科学とはつまり、一群の言説の…

 科学技術、あるいは医療技術、あれこれ

 その① 一九九〇年、アメリカ、カリフォルニア州で四十三歳の女性が女児を出産した。彼女の二十歳になる娘が白血病で余命いくばくもなく、骨髄移植をしようにもHLA(組織適合抗原)の一致するドナーが見つからなかったため、新たに子供をつくってドナーにしようとしたのだ。夫は精管結紮(けっさつ)手術を受けており、いったんは永久避妊を選択していたが、瀕死の娘を救うため、精管開通手術を受けた。そして、夫妻は自然妊娠に成功する。兄弟姉妹の場合、HLAが一致する確率は四分の一しかないが、運命の女神はこの家族に…。

 このケースはアメリカのマスコミで大きく報道され、全米の関心を呼んだ。難病の娘を救うために新たに妊娠するのは子供を道具化しているのではないかといった批判の声が強かった。骨髄移植を行う際には、ドナーである娘を誘拐するとの脅迫状が舞い込み、厳戒態勢の中で手術が行われた。この病院前からだったか、全米中にテレビ中継された。

(●白血病の姉・ケイトを救うために、ドナーとして作られて産まれた11歳の妹アナは、ある日突然、「自分の体のことは自分で決める」と臓器提供を強いる両親を相手に訴訟を起こすが、その裏にはある思いが隠されていた……。ジョディ・ピコーのベストセラーを、「きみに読む物語」のニック・カサベテス監督が映画化。主演は自身初の母親役となったキャメロン・ディアス、アナ役に「リトル・ミス・サンシャイン」のアビゲイル・ブレスリン。2009年製作/110分/アメリカ 原題:My Sister’s Keeper)(「タイム」の表紙を飾った実の「姉妹」)

 その② 二〇〇〇年十月、アメリカ、ミネソタ州で体外受精によって男児が誕生、この子の臍帯血はただちに六歳の姉に移植された。姉はファンコニー症候群(腎臓の奇形や再生不良性貧血などを主症状とする病気で、遺伝性の場合が多い)に罹って再生不良性貧血に苦しんでおり、HLAの一致するドナーが見つからなかったため、両親は体外受精によって子供をつくることを決意したのだった。発生を開始した複数の胚の遺伝子をチェックし、HLAの一致したものが母親の子宮に移された。そうして誕生した弟の臍帯血が……。(響堂 新『クローン人間』新潮選書、2003)

 かくして、医療の分野では、これまで不可能であったった事柄(医療行為)が次々に俎上に載せられ、驚くべき事態が展開されるようになりました。既存の法律や道徳の範囲(枠組み)を突き抜けるような状況がぼくたちの眼前に突き出されてきたのです。いまもなお、さまざまな分野(領域)で事態は進行しています。医学・農業・化学・工学…。

 科学をどのようなものとして考えるか

 《…私は、科学という観念に対してそれほどまでに高い価値を与えてはならない、つまり、マルクス主義のように重要なもの、精神分析のように興味深いものを、科学などという名で呼んではならないと思うのです。結局、科学それ自体というものは存在しません。すなわち、科学という名で呼ぶことができ、それが定める規範に到達するものであればどのような形態の言説でも科学と認証することのできるような、一般的な観念あるいは一般的な領界といったものはないということです。科学とは、歴史の全体を貫くようなイデア的なものではありません。

 それは、最初は数学によって、次に生物学によって、それからマルクス主義と精神分析によって、というふうに、相次いで具現されるようなものではないのです。そうした種類の考え方のすべてを振り払わなければなりません。科学は、いくつかの図式、モデル、価値付け、コードといったものに従うことによってのみ、規範性を持ち、ある特定の時期に科学として実際に機能します。科学とはつまり、一群の言説のことでああり、一群の言説実践のことであって、それは、慎み深く、全く退屈で単調なものであり、倦むことなく繰り返されるものです。

 それらの言説はあるコードに従い、それらの実践はある規範に従っていますが、そのことを得意に思う理由はありません。そして、請け合いますが、科学者たちは、自分たちが科学に携わっているからといって、何らの思い上がりも持ってはいません。彼らは自分たちが携わっているのが科学であることを知っている、ただそれだけのことです。そしてそのことは、コードの共有という一種の共通見解によって知られるのであって、そこから、「これは証明される、これは証明されない」、と言うことも可能になります。そして、そうしたものとしての科学の傍らに、別のタイプの言説と実践とがあって、私たちの社会と歴史にとってのその重要性は、それが科学という地位を手に入れることができるかどうかということには全く依存しないのです》(フーコー「ミシェル・フーコーとの対談」・1971年)

 なかなか難解な見解をフーコーは述べています。「科学というものは存在しない」「それは一群の言説、一群の言説実践」であって、あえていえば、ときには「偽化学」がもてはやされる原因にもなるのです。(この部分をさらに論じる必要がありますが、別の機会に譲ります)

 次の発言は、長年にわたり、サイエンスライターとして難病をおして執筆活動をつづけておられる柳澤桂子さんのものです。彼女の書かれた著書からの引用を以下に示しました。ご一読されますように。

