さまざまのこと思い出す桜かな

【水や空】開花宣言 「世の中」が忙しく変化を続けるのは現代に限った話ではないらしい。季節だけが変わらず巡ってくる。〈何ごとも移りのみゆく世の中に/花は昔の春にかはらず〉と詠んだ良寛さんは「散る桜/残る桜も散る桜」の句も広く知られる江戸時代の僧侶▲今年は昨年より5日遅く、平年より3日遅れの“お待たせ桜”となった。長崎地方気象台が昨日、ソメイヨシノの開花を宣言した▲ここ数年の「移りゆく世」を何より実感しているのは、当の桜の花自身かもしれない…とあらためて思う。いつもの春と変わりなく咲いているのに、周りで眺める人の気配が年ごとに大きく違っていたはずだから▲「桜はきっと来年も咲きます」-東京都知事の“自粛号令”は今も忘れられない。新型コロナウイルスの流行が始まったのは2020年の春だった。密を戒める「お花見NG」は翌年も、その次の年も続いた▲5類移行…コロナ感染症の法律上の扱いが「フツーの流行性の風邪」になって初めての桜の季節だ。これも良寛の一首。〈いざ子ども/山べにゆかむ桜見に明日とも言はば散りもこそせめ〉-ほら行こう、「あした」なんて言ってるうちに花が散ってしまうよ▲大はしゃぎで子どもたちを急きたてる様子が見える気がする。さあ、令和の私たちもお花見の相談だ。(智)(長崎新聞・2024/03/27)

 これまでに、一体何度「散る桜残る桜も…」を耳にしたことでしょう。その大半は「法事」の場においてでした。お坊さんの「説経」あるいは「説教」の中に出てきた。ある種の「訓話」「訓戒」として、今は亡き人の御冥福を祈る時ですけれど、今を生きている私たちもまた、いずれの日にか、「散る桜」、命を落とす運命にあるのです。くれぐれも精進を怠らないように、とでも言った風情だった。人生の無情を教えるためだったか、あるいは「生者必衰・必滅」「会者定離」の運命を免れないということだったでしょうか。何を当たり前のことを、そんな思いで聞いていたものでした。我ながら、罰当たりだと思う。

 この「辛気臭い」訓話よりも、もっと早くに、ぼくは知っていた。「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という俳句(と言うか、狂歌と言うか)、しかもそれを間違えて「世の中は三日見ぬ間の桜かな」と覚えていたものでした。よく考えれば、「三日見ない間に散る桜」よりも、「もうこんなに桜が咲いたんだ、三日見ない間に」と驚くほうが、花に出会う喜びが大きかったことが分かるでしょう。数日前はあんなに硬(かた)い蕾(つぼみ)だったのに、もう、こんなに咲いたのか、と。信濃の人、大島蓼太作。不勉強で、詳しくは知りませんけれど、芭蕉再評価では大きな仕事をした人として知られる。子規に言わせれば「俗臭芬芬」だそうで、わびもさびも大いに欠けるところがあるという評価だったでしょう。はたして子規には「俗臭」は皆無だったはずもないのに。いずれにしても「三日見ぬ間に(の)桜かな」ですから。この桜花というの曲者は、まるで明智光秀のようじゃありませんか。

 コラム氏の言う通り、今年は開花宣言が二転三転、人間の仕業(しわざ)というのは、なんとも可笑しいですね。咲き乱れる前に、少し足踏みした様子でした。長崎は今日も雨だった、と雨に濡れた桜を思い浮かべています。ぼくは、このコラム「水や空」はもっとも好きな常設欄で、もう何年も読み続けています。長崎が好きだということも影響しているのは確かですが、その長崎県の有力紙(長崎新聞)については、ある時期から、複雑な受け止め方をしてきました。いずれ、詳しくは触れるつもりですが、学校における「いじめ自殺」事件の報道を廻るこの新聞社の姿勢、あるいは立場が実に偏向していると判断させられたのでした。県庁にベッタリと言うべき。不思議なもので、一つの報道に係る会社の方針が間違っていたから、その新聞(会社)全体を忌避するかと言うと、実際にはそうならないのも世の常でしょう。(🔼写真は文藝春秋)

 どう考えても長崎新聞の「いじめ自殺」事件の報道ぶりは間違っている、偏向していたとぼくは思うし、その姿勢を改めない限り、この新聞の報道に大きな疑問を持たざるを得ないということです。でも、どうしても納得ができないとぼくが判断するのは、一つの事件に関わる報道内容とその姿勢に歪みがあるということであって、それが果たして「コラム」にまで表れているかと言えば、どうもそうではないとぼくには読めるので、いまだに、この「水や空」を愛読しているのです。「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」とは思わないし、言えないと思うのです。人間の全体が腐るということは、まずありえませんね。(この事案についてはいずれ、稿を改めて)

