なぜ戦争をしたがる(煽る)のか

 当地の午前6時の気温は-2℃。さすがに身に堪える寒さでした。幸いに陽射しも強く、予報では最高気温は13℃(午後2時)とありました。年を取ったから寒さが身に染みるのではなく、気分的にも身中から元気が出て来るような気づかいがまったくないからでしょう。ものみな騰がるのに、政府はそれをいいことに「インフレ増税(“Inflation is taxation without legislation)」:Milton Friedman、1912年7月31日 – 2006年11月16日)」を決め込んでいる。言うに事欠いて、積極的経済対策だと、さ。物価の異常高騰に焦点を当てた「経済対策」という政治は不在て、まるで子どもにお小遣いを、気が向いたからやろうではないかという、まことに実のない親の仕草で、「お米券」を配るだの配らないだのと、誠実さの籠(こも)らないこと夥(おびただ)しい。

 物価高に賃金上昇が追い付かない現状放置は、この国の近未来を灰色と黒色の雲で覆ってしまっています。T 政権発足以来、中身は空っぽでも、その空虚さや軽薄さこそ、大いに結構とばかりに、無責任な大衆は根拠ナシの高い支持率を示しているのは、中身はともかく、上がるものは何でも上がれ、「タカイチ」というような、愚にもつかぬ粉飾政治がバカ受けしているだけです。もちろん、間もなく「化けの皮」は剥がされます。無論、最初から「馬脚」(鹿足)は誰にも見抜かれていたのは言うまでもありません。(ヘッダー写真は「政治プレミア」:田中均「『台湾有事』と軽々に言うなかれ 日本は壊滅的打撃を受ける」:https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20240611/pol/00m/010/021000c

 まだ国会の開かれていない段階(日米会談冒頭で米大統領発言で明らかに・2025/10/28)であったにもかかわらず、(未審議の)当年度補正予算を手当てして「軍事物資の大量爆買い」をアメリカに約束。その大半を「赤字国債」で賄うというのですから、これはもはや政治でも政治家の仕事でもなく、まさしく「火事場泥棒」と言うべきです。「1 火事場のどさくさに紛れて盗みを働く者。火事どろ。2 ごたごたにつけこんで不正な利益を得ること。また、その人。火事どろ」(デジタル大辞泉)この「武器爆買い」は「密約(secret agreement)」そのもの、独断専行で、看過できない、それこそ辞職ものであります。「台湾有事」は「日本有事」、だから戦闘は「お前に任せた」とアメリカに言われ、先ず大統領の足下に平伏している間に、軍事費の大幅増額を強いられた。今のままでいくと2027年度はGDP比2%を超える勢い(12兆円余の防衛費)。

 それにしても、いつも不思議に思うのだが、「戦争を煽る」「戦争をしたがる」面々は、いったいどこの国と一戦を交えるつもりだろうか。ぼくはあまりにも空気が読めないで、「仮想敵国」なるものが想い浮かばないのです。まさか「旧連合国軍」との再戦・復讐戦を狙っているのでしょうか。

 数年後の防衛予算20兆円とは、身に余る武装国と、他国に映るだろうと思うのは、ぼくの節穴同然の目だけではないでしょう。昨日の長期金利(10年債)の流通利回りは1.95%に上昇(債券価格は下落)。(対ドル為替では)円は155円台を超えている。株高(5万円超)、物価高、金利高、大幅円安。加えて大量の赤字国債の発行とくれば、ハイパーインフレになるのは避けられません。物価高騰を続ければ消費税は増税となるから、現状を放置するだけという稀に見る政治無策です。都合の悪いことは市場に任せるとか。悪政の典型であった「アベノミックス」の惰性的継続を看板にしているのですから、経済政策もまた不在であることは猫にも見透かされている。(左は東京新聞・2022年9月19日 )

 所得増税、27年1月開始で検討 防衛財源確保へ政府・自民が方針 政府・自民党は5日、防衛力強化のための増税のうち、実施時期の決定を先送りしていた所得税について2027年1月から引き上げる方向で検討に入った。高市早苗首相が意欲を示している防衛力強化の裏付けとなる安定財源の確保が必要だと判断した。ただ、連立を組む日本維新の会は野党時代に増税に反対していたほか、他の野党の賛同も見通せていない。
 自民は同日、税制調査会の会合で防衛増税について議論。27年1月からの所得税増税に異論は出なかった。小野寺五典税調会長は会合後、記者団に「防衛力整備の裏付けもしっかりやるべきだという声が多い」と述べた。
 所得税は防衛費に充てる増税分として、新たに1%を付加する。同時に東日本大震災の復興財源として課している「復興特別所得税」の税率を1%引き下げるため、当面は実質的な負担は増えない。ただ、復興特別所得税の課税期間を当初終了予定だった37年から延長するため、長期的には負担増となる見込み。
 防衛増税を巡っては、政府が22年末に閣議決定した税制改正大綱で「27年度に向けて複数年かけて段階的に実施する」と明記。所得税、法人税、たばこ税を増税し、27年度の時点で1兆円強を確保するとした。法人税とたばこ税は来年4月の増税を決めたが、所得税は与野党とも慎重論が根強く、24年まで3年連続で実施時期の決定を見送っていた。
 一方、立憲民主党の野田佳彦代表は5日の記者会見で「(復興特別所得税を充てるやり方は)一種の流用。きわめて疑義がある」と批判した。(北海道新聞・2025/12/95)

 まるで夢の中の話に思えるが、対中戦争、およそ4割が容認と言う共同通信の調査が報道されているが、おそらく「どこの国との戦い」であろうと、自分たちには関係ないとでも思っている人々の反応でしょう。このような好戦的姿勢の結果が出たところで、まるでゲーム感覚でミサイルをどこかに打ち込めばいいという程度の、およそ真面目に政治に向き合う気のない回答者の答えた結果だと思う。こんな結果(根拠不明)の数値を出して、喜んでいるのでしょうか。このような「危機的状況」に対して、何よりもメディアはまた、旗振りを買って出、もろ手を挙げて賛成(参戦)の勢いです。「戦時」を煽って部数を伸ばした新聞各紙は「夢よもう一度」と、狂言を吐いているのです。もっと批判を、権力批判をと叫ぶ声がないわけでもありませんが、多勢に無勢。すでに「大政翼賛会」は出来上がっているのであって、多くのメディアもまた「翼賛メンバーの席」を占めている。まるでヴァーチャル世界の住人による「台湾有事」であり「日本有事」です。「令和浮草」を地で行っている。

