Do not stand at my grave and weep

【明窓】お墓に還る 「墓石にカエル」というタイトルを付けた5月26日の当欄に多くの反響を頂いた。墓参りに行った際、墓石の「墓」の文字の一部に、小さなアマガエルが身を潜めるようにすっぽり収まっていたという内容▼新聞の当欄に写真は載せていないが、代わりに同日の「読者ふれあいページ」で紹介したこともあり「ほっこりした」「カエルくん、いい場所を見つけたね」といった声のほか、「人は最後はお墓に〝還(かえ)る〟ものだと、しみじみ思った」との感想も。そんな哲学的な意味を込めたつもりはなかったのだが▼同じように「墓石にカエル」を経験した人も多いようだ。ある女性は母親を亡くした後、墓参のたびにカエルの姿を見つけ「もしかしてお母さんが…」と思ったという。当方の場合、2年半前に亡くなった父親だったのだろうか。ただ先日、1カ月ぶりに足を運んだ際は、もう姿はなかった▼墓石にカエルを見つけた11日後、父親の葬儀にも参列してくれた新聞社の仲間が闘病の末に旅立った。56歳だった。駆け出し時代に2人で高校野球鳥取大会の取材を担当。「何か面白いことをやろう」と、走者が三塁を回る瞬間など、ボールが写っていない写真ばかり掲載し続けた。遊び心は今も忘れていない▼訃報を受けて、ライバル紙に追悼文が載った。社内外を問わず慕われていた証しだ。人は最後は「お墓に還る」ものだろうが、あまりに早すぎる。(健)(山陰中央新報・2024/06/17)

 もともと、「式」と銘打たれたものは概して好きではなかった、いや、正直に言うならとても嫌いでした。長年の職業柄、入学式や卒業式を初め、長く生きていると、さまざまな「式」にお呼びやお声がかかる。なぜ嫌いか、理由は単純、かつ明快だと思う。それぞれの「式」には「主役」がいるはずですが、どうもそうではない「式」が圧倒的に多いのです。「主役顔負け」と言うか、「俺が主役だ」という手合が「式」を乗っ取っている、そんな風潮が蔓延していて、ぼくにはとても馴染めなかった。卒業や入学は当事者が大事にされるのですが、その大事にされる仕方がぼくに言わせれば、「場違い(その場にそぐわない)」であり、「お門違い(尋ねるべき家が違うこと)(見当外れ)」であるのです。事例は腐るほどあるけれど、面倒だから挙げません。結婚式やお葬式も、例外ではない。まるでお祭り騒ぎ(演出過多)と見紛うような雰囲気が露出しすぎていたのではないでしょうか。「コロナ禍」によって、少しは従前に戻ったのかもしれないし、少しは、本来の面目を取り戻しつつあるように思われます。

 結婚式はまず参加しないことにしていましたが、お葬式だけはそうは行かない。でも可能な限り出ないようにはしてきました。今日は「家族葬」などと称して、身内だけ、少人数で行われる傾向にありますが、いい傾向ですね。お葬式に坊さんが出てくる事自体、「場違い」という気もしていました。それは、でも、人それぞれですからお好きなように、でしょうね。

 変な話になりそうですが、二日前のコラム「明窓」に刺激されたというわけ。コラム氏は同じ新聞の5月26日の「明窓」を引き合いに出しておられます。ぼくもその「コラム」は読みました。そして駄文を綴ろうとしたのでしたが、別の駄文を書いてしまいました。だから、仕切り直しというつもりで再掲したのです。「墓石にカエル」はシャレのつもりだったのでしょうか。元々墓石は誰かが「置いた」もの。遥かの昔からその場にあったわけでもないし、人は、そこから生まれたのでないのですから、「墓にカエル」はちとおかしい、そんなことを考えたりしていたら、今回は記者の「父上」と「同僚」だった方がお墓(鬼籍)に入られたお話があった。「カエル」は「亡き人の化身」か、というのですか、いかがでしょうか。「化身(けしん)」とは仏語。仏がこの世の人間たち(衆生)を救うために「人間になって・身を変えて」現れた(応神)とされますから、「カエル」は化身ではなく、本物のカエルだったと言うばかり。いや、そうは言っても、時と場合に神仏はいろいろな姿に身をやつして現れるとも言いますから、「カエル」は「母」「父」「同僚」と言ってもおかしくないのかもしれません。

 こんなことを書いているのも、頭の中ではよく流行った「千の風になって」が流れているからでした。「私はお墓にはいませんから」、「どうか、墓の前に立って、泣かないでください」と。この歌の原詩はアメリカの一夫人の手になるものだったそうです。「Do not stand at my grave and weep」その人は「Mary Elizabeth Clark(1905~2004)」で、オハイオ州生。彼女はある時時代、Margaret Schwarzkopf(マーガレット・シュワルツコップ)という女性と同居していた。その女性の母親が亡くなった。その死を悼んで書いたのが〈Do not stand at my grave and weep〉だったという。しかし、原詩がそっくりそのまま、今日のものになったのかどうか、それを作家の新井満さんが訳したのかどうか、その経緯を含めて、相当に入り組んだ事情がこの「千の風になって〈I am in a thousand winds that blow〉」には混在しているのですけれど、ここでは一切、触れません。いずれの御時に。今では、お葬式当時に、この歌が流れるそうです。BGMですかな。大変な時代になったものです。                                                                        (Mary Frye’s (attributed) famous inspirational poem, prayer, and bereavement verse・BusinessBallshttps://www.businessballs.com/amusement-stress-relief/do-not-stand-at-my-grave-and-weep/

