Doing nothing is what I do!(「色即是空」)

【春秋】今年は「クマのプーさん」が英国で刊行されてちょうど100周年。時代を超えて愛されてきた物語は、風刺雑誌の編集者を務めながら詩や戯曲も手がけた作家ミルンが、幼い息子クリストファー・ロビンのためにつづった童話である▼プーさんのモデルは息子が手放さないクマのぬいぐるみ。相棒の少年には息子の名を付け、100エーカーの森を舞台に、蜂蜜大好きなプーと仲間たちの冒険が生まれた▼のんびり屋のプー、ぼやきがちなロバのイーヨー、跳ね回る虎のトラー(ティガー)。昭和世代は石井桃子さんの訳に親しみ、多くの子どもはディズニーアニメを楽しんできた。よく知られている物語の一つが「何もしないこと」を巡る話だ▼ロビンとプーは森を歩きながら、どんなことをするのが世界中で一番好きかについて語り合う。「ぼくがいちばんしてたいのは、なにもしないでいることさ」とロビン。考え込むプーに「ぼくたちがいまやってること」だと教えて、「ただブラブラ歩きながらね、きこえないことをきいたり、なにも気にかけないでいることさ」と語りかける▼久々に読み返すと、こちらの肩の力がふっと抜ける。何かと効率優先な、情報過多で落ち着かない日常に暮らしているからだろうか▼何もしないことを「する」って何だろう。まるで禅問答のようだ。とりあえず、ただぶらぶら歩いてみようか。冬の光を浴びてのんびりと。(西日本新聞・2026/01/18)

「テディベアー」の人気は衰えていないでしょうか。現実の世界では、まるで「目の敵」のように忌み嫌われているのですが、熊の扱われ方も洋の東西では大違いなのか、それとも、この極東の小島の今日ただ今の状況が異常であるということなのでしょうか。ぼくの家にも「クマのプーさん」は何冊かありました。今も書庫に置かれているはずで、子どもが三歳のころから、少しずつ集めだした絵本で、わが家の常備作品となってきたのでした。

 本日のコラム「春秋」氏が指摘されているのは「ぼくがいちばんしてたいのは、なにもしないでいることさ」という哲学のような主題でした。「ただブラブラ歩きながらね、きこえないことをきいたり、なにも気にかけないでいることさ」という、「無為(むい)の為(い)」。作者のミルンはどこからこのような「態度(思想)」を自分に取り入れたのでしょうか。それを語るとなると、かなり面倒な理屈がいりそうですが、「何もしないことがしたいこと」という「思想」に反しますので、ここではしません。空(くう)であり、空(くう)であることそれが「実体(=本質)」という哲理ですね。ぼくは、学校の教師は「教室にいるのにいない」存在なんだと、長年にわたり言い続けていました。一種の「黒子・黒衣(くろご)」のような存在です。歌舞伎などの「見えない存在の舞台回し役」であり、しばしば「表に出ないで物事を処理する人。陰で支える人」(デジタル大辞泉)をいう。教師は教える人ではなく教えない人という役回りを指していました。自分は教師であるなら、「何もしない人」として教室にいるのですね、いなければ、教室が成り立たない、そんな教師であってほしいと願ってきました。これが、おそらく本物の教師ですね。目立ちすぎる教師は、まやかしですよ。

 その「無為」ということです。半分は冗談のようですけれど、ぼくは「無為徒食」を絵にかいたような生活にある種の憧憬を持ち続けていました。昔風に言うなら「穀潰(こくつぶ)し」ですね。今はどうでしょうか。半ばは「無為」であり、半ばは「小食」ですから、まあまあの境地にあるのかもしれません。もちろん、あくまでもの「自己評価」です。「何もしない」ことと「そこにいるだけ」とは、ぼくには同じことのようにも思われてきます。昨日の佐賀新聞のコラム「有明抄」に、とても大切な視点が示されていました。「何もしないこと」と「いてくれること」は別次元であると同時に同次元でもあるという「証拠」のような記述でした。それを指摘されたのは、ぼくが常に敬愛していた精神科医の中井久夫さん(1934~2022)だったことも示されていました。「(全国からの応援部隊である医師たちは)その場に『いてくれる』、ただそれだけのことが、どれほどみんなの支えになるか、(医師たちは気づいたという)◆そんなふうに医療チームをまとめ上げた精神科医、中井久夫さんは書いている。災害は〈中心地から遠ざかるにつれて、被災が見えなくなる。被災は、こうむるものでなく、見に行くもの、見物の対象になる〉と」、「いてくれること」のこの上ない大切さの指摘でした。

【有明抄】いてくれること 添える。手を添える、ことばを添える…。県内で長年、看護師として働いた86歳の女性は、この「添える」という言葉を大切にしてきたという。患者だけでなく、ひととの向き合い方にも通じる気がした◆31年前。阪神大震災の直後、全国から医師たちが救援に駆けつけた。混乱した現場では、地元の大学病院のスタッフが患者にかかりきり。せっかくの応援部隊になかなか出番が回ってこない。長い待機時間に不満の声が上がり始めたとき、話し合いが持たれた◆被災地支援に欠かせないのは「いてくれること」。余力のある救護者が後方に控えている安心感があってこそ、最前線のスタッフは全力を使い果たせる。その場に「いてくれる」、ただそれだけのことが、どれほどみんなの支えになるか、医師たちは気づいたという◆そんなふうに医療チームをまとめ上げた精神科医、中井久夫さんは書いている。災害は〈中心地から遠ざかるにつれて、被災が見えなくなる。被災は、こうむるものでなく、見に行くもの、見物の対象になる〉と。歳月とともに「いてくれる」存在はどこにもいなくなってしまう◆ことしも追悼の日がすぎた。各地で相次ぐ自然災害に身を震わせる日々。おもいを添える、ちからを添える…。そっと、わが身を添えるように気配を伝える。そんな寄り添う気持ちを新たにしたい。(桑)(佐賀新聞・2026/01/18)

 「いてくれるだけ」「そこにいるだけ」、それでいいという意味が分かるでしょうか。さらに言うなら、遠く離れていても、気に留めてくれている、思ってくれている、いっしょに嘆き悲しんでくれる人がいる、そう思うだけで、すでになにがしかの役割を果たしていると、ぼくはずっと考えてきました。いばしば、生まれたばかりの赤ちゃんに「生まれてくれてありがとう」という人(親)がおられます。また、大きくなって「産んでくれてありがとう」と親に語り掛け、感謝する子どももいます。(もちろんその反対もあります)ここでぼくが言いたいのは、「存在する」ということの意味です。「いる」と考えるだけで、元気が出るなら、その存在には肯定的な意味があるということでしょう。「生きているなら、何かをせよ」というのも人間存在を判断する尺度になります。でも「いるだけ」「いると、思うだけ」でもなにがしかの働きがある、そんな「思想(態度)」が「クマのプーさん」にあるということの、昔日の発見、それをまた再発見したということです。

 ここまで来た時、ぼくにはもう「般若心経」のイロハを語る必要もなくなった気がします。「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」です。飛躍しすぎだといわれそうですが、これもまたプーさんの(言わず語らずの)教えだったと思うと、クマのプーさんにお礼を言いたくなるし、「目の敵にされている」劣島の熊たちの身の上に繰り返される悲劇が、これ以上に起こらないことを祈るばかりです。「いるだけでいいんだ」ということは、「いてくれたこと」をも含むでしょう。「あなたが生きていたこと」にこそ意味があると、いつだって、だれかにいえるようになりたいと思う。一人でも多くの人に、そのように言えますように。

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◎ アラン・アレクサンダー・ミルン(Alan Alexander Milne, 1882年1月18日 – 1956年1月31日)は、イギリスの児童文学作家、ファンタジー作家、推理作家、詩人、劇作家。日本では童話、童謡の作品が有名。代表作は『クマのプーさん』シリーズ、『赤い館の秘密』など。概略:子供時代、H・G・ウェルズに教えを受け、大きな影響を受ける。彼はミルンの父の経営するロンドンのヘンリーハウス校に理科の先生として赴任していた。パブリックスクールのウェストミンスター・スクールおよびケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで学び、学生時代から学内誌に詩や随筆を投稿し、作家を志す。大学在学中から英国のユーモア漫画誌『パンチ』に投稿し、後には編集助手となった。その後、作家として独立。第一次世界大戦では通信将校として従軍している。1913年、ドロシー・ド・セリンコート(ダフネ)と結婚。1920年、1人息子、クリストファー・ロビン・ミルン(1920年8月21日 – 1996年4月20日)が生まれる。かの有名な『クマのプーさん』はクリストファーのために書かれた。(以下略)(Wikipedia)

