小心者の自己顕示欲は始末に悪い

【筆洗】百度参りは、特定の寺社に百度参詣し祈願すること。昔から行われているらしい。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』は、奥州合戦の必勝祈願で北条政子が鶴岡八幡宮で行ったと記す▼百という数は熱意の表れだが、これを上回る千という数に驚く。福井県の杉本達治前知事(63)が複数の女性職員に、セクハラに該当するメッセージを約千通送信していたことが、県の依頼を受けた弁護士の調査で判明した▼総務省出身の杉本氏は今から20年以上前の2004年から3年間、県総務部長を務めたが、送信は07年から確認されている。「キスできたら安心できるかなぁ」「いくら口説いても会ってくれないけど、ずーっと、ずーっと、追っかけをするからね」…▼執拗(しつよう)さが罪深い。総務部長退任後、副知事に登用されたり知事候補にかつがれたりした際、被害者は何を思っただろう▼スカートの中に手を入れて尻を触るなど、接触を伴うセクハラは3件。先月、弁護士の調査が終わらないうちに知事を辞したのは観念したからなのか。官僚として期待され、知事にまで上り詰めた人の残念な終わり方である▼「千日に刈った萱(かや)一日に亡(ほろ)ぼす」は千日かけて刈り取った萱を一日で焼いてしまう意で、長い時間をかけ築いたものを一度に失うこと。前知事の場合、身を滅ぼす炎は約20年くすぶっていたということか。燃やし続けたのはご本人である。(東京新聞・2026/01/08)

 「自己顕示」という感情は、強弱を含めてだれにもあります。しかし、中には飛び切り「自己顕示欲(exhibitionism)」の強烈な人がいます。ほとんどの政治家は、この感情が人の何倍も強いはずで、だから他者を支配したり、自己の飽くなき権勢を誇示したがるのかもしれない。本日のコラムには、ぼくは触れたくなかったのですが、久しぶりに東京新聞の「筆洗」に目が留まったので、うかうかと誘われてしまいました。このところ、地方自治体の首長の「不祥事(scandal)」が目に余ります。どうしてそんなことが、というような出来事が方々で起こっている、その理由はどこにあるのでしょうか。知事は痴事で、政治家は性事に特化する、その背景は何でしょうか。何を言おうが、当の首長の「だらしなさ」「不届き千万の勘違い」こそが根っこにあった。

 逆に、以前(昔)の地方の首長たちは品行方正(表向きは。こんなのが最も危ない)を装って、ついに住民をだませおおせたというのが実情で、人間が美しかったわけではないでしょう。あるいは、選挙民も大様(おおよう)だったということか。人間として尊敬に値する人は昔もいたし、今もいます。反対に「品性下劣」と眉(まゆ)を思いきり顰(しか)めたくなる輩も、今昔問わずに存在していたし、存在しています。たまたま、さまざまな変化がここにきてようやくにして兆し、「下劣な品性」や「悪徳政治家」が黙認できくなったということではないでしょうか。「筆洗」氏はコラムを「お百度参り」から始めておられるが、その理由は取り立ててなかったわけで、つまらない数字合わせをしたものです。百より千のほうが多いという、ただそれだけで、字数を稼いだというのですかな。その「お百度参り」に、ぼくは深く突き動かされた経験がありました。母親の加護というものが「千丈の滝」よりも高く、「千尋の谷」よりも深いという、そんな思いをぼくは若いころに持たされました。(これについては、どこかで触れています)

 「総務省出身の杉本氏は今から20年以上前の2004年から3年間、県総務部長を務めたが、送信は07年から確認されている」「執拗(しつよう)さが罪深い。総務部長退任後、副知事に登用されたり知事候補にかつがれたりした際、被害者は何を思っただろう」と、その惨状をコラム氏は被害者に同情を持ちながら書かれています。それに異論はないのですが、こういう問題が生じた際に、ぼくがいつでも反射的に口にするのは、「これは犯罪です。やめてくれ」と誰一人言わないままだったことに、ある種の恐ろしさを抱いてしまうのです。「知事、こんなことをしていいんですか」と、たった一言が出ない、その理由は何でしょうか。まさか、「セクハラに該当するメッセージを約千通送信していた」とされる、その相手はたった一人だけではなかったでしょう(報告書では4人とされています)。

 「卑怯者」とは「勇気のない者。心の卑しい卑劣な者」(デジタル大辞泉)とあります。実際のその通りでしょう。もちろん、自分の弱さを隠すために「地位」を利用するのですから、汚い根性の持ち主でしかないというもので、その小心者の知事が、20年以上にわたって県政の一方の権力を握り続けていたというのも、いわば選挙民の愚劣さにも一因があると思うのです。そんな人物だとは知らなかったという有権者がいたなら、その間違った投票に対して何らかの責任の取り方を表明をすべきだと思う。この国(社会)の政治は「民主主義」が建前ですけれど、内実は「情実政治」がまかり通っているのです。二十数年にわたり「セクハラ行為」を続け、しかも大枚の給料を支給され、おそらく、しこたま「退職金(6千2百万円余)」をせしめたでしょう。「盗人に追い銭(せん)」という表現があります。今からだって遅くはない、告訴・告発もあるでしょうし、退職金を没収し、裁判の末に拘禁刑に処すべき事案だったと思う。

 「千日に刈った萱(かや)一日に亡(ほろ)ぼす」というけれど、この色魔知事は、本当に身を滅ぼしたのでしょうか。「知事にまで上り詰めた人の残念な終わり方である」と、コラム氏はあっさり終止符を打たれているが、冗談ではありません。これからですよ、裁判は。アメリカの現職大統領も、「大統領」を辞めれば、拘禁が待っているから、とにかく、今のうちにできることは何でもやろうという、一種の狂気の状態にあると思う。それもこれも、政治というものが持つ、ある種の陥穽に見事にはまってしまった結果でしょう。「自己顕示欲」の塊を政治の道に野放しにすると、どんなことが起こるか、ぼくたちはよく学ぶべきでしょう。この「自己顕示欲」という魔物がもたらす堕落には限りがないし、性別による差異もないのですから、選挙民はよほど気を付けて投票する必要があるでしょう。仮に、間違にきがついたら、直ちに訂正する行動をとるべきです。(これまでに、ぼくはどれだけ選挙に参加したか。国政レベルで、ぼくが投票した人の当選率は10%にも満たないのには、確かな理由があるのでしょうね。それに関しては、稿を改めて)