 日本人は極めて「好戦的」と聞いて、ぼくには、いささかの感慨も湧かない。願うことは戦わずして負けるような戦争が起こるであろうことです。東洋の小島をまともに相手にする国々が、果たしてあるのでしょうか。首相が逆上(のぼ)せれば、諫めるのが側近、支持者なのにも関わらず、われ先に興奮しているのですから、笑うしかないですね。右の「ニッポン見聞考」の西村カリンさん(日刊ゲンダイ・2025/11/27 )。長く日本に在住して、日本政治・日本社会の「蛸壺」現象を辛辣に批判しておられる。こんな記者(ジャーナリスト)が日本の新聞企業の記者に皆無であるのは、なぜでしょうか。企業に入ると同時に、企業社会の文化、それも悪しき「上目遣い文化」に純化(順化・馴化)され尽くしたからでしょう。そのような「場の空気」を徹底して読む(飲む)という「回遊魚的カルチャー」は、おそらく、日本の多くの大学教育の「企業教育の一環」として徹底されてきたからではないかと、ぼくは考えています。骨組みにガタが来ている「日本株式会社」、屋台骨もなにもが老朽化しているのに、それを建て替えるだけの余裕も才覚もなくなっているようです。

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女は氏無うて玉の輿に乗る

 口ではなんとでもいえるからと、「選択的夫婦別姓」と表向きは変わらない(「夫婦同姓」の上に)「旧姓使用」を容認する法案に守旧派が拘(こだわ)るのは、もはや「家制度」とか「家族制度」などを固守するのではなく、単なる「(名目は)家父長制維持(男尊女卑の継続)」という旧慣墨守に固執しているとしか思えません。 何より、婚姻数は激減している中、離婚数が漸増しているという時代です。何を守るのか、何を阻止したいのか、おそらく、「夫婦別姓反対」論者ですら、何が正解かがわからないのだろう。だからこその「旧習」に泥(なず)むのです。このままでいくなら、おそらく展望が開けない連中・面々・方々のこと、それこそ旧統一教会並みに「強制集団結婚」なる「奇策」をでっちあげないとも限りません。18歳以上の「男女兵役義務(徴兵制)」と並んで、「男と女(にかぎる)ための婚姻法」が導入されかねない時代に入っています。なにしろ「政(まつりごと)」のなんであるかがイロハから理解できない政治家が多数を占める国会ですから。「男尊女卑」をあからさまには主張しないが、やろうとしていることは同じ。家族国家・家族共同体であり、その根幹は「夫婦同姓の婚姻に基づく家族制度の維持」でしょう。

【斜面】「入籍」の意識改革から 有名人が結婚するとニュースやネットによく流れるのが「入籍」というフレーズ。この言葉に違和感を覚える人もいるだろう。結婚すれば通常、双方が親の戸籍を抜け新しく2人の戸籍をつくる。あえていうなら「創籍」や「作籍」か◆「入籍」は戦前の家父長制の名残だ。明治民法は家制度を規定し、女性は結婚すると男性の家の戸籍に入ることが一般的だった。家族は戸主に従って、個人より家の利益を重視し、同じ姓で管理された。戦後民法で廃止されてなお家制度の意識は根強い◆その表れか。個人の尊厳として選択的夫婦別姓を求める動きに対し、政府が夫婦同姓を維持した上で旧姓使用を法的に認める検討に入った。旧姓を広く使えるようにして不便さを軽減するけれど、戸籍姓は家族で同じだ。法的な姓が二つになる混乱が生じても守りたいものとは?◆「夫婦同姓は家族の根幹で別姓は家族の一体感が薄まる」。3月に開いた自民党の意見聴取で保守派論客の見解。夫婦同姓は日本だけで説得力は乏しい。個人より家、家より国家の利益という戦前の「常識」への郷愁、とみるのは、うがち過ぎだろうか◆旧姓法制化は不便解消を名目に問題解決を遠ざける意図も見え隠れする。憲法施行から78年、法制審議会が選択的夫婦別姓導入を答申して29年。議論の平行線は続き、「個人の尊厳」や「男女平等」など憲法の理念はまだ遠い。「入籍」や「嫁入り」といった言葉への意識も考え直さねば。(信濃毎日新聞・2025/12/05)

 どこの新聞だったか、結婚した2組に一組が離婚とありました。まるで夢を見ていたのか、それとも風邪のせいで頭がおかしくなっていたのか。記事元を探しているのですが見つからない。それはともかく、結婚しない男女が増えている。離婚件数は減らないどころが右肩上がり(当節の右肩上がりは貴重です)。時々思い出すのは「徳川将軍」15人のうち、「正妻」から生まれたのは三人、家康、家光、慶喜だけです。難しく言えば「正室(正妻)」1に対して「側室(妾)」の身分や数は、「お世継ぎ」をもうけるためには上限なしでした。語るに落ちる話とはこのことで、お家大事を貫くためにはどんな手段でも用いたのでした。女性は「跡取り」生産に結び付けられていただけ。江戸時代のある時期まで、「嫁して三年、子無きはは去れ」と、後継ぎができないことが「離縁」の理由とされたほどでしたし、その教条は明治民法下でも実質的には生きていたでしょう。家制度の大弊害です。「女氏(うじ)無くして、玉の輿(こし)に乗る」と言われてきました。今もなお「玉の輿」ということが死語にはなっていません。

 この「女性と婚姻」問題を観得る際、ぼくはいつも落語の「妾馬」を想起しています。(詳細は以下に)女性を尊重しないこと夥しい江戸の旧慣が今日なお、大きな政治勢力によって墨守されている現実を見ると、まるで永田町や霞が関だけは今もなお、江戸の一町内(永田町馬場)に見えてきます。

