何度でも、「備えあれど憂いあり」と

 劣島のいたるところで地震が発生し続けています。加えて、台湾東部にも、先般大きな地震が発生しました。この劣島が載っている岩盤そのものが、方々で歪みやズレを起こしているということでしょう。そして、その次は「南海トラフ」だ「首都直下型」だと、嫌でも連想が走るのです。その昔、「地震・雷・火事・親父」と、できれば遭遇したくない「自然災害」のワーストフォーが多くの人々の口の端に上りました。近年、そのうちの一つである「親父」は絶滅したのか、ほとんどその被害の大きさが、ぼくの耳には届かなくなった。(それは、君だけに聞こえない話で、今なおその災厄に苦しんでいる親族はたくさんいるとされる)

 それでも、火事と親父から受ける災害・難儀は、なんとか防ぎようがありそうです。しかし、「地震・雷」は、今のところいかんともしがたい。就中(なかんずく)、地震は手に負えません。その襲来・奇襲に遭遇して可能な限りで被害を最小にすることだけが、唯一の防御策なのでしょう。その昔、だれ(寺田寅彦?)がいったか「天災は忘れたころにやってくる」と呑気な話ではあったが、今日(きょうび)は「忘れる間もなく、災害は襲来する」のだ。集中豪雨や台風も、その列に並んでいる。純粋に「天災」「自然災害」というものは存在しない。どこに起ころうと、そこに人間が存在していれば、それがすなわち「災害」というのでしょう。人間の住んでいない環境や地域に、どんなに激しい「地震」が起ころうとも、「これは地震だ」と言うもの(存在)がいなければ、それは単なる自然現象として扱うだけのこと。

 (ヘッダー写真は東京新聞・2022/12/18)(https://www.chunichi.co.jp/article_photo/list?article_id=602864&pid=2962118

 今般の四国に生じた地震の中心となったのは、愛媛と高知でした。愛媛では愛南町、高知では特に宿毛が激しく揺れたとされます。何年も前に宿毛に出かけたことがあります。土佐は親父の生まれたところ。彼は何年経っても「土佐弁」が抜けなかった。また大酒飲みの「いごっそう(頑固者)」で、ほとほとぼくは感心したものです。高校を卒業してすぐに家を出たので、その「いごっそう」とはあまりぶつからなかったが、地震や雷と並んで恐れられたという、その凄さ(怖さ・強さというべきか)がわかりそうでわからずじまいでした。

 それはともかく、今日の地震研究の領域では、予測はきわめて困難であることは知られています。したがって、昔も今も、来たるべき地震の発生に対しては、自己防衛という手段しか残されていないのです。本年元日の能登半島地震の発生とその後の経過を見ていると、能登のある地域には「復旧」も「復興」も存在しないことが明らかになりつつあります。人口過密都市では災厄は想像を絶しますし、過疎地ではほとんど災害の程度の如何にかかわらず、その「実相」は政治行政からは歯牙にもかけられないのです。奥能登方面の現状は、震災発生直後と殆ど変わらない、まったくの手つかず状態が続いています。いわゆる「復旧」「復興」には値しない地域とみなされているとしか思われない惨憺たる現実がさらけ出されています。これこそ「棄民政策」だと言うべきではないでしょうか。おそらく、今日の政治のボンクラどもは、首都圏(就中、東京圏)だけが(日本国)であって、その外側は、「蛮族」「劣民」の居住する地域だと見做している風があからさまです。

 劣島住民がどれほど悲惨な状況に置かれようと、政治や行政は、それこそ「見て見ぬふり」をするのでしょう。その態度は目に見えている。まず「自助」からという。その言わんとするところは「泣くも笑うも、本人次第」というわけです。「自助」ができないものには「共助」も「公助」もあるはずもないのだと言っているに等しい。ここまで来て、民衆(国民)とは、ひたすら「税金」を滞りなく「収める」収納機でしかないということに気がつく。一例は、東日本大震災後の政治・行政の姿勢・方向を見れば一目瞭然とするでしょう。「原発問題」に関しては言うまでもなく、たった一度の事故でどんなに被害者が出ようとが、「原発再稼働」はもちろん、「新増設」まで言い出していることを見れば、身の毛も弥立(よだ)つほどですよ。

 いつ何時、大地震が発生するかわからないから、そのときは「自分の命は自分で守れ」という基本方針はいささかも変わっていない。国民の不幸は目に見えているにも関わらず、政治や行政は「国民の災厄・被災? なにそれ」と、あくまでも「何処吹く風」とばかりに、国民の身の安全にはいささかの関心も払おうとはしないのです。かかる「粉飾政治」と「愚劣政治家」こそが、ぼくたちの災厄・かつ不幸の真因・元凶だと、多くの人民は気がついているでしょうか。こちら側も、政治家に負けじと「何処吹く風」なんですかあ。

