国歌には歴史や文化が鮮やかに映し…

【産経抄】国歌「君が代」なぜ嫌う スポーツの秋、特に昨日の日曜は朝から米大リーグワールドシリーズ、午後は競馬の菊花賞、夜はプロ野球日本シリーズで阪神を見守らねばならず、締め切りの早い小欄は原稿を書く余裕がない。▼それでも今秋の政局に隠れて気になった教育の問題を書いてみた。一つは、沖縄県石垣市議会で9月下旬、子供たちが国歌の君が代を歌えるかなど、小中学校でのアンケートを求める決議をしたところ、市民団体などから「子供たちの内心の自由を脅かす」などと批判が起きた。朝日新聞も社説で「子どもを政治に使うな」と批判していた。▼国歌を歌えるか聞いてなぜ悪い。心ある読者は首をひねるだろう。決議では小中学校の学習指導要領では音楽の授業や入学式・卒業式での斉唱を通じ国歌を学ぶことが明確にされていると説明する一方、保護者から、子供たちが十分に歌えていないのではとの懸念があるという。▼国の象徴である国旗、国歌を尊重するのは自然な姿だ。ところが卒業式などでの指導をめぐって、各地で反対運動が繰り返されてきた。平成11年に広島県で校長が自殺する痛ましい事件が起き、国旗国歌法が制定されたが、その後も式の国歌斉唱の際、一部教員が起立せず、礼を守らない問題などが起きている。保護者の懸念はもっともだ。▼もう一つ、次期学習指導要領に向けた中教審部会の基本方針で「子供の意見表明権」を教育活動に取り入れる方向性が示されたとか。校則見直しなど、子供たちが主体的に参加する活動が想定されるというが、「君が代」を歌わなくてもいい―などと反乱が起きてはたまらない。▼自由や権利には義務やルールが伴う。国歌には歴史や文化が鮮やかに映し出されている。まず教えてほしい。(產經新聞・2025/10/27)

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 產經新聞のコラム「産経抄」は、毎日読みます。とても刺激的で、眠気覚ましには好材料でもあるからです。もちろん、表現の自由は大いに尊重されるべきですから、そんなことを書いてはダメだとは言いません。しかし「ここは可笑しいなあ」とか「それは違いますでしょ」というようなときに、それを指摘(意識)するのも読書の大きな役割だと思っています。本日のコラムは「国歌」、それも学校教育における「国家」の扱われ方の問題について、です。沖縄石垣島での出来事を紹介されている。「(子どもたちが)国歌を歌えるか聞いてなぜ悪い。心ある読者は首をひねるだろう」と述べられています。ぼくは「心ない読者」ではありますけれど、「国家を歌えるか聞いて、どこも悪くない」と思っていますから、コラム氏の指摘には賛成です。ただ、理由如何では「もっと指導しないと駄目だ」となるなら、それは藪蛇となり、強制して歌わせるものではないでしょうにと反抗したくなります。

 「学習指導要領」の位置づけにはいくばくかの疑問があることをぼくは指摘します。(「学習指導要領」とは、全国どこの学校でも一定の水準が保てるよう、文部科学省が定めている教育課程(カリキュラム)の基準です。およそ10年に1度、改訂しています。)(文科省)つまり「学習指導要領に…明確にされている」から、無条件にそれに従うべきだという点には賛成できかねるといいたい。学習指導要領は万能ではないことは、いささかも譲りたくない。むしろ「国旗国歌法」に即応した方がいいのではないでしょうか。「国の象徴である国旗、国歌を尊重するのは自然な姿だ」とコラム氏は書かれていますが、さてどうでしょうか。藪から棒に「自然の姿」と言われるが、本当にそうですか。そう言わせるような「政治圧力」がかつて働いたから、現行の「国旗国歌法」が制定されたのではないでしょうか。その際、政府見解として「学校教育等には、導入を強制しない」とまで付言されています。「国歌」を歌うように強制する、つまりは「愛国」の強制に通じるのが目に見えているから、「それは可笑しい」「間違いではないですか」と言いたいのです。(註 国会における審議過程で、「同法が教職員に国旗掲揚や国歌斉唱を強制するものではない」とするいう政府の説明があった)