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◎ 妾馬(めかうま)= 落語。大名物のなかの大作で、人情噺(ばなし)としても格調が高い。裏屋敷に住む孝行娘のおつるが、大名の赤井御門守(ごもんのかみ)に見そめられて妾(めかけ)となり、やがて男子出生、「おつるの方」と出世した。おつるの兄の八五郎が屋敷に招かれて御馳走(ごちそう)になるが、ことばや作法の失敗を繰り返し、それがかえっておもしろいと殿様に気に入られる。おつると対面した八五郎は、おふくろのことばを伝えて涙を流す。八五郎は家臣に取り立てられ、石垣杢蔵源蟹成(もくぞうみなもとのかになり)となった。ある日、馬に乗って使者の役目で出かけたが、馬術を知らぬので馬が何かに驚いて駆け出す。たてがみにしがみついていると、向こうから屋敷の者がきて「石垣氏、いずれへ」「どこへ行くか、馬にきいてくれ」。現在は、八五郎述懐から士分に取り立てられるところで終わることが多い。落ちまでやらぬと「妾馬」の意味が通じないので、「八五郎出世」という題で口演することもある。6代目三遊亭円生(えんしょう)の十八番であった。(日本大百科全書・ニッポニカ)(ヘッダー写真)

◎ 妾=  嫡妻以外で、夫婦の関係にある女。めかけ。てかけ。そばめ。(精選版日本国語大辞典)

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 「夫婦同姓は家族の根幹で別姓は家族の一体感が薄まる」と守旧派は言う。そうだろうか。今でも基本的には「夫婦同姓」が法律上の建前になっています。にもかかわらず、「家族の一体感」は薄まるばかりなのはどうしてか。何をどうしても結婚しない、結婚しても子どもを産まない、はては」離婚件数が増えるのはなぜだろうか。大きく見れば、それは自然現象でしょう。これを政治制度として反転させることは不可能だとみるべきで、そこに政治的介入の正当性を見出すのは困難です。結婚して新たな「生活」を築くにはあまりにも個人性が尊重され過ぎているということです。今のままでいいとは思いませんが、自然(災害)現象を人間の都合に合わせること自体、反自然でもあるのではないでしょうか。

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人は「行雲流水」の如く、掴み難し

 人を知るということ~ つい先般は「憂国忌」五十年として、三島由紀夫さんの衝撃的な死の場面が回想されました。その時にも感じたことです、ぼくはいったい、三島由紀夫という作家の何を知っているといううのか、という深い疑問でした。もちろん、彼とは一面識もない一読者としても、はたして彼は何物だったのかと、改めて問われて、おそらくぼくは答えに窮するにちがいないと思う。彼と同時に亡くなった森田必勝君に関しても同じような感慨が湧きます。彼は大学の一年後輩で、交際したのはわずかに2~3年でした。だから、彼が何者であるかということに関して、ぼくにはまったく無知でした。深く付き合ったから、名前を知っているだけだからという表面上にみられる違いのほかに、ぼくたちは他人に対していかなる「印象」を抱くのか、それほど簡単な事柄ではなさそうだということだけは言えそうです。

 本日のコラムで、たまたま二人の故人についての記事が出ていました。ともに高名な方で、活動された分野・領域はまったく異なります。一人は中村哲さん。医師であるとと同時に、「百の診療所より一本の水路」と言う表現に端的にみられるように、彼の医療行為は、現地に住んでいる人々の生活基盤の回復でもありました。ぼくは若い頃、彼が現地の代表でもあった非政府組織NGO「ペシャワール会」の一支援者のような資格で会の活動に関心を持ったことがあります。発端は「ハンセン病」治療者としての中村さんの活動だったと思います。地域の戦争や医療活動、あるいは灌漑施設敷設による生活の改善などなど、医療を超えた活動をつつけて、中村さんは倒れられた。中村哲さんはなぜ死ななければならなかった、ぼくには今なおよく分からないことです。

【卓上四季】中村哲さんの仕事 水は善人と悪人を区別しない。そのように地域のだれとでも協力し、人々が生きることを支えていく―。医師の中村哲(てつ)さんのことばだ。戦乱と災害に苦しむアフガニスタンの人々を救うため、身を粉にして働いた▼ハンセン病の患者を中心に貧しい人たちを診ていた中村さん。2000年にアフガンを襲った大干ばつが転機となった。「百の診療所より一本の水路を」を合言葉に、井戸掘りや水路づくりへ軸足を移す。まるっきり畑違いの分野であった▼重機や資材が十分なわけではない。技術や資金もそうだ。手本にしたのは日本の伝統的な農業土木技術だった。たとえば水路の護岸には針金のかごに石を詰めた蛇籠(じゃかご)を使う。現地の人も補修しやすい手近な素材だ。長持ちさせる工夫である▼苦労は実を結んだ。砂漠化した土地が見渡す限りの麦畑へ変わっていく。避難民が次々に戻ってきた。家族とともに3度の食事をして穏やかに暮らす。人々のささやかな願いをかなえる大仕事だった▼中村さんは6年前のきょう凶弾に倒れた。自分の仕事で残るのは用水路だけだろう。生前にそう語っていたというが、医療支援を含め志を受け継いだ人がいる▼<狂気のような世界情勢の中でこそ正気を対置し、人と人、人と自然の和解と共存を説く>。いままさに大切にしたい中村さんの理想である。(北海道新聞・2025/12/04)

◎ 中村哲(なかむらてつ)[生]1946.9.15. 福岡,福岡 [没]2019.12.4. アフガニスタン,ジャラーラーバード= 医師。35年以上にわたりパキスタンおよびアフガニスタンで医療,灌漑事業を通じて支援活動を行なった。中学生のときに福岡県福岡市の教会で洗礼を受け,クリスチャンとなる。1973年九州大学医学部を卒業し,神経内科医として病院に勤務。1983年日本キリスト教海外医療協力会 JOCSが中村医師のパキスタン派遣を決定したのをうけて,活動支援のための非政府組織NGO「ペシャワール会」が発足,現地代表となる。翌 1984年にパキスタンの北西辺境州(→カイバル・パクトゥンクワ州)の州都ペシャワルの病院に着任してハンセン病の治療に従事し,1986年以降国境付近の難民キャンプに避難しているアフガニスタン難民(→アフガニスタン紛争)の一般治療も行なう。またハンセン病患者の足底穿孔症予防用のサンダルの工房を病院に開設する。1989年アフガニスタンに入り,1991年以降,山岳部の無医村に診療所を次々と開き,悪性マラリアなどの感染症の治療や対策にもあたる。1998年,ペシャワルに拠点病院を設置し,山岳部への医師の交代派遣を行なう。2000年,アフガニスタン全土の干魃をうけて,医療と並行して水源確保および緑化のための事業に乗り出す。ジャラーラーバードを拠点に飲料用井戸や地下水路,農地回復のための大規模用水路を建設し,試験農場や学校・訓練所を開設する。2019年12月4日,ジャラーラーバードで銃撃され,運転手,警備員とともに死亡。2003年マグサイサイ賞,2013年福岡アジア文化賞大賞,菊池寛賞,2018年土木学会技術賞受賞。2016年旭日双光章受章。ピース・ジャパン・メディカル・サービス(PMS。平和医療団・日本)総院長。著書に『医者井戸を掘る』(2001),『天,共に在り アフガニスタン三十年の闘い』(2013)など。

