猫の子のちょつと押える木の葉かな

【小社会】柿と立冬 柿というのは不思議と引かれる果物である。先日も梨を目当てに高知市内の直販所を訪れたら、袋入りのつややかな柿がずらりと並んでいて、気付くと2袋も買い求めていた。▲甘さや食感の魅力はもちろん、秋の深まりを感じさせる、あの色に誘われる。加えて、たくさんの実りが、穏やかに年の瀬に向かう世の中を物語っているかのようで、手に取ってしまう。▲日本人にとって柿は古くから身近な果物であり、物語や俳句などにも登場してきた。専門家によると、中国や朝鮮半島などでも栽培されているが、もともとは渋柿ばかりだったらしい。甘柿は「もっぱら日本において生まれ、発達した」(今井敬潤著「柿」)というから、日本人の柿へのこだわりようが分かる。▲僧侶で作家の今東光が随筆に書き残している。故郷の青森でリンゴがたわわに実った光景より、岩手の中尊寺近くで「渋柿を枝いっぱいにつけて捨て置かれている風景の方に感銘を受けるのは何故(なぜ)だろうか」と。やはり柿には日本人の心をつかむ何かがあるのだろう。▲直販所の帰り道に、民家の庭に実が一つだけ残された柿の木を見つけた。来年もよく実るようにと願いを込めて残した「木守柿(きもりがき)」に違いない。これも平和の光景である。〈富士見ゆる村の寧(やす)しや木守柿〉角川源義。▲柿は秋の季語だが、晩秋を過ぎても残される木守柿は冬の季語に当たるとか。きょうは立冬。暦はもう冬を迎えた。◆11月7日のこよみ。旧暦の10月14日に当たります。きのえ ね 六白 大安。日の出は6時30分、日の入りは17時09分。月の出は16時30分、月の入りは4時57分、月齢は12.7です。潮は大潮で、満潮は高知港標準で5時11分、潮位181センチと、17時05分、潮位187センチです。干潮は11時06分、潮位62センチと、23時27分、潮位23センチです。(高知新聞・2022/11/07)

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 柿の木の記憶はずいぶん古い。田舎(能登)の風景の一要素となっている感があります。どんな家の入口(庭先)にも植えられていたと思う。また、その木に登って、柿をもいだこともはっきりと覚えています。庭先になっている柿の実を食べたことはもちろんですが、「干し柿」もまた大好物だった。甘いものがふんだんになく、砂糖などはまだ高価なものだったから、ことさらに干し柿の「甘さ」は、ぼくの記憶に刷り込まれているのでしょう。何れにしろ、柿はこの社会の大切な栄養源として重宝されてきた。その栄養素を列記したくなるほど豊富であり、またいろいろな病気の予防にも鳴る、じつに身近な健康食品でした。「渋柿や渋そのままの甘さかな」と、半世紀前に、ぼくは一人の神父さんから、この句を聞いた。よく耳にしますが、作者不詳、まるで法隆寺のようではありませんか。いまでも、浄土真宗などでは盛んに「お説教」の種にされている。(表題句は一茶作)

 コラム氏の記事で引用されている「富士見ゆる村の寧(やす)しや木守柿」の作者は、どこかで触れていますが、角川書店の創業者で、五輪で問題になった歴彦さんの父親です。富山出身でした。この句の「木守柿」は今でもあちこちに見られます。一説にはカラスやヒヨドリなどの食用に残しているとも言われます。風情がありますね。つい先程(十一時頃、税金を取られに、わざわざ役場まで行った。街道筋の街路樹は珍しく、とりどりに「紅葉」「黄葉」していました。柿の木を見回したのですが、走行中でもあり、見つけられませんでした)ぼくの脳細胞のファイルにはたくさんの満開(?)の柿の木と木守柿の風景がストックされています。これを解凍できればいいのですが、まだそこまで、開発は進んでいないのが残念。でも、「秘すれば花」というように、自分ひとりの記憶のアルバムに貼はられているのも、なんだか「冬至」にふさわしい気もします。

 冬至といえば、「冬至湯(ゆず湯)」です。わが庭には、柿の木はないが、柚子の木があります。古木でありながら、毎年たくさんの実(百個どころではない)をつける。どうしてだか、これまで一度も、この柚子を使って沸かした「ゆず湯」に入ったことがありません。本日は、心がけを入れ替えて、たくさんの柚子を入れて「ゆったり」したくなりました。庭は殺風景で、この数年来、いい柿の木を植えようと算段はしているのです。しかし、なかなかお気に入りが見つからないまま年月が過ぎている。「桃栗三年柿八年、柚子の大馬鹿十三年」と実をつけるまでの年月を謳った(囃した)ものですが、栗も柿もないのが寂しいと、つくづく感じるのですから、この島の田舎風景に欠かせない樹木に思いが寄せられるのは、やはりぼくの「記憶の誕生地」(能登中島)に縁(ゆかり)があるからでしょうか。(左上は「(筆柿の)木守柿」)  

● きもり‐がき【木守柿】=来年もよく実るようにとのまじないで、木の先端に一つ二つ取り残しておく柿の実。こもりがき。きまもりがき。《 冬》(デジタル大辞泉)                                                                                                                                          

● ゆず‐ゆ【×柚湯】1冬至の日、ユズの実を入れて沸かす風呂。ひび・あかぎれを治し、また、風邪の予防になるという。冬至湯。《 冬》「―すや(きず)を加へし胸抱いて/波今日郷」 ユズを砂糖煮にし、その香りのついた砂糖湯を熱湯で薄めた飲み物。(デジタル大辞泉)  