 《ダーウィンの進化論では、環境に適した遺伝子をもつ個体が選択されて生きのこり、増えていくと考える。ところが、ハーヴァード大学のレオンティンは、環境は生物のまわりに存在するものではなく、生物自身がその環境をつくる要因の一つであると考える。環境なしには生物は存在しないとおなじように、生物なしにはその環境も存在しない。したがって、「適応」という概念よりは、「組み立て」あるいは「構成」と考える方がよいとする。生物と環境はともに進化するものであり、生物の変化は、環境の変化の原因でもあり、結果でもある。

 人類という動物は、たしかに環境の変化の大きな原因になっている。そして、それが進化というものであるととらえるなら、私たちがどれだけ環境を変化させようと、それは自然の法則にのっとったものである。地球がどうなろうと、宇宙にとってはどうでもよいことである。

 しかし、人類はあまりにも変化しすぎた環境のなかでは生きられない。問題は、人類が滅亡するかどうかであり、私たちは何とかして、私たちの子孫に快適な環境を残したいと考える。けれども、私たちはすでに化学的環境を破壊してしまった。さらに、生物環境をも破壊している。そして、いままた遺伝子環境そのものに手をつけようとしている。

 生物にとって遺伝子の多様性が重要であることは、かなり前から気づかれていた。実験的に近親交配をつづけた動植物は生存力が落ちてくる。寄生生物などの外敵に対して抵抗力がなくなる。また、子供の数が少なくなり、子供が育ちにくくなる。

 生物を構成している個体の数が減れば、近親交配が進み、遺伝子は次第に多様性を失って均一化されてくる。このようにして、その動植物は急速に絶滅への道をたどることになる。

 遺伝子が均一化すると、なぜ生物の生存能力と繁殖力が低下するかということはまだよくわかっていない。しかし経験的に私たちはそれを知っている。また、環境が変化したときに、生物はその集団の中から生き残れるものを残して、他は滅びるという過程を経て進化してきた。したがって、遺伝子には多様性があればあるほど、いろいろな環境の変化に打ち勝つことができることになる。生物のもつ遺伝子プールの多様性が生物集団が生き残り、進化していくために必要なのである》柳澤桂子『遺伝子医療への警告』岩波現代文庫版)

 科学とはなにかということについて、いろいろな観点から多様に語ることができる、それが科学といわれるものが持つ性格です。科学者自身にあってもいくつかの見解があり得るし、ましてや科学者以外の立場では、そのとらえ方は千差万別であろうとおもわれます。今回はそのうちの一つとして、フーコーの考えをご紹介しました。これも一つのとらえ方です。「科学それ自体というものは存在しません」「科学という名で呼ぶことができ、…科学と認証することのできるような、一般的な観念あるいは一般的な領界といったものはない」と彼は言います。一定のコードに従った「一群の言説、一群の言説実践」があるだけだというのです。「一群の言説や言説実践」を、差し当たっては科学と呼ぶのだ、と。

*柳澤桂子 1938(昭和13)年、東京生れ。お茶の水女子大学を卒業後、分子生物学勃興期にコロンビア大学大学院を修了、慶應義塾大学医学部助手を経て、三菱化成生命科学研究所の主任研究員として活躍中に、激しい痛みとしびれを伴う原因不明の病に倒れる。以後30年以上を闘病しながら、医療問題や生命科学に関する執筆活動を行っている。『お母さんが話してくれた生命の歴史』『卵が私になるまで』『二重らせんの私』『生きて死ぬ智慧』など、著書・受賞多数。(新潮社記)

(不思議な符号ですね、今回は新潮選書が三冊です。ずいぶんと長く、毎月この「選書」をすべて購入し続けてきました。読んだ本(内容)はどこに行ったのか、記憶力はめっきり衰えました)

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頭がいいってのは、なんだよ

 頭がいいってのは、なんだよ。足したり割ったりを覚えるだけではないか。それで人生を渡っていけると思うのかよ。会社に入ったって大事なのは計算ではない。人間関係でみんな苦労するんだ。会社をクビになっても生きていけるけど、家族と心が通わない、友人もいない、そんな人生になんの意味があるんだ。足し算引き算は学校で習うけど、人との付き合い方は親から学ぶものなんだよ。

 今の大企業の経営者も、頭はいいけど利口ではないのばかりですよ。計算はうまいけど、人の気持ちが読めない。だから間違うんだ。コマセを撒かないで魚を釣ろうってやつばっかりなんだよ。意味は自分で考えてくれよな。俺は解説したくない。俺はそこまで言いたくないよ。(岡野雅行・松浦元男『技術で生きる』)

 (こませ= 釣りで、撒(ま)き餌。また、それに用いる小魚など)(大辞林)

 岡野さんが85歳になる2018年に廃業するという。理由は後継者の不在だ。岡野社長は「跡取りがいないのは悔しい」と本音を漏らす。「会社は私の代でおしまい。跡取りがいないのは悔しいが、やりたいことはやったので未練はない」(読売オンライン・2019/02/20)この時点でも、岡野さんは現役続行中でしたが。彼の経験が教えるところには深いものがあります。

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 学校とは何だろう?

