物いへば唇寒し穐の風(芭蕉)

【金口木舌】はっきり言える大人に ロックバンドのフラワーカンパニーズが歌う「大人の子守歌」は、年を重ねることの哀愁をつづる。歌詞には次のような一節がある。「子どもの時ははっきり言えたのに、どうして大人は黙ってしまうんだろう」▼童話「裸の王様」を思い起こす。権力者の異変に気付いても周囲の大人はなかなかそれを指摘できない。純粋な心を持つ子どもだけが「王様は裸だ」と大声で叫ぶ▼大人の1人として考えさせられる。力のある存在を恐れるあまり思っていることを口にしない。本当は間違っていると分かっているのに黙ってしまう。大人になると、子どもの頃より臆病になるのだと自省する▼南城市では市民が古謝景春市長のセクハラを訴え、第三者委員会がそれを認め、議会で不信任決議が可決された。たくさんの大人が権力者の間違いを指摘した。いずれも勇気ある行動だったと言えよう▼セクハラを認めない市長は職にとどまり、議会を解散する可能性がある。その結論は市民の理解を得られるのか。声を上げた人々の勇気を置き去りにしてはいけない。間違いをはっきりと言える大人が社会を正しい方向に導く。(琉球新報・2025/10/06)

 初めに 表題句は芭蕉作。作句の年月は不明ですが、「蕉翁句集」(服部土芳編)では「元禄四年」とあります。芭蕉四十八歳。

 「元禄四未ノとし 座右銘 人の短をいふ事なかれ 己か長キをとく事なかれ もの云ハ唇寒し秋のかせ」とあります。詮索はともかく、この句は芭蕉にしては珍無類の「教訓」を垂れた句と評判が立ちましたが、さて、事実はどうだったか。そこはそれ、素直に「何か言おうとして、口を開ければ、冷たい秋の風が 」と、それだけのこと。花を見れば花を見たと、雨が降れば雨が降ったと、そればかりを詠めばいいもので、教訓めかすのは禁物というのが芭蕉流だったとぼくも思います。「『ものいはでただ花を見る友もがな』といふは、何某鶴亀<なにがしかくき>が句なり。わが草庵の座右に書き付けけることを思ひ出でて」(「真蹟懐紙」)とは芭蕉自身の言とされる。「座右に書き付ける」というのも、芭蕉らしからぬと思わないでもありませんが、それはそれ。

 (琉球新報のコラムに刺激されて、「物言わぬ大人」たちに関して駄文を綴ろうとして、先ず俳聖の一句に意識が及んだだけのこと。以下、「唇寒し」をさらに促すような駄文を続ける無粋・無礼をお見逃し下さい)

 このところ、各地で「首長」の驚くべき「破戒僧」「破天荒」ぶりが目に立ちすぎます。「破天荒とは、元来がだれもしないようなことを初めてする、大胆で不届きな行い」と捉えられてきた表現です。近年は、「首長」たるもの「やらなきゃ、そんそん」とばかりの壊れぶり。この領域では、なんと「男女の別なし」なんですから、ご同慶の至りというか、語るも汚らわしいというべきか。「戒律を破った坊主」には僧にしてはおけぬ(破門)という「掟」がありますが、はたして、正風(性風)乱れる「政治家」はどうか。別名「性治家」と言われても違和感も異論もないような「奴輩」の奔出(ほんしゅつ)に、このぼくでさえも肝を潰し、胸を痛めている。「厚顔」「鉄面皮」「恥知らず」、何と言われようと「蛙の面に小便」だというのですから、風儀・風紀の頽廃・退廃、その留まるところを知らず。なんで有権者は、こんな輩ばかりを選んだんですかと、問いたいほど。誰もが一皮むけば、性に狂うというのもまた、情念か、情動か。まるで「動物並み」ですね。