 前知事セクハラ、福井県民「ここまでひどいとは」 被害者ケアの最優先求める声 特別調査委員に認定された杉本達治前福井県知事のセクハラ行為について、県民は「許しがたい」「怖い。ここまでひどいとは」と強い不快感を示し「被害者の苦痛は想像を絶する。今まで通り過ごせるよう、周囲はケアを最優先してほしい」と求めた。「クリーンなイメージだったのでギャップがある」と驚きの声も上がった。
 福井市職員の20代女性は「頑張っている職場で被害に遭うことを考えると、(杉本氏の行為は)許しがたい。上司からこんな内容のメッセージが送られてきたら、どうしていいか分からない」、高浜町の無職男性(68)は「杉本氏は『雑談の延長』と会見で語っていたが、度を超えた内容でギャップが大きい。がっかりだ」と憤った。
 杉本氏を若狭町の熊川宿に案内したことがある若狭熊川宿まちづくり特別委員会の宮本哲男会長(72)は「想像以上に重い内容。熊川の発展のために熱心に取り組んでくれるいい人という印象だったので、とても悲しい」と語った。
 被害者の耐えがたい苦痛に思いを寄せる声もあった。越前市の大学生の女性(21)は「キャリアを捨てるかもしれないという不安と、知事が辞めるまでセクハラが続くかもしれないという思いの中でつらかっただろう」、南越前町の大学生の女性(21)は「福井は狭く、うわさされるのは怖い。同僚や友人から被害者として見られる不安もある」と、人物が特定できないよう十分な配慮を求めた。
 報告書には、上司に訴えたにもかかわらず、対応してもらえなかったり、被害自体を信じてもらえなかったりした事例が書かれており、先の福井市職員は「上司は、被害者ではなく、さらに上の立場の人の顔色を見ていただろう。組織には上層部のコミュニティーがあると思うし、相談してももみ消されるのでは、と疑ってしまう」と話した。
 県庁という組織の特殊性に関する言及もあった。鯖江市職員の40代男性は、要望活動で県庁に行った際、全て知事の都合に合わせて職員が動く姿が印象に残っており「絶対的権力者としてあがめるような雰囲気さえある。(県庁がある)お堀の中の組織風土は独特」と語った。勝山市の主婦(36)は「ハラスメント防止を民間企業に働きかけるべき県庁は、相談もできないような組織なのか」とあきれていた。(福井新聞・2026/01/08)

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「狂人」の暴状に怯んでる場合ですか

【金口木舌】「強者の論理」に屈するな 耳を疑った。米トランプ大統領は、ベネズエラを攻撃しマドゥロ大統領夫妻を拘束した後、政権移行まで米国がベネズエラを「運営する」と発言した。時代を100年巻き戻すかのような「強者の論理」を隠そうともしない▼マドゥロ氏を評価はできまい。大統領選挙で野党候補の出馬を認めず、野党関係者を拘束した。国会議員選挙で敗北すると、立法権を国会から奪う暴挙に出た▼一方のトランプ氏は、国際法違反が濃厚な軍事行動に際し、自国の議会承認さえ得ようとしない。民主主義に反する大統領を、民主主義を軽視する大統領が拘束した▼ウクライナに侵攻したロシアが米国の「侵略」を批判する。「自由や民主主義、法の支配などの普遍的価値を米国と共有する」と胸を張っていた日本は、国際法を無視するような同盟国に対し論評を避ける。笑えない冗談ではなく、国際社会の現実だ▼主権侵害という大きな話に注目が集まるが、米国の一方的な攻撃で民間人が犠牲となったことを忘れてはいけない。国家は、時にたやすく個人の尊厳を踏みにじる。沖縄はそれを肌身で知っている。強者の論理に屈するな。(琉球新報・2026/01/07)

(☚写真)「ホワイトハウス前でヴェネズエラに対する軍事行動に抗議する人たち。プラカードには『アメリカはヴェネズエラで戦争するな』、『予算は国民が必要とするもののために、戦争マシーンのためでなく』などと書かれている(3日、ワシントン)(BBC・https://www.bbc.com/japanese/articles/cvg1772gkkno)(以下、2枚の写真も)

 少しばかり名(悪名)のあるニューヨークの「不動産王」だった、一人の男が「大統領」になるというのも型破りだったが(立候補当時は、「泡沫候補」扱いだった)、いざその椅子につくと、ひたすら「自己存在証明」「自己顕示欲の実践」のために国もろとも地獄にぶち込むような破天荒な行動をとることだけが彼の政治的野心だったということが、いま世界中に明らかになりつつあります。常識とか政治道義などは、彼にとっては全くの無価値で、一文の値打ちないも同然。アメリカの大半の人々にとって彼は、文字通りに「鬼っ子」だと言ったらどうでしょう。鬼っ子とは「異形の状態で生まれた子」という存在で、まさに米国大統領としては誰にも似ないこと、それこそが彼のもっとも望むところなのです。「自分はだれもやったことがない、すごいことをする」それが「アメリカファースト」であり「MAGA」だったというのでしょう。つまりは「破天荒」という意味です。

(*「破天荒」とは「[名・形動]前人のなしえなかったことを初めててすること。また、そのさま。前代未聞。未曾有(みぞう)。「—の試み」「—な大事業」。[補説] 「天荒」は未開の荒れ地の意。唐の時代、官吏登用試験の合格者が1名も出なかった荊州は人々から「天荒」といわれていたが、劉蛻(りゅうぜい)が初めてて合格して「天荒を破った」といわれたという、「唐摭言(とうせきげん)」「北夢瑣言(ほくむさげん)」の故事から。(デジタル大辞泉)

 今回は、壮大な彼の描く企図(荒唐無稽)のほんの手始め(端緒)に過ぎない。自分に盾突くものは踏みつぶすという意気込みが感じられ、この愚劣な暴挙が「成功裏」に終われば、彼のこの後は、手の付けられない侵略主義者になると思う。T大統領は「帝王」になりたくて仕方がないのだが、そのために他国の主権をどれほど踏みにじろうが、彼には委細構わないだけの暴力性が滾(たぎ)っている。手始めの小手調べを済ませて、次にはたぶんコロンビアを襲うはずです。ここはベネズエラと同じようにトランプにとっては「たんこぶ」で、やはり「麻薬のアメリカ持ち込み」をしている。つまりは「攻撃の根拠」とするだけのものがあるというのだ。第3段階は、キューバでありメキシコです。南米を自家薬籠中の傀儡政権(puppet government)にするためには、どうしても、反米世間は、断じて抑圧しなければならない「目の下のたんこぶ」みたいなもの。  

(写真右上)「マドゥロ大統領の釈放を求めて行進する親マドゥロ派民兵組織『コレクティヴォス』とその関係者たち」(4日、カラカス)

 まだ、その先がある、しばしば言及しているように「カナダ」の支配です。軍事力でカナダをアメリカに編入することはあり得ないとしても、彼は、自らの軍門に下らせたいと祈っているはずです。そして、最後はグリーンランド。ここまでを自らの配下に従えられれば、「西半球の帝王」となれるというのが、暴力しか信じられない男の「積年の夢想(悪夢)」であり、具体的な行動に出た「初夢」の内容だったといえます。 

 悪夢は悪夢であり、どこまで行こうと「正夢」になることはあり得ない。世界は一人の狂人の傍若無人の振る舞いにたじろいでいるんですか。冗談ではない、彼は天下承知の「犯罪者」です。この犯罪者に国を乗っ取られて、何も言えない・できないというのがアメリカの正体だったとは、ぼくには考えられないのだ。(いずれ、彼はベネズエラ大統領の後を追う(後塵を拝する)ことになるだろうと、ぼくは確信している)

 「民主主義に反する大統領を、民主主義を軽視する大統領が拘束した▼ウクライナに侵攻したロシアが米国の「侵略」を批判する」(「金口目した」「「自由や民主主義、法の支配などの普遍的価値を米国と共有する」と胸を張っていた日本は、国際法を無視するような同盟国に対し論評を避ける。笑えない冗談ではなく、国際社会の現実だ」 ぼくたちもまた、問われている、黙って「座視するか」「餓死するか」、それとも、…。(写真左上)「マドゥロ大統領の釈放を求めて行進する親マドゥロ派民兵組織『コレクティヴォス』とその関係者たち」(4日、カラカス)