 上の引用文は、すでに何度か紹介した岡野雅行さんの「コトバ(啖呵)」です。墨田区の小さな町工場の代表社員(社長)。彼はどのようなことを言っているのか。また、学校教育をどのようなものとしてとらえているのか。

 教える、教えすぎる教師はくさるほどいる。でも、子どもにむかって真剣に質問する教師は驚くほど少ない。おおくの教師は自分では「質問している」とおもっているだけ。そのじつ、自分が作った「正解」をかくして「これはなんですか?」と聞く場合がほとんどです。答えを知っていながら(知らないふりをして)、子どもに「質問する」というのは子どもをみくびっている証拠です。そこには真剣さがみられない。

 そんなことばかり強制されると、出された問題には「正解はひとつ」で、それを「知っているのは先生だけ」だという日常生活ではありえない「神話」を子どもは信じこまされるようになる。どんな問題にも「正解はひとつ」などということはありえないのに、です。この不思議なからくりは教師の側の事情による。「正解はひとつ」ときめれば、採点はかんたんだし、それに対して文句をいう生徒がでないという安心感が生まれます。一種の権威主義から、さらにはご都合主義からの手抜きです。

 教師自身がわからないから質問するのです。子どもに質問したところで、まともに答えられるはずがないというのは子どもを見くだした態度だといわなければならない。わからない問題だからいっしょにかんがえるという誠意がなければ、子どもは教師にこころを開かないでしょう。真剣に問いつづけられるにしたがって、子どものかんがえるはたらき・ちからは伸びてきます。かんがえるはたらきをおさえるのはかんたんです。教師の知っている答えを教えればいい。正解を記憶させるのです。でも、その結果はおそろしいことになる。それを承知で教師は教えつづけるのでしょうか。

 どこにもある教室の風景は「教師が教え、生徒が聞く」というものです。学校では「教師は教え、生徒は聞く」がずいぶん長く広く行われてきました。教師の話す(板書する)内容が子どもの勉強の内容になっているのです。「いい教師」は熱心にしゃべる教師であり、「いい生徒」は従順に耳をかたむける生徒、それが通り相場になっているでしょう。いい教師といい生徒というけれど、それはだれにとって「いい」なのでしょうか。

 このような教室の風景(実情は殺風景)、それを「銀行型教育」と名づけた思想家がいました。パウロ・フレイレというひとです。「学校教育はおしゃべり病に罹っている」ともいいました。教師が一言も発しなければ、生徒の勉強は始まらないからです。教師の話す内容は細大漏らさず生徒によって「記録され(record)」「記憶され(recite)」「繰りかえされ(repeat)」るのです。教師は「預金者」で、生徒は「金庫」だというのです。生徒は入れ物とされている。与えられた役割を上手に果たせば、彼や彼女は「優等生」になれる。いい生徒であるためには、なによりも教師の話を素直に聞かなければならない。算数であれ国語であれ、どんな勉強においても「おしゃべりしないで」は子どもに対して要求されるのです。学校の勉強はしつけ、それも徹底したしつけになっているのです。国語もでも音楽でも、従順な人間を作るためのしつけそのものだといえます。

 教えるというのはどういうことか。「答えがわからないから、教える」それでなんの問題もなさそうですが、「教える」を「与える」と理解するなら、かんたんに与える、必要以上に与えるのがどんなに当人のためにならないか、世の中にその実例があふれていませんか。まちがえない、失敗しないように正解をあたえる。もらった側は、それを記憶するだけが求められます。それも試験が済むまでの間です。

 与えられる不幸というものを少しはかんがえたい。与えられることになれれば、かならず不満がでてきます。もらう一方だから、たまらないんですね。自分でなにかしたいのに、させてもらえない不満です。自分で、自分の頭で考え、判断することを放棄してしまえば、それはひとりの人間であることのかなりな部分を失ってしまうことになります。教えるが与えるで、それが教師の大事な仕事になっているところに子どもの不幸があるのではないでしょうか。もちろん、それは教師の不幸でもあるのですが。(写真左は「擬宝珠(ぎぼうし・ぎぼし・ねぎぼうず)と呼ばれる。岡野さんの父はこれをつくる名人だった、金型職人でした)

 「一番病」のクラスターか。母原病や医原病という言葉がつくられましたが、これにくわえて「校原病」を加えなきゃ。「頭はいいけど利口ではない」のを作りたいのが学校なのでしょうか。

 「意味は自分で考えてくれよな。俺はそこまで言いたくないよ」

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司法権力は自明ではない

 《さて、我々は心理学者にも会いました。彼らは明らかに、とても善い人たちで、非常にリベラルで、物事を十分公正に見ることのできる人たちでした。しかし、もし彼らにとって、他人の財産を盗むことや、銀行強盗を犯すことや、売春することや、人を殺すことや、自分自身男であるのに男と肉体関係を持つなどといった行為全てが、ことごとく心理学上の問題で、心理学者は個々の人々がその問題を解決するのを手助けしなければならないというのなら、それは心理学者が本質的にシステムの共犯者であるという徴ではないでしょうか。軽罪を犯すとか、重罪を犯すということは、要するに、あまりにも基本的なやり方で問題にすることなのだという事実を、心理学者は隠蔽しようとしているのではないでしょうか。それが非常に基本的なやり方であるために、それが社会問題であることを我々は忘れてしまうのです。それが道徳的問題であるかのような印象を持ったり、諸個人の権利に関係しているかのような印象を持ったりするのです…》(「フーコー「アッティカ刑務所について」1974」)(既出)

● 「当時、アッティカ刑務所では食堂と作業場に催涙ガスの噴射装置が取り付けられ、囚人の待遇はシャワーは週1回、与えられるトイレットペーパーは週1巻きのみというようなものだった。また、囚人のうち54%はアフリカ系アメリカ人、9%はプエルトリコ人だったのに対し、383人の所員は全員白人だった。刑務所内の状況に関する報告によれば、看守らは公然たる人種差別主義者であり、通称「黒んぼ棒」なる警棒で囚人を殴打していたという。