 かかる「不祥事」続出の理由・背景がきっとあるのでしょうね。もちろん、これまでにも政治家に関わる、数多の不祥事があったが、少なくともその「事実」が露見した段階で、自らの「出処進退」は誰に言われるまでもなく、潔く判断・決断したもの。時代も変れば、人品が下卑て来たのか、有権者を裏切るような行為に及んでも「辞めない、辞めようとしない、辞める気も見せない」、そんな政治家がごまんといる理由や背景は何でしょうか。思い当たる節がないわけではありません。「時の総理大臣」が嘘八百を議会でついて、いけシャーシャーとしているなどは、この風紀が乱れる元凶の一つではなかったか。それも含めて、もちろん短絡してはいけないが、積年の「学校教育」の暗い成(性)果だと、ぼくは考える。頭(点数稼ぎ)ばかりを問題にし、「自制心・注意力」を自らが育てることを疎(おろそ)かにしてきた結果(報い)です。「情念(passion)」という化け物を野放しにした末の社会現象でしょうか。

 この「情念」とは「驚き、愛、憎しみ、欲望、喜び、悲しみ」というデカルトいうところの「六つの基本情念」がもとになっている。あまりにもそれらが強すぎると、人間は自分を失う。前後の見境がなくなるほどに「取り乱す」のでしょうか。これら「情念」はすべからく人間の外からやってきて、その暴力的強さには人間は受け身(passive)であって、やがてその暴力は内部の「情動(emotion)」と結びついて、精神(意識)に「攪乱」「錯乱」「騒乱」を巻き起こす。「カッとなって人を殺める」「殴るつもりはなかった」「セクハラ・パワハラをしようとは思いもしなかったが、気が付いたら、していた」「アクセルとブレーキを踏み間違えた」(これは自動車運転時のことではない、普段の生活においても、踏み間違えるのだ)等々、際限のない不注意人間の不始末と不祥事の連鎖と蓄積です。醜聞や不祥事があまりにも多発しすぎているので、大多数の人々は、それに対して「無関心(apathy)(indifference)」になったともいえるでしょう。反対から見れば、「寛容(tolerance)」になった、そうも言えるでしょうか。もっとはっきり言えば、「そんなん、どうでもいいじゃん」という投げ槍になったのだと思いますね。

 政治家にモラルを求めるのは、ゴキブリに礼儀作法を求めるようなもの。こういう風に言われていいんでしょうか、問題を起こした政治家諸君よ。「子どもの時ははっきり言えたのに、どうして大人は黙ってしまうんだろう」という、その疑問は当然ですが、黙ることが大人の証拠、黙認という受け入れの方法です。つまり、一人前の大人は「清濁併せ呑む」と世間はいうかもしれない。けれども、「清流も濁流も、区別しないで飲み込む」のは「海」、器の大きな大人は「海」のようでなければならないというのであって、ときに及んで「言うべきこと」を言わないで「黙ってしまう」のは、海でもなければ大人でもない、「小人(しょうじん)」である証拠です。「度量や品性に欠けている人。小人物」であります。

 「ここで、それはおかしい」というべきなんだが、それをいうと「恨まれる」し、「青二才だ、子どもだ」と言われる、だから「恨まれたくない」し、「自分は子どもではない」と、わざわざ態度で示しているんでしょうね。その挙措は、「物いへば唇寒し穐の風」という風流とは無関係だと思います。

 「大人の1人として考えさせられる。力のある存在を恐れるあまり思っていることを口にしない。本当は間違っていると分かっているのに黙ってしまう。大人になると、子どもの頃より臆病になるのだと自省する」とはコラム氏。つまり、コラム氏は、あるいは新聞記者だとすると、新聞記者その人が「言う(書く)べきことを言わ(書か)ない」のですから、後は推して知るべし。「間違いをはっきりと言える大人が社会を正しい方向に導く」と、ここでもまたコラム氏は明言している。つまりは、「そんな大人はほとんどいないに等しい」のだから、ますます社会は間違った方向に進むと確信しておられるのでしょうね。春雨が降ろうが、秋風が吹こうが、人心は荒廃し、遺風は廃る一方の我が国民・国情ではあります。「忖度」と「洗濯」は大違いだということ。

 「物いへば唇寒し穐の風」は一つの「風流」であり「風情」です。「パワハラやセクハラ」の如き、拭い難い暴力という「無風流」「野暮」「犯罪」なんかでは、断じて・毛頭はありません。

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「徒然に日乗」(872~878)

