【夕歩道】❖自宅と隣接するごみ集積所の場所を変えてほしい。20年近く悪臭などに悩んできた男性が町内会に要望したが、総会では「1対86」で否決された。男性は町内会の住民らを相手に裁判を起こし-。◆千葉市であったこの興味深い出来事を6月末に朝日新聞が伝え、熟読した。千葉地裁は、被告となった住民らに、この集積所へのごみ捨てを禁じた。「男性に一方的な負担を押しつけてきた」と。◆多数決が正義ではなく、害を受ける人の声こそ尊重せねば、と判決は諭すかのよう。世論が割れる選択的夫婦別姓も同じか。自分の姓を名乗れず「一方的な負担」に悩む人々の声に耳を傾けたい。(中日新聞・2025/07/19)

この問題(「ゴミ出し」と「町内会」)は、至る所で見られます。今回は当地の隣にある地区で生じた問題。「生ごみ」集積所を自宅前に置かれて迷惑、少しは「当方の迷惑を考えてほしい」という素朴な意見に対して、町内会では多数決をもって現状維持を決めたことで、当事者が訴えていた裁判。事の経緯は省略します。自宅前の「集積所」を何とかしてほしいという一住民の意向(希望)は、町内会で審議され、「1対86」で否決。さらに場所の移転をも問われたが埒が明かず裁判へ。判決は訴えた側の勝訴。集積所の設置は「受忍限度を超えたもの」として、住民たちの集積所利用を禁じた。どこにもある問題で、この社会のいたるところで、驚くほど「エゴイズム」が闊歩している状況を示しています。その昔、暇に飽かせて、この問題について調べてみたことがあります。

問題はこれに限らず、町内会加入、未加入者の集積所使用禁止。あるいは集積所利用に、年間2万千円納入を命じた判決もある。また、町内行事に不参加だったものにゴミ集積所使用禁止、回覧板巡覧禁止。その他、数えきれないほどの問題(混乱)(内乱)が見られます。長く裁判で争うケースも目につく。問題の所在はどこにあるのか。この問題で、多くの行政は腰が引けていると思う。ぼくも当地に越してきた当座、自治会(町内会)加入を求められ、最初は気軽に加入するつもりだったが、町内区域にある神社の除草など勤労奉仕の義務化、氏子料(7千円超)の負担などなど、いくつかの条件を認めるように促されました。それでも加入するつもりだったが、新規参加の先住民への挨拶金(十数万円の要求)などがあったので、直ちに加入を断った。