 次いで、ぼくの大きな異議は「国歌には歴史や文化が鮮やかに映し出されている。まず教えてほしい」とされている部分、ぼくは無知であり無能ですから、そこのところがよく分からない。「君が代は千代に八千代に…」のどこに、「歴史や文化が鮮やかに映し出されている」のでしょうか。どこをどう読めば「鮮やかに映し出されている」のが判然とするのでしょうか。「君が代」は「炙り絵」ですか。そもそも「君が代」の出自は怪しいもの(不明)とされるのが相場です。なぜ怪しいのか。理由はいくつかあるでしょう。(ここでは面倒だから述べない)

 いずれにしても「国歌」として制定されたのだから、「学校で指導する(導入する)のは当然」であり、それに背くものは「処分」の対象になるとされたのは、今は亡き元東京都知事による「恣意的な行政権の行使」だったというべきでしょう。異論はあろうがなかろうが「斉唱を強制する」のは違憲ではないとする判断の方が間違いであるというべきだとぼくは考えています。逆に言えば、どうして強請・強制するのだろうかという、別方向からの疑問が湧きます。「国を愛せよ」と「愛国」を強制するほど愚かで、間違えていることはないと思う。「愛せよ」と強いられて、何かが愛せるんですか。

 本日は「お茶を淹(い)れる」(「お茶を濁す」ではない。それは毎度のことですから)という話で簡単に済ませるつもりでしたが、「産経抄」に唆(そそのか)されて、あらぬことを駄弁りだしました。まだ終わりではないのですが、洗濯機を回す準備等もあり、ここまでにします。現在、文科省では次期の「学習指導要領」改訂作業に入っていると聞きます。ほぼ十年ごとの改定期に当たっており、新内閣の発足と時期を同じくします。巷間伝え聞くところでは「教育勅語」が学校教育に導入されるとかされないとか。「朕思ふに」、ですな。時代は変われど、人心は変わらないのだなア、とひと嘆息もつきたくなる。とにかく「教育勅語」大好き議員たちが、新首相をはじめ、ぞろぞろと国会内を這いずり回っています。もう一度「明治に戻れ」「明治に戻ろう」「再び、美しい国を取り戻そう」という、正体不明の維新政治(restoration politics)が始まっているのでしょう。宗主国もまた「先祖(南北戦争以前)返り」を始めています。ならば、属国も…。それにしても、「千代に八千代に」可笑しいねえ。

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きみ‐が‐よ【君代・君世】[ 1 ] 〘 連語 〙① ( 「よ」は寿命、いのちの意 ) あなたの寿命。あなたの年齢。「きみ」は、主として男性の、尊敬すべき相手をさしていう。[初出の実例]「君之歯(きみがよ)も我が代も知るや磐代の岡の草根をいざ結びてな」(出典:万葉集(8C後)一・一〇)「君がよはかぎりもあらじ長浜の真砂(まさご)の数はよみつくすとも〈よみ人しらず〉」(出典:古今和歌集(905‐914)神あそびの歌・一〇八五)② わが君の時代。(イ) 一般に、高貴な人の生存している時、栄えている時をさしていう。[初出の実例]「先の太政大臣(おほきおほいまうちぎみ)を白川のあたりに送りける夜よめる 血の涙落ちてぞたぎつ白川は君が世までの名にこそ有りけれ〈素性〉」(出典:古今和歌集(905‐914)哀傷・八三〇)(ロ) 特に、天皇の治世をいう。現天皇の聖代。
[初出の実例]「きみがよは風も心をよせつれば枝のどかなる住吉の松」(出典:栄花物語(1028‐92頃)松の下枝)[ 2 ] 〘 名詞 〙① 食物の名。白餡(しろあん)の濃い汁粉に玉子を割り込んで軽く煮たもの。卵の黄身にもじっていう。② 植物「いわちどり(岩千鳥)」の異名。[ 3 ] 日本の国歌。「古今‐賀」の「わが君は千世にやちよにさざれ石のいはほとなりてこけのむすまで〈よみ人しらず〉」という長寿祝福の歌が、後世もてはやされ、「隆達節歌謡」「和漢朗詠集」などの流布板本や浄瑠璃などになって、初句が「君が代は」として伝えられた。はじめ、明治二年(一八六九)イギリス人フェントンが作曲。のち、明治一三年、宮内省式部寮雅楽課の林広守が現行曲を作曲。同二六年、文部省が祝日大祭日唱歌の一つとして制定し、国歌として慣習的に認められてきたが、平成一一年(一九九九)施行の「国旗及び国歌に関する法律」によって正式に国歌と定められた。(精選版日本国語大辞典)

