【天風録】三くだり半 江戸時代、夫が妻に渡した離縁状は「三くだり半」と呼ばれた。漢字で書けば「三行半」。3行と半分、ざっと50文字ほどで離婚の証しとした。男尊女卑が当たり前だった時代の悪習である▲なぜ、これほど短文なのか。諸説はあるが、別れた理由や妻の悪口を書き連ねるのは「男らしくない」行為だったのかもしれない。別れたい夫婦が本音で不満をぶつけ合えば3行半で収まらないのは現代も同じだろう▲公明党が自民党に三くだり半を突き付け、連立政権からの離脱を決めた。連れ添って26年だから「熟年離婚」に分類されるのだろう。決裂の主な理由は3行半どころか、5文字で片付く「政治とカネ」。裏金問題や企業・団体献金の見直しなどどこ吹く風の高市早苗総裁が就いた時点で、破局は見えていたのか▲下野した民主党政権時代を含め多くの苦楽をともにした仲。ただ、公明は連れ合いのルーズな金銭感覚にたびたび苦言を呈していた。堪忍袋の緒がついに▲三くだり半には再婚の許可証という意味もあったと聞く。政界も新たなパートナー探しで混迷を深めそうだ。物価に一憂も二憂もする国民の暮らしをお忘れなく。いつかきっぱりと袖にされぬように。(中國新聞・2025/10/13)

(ヘッダーおよび左の写真は「三くだり半の離縁状」・群馬県)(https://www.pref.gunma.jp/site/monjyokan/130554.html)
(古文書を読むには「三行半から」という格言があるほど。ぼくも若いころには、日本史学の友人に誘われて、古文書(古文字)解読に挑戦したものでした。悪戦苦闘しながらも、まったくモノにならなかったのは、ぼくの無能と怠惰のためでした。江戸時代、庶民の多くは無文字(読み書きができなかった)とされていましたから、離縁状も「傍線を三本と半分」で、「離縁状」と同等の扱いを受けていたらしい。それが「三行半(みくだりはん)」の所以です。

●みくだりはん= Iみくだり‐はん【三行半・三下半】①江戸時代、庶民の間で夫から妻または妻の父兄にあてた離別状の別称。[初出の実例]「その女房をも、三くだり半で埒をあけ」(出典:仮名草子・他我身の上(1657)三)② 転じて、離縁すること。離縁されること。また、比喩的に、関係を断つこと。〘 名詞 〙 ( 三行半に書く習慣からいう )[初出の実例]「それが過ぎたら三下(クダ)り半(ハン)」(出典:歌舞伎・当龝八幡祭(1810)三幕)(精選版日本国語大辞典)
● 離縁状(りえんじょう)とは、江戸時代に庶民が離婚する際、妻から夫、夫から妻(または妻の父兄)に宛てて交付する、離婚を確認する文章である。/『公事方御定書』では離別状と称した。あるいは去状(さりじょう)、暇状(いとまじょう)とも呼ばれた。また、江戸時代には字を書けない人は3本の線とその半分の長さの線を1本書くことにより離縁状と同等の取扱がされていたため、庶民の間では三行半(みくだりはん)という呼称が広まった。/なお、武家では離縁状は不要であったとするのが通説であるが、離婚成立の要件ではないものの慣習としては広く行われていたとする説もある。/現代の離婚届が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのと異なり、離縁状は夫の単独行為である離縁を証する文書である。(Wikipedia)

妻恋道中(詞:藤田まさと・曲:阿部武雄)
(一)
好いた女房に 三下り半を
投げて長脇差(ながどす) 永の旅
怨むまいぞえ 俺等のことは
またの浮世で 逢うまでは
(二)
惚れていながら 惚れない素振り
それがやくざの 恋とやら
二度と添うまい 街道がらす
阿呆阿呆で 旅ぐらし
(三)
泣いてなるかと 心に誓や
誓う矢先に またほろり
馬鹿を承知の 俺等の胸を
何故に泣かすか 今朝の風
(昭和12年発表)
*妻恋道中 上原敏(https://www.youtube.com/watch?v=xZKc_ADv-GQ&list=RDxZKc_ADv-GQ&start_radio=1) *妻恋道中 ちあきなおみ(https://www.youtube.com/watch?v=L2wiidsBkbA)(映像の中で、一番と二番の間奏に出ているのは、この曲の「詞」を書かれた藤田まさとさん。「股旅のまさと」と言われるほどに、「やくざ」「道中もの」の名曲を多く作られた)