その段階で知ったのだが、ごみ集積所は拙宅から1㌔以上も離れていた(自治会館敷地内)。やがて、拙宅付近の住民が行政と掛け合って、現在地(拙宅から100㍍ほど離れている)に常設され、ぼくはそれを利用している。ビン・カン類も(前記)町内会集会所に置かれていたし、町内会未加入者には使わせないということだったらしい。これもまた行政に掛け合って、現在地(近所のTさん宅駐車場内)に設けられ、ぼくはそれを使っている。千葉市の事案で、当事者だった男性が状況改善を求めたが無視された、その町内会の議決が凄いものでした、1対86。圧倒的少数者に置かれた男性の「1」が無意味だったかと言うとそうではなかった。逆に言うと「1」が正しければ(合理性があれば)、それは3にも30にも50にもなるでしょう。これはデモクラシーの好例です。100対0ではなく、99対1の「1」が大事です。その1には50や60になる可能性(正当性)が含まれていることがあるからです。(小数意見が大多数を救うことはいくらもあります。集団において、少数意見こそ不可欠)
20年耐えた自宅前のごみ集積所 町内会に移設求めた訴えに裁判所は 自宅と隣接するごみ集積所の場所を変えて欲しい――。長年、悪臭やごみの飛散などに苦しんできた住民が町内会にそう要望したが、総会で1対86で否決された。住民は同じ町内会の住民らを相手に、集積所へのごみ捨ての差し止めを求める裁判を起こした。裁判所はどう判断したのか。/原告は千葉市内に住む80代男性。2003年6月に今も暮らす一戸建てのマイホームを建てた。土地購入時には集積所との間には小さな緑地帯があったが、道路の拡張工事で男性が住み始める頃には、集積所は自宅に隣接した場所に移った。以来、20年以上その状態が続いてきた。
当番制で掃除するはずが 集積所には、ほぼ毎日ごみが捨てられる。利用者が1週間ごとの当番制で掃除をすることになっているが、特に夏場には悪臭があるほか、カラスや猫が荒らしたり、収集後にごみが捨てられたりすることもあった。当番が掃除をしないこともあり、そうした時は男性が片付けや掃除をした。/15年春、この集積所に近くの別の集積所を統合する話が持ち上がった。男性は状況がさらに悪化するとして拒否し、逆に近くの別の地点を示した上で自宅隣の集積所の移設を求めた。
だが、話は進まず、男性は町内会の臨時総会に移設を諮ったが、賛成1、反対86(委任状を含む)で否決された。
男性はさらに19年から複数回にわたり、改めてごみ集積所の移設を要望したが、町内会は応じなかった。
23年9月、男性は集積所を利用する20人以上を被告として、千葉地裁に提訴した。/訴訟で男性側は、20年以上にわたって集積所の悪臭、景観の悪化、ルール違反や不法投棄などへの対処を強いられており、「被害は甚大で極めて不公平だ」と訴えた。(朝日新聞・2025/05/10)(https://www.asahi.com/articles/AST5732L5T57UDCB005M.html)
町内会(ちょうないかい)= 住民の自治組織であり,同時に行政機構の最末端組織としても機能する地域団体。起源は,古く律令時代の里制度,あるいは江戸時代の五人組制度に求めることができる。もともとは単なる隣保組織にすぎなかったが,第2次世界大戦参戦直前の 1940年,内務省訓令により区域内全戸の加入が義務づけられ,行政機構の下部組織として制度化された。しかし,戦後の 47年5月政令 15号によって廃止され,その後 52年の政令失効とともに再び各地で復活しているものの,一部有力者の運営にまかせた旧来の体質に対する批判は増加しており,公共住宅団地などでは,これに代るものとして自治会の結成をみるにいたっている。(ブリタニカ国際大百科事典)

参議院選挙の結果が出たようです。「自分一人が投票してもしなくても、何も変わらないではないか」と「棄権」を正当化する人がいます。それも一つの意見表明。だから、どんなことがあっても「棄権は非」とぼくは言わない。行くもよし、行かぬもよし、それが選挙です。投票率100%とは、いかにも嘘くさい。もし、ごみ集積所問題のように、自分が当事者になったら、どうでしょうか。あるいは隣人だったらどうでしょうか。自分には無関係と言い続けるのも一つの態度、でも当事者になったら、大声で騒ぎ出すけれど、誰も同情もしてくれない、それが「自分の居住している地域」だと気が付くと、どうなるのでしょうか、自分の気持ちは。86人の中に入っていれば、災いは襲ってこないとタカをくくり無関心を装うのでしょうか。ぼくは大概の場合、「少数者の側」に身を置いてきました。「差別する側」にではなく、「差別される側に」にこそ。若いころ、誰もが差別しなくなったら、たった一人で差別するぞ、そんなバカみたいなことを広言もしていた。
「明日は我が身」という俚諺があります。「よくないことが、いつ自分自身にふりかかってくるかわからないということ。[類語]昨日は人の身今日は我が身・今日は人の上明日は我が身の上」(デジタル大辞泉)

