順番は覚えていないけれど、アート・ブレイキー楽団(クインテット)の「モーニン」を聴き、そのメンバーの誰彼について演奏(レコード)を漁っていた段階で、兄貴にリー・モーガンのことを聞いたのだと思う。残念ながら、その詳細はスッカリ消えているが、モーガンは日本でもとても好まれていて、誰それはこう語ったとか、いろんな逸話を聞いた。中には「リー・モルガンは素晴らしい」と、たしか高見順さんのことも話題になったと思う。その後にぼくは「サイドワインダー」を聴いたのだろう。その時点(中学三年頃)では、ルイ・アームストロングやディジー・ガレスピー、チェット・ベイカー、アート・ファーマーの名前をやっと知るようになった時期でした。まだ、マイルス・デーヴィスは聴いてはいなかった。

「サイドワインダー」の印象を綴ることは難しい。一つだけ言えるのは、個々のプレーヤーの独自の技能と演奏スタイルが際立って聞こえていたということ。この演奏に参加したメンバーは、それぞれが優れた技量や感受性を持った面々だったから、それは当然のことだったが、ぼくには驚きだったのは、この後にもしばしば経験したベースの音の鋭さでした。これはクラシック演奏ではまずありえないような「鮮やかな冴え」だったと思う。通奏低音という狭い役割だけではない、広がりと深さがあった。ジャズのベースというものの確かさをはっきりと感じ取った一枚・一瞬でした。その極北がロン・カーターであることに異論のある人はいるでしょうか。

驚くべきことかどうか、モーガンは極めて早熟な演奏家で、二十歳前には自らの楽団を持ち、その直後にはガレスビー楽団に入った、十八歳だった。その二年後にアート・ブレイキー楽団に入団、東京公演に連なった(二十三歳)。既にこの段階で、彼は「ヘロイン」に侵され、一時演奏活動を止めていたこともある。この薬物への依存が彼の命取りになった。近年公開された映画「私が殺したリー・モーガン」には、そのことが如実に表現されている。ぼくが彼を聴き齧りだしていた頃は、後年の「悲劇」は知る由もなかったし、薬物中毒はジャズメンの常習などと、迂闊にも考えていたかもしれなかった。その恐ろしさはまったく理解の外だったから。ぼくの知っている殆どのジャズメンは薬物依存症に罹患していた。中でもモーガンは壮絶で、そのために早熟の才能を開花させ切らなままで早逝したのでした。「サイドワインダー」に関しては、下に引用した佐藤達哉さんの解説に譲ります。佐藤さんは現役のサックスプレイヤーでもありますので、その懇切な解説は大いに助けになりました。
(誰の影響を受けたのか、ぼくは中学生の頃にトランペットを吹いていました。どこでも吹けるものではなかったので、車の中や山の中で一人なぞっていただけだったが。後年、ぼくはモーリス・アンドレという、とんでもない演奏家に引き付けられます。彼は「何でもござれ」のD管トランペッターで、ジャズも吹いたし、サーカス出身だった。バッハやヘンデルの演奏には不可欠の存在でした。ポピュラーではニニ・ロッソなどという伊達者も出ました)

◎ The Sidewinder Year: 1963 Label: Blue Note:https://www.youtube.com/watch?v=qJi03NqXfk8 (Lee Morgan – trumpet Joe Henderson -tenor saxophone Billy Higgins – drums Barry Harris – piano Bob Cranshaw -bass)

● リー モーガン(Lee Morgan)(1938.7.10 – 1972.2.18)米国のジャズ奏者。ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。自己のバンドで演奏後、ピッツバークのクラブでアート・ブレイキー、ディジー・ガレスビーと共演するなど天才ぶりを発揮して注目され、1956年ディジー・ガレスビー楽団に入団。’58年にはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズに参加し、一躍人気者となる。健康を害して一時的第一線を離れるが、’63年「サイドワインダー」で復帰。’64〜65年再びジャズ・メッセンジャーズで活動後、自己のグループを率いて活動を続けていたが、’72年ニューヨークのクラブ出演中に元愛人にピストルで撃たれて悲劇的な死を迎える。(20世紀西洋人名辞典)
● ザ・サイドワインダー=トランペット奏者、リー・モーガンの1963年録音のジャズ・アルバム。またそのタイトル曲。アルバムはブルーノート・レーベルから。8ビートを取り入れ「ジャズ・ロック」と呼ばれたスタイルを代表する作品のひとつ。タイトル曲はジャズのスタンダードナンバーとなっている。原題《The Sidewinder》。(デジタル大辞泉)