 国旗及び国歌に関する法律 (1999年8月13日公布・施行)
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。(以下略)

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「徒然に日乗」(983~989)

〇2025/10/26(日)ただ今午後9時。室温18.9℃、湿度79%。終日雨天。気温はさほど低くはなかったので、楽だった。▶大変迂闊な話だが、このところ、家猫でやたらに啼き声をあげる♂がいる。何という名前だったか、首輪が取れているので、よくわからない。全員には着けておくのだが、何かにひっかかるとすぐ外れるような種類で、時には自分で引き取る子もいる。また、着ければきっと自分で外すのもいて、常に名前がわからなくなるのだ。今では半分ほどしか着けていない。赤トラは7匹ほどもいるから、よほど特徴がないと見間違える。ほとんど顔つきも体の大きさも変わらなく見える。恐らく、母親が同じ、父親もどうかすると同じ子たちかもしれない。とにかく、外から泣きながら帰ってくるし、家に入っても、どうかすると泣き通すのだ。こんな子はいなかったはずだが、と考えて思い当たったのは、数か月前に帰ってこなくなっていた猫が、いま家に帰って来ていたのだ。猫なりに、「帰って来たぞ」という合図だったことがわかる。しばらくは、その意味が理解できなかったのは「迂闊」というもの。この間、きっと心細い思いをしていたに違いない。それにしてもなぜ帰らなかったのか、よくわからない。ある日、彼がいなくなってかなり経った頃、いきなり大きくなって太った猫が目に付いたので、別の子がいつの間にこんなデカくなったのかと、何とも不思議に思っていたのだが、今日、この子は「COO(クー)」と名付けた子だったことが分かった。いつもぼくの膝の上に来て、大いに甘えるのだが、以前のように掴まえて膝の上に乗せると、その癖を丸出しにするのだ。気分がよくなりかけると「欠伸(あくび)」を連発するところも見せてくれた。いつの間に帰って来ていたか、それ以上に、いったいこの数か月どこで暮らしていたのかと思う。近所(と言ってもかなり離れていて、数軒しかない)で食餌を貰っていたのだろうか。とにかく、たくさんの猫がいるのに感(かまけ)て、ひとりひとりをよく見ていなかったという現実に赤面している。▶昼前に茂原まで買い出しに。スーパーの駐車場は満車。雨降りの日曜日。何があるのだろうかと、中に入って聞いてみると、なんだか「イベント」があるとかで、たくさんの人が集まっている。きっと「ハローウィン」の行事の一環なのか、いろいろと工夫を凝らした帽子や化粧をした子どもたちがたくさんいた。(899)

〇2025/10/25(土)終日雨降り。肌寒い日でもあった。外気温は15℃にも達しなかったのではないか。車のバッテリーの補給水を入れる作業も中断したまま。再生はだめかもしれなという気持ちが強くなるばかり。昨年の車検の際に新しく取り換えたばかりのバッテリーで、いくらも走っていないままで、お釈迦にするのかと思うと、情けない気分が出てきてしまう。今の予報では明日も雨天だというから、作業は次の日以降になるだろうか。(898)

〇2025/10/24(金)終日、雨が続く。気温は十数℃で、まるで冬のような陽気だった。▶昼頃に買い物で茂原まで。雨天の中、どういうわけだか、店内は相当に混雑していた。▶昨日途中までやりかけていたバッテリーの精製水を入れ始めたが、バッテリーの栓がなかなか開かないので、専用の道具を探しに自動車店に出かけた。整備工さんの話では、バッテリー内の水分が蒸発したために内部で相当に圧力がかかって開かないという話を聞いた。十円玉で開けようとして、それが歪んだほどの固さだった。いつも車検などを依頼する整備工場ではバッテリー充電はしないとの話。いよいよ、自力で行う必要があるのだが、はたしてバッテリーは生きているか、再生できるかという疑問が出てきた。再生は無理という話も併せて整備工氏から伺った。▶新首相の「所信表明」を聞いたが、実に内容空虚。他人の書いた作文を読むだけだったが、羅列された項目そのものが空虚で、浅薄。驚くほどの無能首相だと判断したほど。果たして、首相を短期間と雖も全うできるとは思われないとまで。ここにもまた「国を売る政治家」がいたのだ。故元首相の「嫡子」を名乗るのも頷ける。架空(似非)「連立政権」の行方は俄かに怪しくなったと思う。(897)

