円満にいったのでしょうな

 愛し合っている若い男と女が、親が許してくれないので駆け落ちして、村からかなりはなれた在所に身をひそめた。この在所では二人を大事に守って仕事も与えた。そのうち親の方が折れたので、二人は郷里の村へ帰っていった。そして生活も安定し、子どもも何人もできた。この夫婦は駆け落ちさきの村人の情が忘れられず、毎年農繁期になると手伝いにいった。そしてそれが四〇年あまりもつづいているという。対馬できいた話である。

 その話をきいてから二、三年もたったころ、愛知県三河の山中をあるいていてその話をしたら、そういう話ではないが私にも思い出があると八〇すぎの老女が話してくれた。その老女は一五の年にその村へ嫁に来たそうである。嫁入りさきの家はそのころ人手不足で困っていた。戸主は女房を失い、年寄りはおらず一八になる息子を相手に田畑をつくっていたのである。仲のよい馬喰(ばくろう)がそれを見るに見かねて息子の嫁を世話しようといって方々へあたってみた。そしてその村から東へ一里半ほどさきの村で一五になる娘を見つけ、その親には奉公に出すと思って、しばらく貸してくれといってこの家へ連れて来た。

『宮本常一が撮った昭和の情景 』(上・下)(毎日新聞社刊、2009)より

 そしていつの間にか一八の息子と夫婦のいとなみもするようになって、そのまま月日がすぎ子どももできた。貧しくはあったが、夫がいつもやさしくしてくれた。それに舅(しゅうと)がよい人であった。結婚式らしいものをしたのは子どもができて、実の親のところへ見せにいったとき、まず嫁入りさきで祝ってくれ、たくさん餅をついて、それを夫とかついで子どもを連れて帰ると、里でもにぎやかに祝ってくれた。そのときのうれしさはいまも忘れることができない。そのことがあってから、郷里の娘を嫁入りさきの村の嫁に世話するようになった。そうした女が一〇人あまりいる。こちらからも嫁にいく。私が嫁に来るまでは、何ら行き来のない村であったが、いまは村同志が親類のようになっている、とその老女は話してくれた。男と女のこまやかな愛情がもとになって、婚域がひろがっていった話はもとはずいぶんあったようである。

 三河山中できいた話とそっくりの話を下北半島の西海岸でもきいたことがある。母親が死んで人手不足で困っているが、嫁に来るものがなくて困っていた一家がある。下北半島の西海岸は漁業が盛んでとれた魚は塩物や干物にして、それを川崎船という運搬船に託して津軽へ持っていって金にして生活をたてていた。あるとき嫁がなくて困っている家のものが川崎船の船頭に津軽のあたりに嫁に来てくれるような女はなかろうか、と話したが、話はそれだけのことだった。ところがあるとき、親子で山の畑へ仕事にいっていると、川崎船の船頭がやって来て、女を連れて来たから帰ってみるがよいといいすてて立ち去った。家へ帰ってみると、見知らぬ女が台所で仕事をしている。そこでいろいろ指図して夕飯もつくってもらった。何とも奇妙な出逢いであった。さて寝ることになったが、女の分の布団はないので若い男は自分の布団で一緒に寝た。それで円満にゆきましたか、ときいたら、いまはすっかり年寄った男の方が、

 「円満にいったのでしょうな、いまもこうして一緒にいる」

 と老女をふりむいた。下北の西海岸にはこのようにして津軽から嫁に来た女が多かった。そうした女たち何人かにきいてみた。男と気が合うておりさえすれば、どこに住んでも同じことだという。

 このような話はこれだけではなくてもっと広く各地できいている。そしてそれによって男女の婚域はひろがっていったことが大きかったのではないかと思う。明治の初めごろまでは婚域はきわめて狭いものであり、なかには一村のうちにかぎられていたという例も多い。それが次第にひろがって来たことの理由の一つに男女の愛情の問題があったと思う。

 しかもいまこんなことを思い出したのは近ごろ農村に嫁がないということばが流行語になっていることからで、嫁を狭い地域のなかから求めようとしたり、結婚がより打算的になって愛情よりも打算が先行するようになったためではないかと思う。田舎をあるいていると、実にこのましい老夫婦に逢うことが多い。両方ともいい顔をしている。そして共にいたわりあっている。基礎になっているものは本当の愛情だと思う。と同時に女を強からしめたのもこうした愛情ではなかったかと思う。

 新聞も雑誌もテレビもラジオもすべて事件を追うている。事件だけが話題になる。そしてそこにあらわれたものが世相だと思っているが、実は新聞記事やテレビのニュースにならないところに本当の生活があり、文化があるのではないだろうか。その平凡だが英知にみちた生活のたて方がもっと掘りおこされてよいように思う。当節はすべて演出が多く、芝居がかっていすぎる。(宮本常一「文化の基礎としての平常なるもの」『女の民俗誌』所収。岩波現代文庫版)