現下、政界における「三行半」一幕物が持て囃されています。江戸期以来永く、離縁状は男から出すものでした。そもそも、今次の「偽装夫婦の離縁劇」の、重要な場面は「妻(実際は男)」から「夫(現実には女)」に離縁状を叩きつけたという風情がありました。離婚調停も何もあったものではなく、「私はあんたに愛想が尽きたよ」というくらいにきっぱりしたもの。二人で決めた約束を次々に反故にして、それにも関わらず、「罪の意識」が皆無と来たのですから「仏心たくさん(法華経)」の女房でも呆れ果てるのは当然。かみさんを袖にして、果たしてこの「やくざな男」は食っていけるのだろうか。そんなことはぼくの知ったことではないですな。「好いた女房に 三下り半を 投げて長脇差 永の旅 怨むまいぞえ 俺等のことは またの浮世で 逢うまでは」と、藤田まさとさんは「甲斐性のない男」の呆れた「未練心」を謡うのです。この馬鹿のどうしようもない不埒な生き方が、何とも「政権ボケ」をしたJM党にこびりついているんですね。あーいやだ、いやだ。

「惚れていながら 惚れない素振り それがやくざの 恋とやら 二度と添うまい 街道がらす 阿呆阿呆で 旅ぐらし」は架空の「街道がらす」でしたが、永田町のやくざな渡世人は「惚れていぬのに 惚れてる素振り」でしたね。誰も信じれられない人間は、誰からも信じてもらえないのは道理です。その挙句に「阿呆阿呆で 旅ぐらし」されては民衆はたまったもんではないのですが、どこの世界にも、わけもなく「男を求める女」「女を求める男」の、成れの果てとなる「三行り半」の捨て場があるのでしょう。まさしく、この国(社会)の政治家や政治の歴史は「騙し騙され」の連続だったと思う。確かに「男と女」の「騙し合い」で、「泣いた女がバカなのか だました男が悪いのか」(西田佐知子唄「東京ブルース」)と、泣き節を聴かされる国民は立つ瀬がないですね。
「どうせ私をだますなら 死ぬまでだましてほしかった」のは「歌の世界」の「三くだり半」です。生きた世の中にあって、永田町お粗末劇場の観客である有権者(国民)は、登場人物をとっかえひっかえする「権利」を持ってはいますが、もう少し賢くならないと、何時まで経っても「能天気」な俳優ばかりを選ぶことにしかならないのです。観衆・観客もまた、「阿呆阿呆で 旅ぐらし」でいいのですか。ぼくたちにもっとも求められるのは「だまされない」「だまさない」初心(誠意・honesty)というものではないでしょうか。
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「徒然に日乗」(879~885)

〇2025/10/12(日)昼過ぎに買い物に出かけようとしていたら、かみさんも出かける用意をしている。「どこへ行くの」と聞けば、「茂原まで。歩いて」と言う。ほぼ10キロの距離がある。彼女の足では少なくとも2時間半。道路事情(歩道が未整備)が悪いので、3時間かかるかもしれない。満足な歩行者道路が備わっていない道を歩くことは危険極まりない。ここにきて、当然のことながら判断力もかなり落ちている。「車に乗せてと言っのに、断られた」と唐突に答えた。耄碌(もうろく)が激し過ぎる。先日、茂原警察で「免許証再交付の手続き」をしたばかり。発効までに三週間ほど時間がかかるということだったが、二週間過ぎたので、警察に行くという。本日は日曜日で、警察署は受け付けないということも一切無視しての話。車に乗れないためにストレスが溜まっているのは分かるが、何か言い出すと、誰彼の話を聞く耳がなくなる。一切生活習慣を治そうとしないのが、記憶力の減退を促進していると思う。今の状況だと、運転免許証が再交付されたとしても運転はとても無理だろう。そのことは最初から考えていたこと。もう一週間あるが、今のままでは、状態は悪くなることはあっても、改善されることはない。適度の運動と良質な睡眠の確保、これが今できる最善の防止法だが、それも「聞く耳なし」なのだから、お手上げと言いたいところだが、そういうはずもないので、ゆっくりていねいに付き合うばかり。(885)

〇2025/10/11(土)ただ今午後9時15分。室温21.5℃、湿度69%。肌寒さを感じさせられる一日だった。午後に入ってからも小雨は降り続いていた。一昨日は台風22号の影響で八丈島では大きな被害が出たと報じられたが、早雲23号が発生、来週の始めには日本劣島に影響を与えるようなコースをたどるという。▶お昼前に猫缶を買うためにあすみが丘へ。いつもの商品がすべてそろっていなかったのはなぜだろうか。店頭に並べられている物を買うほかなかったが、この先の購入が気になる。▶政権与党の枠組みが崩れ、新たな政権の行方が論じられだしている。どうなるかは、予断は許さないが、現状においての「かぶだか・物価高・円安」基調がこの先も続くとは思われない。政権の行方がどうなろうとも、少なくとも「アベノミクス」の後始末をはっきりとつけなければ、この国の経済は立ち直れないままで滅びの道を歩くだろう。それにしても、ここまでひどい状況に政治が落ち込んでいる責任は誰がとるのだろうか。(884)