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【有明抄】自分の背中 ひとの素顔に驚くことがある。山本周五郎といえば、あたたかく人生訓に満ちた時代小説で知られる。ところが夫人は作家の死後、一緒に暮らすのはこりごり、と語っている。口やかましく夫婦生活はまるで軍隊のようだった、と◆イメージとは裏腹に、米のごはんが大きらい。自宅を訪れる編集者たちにも米は食べるなと申し渡した。酒も日本酒より洋酒。すき焼きには赤ワインとビールをどぼどぼ注ぎ、客にふるまったという◆みんな「うまい、うまい」と食べていたが、カメラマンがひとくち「これはなんだ」と言った。「苦くて食べられない」。実は誰もがまずいと感じていたのだが、周五郎が怖くて本当のことが言えなかった。力のあるひとは、こうして自分を誤解してしまうのだろう◆話題も弾めば楽しいお酒の席も、上下関係が加わると気づかいばかりで本音が語りづらい。ちまたは忘年会シーズンだが、若い世代は敬遠がち。お金も時間も使って、おまけに気づかいで疲れるのは割に合わない、との意識がのぞく◆ならば内輪で小宴でも…と、つい酒を過ごせば思わぬ落とし穴がひそんでいるから気を抜けない。力のあるひとほど慢心は悔やみきれないものになる。周五郎の名作『さぶ』の一節を思い出す。「どんなに賢くっても、にんげん自分の背中を見ることはできないんだからね」(桑)(佐賀新聞・2025/12/04)

山本周五郎やまもとしゅうごろう)(1903―1967)= 小説家。明治36年6月22日、山梨県大月市初狩町下初狩に生まれる。本名清水三十六(しみずさとむ)。正則英語学校卒業。質店の徒弟、新聞・雑誌記者を経て小説家となる。1926年(大正15)『文芸(ぶんげい)春秋』4月号の懸賞に投じた『須磨寺附近』が文壇出世作となる。初めは劇作や童話、少女小説の執筆を主としていたが、32年(昭和7)5月号『キング』に時代小説『だゝら團兵衛』を発表して以後、大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる。ために一般からは大衆作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作者や批評家からはほとんど黙殺された。だが山本は「文学には“純”も“不純”もなく、“大衆”も“少数”もない。ただ“よい小説”と“わるい小説”があるばかりだ」を信念とし、普遍妥当性をもつ人間像の造形を生涯の目的とした。山本はつねに日の当たらぬ庶民の側にたち、既成の権威に敢然と抵抗する態度を持し続けた。43年、第17回直木賞を断固辞退したのをはじめ、受賞を要請された文学賞のすべてを一蹴(いっしゅう)したのは「文学は賞のためにあるのではない」との作者の倫理に発したもので、その硬骨ぶりは日本近代文学史上、他に例がない。戦後、ようやく幅広い読者を獲得し、『樅(もみ)ノ木は残った』(1958)、『赤ひげ診療譚(たん)』(1958)、『おさん』(1961)、『青べか物語』(1960)、『さぶ』(1963)などの傑作を世に問い、死後、声価はますます高い。「100年後、日本の代表的短編作家として残ろう」(奥野健男(たけお))、「可愛い女を描いてチェホフを抜く」(島田謹二(きんじ))と評価するむきもあるほどである。昭和42年2月14日、横浜市中区間門(まかど)町の仕事場で死去。なお、1987年9月、「山本周五郎賞」が新潮文芸振興会により設定された。(日本大百科全書ニッポニカ)

 善人は善人らしい小説を書く、悪人は悪人しか描けぬような小説を書くとは限りません。どんな作品であれ、残されたもの(作品)が、実は作者を表しているというほかないのでしょう。山本周五郎氏の妻が、夫の死後に、「一緒に暮らすのはこりごり」と語っていたという。そうでしょうねと肯きたくなります。別に、これは夫が大作家だったから、妻はそう思ったのではなく、作家であるなしにかかわらず、普段から「嫌だ、嫌だ」と思い続けていたということでしょう。死期に暴露されて、「そんなひどい旦那だったか」と驚く方が呑気と言うか、書いた人(作家)と書いたもの(作品)は「おなじことにはならない」ということです。日本の小説や小説家の多くは「私小説」(日本自然主義)の洗礼を受けすぎていますから、「事実は小説」「小説は事実」と誤読されやすいのでしょうか。山本周五郎氏にまつわる「逸話」は、ぼくでさえもいくつでも知っています。それらを知って、「雌伏何十年」の恨みか辛みかと思ってしまいますが、そうではなく世間が勝手に作った「周五郎像」に当たり散らしただけのようにも思われます。文学には「純」も「不純」もない、「あるのは文学だけだ」と言うのは山本氏の正直な想いだったはずで、これもまた世間が勝手に作った「ランクづけ」を破壊したかっただけだったろうと思います。ぼくは私の小説でも、比較的短編ばかりを好みました。堪能したといっていい。だから、かみさんが「いっしょに住むのはコリゴリ」といったエピソードも、あるいは書かれなかった「一篇の小説」だったかもしれません。

 人は、一体何をもって、「あの人はこういう人でした」と言えるのでしょうか。それもまた、「行雲流水」のようでもあります。人はともかく、自分ばかりは「行雲流水」の如くに生きていると思い込んでいます。「 ただよう雲と流れる水。他の力にさからわないで、滞りなく動く自然のゆうゆうとした姿。自然のまま、なりゆきにまかせて行動するさまなどをたとえていう」(精選版日本国語大辞典)その「行雲」と「流水」が、ひとところで合流すると、なぜだか、大きな衝突と、あるいは諍いに走るというのですから、「人と人」は一筋縄ではいないようです。

 (何であれ、残された「仕事」「業績」ばかりに、ぼくたちは、繰り返し問いかけるほかないように思います。「あの人はどういう人だったか」、と)