 引用した文章(昭和五六年に執筆された)はいかにも宮本さんらしい「結婚」論で、ぼくたちの社会の昔には、さまざまな結婚の仕方や家庭の仕組みが存在したことを教えられます。このようなことを調べていけば、ぼくたちが考えている以上に、女性は力を持っていたり、自由であったりしたことがわかるにちがいありせん。過去は、もう一つの未来でもある。歴史は過去との対話とある西洋の賢人はいいましたが、それは別の意味で「未来」との対話でもあるのですね。

 宮本常一(みやもとつねいち)さんは明治四十(1907)年、山口県で生まれました。師範学校を卒業しましたが、その後全国各地を歩き、日本の文化の足跡を訪ね、人々をの生活・文化をていねいに調べられました。昭和五六(1981)年に死去。宮本常一著作集(全50巻・未来社)をはじめ、膨大な数の著作が残されました。

 ぼくは柳田国男(右写真)というひともよく読んだといえますが、宮本さんのものは独特の香気というか肌触りといったものが強く感じられました。その違いはお二人の気質によるのでしょうが、さらにさかのぼれば、気質をはぐくんだ生育環境にたどり着くでしょう。いい悪いではなく、生まれも育ちも含んだ「人柄」というものが外に現れるのだと思います。(ぼくはもう六十年も前の姉の「婚礼の日」のことを鮮烈に覚えています。「方違え」をして生家を出、…。この方位を忌む風習の始まりは平安時代、「陰陽道」でした。この古い慣習が、ぼくの眼前で行われているのに驚愕したのでした)

 もっとぼくたちの足元の歴史(生活の範囲)を知る必要があるでしょうね。そんなことを教えてくれた、宮本さんの写真のお顔はいつでも「笑い」に溢れたような、「破顔」そのものの、にこやかな表情で、ぼくはいつでもその温和な物腰に魅かれてしまうのです。

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お前の方が「アウトサイダー」だ

 《ふつう逸脱というレッテルを貼られた場合に生じるもうひとつの反応は、「彼(彼女)にたいして何かがなされるべきだ」という気分が共同体の中に生じることである。われわれの社会におけるこうした反応に関するおそらく最も重要な点は、ほとんどすべての手段がもっぱら〈逸脱した当人〉に対してのみ講じられることだろう。処罰・リハビリテーション・治療・強制、その他社会統制のありふれた手段が彼(彼女)に対してほどこされるが、これは逸脱の原因はレッテルを貼られた個人のなかにあるということを意味している。彼(彼女)に何らかの措置を講じることで、彼(彼女)が示している問題は解決されうると考えられているのである。

「休業前は『何でまだ開けているんだ』と電話があり、再開したら『何でもう開けたんだ』と。宣伝すると嫌がらせを受けてしまう」
 県内で店舗を展開するスポーツジムの広報担当者はやりきれない様子で現状を語る。会員は再開を喜んでくれるが、そうでない一部の人たちからは非難する声が届く。(河北新報・20/05/10)

 これは奇妙なことだ。逸脱に関する社会科学的研究を背景にしてこの点を考えてみれば、とりわけそう言えよう。そうした研究がはっきり指摘しているところによれば、だれに逸脱のレッテルが貼られるのかとか、どのようなふるまいが逸脱にあたるのかが決められるときに決定的な役割をはたすのは通常の人々なのである。こうした研究は、レッテルを貼られる人だけでなく、貼る人にたいしても矯正手段が向けられるのでないならば、どんな矯正手段が用いられようとも意図するような成果はあがらないということを示している》(ロバート・A・スコット)

 「感染者」に対する社会集団内の他の人々の望ましくない行為、いやさらにいえば犯罪に等しいような行為があちこちで見られる。嘆かわしい風潮であり、法律的にも何とかしなければと考えられても、こうすればいいという決定打が見られません。「ヒトのうわさも七十五日」といってみたり、「のど元過ぎれば熱さを忘れる」と言い含めたり。時間がたてば、減少は消えてしまうのでしょうか。でも同じようなことがくり返し生じているのです。人は変われど、加害者は不特定の様相を見せては、被害者は小さくならざるを得ないのです。

 《あらゆる社会集団はいろいろな規則をつくり、それをその時や場合に応じて執行しようとする。社会の規則は、さまざまな状況とその状況にふさわしい行動の種類を定義し、個々の行為を『善』として奨励し、あるいは『悪』として禁止する。ある規則が執行された場合、それに違反したとおぼしい人物は、特殊な人間 ― 集団合意にもとづくもろもろの規則にのっとった生き方の期待できない人間 ― と考えられる。つまり彼は、アウトサイダーと見倣されるのである。

 しかし、こうしてアウトサイダーのレッテルを貼られた人間が、そうした事態に対して、まるで異なった見方をすることもありえよう。彼(彼女)は自分がそれによって判定された規則を承認していないかもしれず、また、自分に判定を下した者たちに判定者としての権限も法的資格も認めないかもしれない。ここに、このことばのもう一つの意味が生ずる。すなわち、規則違反者が判定者をアウトサイダーと見倣すこともありうるということである」(H. S. ベッカー『アウトサイダーズ ラベリング理論とはなにか』)