◎ クマのプーさん(くまのぷーさん】(Winnie-the-Pooh)= A・A・ミルンの童話集。1926年刊。クリストファー・ロビンの部屋に集まるクマのプーをはじめとする縫いぐるみたちの物語。登場者たちは、それぞれ生き生きとした個性をもち、彼らが森の中で繰り広げる物語の世界は、子供たちが入り込んでともに遊べる、不思議に楽しい現実感にあふれている。ことば遣い、素材、構成など、詩作や劇作で磨いた作者のみごとな表現力に、風景画家アーネスト・シェパードによるユーモラスで物語性豊かな絵が加わって、子供にも大人にも愛される児童文学の傑作。続編に『プー横丁にたった家』(1928)がある。初訳は1940年(昭和15)石井桃子による。(日本大百科全書ニッポニカ)

◎色即是空 空即是色(しきそくぜくうくうそくぜしき)= 玄奘訳『般若心経』中の文句。現代語訳すると,「およそ物質的現象というものは,すべて実体がないということである。およそ実体がないということは物質的現象なのである」となる。「色即是空」が説かれるわけは,人が物質的現象に執着しがちであることを裏面から述べるものである。人は自己に執着し,自己の所有していると考えるものに執着している。ところがよくよく考えてみれば,それらにはなんら実体というものがない。自己に属していると愛着しているものを失えば,それは憂いを生じることとなる。しかし愛着することなく,執着することのない者にとっては憂いも悲しみも存在しない。「色即是空」とは,物質的現象には実体がないということを無限に観察すべきことを教えるものである。しかし一方では「実体がない」と観察しているうちに,ややもすると虚無主義に陥る危険性が生じてくるおそれがある。そこで「空即是色」と続いて説いて,虚無主義に陥るのを避けているのであろう。(ブリタニカ国際大百科事典)

◎色即是空 空即是色 = … 内容は,表題のとおり,広大な般若経典の心髄をきわめて簡潔にまとめたもので,観自在菩薩(観音)が般若波羅蜜多(完全なる智慧)の行を修めて五蘊(ごうん)(存在の五つの構成要素)が空(無実体)であると悟ったことから説き起こし,仏弟子舎利子に対し,いっさいの存在が空であることを説き,最後に真言を説いている。とくに物質的存在は無実体であり,無実体なるものが物質的存在であるという意味の〈色即是空,空即是色〉という文句はよく知られる。サンスクリット原典は古くから日本に伝えられ,とくに法隆寺に伝わる小品の貝葉(ばいよう)(609年将来)は貴重な文化財となっている。(世界大百科事典・旧版)

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「徒然に日乗」(976~982)

◎ 2026年01月18日(日)本日も好天が続く。来週中ごろ以降には「寒波襲来」と予想されている。まったく雨も降らない関東地方や劣島各地では次々に山火事や民家の火災が続いている。好天が続くことに不満はないが、乾燥状態が異様な状況になっているのが心配だ。▶昼前に買い物で、茂原まで。途中で車のタイヤの劣化具合を見てもらいに行った。先日、ローテーション(タイヤの入れ替え)をしたばかり。この4月に車検を迎えるが、それまでにタイヤが持つかどうか。4月期限の車検を2月にやってもらうことにしてきた。おそらくタイヤ交換をしなければならないと思う。今回で7回目か8回目の車検になるはず。▶ついで、近所にある電気量販店でパソコンのモニターを見に行ったが品物が全くなくなっているのには驚いた。今はよほどでない限り(ゲームをするとか)は大きな画面のモニターを必要とする人はいないということだろう。▶夜には「新党」問題のネット番組を見たが、さてどういう具合になるのか。(982)


◎ 2026年01月17日(土)
日差しも強く、快晴(好天)の一日だった。終日自宅にとどまり、パソコンをいじっていた。▶「中道改革連合」という新党の話題で持ち切り。まだ話が表面化したばかり段階。どれだけの塊(議員数)ができるか、よくわからないので、確たることは言えないが、新党立ち上げが、「連立政権」側を刺激したことは事実。物価対策(消費税の低減化、税率零化)や「政治と金」問題で、当座をしのぐための「売り(人気取り政策)」を出すだろうが、端からそれは「付け焼刃」であることがわかるもので、人気取りに走るだけ、焦りや不安が充満している証拠だと映る。あらゆる「不都合」を覆い隠す「目くらまし解散」であり、それに気を取られる有権者がどれくらいいるかという話。最後は有権者の「能力(知性)」の質が問われるだろう。現状がだらだら続く気配は濃厚だろう。(981)

◎ 2026年01月16日(金)昨日よりさらに好天だった。3月頃の陽気が続くが、もう一度寒波がやってこることは間違いないようだ。▶昼前に近所の薬屋(昨年11月に開店した薬屋経営のスーパー)で天然水(2ℓ×6×10)購入。▶帰宅後、パソコンの新規ソフトなどの調整をした。これまでにも2台のパソコンを動かしていたが、十分に使い切れていなかった。今後は、その点を踏まえて、何とか新機軸を出していきたい。▶国会解散を前に立民と公明が「中道改革連合」という新党(衆議院のみ)を立ち上げた。この先の展望は現段階では見通せないが、じり貧続きの野党に一つのまとまりができたことは歓迎すべきだが、さて…。(980)


◎ 2026年01月15日(木)やや風があったが、終日晴天が続く。▶お昼前に買い物で茂原まで。相変わらずの物価高騰、その勢いは留まるところを知らないようだ。円安、物価高、長期金利の2%越え等々、日本経済のインフレーションはどうなるのか、いずれ、史上最高値で浮かれている株式も大きく下がるかもしれない。にもかかわらず、この不況のさなかに「衆議院解散」という最悪の選択。大雪が舞い、方々で雪害に襲われているさなか、いったい、首相はどこを見、何を見て「解散」を打つのか。自分のことしか考えない無能で嘘つきの人間が最高位につくとこうなるという見本。加えて、立憲と公明が「新党」を立ち上げるという。その行方はどうなるか。政局の中に政局が重なる、令和8年の冬真っ盛りの状況。(979)

◎ 2026年01月14日(水)午前中に郵便局に行き、大阪のS君にOS代金(主としてSSD)の郵便振り込みをしてきた。夕食前から、新しいOSの立ち上げ作業を始めたが、何とか終わりそうだ。それにしてもほんの数年で同じウィンドウズでも様変わりしているのに驚く。方々にAIが入っているのも、ぼくには気に入らないが、時代の要請なのだろう、致し方ない。▶1月23日開幕の国会冒頭の衆議院解散が本決まりの様子。首相になった途端、どうしてこうも解散をしたがるのだろうか。もちろん、少数与党である政権安定を図るということだろうが、要は「総理の椅子」を離れたくないというだけのこと。たったこれだけのことで国税670億余も使うのだから、朴念仁ばかりの政治家であっていいはずもないが、こればかりはもう手遅れという気もしている。(978)


◎ 2026年01月13日(火)お昼前に市原のHCまで。自宅の給湯器の取り換えを実施するための商品選びと、工事の契約のため。工事実施日は2月5日予定。帰り際には同じ敷地内にあるスーパーで買い物。初めて入店したが、いつものスーパーよりもかなり安い価格設定となっていたのに驚く。まさに「大量販売」による安値設定であったと思う。かなりの混雑状態だったが、その理由がわかるように思った。(977)

◎ 2026年01月12日(月)午前11時半ころにF君を迎えに土気駅まで行く。もう何度目だろうか、誉田駅前の老人ホームに入居されている祖母の見舞いがてらに拙宅に来るのだが、すでに年中行事になった感がある。いっしょに少しばかり買い物をして帰宅。帰宅後、雑談の途中で八王子在住のIさん(都の特別支援学校勤務)とラインで交流。加えて、長野のO君(ここ数年は、病気療養中)も参加、さらに北海道のF君(北大大学院に在学中、企業経営者)も加わり、例によって、電話での同窓会のようになった。他愛無い話で、なんと三時間も四時間も費やし、午後5時半の電車でF君は帰宅。明日からは、学校だそうだ。彼女は都下公立中学校の社会科教員。(976)

