consideration for others

【斜面】レンズをのぞく笑顔が見える 一人で杯を傾けていた晩酌に付き合ってくれる親切な者が現れた。拾われて1年半前から暮らす猫だ。真正面に座って、まあるい瞳でのぞき込んでくる。こちらものぞき返す。たぶん言いたいことも同じ。「そこで何をしているの?」◆ようやく信頼したのか、近寄るように。姿勢を変えずにあくびをし、目を閉じた。ちょっとそのまま―。スマホのカメラを立ち上げ、カシャ。あー、動いちゃった…。どうもシャッターチャンスに恵まれない。スマホの中は彼女の画像でいっぱいである◆本紙1面「こと映え」を見るたび、いい場面をうまく切り取るなぁと感心している。掲載を始めて今月で5年だ。すべて切り取って、とってある。最近では3日付の「平穏無事」が特に心に残った。こたつと窓の間でくつろぐ犬と猫が、穏やかな日常のぬくもりをよく伝えている◆写真と言葉の組み合わせの妙を楽しみながら、レンズを向ける人の笑顔も想像する。物理学者の寺田寅彦は飼い始めた子猫が「私自身の内部生活にもなんらかのかすかな光のようなものを投げ込んだ」と書いていた。そばにいる無垢な存在はみなそうだ◆投稿のためにLINEに登録している人は現在約7700人。今も増えている。新聞は世情を映して暗いニュースが絶えないけれど、当欄の左側にともった柔らかな明かりに、めくる手も軽くなる気がする。4月6日は「新聞をヨム日」。支えてくれる投稿者の皆さんと愛らしい命に感謝。(信濃毎日新聞・2024/04/06)

 「花時の雨」というらしい。昨夜来、小降り続き。もう小一時間ほど、この「こと映え」の写真を見ています。猫好きが多いし、犬好きもまた。あまり人のことは言えぬが、ぼくのところにも数だけは誰にも引けを足らないほどいます。すべてが、今風に言うなら「保護猫」です。かれこれ、二十人(と言ってしまう)。学校なら「一クラス」編成です。もちろん、全員に名前があります。「ものあれば名あり」ですから。しばしば訊かれます、「猫が好きですか?」好きだと言えばそうだが、好きだから「二十も」というのはどうでしょう。嫌いなら、こんな酔狂なことはしませんから、好きであるに違いないし、連れ合いが嫌いだったり、猫アレルギーなら、こうはならなかった。

 そもそもの始まりは。連れ合いが、当地に越してきて、野良猫に餌をやりだしたから。困った仕儀になったと思ったが、もうだめ。気がつけば、大所帯。(ここまで書いてきて、玄関前で「喧嘩騒ぎ」、我が家の♂と隣家の♂が「一触触発」です。とるものもとりあえずず、いや、ゴルフクラブ(一番アイアン)一本を持って、飛び出す。「喧嘩両成敗」というわけ。怪我でもされたら、大事。動物病院はいつも無保険。目玉が飛び出るほどの治療費がかかります。ぼくは、いつ何時でも「飛び出す」体制で、真夜中であろうが、大雨であろうが、「鳴き声」が聞こえたら、ゴルフクラブを手に。本来は防犯用のゴルフクラブが十本ほど常備されている)

 じつは、隣家(約三十メートルほど離れている)にはたくさんの猫がいる。ほぼ野良猫状態。たまに「ドライフード」を与えているようだが、しょっちゅう我が家に入り込む。つねに食料があるからだ。隣家では、多い時には二十はいたと思う。年に何度もお産をするから、数は増えるが、いろいろな理由で育ちきらないで亡くなる。子猫が我が家の敷地で、これまでに数匹亡くなっている。もちろん手術もしないし、病気にも罹患する。おそらく、拙宅の猫も、発端はすべて隣家からだろうと考えている。仲間はずれにあって、流れてきたかも。隣家はよくわからない男性の独居状態ですから、こうしてほしいと、なかなか注文が出せないままで来てしまったと思う。少なくとも、ぼくのところにいる猫はすべて「避妊」「去勢」手術は施した。隣家の猫たちのこの先をどうするか、思案中です。それはともかく。

 猫の気持ち、などという。分かる人が多いのですね。ぼくにはわからないほうが多い。喧嘩をせず、病気をせず、超高齢にもならずに、そんな勝手なことを願っています。我が家を訪ねたいという奇特な人には「猫がたくさんいますよ」と、説明している。猫アレルギーが出る人なら気の毒ですから。ぼく一人で住んでいた頃は、いつでも五人も十人もが泊りがけで来た。ぼくは「宿屋飯盛」を自認していました。それはそれで結構でしたが、猫と同居するようになってからは、泊りがけはなくなった。いいことなのでしょうかね。この「こと映え」を見ていると、本当に「人間というのは根は優しいのだ」と思いこんでしまいそう。それは錯覚で、びっくりするほど「凶悪」なのもいるのです。(犬に関しては別稿で書きたいですね)

 コロナ禍で、ペットを買う・飼う人が増えたと言われます。他国では「ペットショップ」廃業という法律ができている時代です。この国では、漸くその端緒についたばかり。ペットショップやブリーダーという商売人の内情を知れば知るほど、なんとかして「ペット」「愛玩」視するような「動物のペット化」は止めてもらいたいと真剣に考えている。好きだから「飼う」、飽きたから「捨てる」というのは、犬や猫の「人間化か」と錯覚してしまう。好きでいっしょになり、嫌いで別れる、生まれた子どもはどうするのかという、悍(おぞ)ましい問題の収束する気遣いがない事態を前にして、ぼくたちは解決策を打ち出せないままでいる。

 ぼくのところには、年中、保護猫問題に関する署名や募金の依頼が飛び込んでくる。同時に「ひとり親家庭」や「食事に恵まれない子ども」への援助や寄付の依頼も絶えないのですが、この二つの問題の根っこは、まったく同じだと痛感しています。「人間の勝手(human selfishness)」です。他者(生き物)への、いささかの思いが持てないのは、なぜだろうと、ぼくは老いてなお考え続けています。

 「こと映え」のような企画が増えることは望ましいことですけれど、それが関心を呼べば呼ぶほど、忘れ去られている「いのち」があることに思いが及ぶのです。信毎新聞にも、声を大にして呼びかけたいですね。物事には必ず「裏と表」があります。「自慢のペット大集合」は大人気を集めるでしょう。でも、その脇に、多くの犠牲者(ペットになれなかった動物たち)がいることを、ぼくたちは忘れたふりをしていんじゃないですか。(わが老夫婦は、猫たちに囲まれて「破産寸前」です。身の程知らず、かな)

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)