 あいつは駄目な奴だ、とレッテルを貼られる。それはいったいどういうことでしょうか。この問題に関してはたくさんの立場がありそうです。ベッカーは引用の著書の開巻最初のページにW. フォークナーの『死の床に横たわりて』を引く。なるほど、そういうことなのかと納得させられる部分ですので、紹介しておきます。

 「わしゃ、ときどき、わからなくなっちまうんだが、どうして他人(ひと)のことを気違いだなんていいきれるんだろう。人間にゃ、ほんとの気違いもほんとの正気も一人だっていやしない。ただほかの連中がそういったからそう決まっちまうだけのことだって、ときどき、そんな気がするんだ。そいつが何をやるかというより、まわりの連中がそいつをどう見るかってことで決まっちまうらしいんだな」

 社会学的にみれば、<逸脱行為>はもともと中立的な概念で、道徳(善・悪)に関係はない。しかし、いったん日常生活のなかで用いられるとき、<逸脱>あるいは<逸脱者>はよくない行為であり、非難されるべき存在となります。なぜなら、ある一定の行動様式 ― 私たちはそれを規範と呼びならわしています ― をとることが求められる際、そこから外れるのはいけないことだとされているからです。

 いかなる社会集団でも、自らの秩序を維持するためになんらかの規則・規範をつくる。集団の各メンバーはその規則・規範を遵守して、集団への帰属意識を強めます。反対に、規則・規範にそむくことはもっとも嫌われるのです。重要なのは集団が秩序をもって存続することだからです。

 「まわりの連中がそいつをどう見るかってことで決まっちまうらしいんだな」、まるで悪意のある「裁判官」みたいだね。「お前の方が逸脱しているじゃないか」といわなければならないことが、あまりにも多すぎますね。でもやはり、いわなければならない。(「嘘」「脱法行為」をしているのはだれであるか、多くの市民はわかっている。理不尽な規則だから「破った(非同調)」のに逸脱のレッテルを張り、一方で、問題のない規則を踏みにじった「脱線行為」をした「権力」を見逃すわけにはいかないじゃないかと批判が生じているのが、この島の現実です)

 だが、十分に考えなければならないのは規則・規範は絶対的なものではないという点です。時代や社会によって規則・規範は変わるもの、きわめて相対的なものです。また、道徳的な見地からみて、ある種の規則・規範を容認することができないという場合も出てくるはずです。ある具体的な規則・規範に反する行為を指して、<逸脱>というのはそのとおりですが、それがただちに<まちがった行為>となるかどうかを吟味する必要があるのです。マートンが<非同調行為>と<脱線行為>と名づけて、その二つを社会学的に検討したのは理由のあることでした。

 学校というところは算数や国語を教えると同時に「規則は守らなければならない」という行動様式を身につけさせる。算数ができるということと、規則に従順であるということは、教師にも子どもにも同じことだといってもいい。学校の性格をフーコーは次のように表現しています。

 「規格を旨とする権力は、絶対的な均等をめざすある体系のなかで機能しやすい」

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

Why are you saying that …

Kevin Lamarque / Reuters ジャン記者(左)とコリンズ記者

 《いま現在、アメリカには強烈な順応主義がはびこっています。九月十一日の攻撃の成功に、人びとは驚愕し、衝撃を受け、怯えています。最初の反応は結束すること(列を引き締める[close ranks]いう軍隊用語を想起させる)、そして愛国心の再認。あたかも、あの攻撃により、愛国心に自信がもてなくなったかのように。国じゅうが国旗に覆われています。アパートや家の窓から国旗が垂れ、店やレストランの表に国旗が掲げられ、クレーンやトラックにも、カーラジオのアンテナにも国旗がたなびいています。

 アメリカの伝統的な暇つぶしだった大統領(それが誰であれ)の揶揄も、愛国心にもとると決めつけられるようになりました。何人かのジャーナリストが新聞や雑誌から解雇され、ごく穏やかな批判的見解(攻撃当日のブッシュの謎の失踪に疑問を投げかける、など)を授業で述べただけで、公に譴責を受けた大学教師もいました。検閲のなかでももっとも重大にして効果のある自己検閲がそこここで行われています。討論を展開すれば意見の相違と同一視され、さらに意見の相違は忠誠心がないものと決めつけられます。この新たな、先の見えない緊急事態では、従来のさまざまな自由の保障は「贅沢」かもしれない、という思いがひろがっています。世論調査によると、ブッシュの「人気度」は九十パーセントを超えそうですが、旧ソ連型の独裁体制の指導者たちの支持率にほぼ近い数字です》(S・ソンタグ『この時代に想う テロへの眼差し』[In Our Time, In this Moment])  

 「体制順応主義」がはびこっているのは彼の国だけではない。ほぼあらゆる政治問題について、わたしたちの社会(島)でも、多くの人はじつに従順です。異論を唱えつつ、従順なんだ。「この受け身の姿勢は、リベラルな資本主義と消費社会の勝利の当然の結果なのかもしれません」(ソンタグ)