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仰山に猫ゐやはるわ春灯 (万太郎)

【談話室】▼▽俳人の夏井いつきさんは4年前、自身のラジオ番組で「春灯」を季題として俳句を募った。春の夜にともす明かりのことで、なまめいた感じを伴う言葉。しかし想定外の句が多数寄せられ、夏井さんは心を揺さぶられる。▼▽それは平和を願うものだった。ちょうど、ウクライナ侵攻が始まった頃である。「標的にあらず春灯ぞこれは」(日土野だんご虫)。「春灯」をともしびの下で暮らす市民と詠んだ。この明かりは決して狙い撃つものではない-。短い言葉の強いメッセージに胸を突かれる。▼▽夏井さんはエッセー集「瓢簞(ひょうたん)から人生」に「かの国の人々の心に届くことを信じて、私たちは俳句を詠み続けていこう」と記した。だが悲しいことに今なら「かの国」は他にもある。中東のガザではイスラエル軍の攻撃がやまない。標的ではない者がいまだ倒れ続けている。▼▽昨年10月の停戦合意後、100人超の子どもが死亡したと報じられた。負傷者はさらに多い。9歳の男の子はまきを集めていた際に空爆に遭い、爆弾の金属片が眼球を直撃したという。どうか十七音の訴えが届いてほしい。「言の葉を春の灯として手渡さん」(いさな歌鈴)(山形田新・2026/01/18)(ヘッダー写真はMBS毎日放送・2026/01/17)

⁂「週のはじめに愚考する」(壱百弐)~ このところ、まるで鴨長明さんの「方丈記」に書かれているような「天変地異」というものが、いたるところの地上を襲い続けています。予期せぬ災厄(catastrophe)というほかありません。いつかは起こるかもしれないが、明日かもしれず百年後かもしれない、そんな天災を人間は受け止めることはできないで途方に暮れる。残念至極なことに、その「天災」の幾分かに人災が加担しているすれば、なおのことに途方に暮れ、路頭に迷うのです。

 昨日は「阪神淡路大震災」から31年目の節目の日でした。阪神・淡路地方で、それぞれが鎮魂の祈りをささげる風景を目の当たりにしました。友人知人にも犠牲者・被害者が出ましたから、ことさらに、ぼくには忘れることのできない「祈りの日」であります。海外に目を転ずれば、いたるところで「火の手」が上がっていますし、さらにもっと大きな「火の手」を上げようかという、蛮勇そのものという権力者がしのぎを削っている。戦火に遭遇し、命を奪われ、なけなしの人生を真っ暗にする権利は、いかなる権力者にもあるはずもないのにも関わらず、土足で他国に踏み入り、人命を踏みつぶしています。

 この社会は八十年前に「憲法」を立てて、平和国家を誓い、人権尊重を闡明にしたはずですのに、今や、その憲法は風前の灯火のごとしです。日本の対外政治に邪魔だから、憲法を変えてしまおう、葬ってしまおうと、ここでも「蛮勇」が幅を利かせている。あの国が欲しい、この土地が欲しいと、まるでスーパーで野菜や肉類を贖(あがな)うような軽々しい調子で、覇権主義を隠さないし、野放図な蛮行を止めれる風も見られないのはどうしたことでしょう。そんな道義の廃れきった国家元首の尻馬に乗り、蛮行の片棒を担いで、しきりに忖度する極東の小国の首相もまた、哀れな為政者です。一日でも長く権力の椅子しがみついていたいという醜悪な容姿だけが目立つ、その後ろ姿は、おそらく、12世紀に生きた長明さんも見たであろう「百鬼夜行」の類にさえ思われてきます。

 孔子という人は「子曰、鳳鳥不至、河不出図。吾已矣夫。」(「論語 子罕第九09」)と激しく慨嘆したとされます。まさに「政治の本道」を実践するような為政者が出る気遣いがないのは、鳳凰が飛んでは来ないし、黄河からもその「聖人の出現」を招く印を持った竜馬(大変に優れた馬のこと)も出ない。「吾已矣夫」、我やんぬるかな。もうどうにもしようがないのだ、と。不幸にして突然の死を遂げた人々に対する、残された者たちの「弔い」「追悼」の気持ちが潰えない限り、人間のつながりは「生死を異にして」、なおかつ失われはしないのです。政治は、本来の目的や意図を失い、多くは自己拡大・拡張の一手法でしかなくなった今。ぼくは儚(はかな)いいのちの側に身を寄せつつ、安寧と静謐のらんことをひたすら祈るのみです。

 ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。
 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、賤しき人の住ひは、世々を経て、尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。或は去年やけて、今年つくれり。或は大家ほろびて、小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、ニ、三十人が中に、わづかに一人二人なり。朝に死に、夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
 知らず、生れ死ぬる人いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目をよろこばしむる。その主と栖と、無常を争ふさま、いはばあさがほの露のことならず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。(「方丈記」)(文献「方丈記」浅見和彦校訂、訳:ちく学芸文庫)

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鼓腹撃壌と阿Qと魯迅と

【新生】だまって俺についてこい 1度目の東京オリンピックが開かれた1964(昭和39)年の流行語に<おれについてこい>がある▼東洋の魔女といわれたバレーボール女子日本代表チームに金メダルをもたらした大松博文監督の著書名から。過酷な猛練習の一方で、コート外では選手に慕われた指導力に、当時は日本中が拍手を送った▼『だまって俺について来い』は同じ年、昭和のエンターテイナー植木等さんが歌ったヒット曲だ。「〓ぜにのないやつぁ俺んとこへこい 俺もないけど心配すんな」という作詞は青島幸男さん。これもリーダーシップの一つのかたちか▼高市早苗首相は明日、衆議院の解散について記者会見する。最初の報道からおよそ1週間。与党幹部からの“また聞き”で解散は既定方針になったけれど、いつもは多弁な首相自身の説明がないのが、どこかスッキリしなかった。突出して高い支持率は首相の強みだが、「黙って私について来い」はもう流行[はや]らないのでは▼第一、国民生活のため年度内成立を目指したはずの122兆円余の政府予算はどうなるのか。潤沢な財源[ぜに]があるわけでもない中、赤字国債で過去最大に膨らんだ予算よりも、衆院選を急がなければならない理由をじっくりと聞きたい▼「〓見ろよ青い空 白い雲 そのうち何とかなーるだろー」と植木さんは歌った。どこまでも明るい高笑いが響き渡れば、楽天的に空を仰ぐことができた昭和である。さまざまなことが何とかならないまま、世界は内外とも視界不良の2026年を迎えている。(熊本日日新聞・2026/01/18)

 本日の主題は「阿保な政府はいらない」ということ。「だまって俺についてこい」といった大松さんについて、ある時に調べたことがありました。のぞき趣味ではなく、あれほどに「練習」という名において女性を苛(いじ)め抜くという、その理由は何だろうという大きな疑問があったからでした。ぼくは「東洋の魔女」という綽名(あだな)も嫌いでしたね。大松さんは対英米戦争における最大の死者を出した「インパール作戦」の生き残りの一人でした。五輪の決勝戦で、金メダル確定の瞬間の大松氏の「深い陰影のある容貌」に驚愕したのでした。「スパルタ」という名の「いじめ」が通用した時代だったのが、ぼくには解せなかった。「政府=政治権力」も庶民はつべこべ言わずに、権力に従えと、いまだにそんな塵芥(ちりあくた)のような権力行使を夢見ています。唾棄すべきですね。

(*インパール作戦 (インパールさくせん)= 第2次大戦中の日本軍によるインド北東部の都市インパールImphalへの進攻作戦。1942年ビルマ(現ミャンマー)を席巻した日本軍はこの作戦を計画したが,成功を危ぶむ者も多く中止。しかし第15軍牟田口廉也司令官は再びこれをとりあげて44年1月より実行し,自由インド仮政府首班スバース・チャンドラ・ボース下のインド国民軍も参加,同市を包囲した。だが長い補給路,制空権のないことなどから惨敗。3師団長の更迭を生む混乱の中で撤退した。撤退途中でも多くの犠牲者を生んだ。(改訂新版世界大百科事典)

 下に引用した「夕歩道」、内容ではなく、そこに出てくる吉田健一さんに思いが重なりました。通称は「ケンチ」で、貴公子だったそうです。もと総理大臣吉田茂氏の長男坊。英文学者でした。「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着すること」と。いかにも徹底した個人主義者だった吉田さんらしい言葉です。つまりは、元総理の息子は「無政府主義(anarchism)」的であったという意味です。若いころから、健一さんを耽読したものです。