Do not stand at my grave and weep,
am not there, I do not sleep.
I am in a thousand winds that blow,
I am the softly falling snow.
I am the gentle showers of rain,
I am the fields of ripening grain.
I am in the morning hush,
I am in the graceful rush
Of beautiful birds in circling flight,
I am the starshine of the night.
I am in the flowers that bloom,
I am in a quiet room.
I am in the birds that sing,
I am in each lovely thing.
Do not stand at my grave and cry,
I am not there. I do not die.(Mary Elizabeth Frye.1932)
新井満さん

 ヒット曲「千の風になって」の訳詞と作曲などを手掛けた芥川賞作家の新井満(あらい・まん、本名・みつる)さんが昨年12月、 誤嚥 性肺炎で亡くなった。75歳だった。/万能の人だった。広告会社員として環境映像を多数制作し、1988年に小説「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞した。CMソング「ワインカラーのときめき」を歌いヒット。98年長野五輪では開・閉会式のイメージ監督も務めた。/その人生は、死と生を強く意識していた。代名詞といえる作品で、「自由訳」と作曲を手がけた「千の風になって」が生まれたのは、必然だったのかもしれない。(以下略)(読売新聞・2022/02/27)(https://www.yomiuri.co.jp/culture/music/20220224-OYT1T50204/

 人は死んだら、「風になる」「星になる」「月になる」「蛙になる」、もちろん「仏になる(成仏)」と、いろいろな物語が、それぞれの故人に関わって編まれてきました。ある仏教関係者に言わせると「千の風になって」あちこち吹きまわり、「お墓にはいませんから」と言うのは「営業妨害だ」と言われたそうです。それはともかく、「お墓」を巡る逸話には際限がないようです。墓参とか墓参りと言うけれど、ぼくなどは遥か彼方の墓地に出かける元気もない。自室には「両親の位牌」があるので、毎朝、そこにお茶(水)とお線香を上げるようにしているばかり。個人を偲ぶ縁(よすが)はいろいろで、こんな駄文を綴っているのも、時には「供養」とも、「悼み」とも重なるような機会があればこそです。

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 ヘッダー写真は京都の「化野(あだしの)念仏寺」の参道への階段です。このお寺は「無縁仏」をお祀りしています。このお寺の所在地は京都市右京区嵯峨鳥居本化野町17。この近くに小学校時代の友達がいて、ぼくはしょっちゅう通っていました。彼は鳩(伝書鳩)大好き人間で、しばしばみとれていることがあった。その友人の家に行くにはどうしてもこのお寺の前を通らなければならなかった。愛宕山や清滝の入口で、今から七十年前は実に陰気な雰囲気が充満していて、昼なお暗鬱な空気を小学生ながらに感じ取っていました。

 この地は都の東西の墓地として古くから存在していた、そのひとつ。念仏寺は空海や法然が建立や再建に深く関わった寺です。墓所にはおよそハ千体の無縁仏(野ざらしの遺骸)が懇(ねんご)ろに葬られている。今では名だたる観光地で、時には大層な観光客が来るそうです。一体何を観るのでしょうか。あるいは無縁墓地が「見世物」になるのでしょうか。「墓の前で立って、泣かないでください」「私は眠っていない」「私は死んでいない」と、往時の「御仏」も同じように、千の風になって、観光客の頬をなでているでしょうか。なお、この念仏寺の本尊は阿弥陀如来ですよ。

 「爾時仏告。長老舍利弗。従是西方。過十万億仏土。有世界。名曰極楽。其土有仏。号阿弥陀。今現在説法。舍利弗。彼土何故。名為極楽。其国衆生。無有衆苦。但受諸楽。故名極楽」(「仏説阿弥陀経」)

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● 阿弥陀如来(あみだにょらい)= 阿弥陀はサンスクリットのアミターユス(無量の寿命の意)とアミターバ(無量の光明の意)の音訳。西方にある極楽浄土の仏で,日本では,浄土教の隆盛にともない諸仏のなかでも最も多くの信仰を集めた。さまざまな経典に記されているが,とくに浄土三部経とよばれる「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」は阿弥陀に対する信仰を中心として書かれている。10世紀に源信(げんしん)が「往生要集」を著し,同じ頃民間に空也(くうや)が現れて称名念仏を唱え,阿弥陀に対する信仰を勧めた。この頃から浄土信仰は盛んになり,12~13世紀には豊年(ほうねん)・親鸞(しんらん)・一遍(いっぺん)などが教理と実践の両面をいっそう純化させ,それぞれ浄土宗・浄土真宗・時宗教団の基礎を作った。(山川日本史小辞典)

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)