 そういえば、アメリカには二大政党があるといわれているけど、「この二大政党はじつは同一の党の二派」なんですね。イギリスもご同様。

 島社会でも「二大政党の時代、政権交代の可能な政党政治」が夢想されましたが、なんのことはない、同一政党の二つの派閥にすぎなかったというわけ。いよいよ異論も討論も許されない雰囲気が充満しかかっているからこそ、ていねいにじっくりと対話とコミュニケーションを。me-tooism(みんなで渡れば怖くない)という無責任な風潮を断ち切るためにも、さ。

 政治家のほとんどは地位や名誉やといった「特権」を振りかざすだけの木偶の坊だぼくはいってきました。おそらく、地球上の多くの国々の「指導者」は人民のより良い生き方を望んでいないことだけは間違いなさそうです。

 以下の記事も、「大統領」のすることかね、とよそ事ながら、泣きたくなります。女性に対して「居丈高」になるのはトランプばかりじゃない。わがトランペットも右に同じ、屑ですよ。選挙で選ばれた「選良」(「選ばれたすぐれた人。特に、選挙によって選び出された代議士のこと」・デジタル大辞泉)とあります。この一事で、並みいる「辞書」なるものがいかに嘘つきであるかが分かろうというもの。

***********(HuffPost Japanの記事より・2020年05月12日)

 トランプ大統領、2人の女性記者の質問に怒って記者会見を突然中断。会場から立ち去る

 「その質問は中国に聞いてくれ」。質問をしたアジア系の女性記者を、攻撃的な態度で非難した(Lydia O’Connor)

 ホワイトハウスで5月11日に開かれた記者会見で、トランプ大統領が突然会見を中断して立ち去る一幕があった。大統領は、直前の女性記者とのやりとりに腹を立てているようだった。/ この日行われたのは、新型コロナウイルスについての記者会見。

 CBSのウェイジャ・ジャン記者が「なぜアメリカは他の国より、ずっと素晴らしい検査ができていると主張するのか」そして「多くのアメリカ人が死亡し、感染者数が増えている中で、なぜ他の国との競争として捉えるのか」を大統領に尋ねた。/ 大統領はジャン記者の質問に対して「なぜなら、世界中の他の国で死者が出ているからだ」と説明。/ さらに「それは、中国に聞くべき質問だろう」と、強い口調で返した。

「私に聞くな。その質問は中国に聞いてくれ。彼らに聞いたら、とても普通ではない返事をするかもしれない」

WEIJA: Why is this a global competition to you when Americans are losing their lives every day?

TRUMP: Maybe that’s a question you should ask China.

WEIJA: Why are you saying that to me, specifically?

TRUMP: I’m saying it to anybody who would ask a nasty question like that.

 ジャン記者は中国生まれのアジア系アメリカ人だ。「中国に聞け」という言葉に対して更に質問を続けようとしたが、大統領は彼女を遮り、後ろにいたCNNのケイトラン・コリンズ記者を指名した。/ しかしコリンズ記者は自分の質問をする前に、ジャン氏に言いかけた事を大統領に聞くよう促した。/ コリンズ記者に促されたジャン記者は「なぜ、具体的に私に対してそう言うのか?」とトランプ大統領に質問。/ それに対して、トランプ大統領は「具体的に言ったわけではない。誰にでも言う。質問が不快だからそう答えた」と、ジャン記者を再び強く非難した。(以下略)

https://www.huffingtonpost.jp/entry/trump-storms-out-of-coronavirus-briefing-emale-reporters_jp_5eba122fc5b68f80c04c2dc8?ncid=other_huffpostre_pqylmel2bk8&utm_campaign=related_articles


The ‘Trump Death Clock’ May Be Coming to a City Near You
The Trump Death Clock tallies American COVID-19 deaths that could have been prevented had Trump implemented mitigation just one week earlier. Its maker explains why he did it.
thedailybeast.comhttps://www.huffpost.com/entry/trump-death-clock-coronavirus_n_5ebcc277c5b688822a57349e

 ソンタグの「眼差し」は確実に「われわれの時代」にまで届いています。古今東西、大小を問わず「権力者」は腐敗します。健全そうなものは腐敗し、腐敗していたものは、さらに腐敗しなければ止まないのが「政治家」の宿命。清廉なステイツマンもいたことをぼくは知っているからこそ、現今の堕落しきった面々の挙動が許しがたいのだ。

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進化は偶然と必然の混在である

 「新進化論」への招待

 《われわれは迷信的な無知の状態から出発して、事実を次々に蓄積することによって窮極的な真理に向かって進む、というのが、従来の科学の「進歩」のモデルである。このひとりよがりの視点からすれば、科学史は単なる発見物語でしかない。とうのは、それはただ過去のあやまちを記録し、煉瓦積みの職人に窮極の真理を垣間見た功績を帰することしかできないからである。それは古くさいメロドラマと同じくらい見えすいている。つまり、われわれが今日知覚するところの真理が唯一の裁決者であり、過去の科学者の世界は善玉と悪玉に二分されてしまう。

