中途半端に達者で行ぐどこがねえ

 昨七日は「大雪(たいせつ)」でした。二十四節気の一つ。本格的な寒さの到来です。七十二候では初候「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」(12月7日〜12月10日頃)。そして次候「熊蟄穴(くまあなにこもる)」(12月11日〜12月15日頃)。そして末候「鱖魚群(さけのうおむらがる)」(12月16日〜12月20日頃)を表します。今では、人為の悪戯が過ぎて、季節の巡りもかなり崩れてきたようにも見えます。「熊蟄穴」どころか、街中や住宅街を徘徊し、人間に危害を加えていると、頻々と報じられる。熊にすれば、おちおち「冬眠」もできない世の中・世情になった、訴え駆け込みたいのでしょう。また鮭が群がるというのは、今は昔の物語、何処かに消えたという便りが届けられている。

 そして、本日八日は「日米開戦の日」です。開戦や終戦・敗戦を記念するというのは、ぼくにしてみれば「愚かしい所作」「心ない業」、つまりはこんなに愚劣な、しかも取り返しのつかない迷路に人民を連れ込んだという、国家権力側の「忘れてはならぬ愚かさ再確認の日」というべきでしょう。もう一度やったら(どことやろうとしているのか)、今度は負けないのだが、という愚連隊が「雄叫び(a war cry)」をあげている。要するに「正義の戦い」などはどこをどう探しても出てこない理屈であって、結局は「皆殺し(genocide)」に行き着きます。イスラエルの獰猛さは如実にそれを示しているではないですか。「軍・民問わずに、皆殺し」、それが戦争の究極の狙いでしょう。

 「正義の戦い(義戦)」「五族協和の聖戦」などとという言葉と、それに符合するマヤカシの行為はあります。でも守るべき「正義」を貫徹するために、前もって攻撃の武器を取ることを命じることがあるでしょうか。よく言われる「正当防衛」とは「急迫不正の侵害に対し、自己または他人の権利を防衛するためにやむをえずなされる加害行為。刑法上は違法性がないものとみなされて罰せられず、民法上も損害賠償責任を負わない。緊急防衛」(デジタル大辞泉)「権利侵害から解放される」ための戦い(これもまた、加害行為)です。イスラエルやロシアなどの「武力攻撃」は、まちがいなく「正当防衛」を引き起こすほかない「暴力行為」であります。「攻撃しなければ、攻撃される」という理屈(恐怖心)が権力者を「戦闘行為」に駆り立てるのですね。「武器を取る前に」、何がなされるべきかに関して、嫌になるほどの歴史的事実があるのですが、「やられる前に、やっつけろ」と言う「専守防衛(言語矛盾であると同時に、行為撞着)」という恐るべき便法で、いとも安易に戦争が目論まれす。戦場に駆り出され、敵の標的になるのは誰か、それをぼくたちは忘れるべきではないでしょう。兵役拒否もまた、紛れもない「権利防衛行為」ではないでしょうか。国家は、それを超えるだけの「正当性(権利も義務も)」を持ってはいないのです。

 十二月八日なのだから「どこかと戦争」をすることを考えようと主張するのではありません。文字通りに「武器よさらば(A Farewell to Arms)」です。七十八年前の「敗戦」を無条件に受諾したと同時に、この国は常に「戦前」の状態にあり続けた。「平和」というのは、何時だって「戦時」に直面し、包囲されているのです。よく「戦争と平和」と言われます。それは二項対立しているように見えて、実は同じ事態の表裏・両面だということではないか。戦争の中に平和が、平和の中に戦争が共存している、あるいは、一方を他方が消去することはないのだとも捉えられる。どちらかが全面的に事態を「支配」することはありえないのです。このような拙論は、これまでにも、方々でいくらか触れてきました。

 十二月八日だからというのではなく、本日少しばかり考えてみたいのは、新潟日報の「日報抄」に触発されたからです。ある意味では深刻な主題ですけれど、それをいくらかは緩和してみたいのです。緩和できたとしても、厳しい現実は微動だにしません。それをわかった上で、「それぞれの晩年・高齢化」について愚考してみたいと思う。「日報抄」の記事は、ぼくにとっても身につまされます。このような「晩年」を送っている高齢者に対する「哀切の念」といえば、実に他人行儀のようでもありすが、まさにぼくの身に起こる事態の「先触れ」「前兆)」だと思われるからです。

【日報抄】ちょうど10年前、里に初雪が降った頃だった。中越地方の雪深い山間地の小さな集落で、91歳の男性がひっそりと自ら命を絶った。当時の取材メモを見直してみる▼奥さんが施設に入所して以来、男性は1人暮らしだった。市の介護予防事業に参加し、ヘルパーや民生委員の訪問も受けていた。冗談を言っては人を笑わせる明るい性格だった▼一方で時折、近しい人には不安を吐露するようになっていた。「この冬は1人じゃ耐えられねえ」「雪が降るとさぶくて寂しい」「俺の敵は雪だ」。雪に閉ざされる日々を目前にした寂寥感がにじむ▼男性はコンロやこたつをつけっぱなしで忘れることもあり、部屋のあちこちに「火の元点検」「薬の飲み忘れ注意」などの張り紙をしていた。施設に入所を切望していたが、なかなか実現せず「俺は中途半端に達者で行ぐどこがねえ」と口にしていた▼離れて暮らす子どもたちには絶対迷惑をかけたくないと、かたくなだった。数年前から、墓を平場の寺に移し、永代供養の手続きもし、戒名の案まで考えていた。隣の住民は「田んぼは人に託し、施設に入って家も壊すと言っていた。何でも自分で始末を付けようとしていた」と語った▼豪雪地で暮らすリスクが少子高齢化や人口減による過疎で生じる切実さに輪をかける。でも、私たちはこの地で生きていく。男性にも他に取り得る選択肢がきっとあった。残された親族は頼ってほしかったのではないか。ずっと無念を抱え続けているのではないか。(新潟日報・2023/12/08)

