
中学生だった頃、国会が開かれると「所信表明(施政方針)」(首相)、「経済・財政演説」(財務(旧大蔵)大臣)、「外交演説」(外務大臣)、この三本の演説は恒例行事で、新聞は懇切丁寧にその「解説」を行なっていたものでした。どの演説も、その概要は掲載されていましたので、ぼくはなぜだかよく読みました。誰に強いられたのでもなく、真面目に読んでいたと思う。恐らく、その当時(今から65年以上も昔、昭和35年前後)、この国は「敗戦後の復興」も道半ばで、すべてが貧しいままの状態に辛苦していたのですが、その貧しさの中にも「真面目」「正直」「助け合い」と言った、社会正義が死んではいなかったと思う。もちろん、寝惚けたままで生きていた中学生のぼくでしたから、何をどう分かっていたか、我ながら判然とはしませんが、それでも「嘘はつかない」「他人と争わない」「どんな時も相身互い身」、そんな気分は横溢していたような気もします。

なにしろ、気の遠くなるような昔の話ですから、多分に脚色しているところがあるでしょう。当時の社会科の授業で、担当教師(その風貌は鮮明に記憶しています)、S 先生が、「今年(1959年)度の国家予算」は「イッチョウヨイクニ(1兆4192億円)」だと教えてくれました。毎年度の予算額に「ニックネーム」(語呂合わせ)をつけていたものでした。以来幾星霜、国会も様変わりし、予算規模も百倍になった。ぼくの政治(国家予算)に対する関心の持ち始めは「イッチョウヨイクニ」でしたね。ある時期からはこの「語呂合わせ」もなくなった。そんな悠長なことはしておれぬという、窮屈な時代になって来たからでしょう。
(ヘッダー写真は「ライトアップされた国会議事堂」=2019年10月25日、東京都千代田区【時事通信社】)(左写真は農場と化した国会前広場、1946年6月。国会議事堂は1936年11月に完成しましたから、来年で90年目)

