祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり

【いばらき春秋】田舎で暮らす者にとって、汗だくで草刈り機を振る重労働は避けられない。このきつい日常を逆手に取り、都市部から「関係人口」を集める村が福島県にあると聞き、阿武隈高原を訪ねた▼人口約3000人、高齢化率45%の鮫川村。遊休農地と空き家の増加という喫緊の課題に対し、村の若者たちが「美活動刈上げ鮫(ジョーズ)」を旗揚げした▼合言葉は「草刈りはスポーツだ」。大豆の種まきや星空観察などを組み合わせた1泊2日のイベントを企画し、全国から参加者を募る。10月に行われた今年3回目の活動には、首都圏や遠く岐阜県からも大学生や会社員らが集結した▼参加者は講習後、地元の若者たちと和気あいあいと観光名所や空き家の草をきれいに刈り上げた。「非日常の爽快な体験。困っている人を助けられてうれしい」との声が上がった。作業後の卵かけご飯が、参加者と住民の交流の輪を温かく広げた▼主宰者は語る。「草刈りはきっかけにすぎない。大事なのは、住民との触れ合いを通じ、参加者にこの村を身近に感じてもらうこと」▼募集チラシの隅に小さく書かれた言葉が印象に残った。「第二の故郷の体験を提供いたします」。農山村の関係人口を創出する本質的なヒントが詰まっている。(山)(茨城新聞・2025/11/13)

 先月の半ば頃だったか、町役場から封書が届きました。「議会議員定数に関するアンケート調査」の「依頼状」でした。「議会においても議員定数・議員報酬に関する改革委員会が設置されて、検討が進められている」との旨が書かれていました。いずこも同じ「秋の夕暮れ」なのでしょうか。人口減少により、行き先の展望が見えない中での町政の現状打開が図られているとは思われますが、「展望」を持つところまではとても行き届いては行かなさそうです。残された道は「たった一つ」だろうと、ぼくには思われるのです。

 長柄町は房総半島のほぼ中央に位置した、純農山村というべき環境にあります。ぼくが当地に移住してきたのが2014年3月でしたから、およそ11年半が経過したところです。町の行政には、納税者として当然のこと、まったくの無関心ではありませんけれども、何度か議会の傍聴に誘われましたが、関心が湧かないままで過ごしてきました。(右図「結婚十訓」(昭和14年(1939)9月、「時の阿部内閣厚生省は、ナチス・ドイツの『配偶者選択10か条』にならって『結婚十訓』を発表した。背景には、昭和12年(1937)から続く日中戦争や満蒙開拓移民等による出生率の大幅な低下がある」(「歴史人」:https://www.rekishijin.com/36675)(国がかかる「感傷」を許されていた時代でしたね。国家という存在は何ものでしょうか。それにしても「結婚十訓」の項目の一々はなんと惨(むご)いものだたでしょうか。今もなお、ここからすっかり切り離されていると断言できないのは、何とも情けない国の仕業ですよ)

 これはぼくの性格でもありますが、政治にはほとんど関わらないままで生きてきました。約半世紀近くの勤め人時代も同じことでした。目前の役目・役割に沈潜・埋没するとでも言いましょうか、それ以外は他所事(よそごと)という態度を貫いてきたと思います。偉くなりたいとか給料をたくさんほしいという欲望も、お寿司のメニューに例えれば「松竹梅」の「梅(以下)」で、しかし、仕事柄、必要と判断すれば、嫌な役目でも引き受けて真面目に(本人とすれば)果たしてきたつもりでした。この山の中の辺鄙な土地を選んだのも、だから、その反動で、世間とは没交渉(というのも変ですが)を通して、何とか他人に迷惑をかけない程度の明け暮れをと、願ったまで。(そもそも、生きていることは誰かれには迷惑をかけているのですがね)

 役場仕事に関してもあれこれと感じないことはなかったが、それも他人事(ひとごと)と、「我関せず焉(えん)」を決め込んでいた次第。町の人口減について、それなりに気にはしていましたが、町の行政がそれに関して具体的な積極政策を繰り出してきていたとはとても思えませんでした。その多くは御多分に漏れず「企業誘致」「教育機関誘致」などの通り一遍のものでしたが、ことごとくが首尾よくは行きませんでした。地域開発や土建事業はそれなりに今の状況でもやればできますが、少なくとも「人口減」だけは、ある種の自然現象ですから、なるようにしかならない、そう考えています。これは当該町だけに限らず、広く国全体の問題でもあります。毎年百万人規模(程度)の人口減少が発生している現実に、なすすべはないとぼくは考えています。戦時下の「産めよ増やせよ」という時代ならいざ知らず、国策をもって、ある時期の中国もそうでしたが、人口増を測ることは可能だったかもしれませんが、今の時代、個々人の意向や同意を無視して、強引な人口増政策はまず不可能と言わねばなりません。