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 「【解説】 トランプ氏の行動は世界中の権威主義国家にとって前例となる可能性 BBC国際編集長・ジェレミー・ボウエン(2026/01/05) ヴェネズエラのニコラス・マドゥロ大統領を拘束したことで、ドナルド・トランプ米大統領は、自分の意思の力をいかに信じているか、これまで以上に強力に示した。彼の意向は、アメリカのむきだしの軍事力に裏付けされている。そして、トランプの命令によって、アメリカはマドゥロを拘束し、今後は自分たちがヴェネズエラを「運営する」としている。/アメリカ大統領がそう発表した驚くべき記者会見は、アメリカの全世界的な外交政策に多大な影響を持つ内容だった。そして、その記者会見は米フロリダ州にあるトランプの私邸兼リゾートクラブ「マール・ア・ラーゴ」で行われた。(中略) ここ30年というもの、アメリカは繰り返し武力で外国の政権交代を実現しようとしてきたが、その成績は悲惨だ。/軍事作戦の後にどのような政治的フォローアップを実施するかこそ、移行プロセスの成否を決める。/イラクはアメリカによる2003年の侵攻後、流血の大惨事が続く場所になった。アフガニスタンでは、国造りのために20年の歳月と数十億ドルを投入したにもかかわらず、2021年にアメリカが撤退するとすると、その蓄積はわずか数日で崩壊した。/イラクもアフガニスタンも、アメリカの裏庭ではなかった。/しかし、ラテンアメリカでアメリカが過去に繰り返した介入の亡霊と、今後さらに懸念される将来的な介入の脅威は、有望とは程遠い。/トランプはヴェネズエラの統治について、「安全で適切、賢明な(政権)移行ができるようになるまで、我々が運営する」と述べた。

 1823年に当時のジェイムズ・モンロー米大統領が、西半球におけるアメリカの勢力圏に干渉しないよう諸外国に警告した宣言を「モンロー・ドクトリン」と言う。トランプはこれにちなみ、「ドンロー・ドクトリン」という新しいニックネームを披露した。/「モンロー主義は大したものだが、我々はそれをはるかに超えた」と、トランプはマール・ア・ラーゴで述べた。「新しい国家安全保障戦略の下、西半球におけるアメリカの優位性が疑問視されるような事態は、もう二度と起きない」。/コロンビアのグスタボ・ペトロ大統領は「自分の尻を注意」する必要があるとも、トランプは発言した。/トランプはその後、米FOXニュースに対して、「メキシコについても何とかする必要がある」と発言した。/トランプ政権は間違いなく、キューバも視野に入れている。アメリカ外交を推進する国務長官は、両親がキューバ系アメリカ人のルビオだ。/アメリカは長年、ラテンアメリカで軍事介入を繰り返してきた。私は1994年にハイチにいたが、当時のビル・クリントン大統領はハイチで政権交代を強制するため、兵2万5000人と空母2隻を派遣した。ハイチ政権は、一発の銃弾も撃たれることなく崩壊した。ハイチにより良い未来をもたらすどころか、それから30年、ハイチ国民はほぼ絶え間なく悲惨な状態の中で暮らしてきた。今のハイチは武装ギャングに支配された破綻国家だ。(中略) ドナルド・トランプは、ルールを作るのは自分だと考えているようだ。そして、自分が指揮するアメリカに適用される特権が、他国にも適用されるわけではないとも、考えているようだ。/しかし、権力の世界はそういう仕組みになっていない。/2026年初頭にトランプがとった行動は、世界が今後12カ月間も引き続き大混乱する未来を指し示している。(英語 Bowen: Trump’s action could set precedent for authoritarian powers across globe

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日に日に世界は悪くなる、本当か?

  【夕歩道】当欄は本日が仕事始め。新年をことほごうと思ったが、南米からのニュースで気持ちが冷めた。米国が3日、ベネズエラに強引に攻め込み、大統領を拘束。年明け早々、こんな世界になるとは-。 米軍が同国の麻薬密輸船なるものを攻撃し始めたのは昨年9月以後。10月に野党指導者マチャド氏にノーベル平和賞の知らせ。トランプ氏による地上攻撃の示唆も10月。まさか筋書きがあるのか。 静かな年末、地道に活動してきた「ハンバート ハンバート」が紅白歌合戦に初登場。連続テレビ小説の主題歌を歌った。「日に日に世界が悪くなる」はその歌詞の一節。聴く度、どきりとする。(中日新聞・2026/01/06)

 (*ハンバート ハンバート “笑ったり転んだり” (Official Music Video)(https://www.youtube.com/watch?v=1_P2MT39VJ0

 本日のネタは「笑ったり転んだり」という一組の「デュオ」の歌と、それが主題歌になっている「ばけばけ」(NHK朝ドラ)という「二題」となるのでしょうか。その両方ともにぼくは無知でしたから、なにかきっかけがあったのです。強いて言うなら中日新聞の「夕歩道」(昨日付け)でしたね。長年歌手活動を続けてきたハンバートハンバート(この人たちの歌は聞いたことがありません)が「紅白歌合戦」に初出場(この番組もほとんど見たことがない)、歌った曲が「笑ったり転んだり」で、その「2番」に「日に日に世界は悪くなり」とある。「夕歩道」氏は「聴く度、どきりとする」と仰(おっしゃ)る。ぼくも、時に「こんなに悪くなったのか」という暗い感想を持つことがありますから、やはり、ある意味では「日に日に世界は悪くな」って来ているのでしょうし、そう実感する方も多いのではないでしょうか。

【有明抄】暗い顔 日本人は暗い顔をしている。干ばつや戦乱に苦しむアフガニスタンで人道支援を続けた医師、故中村哲さんは帰国するたび感じたという。持てるものを失う不安、おそれが表情に出ているらしい◆年末ふと読み返したエッセーに生前の中村さんの講演のことが書いてあった(山田稔「ある日曜日のこと」)。ちょうど米国がアフガン政権打倒を掲げ侵攻を始めたころ。講演を聞いた筆者はその足で平和を訴える行進に加わる。SNSのない時代、人びとはこうして声を上げていたのだと、少しなつかしく思えた◆年明け早々、南米ベネズエラを攻撃し独裁的な大統領を拘束した米国は、当面の国家運営まで自分たちで行うという。これまで軍事介入したアフガンもイラクも国家再建に失敗しているというのに◆「法の支配」など大国は知らん顔。これではロシアのウクライナ侵攻も、中国による台湾への威圧も断罪できない。それなのに国際社会の批判はどこか遠慮がち。持てるものを失うことにおそれでもするように◆平和を願って歩いたエッセーはこう締めくくられる。歩いても情勢が変わるわけはない。〈外の世界は変らなくとも、しかしごくわずかに、ごく微妙に、私は変る。そうやって少しずつ変りながら、今日の、いまの私がある〉。歩くこともなく嘆息する私たちは、暗い顔のままだろうか。(桑)(佐賀新聞・2026/01/06)

 「毎日難儀なことばかり 泣き疲れて睡眠だけ そんなダメじゃないか怒ったり これでもおかしくないと思ったり」どこにでもいそうな人が当たり前に毎日を生き抜くのに難儀しつつ、でも何時かしら、肩ひじ張っていた姿勢も和らぎ、一息ついて元気になり。またまた面倒なことに遭遇しつつ、あれこれ不平・不満を零(こぼ)しながら、なんとなく、その明け暮れを続けて、気が付けば、二十年…。たいていの人にとって人生というものは、あるいはそういうものかもしれないのです。曲名の「笑ったり転んだり」は、あるいは「滑ったり転んだり」の捩(もじ)り(パロディー)かもわかりませんが、こちらのほうが、かえって人生の明るさを出しているとも思えてきます。