 科学史家たちはこうしたモデルを、過去十年の間に完全に捨ててしまった。科学とは客観的情報の冷酷無情な追求ではない。それは人間の創造的な活動であって、科学の天才は情報の処理装置などとしてではなく、むしろ芸術家として活動しているのである。理論が変更されるのは、新しい発見から生ずる単なる派生的な結果としてでなく、その時代の社会的・政治的な力に影響を受けた創造的な想像力の働きの結果としてである。われわれは過去を判断する場合に、われわれ自身のもつ確信という、時代を無視した先入観によるべきではない。つまり、過去の科学者たちを彼ら自身の関心とは無関係な基準によって正しいと判断して、英雄あつかいすることは避けるべきなのである》(S. J. Gould『ダーウィン以来 進化論への招待』ハヤカワ文庫版)

 スティーヴン・ジェイ・グールド(1941~2002)。ニューヨーク生まれ。古生物学・進化生物学・科学史専攻。科学のエッセイストとしても大活躍しました。また、『ダーウィン以来』(1977)はグールド進化論の原点となった著作です。そこには刺激的な考察や過激な指摘などが満ちあふれています。

 「自然淘汰説」「進化論」はすでに定説が幅を利かせているが、はたしてそれでいいのか。グールドはのっけから科学史の常識に果敢に挑戦します。

 自然淘汰説の基本原理とはなにか。

 1生物には変異があり、すくなくとも部分的にその変異は子に受けつがれる。

 2生物は生き残れる以上にたくさんの子や卵を産(生)む。

 3ある環境に好ましいとされる方向にもっとも強く変異している子孫が生き残る。好ま しい変異は自然淘汰によって個体群に蓄積される。

 たしかにこれが基本となるが、それだけでは足りないとグールドはいいます。

 「ダーウィン理論の本質は、自然淘汰は進化にとって創造的な力であって、単に不適者の死刑執行人にすぎないのではない、という主張にある。自然淘汰は適者を構築するものでなければならない」と。

そこからさきの基本原理に加えてつぎの観点が必要となるとする。

 1変異は無方向である。「進化は偶然と必然の混在である。偶然というのは変異のレベルにおいてのことであり、必然というのは淘汰の働きにおいてのことである」

  2変異の規模は、新しい手がたった一回の進化上の変化にくらべて、小さい。

 「進化」には目的はないというのがダーウィンの主張の確信です。だんだんに進化していって、ついに世界は調和するというのは幻想に他ならないということ。

「進化」の方向は定まっていない(無方向)というのも彼の説の重要部分です。進化論は進歩論ではないというのです。したがって、もろもろの生物はみずからが棲息する局地環境に適応するだけだというのです。

  機会を見つけて一読されることをすすめます。 

 *ビーグル号の博物学者はだれだったか。ダーウィンではなかった

 *どうしてダーウィンは ‘evolution’ という語を使わなかったか。

 *みずからの説を公表するのにどうして二十一年もかかったのか。

 このような謎かけからはじまって、問題はだんだんと「進化」していきます。

〇自然淘汰説(しぜんとうたせつ)=自然選択説とも。進化の要因論として,C. ダーウィンと A. R. ウォーレスが同時平行的に到達した説。生物は原則として多産性で,そのために起こる生存競争の結果,環境により適応した変異個体が生存し,その変異を子孫に伝える。このため生物は次第に環境に適応した方向に向かって進化するという考え。ダーウィンはこの説を《種の起原》において本格的に論じ,それによって進化論は広く認知された。その後20世紀に入り,遺伝学や分子生物学の裏づけを得て,現代の進化論の中でも中心的な位置を占めている。(マイペディア)

〇進化論(しんかろん)=生物の進化が事実として承認されるまでは,生物進化の説を進化論と呼んでいたが,現在では主として進化の要因論をいう。体系的な進化要因論を最初に提唱したのはラマルクで,彼は動物の器官および機能は用・不用によって発達の程度が決まり,この後天的な変異が遺伝し,累積して進化の原因となるという用不用説を唱えた。ラマルクの進化要因論はネオ・ラマルキズム,定向進化説などに受け継がれている。次いで C. ダーウィンは,変異個体間の競争に基づく自然淘汰説を提唱。ダーウィンの進化論は18世紀の社会進歩観を背景にして生まれたもので,社会進化論と密接なかかわりをもっていた。現在では,自然淘汰説に,突然変異,遺伝子の機会的浮動,隔離などの要因を加えた〈総合説〉が主流である。しかし,さまざまな異説もあり,キリスト教原理主義者の〈創造説〉のように,進化の事実そのものを否定する主張もある。(同上)

  進化論とはどのような思想か。古いもの、劣ったものはどんどんと新しい優れたものに乗りこえられていくというのなら、それは明らかにまちがい。人間世界の日々の行状を眺めれば、そんなに暢気な話ではないということが分かろうというもの。それはかぎりなく、あらゆるものを含みながら、時間の果てにえんえんと伸びていくプロセスであり、ひとりの人間においても地球上の全生物についても、それは妥当するでしょう。(つづく)

***********

Carlos Ghosn はどこへ行った?

