読書は目に見えない大きな貯金である?

 前口上 奈良は曾遊の地。最初に奈良に赴いたのは小学校の遠足でした。七十年近くも前の「大和行き」でした。奈良公園、春日大社、猿沢の池、若草山と、方々を歩き回った。京都は観光地として俗化の一途をたどりました。奈良は、そんな宮処(都)に張り合うことなく、「わび・さび」空間でいかれるのがいいように思うけれど、どうもそうはいかないようです。爾来、何度か出かけては、東大寺や法隆寺などをたった一人で見上げたものでした。奈良新聞はネットでしか読んだことがありません。タイトルに引かれて、特にそのコラム「国原譜」は、ほとんど目を通してきました。特段に内容が素晴らしいというのではありません(失礼)。「国原(くにはら)」とは広大な平地を指しますが、奈良もまた「ならす(均す)」という意味から命名されたようで、その奈良に因(ちな)んだ地名(地勢)が「国原」だった。あちらこちらに「国原」はあったに違いありません。

 ヤマトタケルノミコト(倭健命・日本武命・大和武尊・日本武尊などとも)の歌「やまとはくにのまほろば」を、今なおありがたがっている人はたくさんおられます。大和は「奈良(なら)」だったかどうか。それが今は「ヤマト」は「日本」に重なっています。「まほろば」とは「まほろ」、美しいところというような意味を持つ。我がふるさとは日本一などという「お国自慢」の歌でしたね。国のまほろば(真秀)、国の中の素晴らしい所、そんな国ボメでした。「まほらま」ともいう。「「大和は国のまほろば畳 (たた) なづく青垣山隠 (やまごも) れる大和しうるはし」〈景行紀・歌謡〉この「まほろば」は、しかし、「大和魂」とは無関係だと、ぼくは言いたいですね。(このことはどこかで触れています。「大和魂」とは「漢意(からごころ)」に対する語であり、それは奈良や平安時代の男性の中國かぶれ(漢意)に対する女性の「嫋(たお)やかさ」を表現したものでした。当時の学問はすべて漢文で書かれた文字を旨とする「男性の職業」だった。まるで明治以降の西洋文明の過剰な尊重に似似していますね)

やまとは くにのまほろば
たたなづく 青がき
山ごもれる
大和し うるわし 
(古事記・中巻
 倭建命) 

 奈良県のHPを見ると、天智天皇(中大兄皇子)の歌が出ています(巻一・第十四番歌)。(https://www.pref.nara.jp/52732.htm)

 香具山(かぐやま)と 耳梨山(みみなしやま)と あひし時 立ちて見に来(こ)し 印南国原(いなみくにはら)(香具山と耳梨山とが争った時に、阿菩(あぼ)の大神が立ち上がって見に来た印南の国原よ)

● あぼ‐の‐おおかみ〔‐おほかみ〕【阿菩大神】大和三山の争いを仲裁するために出雲から出かけたという神。途中、播磨揖保郡上岡の里で争いの終わったことを聞き、この地に鎮座。伊保大明神。(デジタル大辞泉)

 「この歌は、有名な大和三山の歌への反歌です。「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相争ひき(後略)」で始まる三山の歌では、神代に香具山・畝傍(火)山・耳成(梨)山が恋の争いをしたことがまず詠まれ、次いで、だから現実でも愛する者を争うのだ、と歌われます。作者は、『日本書紀』に数多くの記述がある中大兄皇子(後の天智天皇)です」(下記「県民だより奈良」より)

 解説は下の説明に譲ります。三山が恋争いをしたなどというのは、中大兄皇子の当時も、今も荒唐無稽であることに変わりはありませんが、それをものともせずに、三角関係を「三山」に擬(なぞら)えるなどというのは、奈良ですかね。各地の風土記にも、このたぐいの自然の人間化、擬人化が豊富に見られます。至るところに、御神体が鎮座ましますね。この歌の解釈は、「どうぞお好きに」というほかありません。