 〇2025/10/05(日)お昼前に茂原まで。食パンや牛乳など、それに夕食の食材等を求めた。会計は7千円超。取り立てて高い品物を、それもたくさんの品数を買ったわけでもないのに、この金額。ものみな高騰、そんな期間が長く続きすぎると思う。その大半は「便乗値上げ」ではと疑っている。悪質な間接的「増税」で、この間の物価高騰により生まれた消費税等による税収増は12(15)兆円規模というから、目に余る政治的不作為だ。帰路に、近所のHCで、猫用のドライフードと、怪我をしている猫用のゼリータイプの食糧等の購入。▶気温は30度未満、終日快晴だった。秋らしい天気というのだろうか。しばらくはこの天気は続きそうだが、すでに台風22号が小笠原近海を西に進んでいる。劣島に接近する予想も出ているようだ。▶少し凌ぎやすくなったので、そろそろ室外作業をしたいのだが、まだ高めの血圧が落ち着かないので、様子を見ている状態。低い値で安定するといいのだが、どうしても睡眠が足りていないのが問題だろう。本日も午前3時過ぎには起こされた。▶政権党の「首領」選挙は極右候補者が選ばれたが、この選挙ではY紙M紙が積極的に女性候補に加担して、前首相降ろしの構図そのままに、新総裁選びにも加担していた。つまり、コップの中の争いは、外様(メディア)を含めて、目も当てられないこの社会の政治腐敗構造を醸してきたのだと思う。「裏金議員」も健在、統一教会シンパ議員も同様に居座っている。悪くなりはしても、よくなる気遣いは無駄。。(878)

〇2025/10/04(土)お昼前に猫缶購入のためにあすみが丘へ。前回の購入時にいつものメーカーの缶詰が品切れになっていたので、改めて求めようと思ったから。しかし、前回よりは商品はあったが、全体的には揃っていなかった。どういうことだろうか。それに代わる代用品があれば構わないが、そうでなければ、当面の猫たちの主食が問題になるだろう。ホームセンターに行く前に、これまでたくさんの猫たちの「手術」などで大変に世話になった「動物病院」に、些かの気持ちとしてお茶請け(ケーキ)を少しばかりお持ちした。どれだけのスタッフがおられるかわからなかったが、10個ほどを渡しておいた。この先もどういうことで世話になるかわからないので、これまでとこれからの「ありがとう」「よろしく」の意を含めたつもり。▶午後3時ころから、自民党総裁選挙の投開票が始まり、その結果、(多くの予想を覆して、らしい)女性候補氏が当選。さて、この先の政治がどうなるか、さらに混迷を深めることになるだろうという予感がする。もちろん、いささかの期待も持てない「新総裁」だから、あれこれと暴走・迷走するだろう。国会における首班指名選挙で「首相」に選ばれればなおさら、さらに先行きは不透明だと思う。(877)

〇2025/10/03(金)ただ今午後9時10分。室温24.4℃、湿度69%。すっかり秋の気配だ。一週間前の猛暑が恋しいと言えば嘘になるが、少しは懐かしいという記憶が疼く。▶お昼過ぎに買い物で茂原へ。その帰途に長柄町役場に行く。介護保険料の支払いに。九月は、初旬と最後の「二度の支払い」があったが、月末の分を忘却していたため。結局、九月は3万7千円×2=7万4千円。この割合3.7万円で、年に八回支払うことになっている。介護保険制度が始まってかれこれ25年か。開始は2000年だった記憶がある。これまで25年間、一度だって介護保険利用の申請をしたことはない。支払った金額はかなりになるだろう。それが必要な人が使う、制度の主旨には賛成だが、それにしても、年金生活者には負担が重すぎる。ここにも「政治は不在」というほかない。今後ますます、この制度利用者は急激に増加するだろう。果たして、制度の維持は可能なのか。専門職としてはあまりにも報酬は低すぎるにもかかわらず、きわめて重労働だ。人材の払底は目に見えているが、この問題を十分に視野に入れた行政政策は見当たらない。少子高齢化時代の到来は数十年前に叫ばれた。それ以降、この問題に有効な方針が策定され、実施に移されてきたとはとても思われない。政治の不毛・不作為は、国家・国民にとって存亡の危機だと思う。深刻な問題から逃避しないことを、政治も行政も真面目に心してほしい。(876)