【余録】「日に日に世界が悪くなる」――NHKの朝ドラ「ばけばけ」の主題歌「笑ったり転んだり」(ハンバートハンバート)の一節に、現実が重なって胸が痛む▲だが、それは思い込みかもしれない、という視点を提示したのは2018年出版のベストセラー「ファクトフルネス」(ハンス・ロスリング他著)だった▲公的統計を駆使し、世界全体で所得格差が縮小し続けていることを明らかにした。戦争の犠牲者は第二次世界大戦をピークに激減し、飢餓率や乳幼児死亡率も右肩下がりだった▲それから7年。オックスフォード大の研究者らが運営するデータサイト「Our World in Data」によると、残念ながら武力紛争の死者は増加に転じ、22年には約27万人と1970~80年代に並ぶレベルとなった。しかし、殺人事件の発生率は下がり続け、公教育の普及率は約8割に達してなお上昇傾向だ▲やはり膨大なデータを基に数千年単位で歴史を検証した認知心理学者、スティーブン・ピンカー氏は著書「暴力の人類史」で、人間の暴力性は一貫して低下してきたと指摘する。近代国家の成立や交易の拡大、識字率の向上などが人々の理性や共感能力を育んだためと分析している▲人は目の前のネガティブな情報にとらわれがちだ。危険をいち早く察知しようとする生存本能ゆえである。マスメディアもSNSもゆっくり変化することを伝えるのは苦手だ。そういうものだと知った上で「落ち込まないで諦めないで」歩き続けるしかない。(毎日新聞・2025/11/04)

 ドラマの展開について、いうべき何もぼくは持ち合わせてはいません。あえて言うなら、ラフカディオ・ハーンについて少しばかりのなまかじりの知識があるとも言えますが、ここでそれを語ることはしない。ハーンの歩く後ろには、ある時期にはきっと夏目漱石がいました。漱石は英文学の教師でしたが、その先輩格に当たるのがハーンだったというわけ。それはまた別の話。

 それにしても、ハーンという人は一種の冒険(探検)家(それは、同時に「ホームレス」的)なところの多分にある人だったと思う。ギリシアで生まれ、若くして滞米生活を送り、やがて四十歳で日本にやってきたが、それが松江だったとは。来日直後に「節(せつ)」さんと結婚、日本国籍を得るのです。二人の生活はわずか十四年余り、彼の死去により終わる。なんともあわただしいハーンの生涯だったし、その間の日本発見・再発見がどのような意味を有していたか、一面では、令和のこの時期になって「ドラマ化」されることでもわかろうというもの。

◎ 小泉八雲(こいずみやくも)[生]嘉永3(1850).6.27. ギリシア,レフカス [没]1904.9.26. 東京 文学者,随筆家。本名 Lafcadio Hearn。父はイギリス人,母はギリシア人。アメリカに渡って新聞記者生活をおくり,ヨーロッパ文学の新しい潮流をアメリカに紹介,文芸評論家としても活躍。その後『西印度諸島の2年間』 Two Years in the French West Indies (1884) を発表して東洋への関心を深め,1890年来日,島根県松江中学の英語教師となった。同年小泉セツと結婚,日本に帰化し,熊本の第五高等学校講師 (91) ,『神戸クロニクル』紙記者 (94) ,東京大学文学部講師 (96~1903) ,早稲田大学講師 (04) を歴任した。日本の各地を渡り歩いて,『知られざる日本の面影』 Glimpses of Unfamiliar Japan (1894) ,『心』 Kokoro (96) ,『仏の畑の落穂』 Gleanings in Buddha-Fields (97) などで日本の風土と心を紹介する一方,日本の伝説に取材した『怪談』 Kwaidan (1904) で物語作者としての才能も発揮した。彼の愛したのは儒教的礼節,神道的祖先崇拝,仏教的宿命観に裏づけられた前近代的な日本人であったが,絶えず認識を改めつつ東西文化の比較のうえで日本人をとらえ西洋に紹介した功績は大きい。(ブリタニカ国際大百科事典)

 先日もチャップリンに触れて少し駄弁(だべ)りました。彼の名言になった「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」という箴言は、ある意味では「笑ったり転んだり」に当たるかもしれませんし、また「一人を殺せば殺人者だが、百万人を殺せば英雄だ。殺人は数によって神聖化させられる」という聖句は、独裁者や戦争大好き人間を「打ち砕く」力を持っていたと思う。アメリカに住んでいたが、「赤狩り」にあって退去を命ぜられた。それ以降は、二度と再びアメリカの土を踏まなかったという。「独裁者」に抗議して、権力者の横暴を完膚なきまでに叩きのめした人でした。彼は名うての「リアリスト」だったと思う。時代を直視し、何がおかしいか、何が自分にできるかを見極めた人だったでしょう。「本当に笑うためには、あなたの痛みを取って、それで遊べるようにならなければ」と言い切ったし、それを実践した人でもあった。正直ということ。

 「笑ったり転んだり」の本家は「滑ったり転んだり」と「泣いたり笑ったり」だったかもしれない。要するに「喜怒哀楽(emotion)」というものを失うと、自分を殺すことになるし、その情念に支配されると自分を失うのではないでしょうか。だから、「リアリスト」であるように自分を導くだけの意欲と、それを貫く志が必要だとぼくには思われるのです。いつだって、「クローズアップ(close-up)」と「ロングショット(long shot)」という二つの視点(眼力)を持ち続けたいものです。

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お里が知れる・習い性となる・コンマ以下

【斜面】警察官から無法者へ シリアが猛毒の神経ガス、サリンを含む化学兵器を使って反体制派の市民を殺害した―と米政府が断定したのは2013年。当時のオバマ米大統領はシリアへの懲罰的な攻撃を避け、こう言った。「米国は『世界の警察官』ではない」◆そもそも大戦後も数々の戦争に加わってきた米国が、国際秩序の守護者だったかどうかは大いに疑問だ。この言葉が印象づけたのは、戦いに疲れ果て、国内も格差拡大で余裕を失ってゆく米国の凋落(ちょうらく)だった。そして今日、警察官は無法者になったのか◆米軍がベネズエラの首都を攻撃し、特殊部隊がマドゥロ大統領夫妻を米国へ連れ去った。独裁とも評されるマドゥロ政権は選挙の不公正などを内外から批判されていた。けれど主権国家の元首を武力でさらう蛮行が許されるか。武力行使を原則禁じている国連憲章に反していよう◆麻薬密輸に関与したとする米側の主張も怪しい。麻薬を「大量破壊兵器」とするのも無理筋。要は「裏庭」の南米で反米を掲げる政権へのどう喝だ。それだけにとどまらない。埋蔵量世界一とされるベネズエラの石油や豊富な鉱物資源こそ真の狙いでは◆親米政権の下、破たん寸前に陥っている産業に米企業が投資して、権益を獲得する―。トランプ大統領のそろばん勘定はあけすけだ。利はあっても理のない「力による現状変更」の見本のような暴挙は「力無き者は従え」というメッセージ。不問に付せば弱肉強食の世界が広がってしまう。(信濃毎日新聞・2026/01/05)