 《あらゆる課題に対して、チームの全員がまったく意見を戦わせることなく賛同する。これは果たして「完璧な和」を成していると、あなたは思いますか。/ 恐らくちがうでしょう。そのような状況は問題をはらんでいる可能性があります。メンバーに多様性がないか、異論を唱えるのを恐れているのか。(中略)

 重要なのは、多様性です。50代男性のみのチームに、若い女性の要望を理解するのが難しいように、日本人のみのチームがブラジルや中国など、海外の顧客のニーズを把握するのは無理です。多様性豊かな市場に対しては、異なる経歴の人からなるさまざまな視点が、実効性のある解決策を生むのです》

 じつに正当な見識を示されていますね。どなたでしょうか。お見事、というばかりです。

 十数年後の運命を彼は夢想だにしていませんでした。だれあろう、カルロス・ゴーンさん。日産自動車・ルノーCEOです(当時)。彼は「日本人のみのチーム」の怖さや排除専一の行動様式を知らなかったのでしょう。

 この会社の島人(ヤマトンチュウ)たちが「異なる経歴の人」を認めたくなかったのは、なぜか、巷間伝えられるような「犯罪」をすでに侵していたからだったのか。ゴーンさんがしていたことを「異なる経歴」の人たちもよく知っていたと、ぼくには思われます。だれにも知られないで、容疑(背任など)内容のようなことができるとは考えられないからです。

 (ぼくはカルロスを信じているのではないし、カルロスが「無罪あるいは無実」であるというのでもないのです。せこい話ですが、ぼくが運転免許を取ったのが半世紀前で、それ以来ほとんど日産車にしか乗らなかった。ときには浮気して「TYT」に何台(何年)か乗りかえていましたが、やはりまた日産車に戻りました。(後で知ったのですが、あろうことか)ぼくが今も乗っている03年製の車はカルロスの命令で生産中止になっていた。十万キロを超えて、なお快調ですよ。一か月前に車検も済ませたばかりです。右横の写真は、はじめて所有したものと同年式の車。スピード違反で反則金をたくさん払いました。若気いやバカ気のいたり)

*****

 (ここで、ガラリと場面が展開します。十余年前のぼくのつまらない経験談の一端です) 

 こんにちは 山埜郷司(ヤマノ・サトシ)です。この高校には何度目になるでしょうか。

 早い段階から校長先生の命令を受けていました。「暇だろうから、話に来いよ」と。どんな話になるのか、実際に口を開いてからでなければ明らかになりません。いつでも脱線します。どこかの列車みたいで、それはぼくの悪いところの一つです。目的地に何時何分に着かなければという旅行は好きではない。途中下車あり、道草結構。無事に終点にたどり着けるかどうか、そもそも、そんなことに関心がないんです。

(県立K校)

 さて、テーマは「国際化と人権問題」となっています。これは校長さんの指示でした。校長とはお友達です。

 つい最近の✖✖新聞(06年3月4日)に出ていたのが、上に紹介したゴーンさんの発言です。ブラジル生まれで、フランスや日本で、あるいは中国でも活動されている方。(この時期には彼の「後年の逮捕・逃走の物語」はもちろん想像すらしておりませんでした)ゴーンさんは、文字どおり、国際化時代の申し子のような存在です。一言で言えば、国際化とは対話(コミュニケーション、あるいはインターロケーション)を意味します。それはけっして外国籍の人と話すことではない。自分にとって他者といわれる存在(たとえば、ゴリラやチンパンジー、犬や猫なども)と、心と言葉をつくして語り合い、おたがいの意見の違いを確かめあうことです。

 国際化と人権。そこにはなにか関係があるのですか、と質問されそうです。詳しいことは雑談のなかで考えるとして、ある事柄について「私はこう思う」、あるいは「あなたとは意見が違う」ということが言えなければ、国際化もなにも始まらないのです。

 「人権」というのは、一言でいえば、他人に話しかける権利のことです。それを他人から認めてもらえなければ、あるいは他人にそれを認めさせなければ、その人にとって「人権」は存在しないも同然。たとえば、なにかの折りに発言しようとして「お前は黙れ」といわれたら、どうしますか。共同体(集団)のなかで発言権を奪われるというのは、共同体(社会)から排除されるのと同じでしょ。口を封じられた人は、存在しないのと同じなんです。

 ある人に罪(濡れ衣)を着せて、共同体から閉め出してしまう(隔離してしまう)、やがて隔離された人のことを、だれもが忘れてしまう。これは日常的にあらゆる場所で生じている「人権侵害」の方法です。「囚人」とはとらわれ人であり、なかでも「冤罪(False accusation)」で「口を封じられた人」(拘束された人)は今もこの世界にたくさんいるはずです。

 忘れ去られた人、それはギリシア語でいう「アムネストス」です。関係者以外、だれもいなくなった(追放・隔離された)人のことなど覚えていないという状況に置かれた存在を指しています。アムネスティ・インターナショナルというグローバルな組織がありますね。四十五年ほど前にノーベル平和賞を受けています。その主要な活動は、政治的な理由、宗教的信条などを理由にして社会的に存在することを抹殺された人々の権利を回復することにあります。(ぼくも、しばらく前までは「日本支部」のメンバーでしたが、今は脱退しています。「追放」されたのではない)

 人権はだれもが生まれながらに与えられているんじゃありません。ていねいにしっかりと育てようとしなければ、それはいつでも奪われてしまう。(ゴーンさんを見てください。彼は日本社会という「共同体」、あるいは「日産という会社」から追放された。それを嫌って、彼はどこかに逃れてしまいましたが)

