【春秋】今年は「クマのプーさん」が英国で刊行されてちょうど100周年。時代を超えて愛されてきた物語は、風刺雑誌の編集者を務めながら詩や戯曲も手がけた作家ミルンが、幼い息子クリストファー・ロビンのためにつづった童話である▼プーさんのモデルは息子が手放さないクマのぬいぐるみ。相棒の少年には息子の名を付け、100エーカーの森を舞台に、蜂蜜大好きなプーと仲間たちの冒険が生まれた▼のんびり屋のプー、ぼやきがちなロバのイーヨー、跳ね回る虎のトラー(ティガー)。昭和世代は石井桃子さんの訳に親しみ、多くの子どもはディズニーアニメを楽しんできた。よく知られている物語の一つが「何もしないこと」を巡る話だ▼ロビンとプーは森を歩きながら、どんなことをするのが世界中で一番好きかについて語り合う。「ぼくがいちばんしてたいのは、なにもしないでいることさ」とロビン。考え込むプーに「ぼくたちがいまやってること」だと教えて、「ただブラブラ歩きながらね、きこえないことをきいたり、なにも気にかけないでいることさ」と語りかける▼久々に読み返すと、こちらの肩の力がふっと抜ける。何かと効率優先な、情報過多で落ち着かない日常に暮らしているからだろうか▼何もしないことを「する」って何だろう。まるで禅問答のようだ。とりあえず、ただぶらぶら歩いてみようか。冬の光を浴びてのんびりと。(西日本新聞・2026/01/18)

「テディベアー」の人気は衰えていないでしょうか。現実の世界では、まるで「目の敵」のように忌み嫌われているのですが、熊の扱われ方も洋の東西では大違いなのか、それとも、この極東の小島の今日ただ今の状況が異常であるということなのでしょうか。ぼくの家にも「クマのプーさん」は何冊かありました。今も書庫に置かれているはずで、子どもが三歳のころから、少しずつ集めだした絵本で、わが家の常備作品となってきたのでした。

本日のコラム「春秋」氏が指摘されているのは「ぼくがいちばんしてたいのは、なにもしないでいることさ」という哲学のような主題でした。「ただブラブラ歩きながらね、きこえないことをきいたり、なにも気にかけないでいることさ」という、「無為(むい)の為(い)」。作者のミルンはどこからこのような「態度(思想)」を自分に取り入れたのでしょうか。それを語るとなると、かなり面倒な理屈がいりそうですが、「何もしないことがしたいこと」という「思想」に反しますので、ここではしません。空(くう)であり、空(くう)であることそれが「実体(=本質)」という哲理ですね。ぼくは、学校の教師は「教室にいるのにいない」存在なんだと、長年にわたり言い続けていました。一種の「黒子・黒衣(くろご)」のような存在です。歌舞伎などの「見えない存在の舞台回し役」であり、しばしば「表に出ないで物事を処理する人。陰で支える人」(デジタル大辞泉)をいう。教師は教える人ではなく教えない人という役回りを指していました。自分は教師であるなら、「何もしない人」として教室にいるのですね、いなければ、教室が成り立たない、そんな教師であってほしいと願ってきました。これが、おそらく本物の教師ですね。目立ちすぎる教師は、まやかしですよ。
その「無為」ということです。半分は冗談のようですけれど、ぼくは「無為徒食」を絵にかいたような生活にある種の憧憬を持ち続けていました。昔風に言うなら「穀潰(こくつぶ)し」ですね。今はどうでしょうか。半ばは「無為」であり、半ばは「小食」ですから、まあまあの境地にあるのかもしれません。もちろん、あくまでもの「自己評価」です。「何もしない」ことと「そこにいるだけ」とは、ぼくには同じことのようにも思われてきます。昨日の佐賀新聞のコラム「有明抄」に、とても大切な視点が示されていました。「何もしないこと」と「いてくれること」は別次元であると同時に同次元でもあるという「証拠」のような記述でした。それを指摘されたのは、ぼくが常に敬愛していた精神科医の中井久夫さん(1934~2022)だったことも示されていました。「(全国からの応援部隊である医師たちは)その場に『いてくれる』、ただそれだけのことが、どれほどみんなの支えになるか、(医師たちは気づいたという)◆そんなふうに医療チームをまとめ上げた精神科医、中井久夫さんは書いている。災害は〈中心地から遠ざかるにつれて、被災が見えなくなる。被災は、こうむるものでなく、見に行くもの、見物の対象になる〉と」、「いてくれること」のこの上ない大切さの指摘でした。
【有明抄】いてくれること 添える。手を添える、ことばを添える…。県内で長年、看護師として働いた86歳の女性は、この「添える」という言葉を大切にしてきたという。患者だけでなく、ひととの向き合い方にも通じる気がした◆31年前。阪神大震災の直後、全国から医師たちが救援に駆けつけた。混乱した現場では、地元の大学病院のスタッフが患者にかかりきり。せっかくの応援部隊になかなか出番が回ってこない。長い待機時間に不満の声が上がり始めたとき、話し合いが持たれた◆被災地支援に欠かせないのは「いてくれること」。余力のある救護者が後方に控えている安心感があってこそ、最前線のスタッフは全力を使い果たせる。その場に「いてくれる」、ただそれだけのことが、どれほどみんなの支えになるか、医師たちは気づいたという◆そんなふうに医療チームをまとめ上げた精神科医、中井久夫さんは書いている。災害は〈中心地から遠ざかるにつれて、被災が見えなくなる。被災は、こうむるものでなく、見に行くもの、見物の対象になる〉と。歳月とともに「いてくれる」存在はどこにもいなくなってしまう◆ことしも追悼の日がすぎた。各地で相次ぐ自然災害に身を震わせる日々。おもいを添える、ちからを添える…。そっと、わが身を添えるように気配を伝える。そんな寄り添う気持ちを新たにしたい。(桑)(佐賀新聞・2026/01/18)