今でもなお、紅灯の巷で「村(町)八分」が生きて、機能しています。つまりはハイカラを装っている、その正体は極めて功利的かつ利己的な人間集合体だという意味です。ぼくの中にも残存している「村八分根性(集団による制裁)」の古い体質を抉(えぐ)り出す手を緩めてはならないでしょう。ぼくは「村八分」制を全否定はしません。いやできないのです。この社会に古くから続く「村八分」という「制裁法」は、他の地域で認められる「魔女裁判」ではなかったでしょうから。でも、事を荒げての「村八分」もないものだろうという気が強くするのも確かです。民主主義は死ぬ(殺す)わけにはいかないとぼくが考えるのは、それを否定すれば、自分を殺し、他人を殺すことに加担することになるからです。
名ぜりふ劇場 民主主義は最悪の政治形態といわれてきた。他に試みられたあらゆる形態を除けば チャーチルの名言
チャーチルは勇猛な政治家でしたが、戦争の回顧録でノーベル文学賞を与あたえられるほど表現の才に恵まれた人でもありました。民主主義はいろいろ厄介な問題があるが、これに勝る政治のかたちはない、というこの言葉。なるほどと思おもわせます。
公平な議論を進める手順の面倒さ。少数派の意見を大切にする心くばり。多数派が何ごとも数の力で押し通す危険。皆みなさんのクラスの話合いや討論でも意見をまとめきれず、議長役は大変でしょう。でもそうした「苦労」が民主主義の土台をつくるのです。劇場支配人・玉木研二(毎日新聞客員編集委員)(毎日新聞・202/12/21)(https://mainichi.jp/maisho/articles/20201221/kei/00s/00s/011000c)
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「徒然に日乗」(795~ 801)

〇2025/07/20(日)本日も快晴。猛暑日は確実だ。▶朝食を済ませた後、9時ころにかみさんと参議院選挙の投票に。(都合がつかなかったこともあって、今回も期日前投票はしなかった)近くの中学校体育館まで。投票率は前回並みか。それにしても50%近辺だから、いかにも政治は無関心層にはさらに嫌われているに違いない。その理由は言う必要もないくらい、政治家が政治を遊び気分(不真面目)で行っており、完全に有権者や国民を舐め切ってきたためであろう。この政治アパシーはこれからもしばらく続くと思う。「極右」が議席を占め、それなりの政治動向のカギを握る事態が生まれても、この政治無関心は続くだろう。それはまことに危険な兆候だが、時の流れを堰き止めることは困難だと思う。「団四の権力」もまた死滅寸前の、虫の息。誰が息の根を止めてしまうことになったのだろうか。ぼくの愚公するところ、それは「自死(Suicide)」だった▶帰宅後、しばらくは仮眠。とてもではないが、外の作業ができるはずもない酷熱状態。無理をしないに限ると、ずる休みを決めこんでいる▶「梅雨」らしくなかった「梅雨明け」宣言後も、相変わらず熱中症危険アラートが鳴り続ける気温状態が続くだろう。ただ今午後8時。室温30.3℃、湿度69%。今夜も熱帯夜か。猫は正直で、あまりに蒸し暑いと屋外で夜を過ごすのだ。数日間帰らなかった子が本日昼頃に戻る。どこで何をしていたのだろうか。(801)
〇2025/07/19(土)朝から猛暑の予感。ゴミ出しで、6時半に集積所まで持って行ったが、すでに付近からは刈払い機のエンジン音が響いてくる。隣のIさんは、自宅に入る町道沿いの樹木の枝を払っておられた。当方も負けずに出陣と一瞬は思ったが、疲れが残っていて、朝食後は横になったまま眠ってしまった。午後一時も過ぎてから目を覚ます始末。それ以来、何をするでもなく、時間を無駄に過ごしていた▶昨日から、また一人帰ってこない子(♀)がいる。この子は以前には三日も帰らなかったことがあったし、以来、しばしば一日、二日家を空けることも。事もなく無事に帰ってくることを俟つ・祈るばかり。(800)