 「何を血迷ったか」と溜め息を漏らしたくなるが、何のことはない「昔取った杵柄(きねづか)」だっただけ。お手の物だという意味です。就任一年目を過ぎようとしている段階で、ついに「本性(ほんしょう)」を剝き出しにしただけのこと。南米はアメリカの庭であるという勝手な寸法で、反米(反トラ)政権は叩き潰すという、これまでの悪事の再現でしかないのだが、それにしても「デモクラシー」や「ヒューマンライト」を売り物にしていた国柄だけに、落魄(おちぶ)れたものという印象しかわかない。自らに靡(なび)かない他国の権力者を、様々な手練手管を使って「政権転覆」させる・させてきた、このような米国の得意芸がいつから始まったか。おそらく、建国時からというほかありません。他人の土地にやってきて「これは自分のものだ」と宣言し、領土を広めていったのが今日の「星条旗国家」の源流(素性)(成り立ち)です。

 南北アメリカ大陸に陣取って、じっくりと「トランプ帝国」を築くと宣言していたのですが、それに服従しないいくつかの「政権」には、必ず復讐をするという誓いを、この暴力主義者は立てていたはずです。ある時期まで、アメリカは「世界の警察官」をもってに任じいたけれど、成果も上がらず金もかかるというので、「アメリカファースト」「アメリカオンリー」に先祖がえりをし、警察官をやめて「自国大事」を維持するために「略奪」「泥棒」に徹すると宣言したのが、2025年版「国家安全保障戦略(National Security Strategy : NSS)」だったでしょう。とにかく、その内容たるや、すごいことばかりで、「強いアメリカの復活」、そのためには各地域に出している出店をたたんで、南北アメリカ大陸に「閉じこもり」、そこから、強国復活の狼煙(のろし)を上げたわけです。アジアから手を引くから、日本と韓国で「対中国」に向かうべしという、そのための日本・韓国の防衛力強化であり、米国産武器の強制購入だった。言いなりになっていると、日本の防衛費は総計で20兆円を超え、30兆円になろうかという時期が迫っている(GDPの約5%)。

 強い経済だの強い国に、などと女性首相は粋がっているのも、このアメリカ「戦力」に巻き込まれている証拠でしょう。その結果、幸いなことに日本劣島から「駐留米軍」は引き上げる日も遠からず来る。真の「独立国家」になるためには、どなたにとっても願ったり適ったりのはずなんでしょうか。アメリカと「一蓮托生(We’re in the same boat)」で生きながらえると考えている向きもあるし、そうは問屋が卸さないわけで、その調子のいい「ただ乗り」安保にアメリカは業を煮やしていたわけでしょう。日本の国家主義者は「反共・親米」という、考えられない立場に矛盾を感じないままで、来ています。奇怪な現象です。つまり「日本主義者」は日本国は「独立」しなくてもいいという立場をとっているのですが、いずれ、いやおうなしに「反米」に向きを変えざるを得ない時が来ます。現段階が、その一歩となるのかもしれない。その時のための「防衛力強化」だと言ったらどうでしょうか。戦うべき相手は「中国」ではなく、「米国」なんだと、ぼくが愚説を述べてきた理由です。

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◎ ピッグスわん‐じけん【ピッグス湾事件】(スペイン語: Invasión de Bahía de Cochinos、英語: Bay of Pigs Invasion)= 1961年4月、米国がカストロ政権の転覆を狙ってキューバに侵攻した事件。CIAの支援を受けた亡命キューバ人部隊が、本島南岸のコチーノス湾に上陸したが、3日間の戦闘の末、キューバ軍に撃退され、作戦は失敗に終わった。ピッグス湾はコチーノス湾の米側の呼称。コチーノスはスペイン語で豚の意。/[補説]1959年1月のキューバ革命後、カストロ政権は東側諸国との連携を強め、社会主義的な改革を推進。産業を国有化し、米系企業の資産を接収したことから、米国は1960年1月、キューバとの国交を断絶した。侵攻作戦はアイゼンハワー政権下で計画され、ケネディ政権下で実行された。事件後、カストロは、キューバ革命が社会主義革命であったと宣言。ソ連との友好関係を深める中、1962年、同国への核ミサイル配備をめぐって米ソが対立するキューバ危機が起きた。(デジタル大辞泉)

◎ 米国のトランプ政権は12月5日、国家安全保障戦略を発表した(2025年12月15日記事参照)。トランプ政権2期目初の国家安全保障戦略、インド太平洋を地政学的戦場と位置づけhttps://www.jetro.go.jp/biznews/2025/12/49d0aa2bfa48d0ac.html) 地域別の戦略では、インド太平洋に対して、「既に、そして今後も、次世紀の主要な経済的・地政学的戦場の1つであり続ける」との認識を示し、「米国が繁栄するためには、われわれはこの地域での競争に勝利しなければならない」と記載した。中国に対しては、「経済関係を再調整し、相互主義と公平性を優先して、米国の経済的自立を回復させる」として、中国との貿易は機微な分野以外で行うべきとの認識を示した。略奪的経済慣行への対抗については、同盟国との連携の重要性を強調した。そのほか、インドに対しては、オーストラリア・日本・米国とのクアッドを通じた安全保障面での協力強化に言及した。 欧州に対しては、同地域が直面する危機として、EUやその他の超国家機関の活動による政治的自由と主権の侵害、大陸を変容させ紛争を生む移民政策、言論の自由の検閲と政治的反対勢力の弾圧、出生率の急落、国民的アイデンティティーと自信の喪失、などを指摘した。その上で、欧州は「戦略的・文化的に米国にとって依然として極めて重要」であるため、「われわれの目標は、欧州が現在の方針を修正するよう支援すること」と記載した。(⇙)

米通商専門誌インサイドUSトレード(12月5日)は、トランプ政権が発表した国家安全保障戦略に対して、「経済的圧力と外交を組み合わせ、他国に対して、米国が最良のパートナーであること、米国の商品・サービスが他国より優れていることを示し、西半球で米国を不利な立場に追いやろうとする国の影響力を弱めることを目的としている」と評価した。 一方で、首都ワシントンの政策動向に詳しいコンサルタントは、「中国とロシアがもたらす競争と国家安全保障上の課題は軽視されている」と指摘した(注)。例えば中国については、その影響力に対抗する姿勢を示しながらも、「敵対国」ではなく「準対等国」と位置付けていると指摘した。また本戦略は、「米国の外交政策に実質的な変化をもたらさない」とも指摘し、その理由に、指導的立場にある共和党議員が中国やロシアに対する扱いに反対していること、MAGA(Make America Great Again)連合内でも合意が得られていないことを挙げた。(注)ジェトロに対するメールでの報告(2025年12月8日)。

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「徒然に日乗」(962~968)

◎2026/01/04(日)午前中は、少したまっていた「燃やせるごみ」の焼却などをした。買いものをして驚くことは、あまりにも多くのプラスチック製品で何重にも包囲されているということだ。入れ物や包装などに、とにかく石油製品がふんだんに使われている。燃やせるものは可能な限りで自宅で償却してきたし、これからもそうするつもり。▶パソコンの問題に関して、新しいOSに関してはほぼ作業は終わったと思う。今現在、新旧2台のパソコン(OS)があり、今後ともそれを使い分けしながら、生かしていきたいと思っている。以前から見れば、メールなどの立ち上げも思った以上に簡単だった。結局、今のところ、2台のパソコンをつないでデータの移行をするために購入したリンクケ-ブルは使わないままできた。▶アメリカのベネズエラ攻撃の全貌がわかりつつある。端的に言えば、埋蔵量世界第一の石油資源の確保(略奪)のためということだった。それにしても、他国の指導者を拘束し、米国で裁判を受けさせるというのは、どう考えても現行の国際法等に照らしても正当性はない。また、他国のものを暴力的に「略奪する」の侵略であり、文字通りに「覇権主義」の典型だというべきだと思う。事態の推移を見誤りたくない。「米中露」で世界を蹂躙しようとしているようだ。米国は「乗り遅れたくない」という末の「ベネズエラ爆撃」だったと思う。(968)