【夕歩道】救われる思いで投稿を読んだ。6日付の朝刊「くらしの作文」。筆者は、岐阜県の後藤栄子さん。人混みが嫌いなはずの夫の誘いで出かけた東京ディズニーランドの楽しかった体験と、後日談だ。
 現地で撮った写真を見た。夫が3本の指で「ピース」している。訳を問うと、結婚30周年だから。新婚旅行に行けなかったかわりに夫は妻の好きなディズニー旅行を贈ったのだ。何と幸せな二人。
 新年早々、世界に戦乱のタネをまく米国の横暴に凍り付いた心がほぐれ、ある名言を思い出した。「戦争に反対する唯一の手段は、各自の生活を美しくして、それに執着すること」(吉田健一)だ。(中日新聞・2026/01/17)

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 これまでにも「鼓腹撃壌」については何度か述べています。政治の素人にもよくわかりそうな「逸話」(伝説)だと思ったからです。日本にも似たような話(神話「民の竈・かまど」)がありますが、家元は「中国」です。その中国を、現首相その他右寄りの人々が「蛇蝎のごとく、忌み嫌う」というのは、その昔、中国の人民や政府に対して、とんでもない悪事(残虐行為)を働いたという「後ろめたさ」「疚(やま)しさ」が誰彼の記憶にはあるからでしょう。鬱屈するのは当たり前だけれど、それで精神は安らぐか。

 「中国北京政府」と現首相は国会でしゃべりました。まるで中国には複数の「政府」があるような口ぶりで、いかにも「侮蔑した」表現だったし、だからこそ、そのような物言いをしたのです。ねじ曲がった根性の「見せかけ」は、実にいやらしいし、美しくもなんともない、いや醜悪な悪態でしょう。

 「鼓腹撃壌(こふくげきじょう)」は「十八史略」にある。いろいろなことを取り上げ、「善政」というか「統治の道」を示して余りあるとも思われます。以下、簡単に紹介しておきます。(「マナペディア・https://manapedia.jp/text/1995?page=2

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帝尭陶唐氏、帝嚳子也。(帝尭陶唐氏(ていぎょうとうとうし)は、帝嚳(ていこく)の子なり。)                   其仁如天、其知如神。(其の仁は天の如く、其の知は神の如し。
就之如日、望之如雲。(之に就けば日の如く、之を望めば雲の如し。)                                                   都平陽。(平陽に都す。
茆茨不剪、土階三等。(茆茨(ぼうし)剪(き)らず、土階三等のみ。)                                                     治天下五十年、不知天下治歟、不知歟、億兆願戴己歟、不願戴己歟。(天下を治むること五十年、天下治まるか、治まらざるか、億兆己を戴(いただ)くを願ふか、己を戴くを願はざるかを知らず。)                                                              問左右不知、問外朝不知、問在野不知、乃微服游於康衢。(左右に問ふに知らず、外朝に問ふに知らず、在野に問ふに、知らず、乃ち微服して康衢(こうく)に游ぶ。)                                                                     聞童謡曰、(童謡を聞くに曰はく、)                                                                   「立我烝民、莫匪爾極。不識不知、順帝之則。」(「我が烝民(じょうみん)を立つるは、爾(なんじ)の極(きょく)に匪(あら)ざる莫(な)し。)                                                                                                            有老人、含哺鼓腹、撃壌而歌曰、(老人有り、哺(ほ)を含み腹を鼓(こ)し、壌(つち)を撃ちて歌ひて曰はく、)                                     「日出而作、日入而息。鑿井而飲、耕田食。帝力何有於我哉。」(「日出でて作(な)し、日入りて息(いこ)ふ。井(せい)を鑿(うが)ちて飲み、田を耕して食らふ。帝力何ぞ我に有らんや。」と。)  「十八史略」) (上写真は司馬遼太郎著「明治という国家」NHK出版、1989)

 右上に一部を写真で引いている、司馬さんの発言は、それなりに面倒なことを語られています。まるでぼくたちには夢のまた夢、という「理想にすぎる政治道」についてです。そこに出されているのは魯迅の「阿Q」です。「阿Qは,地蔵堂に寝泊まりする日雇農民。愚かで力もないのに自尊心だけが強く,相手が弱いとみるとけんかをふっかけるが,たいていは負ける」「しかし負けてやったのだと考えて優越感にひたり,その優越感が崩れると『自分で自分を軽蔑できた』と考え,大人物になったように思い込む。やがて辛亥革命の混乱のうちに,罪もないのに処刑される。観念的な操作であらゆる失敗を成功と思い込む『精神勝利法』,面従腹背,卑屈と傲慢の二面性など,封建植民地社会内における奴隷性格の典型といえる人物」(ブリタニカ国際大百科事典)

 今でいうところの「ホームレス」である阿Qこそが、この社会の民衆だと、司馬さんはいうのです。尭という「(神話上の)帝王」がいて、彼の統治に民はそこはかとなくなじんでいます。司馬さんがいうのは「政治家(帝王・宰相)は羊飼いであり、民は羊だ」というのでしょう。政治は牧民、つまりは民を牧すること。牧するとは「家畜を飼って増やす」ように「民を養い統治する」というのです。「賢い羊」は為政者には困る存在、だから須(すべか)らく「民は愚か(阿Q)」であるべしと、それが現実政治の「核心」となっているという。

 司馬さんの物言いはその通りですが、これは遥かの昔の中国の「伝説」などではなく、どこかの小国に現実に生じている政治そのもののような気もがします。もちろん、小国に限らず、現代世界一と自称し他称もされている、ある大国においても「牧民政治(宰相が羊たちうを飼いならす)」が執行されているのでしょう。しかも、この為政者は本当に気がふれています。他国に向かって闇雲に攻撃を仕掛け、自分は「世界の帝王」だという狂気じみた「優越感」を持っています。牧師は羊を撃ち殺すことを仕事と心得違いをしている。

 と、ここまで書いてきて、正月の「悪夢」は冷めた。わが民は「阿Q」であり、わが宰相は気のふれかかっている女帝です。この現実に我を取り戻しぼくは言葉を発する。「「日出でて作し、日入りて息ふ。井を鑿ちて飲み、田を耕して食らふ。帝力何ぞ我に有らんや」と、ね。考えてみれば、もう半世紀以上も昔から、だれに隠すこともなく、ぼくは根っからの「無政府主義者」を自任してきました。まさしく「鼓腹撃壌」です。

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🈩 阿Q正伝 (あキューせいでん) Ā Q zhèng zhuàn = 中国,魯迅の中編小説。1921年に新聞《晨報》に連載中から,その風刺の鋭さゆえに,北京の知識人のあいだで見当はずれにもモデル騒ぎがもち上がった,というエピソードがある。主人公のルンペン農民阿Qは,姓名も定かでなく,定まった職業はおろか,女性にも縁なく“性”すら奪われ,おまけに肉体的にははげの劣等感に悩まされるという,およそ最低の存在である。作者は,この阿Qを農村社会のさまざまな階層の人間とかかわらせるなかで,その卑劣さや残酷さを容赦なくえぐり出すとともに,阿Qの底位置から見るとき,もっともよくすけて見えるそれより上層に位置する人間の虚偽をも暴いた。かくして,作品は不思議な魅力を備えることとなった。中国では,その場その場で都合のよい理屈をもち出して自分の敗北をごまかす阿Qの〈精神勝利法〉が問題にされる(阿Qのようになるな)。しかし,人々は作者とともに,阿Qの愚昧の上に幾重にものしかかっている人間の虚偽をも見ないわけにはいかない。かくして,〈精神勝利法〉批判は,それだけに終わらず,そうしたものを生んだより根元的なものの批判へと読者を導くことになる。《阿Q正伝》は,いまや数ヵ国語に訳され,中国のみならず,世界の古典であるが,それにたいする評価もさまざまである。しかし差別や抑圧が存在するかぎり,その普遍的意義は失われることはない。(改訂新版世界大百科事典)