 暴動の発生する前の月の8月21日、カリフォルニアのサン・クエンティン州立刑務所で服役していた黒人急進的思想家ジョージ・ジャクソンが武装した上で脱獄を試みて失敗し、看守に射殺される事件が発生していた。これに呼応して、9月9日にアッティカ刑務所で暴動が発生した。約2200人いた囚人のうち1000人ほどが暴動に参加し、刑務所を制圧して所員33名を人質に取った。 当局は囚人側と交渉を行うことを決め、4日間の交渉が行われ、当局は囚人側の28の要求をのむことに同意したが、収容所で暴動を起こしたことに対する罪の完全な恩赦、もしくはアッティカ刑務所長の排除については認めようとしなかった。

 交渉は不調に終わり、当時の州知事ネルソン・ロックフェラーは武力による刑務所の制圧を州兵に命令した。これにより、少なくとも39人が死亡した。このうち29人は囚人で、10人は所員や看守だった。(以下略)」(Wikipedia)(ニクソン大統領とロックフェラーNY州知事(当時)の電話のやり取りをぜひ知ってほしい)(http://aafocusblog.blogspot.com/2011/11/40_26.html

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 法律違反は「犯罪」である、あるいは「犯罪」は法律違反である。どっちか。問題は「法律」ですね。問題はどんな「法律」か、それはどのように立法されたか。

 世の中には善人と悪人、加害者と被害者の二種類の人間がいると、しばしば考えられてきました。上の文章はフーコーが刑務所改革に積極的に荷担していた時代に述べられた意見です。まるで犯罪者を擁護していると思われるでしょう。たしかに当時もフランスではそのように見られて、フーコーたちは非難されたのです。

 世の中にはさまざまなシステムが機能しています。したがってある部分だけをとりだして、それについてものをいったり、それを「いいもの」にしようとしていじることはそもそも不可能だといえます。刑務所だけを問題にして、そこに入れられている囚人は犯罪者だといってみたり、学校制度をそれだけで変えようとしてもできない相談なのだということです。 

 フーコーの指摘も社会システム、資本主義経済システムの問題として刑務所(「監視と処罰の制度」)をとりあげているのです。罪を犯すことは悪いことだという「道徳の問題」から人間を裁くならば、その罪を犯した個人の性格や生活に原因があるはずだから、犯罪者をどこかに隔離(追放・排除)すれば、問題の原因は消えてしまうという理屈。問題人間どもは追放してしまえというわけですが。

 「それが非常に基本的なやり方であるために、それが社会問題であることを我々は忘れてしまうのです」という表現で、彼はなにを言おうとしたのか。個々の人間(犯罪者とされている)の行為の問題ではなく、むしろ社会システムの問題なのだというのです。ここはきわめて大切なところですね。

 さまざまな犯罪防止のために法律が作られます。法の制定以前にはまったく問題にならなかった行為も、いったん法律が制定されれば犯罪にされます。原発から放射能を垂れ流した。政府が決めた危険地域という線引きがなされ、避難勧告に従わなければ(法律が急いで作られて)、その行為は「法律違反」として裁かれるようになります。法によって犯罪者は作られるのです。何が法律違反かは、「法」が制定されて初めてわかるものです。

 法治国家という言葉(実態)があります。いくつもの意味にとらえられますが、この社会ではどうでしょうか。政治家は自分たちの都合のいいように「政治資金規正法」などという法律を作ります。だからこの国は法治国家だといえるか。残念ながら、ノーです。あるいは特定の企業や集団に有利なように法律が作られる場合も法治国家とはいわないはずです。「法」は何を守るのか。だれの利益を守るのか。どんな人間が制定するのか。

 ある面では法律よりも支配力があるものとして「社会規範」が考えられます。たんに「規範」という場合もあります。ノーマル(normal)という語の名詞形(norm)です。正常とか異常などという場合の「正常」をさします。その反対に、異常というのはアブノーマル(abnormal)といいます。

 ある人物や行為が「異常」であると判断するためには、その前提として「これが正常なのだ」という、その範囲を決めておかなければなりません。あいつのふるまいは「非常識」だというためには、まえもって「常識」が存在している必要があるのです。

 それでは、その「正常」や「常識」を作るのはだれか、それが問題となりますね。だれだかしらないけど、常識は以前からあったということもいえますが、かりに長く維持された常識があったとして、なぜ、そんなに長くつづいたのかが問われることになります。まあ、江戸幕藩体制(の支配原理)などを想定してみるのも突飛なことではないでしょう。

 だれもが当然だと受けいれている「常識」、犯罪者は悪いというのも「常識」だし、人は右、車は左というのも「常識」です。では、この「常識」はだれが作ったのか。作者はきっといるはず。

 「どうして学校ではただ読み書きを習うだけでなく、人々に手を洗わせるのでしょう」 このように言ったのもミッシェル・フーコーでした。彼はまた次のように言いました。

 「学校システムはまた、一から十まである種の司法権力を基盤にしています。そこではいつでも、罰し、誉め、評価し、分類し、誰が一番だとか、誰が一番駄目だとか言うのです。したがってそれは、司法権力を引き写した~その一般的役割を考慮しなければかなり恣意的な~司法権力です。なぜ、誰かに何かを教えるのに、罰したり誉めたりしなければならないのでしょう。このシステムは自明のように見えますが、よく考えてみればその自明性消えてしまいます」(ミシェル・フーコー「真理と裁判形態」)