 *南海トラフ地震とは 駿河湾から遠州灘、熊野灘、紀伊半島の南側の海域及び土佐湾を経て日向灘沖までのフィリピン海プレート及びユーラシアプレートが接する海底の溝状の地形を形成する区域を「南海トラフ」といいます。/この南海トラフ沿いのプレート境界では、①海側のプレート(フィリピン海プレート)が陸側のプレート(ユーラシアプレート)の下に1年あたり数cmの速度で沈み込んでいます。②その際、プレートの境界が強く固着して、陸側のプレートが地下に引きずり込まれ、ひずみが蓄積されます。③陸側のプレートが引きずり込みに耐えられなくなり、限界に達して跳ね上がることで発生する地震が「南海トラフ地震」です。①→②→③の状態が繰り返されるため、南海トラフ地震は繰り返し発生します。/南海トラフ地震の過去事例を見てみると、その発生過程に多様性があることがわかります。宝永地震(1707年)のように駿河湾から四国沖の広い領域で同時に地震が発生したり、マグニチュード8クラスの大規模地震が隣接する領域で時間差をおいて発生したりしています。さらに、隣接する領域で地震が続発した事例では、安政東海地震(1854年)の際には、その32時間後に安政南海地震(1854年)が発生し、昭和東南海地震(1944年)の際には、2年後に昭和南海地震(1946年)が発生するなど、その時間差にも幅があることが知られています。/南海トラフ地震は、概ね100~150年間隔で繰り返し発生しており、前回の南海トラフ地震(昭和東南海地震(1944年)及び昭和南海地震(1946年))が発生してから70年以上が経過した現在では、次の南海トラフ地震発生の切迫性が高まってきています。(気象庁・https://www.data.jma.go.jp/eqev/data/nteq/nteq.html

【小社会】震度以上の「揺れ」 土佐民話継承の第一人者で、昨年亡くなった市原麟一郎さんは、昭和南海地震の体験談も精力的に収集している。総勢108人から聞いた記録を1981年、「裂けた大地」の題名で出版した。◯その中のいくつかは揺れに動揺する様子を詳細に描く。「大丈夫だと高をくくっていたが(中略)だんだん強くなって、こりゃあいかんと…」。楽観から焦り、混乱へ。個々の生々しい話こそが統計以上の教訓になる。◯おととい夜の豊後水道を震源とする地震。最大震度6弱だった県西部はもちろん、それ以外の地域でも観測震度以上に動揺した人が多かったのではないか。◯なにせ高知には、南海トラフというリスクがある。人は過酷な状況に陥った時だけでなく、そうなる恐れを感じた時のストレスも大きいものだ。筆者の場合は「ミシミシ」と家がきしむ中、今にも大きな揺れが来そうで気が気でなかった。◯思えば高知は、長く大きな揺れに遭っていなかった。四国で6弱を観測したのは現在の震度階級になった96年以来初めてという。いかに「わが事」として捉えられるかが重要な防災活動にあって、これはありがたいけれど悩ましい現実でもある。この地震で県民意識はどう変わるだろう。◯「地震や津波の証言も現代の民話なんです」。市原さんが体験談集めに動いたのも、自らが昭和南海を経験した危機感からだった。ミシミシというあの不快な音を、教訓として心に刻む。(高知新聞・2024/04/19)

 宿毛市で震度6弱 M6・4 震源は豊後水道 伊方原発異常なし 17日午後11時14分ごろ、愛媛、高知両県で震度6弱の地震があった。宿毛市で震度6弱、土佐清水市や四万十市などで震度4を観測した。気象庁によると、震源地は豊後水道で、震源の深さは約50キロ。地震の規模はマグニチュード(M)6・4と推定される。津波はなかった。高知県内で震度6弱が観測されたのは初めて。/高知県は、17日午後11時45分現在、負傷者や建物の倒壊に関する情報は入っていないとしている。原子力規制庁によると、愛媛県にある四国電力伊方原発に異常は確認されていない。九州電力によると、鹿児島県の川内原発も異常は確認されていない。/岸田文雄首相は、地方自治体と緊密に連携し、政府一体となって被災者の救命救助など災害応急対策に全力で取り組むよう指示した。林芳正官房長官と松村祥史防災担当相は17日、首相官邸に入った。政府は首相官邸の危機管理センターに官邸対策室を設置した。(以下略)(高知新聞・2024/04/18)

能登半島地震のニュース・生活情報:北陸中日新聞Web

 何度でも、繰り返して言っておく、「備えあれど憂いあり」と。そして「天災は忘れる間もなく、常に起こるのだ」とも。「常在被災状況」いつだって、誰だって、大小問わずに災厄・災難を被っているのです。起こるのは自然災害ばかりではない、人災だって、その規模かつ頻度たるや、もはや度し難いほど、というほかないのです。この国や社会は、「無責任」という病魔に冒され、重篤な状態に喘(あえ)いでいる。「息絶え絶え」というのは、このぼくたちの事態を正直に言い表しているのです。

 (⏫️写真は中日新聞:https://www.chunichi.co.jp/hokuriku/k_news/r6_noto_jishin

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)