 「三山の歌をめぐっては、香具山が女性で畝傍山・耳成山を男性とする説、畝傍山が女性で香具山・耳成山を男性とする説など、さまざまな解釈がありますが、恋の争いに関する歌とする点では基本的に一致しています。また、中大兄が額田王(ぬかたのおおきみ)という女性を弟である大海人皇子と争ったことを踏まえての三山の歌だという見解もありましたが、現在では額田王を求めて兄弟で争ったという説そのものが疑問視されています。『万葉集』には、複数の男性が一人の女性を争う歌がいくつかあるため、そういった類型の歌であるようです。/さて、反歌のこの歌では、香具山と耳成山が争った際、何者かが印南国原(現在の兵庫県加古川市・明石市の一帯か)まで見に来たとあります。誰が見に来たのかが示されていませんが、『播磨国風土記(はりまのくにふどき)』に記される伝承が関係するかもしれません。そこには、出雲の阿菩大神(あぼのおおかみ)が三山の争いを止めようと播磨国揖保郡上岡里(現在の兵庫県たつの市神岡町か)までやって来たところ、三山が争いをやめたと聞いたので、その地に鎮座したとあります。中大兄はこうした伝承を念頭に置いて、播磨国を旅する際などにこの歌を詠んだのではないかとも言われています。/この歌を中大兄が詠んだことが事実なら、奈良時代の風土記撰進の前に播磨国の伝承が王権に伝わっていたことになり、伝承の発生や伝播の過程に思いを巡らせたくなる興味深い歌群です」(「県民だより奈良 初めての万葉集」:https://www.pref.nara.jp/52732.htm)

 そんなのは「神話」に過ぎないと言ってしまえば、この劣島は「神話」で成り立ってきたのですから、大本を否定することになります。今だって、各地で「神話」が生きているし、「神話」を生きている人間がごまんといる。ぼくは小学校の修学旅行で「お伊勢さん」に行きました。この神社の「祭神(さいじん)」は「天照大神」ですから、もう「神話」の世界は完璧に出来上がっていたのではなかったか。修学旅行がなんで伊勢神宮だか、理由はよくわかりませんでした。中学校の修学旅行は「皇居」だった。児童生徒を神話の世界の住人にしようというのが学校だったか。出来ていたんですね。おそらく、外宮内宮を含めて、伊勢の地の森羅万象、すべては「御神体」と言われても、それを否定するすべもないほどに「神の国」だったんでしょう。ぼくは、そんな環境に嫌気が差したのか、神話にも宗教にも背中を向けるようになってしまいました。

 こんな埒もないことを駄弁っていても切りがありません。昨日(十五日)の奈良新聞の「国原譜」です。昨年のある調査によると、二十歳を過ぎた青年(若者)の読書量の実態にコラム氏は驚愕されています。「本を読まなくてもすぐに生活に困るわけではない」というところに、回答がある。加えて、若者の本知らず・本要らずの直接原因は学校教育にあるというのが、ぼくの経験からの持論です。理由は言わない。わざと「本嫌い」を作ってきたと思う。「歴史」についても同様で、苦労(努力)して「歴史嫌い」を作ってきたのが学校の授業ではなかったか。歴史を学んでいるのか、単語の暗記を強いられているのか。ぼくもそうでした。本(読書)は嫌いだったし、「歴史」の授業も好きではありませでした。「歴史は暗記もの」の別名だったでしょ。

 「今時の若者は本を読まん」と嘆くのは誰ですか。「大人」「成人」だと言うなら、彼や彼女に尋ねたいですね。「あんたらが若者の時代、本は好きでしたか。たくさん読書していましたか」と、ね。読みたくなったら読む。読書に関心が湧く、その年齢の「早い遅い」は関係ないと言いたい。「読む」のではなく、読まされる訓練が続くと、誰だって嫌になるでしょう。読みたくなったら読む。「物事を深く追求するためには読書は欠かせない」という点について、ぼくは大いに同意します。しかし、読書しなければ「物事を深く追求できない」とは思わないのです。時と場合によるし、人それぞれですから。