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さもしい顔してもらえるものを…

【斜面】働け改革 「世の中に/か(蚊)ほどうるさきものはなし/ぶんぶというて夜も寝られず」。江戸時代中期の老中松平定信の「寛政の改革」を風刺した狂歌だ。財政の立て直しのため、文武と倹約を奨励して武士や町民を締め付け、不評を招いた◆飢饉(ききん)で幕府が揺らいでいたとはいえ、歌は「ブンブブンブ」と強制されることへの反発を巧みに表し共感を集めた。こちらはどう受け止められたか。高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」だ。流行語大賞の年間大賞に選ばれた◆自民党総裁に決まった後のあいさつで飛び出した言葉。「ワークライフバランスという言葉を捨てる」とも述べた。選出理由は「共感した昭和世代も実は多かったのではないか。『仕事ってそういうものだったな』と」だという。心配する人も多いだろう。働き方改革はどこに?◆表彰式には首相も出席し「長時間労働を美徳とする意図はない」と話してはいる。ただ、就任直後に「労働時間規制の緩和検討」を指示。国会質問で懸念が相次いでも「実態とニーズを踏まえ検討を深める」と譲らなかった。財界の要望も見え隠れする◆働き方改革関連法が6年前に残業上限を導入した背景には、過労死遺族の「悲劇を繰り返すまい」との願いがある。「大賞の選評に批判が読み取れず、長時間労働是正の流れを反転させないか」と労働問題が専門の上西充子法政大教授。首相のかけ声を跳ね返し「寝られる夜」を守りたい。(信濃毎日新聞・2025/12/03)

 (ヘッダー写真「さもしい顔してもらえるものはもらおう」というのか)

 「流行語大賞」というものには何の関心も湧きませんまあ、これも一種の「広告・宣伝」であると考えれば、何かと勘繰(かん)ぐることはできそうですね。首相の、この発言を耳にした時、咄嗟に「この程度の女ですか」と言う愚感がひらめきました。「私はとにかく働くこどが好きな上に好きな女です。他人の何倍もの労働を何とも思わないでやれる人間です」と、厚かましくも世間に向かって「自己宣伝」したくなる人間であるということでした。「えっ、そんなに頑張って、その程度ですか」というのがぼくの受け止め方でした。ついで、「働いて」が五つつどころか、一つも出てこない人間もまた、たくさんいるという事態に思いが及ばない人間であるという、情けなさを痛感した次第。そしてさらに呆れたのは、自分はもちろん、他の閣僚たちにも「馬車馬のように働いてもらう」と宣った。一内閣が何人前分働こうが、この国の現状はにっちもさっちもいかな程に経済は疲弊していることを知っているからだったでしょう。つまり、人間の価値は「一日何時間働いて、いくら」という貨幣価値で値踏みする人間だということです。(言わでものこと、この気味・気分の悪い「発言」が「大賞に値した意図」に関しては、誰かどこかで論評しているでしょうか)

 以下の「発言」も、ぼくは忘れない。生活保護費問題で、これほど悪質な発言は、言いたくとも言わないで我慢する「抑制」があるのが普通だろうが、この女性は決してそうではありません。誰もが言いたくても言わないことを、私は言うのだという、目立ちたがり屋である。13年前の発言で、現首相は「さもしい顔してもらえるものをもらおうとか、そんな国民ばっかりになったら日本は滅びてしまう」と。この時も、発言の真意を問われて、「不正受給への対策を訴える意図だった」と、お得意の弁明をした。一体、「不正受給」はどれほどいるというのでしょうか。面倒だから言わないが、国(厚労省)は各自治体の「生活保護世帯数」を極力減らすのを政策課題の第一とし、「受給家庭数」の具体的数値をあげて督励してきたし、今もそれを続けている。いわゆる「正常受給正常(目標)値」です。その結果は惨憺たるものがあります。さまざまな難癖をつけて「受給」を容認しないのです。

【日報抄】今年の新語・流行語大賞に高市早苗首相の「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれた。表彰式には首相が現れ「国家国民のため貢献したいという思いだった」と満面の笑みを浮かべた。このフレーズが今また話題になるのは何の因果か
▼生活保護費の引き下げを違法とされた政府は、新たな指標で引き下げた上で違法な減額分との差額だけを補償するという。流行語大賞とは何の関係もない。ただ、減額を譲らぬ政府方針を横目に、受給当事者は「働いて…」をどう受け止めるだろう▼働きたくても病気や障害のため、思うように働けないという人も多い。頑張りたいだけ頑張れる人ばかりではない。頑張ることができない痛みや失意、悔しさを自分の胸に重ねてみる▼折しも首相の生活保護にまつわる過去の発言が、国会で取り上げられたばかりだ。「さもしい顔してもらえるものをもらおうとか、そんな国民ばっかりになったら日本は滅びてしまう」。2012年の発言だ▼首相は「不正受給への対策を訴える意図だった」と釈明した。その通りなのだろうが、当時の自民党が生活保護の引き下げを公約に掲げて政権に復帰し、時を置かず違法な減額が断行されたことは事実である▼全国公的扶助研究会が監修した生活保護実践ガイドブックが手元にある。心の不調と生活保護が密接に結び付いていることが分かる。さまざまな疾患や障害に悩む人への現場の支援例を読んでいると、決して人ごとではないことを自覚する。(新潟日報・2025/12/03)

 はたして、「さもしい顔して」とは、どのような顔なのでしょうか。もちろん「不正受給者」がゼロであるはずはないでしょう。それにしても、モノには言いようがある、その言いようをもっともえげつなく使ってきたのは現首相です。「さもしい」とは「さもし・い[形][文]さも・[シク]品性が下劣なさま。心根が卑しい。意地悪い。「—・い行為」「—・い根性」見苦しい。みすぼらしい」(デジタル大辞泉)もちろん生活保護を喜んで受給する人はいないし、喜ぶ必要もないでしょう。でも、「さもしい顔して貰う」と、どの面下げて言われるのでしょうか。「已むに已まれず」という、そのための制度です。「最後の最後の砦(生活ネット)」として、それでどれだけの人が救われていることか。国会論議や閣議(決定)も無視して、アメリカ大統領に「軍事装備品の大量発注」を約束した、その戦闘機やミサイルの一つ一つが、生活保護費に回せれば、どれだけの子どもたちは暖かい想いをするでしょう。