「いてくれるだけ」「そこにいるだけ」、それでいいという意味が分かるでしょうか。さらに言うなら、遠く離れていても、気に留めてくれている、思ってくれている、いっしょに嘆き悲しんでくれる人がいる、そう思うだけで、すでになにがしかの役割を果たしていると、ぼくはずっと考えてきました。いばしば、生まれたばかりの赤ちゃんに「生まれてくれてありがとう」という人(親)がおられます。また、大きくなって「産んでくれてありがとう」と親に語り掛け、感謝する子どももいます。(もちろんその反対もあります)ここでぼくが言いたいのは、「存在する」ということの意味です。「いる」と考えるだけで、元気が出るなら、その存在には肯定的な意味があるということでしょう。「生きているなら、何かをせよ」というのも人間存在を判断する尺度になります。でも「いるだけ」「いると、思うだけ」でもなにがしかの働きがある、そんな「思想(態度)」が「クマのプーさん」にあるということの、昔日の発見、それをまた再発見したということです。
ここまで来た時、ぼくにはもう「般若心経」のイロハを語る必要もなくなった気がします。「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」です。飛躍しすぎだといわれそうですが、これもまたプーさんの(言わず語らずの)教えだったと思うと、クマのプーさんにお礼を言いたくなるし、「目の敵にされている」劣島の熊たちの身の上に繰り返される悲劇が、これ以上に起こらないことを祈るばかりです。「いるだけでいいんだ」ということは、「いてくれたこと」をも含むでしょう。「あなたが生きていたこと」にこそ意味があると、いつだって、だれかにいえるようになりたいと思う。一人でも多くの人に、そのように言えますように。
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◎ アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne, 1882年1月18日 – 1956年1月31日)は、イギリスの児童文学作家、ファンタジー作家、推理作家、詩人、劇作家。日本では童話、童謡の作品が有名。代表作は『クマのプーさん』シリーズ、『赤い館の秘密』など。概略:子供時代、H・G・ウェルズに教えを受け、大きな影響を受ける。彼はミルンの父の経営するロンドンのヘンリーハウス校に理科の先生として赴任していた。パブリックスクールのウェストミンスター・スクールおよびケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、学生時代から学内誌に詩や随筆を投稿し、作家を志す。大学在学中から英国のユーモア漫画誌『パンチ』に投稿し、後には編集助手となった。その後、作家として独立。第一次世界大戦では通信将校として従軍している。1913年、ドロシー・ド・セリンコート(ダフネ)と結婚。1920年、1人息子、クリストファー・ロビン・ミルン(1920年8月21日 – 1996年4月20日)が生まれる。かの有名な『クマのプーさん』はクリストファーのために書かれた。(以下略)(Wikipedia)