◎2026/01/03(土)かみさんや娘たちは、片貝海岸にある親戚の別邸に出かけた。昨夜は心配したが、幸いに日差しがあり、道路の凍結は防げた。一か月以上前の気象庁予報では年末年始は「暖冬」になるそうだったが、正反対の「寒波」が列島を襲っている。▶「[ワシントン 3日 ロイター] – 米共和党のマイク・リー上院議員は3日、ルビオ米国務長官が『ベネズエラのマドゥロ大統領は米国で裁判にかけられ刑事責任を問われることになる』と語ったと明らかにした。/リー上院議員は『彼(ルビオ国務長官)は、マドゥロ氏が米国に拘束された今、ベネズエラでこれ以上の行動はないと予想している』とXに投稿した」(ロイター・2026/01/03)この米国の「犯罪」をどう見るか。世界は「覇権主義」に狂奔する「指導者」に乗っ取られている。その昔は「警察官」だったが、今や「盗人(泥棒)」に落魄(ぶ)れている。こんな蛮行を許してはならないだろう。(967)

◎ 2026/01/02(金)終日自宅に。かみさんと娘親子は近所の笠森観音に行くと言って出かけた。夕方の4時には境内に入れないということで、目的は達しなかったという。明日は、かみさんの姉の子(姪)夫婦(都内荒川区町屋在住)が九十九里・片貝海岸に別荘を所有しているので、そちらに出かけるという。小生は、本日同様に猫と留守番。ぜひともパソコンのデータ入れ替え作業を完成したいもの。▶午後9時過ぎ、いやに外が静かだと、戸を開けてみると、家の屋根が真っ白になっている。初雪ということだ。やけに寒いと思っていたが、予報通りの雪だった。明日の午前中には気温も上がり、凍結がないことを願っている(966)

◎2026/01/ 01(木)元日の朝。快晴を思わせる気温と空模様。▶午後1時半ころに、横浜の娘親子が来宅。二泊する予定とか。孫は中2で、剣道に励んでいるそうだ。身長はさらに伸びて、170㎝になろうかという。▶今日もパソコンいじりで時間を過ごす。リンクケーブル一本で簡単にデータの移行ができるという触れ込みだが、初心者にはなかなかの作業。前回はどのようにしてデータの移行処理をしたかすっかり記憶の外になっているが、その面倒くささだけは覚えている。おそらく、このような作業はすでに3回かそれ以上は経験しているはず。古いOSは相変わらず、容量一杯のシグナルを出すが、何とか胡麻化しながら、時間を稼ぐほかないだろう。昨夜、大阪のS君に電話。パソコンを動かすのにサインインに必要な「PIN」の設定がわからず、新しいパソコン(OS)の初期化(起動)がうまく行かない。彼も自分で設定したらしい暗唱番号(PIN)を忘れたらしい。なんとか、さしあたり、それなしでもOSを立ち上げることはできるので、焦らずにゆっくりと進めたい。(965)

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2025/12/31(水)午前中に買い物で茂原まで。さすがに大晦日だ、店内は大層混雑していた。しかし、以前とは異なり、三が日を待つまでもなく、多くの店は営業しているのが今日風。いい悪いは別にして、「正月の風物・風景」は実に陳腐なものになったし、ことさらに「正月の風」が吹く物でもなかろう。ただ、テレビ局ばかりは、まさしく「旧態依然」で、もはや「化石(petrification)」同然で、おそらくこのままで自然に消滅していくのだろう。こんな番組にスポンサー料を払う企業があるとなると、きっと「株主代表訴訟」などで提訴され、社長はじめ経営者の責任が問われることになるに違いない。それほどに劣悪な番組が目白押しだった、食事時の暫時、チャンネル操作していて痛感した次第。▶スーパーへの買い物ついでに、近くの電気ショップで、ストレージが満杯になったOSの入れ替えのためのリンクケーブルなるものを購入してきた。一本のケーブルで、旧パソコン(OS)から新規パソコン(OS )にデータ移行(移転)が簡単にできるという代物。次いで、新しいOSの立ち上げにかかったのだが、これがなかなかに厄介。ネットの接続で手間取って、本日は先に進めなかった。残りは明日以降で、まさに正月も何もあったものではないが、明日は娘が横浜から泊りがけで来るそうだ。何とか、明日中にはパソコンの「正常化」作業を終わりにしたいものだ。(964)

◎2025/12/30(火)年内の生ごみ収集は本日までとなっていたのに気が付かなかった。新年は5日(統治は6日)からだから、それまでは家で保管しておかなければならない。何かと気ぜわしいことが続いたので、すっかり確認するのを忘れたのと、そもそも今日は暮れの30日だということも、知ってはいたが、何時もの月末くらいにしか考えていなかった。▶お昼頃に茂原まで買い物。帰路、何時ものHCで、猫用ドライフードやティッシュぺーパーなどを購入。その際、猫の食品棚で一人の女性と出会った。ぼくよりはかなり若そう(70歳くらいか)だったが、猫用ドライフード(多頭飼育用)の大きな袋詰めを3つもカートに積んで、更に品物を物色されていた。「どのくらいいるんですか?」と尋ねたら、なんと「おそらく20数頭入るでしょう」という。「誰かが面倒を見なければ」と、ぼくと同じようなことを考える人がいることに感心した。連れ合いはなくなり、たった一人で面倒を見ていると。ここで、ぼくはさらに感心しきり。▶頼まれていた障子や襖張替を午前中に済まそうと思っていたところ、糊や刷毛などの用品が見当たらない。かみさんがどこかへ仕舞い込んだのかもしれぬ。探したが出てこないので、買い物に出かけた次第。本格的に張り替える時間もないし気分も乗らないので、最低限の補修だけにしておく。つまり「穴をふさぐ」だけ、引っかかれて剥がれところは少しは手を入れて、それでも今の障子本体は生かしておく。本格的な張替は年が明けてからということにした。猫たちの行儀が治ってくれるといいのだが。(障子と襖、総計24枚、なかなかの作業量、一日ではとても終わらない)(963)

◎2025/12/29(月)お昼前に買い物、茂原まで。急いで帰ってきた、理由はガス会社の人が故障している温水器の点検に来ることになっていたから。お昼過ぎに、隣町(市原市)の現場から駆けつけてくれた。温水器のパイプやつまり箇所の有無の点検と、温水器の電源のプラグを一度アンプラグにして、再度機械廻りの点検などの作業をした結果、なんと温水器は復旧したのだ。なぜ「警報音」まで響かせたのか、理由は判然とはしなかったが、とにかく温水器は「復旧」した。年末年始の数日間を「温水」なしで生活するのかと、一時は困惑したが、何とか大丈夫そう。年明けに点検と、ことによっては新規に取り換え工事をお願いした会社には、こういうこと(復旧)もあるからということは話しておいたので、年明けにでも連絡をして、当面は「現状維持」(で行けるだろう)と知らせたい。▶「核保有」発言や「台湾有事」答弁の行方(扱われ方)不透明になっている。当事者もマスメディアも「沈黙」しているが、それは「阿吽の呼吸」だろうと思われる。つまりは、内閣全体の意志の表れで、「戦争できる国」にしよう・したいという意図があるのだろうか。それぞれの個人の勝手な発言だったのだろうか。この問題に「アメリカ」の関与があるのかないのか。中国の「対日戦略」はさらに続くだろうことは確か。(962)