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● りょうかん リャウクヮン【良寛】= 江戸後期の禅僧。歌人。越後国(新潟県)出雲崎の人。俗名山本栄蔵。号は大愚。諸国を行脚し各地に漂泊転住、寛政九年(一七九七)故郷の国上山五合庵に身を落ち着ける。書にすぐれ詩にも通じた。生涯著述は行なわなかったが、弟子貞心尼の編んだ歌集「蓮(はちす)の露」などがある。宝暦八~天保二年(一七五八‐一八三一)(精選版日本国語大辞典)

 引用されている良寛さんの作品はいいですね。彼の号は「大愚」、若い頃から、この「大愚」という生き方に強く憧れてきました。良寛さんは、生涯寺を持たず、各地を放浪。故郷に帰り、国上山中「五合庵」に隠棲。独自の境地をいくつもの領域で示されたのだった。                                                            〈何ごとも移りのみゆく世の中に 花は昔の春にかはらず〉〈いざ子ども 山べにゆかむ桜見に明日とも言はば散りもこそせめ〉

● 大島蓼太(おおしま-りょうた)(1718-1787)= 江戸時代中期の俳人。享保(きょうほう)3年生まれ。雪中庵2代桜井吏登(りとう)に入門,延享4年雪中庵3代をつぐ。松尾芭蕉ゆかりの地を吟行した。俳書をおおく編集し,門人は3000人をこえた。天明7年9月7日死去。70歳。信濃(しなの)(長野県)出身。本姓は吉川。名は陽喬。通称は平助。別号に宜来,老鳥,豊来など。編著に「芭蕉句解」(▶写真)「雪おろし」など。【格言など】世の中は三日見ぬ間に桜かな(「蓼太句集」)(デジタル版日本人名大辞典+Plus)                                                           ● おおしま‐りょうた〔おほしまレウタ〕【大島蓼太】[1718~1787]= 江戸中期の俳人。本名は吉川陽喬。信濃の人。別号、雪中庵。桜井吏登に師事。江戸俳壇の実力者で、芭蕉への復帰を唱え、東西に吟行し、門人の数三千といわれた。編著「雪おろし」「蓼太句集」など。(デジタル大辞泉)

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 海星生徒自殺 「突然死」追認報道 長崎県は「積極的」否定 2017年4月、長崎市の私立海星高2年の男子生徒=当時(16)=が自殺した問題で、学校側が遺族に「突然死」とするよう提案したことを長崎県が追認したとする一部報道について、県は18日に会見を開き、「学校の立場を積極的に正しいと追認したとは思わない」との見解を明らかにした。/男子生徒の自殺を巡っては、学校側が設置した第三者委員会が「同級生のいじめが主要因」と結論付けたが、学校側は受け入れていない。/県によると、学校側が遺族に「転校」も提案しており、当時の県の担当者は「転校」は事実に反するため適切ではないと指導。また担当者は「ケースによっては『突然死』ということはあるかもしれない」という趣旨の発言もしたという。会見した県幹部は「『転校はおかしい』と強調するあまり、『突然死』という表現を少し軽んじてしまったのではないか」と述べた。/県は「担当者の発言が適切ではなく誤解を与えた。ご遺族にお詫び申し上げる」としている。(長崎新聞・2020/11/19)(◀写真「男子生徒」が縊死した「現場の桜」で手を合わせるご両親。▶写真は石川陽一著「いじめの聖域」文藝春秋社刊(いずれも文藝春秋)。なお、3月24日の「シンポ」には石川さんも参加されました)

 以下は余談、おまけです。桜好き人間の「アキレス腱」のような趣を教えてくれる「綱」「糸」のような作用をし続けてきたのが安吾さんの小説でした。桜は目出度いばかりか、と。題して「桜の森の満開の下」です。今ではすっかり疎遠になってしまいましたが、時々「演劇」鑑賞に誘われて出かけていたことがあった。その中の一つ「東京演劇アンサンブル」の演物(だしもの)が、この作品だったのです。桜にまつわる逸話の代表として、今なおぼくはその影響下にあり、桜を見る姿勢の、一種の歯止めにさえなっているのです。浮かれるなよ、とね。

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 「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。(以下略)」(坂口安吾「桜の森の満開の下」(「坂口安吾全集5」ちくま文庫、筑摩書房 1990(平成2)年4月24日第1刷発行)

・さまざまのこと思い出す桜かな(芭蕉)(桜を詠いこんだ句は無限にあります。ぼくは、この句が何よりと、桜に面会して来ました。

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投稿者:

dogen3

 誰に読んでもらう当てもなく、何かの主張を声高に訴えるでもなく、日々息を潜めて生きている感覚そのままを、拙い言葉に置き換えるとどうなるか。それが、「駄文」書きなぐりの内情です。書き始めの際、一友人が「毎日書く? いつまで続くかね」と慢侮に及んだ。「朝飯を食べるように」と、応じた。そんな安気な姿勢をもう少し続ける。なけなしの記憶力の衰えは消えぬが、それをも意に介さず、私意そのままに。さて、「朝駆けの駄賃」と行くかな。(2024/04/03)