〇2025/10/02(木)午前10時前にあすみが丘の動物病院で、一週間前に「避妊手術」をした猫の手術部分の糸を抜くため。診察の結果は問題ない。珍しいと思ったのは、この猫の手術に関わって三度ばかり病院に来たが、いずれも客はまったく来ていなかったこと。従前の混乱ぶりが珍しく感じられるような、閑散ぶり。偶然だったのかどうか。それはともかく、これで現在の家にいるすべての猫たちの「手術」が完了。総計20回を超えただろうか。あとは猫同士の喧嘩による怪我や、別の理由による病気などに気を付けるばかり。▶午後12時半ころにかみさんを茂原まで。集会があるということで、会場まで送った。運転免許証の再交付は、三週間先。このまま時間が経過しても、果たして運転するだけの技能・活力が維持できているかどうか、かなり危ないと判断している。(875)

〇2025/10/01(水)午前中に猫缶などを買いにあすみが丘へ。いつもの缶詰が不足していたので、中途半端な買い物になった。このHC、なにかと不行き届きがあるのが困る。近所だから利用しているだけで、他に店があれば当然そちらに出かけるだろう。どこの店でもいえることだが、パートやバイト中心で営業しているので、お客本意が忘れられている。この先はさらに悪くなることはあっても、改善されることはないだろう。▶終日はっきりしない天気で、雨が降ったりやんだりだった。東北や北海道ではまたしても集中豪雨が襲ったという。秋雨前線や低気圧の影響だった。この先、はたして、どんな台風が来るのだろうか、今からそれを心配しても始まらぬが、やはり気がかり。(874)

〇2025/09/30(火)ただ今午後8時40分過ぎ。室温25.7℃、湿度66%。いよいよ秋も深まる、の候だ。▶お昼前に茂原まで買い物。ついでに国勢調査票と年金調査の報告書の投函をした。本日で9月が終わる。まるで「釣瓶落とし」の如くに時間は足早に過ぎていく。真夏の酷暑に心身を痛めつけられている間に、季節は回転したのだ。猛暑の疲れが残っているままで、はや神無月。▶政権党の総裁選の愚劣(裏金・世襲・統一教会問題等を不問・無視する)と、経済同友会の代表幹事(違反薬物輸入問題の容疑)のお粗末辞任会見、かかる為体(ていたらく)を見せつけられる国民こそいい面の皮。政治・経済の中枢を担うような役回りだと勝手に思い込んでいた当方が迂闊だったということだろう。それにしてもこの社会や国の根幹は、白蟻に喰われ、イカレタ経済人や政治家に恣に腐らせられ、もはや修復も再建も不可能なまでに破壊されてしまったと、つくづく実感する。堕ちれば堕ちるもの。この先には何が待っているのだろうか。犯罪を疑われている被疑者が政治や経済のセンターに座るのを誰も咎めないとしたら、いったいだれが制裁を加えるのですかと、大声で叫びたい半面、なるようになる、先のことなど分からない、ケ・セラ・セラだな。有権者は誰ですかいな。(873)

〇2025/09/29(月)ただ今午後10時10分。気温26.9℃、湿度65%。終日、とても凌ぎやすい日だった。夜になって、小雨が降り出している。▶午後3時ころになって、突然かみさんが茂原まで行くという。昨日も出かけたアスレチックに行くと言い出した。(免許証の件を問い合わせたら、「警察に行って」と言われたと話す。まだ、彼女の中では免許証滅失の件は進行中だ。そのまま茂原警察に出向き、免許証再交付の申請をすることになった。いろいろと手間取ったが、何とか「再交付」申請を終えて、帰宅。約3週間後に出来上がるという。今回の「記憶喪失」はかなり深刻だと思う。免許証は、あるいは自宅のどこかに入り込んでいるのかもしれないという気がしている。臨時講習会を受講した際に「免許証提示」を求められ、それを返却されて、そのまま講習受講関係の書類の入った封筒に入れたのかもしれない。失くしたという話を聞いた段階で、臨時講習を受けた日付を確認したいので、何時だったかを尋ねたが、それがわからなかった。その段階で免許証が行方不明になったのかも。明日はそれを再度、再調査してみるつもり。すでに再交付申請をしているから、念のための「事情」確認のため。(872)

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)