 国民の血税を、まるでわが物顔をに使いまくる省庁や政治家がいます。二重帳簿三重帳簿と言う「脱税紛い」を平然として、「物価対策に」万全とを期すという。言いたいのは「生活保護受給者」ではなく、政治家や官僚の方こそ、「さもしい顔してもらえる(使える)ものをもらう(使う)、そんな政治家や官僚ばかりになったら日本は滅びる」という現状認識があるのだろうか、という視点ですよ。「働いて✖5」を問われたときにも、「長時間労働を美徳とする意図はない」とお得意の弁明をする。つまりは「心にもあることを言う」から釈明や弁明をせざるを得なくなるのです。挙句には「そんなことは言っておりません」と「虚言の壁を築く」、ある種の「張り子の虎」ではないでしょうか、この人は。実際は「虎の威を借る狐」ですが。この「虎」は「虎の威を貸さないと断言しているのですがね。

 ぼくはこれまで繰り返し述べてきました。人間集団にあって、人と人の関係でもっとも大切な心持ち、それは「惻隠の情」であると。元は「孟子 「公孫丑・上」に出る語で、「惻隠(そくいん)の心は、仁の端なり」と続きます。「惻隠」とは、まさに「人をいたわったり、思いやること」です。何よりも人間であることの根本の徳というべきものです。中でも政治家ともあろう存在に、この「仁の端緒」である「惻隠の心」が欠けていれば、政治を尾叶ううえで、それこそ致命的だというほかありません。そんな人物にだからこそ「巧言令色鮮矣仁」となるのですね。

 「『論語(ろんご)』<学而(がくじ)>と<陽貨(ようか)>に全く同じ句が出てくる。それだけ頻繁に孔子(こうし)によって語られた句とも考えられる。孔子の理想とした「仁」という道徳については、『論語』の中で、さまざまな角度から説かれているが、この句は、その仁を体得した人の人間像を具体的に示しているものといえる。同じ『論語』<子路(しろ)>には、「無欲で果断で、質朴(しつぼく)で、口べたな人は、仁者に近い。(剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し)」とあるのを見ても、仁者の風貌(ふうぼう)・態度を孔子がどう考えていたかがわかる。同じく『論語』<公冶長(こうやちょう)>には、「巧言令色足恭(すうきょう)なるは、左丘明(さきゅうめい)これを恥ず。丘も亦(ま)たこれを恥ず。」とある。左丘明は、孔子より前の賢人、後者の丘は孔子の名。自分自身を指して言っている。「足恭」は、ばか丁寧ということである。古注には「足恭とは便辟(べんぺき)の貌(さま)」とある。便辟とは、こびへつらうことである。孔子が、そうした弁舌だけ、うわべだけの追従(ついしょう)者を、仁の反対にある者としていたことは、明瞭(めいりょう)である」(三省堂 辞書ウェブ編集部による ことばの壺)

◎ 惻隠の情=【四端】より 中国,儒教の主張の一つ。孟子によれば,人の身体に四つの手足があるように,心のなかにも惻隠(そくいん)(あわれみいたむ心),羞悪(しゆうお)(悪を恥じ憎む心),辞譲(譲りあう心),是非(よしあしを見わける心)の四つが本来的に備わっていて,これら四つの芽生え(四端)を,それぞれ仁,義,礼,智という完全な徳へとたいせつに育てあげねばならないという(《孟子》公孫丑上篇)。朱熹は仁義礼智を〈性〉(本性)とし,〈四端〉とはそれらが〈情〉として外に現れ出た〈緒〉(端緒,いとぐち)だと解釈する(《孟子集注(しつちゆう)》)。(世界大百科事典)

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何に此師走の市にゆくからす

【卓上四季】師走雑感 カレンダーに目を向けると、師走の文字が迫ってくる。今年も残り1カ月を切ってしまった。いつも思うことながら、月日の流れはなんと早いことだろう。12月はとりわけ時間が加速度を増して過ぎ去っていく感じがする▼それにしても師走ということばは不思議だ。四季が終わる月を意味する「四極(しはつ)」、年が果てる意味の「年果(としは)つ」が変化した…と語源に諸説ある▼一番しっくりくるのは、師である僧が経をあげに走る月だから、との俗説だろうか。なにかと気ぜわしい時節にふさわしい説明である▼寒さが緩んだきのう、街にはもう歳末の気分が満ちていた。クリスマス飾りの先に正月の縁起物の売り場が見える。行き交う人はどことなく足早だった。<十字路の十字の往き来街師走>粟津松彩子(しょうさいし)▼食料品店の棚にも正月ものが並んでいる。コンブに黒豆、小豆、干しシイタケ、新巻き。手に取ってはみたものの、値札に驚いて元に戻してしまう。いつもの買い物で慣れっこになったふるまい。日々のやりくりに悩みがつきない物価高だ▼これから日脚がさらに短くなり、冷え込みも強まっていく。どんなにがんばっても、季節のめぐりを押し戻すことはできはしない。ならば覚悟を決めて冬を受け入れ、どこかに楽しみを見つけて前を向こう。<しんしんと寒さがたのし歩みゆく>星野立子(たつこ)(北海道新聞・2025/12/02)

 ぼくは柳田國男さんと言う「大碩学」から、いくつも大事なことを学びました。その第一は、「どんなにつまらないと思われることでも、今のようなある前は何だったろう。その前は何だったとろうかと、前へ前へと遡手幾つ、そこには「人間の智慧」と言うか「歴史」があるといことでした。これを江戸の学者は「物あれば名蟻あり」と、どんな小さな物・ことにもきっと名前が付けられていて、それをたどることが「学問」で、換言すれば「学問は歴史に極まり候」とまで言われた。

 もう一つは、今では子どもの戯れ(児戯)などと、蔑まされている物・事も、それは大人が真面目にやっていた「行事・風習」の名残があるのだ」ということでした。一例をあげると「かごめかごめ」という「遊戯」も立派な大人たちの「占い事」だったという。一人を真ん中にして、周りにしゃがみこんだ仲間たちが、「かごめかごめ」を繰り返しているうちに、中の一人に何者・何物かが「憑依し」今年の穀物の吉凶を口にするようになるいうものだった。「児戯に類する」児戯に等しい」と言うが、それはまだ民族がうんと若い頃の青年たちの真面目な行事だったというし、そのような風習は「各地・各国」に残存されている。子どもは、その昔の青年男女たちの「印画紙である」とまで言われてもいます。