 「犯罪を犯した」とみなされる公権力(高検検事長)が「賭けマージャン」をしていたという。話題の張本人ですから、事態はさらに拡散(感染)するでしょう。当人は「辞任」といっているそうですが、れっきとした「犯罪者(禁止賭博行為)」ではなかったのか。逮捕はあるのか。場面は急展開というか「暗転」著しい状況です。だれが週刊誌に、いつ「通報」したのか。(タレコミはかなり前からあったことは確か。誌は当然に「肝」となる時期を探っていたと思う。それにしても「ソーリ」をなぜ捕まえなかったのか、ぼくはかなり前(一度辞任した段階で)から不審に思っていた。「裏金」問題で辞任したともいわれたのです)

 (屑政治家にも芥官僚にも、塵マスゴミにも…、人民は舐められきっていますね。恨みを晴らさでおくべきか)

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学校は安全地帯か

 いったい学校教育の問題はどこにあるのか、あらためて素朴な疑問を提示しておきます。

 今あるような事態に学校教育が落ちこんだのはどうしてなのか。「なぜ競争原理が学校にもちこまれたのか」「成績や序列を偏重するのはなぜなのか」「個性ではなく画一性が求められるのはどうしてなのか」「学校には多くの問題があるにもかかわらず、いっかな変わらない理由はどこにあるのか」

 このような疑問をいだいたからといって、学校教育がよくなる気遣いはありません。しかし、問題の所在を明らかにするにはここからは始めるしかないと、ぼくはかんがえる。学校教育が変わるというのはどういうことをさしていうのでしょうか。ある時期を期して全国一律に変わるなどということはありません。よほどの強権を発動すれば、そういう事態が生じるかもしれませんが、そのような強権発動によって、現状がたちまちのうちに(いい方向に)変わるなどとは想像すらできない。「変わる」とは「よい方向に変わる」でなければ意味をなさない。「だれにとって、よい方向なのか」は「みんなに」とはいうまい。少なくとも多くの子どもたちにとって、そこは譲れないね。

 世のなかが変わるというのは、それを変えるという意識がなければ不可能であるのはいうまでもありません。でも世のなか全体の人びとの意識が同じようになるということはありえないから、それはきわめてかぎられた範囲の変革でしかないのです。日本劣島全域が集中豪雨に襲われ、あるいは豪雪で埋まってしまう事態は想像すらできません。豪雨に見舞われているとなりの地域では日が差していることさえある。ここでいう世のなかとは自らの生活世界、生活範囲のことで、そこをよく変えるためにはなにを自分はすべきか、それをかんがえることが自分の仕事となるのです。

 教師にとって授業を変えるというのは自分の授業をよりよく変えることをさします。もちろん、それが生徒にもいい影響を与えなければ、話にならないが。世の中が変わるというのもそれと同じで、自分にできる範囲で問題に対峙することでしかありません。身の回り一尺の世界を変えること、それが世のなかを変えることであり、世のなかが変わる端緒にもなるのだといいたいのです。(さらにいえば、「世のなかを変える」というより、世のなかについての「自分のかんがえを変える」といいたいのです)

 《教育改革者たちが共通して犯す誤りは、学校制度が社会的な真空のなかに存在しているかのように取り扱うことである。しかしイリッチはこのような誤謬は犯さない。かれはむしろ、現代教育の内部的な非合理性をより大きな社会全体の反映であると考える。…学校は従順で、操作しやすい消費者に仕立てるために計画された模範的な官僚機構のモデルである》(Gintis & Bowles『アメリカ資本主義と学校教育』(宇沢弘文訳・岩波書店刊) 

 学校教育はいかにも自明のシステムのようにぼくたちの前に存在しています。それはまるで「平然と命令を下す」(ミッシェル・フーコー)システムのようにおもわれます。髪の長さはどれくらいで、靴下は白色にかぎる。「宿題は忘れるな」、「手を洗え」などなど、よくかんがえれば根拠があやしい命令がのべつくりかえされます。はたして自明なのかどうか、ぼくたちはそれを疑うことをしてきませんでした。すべては「疑い」から始まります。

 学校がかざす規範や規則を受けいれれば、それだけ学校集団に適応したということになるのでしょう。決められた規則は無条件で守る、権威には逆らわない、このような行動様式をみずからのものにできれば、それだけ評価されるのです。そして学校が下すその評価がそのまま社会の評価に移行していくのです。(学歴社会とは、学校序列を無条件で受け入れる社会(集団)のことです)

 ここであらためて社会集団の特性とおもわれるものをあげてみましょう。

 第一に、集団が統一された秩序を維持するためには集団の目的をはっきりさせなければなりません。目的や関心が曖昧であれば、集団は内部から解体する危険にさらされるからです。第二に、はっきりした目的や利害をかざした上で、集団内で指導力を発揮するもの(リーダー)が選ばれます。

 第三に、集団における問題を察知し、つねにそれを取りのぞく必要があります。第四に、これがもっとも重要な点ですが、集団の価値観にメンバーが同化するための装置(仕組み)をいつでも用意するということです。