🈔 阿Q正伝(あきゅうせいでん)A-Q zhengzhuan = 中国の作家魯迅の小説。1921年,新聞『晨報』に「巴人」の筆名で発表。「文学革命」による新文学の勝利を決定づけた作品。主人公阿Qは,地蔵堂に寝泊まりする日雇農民。愚かで力もないのに自尊心だけが強く,相手が弱いとみるとけんかをふっかけるが,たいていは負ける。しかし負けてやったのだと考えて優越感にひたり,その優越感が崩れると「自分で自分を軽蔑できた」と考え,大人物になったように思い込む。やがて辛亥革命の混乱のうちに,罪もないのに処刑される。観念的な操作であらゆる失敗を成功と思い込む「精神勝利法」,面従腹背,卑屈と傲慢の二面性など,封建植民地社会内における奴隷性格の典型といえる人物で,その後そのような性格の代名詞ともなった。そのなかに革命性が認められないという点を中心に,肯定,否定の激しい論争の対象となったが,この小説が発表されたとき,自分がモデルにされたと感じた読者が多かったという逸話がある。この人物像が当時の国民性を鋭くえぐっていたことの証左であろう。(ブリタニカ国際大百科事典)

◎ 魯迅【ろじん】(1881~1936)= 中国の作家,思想家。浙江省紹興の生れ。本名周樹人。字は予才。魯迅のほか数十の筆名がある。周作人の兄。家は富裕な読書人階級であったが,幼時に没落し,社会の冷酷さを味わいつつ成長。1892年南京に,1902年日本に留学。南京では改革派の,日本では革命派の影響を受けた。医学を志し,仙台医専に学んだが,国民国家を創造する力を文学に見いだして文学の研究・翻訳に転じた。帰国後,五・四文学革命期(五・四運動,文学革命)に《狂人日記》(1918年)を発表し,旧体制下の中国を痛烈に批判。1921年《阿Q正伝》を著し,中国における近代文学の黎明(れいめい)を告げた。1920年以後は北京女子師範などで教鞭をとるが,1926年三・一八事件で北京を逃れ,上海に落ち着く。この間,《中国小説史略》などの古典文学論,《故郷》《祝福》《孤独者》などの小説と散文詩《野草》や,〈雑感〉と呼ばれる多くのエッセーなどによって中国文学の中心的存在となった。1930年に中国左翼作家聯盟が成立するとその実質的な指導者となり,芸術至上主義や右翼民族主義の〈正面の敵〉と闘う一方,革命陣営内のセクト主義など〈内部の敵〉にも鋭い批判を浴びせた。その死は中国各階層から哀悼された。中華人民共和国になってから詳細な全集が刊行され,日本でも竹内好らによる優れた研究がある。(百科事典マイペディア)

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「賽は投げられた(ālea iacta est)」か?

 立憲民主党と公明党が衆議院議員選挙公示直前に「中道改革連合」なるものを立ち上げ、何かと物議を醸(かも)しています。当たり前といえばその通りで、永田町海岸辺はしばらくは凪(なぎ)状態(停滞)が続く(無強他弱)かと思われていたのですから、いささかでも波風を立てるだけでも、「新党立ち上げ」はそれなりの意味はあったと、ぼくは思っています。政治は「野合」であり、「離合集散」であり、「合従連衡」であるのが常の成り行きですから、そこに何かと問題があろうと一向に構わないんじゃないですか。。各紙の小さなコラム欄でも、あちこちで「甲論乙駁」で実に賑(にぎ)やかですが、いずれにしても、その駁論から生産性はあまり期待できないのは、これまたこの社会のメディアが置かれている、仮眠か仮死状態らしいというべきか。肝心要の「政治」の本体が置き去りにされているんです。

 各種メディアの感覚は至って鈍感で、神経麻痺状態に陥っているものですから、今更の議論は虚しいですね。だから、波風を立てただけでも、よくぞ石(賽・さい)を投げたものと、ぼくなどは褒めてやりたくなります。細かいところは省くとして、単純合算で、両党の現有勢力が維持されるとは思わないが、あちこちにも化学反応が及ぶという「波及効果」は期待できるかもしれない。まったくそういうことは起こらないとみる向きもありますね。それでもいいですよ。ところが、例によって例のごとし、政権党の御用新聞たるSK紙は、以下のごとき「非難」「罵倒」に及んでいます。読むに堪えないかどうかは読み人次第ですが、さすがに「ケチの付け所」がこの新聞らしいと、ぼくは関心するのではなく呆れています。「中道」は曖昧模糊が身上ですのに、「中道」は曖昧(あいまい)だから、こんな野合(屋号)は「国民をなめている」と。「中道」とは、なかなかに含蓄のある表現で、読む人間の能力に応じて浅くも深くもなるのです。この新聞がこう書くのは、不思議でも何でもない、まさしく、さもありなんです。それにしても、読みが浅いな。

「中道」ということばにはいろいろな使用例があります。より取り見取りで、以下、ご随意に。元来は「4」で、中庸ともいう。<the golden mean the middle course middle of the road middle way moderateness>(英辞郎 on line)(とても含蓄のある言葉)

1 一方にかたよらない穏当な考え方・やり方。中正な道。「—を歩む」「—を旨とする」
2 物事の進行のなかほど。達成する途中。「志むなしく—で倒れる」
3 富士山の中腹をめぐる道。また、その道をめぐること。「—めぐり」
4 仏語。二つの対立するものを離れていること。不偏で中正の道。原始仏教では苦行と快楽の両極端を退けた考え方。竜樹の哲学はすべてのものは空(くう)と観じること。天台宗では空・仮(け)の二辺に即して立てる実相の理である中諦(ちゅうたい)。(デジタル大辞泉)

 それでは、自民党と「日本維新の会」が結託・癒着したのは「野合」ではなく、いったい何というべきか。ひょっとして「夫婦別姓」かも。これこそ「野合」ではないですかな。金権腐敗隠し、脱税塗(まみ)れ(集団)同士がくっつくのですから「 正式の手続きによらず、夫婦になること」、つまりは野合(デジタル大辞泉)というべきでしょう。ある評者に言わせれば」「やくざ」と「ハングレ」がそれこそ「野合」「談合」したわけで、こんな与党がまともな政治に励むはずもないでしょう。この「税金逃れ政党」同士がどんな政治をし、しようとしてきたか。「中道」は曖昧だというけれど、「自由民主党」は偽りの看板ではないか、「日本維新の会」は、いったい「身を切る改革」を標榜しつつ、「公金をポケットに」入れて、いったい何を「惟レ新タ(これあらた)*」とするんですか。国民健康保険料を社会保険料に挿(す)げ替えて「さやを稼ぐ」、これを「セコイ」というのです。このセコイ「維新の会」の連中に、どれほど腐ったメンツがそろっているか。恥ずかしいこと限りなしです。日本政治の「面汚し」でしかないですね。(*「「維(こ)れ新(あら)たなり」詩経中、大雅・文王による)

 いうに事欠いて、「世界標準では、高市早苗政権こそ中道ではないか」と、どこを見て原稿を作っているのかしら。「高市政権が安全保障に熱心なのは、まさに国民の生命、生活、生存を守るためだろう」と、本気では思ってもいないでしょう。屁理屈の最たるものです。アメリカの「言い値で」、「旧式武器」を腐るほど買わされ、その挙句に、使い物にならないといった具体例はいくらだってあるでしょう。冗談や贔屓の引き倒しはいい加減にしたらどうかと、ぼくは言いたいね。「高市政権の責任ある積極財政路線は国民の生活を底上げし、豊かにすることを目指しているはずだが」と、あられもない「夢のような戯言」を言われる。本当に「インフレ増税」に下駄を預けている政治が、国民を守り平和を守るとでも考えているのでしょうか。すでに、「日米安保」体制は様変わりしているという現実に目を塞いでいるんでしょうか。新聞の役割は完全に放棄されています。