 それはともかく、師走です。もちろん「極月」という川、この年の終わりを指し、否でも応でも『年・歳(暦)は改まる。落語の芝浜に見られる歳末風景は、多くの地域の多くの庶民の日常風景でしたろう。借金は「大晦日」にはきっちりと返済し、新年改まった気分で迎えよう、そんなことだったと思う。江戸末・明治期の「下町」の何処も変わらぬ生活の風景でありました。今は、覗きたくとも見られなくなった。ただ、その表面の「忙しさ」だけを模倣しているような、実に味気ない「年末年始」ではないでしょうか。「師走」という言葉だけを頼りに、多くの民衆は右往左往している風情があります。(表題句は芭蕉作、元禄2(1689)年。芭蕉46歳。芭蕉は近江(滋賀県)は膳所にて)

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◎ 師走(しわす)= 陰暦12月の異称。語源については、この月になると、家々で師(僧)を迎えて読経などの仏事を行うため、師が東西に忙しく走り回るため、「師馳(しは)せ月」といったのを誤ったものだとか、四時の果てる月だから「しはつ(四極)月」といったのが、「つ」と「す」の音通(おんつう)によって「しはす」となったのだとかの説が伝わる。このことばのもつ語源が、年の暮れの人事往来の慌ただしさと一致するためか、陽暦12月の異称としても親しまれ、習慣的に用いられている。(日本大百科全書ニッポニカ)

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『サンチョ・パンサの帰郷』、これは私の遺骨

【斜面】時を超え響く言葉 亡くなって半世紀がたとうとする今も、読み継がれている詩人がいる。シベリア抑留の体験でも知られる石原吉郎(1915~77年)。生誕100年の翌年に復刻された第1詩集「サンチョ・パンサの帰郷」がこの10月、3刷となった◆石原が詩壇に登場したのは、8年間の抑留から生還した直後の1954年。暗喩を駆使し独特の魅力を湛(たた)えた作品を次々と生み出し、瞬く間に戦後を代表する詩人となった。60年代の末になって、寡黙に抱え込んでいた抑留体験をエッセーに書き始める◆シベリアの収容所での自分自身をひたすらに問い返し戦争と人間の本質に迫る文章は、戦争を忘却しつつある社会に波紋を呼び起こした。石原は執筆を重ねるにつれ酒量が増え、急逝した。晩年の地となった埼玉県ふじみ野市で先週、石原を巡る講演会があり筆者は講師を務めた◆18年前に石原の軌跡をたどる本紙連載をした縁で、同市在住の詩人杉本真維子さん(長野市出身)らに招かれた。会場との質疑で、石原を大切に読んできた人たちの思いに胸を打たれた。極限を経た人間が尊厳を取り戻すための言葉―と捉える人がいた◆収容所の状況と現代社会を重ね合わせる視点も出た。シベリアの死者の記憶を背に命を削ったエッセーと、生きるよすがで喜びだった詩。石原は一人一人の「人間」に向けて書いた。その言葉が時を超えて読む人の心を震わせ、新たな命が吹き込まれる。言葉の真の力を目の当たりにする。(信濃日々新聞・2025/12/01) 

 この駄文書き殴り集にも、何度か「石原吉郎」の名前が出てきました。そのたびに、短い文章でいいから、少しはまとまりのある「石原論」のようなものを書いてみたいと、頻りに思うようななった。ついにはその程度のものも果たせないままで、どうやら時間切れのようではあります。コラム「斜陽」の記者自身が講演者となられたとある。石原さんの急逝の地、埼玉県ふじみ野市とありました。ある時期、同県川越市に住まわれていたと記憶している辺見庸さんの御健勝が頻りに思われてきました。同じ詩人として、そして同時代人として辺見さんは確かな同伴者だったと言えるかどうか、ぼくにはよくわからないところがありますが。石原吉郎さんは「収容所」から「収容所」へと帰還したと「告発」される自らの「戦後日本」を、もう一度捉え直してみたいと、ぼくは痛切に思っているのです。

◎ 石原 吉郎(イシハラ ヨシロウ)= 昭和期の詩人 (生年大正4(1915)年11月11日 没年昭和52(1977)年11月13日) 出生地静岡県伊豆 学歴〔年〕東京外国語学校ドイツ語部〔昭和13年〕卒 主な受賞名〔年〕H氏賞(第14回)〔昭和39年〕「サンチョ・パンサの帰郷」,歴程賞(第11回)〔昭和48年〕「望郷と海」 経歴大阪ガスに勤めるうち昭和14年に召集となり、やがて関東軍特務機関に配属されたが、召集解除後は満州電々調査局に徴用された。このため20年12月ソ連に抑留され、4年後に重労働25年の判決。このシベリア体験がのちに終生のテーマとなる。スターリン死後の28年12月に特赦で帰国し詩作を始める。雑誌「文章クラブ」に投稿して鮎川信夫に認められ、30年に好川誠一、勝野睦人らと同人誌「ロシナンテ」を創刊。39年「サンチョ・パンサの帰郷」でH氏賞受賞。他の詩集に「礼節」「水準原点」、エッセイ集に「望郷と海」「海を流れる河」などがあるほか、「石原吉郎全集」(全3巻 花神社)がある。(20世紀日本人名事典)

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「徒然に日乗り」(920~933 )

〇2025/11/30(日)ほぼ前日と同じ気分。いやな微熱や、それがもたらす疲労感が消えただけでも気分は良好である。(933)

〇2025/11/29(土)爽やかな一日だった。恐らく外気温も20℃を越えていたろう。やや体調も回復模様か。(932)

〇2025/11/28(金)気力を起こして、茂原市緑ヶ丘まで。帰路薬局により、思い切って薬を変えてみることにした。これまあでは「葛根湯」と言う常備薬だったが、服用時期を外したために、ほとんど効き目がなく、ひたすら体中の痛みと熱(微熱であって、37度の半ばは越えない)に、この半月ひどい目に遭った。車の運転も控えるべきだったが、どうしてもとハンドルを握るが、これまで経験したことのない危険に遭遇している。店で買い物を済ませて、車にたどりつくのだが、そこから、即発車とはいかず、呼吸を整えてからでなければ、なかなかにしんどいのだ。帰宅後に(久しぶりに)軽く昼食を取り、その後に新しい風邪薬を服用。一時間も経たないうちに、それまでも悪寒や節節の痛みなどが、まるで種類が違っていたかと思われた。つまりはつねにまとわりついていた「痛み」の種類が替わって来たかと感じられる。あるいは、「病気」の内容ははっきりと異なってきたのかもしれない。少しは安心しながら、ベッドに入る。(931)