仮に、当時(1960年前後)の勤め人の給料が一万円だったとして、国家の予算と同じような規模(割合)で上がり続けていれば、今日では100万円。そのような給料で果たして十分な暮らしが維持できているでしょうか。あるいは万々歳、上等すぎると思われるでしょうか。この昭和三十五年当時、「13800円」という流行歌がフランク永井という歌手によって謳われていました(1957年1月発売)。民衆の多くは質素と言うか、健気と言うか。ぼくは幼すぎる「青春」の真っただ中にいたと思う。もちろん、たった一人で、野山を駆け回っていた時代でした。「13800円」がどれくらいの価値だったか、ぼくには知る由もありませんでしたが、それから65年過ぎてしまえば、時代の趨勢は、風紀紊乱に流れ、世相いよいよ殺伐となり、その社会力(助け合う力)は衰えてしまったということを痛感しているのです。(*フランク永井「13800円」:https://www.youtube.com/watch?v=1eO0f_E7paU&list=RD1eO0f_E7paU&start_radio=1)
昨日、久しぶりに「首相の演説」を飛ばし飛ばしで聞きました。とてもではありませんが、空回りする言葉の羅列、全部を通して、一気呵成に聴けたものではなかった。だから、ぼくは首相官邸編の「全文」を、それも苦しみながら、ゆっくりと読んでみたという次第。読んでみた感想と言おうか、批評と言おうか、自分ながらに、空しくなったし、悲しくなりましたと正直に白状しておきます。もちろん、今どきの政治家、特に首相という存在が、どの程度の代物であるかは篤と承知しているつもりでした。新米首相に関しても、ぼくはその知性や人間性の、欠片(かけら)・部分のようなものは知っているつもりだったが、直に「所信演説」を聞いて(読んで)、これほどまでに「空虚」「浅薄」「浅識」「浅墓」「軽躁」…、本当に情けなくなった。「可哀そうな人」などと、いたく同情しもしました。こんな人しか首相にならない国や時代は、とても不遇というか不幸というか。国家のかじ取りを任せられないよ、そんな感情が湧いてきましたね。「お前、それはあまりにもひどい。許せない『罵詈雑言』ではないか」と、大方からは謗(そし)られ、罵(ののし)られるかもしれませんけれど、正直・率直に言うなら、それほどに、ぼくの想像を超えて、この御仁の中身は「空無」「空語」「空想」の著しいものがありました。
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理想と現実、試される柔軟さ 高市首相の所信表明、際立つ「安倍色」 高市早苗首相が24日に臨んだ初の所信表明演説には、首相が抱く「理想」と、少数与党として直面する「現実」への苦悩が入り交じる。/際立つのは、首相が政治の師と仰ぐ安倍晋三元首相を想起させる「安倍色」と、安全保障を重視して「強さ」を前面に押し出す保守的な内容だ。
「強い経済を作る」「力強い外交・安全保障」――。演説原稿には、文中の見出しを含めて「強い」が計10回、「安全保障」は計18回も登場した。/「強い~」は安倍氏が演説で多用した言い回しだ。第2次安倍政権で初の所信表明演説(2013年1月)では「断固たる決意をもって、強い経済を取り戻す」と呼びかけ、場内から喝采を浴びた。首相が演説で2度にわたって言及する「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」も安倍氏が好んだ言葉だ。表現を含め、後見役だった安倍氏の政治手法を強く意識しているのだろう。
最優先課題は「物価高対策」とし、経済重視を強調する一方で、政策面で最も踏み込むのは安保政策だ。国家安全保障戦略などの安保関連3文書について、来年中の前倒し改定を目指すなどと表明した。/だが、「安倍1強」と言われた安倍政権と、少数与党に転落した現在では政治状況は大きく異なる。演説では、日本維新の会が掲げる副首都構想や社会保障改革など新たな連立相手の看板政策や、野党と合意した政策の説明に多くの時間を割いた。「政治の安定」に向けて、野党の政策提案に「柔軟」に向き合う考えも強調した。
理想と現実に向き合い、強さに柔軟さを織り交ぜながら政治を前に進められるのか。首相の政治手腕が試されることになる。【飼手勇介】(毎日新聞・2025/10/24)
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まず、自分の言葉がないということ(空無)(絶無)、次いで物事(案件)の次第(無内容)を列挙して、それで事足れりとする姿勢そのものが「軽薄」でした。もちろん、ぼくは彼女を買いかぶっていたのではありませんが、十分に底の浅さを測り違えていたということは認めます。彼女自身以上に、永田町の住人の「知性」が酷(ひど)すぎるということの証明にもなるでしょう。「所信」の内容に入るのは止めておきます。泣きたくなること間違いなしですから。内容浅薄、言語(感覚)一切空虚。ぼくが抱いた評価(非難)は、この首相の「あこがれ」だった故元首相とそっくりで、元首相も「(歴史的な)浅薄総理大臣」だったと、ぼくは今でも評価している(評価していない)のです。なぜ、彼が史上最長の在任期間を誇ることができたか。(「長きがゆえに尊からず」)そもそも、なぜそんな無能な人間が首相に就任した・できたのか。ぼくは、それは彼が「時宜(幸運)を得たからだ(He was lucky and timely)」と論じたことがあります。総理の座に座った議員では、「ああ、ラッキー」という人の方が多いくらいですね。
たしかに「時宜に叶う」ということであったと思っている。「時宜(人材の空白期)」を得ることは誰にだってできることではありませんから、「時がちょうどよいこと。適当な時期・状況」(デジタル大辞泉)つまりは、宝くじに当たるようなもので、運がよかったという意味です。運もまた「才能」とは言いたくありませんが、そういう奇蹟・奇遇は何処にでも起こり得ます。では、現首相はどうか。やはり「時宜を得た」「時宜に叶った」のでしょう。でもこの先も「時宜を得続ける」か、時宜に叶い続ける」か、それは分かりません。ぼくの見立てでは、この職を、長く全うできる人材だとはとてもとてもとても、夢にも思われない。「鉄の女」とか自称もされていますが、錆(さび)だらけだし、実に情緒過多の「感情屋」だと思う。