 いかなる集団においても、その集団で公認された価値を受けいれようとしない人びとは存在します。どんな場合でも対抗勢力が生みだされるのはさけられないのです。これは集団の規模や性格によっても変わらない宿命です。学校には「問題行動に走る生徒」はかならずいる。それを排除してもまた現れてきます。集団の大小にかかわらず、党中党、多数派に対抗する少数派が棲息する。それは多数派からみれば問題となるでしょうが、集団そのものにとってはあたりまえ(機能している証明)の現象だともいえます。

 一集団全体が同質化されるということはよほどの強制力がはたらかなければ不可能であり、また同質化を保持しようとすればするほど、異質な存在を生みだすことになります。これはモグラたたきだ。

 教育における同化と異化、この現象は集団教育(学校教育)にはかならず見られる作用です。同化ばかり、あるいは異化一点張りでは教育(学校)はなり立たないからです。これは親子の間でもかならず生じます。くっついたり離れたり。そのことをはっきりと悟って教師を続け、親であろうとする、これが大切な心構えじゃないでしょうか。(左写真は「危険な安全地帯」嵐電・京都)

 命令、忠告、脅迫も。それは親や教師の専売ではないし、そうあっては困るのです。しばしば「子どもに注意する」などと教師たちは宣(のたま)うが、おしなべて、それは注意などではなく、命令や小言である場合がほとんどです。(そんなに脅していいの?)

 ?何度でもいいますよ、注意は他人がするものではなく、自分で自分にするものです。それこそ、人間の道徳の第一歩ですよ。注意深い人間であろうとする心がけこそ、子ども自身が育てなければならない姿勢であり態度です。(何度でもいわなければならない」人間らしい生活を営むための根っこの姿勢です。 

 その昔、志ん生はしばしば言っていました、「おい、気をつけろ。そこは安全地帯だから」と。路面電車が健在だったころ、停留所(安全地帯)は道路の真ん中にあり、乗り降りするのにそこに立つ必要があった。車も軌道(道路)を並行して走っているので、よく大きな事故が起こっていたのです。同じように、「学校は世の中の真ん中」にある。(もちろん例外も)はたして学校は「安全地帯」か。災害に見舞われるとそれは「一時避難所」となるのが習いですが、あくまでも「緊急事態」だからのこと。日常生活において、子どもにとって学校は「セーフティゾーン」足りうるか。あるいは永続する「避難所」かな。どこからの?なにからの?

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「監視と処罰」の社会から…

 《―その施設には四〇〇人の未婚者がいてその人たちは毎朝五時に起きなければならない。五時半には身繕いを終え、ベッドをかたづけて、コーヒーを飲み終わっていなければならない。六時には義務労働が始まり、終わるのは夜の八時十五分。途中に昼食のために一時間の休憩がある。八時十五分には夕食と、集団の祈り。

 日曜日は特別の日で、この施設の規則第五条には次のように決められている「日曜日は宗教的義務の達成と休息のために捧げられる。しかしながら、退屈のあまり日曜はすぐに一週間の他の日よりもっと疲れる一日になりがちだから、この日をキリスト教的かつ快適に過ごすために、さまざまな訓練がなされなければならない」…ミサも施設内で行われる。/ 日曜の散歩以外は建物の外に出られないし、それさえも監視つきである。寄宿者は給料を貰わず、年額40フランから80フランに定められた代価を、施設を出るときに与えられる。

 この規則には二つの組織原理がある。一つは寄宿者は就寝所や食堂、作業場、あるいは廊下では一人になってはいけない。外の世界との交わりはいっさい避けられなければならない。》(M・フーコー「真理と裁判形態」)

 ある雑誌のインタビューで、フーコー(1926-84)は次のような質問を受けた。

 ― 現在私に非常に重要だと思われる考え方があります。それはあなたご自身やその他例えばドゥルーズなどが提示しているさまざまな形態の監禁の間の関係、学校、軍隊、工場、刑務所の類似という考えです。

 確かにこれらの施設の中には類似性が存在します。しかしそれは偶然だったり外面的な類似でしょうか。それとも本質的な類似でしょうか。確かにそうした施設は人々が一定期間閉じこめられている場所です。しかし閉じこめる原因や目的はもちろん異なりますね。(M・フーコー「監獄的監禁について」聞き手はクリヴィンとランジェラム)(1973年)

 上の質問に答えて、フーコーは以下のように述べます。

 ― あなたがおっしゃった「本質」という言葉には少しひっかかりますね。事柄を最も外面的に見る必要があります。そうですね、十九世紀のなんらかの施設の規則をあなたにご紹介したら、それがどこの規則だかお分かりになるでしょうか。一八四〇年のある刑務所の規則か、それとも同時代の中学、工場、孤児院、あるいは精神病院のものでしょうか。言い当てるのはむずかしいですよ。つまり機能の仕方は同じということです(建築も部分的には同じです)。何が同一なのでしょうか。これらの施設に固有の権力構造が本当のところまったく同一なのだと私は思います。本当は同一性が存在するのであって、類似性が存在するとは言えません。同一のタイプの権力で、同一の権力が行使されています。(同上)

 どこかから一つの「規則集」を取りだしてきて、いったいそれはどこの規則なんですか、と彼は質問者に問を投げかえします。たとえば、次のように。 

 「朝は八時までに建物の中に入っていなければならない、遅刻は許されない」という規則は工場のものですか、それとも学校?官庁?あるいは…。/「みんな、決められた制服を着なければならない」という規則は?