 今日、世界人口全体の約8割が都市の住民だとされています。都市集中、一極集中です。これを今からどうにかするというのも至難の業でしょう。日本も同じ環境にある。それなりの経済「成長」を遂げた国々に共通してみられることです。問題を大きく、世界規模などでとらえる必要はありません。「町のアンケート調査」問題に戻ると、現在の長柄町は1955年に近隣三自治体(村)が合併して発足した町でした。発足時の人口は9.300人。現在は6.100人。県内17町村中、下から二番目の人口規模の自治体です。最少は神埼町の5.616人(10月1日現在)。議員定数の算出方法はいくつかあるでしょうが、ほぼ人口数に応じた割合で決められているようです。最少議員数は10人で、4町村あります。長柄町は12人です。一議員当たりの人口比では、県内首位ですから、このままでいけば、さしあたりは、少なくとも10人にまで減らせということになります。だから、アンケートなどいらないではないかというのが、ぼくの愚論。自治体の人口減少対策にはさまざまな意見がありえますが、いずれも決定打にはならないことは明白です。

 ぼくの結論、と構えるほどでもありませんけれど、現状では、人口小規模の他の4町村並みに10人が妥当でしょうが、早晩、もっと事態は深刻になります。どうしますか。おそらく町村合併をやって当座をしのぐことになるでしょう。明治以降、この国は何度か大規模な自治体合併を繰り返してきました。近年では「平成の大合併」でした。何れ「令和の合併」も行われるでしょうが、さらに、各地区の人口減は「合併規模モデル」を上回る勢いで続くはずです。

 では、この危機を突破するにはどうするか。おそらく、ここでその愚論を書くのでは不謹慎の謗りを受けるはずですから、書くことは致しません。けれども、これまでの歴史の教えるところでは言うなら、「国」が生き延びるのは「他国」に手を、足を延ばすほかなかったでしょう。今は、そこまで早とちりはしたくないので、ここまでで、駄文は止めておく。もちろん、長柄町のアンケートには応えるつもりですが、上に記した如く、2名の議員数減、その次の段階は町村合併です、さらに次の段階は「他自治体に吸収合併」でしょう、長柄町がなくなる(消滅するという意味)です。以上。(以下は蛇足)

 国会では衆議院議員の定数削減が不純な動機で「議論」されかかっています。地方選出議員数の人口比では極限まで行きましたから、次の段階は「(県単位の)「合区」の拡大」と、都市部の議員数増ですね。面倒な議論は止めておきますが、ここにおいても「人口減少」と「都市への一極集中」問題が大きな口を開けて立ちふさがります。現下国難を生んでいる2大要因ですね。衆議院議員(小選挙区)が最大である自治体は東京都の25名。最少数は山梨県などの2名。「移住の自由」や職業「選択の自由」が認められるべきであるのを承知で、「25対2」という議員数の割合は、どういうことなんでしょうか。「お前は半人前」と未熟や年齢で烙印を押されるのは常のことですが、「25対2」という比率をどういえばいいのでしょうか。

 人口比で議員数を決めるのは妥当ではあるでしょうが、「法の下の平等」を厳密にとらえれば、このような歪(いびつ)な選挙区割りは破綻しているというほかないでしょう。東京都に拮抗するには山梨を含めた自治体が「束になって」(それでも14名になるだけ)かかるしかないのでしょうか。選挙区割りの課題が、政治家の怠慢で積み残され(放置され)続けてきた結果(証拠)です。自前の議会を持てない自治体も出てきています。議員のなり手がいない自治体も出現しています。その理由は何でしょうか。各地方では、箸にも棒にもかからない「(最劣悪・最愚劣)首長」が続出していますのも、この現象と無関係ではないでしょう。最後は、何処かに「植民地」を求めることになりそうですね。

 市町村合併は国内における「植民地化政策」でしょう。弱肉強食の結果が「合併」です。国内で埒(らち)が明かなければ、国外に「合併相手」を求めるのは事の成り行きと言ってしまえば、簡単です。そんなことができるかというなら、国の消滅にかかわる問題ということになります。この国には「前歴(前科)」があります。それに学んで、「備えあれば憂いなし」と、躍起になっているのがただ今の「政権」の目下のねらい目でしょうか。「まず隗より始めよ」で、町の議員数問題をそれなりに真面目に考え抜けば、国の先行き(将来)が(あまり美しくも明るくもありませんが)見えてくるというものです。人口減少現象は自然の流れです。誰が、どのようにして止められますか。まるで「台風」や「地震」のようなもの。「サナエあってもウレイあり」ですよ。当座はおろか、百年や三百年先の将来にとどまらない、永遠の問題です。

********

諸行無常(しょぎょうむじょう)= 仏教の命題。「諸法無我(むが)」「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」とともに仏教教理の基本的特徴を示す三法印の一つ。とくに原始仏教経典にしばしば記されている。諸行の「行」とは「つくられたもの」の意であるから、全体で「一切(いっさい)のつくられたものは時間の推移によって生滅(しょうめつ)変化し、常なることはない」という意味になる。この命題を真に理解すれば、たとえば人の死にあっても悲しむことはないといわれる。後の部派仏教(小乗仏教)はこの命題に関して「つくられたもの」と「つくられないもの」とを峻別(しゅんべつ)し、また無常の構造をより精緻(せいち)に理論的に考察して独特の体系をつくりあげていった。諸行無常は日本文学でも好んで扱われてきたテーマであるが、インド仏教の論理的考究と異なり、時間が過ぎゆくにつれて消滅する過去への詠嘆としてのみとらえる傾向が強く、日本人の仏教観をやるせなく力弱く暗いものにしてきたことは否定できない。(日本大百科全書ニッポニカ)(ヘッダー写真は「林原美術館蔵 平家物語絵巻「祇園精舎」)

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII

 

Published by

dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)