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覇権主義であり、ならず者の蛮行だ

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百壱)~ 民主主義の総本山であり、人権意識を広め高めた世界のリーダーと、自他ともに任じてきた、このかつての警察国家のなれの果てが、まさに覇権主義を地で行く蛮行の砦だったとは、ロシアや中国だって腰を抜かしているだろう。ロシアの「殺戮魔」は「これは侵略だ」と、自分を棚に上げて、「どうだ、侵略はいいもんだろう」と、米国野蛮商人に「大賛辞」を送っている。歴史は前後左右、上にも下にも、誠に融通無下に行き来するもので(実は人間どもが突き動かしているのだが)、一人の暴力支配派の権化のような人間が大統領になった途端に、国そのものまでもが「野蛮国」「覇権国家」になるという、世界の歴史に逆行する事態を生み出したのだ。これを「大逆事件」という。

 理屈と公約はどこにでもつく。何をどう言おうと、この暴力で出来上がっているマッチョは、とにかく「(人も物も)支配したがる」のだが、ここにきて、中国にもロシアにも挑戦するのは得策ではないと、ひたすら南北アメリカに視点を据えて、「帝国」建設に乗り出したのだ。理屈は何とでもいえる。我に歯向かうやつは許しておかぬといわぬばかりの、暴力体質をむき出しにして、まず「ベネズエラ」大統領を拘束したのだから、なんとブッシュ元大統領の蛮行であった「フセイン殺害(2016/12)」に瓜二つの愚挙に出たのだ。その究極の狙いは、世界最大とされる、ベネズエラの石油埋蔵量に目がくらんだのだが、表向きにはそうは言えないから「麻薬の米への持ち込み」とハードルを下げた結果が、今回の蛮行の決行であり、時代に逆行し、天に唾する「バーバリズム」の挙行だった。

 それにしても、この瘋癲老人大統領の愚かさ加減に「一言もない、従順な取り巻き連」というのだから、アメリカの精神も腐ったものだと思う。ぼくのところに来た、日本在住の米国詩人は、大のT大統領ファンだったが、その理由の第一が、「戦争を仕掛けたことがない(平和主義者ということか)」というご託宣だった。この程度なんですか、あなたは、と言いたかったがぼくはそこまでは言わなかった。現大統領の商売道徳は「強請(ゆすり)」と「集(たか)り」の二馬力で、ニューヨークの「悪徳不動産王」にのし上がったのだ。「不戦論者」というのは戯(たわ)けた妄想ではなかったか。

 世界の首脳たちは、ロシアの愚行に目も口も塞いで、はや四年になろうかという。今回もまた、遠巻きにしながら「X」でささやきつぶやいているのだろう。だらしないし、情けない。ぼくにすれば、目も当てられない「蛮人賛同主義者たち」だ。もちろん、ベネズエラ大統領は独裁者であり、暴力主義者だ、だから、それを暴力で封じようというのは、どういう理屈か。「目には目を 歯には歯を(lex talionis (レクス・タリオニス) )」というのはどういうときに「正当化」できるのだろうか。それぞれが勝手に自己正当化を図るための暴力行使、これぞまさしく「覇権主義」というべきだろう。こんな野蛮国家の尻馬に乗っていては、いずれ「蛮行は我に及ぶ」と知るべし。有史以来、初めてガラスの天井を破ったと、可哀そうにも有頂天になって狂ってしまった「奈良の女」は、このマッチョになんというか。身も心も預けるのか。それでは「国民」の立場がないではないか。ここでこそ「一言あってしかるべし」と断じておきたい。

米国がベネズエラを攻撃、マドゥロ大統領を国外へ移送 トランプ氏 (CNN) トランプ米大統領は3日早朝、「ベネズエラに対する大規模攻撃」を実施したと発表し、マドゥロ大統領と妻は身柄を拘束され国外へ移送されたと明らかにした。/トランプ氏は自身のSNSトゥルース・ソーシャルに、「米国はベネズエラとその指導者マドゥロ大統領に対する大規模攻撃を成功裏に実施した。マドゥロ氏は妻とともに身柄を拘束され、空路で国外へ移送された」と書き込んだ。/作戦は米国の法執行機関と共同で実施されたとも述べ、米国時間午前11時にフロリダ州の邸宅マール・ア・ラーゴで記者会見を開くと付け加えた。/トランプ氏は発表の直後、米紙ニューヨーク・タイムズとの短い電話インタビューで「多くの優れた計画と大勢の素晴らしい兵士、素晴らしい人々」に言及し、「実際、見事な作戦だった」と称賛した。/タイムズ紙によると、トランプ氏は今回の攻撃について議会承認を求めたかとの質問には答えず、記者会見で説明すると述べたという。(CNN・2026.01.03 Sat posted at 20:55)
ベネズエラ首都で複数の爆発 カラカス(CNN) CNN取材班は3日未明、ベネズエラ首都カラカスで複数の爆発を目撃した。市内の一部地域では停電が発生した。/最初の爆発は現地時間午前1時50分(米東部時間午前0時50分)ごろに記録された。/CNNエスパニョールのオスマリー・エルナンデス特派員は、「爆発は非常に強く、爆発後に窓が揺れた」と伝えた。/市内の複数の地域で停電が発生し、カラカスにいたCNNの記者らは、爆発後に航空機の音を耳にした。
爆発の原因は不明。
CNNが入手し検証した動画には、2本の煙の柱が立ち上る様子が映っている。1本の煙の下にオレンジ色の光が見えたあと、別の場所で一瞬閃光が走り、鈍い轟音が響いた。/ベネズエラの報道機関は、カラカス北部で同国沿岸部のラ・グアイラ州、ミランダ州沿岸部の都市イゲロテでも爆発音が聞こえたと報じている。/トランプ米大統領は、ベネズエラの麻薬取引を行っているとされる組織に対して新たな措置を講じる準備を進めており、地上攻撃は「間もなく」開始されると再三警告している。/トランプ氏は昨年10月、南米諸国からの不法移民や麻薬の流入を取り締まるため、中央情報局(CIA)がベネズエラ国内で活動することを承認したと述べた。/CNNはホワイトハウスにコメントを求めている。(2026/01/03 Sat posted at 16:25)(ヘッダー写真「爆発後に低空飛行の航空機の音が聞こえ、ラ・カルロタ空港で煙が立ち上った=3日、ベネズエラ首都カラカス/Matias Delacroix/AP」)