〇2025/10/23(木)今日も寒い日だった。陽射しは出ないままで、気温は20℃未満。▶午後1時過ぎにかみさんの運転免許証再交付の件で茂原署まで。帰途、かみさんはアスレチックでひと汗かくという。そのまま帰宅して、猫の世話。その後、3時過ぎにかみさんから電話。茂原まで迎えに行く。▶自家用車のバッテリーの精製水を補充しかけていたが、少し時間が中途半端になったので、明日以降に回すことに。▶「世界の真ん中で咲きほこれ」「食料自給率100%」などというキャッチを繰り返す「大惨事(第三次)ABE政権」の船出。内閣支持率は70%を超えたという。救いがたいお人よし、それが多数もいる選挙民だと言ほかない。特に「若者」の能無しは驚くべきで、学校教育の成果、ここにありと言うべきだろう。(896)

〇2025/10/22(水)お昼前だったか、茂原警察から電話があり、申請中だったかみさんの運転免許証再交付が可能だということだった。本日は寒くてかなりの雨だったので、明日以降に受け取りに行くはず。▶昼過ぎにNPO「B4S」から連絡があり、クレジットカード変更手続きが完了したという。電話で伺ったのだか、このNPOも創設以来20年だとも。よく続いたもので、実に感心させられている。合わせて、寄贈予定の文庫本等の件も問い合わせがあった。暇ができたら、整理して、このNPOに相応しいものを送ってやろうと思う。(895)

〇2025/10/21(火)ただ今、午後8時45分。室温18.5℃、湿度70%。この時間で20℃を下回っている。今季初めてかもしれない。とても肌寒い。少し雨が降っている様子だ。予報では明日は日中でも13℃程度だという。気温は一日を通して、ほとんど変化がない、今はもう「冬」と謳いたくなる。▶午前10時過ぎに、猫缶購入のためにあすみが丘へ。例によっていつもの商品は本日も不足がち。ために、別の商品を少しばかり購入。時にはメニューを変えるのは猫にとっても気分転換で食欲がさらに進むだろうか。▶午後、かみさんを茂原のアスレチックまで。30分で一単位を数える体操クラブ(カーブス)らしい。この会社の経営者に、卒業生の親が就いているという話を聞いたことがある。卒業生は、今札幌で弁護士を開業。元はプロボクサーでもあった男だ。▶新たな総理大臣にT氏。初の「女性宰相」だと、マスコミは大変な持ち上げよう。上滑りの船出だが、舵(かじ)取りは心許ないし、船員仲間には「不良」もいれば「ならず者」もたくさんいるので、いよいよ沈没が危惧される。(894)

〇2025/10/20(月)この数日ははっきりしない天気が続いている。雨模様の低温状態で、時には肌寒さも感じるほど。「今はもう秋」どころではなく、「もう晩秋」「冬まじか」と言ったところか。北海道では雪も予想されるという。そのせいもあってか、「冬眠前の熊たち」の市街地徘徊(侵入)ぶりには胸が痛む。まるで蛇蝎の如く、天敵の如く人間から責められ、猟銃を向けられるのだ。熊出没情報が出ているにもかかわらず、危険個所に出向き「被害」に遭遇する。今年はこれまでで最多となる8名の命が奪われたという(10月20日現在)。▶昼前に茂原まで買い物。途中、バッテリー用の精製水を購入。水分が足りずに、エンジンが始動しないということを経験したのは初めて。あまりの高温続きで、あるいは水分が蒸発したとも考えられる。水分を補充して、さてバッテリーの充電はできるだろうか。明日にでも試してみたい。▶自民党と維新の会が連立を組むことが正式に決まったそうだ。「野合」というのだろう。辞書には、「野合」とは「正式の手続きによらず、夫婦になること」とあり、さらには「共通するものもないばらばらの集団が、まとまりなく集まること」(デジタル大辞泉)と出ている。永田町に最近見せつけられている、「自維(嫌な組み合わせだ)連立」という「野合」はどちらの意味なんだろうか。「権力の座に手足をかけるためのマヤカシ (illusion)」だというほかない。最低の政治劇場が幕開けするのだ。まるで観たくもない「猿芝居(monkey show)」というべし。(893)

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)