本人』だとは誰も思っていなかったはずです。象徴的なのはアイヌ民族と沖縄の人々です。日本政府は明治時代になって初めて、彼らを『日本人』に組み入れた。江戸時代より前は、自分たちとは違う民族だと区別していたのに」

――日本では、ナショナリズムは鬼門です。明治以降、国家の名の下に植民地政策を推し進め、最後に破局が訪れました。

「ナショナリズムそのものが悪なのではありません。それは、いわば社会の接着剤であり、人々に『自分は日本人だ』と感じさせるものです。決して石原さんの威勢のいい演説が示しているようなものではない。そして、この当たり前の感覚が崩れるとしたら、それは社会の危機を意味します。まるで人がマラリアなどの病気にかかったときのように、すべての悪い症状が一気に噴き出てくるでしょう」

「『上からのナショナリズム』と『下からのナショナリズム』を考えてみましょう。戦前の日本や、領土欲を隠そうとしない今の中国は、上からのナショナリズムに分類されるでしょう。一方で、過去に東南アジアなどにおいて起きたナショナリズムの勃興は、植民地支配からの独立を促し、抑圧された人々を解放する役割を果たした」

「中国を例にすると、共産主義が事実上、過去のものとなり、中国共産党はいま、国家を統治し続ける根拠を問われています。経済成長は、その理由のひとつでしたが、右肩上がりも続かない。今まで、政府はうまくナショナリズムをはけ口にすることに成功してきましたが、いずれ袋小路に陥ります」

「他の国と同様、中国でも人々は自分と子どもの未来を考え、どう生きて行くべきかを考えます。一党独裁で言論の自由もないような政治体制でいいのか。私たちは何をすべきなのか。こんな問いを抱かせないために、国家が民衆に暴動を起こすことを認めているのだと思います」

「そんな人々は容易に抵抗者へと変わりうるでしょう。だから政府はすぐに抑圧します。下からのナショナリズムは、体制をひっくり返すことがある。ベネズエラのチャベス大統領の行動や、イランのイスラム革命にも、そんな側面がありました」(つづく)

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■取材を終えて

「国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である」。アンダーソンさんの名著「想像の共同体」の一節だ。国民は創作物なのかと驚いたのを覚えている。だからこそ、国家を維持するためにナショナリズムが不可欠だという。日本では負の印象がつきまとう存在だが、問題はどう飼いならすか、なのだろう。(真鍋弘樹、中井大助)

〇 Benedict Anderson 1936年、中国・昆明生まれ。コーネル大名誉教授。専門は東南アジア。(Asahi digital・12/11/13(2015年12月13日、インドネシアにて亡くなられました。)

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「…ぼくに言わせれば、ナショナリズムは、デモクラシー、民権の方から出てきている。民権的ナショナリズムが近代国家を形成している。だから、ぼくは国家形成までのナショナリズムはいい運動だ、という考えです。国家が形成されて、だれがその権力を握るかという分裂から、ナショナリズムは民権と国権が離れてくる。」(久野収「ナショナリズムを考える」)

 時として、大きな怒声にまみれて「国家主義」もどきの叫び声が耳に飛び込んできます。いまもまた、島社会のあちこちから怒声を含んだ音声が喧(かまびす)しい。ネット時代だからなおさらに、という感がします。それらが「国家主義」なのかどうか、ぼくは大いに疑っています。あるいは「民族主義」か、それとも単なる「排外主義」なのか。すこしばかり愚考を重ねます。切り抜き帳の埃を払って、材料を持ち出してきました。あるいは「権と国権」、これが一つのテーマになりえますね。(つづく)

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Half a glass of water on white background. Illustration of the concept of the perspectives of half full and half empty

もう半分とまだ半分(「同量」じゃん)

【卓上四季】ドラッカーのコップ コップがひとつ、ある。このなかに「半分入っている」のか、「半分空である」のか。…

何人 が感染、というな

 《北海道で6人死亡、12人感染 道内死者62人に

 北海道と札幌市は11日、道内で6人が亡くなり、12人の感染が確認されたと発表した。道内の死者は計62人、感染者は延べ966人(実人数957人)となった。

 札幌市によると、感染者12人はいずれも同市で陽性と確認され、このうち2人は一度回復した後に再び陽性反応が出た。》(産経新聞・2020.5.11)

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東京新聞(20/4/09)

   存在   川崎洋

 「魚」と言うな

 シビレエイと言えブリと言え

 「樹木」と言うな

 樫の木と言え橡の木と言え

 「鳥」と言うな

 百舌鳥と言え頬白と言え

 「花」と言うな

 すずらんと言え鬼ゆりと言え

 さらでだに

 「二人死亡」と言うな

 太郎と花子が死んだ と言え

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 すべての存在を数字に閉じ込めてしまう。この狂暴な風潮には抗しがたいものがあります。ジョージ・オーウェル(1903-1850)は「正気は統計的なものではない」といった。「存在」をもあっさりと消費してしまう、あるいは抹殺してしまうという「暴力」にぼくたちは手もなくひねられている、いや手を貸しているのだろう。権力者の異常事態は、さらに異常の度を深めている。おかしいという間もなく、望まないところに来てしまったようにも見える。気がつけば、あからさまな「全体主義」が出来上がっていたという危険地帯の一歩手前にぼくたちは立たされているのではないか。みてほしい、「自粛」を乱すといって、「要請」を、さらにそれでも足りなければ、「指示」をと、わずかの「例外」も許さない状況が生まれてしまっています。この「全体主義」の風潮は、ぼくたちの中から作られているといわなければならない。他国に強いられたのではないのです。腰を据え地に足をおろして、しかも緩やかに動きたい。

*川崎洋 – [1930~2004]詩人・放送作家。東京の生まれ。詩誌への投稿のかたわら昭和28年(1953)茨木のり子らと「櫂 (かい) 」を創刊。昭和32年(1957)から文筆活動に入る。詩やラジオドラマの執筆のほか、方言の収集にも注力した。詩集「はくちよう」「ビスケットの空カン」、絵本「それからのおにがしま」、随筆「かがやく日本語の悪態」など。(小学館 大辞泉)