問い方にこそ、ヒントがある

 「一年生になったら 友だち百人できるかな」という童謡がありました。意外に新しく、作詞はまどみちおさん、作曲は山本直純さん。1966年発表と言います。まどさんは「ぞうさん」、山本さんは「男はつらいよ」でお馴染み。恐らく、この歌は幼稚園の卒園時に、よく謳われたのではないでしょうか。ぼくは幼稚園は行かなかったと思うし、小学校入学時の記憶も皆無ですから、「ともだち ひゃくにん できるかな」などということはまったく想定の外だったと思う。小学校に限らず、それ以降も含めて、果たして何人の友だちができたか。第一、できる・できないなんて、想像すらしなかったですね。

(*「♪一年生になったら」https://www.youtube.com/watch?v=Qc9lFVljxUg&list=RDQc9lFVljxUg&start_radio=1

 この年齢(八十一)になって、「親友は何人いますか」と訊ねられたら、「さあ、片手かな。いや、もう少し多いか。いやいや、かみさんだって怪しいもんさ」」というくらいのものですな。そもそも「友だち」というのはどういう存在なのかを考えると、なかなか簡単には答えられないですね。作家の小谷野さんの高校時代の「いやな気分」という想い出がコラム「日報抄」に出ています。「高校に入学して初めての遠足。周囲は友だちといっしょに弁当をほおばっていたのに、自分は一人で食べていた。卒業アルバムには、ぽつんと一人で食べる自分の写真が載った。「何とも、嫌な気分だった」とあります。そうだったんでしょうね。「嫌な気分」というところが重要でしょう。

【日報抄】高校に入学して初めての遠足。周囲は友達と一緒に弁当をほおばっていたのに、自分は一人で食べていた。卒業アルバムには、ぽつんと一人で食べる自分の写真が載った。「何とも、嫌な気分だった」▼作家の小谷野敦さんが著書「友達がいないということ」で振り返っている。胸の痛む思い出だろう。腹を割って話せる友達がいれば、ありがたい。人生も豊かになりそうだ。けれど友達作りが得意な人ばかりではない▼自分には友達がいない。そう思う人にとって人工知能(AI)は心強い存在かもしれない。対話型の生成AIが登場し、私たちは膨大な情報の集合体と会話できるようになった。ブッダの教えやソクラテスの哲学を学習し、人生相談をすれば偉人のような言葉が返ってくるものも開発されたという▼友達のように寄り添ってくれれば助かるが、ぞっとするような話もある。何でも肯定してくれるAIとの対話を続けた結果、自殺や殺人につながったケースが米国で相次いで報じられた▼ある高校生は生きる意味に疑問を抱き、自殺をほのめかした。AIは「恥ずかしいことではない」と同調し自殺の手法を尋ねられるたび、詳細な情報を提供した。高校生は教えられた通りに命を絶った▼開発企業を提訴した両親は、他社との競争に勝つため、利用者がAIに感情的な依存を高めて長時間対話するように設計していると主張した。時には耳の痛い指摘もしてくれるのが真の友達-。そんなふうに言われたこともあったような。(新潟日報・2025/10/07)

 小谷野さんは、淋しかったのでも孤独だったのでもなく、級友と離れて「一人で食べていた」、その写真がアルバムに乗ったことに「嫌な気分」が湧いたのだったかと思う。ぼくはこれまでに、友だちを作るという言い方をしたことはなかったし、作るも作らないも、長い時間、同じ空間にいる(いた)のだから、自然に話が合うとか、気が合うという付き合いがあり、それが続けば「友だち」になるだろう、でも卒業や進学で別れ別れになれば、後はまったくの無沙汰・無音。後顧の憂いなく、ぼくたちは新しい環境に入るのでしょう。

 「友だちができません」「どうしたら友だちができますか」と、誰彼から相談を受けた経験はなかったと思う。あるいは、あったのでしょうが忘れてしまったのですかね。相談されたら「犬とでも猫とでも、いっしょに遊んだら」と言ったはずです。犬や猫に限りません、草花でもいいし、小動物でもいい。必ず友だちになれるとは限らないけど、付き合ってみる値打ちはありますよ。「友だち」は、いれば素晴らしい、楽しいというものでもないでしょう。喧嘩することもあるし、顔を見たくなくなることもある。いい時も悪い時も含めて、付き合いが続けば、それが「友だち」、その程度に考えていましたね。「腹を割って話せる友達がいれば、ありがたい。人生も豊かになりそうだ」ということもあります。でもそれだけではないと思う。右の石垣りんさんの「随想」、読むたびに涙が零(こぼ)れます。

 ぼくはしばしば、幼稚園や保育園、あるいは学校へ行くことの第一の(唯一の、かもしれない)利点(効用)は「通学しなければ出会えない、そんな人たちに会える」ということを言ってきました。「自分と他者」を経験できるということです。もっと言うなら、「わたし(I)とあなた(you)」という共同体(public)を作れるかもしれないということ。「私」だけなら、それはいつでも「私的(private)」で、世界は広がりませんね。ぼくには驚きだったんですが、幼稚園時代の友だちと結婚した夫婦を何組か知っています。「よく飽きないですね」という感想が直ちに湧きますが、知り合いは「仲良きかな」の継続です。。人間の幸運は「未知との遭遇」、つまりは「エンカウンター(encounter)」でしょう。その意味は「〔偶然・思いがけなく〕出合う、出くわす〕〔問題・不運・危険・反対などに遭う、出会う、遭遇する〕〔困難・現実などに〕直面する」「〔思いがけない〕出会い、巡り合い、遭遇、接触」とあり、その例文の一つに、Treasure every encounter, for it will never recur. : 出会いを大切にしなさい。それは一度きり[二度と繰り返されないの]ですから。/ 一期一会。です」(英辞郎)とあります。