 「名文家で知られた先輩記者は『過去の貯金(豊富な読書量)で書くことができる』と話していた。読書は人生を豊かにする目に見えない大きな貯金である」という指摘にも、あえて反対はしません。でも、それは「おたくら、ご商売でしょ」と言いたい。まして「人生を豊かにする」のは、何も読書に限らない。誤解されそうですが、「インテリ」「知識人」を自称・自認する人たちは「読書を過大評価」しています。とにかく「読書」(という単語)が大事だと言う。しかし漫画を読むことも「人生を豊かにする大きな貯金」だとおっしゃいますか。漫画にも良い悪いはあるが、それを一律の基準で判断はできないものです。「とにかく本を読め」といいながら、「これは駄目だ」「漫画は読むな」というばかり。書物であれ、テレビであれ、映画あれ、それを受け入れる側の人間の興味の在り処の問題ではないでしょうか。もちろん、本を読む方が読まないよりよほど重要です。

 誰に対しても「本を読め」と簡単に言い出すが、人によって「読みたい本」が異なっていて当たり前です。昨日から「新聞週間」だそうです。新聞を読むことは「人生を豊かにする目に見えない大きな貯金」だと実感する人もいれば、そうは思わないという、ぼくのような無知人間もいる。新聞の部数も、書籍の発行部数も「激減」している状況、かかる事態を生んでいる問題の根っこはどこにあるんですか。生来の下戸に「酒を飲め。酒は人生を豊かにする目に見える大きな貯金(借金かも)である」と強制する人がいるだろうか。酒も書物も、人によりけり、時と場によりけりです。毒にもなれば、薬にもなる代物ですね。

【国原譜】21歳の若者の読書量が、その小学生時より圧倒的に少ないとは。びっくりするような結果が文部科学省の発表した2022年の「21世紀出生児縦断調査」で出た。▼「この1カ月に読んだ紙の書籍(本)の数」に「0冊」が62・3%。この世代が10歳だった11年の調査で「1カ月に0冊」は10・3%しかいなかった。▼交流サイト(SNS)の普及や動画投稿サイトの普及が一因と指摘されている。電車内を見渡してもスマホを見ている人がほとんどであり、本、新聞派は僅少。▼確かにスマホは便利であり、SNSもコミュニケーション手段として有効だ。ただ、最近のX(旧ツイッター)の投稿を読んでみると、短絡的な思考による意見が目立つ。▼「なぜか」「どうしてこうなったのか」「どのようにすればいいのか」。本を読まなくてもすぐに生活に困るわけではないが、物事を深く追求するためには読書は欠かせない。▼名文家で知られた先輩記者は「過去の貯金(豊富な読書量)で書くことができる」と話していた。読書は人生を豊かにする目に見えない大きな貯金である。(栄)(奈良新聞DIGITAL・2023/10/15)

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「徒然に日乗」(349~355)

◯2023/10/15(日)朝食時、テレビでマラソン中継をしていた。パリ五輪への候補者選考レースだと言う。見るともなく見ていて、三十六歳の川内優輝選手が一気に集団を抜け出し、三十五キロまで首位をキープ。見るつもりはなかったが、結局は最後まで見てしまった。結果は、川内さんは四位だった。このレースを見ていて、持論である男女混合レースの一日も早い実現を願う気持ちが強くなった。女性の記録の伸びが超速度で起こっているのを見ると、何れは、互角に戦う日が来るのではないか。▼午後にキャットフードの買い出し。いつものH.C.に出かけた。食べざかりがたくさんいるからか、大量の缶詰が一気になくなるのだ。壮観というか恐怖というか。▼気温が一気に下がり、まさに例年のような「秋の盛り」を迎えたよう。終日、雨が降り続いたためもあり、猫たちの多くは外出を控えている。風邪など引かれると困るなあと気をもんでいる。(355)

◯2023/10/14(土)前庭の満天星(ドウダンツツジ)を思い切り選定した。本日は大雑把なままで中断したが、何れはもう少し丁寧に仕上げて行く予定。気になったのは「柚木(ゆず)」で、隣に立っている檜と背比べをするように、天に向かって伸びている。十数メートルはあろう。しかも、かなりの柚子の実を付けている。これをどのように切り揃えるか。相当に苦労しそう。切り方次第では車庫の屋根を傷つける恐れがある。これも、ゆっくりと時間をかけて切る外ない。(354)