 「ずる休みをしてはいけない」というルールは?/「監督者の命令には服従しなければならない」というのは?

 いたるところにこんな規則や命令が氾濫していますね。その理由はどこにあるのか。

 そして、最初に引用した、ある施設の「規則」を取りだします。

  《この権力は同一の戦略に従いますが、最終的には同一の目的を追求するのではないことは明らかです。生徒を育成するときと、犯罪者を「つくる」、言い換えれば決定的に同化不可能なこの人間、つまり刑務所出身の人間をつくりあげるときとでは、権力は同一の経済目的を用いません。これらの制度の本質的類似とあなたはおっしゃいますが、それには私は完全に同意できません。私に言わせれば、権力システムの形態的同一性です。おもしろいことに現在、精神病院では患者が、高校では生徒が、刑務所では囚人がいわば同一の運動の中で反乱を起こしています。彼らはある意味では同一の反乱を起こしています。同一タイプの権力、言ってみれば同一の権力に反抗しているのですからね。》(同上)(右写真は東京「拘置所」。内部に入ったことがあります、接見のために)

 さて、いったいこれはどんな施設・場所なのでしょうか。それは工場なのか、監獄なのか、精神病院なのか、それとも修道院、学校、兵舎か。それとも…。

  もちろん、フーコーが示した例はフランスの事例であり、ヨーロッパのケースです。しかも、十九世紀半ばのものでした。だからただちにそれがぼくたちの社会にも通用すると考える根拠は不確かだといえますが、ヨーロッパをモデルにして「近代化」を追求した国でしたから、大なり小なりその影響をうけないはずはなかったともいえます。(左上の写真も「監獄」)

 また、一部分とはいえ、例に挙げた規則にそっくりなものがいまなお、ぼくたちの社会のあちこちに認められるというのも、不思議な気がします。

 「監視と処罰」が近代社会の統制原理だということに触れようとしています。フーコーは刑法理論の研究から刑罰の歴史を明らかにし、18世紀の「刑罰社会」から19世紀の「規律社会」までを跡づける作業をなしました。

 フーコーが反対行動に立ち上がったり、根本から批判したりした「監視と処罰」システムは、すでに半世紀以上も前のフランスをはじめとする欧州の社会の歴史に現れたものでした。ぼくたちの島社会には、それとは別個の「監視と処罰」の体系があるのは当然ですが、近代化の具合や程度も欧米並みになった現在において、両者は愛似た状況にあるともいえそうです。(左の写真は、個人の属性を特定する「カメラ」に囲まれた中国のある都市)

 それでは、今日はどんな社会なのか。まだまだ「刑罰」も「規律」も幅を利かせていますが、はたしてそれだけか。あるいは、それらに加えて「監視」の役割を考えてみるのも大切でしょう。ひょっとしたら、わたしたちは「監視社会」に取りこまれているのかもしれません。(『監獄の誕生―監視と処罰―』〔新潮社刊〕を参照のこと)

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 監視の社会化、いや社会の監視化は急速に進みました。現下の「コロナ禍」ではさらに深入りしましたね。お隣の韓国や中国に気を取られている間に、ぼくたちは監視の網に見事に取り込まれていましたね。AIとかなんという隙に、身ぐるみ正体をさらされてしまっている。「勝手にしやがれ」といっている場合じゃないですよ。

人生の主人公に…

 本日は柄にもなく、いくつかの詩をご紹介したくなりました。これらの詩はいったいどんな人たちによって書かれたのでしょうか。どんな人が書いたのでしょうか。平凡社編『雨の降る日はやさしくなれる』(平凡社ライブラリーoffシリーズ、2005)に収録されているのは140編。表紙の右上に小さく「少年院から届いた詩集」とあります。(ぼくは何度か少年院に行ったことがあります。年齢の関係で「入所」はできませんでした)(左の書籍は、ぼくの若い友人だった葉子さんが残したもの。彼女の死後に、ぼくに届いた。享年32でした)

 最初の和規さん。「幼い頃から父母の緊張した関係の中で育ち、心の空白を埋めるために暴力団に近づき、覚醒剤を覚えてしまった。/ ごつい体とごつい顔。しかし運動会やクリスマスなどに慰問に来た保育園の幼い子を笑顔で見守り、宝物のように大切に抱いてやる彼の姿には優しさがあふれていた」少年院で聖書にであってから、いつの日か牧師になることを夢見ておられるそうです。

なりたい                     和規
心がこわれるほど
苦しくて
やさしい言葉をかけてくれる人
捜したけれど
どこにもいない
ふと思う
捜すような人間やめて
やさしい言葉をかけられる
そんな人間になりたい

 秋信さん。「暴走族のリーダーだった少年。右翼団体に加入したり、暴力団に憧れて近づいていったことが信じられないくらい心優しい。幼少時、父母が離婚、父に引き取られたが、あちこちの施設に預けられて育つ」大人に不信感を持ちやすく、些細なことで落ち込み、傷つきやすい少年だったそうです。

いのり                       秋信  
僕はだれにでも優しく親切になれる  
人間になりたい  
きれいな水のように澄んだ  
心や  
目を  
持ちたい  
そうゆう人間になって  
こまっている人や  
なやんでいる人や  
おちこんであいる人に  
がんばろう  
がんばろうよ  
と 声をかけてやりたい