〇2025/11/27(木)前日に同じ。(930)

〇2025/11/26(水)前日に同じ。(929)

〇2025/11/25(火)前日に同じ。(928)

〇2025/11/24(月)駄文を書く気力すら湧かない。(927)

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〇2025/11/23(日)ほとんど前日と同じ状況で、ほぼ終日、自宅で横になっていた。熱は微熱だが下がらない。身体の節々の苦痛はやわらいで来たが、まだすっきりはしない。少し先が見えてきたようにも感じるが、十分に注意したい。(926)

〇2025/11/22(土)風邪の症状は少しも変わらないまま。微熱は続き、体の節々の痛みが取れないようだ。4~5日前の体が音を上げているような、肩や背中や後頭部の痛みは、おそらく風邪の引き始めだったかも知れない。引き始めのタイミングを逃したために、服用している風邪薬の効果がないのだろう。明日、新たな薬を試してみる。ほとんど、終日ベッドに伏せるありさま。T君から電話あり。御機嫌伺だった。お昼前に、少々きつかったが、猫缶を購入するために土気まで出かけた。(925)

〇2025/11/21(金)二、三日前から身体の節々が痛く、後頭部も疼痛がしている。たぶん風邪だろうとは思っているが、念のために体温計を当ててみると37.5度ほどある。早速に葛根湯を服用し、急いて横になった。この何年も風邪などはお呼びではなかったが、ここへきて、遂に身体が音を上げたのかもしれない。ここはしっかりと睡眠と休養を取って、すっかり完治させたい。(924)

〇2025/11/20(木)大分県の佐賀関というところで大変な火災が発生した(初期発生は18日夕刻五時ころと言う)。折からの強風と極めて乾燥した状態の中で、大火災になった。報道によると、出火元とみられる一軒に死者が出たようだ。報道によると170件以上の民家が焼けたという。▶首相の「存立危機事態」発言が思わない方向に拡散され、両国関係に実害が出てきそうである。「(中国は)台湾を支配する」ようなときに「米国」は戦線に入ってくるだろう、そして「戦艦」を使うなどして台湾進攻を敢行するなら、それは間違いなく「存立危機事態」と言えるだろう。中国を名指しし、「台湾有事」を起こし、米国がそれに参加するようなことになれば、「日本有事」となるのは不可避だとも。きわめてでたらめな発言。お粗末の限りだ。(923)

〇2025/11/19(水)夕方6時前だったか、長野から電話があった。久しぶりの電話だと思ったが、当人の言うところではほぼ一年ぶりらしい。O君は、その後も何とか施設に居ながら、日常的な作業をこなしているという話だった。聞くところによれば、「不惑」になったという。無理をしないで、ゆっくりとやれる範囲で過ごせばいいと言っておいた。春にでも体調と相談しながら、機会を設けて房総(当地)に来てみないかと伝えておいた。▶T首相の発言問題が尾を引いて、なかなか終息の機運が見えてこない。一層悪化しているのかもしれない。日中関係のいくつかの方面で悪影響が出てきているが、政府は何をするつもりだろうか。言わずもがなの「妄言」だったというべきで、そん発言を何度聞いても、やはり「撤回」するほかないと思うばかり。新たに「日本産水産物の輸入停止」の措置が発表された。▶肩こりの性なのか、後頭部の右下部分にやや痛みがある。少し様子を見て見なければと考えている。やはり睡眠時間が足りないのも一因かもしれない。(922)

〇2025/11/18(火)ただ今午後9時15分。室温21.2℃、湿度49%。午前中は晴天で、気温もそれなりに高かったが、夕方以降はかなり冷え込んで、八時ころからは雨が降り出してきた。明日はかなり寒くなるという予報。▶株安、円安、金利安と「トリプル安」が発生している。物価対策など無に等しいのだから、こうなるのも当然という気もする。ということは政権発足一カ月を経て、現政権はほとんど政治らしい政治を何一つしていないということだ。加えて、中国の対日対策にはさらに厳しさを増していると感じる。日本政府は、何とか「誤った首相発言」を有耶無耶にするのかもしれないが、決定的に間違いを犯したのだから、この際、我が首相の為すべきは「発言撤回」有るのみだと思う。結果的には「辞任・辞職」に至るだろうが、致し方ない。元から首相の任にはふさわしくなかったのだから。できる限り早期の「発言撤回」「首相辞任」辞任を望む。「【北京共同】中国外務省の毛寧報道局長は18日の記者会見で、日中関係の悪化について「根本的な責任は高市早苗首相にある」と名指しで強く非難した」(共同通信・2025/11/18)(921)

〇2025/11/17(月)ただ今午後10時過ぎ。空気が乾燥して、清々しい一日だった。気温も20℃を超えていた。しかし明日からは「冷え込み」が厳しくなると予報。かみさんはいつもの集会に出かける。面倒なことは言わないが、年をとっても仲間と集まって話せる環境があることは好いことだと思う。ぼく自身は、いまさら、誰かと会って話がしたいという気もないのであって、しかし、その気になれば、何時だって誰彼なしに話ができると思えば、それで十分という気もする。▶終日自宅内で、ネット番組を見たりジャズを聴いたり。「AI」の技術が想像(想定)を絶して進んできた結果、先ず何よりも社会(世界)に「ファイク(虚偽)」が蔓延しだしている。これまでは「話(文章)」が主だったが、今はさらに「映像」制作技術が驚くほど進んで、「真偽」定かならぬ「情報」があらゆる場面に溢れているのだ。テレビ然り、SNSなどの画像然り、真偽を区別することは、不可能になりつつあるのではないかと、心底懼れている。▶日本の首相の浅慮極まりない発言(「存立危機事態」云々)から生じた、中国の想像を超えた「態度硬化」に遭遇し、政府はなす術を持たないように見える。外務省の一局長を急派したけれど、さて、何かしらいい結果が生まれるのかどうか。最終的には「発言撤回」に見合う姿勢を見せなければ、事態は沈静化しないだろう。(920)

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