 本日は「人間であるとは」という問題から、「国際化と人権」にいたる問題の、ほんのさわり?を話して、多くの問題をみなさんに引き渡したいと思います。答があるのかないのか、あるとするなら、自分で考えなければみつからない、そんな問題なんですね。

 ぼくの仕事は「ただ尋ねるばかり」、といっても体重やなんかの重さを測定する「あれ(はかり)」ではありません。ご面倒でしょうが、ダジャレにもおつきあいください。それでは、はじめましょう。(「話」の方は動画になっているようですが、とても恥ずかしいので未公開です)

(ぼくは「幼・小・中・高・大」などで無駄話をよくしてきました。三十年以上もの無駄話人生です。すべて頼まれたからです。大人相手の「講演」のまねごともたくさんしましたね。人見知りをする人間だったのですが。バカ話なら、何時間でも平気でした。今はとても寡黙な人間になりました、というより、近所に人が済んでいない山中の住人で、ただの孤独な年寄りになっただけなんですね)

 はたして、多くの人にとってカルロスさんは「忘れられた人」になったのでしょうか。

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●カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn、1954年3月9日 – )は、ブラジル出身の実業家。2004年に藍綬褒章を受章。ルノー、日産自動車、三菱自動車工業の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産・三菱アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)を務めていたが、2018年11月に東京地検特捜部に金融商品取引法違反の容疑で逮捕され、その後解任された。保釈中の2019年12月に日本から密出国によりレバノンに逃亡し、2020年1月2日に国際刑事警察機構により国際手配書(赤手配書)にて国際手配されている逃亡中の刑事被告人。(註 東京六大学のうちの、H大学とW大学から名誉博士号を受けています。いまは取り消したんですかね)

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●Amnesty International について 「自由と尊厳が平等に守られる世界をめざして/ 肌の色が違うから、宗教が違うから、よその国から来たから、女性だから・・・ いろんな理由で差別や暴力に苦しむ人が、世界には大勢います。政策を批判しただけで捕まってしまう人、ひどい条件で働かされる子どもたちもいます。/ アムネスティ・インターナショナルは、こうした人たちの自由と尊厳が平等に守られる世界となるよう、活動を続けています。

アムネスティ・インターナショナルは、1961年に発足した世界最大の国際人権NGOです。人権侵害のない世の中を願う市民の輪は年々広がり、今や世界200カ国で700万人以上がアムネスティの運動に参加しています。/ 国境を超えた自発的な市民運動が「自由、正義、そして平和の礎をもたらした」として、1977年にはノーベル平和賞を受賞、翌年には国連人権賞を受賞しました。(右写真は「組織」の生みの親となったピーター・ベネンソン弁護士。この組織についても、どこかで触れたいですね)

アムネスティ・インターナショナル日本は、その日本支部として1970年に設立されました。世界中のさまざまな場所で起こっている人権侵害の存在を、国内に広く伝えるとともに、日本における人権の状況を、国内、そして世界に伝えています。(ttps://www.amnesty.or.jp/about_us/who_we_are/)

うちは大丈夫かと、…

「あの施設の…」感染者1人でも老人ホームに白い目 地域に根深い偏見「差別的な言葉怖い」(20/5/6 10:30 ©株式会社京都新聞社)

(新型コロナウイルスの集団感染のきっかけとなる交流会が開かれた「むすび家カフェ」。現在はチェーンが張られ、閉鎖されている)(井手町井手)

 最初はただの筋肉痛だと思った。発熱などもなく、栄養ドリンクを飲むと一晩で治まった。井手町の40代男性は、後の検査で感染が分かるまで「まさか、新型コロナウイルスが自分に関係してくるとは考えもしなかった」

 幸い、感染判明後も症状はほとんどなく、身体的な不安は感じなかった。それよりも、「感染したことで周りにどう思われるかが、一番怖かった」。男性は、自宅待機に加え、家族と離れて療養する「隔離生活」を送った数週間の心境を、そう振り返った。

 男性は井手町で3月下旬に開かれた、京都産業大生との交流会に参加。学生の1人に続き、同席した複数の町職員の感染が判明したためPCR検査を受け、陽性反応が出た。

 療養で自宅を離れて過ごす間、別のまちで感染した人を中傷する落書きが見つかったというニュースを見た。「うちは大丈夫かと、思わず家族に電話して確認した」。これまで嫌なことを直接言われたり嫌がらせを受けたりしたことはないが、「周りの人が自分の耳に入れないようにしてくれているようだ」

 男性は、すでに回復した今もなお、自分や周りの人がいつ偏見や差別にさらされるかもしれない―という不安を抱きながら、日々を過ごしている。

 新型コロナ感染拡大とともに生じた偏見や差別は、感染者が出た地域の住民や施設などにも及んでいる。

 井手町の京都産業大生との交流会は、府内では京都市に次いで2番目に多い22人(3日現在)の累計感染者を出すきっかけとなった。会場となった古民家「むすび家カフェ」の近くに住む住民は、「(特に親しい関係でもない)遠方の知り合いから突然連絡があり、大丈夫かと心配された」と困惑を口にする。