◎ クマのプーさん(くまのぷーさん】(Winnie-the-Pooh)= A・A・ミルンの童話集。1926年刊。クリストファー・ロビンの部屋に集まるクマのプーをはじめとする縫いぐるみたちの物語。登場者たちは、それぞれ生き生きとした個性をもち、彼らが森の中で繰り広げる物語の世界は、子供たちが入り込んでともに遊べる、不思議に楽しい現実感にあふれている。ことば遣い、素材、構成など、詩作や劇作で磨いた作者のみごとな表現力に、風景画家アーネスト・シェパードによるユーモラスで物語性豊かな絵が加わって、子供にも大人にも愛される児童文学の傑作。続編に『プー横丁にたった家』(1928)がある。初訳は1940年(昭和15)石井桃子による。(日本大百科全書ニッポニカ)

◎色即是空 空即是色(しきそくぜくうくうそくぜしき)= 玄奘訳『般若心経』中の文句。現代語訳すると,「およそ物質的現象というものは,すべて実体がないということである。およそ実体がないということは物質的現象なのである」となる。「色即是空」が説かれるわけは,人が物質的現象に執着しがちであることを裏面から述べるものである。人は自己に執着し,自己の所有していると考えるものに執着している。ところがよくよく考えてみれば,それらにはなんら実体というものがない。自己に属していると愛着しているものを失えば,それは憂いを生じることとなる。しかし愛着することなく,執着することのない者にとっては憂いも悲しみも存在しない。「色即是空」とは,物質的現象には実体がないということを無限に観察すべきことを教えるものである。しかし一方では「実体がない」と観察しているうちに,ややもすると虚無主義に陥る危険性が生じてくるおそれがある。そこで「空即是色」と続いて説いて,虚無主義に陥るのを避けているのであろう。(ブリタニカ国際大百科事典)
◎色即是空 空即是色 = … 内容は,表題のとおり,広大な般若経典の心髄をきわめて簡潔にまとめたもので,観自在菩薩(観音)が般若波羅蜜多(完全なる智慧)の行を修めて五蘊(ごうん)(存在の五つの構成要素)が空(無実体)であると悟ったことから説き起こし,仏弟子舎利子に対し,いっさいの存在が空であることを説き,最後に真言を説いている。とくに物質的存在は無実体であり,無実体なるものが物質的存在であるという意味の〈色即是空,空即是色〉という文句はよく知られる。サンスクリット原典は古くから日本に伝えられ,とくに法隆寺に伝わる小品の貝葉(ばいよう)(609年将来)は貴重な文化財となっている。(世界大百科事典・旧版)
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「徒然に日乗」(976~982)

◎ 2026年01月18日(日)本日も好天が続く。来週中ごろ以降には「寒波襲来」と予想されている。まったく雨も降らない関東地方や劣島各地では次々に山火事や民家の火災が続いている。好天が続くことに不満はないが、乾燥状態が異様な状況になっているのが心配だ。▶昼前に買い物で、茂原まで。途中で車のタイヤの劣化具合を見てもらいに行った。先日、ローテーション(タイヤの入れ替え)をしたばかり。この4月に車検を迎えるが、それまでにタイヤが持つかどうか。4月期限の車検を2月にやってもらうことにしてきた。おそらくタイヤ交換をしなければならないと思う。今回で7回目か8回目の車検になるはず。▶ついで、近所にある電気量販店でパソコンのモニターを見に行ったが品物が全くなくなっているのには驚いた。今はよほどでない限り(ゲームをするとか)は大きな画面のモニターを必要とする人はいないということだろう。▶夜には「新党」問題のネット番組を見たが、さてどういう具合になるのか。(982)