● ザ・サイドワインダーは米国西部に生息するガラガラヘビの名前と同じですが、モーガンがTVで見た悪漢から名付けられたと言われています。/ボブ・クランショウが奏でる印象的なベース・パターンから始まります。指が弦を弾く摩擦音もリアルに収録された録音、続くピアノとドラムが繰り出すリズムもバランス良くクリアーに聴こえ、臨場感が伴うのはエンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーの常です。/リズム隊による1コーラスのイントロが奏でられ、トランペットとテナーサックスのよるテーマ奏になります。両者の1オクターヴ違いの音域から成るアンサンブルはモダンジャズ黄金の響き、互いに無い音の成分を補いつつ結果重厚さを響かせます。特にモーガンのブライトな音色とジョーヘンのダークなトーンは、ブレンド感抜群です。/ユニークなメロディラインを有するこのナンバー、リズミックな要素も十分に持ち合わせ、ブレーク部分が効果的なアクセントとなり進行しますが、潜在するダンサブルなテイストがオーディエンスにアピールしたように感じます。(⤵)
(⤴)メロディ部分では2管のユニゾン、リズミックなパートではハーモニーを演奏する対比もメリハリを感じさせます。/ソロの先発は作者自身、軽やかでスピード感溢れるフレージングは、僅か19歳で華麗なソロを聴かせた57年コルトレーンの作品『ブルー・トレイン』から、より遊びや唄心を感じさせるスタイルに変化しています。/続くジョーヘンのソロはあまりにもナチュラルなプレイなので、スムーズに耳に入り込みますが、隅々まで配慮の成された完璧と言って良い構成のストーリー、しかもジャズの伝統と自身の個性が絶妙に合わさり、トリッキーでチャレンジャブルな要素も織り込んだ申し分の無い表現に徹しています。私の憧れのテナーマン、本領発揮の巻であります。/ハリスの朴訥とした打鍵振りには、よく聴かないと聴き逃してしまいそうな、ハッとさせられる瞬間が随所に設けられており、脱力感が半端ないピアニストです。ソロの後半に管楽器によるバックリフが効果的にプレイされています。/クランショウは安定感に満ちた、暖かさを感じさせるソロを聴かせます。人柄も大変大らかだったと聴いています。様々なスタイルのミュージシャンと共演出来る柔軟性、更にはソニー・ロリンズのバンドを長年勤め上げる事が出来る、高い芸術性を持ち合わせています。/ベースソロ後徐にパターンに戻り、ラストテーマへ。エンディングはリズム隊だけでヴァンプを繰り返して次第にフェードアウトです。(佐藤達哉・note : https://note.com/tatsuyasato/n/naec0b3948702)

*「映画『私が殺したリー・モーガン』日本版予告編」:https://www.youtube.com/watch?v=Qk-m5xL9QXs

「ジャズ史上最悪の事件と言われる、天才トランペット奏者リー・モーガン殺人事件の真相に迫るドキュメンタリー。1972年2月、イースト・ビレッジのジャズ・クラブ『スラッグス』でリー・モーガンが射殺された。引き金を引いたのはリーの内縁の妻ヘレン・モーガンだった。18歳でジャズの名門ブルーノート・レコードからデビューし、スターダムを駆け上がった天才トランペッターはなぜ33歳で殺されてしまったのか。そして、妻はなぜ彼に銃を向けなければならなかったのか。ヘレン・モーガンが最晩年に残した唯一のインタビューに加え、友人や関係者たちの証言、リー・モーガン本人の演奏映像や肉声もとともに「悲劇」の真相に迫っていく」2016年製作/91分/スウェーデン・アメリカ合作 原題:I Called Him Morgan 配給:ディスクユニオン 劇場公開日:2017年12月16日(映画.com:https://eiga.com/movie/87649/)
(左上は「The Lady Who Shot Lee Morgan. 」 2014:Larry Reni Thomas(右上は「映画『私が殺したリー・モーガン』」
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蛇足 教員の真似事をしていた時代、ぼくは何人もの「薬物依存者」と知り合いになっていた。そのつながりで、少年院(少女院)にも出かけた。なかには若くして「自死」する人もいた。ぼくには「中毒」の経験が(たぶん)ないので、その人々の心境はわからないままだったが、背負いきれない「苦悩」「抑圧」があったことだけはよくわかった。薬物に手を出し、最期にはそこから抜け出せなくなる、初端の原因(理由)は内因性ではなく、すべてが外部から襲ってきたものだったと考えています。

(左写真の女性とはとても親しくしていた。薬物依存者の自助グループを運営していたが、三十歳過ぎで亡くなった)
アメリカのジャズメン(だけではない)の多くが「薬物依存」に罹患する根本の理由は、それぞれの個々人にあるのでなかったでしょうし、その問題(原因)は今になお、厳然として放置されたままで続いている「人種差別」「人権侵害」にあるのは明白です。ある時期から、ジャズを聞くことと、人種差別問題が不離のこととしてぼくの内部で結びついています。この社会でも「薬物被害」「依存症」は深く静かに進行しています。断るまでもないのですけれど、黒人ジャズ演奏家で、薬物に走らなかった人もいたろうし、ビル・エヴァンスのように、白人依存者もいたのは、事実が示しているとおりです。
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余録 本日の駄文は、およそ「洋楽の愉悦」とは無縁の仕儀になりました。「愉悦の哀しみ」、喜びにも哀しみが宿されているということかもしれない。何事も明るい部分だけでは成り立たないという、一つの証明にはなるでしょうか。

(この社会にも、過去においても、現在にあっても、驚くべき「神童(pdodigy)」が出現してきました。その何人かはクラッシク、特にヴァイオリン奏者として世に出ました。この楽器と早熟とは関係があるのかどうか。早熟というのは「大人びている」というのではなく、「早くして成熟」とでも言う外ない達成度を示しているのです。その先に、さらに進歩とか成長があるとは考えられない完成状態にある「才能」を言うのだと、ぼくは見ています。一例として、アメリカ生まれでイギリスの国籍を取得したヴァイオリニスト、ユーディ・メニューイン(1916-1999)があげられるでしょう。彼の後半生の演奏やレコードをしばしば経験したものですが、なかなか評価はぼくには難しいものでした。彼は八十三歳まで生きられた。「神童」を謳われた演奏家の第一人者として、じっくりと考察すべき問題だと思う。
この社会でも、あるいは外国でも、大変な才能が生まれている。ぼくには驚くばかりですが、その「才能」「天稟」を維持するには、確かに端倪すべからざる精進が求められるのでしょう。いずれ、この「神童」という存在についても具体例を上げて考えてみたい)(「下画像:左・渡辺茂男 中・Mysin Elisey 右・HIMARI)



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