 「中越地方の雪深い山間地の小さな集落で、91歳の男性がひっそりと自ら命を絶った」とあります。粛然とさせられます。たしかに「孤独死」だったとすれば、誰に知られることもなく「ひっそり」と、といわれるのでしょうが、その人の内心の起伏は「穏やか」「温和」だったと誰が知ることができるでしょうか。「『この冬は1人じゃ耐えられねえ』『雪が降るとさぶくて寂しい』『俺の敵は雪だ』。雪に閉ざされる日々を目前にした寂寥感がにじむ」と書くコラム氏です。年齢の高い低いはともかくとして、「俺は中途半端に達者で行ぐどこがねえ」という煩いを抱かない老人がどれほどいることでしょうか。おふくろが、ぼくの帰京のたびに、「うちは長生きしすぎた」と話していたのをばしば思い出します。そう言っている彼女の「心持ち」がよく分からなかった。多分、八十を過ぎたころから、思いの中に芽生えていた感情だったと思う。姉たちから、いずれは「母と一緒に住んでもらいたい」と依頼されていました。「受け入れ」は当然だと考えていた。現実には、ぼくが京都に戻るのか、おふくろが上京するのか、どちらがいいか、迷っていたのは事実。幸いに、彼女は九十を越えても、見た目は「元気」だったので注意を怠っていたと、今なら言えます。このことについても、どこかで触れているので、ここまでにします。

 もう四十年来の付き合いのある友人で、しばしば電話をくれる人が京都に住んでいる。彼とは同い年。十年ほど前に東京から生まれ故郷の京都に帰った。今はかみさんと二人住まい。その彼が「朝起きて、今日一日何をしたらいいのか」といつも不安でいっぱいになると言う。他人が干渉することも手助けすることもできない、彼自身の「煩悶」でしょうか。年を取れば、大なり小なり「この先の生と生活」に悩まない人がいるとは思われません。悩んでいる自分を忘れるということはありがちですが、いずれにしても「老齢化」に直面して、それぞれが初体験の不安・不安定にたじろぐのでしょう。ぼくにもその不安は、当たり前にあります。若い頃は、不安以上に仕事や生活に意識を奪われていたが故に、その「不安」を忘れることができていたのです。

 この世に生まれるということは、きっと訪れる「死ぬこと」を避けられない、そんな運命を背負い込むことです。だからどうすればいいという答えはない。多くの老人は答えのない中で苦悩し、呻吟しつつ、年齢を重ねていくのでしょう。数日前に「ピンピンコロリ」を祈願する人が多くいるという話題に触れました。なんと言おうと、「死」を意識することそのものに「不安」が宿るのですから、ピンコロであろうが、覚悟の「自死」であろうが、「死」においては、何ら異なることはないのです。新潟の91歳の方が、身内であっても他人には迷惑をかけたくないという心情は、ぼくにもわかる。「何でも自分で始末を付けようとしていた」という高齢者の終末が「自死」だったということでしょうか。

 ここに持ち出すのは適切ではないかもしれませんが、作家の川端康成さんが神奈川逗子の仕事部屋で「自死」されたということがありました(1972年4月)。ある種の「事件」「老人問題」として世に報じられました。ノーベル文学賞受賞後の「覚悟の死」だったとされます。いろいろな受け止められ方がされましたが、実際は、「死」の当事者にしか理由はわかりません。ひょっとすると当人にも分からなかったのかもしれない。ガス管を口に咥えた「末期の際」でした。時代が違えば、あるいは「切腹」されていたかもしれない。三島由紀夫さんが自衛隊の市ヶ谷駐屯地で切腹(自害)されたのは、その直前だった(1970年11月)。この文学上の師弟の「死」を結びつけて語る評者が多くいましたが、語ったところで、どうなるものでもなかったと、ぼくには考えられました。。

 生まれ出る際の智慧もなく、死にゆく際の智慧も備わっていないのが人間だとも言えそうです。ぼくは、一日一日、確実に「死」に向かって歩いています。この歩調は老若には差がないでしょう。あるのは意識の濃淡、あるいは差し迫った恐怖心の有無だとも解されそうです。死について語るのは、ぼくのよくなしうるところではありません。可能な限り、生きることに注意深くありたいと、常々念じているばかり。おふくろのように「長く生き過ぎた」という感情がぼくにも芽生えかけているのは事実です。にも関わらず、もう少し生きたいという情念はない。生きられる範囲において、自分の足で歩きたいものだ、それが矛盾を孕んだぼくの素朴な実感ですね。

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)