 昌士さん。「父子家庭で育ち、母不在の心の空白をうめるため暴力団に関係し、シンナーの密売を続けていた。高校中退で知能は高いが、対人関係を維持することが苦手でトラブルメーカー」そんな昌士さんから「雨の降る日は」が生まれたのです。

雨の降る日は                  昌士
雨の降る日は 気分が沈む
気分が沈むと 楽しくない
楽しくないと 心が冷える
心が冷えると 口数が減る 口数が減ると 考える
考えると 自分の間違いに気付く
間違いに気付くと 心が晴れる
心が晴れれば 楽しくなる
楽しくなれば 優しくなれる
優しくなれたら それがいい
雨の降る日は優しくなれる

 この本の「あとがき」を書いておられる評論家の芹沢俊介さん。

 「やさしい言葉を人にかけることができるようになるためには、自分がやさしい言葉を人からかけてもらった経験が不可欠である。無条件に受けとめられた体験がなければ、人を無条件に受けとめることができない。

 彼らは、これまで一度だって人生の主人公になったことがないのではないか。そう思うと、こんな年齢でこうした無私や愛他やつつましさの言葉を、紡ぎ出さざるを得ない心情の核に触れた気がして、哀しみの感情が湧いてくるのをおさえることができない」

 逸脱・非行・不良というラベルはいかにして「貼られたのか」また、そのラベル(レッテル)で呼ばれなくなるときがくるのでしょうか。

 《逸脱とは、なんらかの合意にもとづく規則に対する違反であると定義される。そして、誰が規則を破ったかが問題とされ、その違反に説明を与えるために、彼の性格および、生活状況の諸要因が追求されることになる。この見地にあっては、ある規則を破った人びとはある同質のカテゴリーに属する、と仮定されている。なぜなら彼らは同一の逸脱行為を犯したのだから。》H. S. ベッカー『アウトサイダーズ ラベリング理論とはなにか』)

 社会に認められている「規則」を破るのは悪いことだという点では、多くの人は同意します。それどころか、規則違反は罰せられるのが当然だということになります。その意味で、規則破りというのはある行為に内在する特質であると見られていますが、はたしてどうか。同じような規則違反をしても、ある人は見逃され、別の人は非難(処罰)されることはしばしば起こる。違反した人間がどのような種類の人間であるかによって、それは違反となったりならなかったりするのです。

 また、規則というものは大なり小なり「社会的な承認(合意)」を得たものだと考えられがちです。でも、実際にはそんなことはない。同じ規則を破った人は「同質のカテゴリー」に属するということはなさそうです。例えば、6歳から15歳までの子どもであれば、だれでも学校には行かなければならないという「就学規則」があるが、不登校(登校拒否)をおこす子どもは「同質のカテゴリー」に属するといえるでしょうか。そんなことはいえないでしょう。

 またある時期まで、非行や問題行動に走る子どもを調べてみれば、「家庭崩壊」(家庭に問題がある)が明らかになるといわれた。いまも、そういう人(学者)はいる。同じような環境で育ったから、登校拒否(不登校)になるのでしょうか。いったい、どうしてこのような考え方がなされるのでしょうか。

 このような「規範」(「規則」「ルール」)といわれるものと、その規制からはみでる(逸脱する・deviate)行為との関連をていねいに考えたい。だれにも適用される「規則」があり、それを破ればだれでも非難(処罰)されるのかどうか。そうではない。多くの人はいつでもこのことを経験しているんじゃありませんか。

 「逸脱とは、行動それ自体に属する性質ではなく、ある行為の当事者とそれに反応する人びととのあいだの相互行為に属する性質」(ベッカー)だといわれています。このメカニズムを深く検討したいものです。

 規則違反をしていないのに、他人から「規則破り」と目されることもあれば、規則を犯しているにもかかわらず、他者はそれを見のがしている(気づいているかどうかはともかく)場合もあります。では、どうしてそのような事態が生じるのか。それが「ラベリング」(「レッテル貼り」「スティグマ」「烙印」「汚名」)という他者の反応の問題だということです。

 規則(法律)よりもっと重い、人間の振る舞いというものがあるでしょう。いじめた側にも、いじめを関知していた教師の側にも、人間性になにか欠けたところがなかったのかどうか。いくらいじめられても、「まさか、死ぬまい」と勝手に判断したなら、それはお門違いだし、「死にたきゃ、死になさいよ」という酷薄な意識があったら、なんといおう。

 「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」

 ボクたちが所属する集団がすこしでも民主主義の原理に近付くことができるために、ボクたちはものを学んで賢くなろうとしているのだと思う。学習というものに、なんの「社会的な動機」もなければ、あとは強制か競争しかなくなるだろう。現下の状況はいやというほど、この惨状を見せつけています。「一番病」の蔓延と、勝者の奢り、敗者の挫折。言いようのない頽廃。「一番」をうらやましく思うなら、「一番」を目指せばいい。でもいつでもそうするわけにはいかないということがわからなければ、それはしんどいことですね。ぼくはビリへの一番を目指していました。ビリになるには能力がいる、そういう、自身の経験を語った、ぼくの敬愛している哲学者がいました。(文中の二枚の建物の写真。左は奈良少年院・現在は廃止されている。設計は音楽家山下洋輔氏の祖父敬一郎氏、右は榛名少女学園です。お世話になった、ぼくの知人が「園長」をされていました。知人は山口葉子さんとも関係の深い人でした)

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