 ところが、コラム氏は異なことを言われます。「自分には友達がいない。そう思う人にとって人工知能(AI)は心強い存在かもしれない。対話型の生成AIが登場し、私たちは膨大な情報の集合体と会話できるようになった」と。「そんな馬鹿なことを」、と言うつもりはないし、「対話型AI」も、いわば犬や猫の類と捉えれば、それはそれでいいでしょう。でも、そうなるとまるで「ゲーム機」かなんぞのようで、生きた人間や動物と付き合うのとははなはだ勝手が違いますね。いいことずくめとは言い切れない問題もあるかもしれません。使い方次第、人それぞれですから、一概に「こう付き合うべきだ」とは言えないと思います。コラム氏も「アメリカの問題」に触れておられる。「何でも肯定してくれるAIとの対話を続けた結果、自殺や殺人につながったケースが米国で相次いで報じられた」とあります。自動運転の車に乗って、目的地まで行く途中で、思わぬ事故に遭ってしまう事態も少なからずあります。

 (「対話型 AI」に向かって、どんな質問をするか、とても大事な問題だと思う。往々にして、「質問」のなかに答えが隠されている、そんな「質問」をすべきですね。(人間が運転する)車に乗れば誰だって、無事に目的地に着けるとは限らない、運転技術が試されます。車の使い方を誤れば取り返しのつかない事故に遭遇する。三重県内で軽自動車に6人も乗って、時速百キロで飛ばし、路側帯にぶつかり、5人が亡くなったという報道がありました(2025/10/03)。何事に限らず、最後の最後は人間が意識を確かにして判断するのです。「注意深い人間」になることの重要性は、他に比べるものがないほどでしょう)

 どこまで行っても器械は器械です。人との出会いは「エンカウンター」、つまりは、交差点で「出会いがしら」に遭遇するようなものです。だから、時には大きな「怪我」をするかもしれないし、幸いにも「掠(かす)り傷」程度で済んで、後はうまくやれるということもあるでしょう。また「出会いは別れ(会うは別れの始め)」でもありますから、いちいち気にしていても仕方がありません。お互いが「死ぬほど好きやねん」という二人が結婚したまではよかったが、その後には「憎しみ抜いて、相争う」ことだってあります。「友だち百人 できるかな」というのは、なんとも惑わしい童謡でしたね。

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 以下に、少し古い記事ですが、友だちは「数より多様性が大事」という専門家?の記事がありましたので、紹介しておきます。

「友達100人できるかな」の呪縛に悩むあなたに伝えたい研究結果…「友達は『数より多様性』が大事です」(神戸新聞・2021/6/20)
あなたには友達が何人いますか? 友達がたくさんいる人は「社交性がある」「明るい」「きっとみんなに好かれる性格なんだろう」とポジティブに受け止められることが多いようです。しかし、本当に友達の輪が広い人ほど「信頼できる人認定」がされるのでしょうか? /友達の数って大事なことでしょうか。
■友達付き合いに疲れ切ってしまった26歳の彼
26歳の男性と話していた時のことです。彼がこんなことをいいました。
「友達が多いことに悩んでいます」
大勢の友人に囲まれてきた彼。彼はいつも“他人の目に映る自分の姿”が気になっていたそうです。良い人と思われたい。誰からも嫌われたくない。みんなに好かれたい。だから常に愛想良くして、集団の中でもうまく立ち振る舞ってきたつもりだといいます。
おかげで彼にはたくさんの友達ができました。いじめを受けたこともありません。
ところが彼は次第に「友達が多いこと」が悩みの種になっていったというのです。
遊びにいかない?飲みにいかない?買い物に付き合ってくれない?ヒマなんだよね、どんな声がけにも彼は「もし断って嫌われたら」という思いが強く、ついつい付き合ってしまっていました。
■一人ぼっちになるのが怖い
友達というと、この曲を思い出します。小学校に入学する時に歌う「一年生になったら」。その中に印象的な歌詞がありますね…「友達100人できるかな♪」。
友達は多いほうがいい。私達は、無意識にそう思ってきたのかもしれません。
いじめで、よくあるのが仲間外れです。
意図的ではなくても、グループ作りでどこからも声をかけてもらえなかったり、誰かとペアを組むのに最後まで残ってしまうと、とても辛く、屈辱的に思うことがあります。私達は、仲間というカタチに敏感です。
話を聞いた彼は「仲間に入れてもらえなかったらどうしよう」という意識が強かったのでしょう。一人ぼっちにならないように、ひたすらみんなに好かれようと振る舞ってきたのです。(中略)
あなたには、あなたが考える、あなたにとっての友達が何人いますか? 
◆くま ゆうこ デジタルハラスメント対策専門家。株式会社マモル代表取締役社長。自身の強みであるWebマーケティングのノウハウを活かし、 いじめや組織のハラスメントを未然に防ぐシステム「マモレポ」を開発する傍ら、学校コンサルティング、いじめ・ハラスメントのセミナー登壇、執筆を行う。(https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202106/0014430746.shtml)

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)