 同町の70代男性も、隣町の喫茶店でいつものように朝のコーヒーを楽しんでいると、他のテーブルで「(集団感染が起きた)井手町には近寄りたくない」と客が会話している声が聞こえ、不快な思いをしたという。

 4月中旬に職員1人が感染した木津川市の特別養護老人ホーム。訪問介護のため職員が利用者宅を訪れると、近隣住民らが「こんなところに何の用だろう」「大丈夫かしら」とうわさする声が聞こえる。介護の一環でスーパーに行くと、施設の名が書かれた制服を見て、「あの施設の…」と、すれ違いざまに客から言われたことも。

 施設は消毒を何度も行い、その後、感染者は出ていない。職員は業務中、マスクを着用し手指の消毒も頻繁に行う。それでも、地域では白い目で見られてしまうという。30代の男性職員は「周囲の人が不安になる気持ちも分かる。でも差別的な言葉を浴びるのは怖い」と打ち明ける。

 城陽市では4月上旬、新型コロナに感染したとする3人の名前が書かれた紙が、民家の壁などに無断で貼られているのが見つかった。府によると、3人は実在するか不明という。奥田敏晴市長は「憶測やデマ情報に惑わされず、冷静な対応を」と市民にメッセージを出した。

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《そもそも、他者の行為の原因をその人自身に求めたがる心のしくみもかなり頑健である。これを対応バイアスという。「明らかに本人のせいではない」とは断言できないようなケースでは、この対応バイアスがさらに顕著となる。》((大阪大学大学院人間科学研究科教授=三浦麻子)・「47NEWS」(2020/5/3)

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 被害にあった人は「二重の苦しみ」を味わうという話です。なぜこんなことが起きるのか、という問題には明確な答えはなさそうです。「道徳」論をかざしても、「刑罰」論をぶってみても、「いじめ」や「差別」はなくならないといえば、大いに非難されそうですが、ぼくの小さな経験からもそういうほかありません。昔、アメリカのマートンという社会学者の本を熱心に読んだことがあります。かれは「差別と偏見」というテーマで重要な理論を展開した人です。彼の地では「黒人差別」はなんとしてもなくならなかった(今でもなお)。「差別主義者」は「確信犯」だ、したがって重罰に課すしかないのだと彼はいっていたことをいまでも記憶しています。(この項は、「コロナ禍で、こんなことがありますね」と軽く始めたのですが、意外にもマートン先生が現れました。この「差別と偏見」に関して、ぼくが彼から学んだ事柄をどこかで話してみたくなりました、まるで付録のような展開です)

 まずい例ですが、「飲酒運転」です。ぼくの知人(ご夫妻)(現在はオーストラリア在住)が飲酒運転をしていた大型トラックによる追突事故よって九死に一生を得たが、同乗していた二人のお嬢さんを亡くされた。その後、大変な活動を重ねられて道路交通法の改正を当局(政府・法務省等)に働きかけ、それまでどんなに悪質な飲酒運転でもたかだか懲役四、五年だったものを「死刑」を含む処罰規定を獲得するところまで進められた方でした。その後は、じつに残念なことですが、重罰を恐れて「飲酒運転」がなくなるという気配はありません。「隠喩としての病」はソンタグですけれど、「犯罪は病」かとさえ考えてしまう。

 上に引用した三浦さんは「対応バイアス」は「人間だもの」というほかないという意味のことを言われています。「ヒトの噂も七十五日」という俚諺があります。類似の表現に「人の上は百日・善きも悪しきも七十五日・世の取り沙汰も七十五日」というのがありまして、まあ、噂話も首をすくめていれば、ほどなく消えるというのでしょう。一種の「生療法」かもしれません。下世話な知恵ですね。でも「噂」のご当人にしてみれば、七十五日も百日も根拠なしで「打たれ続ける」のは堪えられない話です。何十年も前にぼくは「噂の真相」というヤクザな雑誌に埒もないことを書かれた経験があります。当人は知らなかったのに、ご親切にも教えてくれた人がいました。クズのような話でしたよ。また、別の雑誌に「都はるみ命」とほざいている「クレージーおじさん」と揶揄されたこともありました。それは噂じゃない、当人にしてみればホントの話でした。

 「差別」問題は根が深いですね。ぼくはいつでも「差別しているのは」「差別されているのは」自分であるという立場にたちつくすという姿勢で生きてきました。さらにいえば、あくまでも「差別される側に立つ」のだ、という具合でした。それで、どうしたといわれましたが、どうもしませんよ。ぼくにはいくつもの偏見があるのを隠さない。その偏見から解放される(自由になる)ために、なにかと成長しようというこころざしが生まれるのじゃないですか。さらにいえば、自分では「差別していない」つもりでも、結果的に「差別している」という、厄介な次元の問題が残ります。どこにでも見られる事柄です。「みんなそうしてる」「だれもが言ってるじゃん」というように、です。その場合「みんな」や「だれも」から自分を引きぬこうとするのがいいんじゃありませんか。ぼくはそう思って生きています。

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