〇2025/10/10(金)ただ今午後9時45分。室温22.5℃、湿度65%。▶午前中(昼前)に茂原まで買い物に。帰路には近所のHCで猫の食材などを買う。▶自民党の連立相手を26年続けていた公明党が離脱。この事態を受けて、新総裁はどう出るのだろうか。公明党の代替の党はあるのだろうか。自民党の瓦解は一層早まるに違いない。「公明党の斉藤鉄夫代表は10日、自民党の高市早苗総裁との会談後、自公両党の連立について「一旦白紙とし、これまでの関係に区切りを付ける」と明言した。近く国会で行われる首相指名選挙について「斉藤鉄夫に票を投じます」と語った。ただし、「何でも反対の敵方になるわけではない(後略)」(毎日新聞・2025/10/10 16:08)▶予てから想定されていた。現首相の「80年所感」が出された。内容に関してはいずれ触れるつもりだが、彼自身の思いの丈が出ていたと考えられる。「石破茂首相は10日夕、戦後80年に合わせた先の大戦に関する所感を表明した。退任を間近に控えている上、連立政権を組んできた公明党が「離脱」方針を表明した中での発表となった」(東京新聞・2025/10/10)(883)

〇2025/10/09(木)ただ今午後9時半。室温22.5℃、湿度59%。台風22号による雨風はさいわいにしてほとんど無いに等しかったが、八丈島では大きな被害が出たと報じられている。さらにすでに23号が発生し、劣等に食戟しかねない方向を取るようだ。▶終日自宅を出ないままでいた。▶自民党の新総裁誕生を待っていたかのように「株式が高騰」し、4万8千円越え。半面で、円安が一気に進み、153円を超えた。株高、物価高、円安はさらに進むだろうが、それに対する政治的対応がどこにあるのか。国会はまだ開かれる気配はない。▶「円相場は対ドルで一時153円台に下落し、2月中旬以来の安値を付けた。自民党の高市総裁の財政・金融政策スタンスをにらんだ円売り圧力が根強い。/東海東京インテリジェンス・ラボの柴田秀樹金利・為替シニアストラテジストは、153円台を付けたタイミングで特に材料は出ていないが、欧州勢が円を売っているようだと説明。投機筋の円買いポジションは依然として歴史的な水準にあり、その巻き戻しが出ているとして目先155円を抜けて円安が進むとの見方を示した。」(Bloomberg・2025/10/09)(882)

〇2025/10/08(水)夕方、ネット番組を渉猟していたら、ひとりの女性がショパンの曲を演奏している場面に遭遇した。あるいはと思っていたら、卒業生のKさんの娘さんだった。会場はワルシャワで、何とショパンコンクールの予選会の場面だった。課題曲になっている小曲を三曲ほど弾かれていたが、たいしたものだと感心した。立派なピアニストだと思った。年齢は三十歳だという。この数年、ほとんどクラシックは聴かなくなった(たくさんの猫のせいでもあるが)。これまで、十分に聞いてきたという満足感の裏返しかもしれないが、一方で、「西洋音楽」は、これからも聴かれ続けるのかどうか、ぼくには疑問に思われもするからだ。若い人が、この国からたくさんショパンコンクールに応募する状況は、何を意味しているのだろうか。(881)
〇2025/10/07(火)ただ今午後9時過ぎ。室温24.5℃。湿度67%。▶昼過ぎに茂原まで買い物。かみさんも同行。免許証再交付までまだ2週間ほど残っているので、やや、ストレスが溜まりつつあるのだと思う。少しは外出をしたくなるのは当然だと思う。夕食の食材等を買って、帰宅。▶新総裁のもとに、当の役員人事が発表されている。大変な最高顧問のA氏の傀儡体制であり、さらに10月半ばに開会が予定されている国会での首班指名をにらんだ内閣の布陣にも、右より政党の連立参加が予想されている。ある人曰く「大惨事(第3次安倍政権)だと。極右政権がこの国に何をもたらすか、明確なことは言えぬが、政治的混迷が深まることだけは確実であり、旧態依然の「政権党の崩壊」はさらに早まるだろうと、期待も含めて予想している。「株高、物価高、円安」のトリプルパンチをどこまで受ければ、国民は覚醒するのだろうか。ほとんど期待はできないで、好き放題にとんでもない事態が接近しているのではないだろうか。(880)

〇2025/10/06(月)ただ今午後9時。室温25.2℃、湿度67%。▶昼頃に茂原まで買い物に。茂原には何軒かのスーパーがあるが、もっともよく行くのはRという店。他の一軒はK。最近はほとんどLが多い。商品の問題ではなく、入りやすさが第一の要素か。それにしても物価高騰は続くのはどうしたことか。本日の東京株式は一時最高値2万8千円超をつけた。その半面では、円安ドル高も大きく進行し、一時最安値の150円超を点けた。対ユーロでは180円超という安値。円安、株高、物価高状態がさらに続くとなると、まだ首相になったわけでもないのに、新総裁トレードなどと騒がれ、サナエミックスという「積極財政(借金漬け)」導入がもてはやされているのだろう。国情を何と考えているのか、と嘆かわしい。(879)
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