〇2025/07/18(金)本日は快晴の一日。それでも、各地では強いあめが降っている地域もあるという報道も。ようやくというのか、関東地方も「梅雨明け」と気象庁。一体、どんな「梅雨」だったかを考えれば、これまでも梅雨の様相とは一変しているのが明らか。作物は高温障害に災いされたり、多量降雨に成長を阻まれたり。これまでの「長閑な四季折々」は薬にしたくも見られなくなったようだ。九時ころから仮眠。昼過ぎまで寝てしまった。睡眠不足には少しの補充にはなったろうか。つくづく、酷暑灼熱下では動かないで静かに過ごすに限ると実感している。二、三日は頭痛がしていたが、今のところ、それは解消したよう。猫たちも高温酷暑には身のやり場がないらしく、夜も外に出て暑さをしのぐものが多くなった。出るもの、帰るものが入り乱れて、それに付き合わされている当方の睡眠時間は削られてゆく▶参議院選挙報道をネットで見る。一昔前なら、「政変」含みの選挙と言ったところだが、そんなものですらない「茶番」が演じられているし、「参●党」一点に報道は集中しているのが、奇怪だし、不気味ですらある。要するに、メディの多くは「不真面目」「不誠実」というほかない為体(ていたらく)。結果はすでに明らかなようだが、いい方向に政治が向かう気遣いがないのは、当節の時代状況としては、致し方ないのかもしれない。この国の凋落が、選挙情勢にも及んでいるし、少なからず既存政党のかなりな部分に「少子高齢化」の波がかぶさっているのが大きいと思う。(799)
〇2025/07/17(木)本日も終日自宅内で時間を過ごす。かみさんは相変わらずの「活動集会」に。真面目で精が出るのは感心するが、それに反してだんだんに「愚か者」に変貌しつつあると思われて、いささか情けなくなる。他人のことを言えた義理ではないが、驚くほど「不勉強」だと言いたくなるほど、無駄な時間を過ごしていると思う。同時に、自らの身体について、その健康に関して、驚くほど「無関心」なのはなぜかと考えてしまう。痛いとか痒いとは言うが、それを防ぐためにどうしたらいいかというところにほとんど智慧が働いていない。たまたま治れば、それまでのこと。けろっと、痛さや痒さを忘れてしまう。再発させないためになどとは一切考えないのだ。果たして、6年前の術後の抗がん剤服用に帰因するのだろうか。もちろんそれもあるし、高齢による衰えもあって、だんだんと、諸事に怪しくなって、驚くような反応が出るのだ。「気の強さ」が、ここにきて彼女の性格の意固地さを助長させていると思う。(798)

〇2025/07/16(水)昨夜来の雨が続いている。本日は「ビン・カン」回収日で、早朝5時ころ、降雨の合間を縫って、回収所に持参。ペットボトルはすべてではなかった。小物は次回(来月)に回すつもり。昼前に茂原まで買い物。雨は降ったりやんだり、時には強く降ったり。夕方五時頃にはすっかり晴天に変った。大量の雨が降ったところが何か所もあった▶参議院選挙情報をいくつかのメディアを通して調べる。現在の政治情勢を(表面上は)大きく変える結果がほぼ確実視される。実態は、「気味の悪い「呉越同舟」だ。その結果を踏まえて、さて、どういう「野合」「馴れ合い」政治が展開されるか。(797)
〇2025/07/15(火)昨日と打って変わって、かなり強い雨が降り続いた。低気圧が西日本から登場してきた、その余波だったろう。それでも、あまり激しい雨風ではなかったのはさいわいだった。他地域では「線状降水帯」に襲われたところが何か所もあったようだ。台風シーズン到来を感じさせる一日だったと思う▶早朝5時ころに近所のコンビニで牛乳を購入。その後、午前中に猫缶購入のためにあすみが丘へ。いつも通りの商品を購入してきた。帰宅後、少し仮眠した後で、近所のHCで、猫のドライフードを購入しに▶参議院選挙報道などをネット番組で見る。今ではほとんど見るべき番組がなくなったので、気分手的にはすっきりしている。それにしても、有権者の煽られ方、靡き方が異様な感じを抱かせるのは、定見や思想がないからこそ、大半の有権者は投げかけられた「疑似餌」に食いつくのだと思う。何度も何度も犯してきた間違いを、それぞれは初めてのように経験しているのだろうか。(796)

〇2025/07/14(月)台風5号の影響で風雨が強まるかと思っていたが、その影響はあまりなかったので一安心。ただ今、午後9時半過ぎ。室温27.8℃、湿度81%。明日は、台風ではなく低気圧の影響で各地では線状降水帯が発生との予報。当地でもそれなりの雨量が予想されている。酷暑続きの後には、雨天状態が続く。その後はまた猛暑の復活で、「梅雨明け」宣言?が出されそう▶終日自宅に。午前中は仮眠をとる。視力の衰えを痛感。できる限り疲れを取るようにはしているが、読書やパソコンを止めるわけにはいかない分、目薬に依存する頻度が多くなっている。(795)
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