言葉だけが浮き上がっていました。「強さ」が10回、「安全保障」が18回、演説中に使われていたという。強さを願望し、国力(国防)強化に執念を燃やしているのは分かりますけれど、何か大きな勘違いをされているように思われます。「強い」「強く」という単語を使えば、物事は強くなるものでもないし、この国の現状で、安全保障や国防強化を何のためにするのかという、根本の疑問がいつまでも消えません。どこと戦うのだろうか。戦いたいのだろうか。「流言飛語(りゅうげんひご)」という言葉が浮かびました。「口づてに伝わる、根拠のない情報」(デジタル大辞泉)、それを首相自身が国家議事堂から流しているのではないかとさえぼくには思われました。地に足をつけ、現下の国情をつぶさに見るなら、さらに「別乾坤(世界)」が見えるのではないでしょうか。首相が見ているのは「錯覚」「幻影」の仕業による「夢物語」のような気がしてきました。「色即是空 空即是色 受想行識亦復如是」(「般若心経」)
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1 始めに 私は、日本と日本人の底力を信じてやまない者として、日本の未来を切り開く責任を担い、この場に立っております。
今の暮らしや未来への不安を希望に変え、強い経済をつくる。そして、日本列島を強く豊かにしていく。世界が直面する課題に向き合い、世界の真ん中で咲き誇る日本外交を取り戻す。絶対にあきらめない決意をもって、国家国民のため、果敢に働いてまいります。
「政治の安定」なくして、力強い経済政策も、力強い外交・安全保障政策も、推進していくことはできない。この思いを胸に、「日本再起」を目指す広範な政策合意の下、自由民主党、日本維新の会による連立政権を樹立いたしました。
さらに、国家国民のため、政治を安定させる。政権の基本方針と矛盾しない限り、各党からの政策提案をお受けし、柔軟に真摯(しんし)に議論してまいります。国民の皆さまの政治への信頼を回復するための改革にも全力で取り組んでまいります。
それが国家国民のためであるならば、決してあきらめない。これが、この内閣の不動の方針です。
2 経済財政政策の基本方針
何を実行するにしても、「強い経済」をつくることが必要です。そのための経済財政政策の基本方針を申し述べます。
この内閣では、「経済あっての財政」の考え方を基本とします。「強い経済」を構築するため、「責任ある積極財政」の考え方の下、戦略的に財政出動を行います。これにより、所得を増やし、消費マインドを改善し、事業収益が上がり、税率を上げずとも税収を増加させることを目指します。この好循環を実現することによって、国民の皆様に景気回復の果実を実感していただき、不安を希望に変えていきます。/こうした道筋を通じ、成長率の範囲内に債務残高の伸び率を抑え、政府債務残高の対GDP比を引き下げていくことで、財政の持続可能性を実現し、マーケットからの信認を確保していきます。(中略)
12 結び 以上、ここに述べました所信に則り(のっとり)、必ずや、日本列島を強く豊かに、日本を再び世界の高みに押し上げてまいります。/「事独り断(さだ)む可(べ)からず。必ず衆(もろとも)と与(とも)に宜(よろ)しく論(あげつら)ふ可(べ)し」/古来より、我が国においては衆議が重視されてきました。政治とは、独断ではなく、共に語り、共に悩み、共に決める営みです。私は、国家国民のため、各党の皆様と真摯に向き合い、未来を築いてまいります。
どうか皆様、共に日本の新たな一歩を踏み出しましょう。/御清聴ありがとうございました。
(*第219回 国会における高市内閣総理大臣所信表明演説(令和7年10月24日閣議決定)(首相官邸・令和7年10月24日)(https://www.kantei.go.jp/jp/104/statement/2025/1024shoshinhyomei.html)
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ぼくはたった一度だけ、国会に出かけたことがあります。かなり前ですが、衆議院の憲法調査会に呼び出され、「教育に関して愚見を述べろ」と言われたからでした。もちろん、ぼくが進んで出かけることはありえないわけで、ぼくの友人の政治学者が、当時の有力政治家(と目されていた、今は故人となられた)にぼくの名前を教えていたからで、友人との誼(よしみ)で赴いたまで。二度と行くところではないと思いましたね。(この逸話にはどこかで触れています)現首相は「傀儡(かいらい・くぐつ)(puppet)」(「自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者。でくの坊」(デジタル大辞泉)だと言いましたが、人形を操る輩はたくさんいる。この「所信表明」演説は、並みいる官僚たちの「作文合戦」「文章切り貼り」の結果、出来上がった「お粗末の一席」であるのは一目瞭然、そして一読暗然とします。
(左上写真:NHK「国会議事堂 夜景ズームイン 東京都千代田区永田町にある国会議事堂の夜景。すっかり暗くなった中、国会議事堂の建物だけが明かりに照らされ浮かび上がっている。高さ65メートルあまりの中央塔にゆっくりとズームイン。2008年9月撮影)
官僚たちの脳力(能力)も地に堕ちていますね。ただ今現在の人民の苦しみはそのままに(物価は上がり続け、それによる税収増は確保できるし、円安誘導による輸出産業でもある大企業の収益も増えるし、もちろん、それに連動して株式は値上がりを続けます。大企業や資産家はさらに富むという構造を温存しますという「演説」でした)加えて、米国に精一杯阿(おもね)るために、もっぱら防衛力増強に腐心し、武器輸出も図る。あるいは憲法改正による「強い国家」「美しい国」づくりに身命を賭すと言わぬばかりの「所信表明」でもありました。国民窮迫して、国家一人栄える、まるで悪すぎる冗談ですね。人があって、国がある、その順番を間違えているような、時代錯誤の濁音が漂っていました。

「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす」ですね。また「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし」という文句がひとりでに出てきました。「なるようになる」「なるようにしかならない」とは、古人の誰彼なしが書き残し、言い伝えてきた「箴言」ではないでしょうか。
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(⇓の図表は財務省・「令和5年度までは決算、令和6年度は補正後予算、令和7年度は予算による。点線は当初予算による。)


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蛇足です。物価は上がり続け、国債(借金)は増え続け、円安はさらに加速・昂進するばかりという、「悪夢の三重奏」を約束したようなもの。加えて、同床異夢そのものと言うべき連立の相方が無責任党というのですから、国や社会の窮状は膨らみ、かつ深刻化するばかり。この内閣で国民の生活苦の救済はまず困難と見るほかありません。いよいよ「張り子の虎」の国家を標榜するのでしょうか。これもまた「時宜を得た(首相)」ということなのか、「時宜を得なかった(国民)」ということなのか。遠からず、解答が現れるはずです。
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