【産経抄】曖昧模糊とした中道改革連合、曖昧な中道と国民をなめた野合 10日の小欄で立憲民主党や公明党が掲げる「中道」という政治用語がよく分からないと書いたところ、あれよあれよという間に両党の衆院議員が合流して新党「中道改革連合」が生まれた。公明の斉藤鉄夫代表によると「右傾化が進む政治状況の中、中道主義の大きな塊を作る」のだそうである。▼これに参加しなかった国民民主党の玉木雄一郎代表は、こんな疑問を示した。「具体的に中道とは何なのか。極めて曖昧な中道で国民の理解が得られるのか」。もっともな指摘である。中道というと聞こえがいいが、何を基準にするのか。世界標準では、高市早苗政権こそ中道ではないか。▼斉藤氏の主張に耳を傾けると、中道とは「人間中心主義。人間の生命、生活、生存を最大限尊重する考え方だ」という。いきなり辞書にもない独特の定義を持ち出されても、頭がついていかない。それに高市政権が安全保障に熱心なのは、まさに国民の生命、生活、生存を守るためだろう。▼一方、立民の野田佳彦代表は中道について訴える。「国民の暮らしに直結したことを実現していくという現実生活に根差したところに中道の意味がある」。はて、高市政権の責任ある積極財政路線は国民の生活を底上げし、豊かにすることを目指しているはずだが。▼野田、斉藤両氏の中道に関する解釈も微妙に異なるように思えるが、もはや細かいことはどうでもいいのだろう。どう言い繕っても、衆院選直前にバタバタと立民と公明の衆院議員だけで新党を立ち上げるやり方は、見せびらかすような選挙対策の野合にしか見えない。▼こんな露骨な仕掛けで世論の風向きが変わり、新党に支持が集まると考えているとすれば、国民をなめた話というしかない。(産経新聞・2026/01/17)

 「産経抄」と並べて「金口目舌」を読むと、何がわかるか。真面目に政治を考え、まじめに平和を考える姿勢の有無、それでしょう。沖縄が「本土復帰後」も舐めさせられてきた「辛酸」(「防衛」の捨て石)状態を目の当たりにして、「産経抄」氏は何という。黙って「捨て石になっていろ」とでもいうのでしょう。新聞といえども、政権に寄せる思いは様々、好き好きですから、「現政権」を支持するも批判するも、もちろん自由です。しかし、事実を曲げて報道し、真実を隠して記事を書くとなると話は別です。どうして首相は党の要人にも隠したままで「解散」を決めたか。情報によると内閣府参与の一人は「故・元首相の懐刀」だった経産省出身のI補佐官の進言により、ひそかに「解散」を企図したという。それでも「勝てば官軍」(?)となるのか、「選挙」と聞いただけで浮足立つ陣笠議員心理を巧みに利用しただけですが、なんとか解散にまで漕ぎつけ、「世間をアッと言わせたかった」つもりだったのが、「中道改革連合」発足で、 反対に自分が「アッ」という羽目になった。その意趣返しの役割を担ったのが「産経抄」氏だったというのはどうでしょう。まさに一蓮托生、一心同体の気味悪さです。

【金口目舌】同じ道を歩むな 自身の誕生日に軍事パレードを行い、デモを軍隊で鎮圧、世界貿易機関(WTO)のルールを無視した「関税乱発」。権力乱用を極めるトランプ大統領と親和性があると米メディアに評されたのは高市早苗首相だ▼高市氏は23日召集の通常国会冒頭で解散を表明する意向を与党に伝えている。衆院が不信任決議案を可決したわけではないため、憲法7条(天皇の国事行為)に基づき、事実上首相が解散を判断する「7条解散」だ▼目下、物価高対策が急務であるのはいわずもがな。国会審議を先送りすれば、予算編成や物価高対策にも遅れが生じそう。前回の総選挙からわずか1年3カ月で税金を湯水のように使うことになる▼これだけの不合理がありながらの解散断行は権力乱用にほかならない。高支持率を背景に安定多数や3分の2を超える議席が欲しいのか。そうなれば独断専行に拍車がかかる▼防衛費を国内総生産(GDP)比2%への引き上げを本年度内に前倒しし、台湾有事は存立危機事態になり得ると答弁した高市氏。こじつけの理由で他国を攻撃するようなトランプ氏と同じ道を歩んでいるのでは。(琉球新報・2026/01/17) 

 ぼくは「中道改革連合」とかいう新党に期待はしないし、支持もしない。どうせ、彼や彼女たちは、極めて長い間、永田町という家の子郎党、「同じ釜の飯」を食ってきた同士です。それ故に、そこから新たな何かが生まれる気遣いは皆無です。三十年以上も前に「新進党」なる政党がつくられたが、今回の新党立ち上げのほとんどがその二番煎じだったという塩梅です。現首相もその新進党にいたのではなかったか。つまるところ、政治家という種族には「節操」もなければ「志操」も見られないということであり、自分さえよければという「利己主義」ばかりが旺盛だということでしょうね。きわめて残念だけれど、「この程度の政治家」しか育ってこなかったというだけのことで、それは、時に「有権者」の水準の低さ」を証明しているんですから、「以(もっ)て瞑(めい)すべし(可以瞑)」かな。決して満足などしていないないのですが、この「程度」の政治が、我々の社会(国民性)の分際に見あっているんでしょう。高望みもしなければ、むろん「ないものねだり」はしないということです。「座して死を待つ」のみ。

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言葉の力を信じ思いをつなぎたい ?

【斜面】言葉の自由 「大河ドラマをご覧になっていたみなさま、こんばんは」。筆者が高校生だった40年ほど前。日曜夜8時からのNHK「徳川家康」を見終わってチャンネルを変えた途端、テレビに現れた久米宏さんにこう言われて、思わず吹き出した◆久米さんは当時、生放送の情報番組「TVスクランブル」の司会。歯に衣(きぬ)着せぬ発言で知られた漫才師横山やすしさんが自由に言い放ち、時には放送禁止用語も口にして暴走。久米さんが即座に言い返したり、取りなしたりする本音トークが人気だった◆この制作スタッフと久米さんが1985年に始めたのが「ニュースステーション」だ。当時のニュースはアナウンサーが原稿を読むだけだった。映像と模型を多用して分かりやすく伝えた新番組は報道に新風を吹き込み、18年半続いた。賛否両論あったのが久米さんのコメントだ◆アナウンサーがニュースを読んだ後に「そんなバカな」とひと言。政治家のインタビューの後には「こう発言しなければ立場がないでしょう」と皮肉。「初めてニュースにコメントしたキャスター」とされ、中立でないと政治家が敵視する事態になった◆久米さんは「自由に発言し行動していいという生き方を伝えること」が番組に込めた思いだったと著作に記す。当意即妙に言葉を操った久米さんが81歳で旅立った。番組のもう一つの目標は「生きているうちに日本が再び戦争をしないようにすること」。言葉の力を信じ思いをつなぎたい。(信濃毎日新聞・2026/01/16)

 大学時代の同級生でテレビ局に就職した人間は何人かいたし、先輩にもいた。また担当していたゼミの卒業生の中でもTV放送局に就職する人は何人かいた。ぼくは若いころはメディア(特に新聞)にあこがれのようなものを持っていて、いつかはそんな場所で働きたいと思った頃もあった。筑紫哲也というメディア人にも親近感を持っていた。彼には何度か、ぼくの担当する授業に来ていただいて、話を聞く機会を持ったこともあります。ある時期から、ぼくは新聞やテレビという報道媒体に興味や関心を失ってしまい、ほとんど観ることも読むこともなくなりました。その理由は、これまでにもしばしば触れてきたように、受験競争に明け暮れたような学校教育を受けて、徹底的に己(おのれ)を壊された人々がメディア界に大量に入ってきたことによる。

 久米宏さんが亡くなったと聞いた時、彼とは同学年だったことを思い出しました。大学時代は演劇サークルにいたといいますが、卒業時にはテレビ局に就職された。死去のニュースを見て、「賞賛の嵐」というと大げさですけれど、ニュース番組に革命をもたらした人として特筆大書されていました。取り立てて異議はないのですが、誤解を恐れずいうならば「あの程度のキャスターぶりで…」という感慨を持ったのでした。久米さんを低く評価するのではなく、この社会のメディアの水準・体質があまりにも虚弱(脆弱)で、まるでスポンサーに足を向けて眠れない、そんな弱体体質を保持しながら、何の工夫もしないで時代に流されてきたという印象を持っていたからでした。広告主に阿(おもね)り、視聴者に諂(へつら)い、政権党に戦々恐々としながら、息をひそめて、精一杯バカ番組を垂れ流している。さぞ、苦しいことではあると思う。

