【夕歩道】子どもにも、その日、ただならぬことが起きたと分かった。周囲の大人たちがぞっとしていた。1970年11月25日昼ごろ、作家三島由紀夫氏が都内の自衛隊市ケ谷駐屯地で割腹自殺した。45歳。
憂国の情の発露とされる。前年のドナルド・キーン氏宛て書簡で「一九七〇年にかけては、ひよつとすると、僕も、ペンを捨てて武士の道に帰らなければならないかもしれません」と伝えていた。
70年は大阪万博やよど号ハイジャック事件も-。自殺4カ月前、産経新聞に「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない」などの文を載せた三島氏。今のこの国はどう映るだろう。(中日新聞・2025/11/25)

75年前、事件の一報を聞いて、「狂乱」と言う語が脳内に居座っママでしたね。ぼくの友人には三島さんに近い人や「盾の会」に入っていたものもいた。11月25日という日付は、吉田松陰の獄死した日に因むともいう。一作家のアジ演説に先導される自衛官は、今日でもいないでしょう。「そんなはずではない」という微かな手外れが、徐々に大きくなり、事前に整えられていた「段取り」に及んだのではなかったかと思う。三島氏の「介錯」をしたのは、森田正勝。大学の一年後輩。「盾の会」で何かを企てていることはそれなりに気が付いていた。それほどの「狂気」に奔る永久思いもよらなかった。歴史的に見ても、何らかの覚悟を成就しようとすると、時には、驚くほどの滑稽、喜劇に打つのは、事の性格が尋常ではないからでしょう。「三島事件」から何かを学ぶことはあるでしょうが、ぼくには無理ですね。
(この駄文を書いているのが午前8時過ぎ。朝方は比較的体調も問題がなさそうですが、そのあとから、叙情に「微熱」がぶり返し、体の節々が痛くなる。なななかすっきりとはしないのだ。本日も、このままベッドに戻り横になります)
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