◯2023/10/13(金)昨日、深く選定したベニカナメモチの枝葉などを焼却。その途中、お昼前だったか、T君から電話。都下にある私学の教員。若い女性教員のチューターのような役割を与えられており、その教員が少し躓いているという話だった。親たちとの接触がうまく行っていなくて、憔悴していると。電話だけでは要領を得ないが、何れ、何かが生まれる予兆かもしれない。躓くことは、当人にとっては辛いことだろうが、それを超えるための悪戦苦闘だと捉えれば、やがて、少しはどこかに活路が見いだせるはず。無理をするのは良くないが、じっくりと腰を据えて悩むことが大事だと、第三者は考えるのだ。いずれ、もう少し詳細がわかるといいのだが。何よりも焦らないことだと思う。(353)

◯2023/10/12(木)夜中の十二時すぎに起こされ、そのまま起きて朝を迎えた。十一時に寝たばかりだったから、まるで徹夜していたようなもの。お昼すぎには眠気が襲ってきて、たまらずベッドに倒れ込んで一寝入り。こんな一日もあると自らを慰めている。猫は夜行性なんだな。(352)

◯2023/10/11(水)天気は回復した。午前中に買い物に。よく利用していた近所のスーパーが閉店したので、別方向にある同系列の店まで出かける。猫を連れて行く病院のすぐ隣の店。店構えは小さいが、なかなか繁盛している。あまり混雑しているのは好まないので、これからは空(す)いている時間を狙って行くことに。拙宅の隣町(市)に本社がある店で、他店と比べて、それなりに安くて新鮮な品揃いが出来ていると思う。▼昼過ぎに、残っていた植木の剪定(紅要黐・ベニカナメモチ)。この樹木は若い頃は樹勢も強く、なかなかの見栄えもあるが、ある時期から「害虫」にやられる確率が高く、勢いも衰えてしまう。消毒液を使わないので、どうしても枯れさせてしまう。この木も勢いが衰えてきているし、虫に食われているので、だめかも知れないが、思い切り深く選定した。いつものように、やりだすときりがないのが庭作業。この先、まだまだ続くだろう。(351)

◯2023/10/10(火)今日は「新聞休刊日」だそうだ。宅配新聞を取っていないので、休刊日があることは失念していた。同時に、ネット上の「オンライン新聞」もほとんどが休刊日。見た限りでは、どこも揃って一斉に記事を出さないのではなく、出したり出さなかったりという状況らしい。オンライン新聞の形態が整っていない段階にあるのだろうか。▼夕方、わずかな時間、敷地横と前にある空き地の除草をした。すべてを刈り取るには長時間を要するだろうが、なんとか時間をかけてもスッキリさせたい。ものの半時間もやった段階で降雨のために中断。(350)

◯2023/10/09(月)本日は「体育の日」だとされる。元々は10月10日で、前回の東京五輪の開会日に当たっていたための記念日。もう六十年近くが経つ。大学に入学した年のことだった。適当に暦をいじって、休日(祝日・祭日とも言う)を増やせば国民は喜ぶと、国会議員は考えたらしい。休日は休日、祝日は祝日、祭日は祭日。それぞれに意味があったんだが、今では、学校や仕事が休みになる日というのかもしれない。▼午前中に猫缶などを買うために、いつものホームセンターにいく。食欲旺盛で結構だが、食事代が嵩(かさ)むなあ。とにかく、目一杯食べさせている。▼少し残っている庭仕事を続ける。明日以降は雨が続くらしいので、すこし溜まっているダンボール箱類も燃やす。買い出しの品物を入れるために、多くは店にある空き箱を使っているので、相当に量が増えるのだ。大小取り混ぜて、ダンボールの山が出来上がってもいたので、それを少しずつ燃やし続けている。(349)

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dogen3

▶この国には「政治」はなく、「政局」ばかり。議会制民主主義の筋をいうなら、現に政権交替がなされて当然の事態にあるとみられるが、弱小を含めた各政党は頽廃の現実を大肯定、かつ心底からの保守頑迷固陋主義派。大同団結といかぬのは「党利党略」が何よりの根本義だとされる故。何が悲しくて「政治」を志し、「政治家」を名乗るかよ。世界の笑いものになるのではない、定見のない「八方美人」には、誰も振り向かないという事実に気がつかないのだ。(2025/04/02)