 フリーアナウンサーの久米宏さんが死去、81歳 Nステでキャスター 「ニュースステーション」のメインキャスターなどを務めたフリーアナウンサーの久米宏(くめ・ひろし)さんが1日、肺がんで亡くなった。81歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻麗子(れいこ)さん。【アーカイブ】久米宏さんが語った半生 Nステ誕生、ニュースの心得
 埼玉県生まれ。1967年に早稲田大を卒業し、TBSにアナウンサーとして入社。萩本欽一さん、坂上二郎さんによるお笑いコンビ「コント55号」などが出演したクイズ番組「ぴったしカン・カン」で、75~84年に司会を務め、軽妙な進行ぶりで人気を集めた。
 また、音楽番組「ザ・ベストテン」では78~85年に黒柳徹子さんとコンビを組み、早口でありながら機知に富んだ司会ぶりを見せた。生放送ならではのハプニングも強みにして、81年に世帯視聴率41・9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。
 79年のTBS退社後はフリーに。85年にスタートしたテレビ朝日系「ニュースステーション」(Nステ)で、2004年の番組終了まで18年半にわたりメインキャスターを務めた。(以下略)(朝日新聞・2026/01/13)

 久米さんの「ニュースステーション」もしばしばみていましたが、一つのニュースにコメントをつけるのは当たり前で、それすらが異常なことと受け取られてきたのにぼくは言いようのない「親方日の丸」体質を見ていました。担当していたゼミの卒業生が、テレビ局に入って報道(アナウンサー)に携わりたいと相談されたことが何度かあった。その都度「他人の書いた原稿を読むだけの人になりたいんですか」というばかりでした。現在だって、そんな体質(習癖)は少しも変わらないままでしょう。確かに久米さんは、彼個人としての仕事は画期的な部分もあったかもしれないが、彼の「不在」が示すものは、要するに久米さんは「突然変異」だったということでしょう。それでもなお、当たり前のこととして、久米宏は「読む人」であって「歩く人」ではなかったし、むろん「考える、探査する人」でもなったのは事実。(これは悪口ではなく、「事実の適示」です)

 「初めてニュースにコメントしたキャスター」として評価され、結果として「中立でないと政治家が敵視する事態になった」というのが久米評価だとするなら、あまりいい言葉ではありませんが、「功罪相半ばする」というのでしょう。久米氏が「報道の現場」からいなくなって四半世紀、状況は彼の登場以前よりもはるかにひどくなっているのはどうしたことでしょう。久米さんが悪いわけではないし、彼のなした仕事の成果は否定できない、ある種の明るさをもっていた。しかし、その明るさの輝き具合(輝度)が鋭い部分だけ、小さな暗黒部分もまた、余計に目につきすぎるのです。久米さんとはどこかですれ違ったことがありますが、語るほどの意味はありません。筑紫哲也さんが報道番組を担当していたときに、当該テレビ局はオウム真理教に対して致命的な過誤、取り返しのつかない間違いを犯した。その際、筑紫さんは「TBSは死んだに等しいと思う」と、自らの担当する報道番組で語られた。

 「「TBSは今日、死んだに等しいと思う」 (ニュースキャスターの筑紫哲也氏)オウム真理教による坂本堤弁護士一家殺害事件で、TBSの磯崎洋三社長が25日、緊急記者会見し、犯行前に同局のプロデューサーが、教団に反対の立場を取っていた坂本氏のインタビュービデオをオウム側に見せていたことを認め、謝罪した。/同日夜のTBS系「ニュース23」で、筑紫氏は「報道機関の存立できる最大のベースは信頼関係」とした上で、冒頭のように語った。磯崎氏は引責辞任し、同局のワイドショー番組は打ち切られた」(産経新聞・2018/08/04 )

 新聞もテレビも、長い間ずっと、ひたすら「死に至る床に臥し続け」ています。一度死んだ(ふりをした)だけでは足りなくて、さらに「仮死の上に、本物の死を」重ねたがっているという風にしか思えません。誰彼でなくても、一時代を画するような仕事はいくら評価してもしきれません。しかし、それがあってなお、時代や社会の底のほうでは根深く、根強く「悪習・悪癖」は残存している。それもまた、一つの「大和魂」であり「大和心」(国民の体質、もちろんぼくにも備わっている)かもしれないと思うと、情けないほどに悔しくなります。

 ともあれ、時代とともに歩いていた久米さんに感謝。筑紫さん(1935~ 2008)は大変な喫煙家(ヘビースモーカー)でした。死因は「肺がん」だったとされます。久米さんも同名の死因でした。「たばこ一本 がんのもと」ですか。(合掌)

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「本物」とは、人間が手を加えつつ共生し…

 本日は、「二日遅れの便り(コラム)」です。こういう記事や場面に出会えると、何とも言えない、豊かな気分になります。最初は広島県三次市の、元高校国語教師の遺された仕事(存在)について。三次市には僕ぼくの後輩にあたる国語教師、Kさんが長く住んでおられる。彼は「歌人」でもありました。あるいはこの「桑田健吾」さんとはお知り合いだったかもしれません。92歳の天寿を終えられた夫と六歳年下の妻の「丹精を込めた庭」には、それこそ「万葉の草花の苑」とでもいうべき、たくさんの植物が育っている。高校の国語教諭だった健吾さんは「『本物』の自然を伝えたい」と早期に退職。「植物好きが高じて一足早く調査に歩いていた武子さんとセツブンソウの自生地を見つけたり、ドクダミなど薬草を使う山村の知恵を掘り起こしたり。週末には親子観察会を開いた」というご夫妻。ぼくにはとても真似ができない二人三極ぶりに、なぜかしらこみ上げるものがあります。

【潮流】灰塚の宝 氷点下となった昨年師走の早朝、支局に電話があった。「シモバシラが見事ですよ」。冬場の霜柱はどこでも…と首をひねりつつ、よく伺ってみると植物の名前だと分かり、車を走らせた。
 三次市東部の灰塚ダムに近い三良坂町沖江。自宅裏庭に桑田武子さん(86)が案内してくれた。緩い斜面に高さ十数センチの茎が並び、地中から吸い上げた水が裂け目から漏れ出して柱状に凍っていた。多年草シモバシラが装う氷の結晶は白いドレスにも見えた。
 「きっと感激したと思う」と桑田さんが漏らした。1週間ほど前、六つ年上の夫、健吾さんを亡くしたという。庭を見渡すと山野草の名前の札があちこちに。その数300種近く。夫婦で地道にダム水没予定地などから植え替えた。
 三次高の国語教諭だった健吾さんは万葉集に詠まれた植物の多さに感銘し、「『本物』の自然を伝えたい」と退職を早めて研究に入る。植物好きが高じて一足早く調査に歩いていた武子さんとセツブンソウの自生地を見つけたり、ドクダミなど薬草を使う山村の知恵を掘り起こしたり。週末には親子観察会を開いた。
 1990年代前半に健吾さんは建設前の灰塚ダム地質・動植物学術調査団の事務局長を務めた。夫婦で足かけ十余年を注いだ探索の成果は、各分野の専門家とまとめた報告書に残る。種子植物だけで925種に上り、サクラソウなど姿を消したものも少なくない。
 健吾さんが言う「本物」とは、人間が手を加えつつ共生してきた自然であり、その変遷を刻み今の姿に学ぶ姿勢だろう。ダム周辺に今冬も飛来した国天然記念物オオワシも自然の改変や気候変動と無縁ではない。灰塚の宝を伝える夫婦の庭で、そう思った。(中国新聞・2026/01/13)

 この狭い劣島の至る所に「立ち退き」はおろか、「水没」を余儀なくされた地域が、何か所もあります。故郷がそのまま水の底に沈められた土地が方々にあります。時として渇水期には昔の面影を偲(しの)ばせるような場面にも遭遇することがあります。強大な機器類を駆使して人間の故郷、動植物の棲み処を跡形もなく馴(な)らし、巨大な都市生活者の水や電力を供給する基盤にしてきました。それが「文明の進歩」というものであったでしょうが、その「暴力的な振る舞い」に、抵抗するすべもなく消し潰されてきたのが「人間の文化(生活)」だったと思う。「本物」とは「人間が手を加えつつ共生してきた自然であり、その変遷を刻み今の姿に学ぶ姿勢だろう」と今は亡き元国語教師の言葉が紹介されている。とても大事なことが示されていると僕は感じ入ってしまう。人間の手が入らなければ「野生」です、しかし強烈な手が入る(伐採とか開発など)と、そこは野生でさえなくなるのです。都市化といってもいい。いわば、「生命の滅びの道」ですね。