◎ 覇権= 覇者としての権力を指し,英語ではヘゲモニーhegemony。一つの国が軍事力,経済力,政治力,あるいは天然資源の豊かさなどにおいて他の国々を圧倒するものを持ち,一定の原理・原則をもって国際的なシステムを創造し,またそれを維持しようとすることをいう。そうした意思と能力を有する国家を覇権国と呼び,こうした超大国への批判として〈覇権主義〉ということばが,米ソを念頭において1970年代から中国の用語法にもとづいて使われるようになった。この概念を歴史的にさかのぼって適用して国際政治を見れば,このような覇権国が存在し,国際的に覇権システムが形成されると国際システムが安定するというのが覇権安定説で,古代のパクス・ロマーナ(ローマの平和),近代の英国のパクス・ブリタニカ,米国のパクス・アメリカーナなどがその例として挙げられる。これに対して,複数の主要な国々が共同で,国際的な覇権体制を保持し,問題領域ごとの国際レジーム(枠組み)を形成することによってより安定的な国際システムが保持されるとする考え方があり,1970年代以降の米国の経済的地位の相対的低下のなかで,いかに国際的な安定を維持し得るか,という問題意識から議論がなされた。冷戦後の現代においては唯一の覇権国たる米国の外交政策を論ずる際のキイワードとなっている。(百科事典マイペディア)

◎ ていこく‐しゅぎ【帝国主義】〘 名詞 〙 ( [英語] imperialism の訳語 ) 一つの民族または国家が、政治的、経済的に他民族または国家を支配して強大な国家をつくろうとする運動。 一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて独占的な段階に達した資本主義をいう、レーニンの用語。独占および金融資本の支配が形成されると、資本輸出が圧倒的となり、世界的規模で国際カルテルが形成されて、領土の分割をめぐって強国間の競争が激化する状況をいう。(精選版日本国語大辞典)

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私の目にはじめてあふれる獣の涙

【卓上式】真新しいページ 手持ちぶさたになり、歳時記を開くことがある。四季折々の項目を気ままに眺めるだけで発見がある▼新年の句で「初日記」という季語を知った。日記帳や手帳のまっしろなページに新しい年の初心を記す。どことなくすがすがしい情景を想像させる。<初日記いのちかなしとしるしけり>久保田万太郎▼作家の辻邦生(くにお)は1969年の正月、パリに滞在し、長編を執筆していた。40代半ばの辻は街を歩き、人と語らい、思索にふけり、ペンを走らせる。元日の日記には<「生のよろこび」を深く豊かに味わうこと>の一節があった。人間という陰影に富む存在を肯定し、作品として表現する。辻のスタンスを示す記述だった▼身の回りのできごとを淡々と簡潔に書き続ける流儀もある。詩人の石垣りんが典型だろう。昨年公刊された「石垣りんの手帳」は、彼女の長年の日記を写真版で見せる。勤務先の銀行が毎年配った小ぶりの手帳。読みやすく丁寧な鉛筆の字が、市井で暮らした詩人の人柄を伝える▼74年元日は<晴天 10時起きる。年賀状252通…おぞうにご馳走になる>。神社で引いたおみくじは<小吉>。深夜まで年賀状の版木(はんぎ)彫りと刷りに励む。こうした日常の繰り返しから詩が紡がれた▼2026年が幕を開けた。みなさんの真新しいページはどんなことばで始まっただろうか。(北海道新聞・2026/01/03)

 ぼくはあらゆることにおいて「三日坊主」であることでは人後に落ちないと思ってきました。ことに「日記」などというものは長続きしたためしがない。その理由は単純で、「書くことがない」からです。毎日毎日、その時々にはいろいろな出来事が起こるのでしょうが、それにいちいち反応していては身が持たない。ようするに、煎じ詰めれば「凸凹はあっても、毎日が同じようなことの繰り返し」となると、こと改めて、「さて、今日はこんなすごいことがありました」「あんな嫌なことがあったのです」などとわざわざ書き留める意味もないようなことばかりが続きます。だから「書くことがない」のですよ。

 チャ-リー・チャップリンの言葉を思い出します。「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」という箴言(proverbs)は、人生のどんな状況について述べたことでしょうか。

 コラム「卓上四季」に出てくる人物で言うなら、ぼくは断然、石垣りん派でした。こんなことが、あんなことが…」と書いておけば、それはそれで備忘録にはなるでしょうが、他人様に読んでいただくようなもの、お見せするようなものとは到底考えられません。若いころは、一人の作家や文学者のすべて、つまり、昔風に言うなら「断簡零墨(だんかんれいぼく)」をことごとく読んでみたいという気になりかけたことがありましたが、よく考えるまでもなく、「つまらないこと、そんなことに時間をとるのか、君は」と誰かに諭されたように、ぼくはすっかりその意欲を挫(くじ)かれたことでした。「断簡」とは「きれぎれになって残っている文書・書簡。文書の切れはし」であり、「零墨」とは「一滴の墨」、つまりは紙片のかけらということです。

 ようするに「書物の欠片やちょっとした書き物のこと」とするなら、そこに一体作家や文学者のどんな思想や姿勢が書かれているか、極めて怪しいものでしょう。石垣さんの「零墨」たる「74年元日は<晴天 10時起きる。年賀状252通…おぞうにご馳走になる>」という「徒然(つれづれ)草」はどうでしょう。まるで「のぞき趣味」を満足させるような「欠片」に出会って、りんさんも「こんなことに興味があったのか」と驚くか、詩人といえども「市井の人」だったと知って共感するか。それにしても石りん(1920-2004)という詩人をぼくたちは知りえたことにこそ、彼女の隠しようのない存在の価値があったのですね。左上に引いた「折々のことば」中の「切ない、ということばの重みは、心の中のどの部分に寄りかかろうとするのでしょうか」という一行に、彼女の神髄の一端があるように思われます。今日風に言えば「中学卒」から60年間、家族の生活を支えながら、それこそ詩作に励んだ。この「強さ」というか、「潔さ」が、静かなうちに石垣さんに「大人(たいじん)の気風」を培ったように僕は考えます。かなり昔に、彼女の「生活史」を読んでいて、ぼく自身も身につまされたことがあります。

 何でもない嘆きのように漏らす「納められる税金を『せつなく』受け取って、大事に使ってくれる施政者はいないのでしょうねえ」というりんさんの、優しそうに聞こえる「寸言(epigram)」にぼくは心打たれます。彼女の漏らす「短い言葉。短いが意味の深い言葉」こそが、石垣さんの詩の魂だったかとも思われてきます。家族、ことに両親との葛藤に深く傷つきながら、その「深手(ふかで)」を詩作によって癒し続けて、生きてきた詩人の作品を、時に読んでは読者その人がまた、日日の生活から受ける深手を労(いた)わることに、石垣りんとのある種の会心の「出会い」を覚えないでしょうか。

    食わずには生きてゆけない。
    メシを
    野菜を
    肉を
    空気を
    光を
    水を
    親を
    きょうだいを
    師を
    金もこころも
    食わずには生きてこられなかった。
    ふくれた腹をかかえ
    口をぬぐえば
    台所に散らばっている
    にんじんのしっぽ
    鳥の骨
    父のはらわた 
    四十の日暮れ
    私の目にはじめてあふれる獣(けもの)の涙。(「くらし」石垣りん

◎ 石垣りん【いしがきりん】= 詩人。東京都生れ。高等小学校卒業。1934年に14歳で日本興業銀行に就職して家族の暮らしを支え,詩作を続けながら定年(1975年)まで勤務した。1938年同人雑誌《断層》創刊に参加。日常語を用い,働く女性を描いた詩や,戦争体験に基づく社会性のある作品を発表した。68歳まで《歴程》同人。主な著書に詩集《私の前にある鍋とお釜と燃える火と》(1959年),《表札など》(1968年。H氏賞受賞),《石垣りん詩集》(1971年。田村俊子賞受賞),エッセー集《ユーモアの鎖国》(1973年),《焔に手をかざして》(1980年),《夜の太鼓》(1989年)などがある。(百科事典マイペディア)

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