◎ 2026年01月17日(土)日差しも強く、快晴(好天)の一日だった。終日自宅にとどまり、パソコンをいじっていた。▶「中道改革連合」という新党の話題で持ち切り。まだ話が表面化したばかり段階。どれだけの塊(議員数)ができるか、よくわからないので、確たることは言えないが、新党立ち上げが、「連立政権」側を刺激したことは事実。物価対策(消費税の低減化、税率零化)や「政治と金」問題で、当座をしのぐための「売り(人気取り政策)」を出すだろうが、端からそれは「付け焼刃」であることがわかるもので、人気取りに走るだけ、焦りや不安が充満している証拠だと映る。あらゆる「不都合」を覆い隠す「目くらまし解散」であり、それに気を取られる有権者がどれくらいいるかという話。最後は有権者の「能力(知性)」の質が問われるだろう。現状がだらだら続く気配は濃厚だろう。(981)
◎ 2026年01月16日(金)昨日よりさらに好天だった。3月頃の陽気が続くが、もう一度寒波がやってこることは間違いないようだ。▶昼前に近所の薬屋(昨年11月に開店した薬屋経営のスーパー)で天然水(2ℓ×6×10)購入。▶帰宅後、パソコンの新規ソフトなどの調整をした。これまでにも2台のパソコンを動かしていたが、十分に使い切れていなかった。今後は、その点を踏まえて、何とか新機軸を出していきたい。▶国会解散を前に立民と公明が「中道改革連合」という新党(衆議院のみ)を立ち上げた。この先の展望は現段階では見通せないが、じり貧続きの野党に一つのまとまりができたことは歓迎すべきだが、さて…。(980)

◎ 2026年01月15日(木)やや風があったが、終日晴天が続く。▶お昼前に買い物で茂原まで。相変わらずの物価高騰、その勢いは留まるところを知らないようだ。円安、物価高、長期金利の2%越え等々、日本経済のインフレーションはどうなるのか、いずれ、史上最高値で浮かれている株式も大きく下がるかもしれない。にもかかわらず、この不況のさなかに「衆議院解散」という最悪の選択。大雪が舞い、方々で雪害に襲われているさなか、いったい、首相はどこを見、何を見て「解散」を打つのか。自分のことしか考えない無能で嘘つきの人間が最高位につくとこうなるという見本。加えて、立憲と公明が「新党」を立ち上げるという。その行方はどうなるか。政局の中に政局が重なる、令和8年の冬真っ盛りの状況。(979)
◎ 2026年01月14日(水)午前中に郵便局に行き、大阪のS君にOS代金(主としてSSD)の郵便振り込みをしてきた。夕食前から、新しいOSの立ち上げ作業を始めたが、何とか終わりそうだ。それにしてもほんの数年で同じウィンドウズでも様変わりしているのに驚く。方々にAIが入っているのも、ぼくには気に入らないが、時代の要請なのだろう、致し方ない。▶1月23日開幕の国会冒頭の衆議院解散が本決まりの様子。首相になった途端、どうしてこうも解散をしたがるのだろうか。もちろん、少数与党である政権安定を図るということだろうが、要は「総理の椅子」を離れたくないというだけのこと。たったこれだけのことで国税670億余も使うのだから、朴念仁ばかりの政治家であっていいはずもないが、こればかりはもう手遅れという気もしている。(978)

◎ 2026年01月13日(火)お昼前に市原のHCまで。自宅の給湯器の取り換えを実施するための商品選びと、工事の契約のため。工事実施日は2月5日予定。帰り際には同じ敷地内にあるスーパーで買い物。初めて入店したが、いつものスーパーよりもかなり安い価格設定となっていたのに驚く。まさに「大量販売」による安値設定であったと思う。かなりの混雑状態だったが、その理由がわかるように思った。(977)
◎ 2026年01月12日(月)午前11時半ころにF君を迎えに土気駅まで行く。もう何度目だろうか、誉田駅前の老人ホームに入居されている祖母の見舞いがてらに拙宅に来るのだが、すでに年中行事になった感がある。いっしょに少しばかり買い物をして帰宅。帰宅後、雑談の途中で八王子在住のIさん(都の特別支援学校勤務)とラインで交流。加えて、長野のO君(ここ数年は、病気療養中)も参加、さらに北海道のF君(北大大学院に在学中、企業経営者)も加わり、例によって、電話での同窓会のようになった。他愛無い話で、なんと三時間も四時間も費やし、午後5時半の電車でF君は帰宅。明日からは、学校だそうだ。彼女は都下公立中学校の社会科教員。(976)
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