 ここ数年、この時期になると劣島各地の山野で火災が発生しています。膨大な森林が消失するばかりか、無数の下草類が焼かれ、あるいは幾多の野生動物が棲み処を奪われ、あるいは命を奪われています。勢いよく燃え盛る火の手を見ながら、ぼくは火災現場の土地に住みなれている、さまざまな「動植物」のいのちを思ってしまいます。「文化」と「文明」と、いえば言えますが、要するに「土地」に根差して生きるか(文化)、土地を開発して人工物を手段として生きるか(文明)ということの是非そのものが、この何百年も問われてきたのだと思う。そして、なんな中で、黙々と「人間として、手を入れつつ共生してきた自然界」というものを維持しようという強い意志を持って生きられた人々もいます。

 それにしても、初めて見る「しもばしら」の不思議さに思わず見とれてしまいました。別名は「雪寄せ草」とも。シソ科の一種というのですから、その葉状には見覚えがあります。しかし、実際に、この植物を目にしたことはありません。そんな未知の草花、いったい何万種あるのでしょうか。加えて、いまだ見知らぬ動物群、これもまた数百万種あることでしょう。その命が毎日数万・数十万と奪われているそんな時代や社会に住む「人間」の振る舞いをいかに評すればいいのですか。

◎ シモバシラ (霜柱)(Keiskea japonica Miq.)= 山の林内に生えるシソ科の多年草。茎は高さ50~70cmになり,四角形でやや硬い。葉は対生して広披針形~狭卵形,縁に鋸歯があり,先はするどくとがる。葉柄はごく短い。9~10月ころ,茎の上部の葉腋(ようえき)から総状花序を出して,片側にのみ白い花をつける。萼は等しく5裂し,果時には長さ5~6mmになる。花冠は4裂してやや2唇形となり,4本のおしべと1本の花柱が長くつき出ている。分果は4個できる中の1個だけが成熟することが多い。株によって,おしべが長く花柱が短いものと,その逆のものとがある。冬,枯れた茎の根もとに霜柱のように白い氷の結晶ができる特性があるところから,和名がついた。本州の関東地方以西の太平洋側と,四国,九州の山地だけに分布する日本特産種の一つである。(改訂新版世界大百科事典)

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 コラム氏は書かれている、「庭を見渡すと山野草の名前の札があちこちに。その数300種近く。夫婦で地道にダム水没予定地などから植え替えた」と。一昔前日本でも、「木を植えた男(L’Homme qui plantait des arbres)」という書物がベストセラーになったことがあります。作家ジャン・ジオノ(Jean Giono)(1885~1970)の作品。一読、深く打たれたことでしたが、実話ではなくフィクションだったことで話題になりました。ジオノは第一次大戦には出征、第二次大戦では徴兵制反対運動で逮捕されてもいます。たぶん、この極東の故事までは、あらゆる時代にあらゆる土地に「木を植えた男」がいたはずです。面積の三分の一が山林(丘陵地を含む)ですから、だれかが「植林」のバトンリレーをしてこなければ、こんなに緑豊かな土地を維持できなったに違いありません。その昔、新潟県の親戚の年寄りが「孫のためにヒノキを植える」と盛んに言われていたことを思い出しています。

◎ ジャン ジオノ(Jean Giono)1895 – 1970 = フランスの小説家。バス・ザルプ県マノスク生まれ。1929年「丘」で文壇デビュー、「ボーミューニュの男」(’29年)、「二番草」(’30年)などを次々と発表し、南フランスの厳しく激しい自然における人々の生活を叙情的な文体で描き、大地作家としての地位を得る。その後、第二次世界大戦での徴兵忌避で投獄され、戦後は対独協力者の汚名を着せられ再び投獄されたが、執筆は続けられ、’51年「屋根の上の軽騎兵」によって、かっての叙情詩人から叙事詩人へと変貌した。作品はほかに「イタリア紀行」(’53年)、死後刊行された「脱走兵」(’73年)など。20世紀西洋人名辞典)

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 コラム「有明抄」、桑原さんの記事です。どうしてもここに引用しておきたい「一編」だと思いました。「思い出の帰り道」というコラムのタイトルがいいですね。若い人には無関係の、いわば「老いぼれた人間」の繰り言みたいな「出会いと別れ」です。43年ぶりにあった旧友は「ごめんなさい。全然覚えてない」とさも済まなさそうに言う。「『思い出せないけど、でも、あなたが好き』と泊まっていくよう勧める」アメリカでも日本でも、このような「行き違い」を経験し、「帰り道を見失う」、そんな混乱や困難を抱きながら、たくさんの人々が、一日一日を生きている。年を取り、病に冒され、徐々に、あるいは急激に衰えるいうのは、だれもが「あたりまえ」と思い込んでいる「計算」や「順序」を一気に狂わせます。あえて言うなら、そんな「狂った計算や順番」も含めて、人間社会の「常識」であり、「知恵」なんだと言ったらどうでしょう。「娘時代」という小説の結びをコラム氏は書き留めている。「むかし同様、親しみや思いやりを分かち合った2人は翌日、別れを惜しむ。最後まで思い出すことができない旧友は『本当にごめんなさいね』とわびる。『わたしのほうは覚えていた。それが大事なんだわ』。主人公はそう慰めながら、自分たちがこの世から消えてしまうように感じる」と。言葉をはさむ余地がないけれど、なんとも切ないですね。(このコラムがいいのか、材料がいいのか、いや、そんな素敵な教材を選ぶコラム氏がいいのでしょうね)

【有明抄】思い出の帰り道 思い出は時につれないものである。年配の女性が子どものころの親友をはるばる訪ねていく。そんな米国の短い小説がある(テス・ギャラガー「娘時代」)。43年ぶりに再会した旧友はしかし、「ごめんなさい。全然覚えてない」◆脳卒中の後遺症で老けこんだ旧友はそれでも、「思い出せないけど、でも、あなたが好き」と泊まっていくよう勧める。なくした記憶を取り戻したとき、親友として再会が果たせる。そう考えて2人は娘時代のような一夜を過ごす…◆大切に胸の中にしまったものの優先順位が、時とともに変わってしまうことは誰にもある。ただ、思い出せなくなったことも決して「なかったこと」ではない。帰り道が見つからない「あのころ」である◆小説はこう結ばれる。むかし同様、親しみや思いやりを分かち合った2人は翌日、別れを惜しむ。最後まで思い出すことができない旧友は「本当にごめんなさいね」とわびる。「わたしのほうは覚えていた。それが大事なんだわ」。主人公はそう慰めながら、自分たちがこの世から消えてしまうように感じる◆いい思い出ばかりを抱えて人生を終えたい。誰もがそんな都合のいい夢を描く。いつの間にか自分の胸の中から去って、誰かに預けたきりにしている記憶がどこかにあるかもしれない。ずっとそんな忘れものをしている気持ちになる。(桑)(佐賀新聞・2026/01/13)

 このコラムを読み、実際の日常でこのようなことが限りなく繰り返されることを思うについて、「「三好高校の国語教師だった健吾さんの遺された言葉、「「本物」とは、人間が手を加えつつ共生してきた自然であり、その変遷を刻み今の姿に学ぶ姿勢だろう」が、痛いほど身に沁みてきます。人間もまた、まぎれもなく「自然」です。その「自然に」手を加えつつ(教育しながら)共生してきた自然」、その自然が壊滅寸前のところまで来ている時代の波です。手を加えつつ育ててきた自然を慈(いつく)しむ新庄、それが「本物」の自然には不可欠なんですね。自然界のことであれ、人間界のことであれ。

 (「娘時代」・Tess Gallagher by Tess Gallagher、1943~)(テスさんは、レイモンド・カーヴァーの妻でした。二人は1979年から同居、1988年に正式に結婚し、その二か月後にカーヴァーがなくなります(右上写真)。村上春樹さんがテスさんの作品の翻訳をしていたと記憶しています)◎ 著者プロフィール 「1943年、アメリカ・ワシントン州ポート・アンジェルス生まれ。ワシントン大学、アイオワ大学創作科に学ぶ。在学中から詩作を開始。1974年、詩集“Stepping Outside”刊行。詩人として名を馳せる。1979年、作家レイモンド・カーヴァーとともに暮らしはじめ、1988年、入籍。病を得ていたカーヴァーはその二ヵ月後に死去。1986年、第一短篇集『馬を愛した男』刊行。『ふくろう女の美容室』は、最愛の夫の死後、丹念に書き継がれてきた名短篇10作とエッセイ2篇からなる、日本語版オリジナルの作品集である」(新潮社)

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