・雨音やひとりの柚子湯愉しめば (安田 晃子) ・存念やこの身大事と柚子湯して (宇多喜代子)  

・柚子湯出てまた人の世のひとりなり (梅澤よ志子) ・古びゆくいのち柚子湯に沈めをり (杉山 岳陽)                   

(毎日新聞 2016/12/21 11:28)

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社内戦は敗け戦、また陽が昇る。独立派への期待

 フリー(自由な)というのは「不安な」「不安定な」と同義です。エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」という本にはよく教えられました。中でも「自由から逃走する」という、よくわからなかった心理と行動も、自由そのものの真意を探り当てると、ぼくにはよく納得できたのです。自由とは「寄る辺ないこと」で、頼るものが存在しない状況を指します。だから、それは一面では不安であり孤独をかこつことになるのでしょう。自由から、つまり不安から逃れて、すがるべきなにかに依存する、それは「教会」であったり、何らかの団体であったり、要するに自らにとっては「権威」であると感じられるものです。そこに全身全霊をもって飛び込む。それで、一筋の寄る辺を見出した、と思う。フロムは「ナチの時代」を描きました。自立し自由であることの「不安」から逃れて「全体主義」「ファシズム」の波濤に身投げする、それで自らの安心が得られたと感じたのです。まさに「自由からの逃走(Escape from Freedom)」でした。ライフジャケットは装着していなかったんですね。

 この島の大学が戦後になって、必要以上に求められ、商売繁盛したように見えたのは、大学が「就職予備門」だったからです。卒業後はどこかの組織に入ることを求める人々が、大学の拡張、いや膨張を促した。大学はサラリーマンの授産場となったのです。この時、企業や組織は「教会」であり「寺門」であり、どこかしら「権威」を持つとみなされたのでしょう。そのように見做(な)すのが悪いというのではなく、小学校から大学まで、「他人から教えられる」という経験を強いられてしまうと、自立や独立はなかなか困難になるという感情人間の受け皿になったのが、その種の「権威」だったということです。

 独創的とか、自立するという傾向が多くの若者から失われたと、多くの人が感じるのは、学校教育の、一面では成功であり、多面では失敗でもあったといえます。この愚劣島のあらゆる方面で、著しく活力が失われたように感じさせるものは、いわば「無頼派」「無所属」「独立派」が極端に少なくなり(遠ざけられ)、反対に「会社人間」「組織志向者」「使われる人間」が圧倒的多数を占める社会だったからでしょう。そのような社会状況は、今の時代にあっては、否応なく、もう一つ別の方向に進まざるを得なくなってきたということも出きるのではないでしょうか。廃藩置県ではなく、それを飛び越えた「ジョン万次郎(羅針盤を持たない漂流者風)」の世界が現出しかかっているのです。「目立たない存在」を目指した時代から、少しは「出る杭」「打たれる杭」になる傾向を持つ人々が生まれる(期待される)時代へと、ひそかにではありますが、動いているような気もします。まあ希望的観測かもしれませんが。

 江戸時代に照らすと、企業は諸々の藩でしょう。大小様々、人間はどこかに属さないと、それは浪人(身元不明人)でしかないから、誰もまともに取り扱ってくれませんでした。身分社会の上部であって、こうですから、下の身分では話にならない時代が、今も続いているのではないでしょうか。今日までも「幕藩体制」が維持されていると、ぼくは長い間考えてきました。大学は、さしずめ「藩校」でしたね。これが解体されかかっていますが、さあ、どうなりますか。完全に壊れることはないかもしれないが、藩に属さないと人間ではないという「時代遅れ」の感覚は通用しにくくなってきたのではないですか。希望を持った観測です。

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 「徒然日乗」(XVI~XX)

▼「国葬儀(偽)」済んで、すっかり秋の日が暮れて。あれは一体、何だったのか。夢幻だったかもしれない。何を葬り弔ったのか。「侘しさ」だけが充満している。義理や人情で「国を仕切る」という無法かつ無謀を強いられた「権力者」から漂うのは「孤立無援」「孤独無能」に取り付いた憐れさの残り滓なのかもしれません。自分が死ぬほど恋い焦がれた「地位」はこんな虚しいものだったのか、そんな反芻の要にすら思い至らないでしょう。▼ ぼくたちが現実に見ている「茶番」は、いつの「歴史」にも見られることではない。ひどいのはいくらもいた。今もいる。しかし、位、人臣を極めることに半生を懸け、残るは「大勲位」だけという、ショボクレた「野心」(「痩心・やしん」)」の末期を見せられる恥ずかしさと悔しさ。やりきれないほどの「頽廃」だし、人心の倦むこと限りなしという惨状になるのは瞭然。この二十年余の腐敗した権力争いは、この先も続くのか。この島の「政治悲喜劇」の上演時間はほぼ尽きたように、ぼくには感じられます。誤解されそうですが、悲観ではなく、楽観について語ったつもり。(「徒然日乗」・XX)(2022/11/05)

▼ 心晴れない日が続きます。あくまでも自分の心持ちが不安定というか、落ち着かないからでしょうが、いくら年齢を重ねても「ゆったりと」「落ち着いて」という生活の流儀が得られないのは、なぜか。もちろん、ぼく自身、年相応に経験の蓄積ができていないからと断定はできます。若い頃から短気だったので、できる限りそれを克服することに「注意」を集中してきた。にもかかわらず、老齢になって、逆に短気がますます嵩じている始末で、ほとほと嫌になります。▼ 「情念からの解放を求めて」などという、一人前の「生きる流儀」について本も書きましたが、身につかないんですね、これが。今ごろになって、「いい社会」などと偉そうなことを口にしているのも、要するに、人間の誤ちの九分九厘は「不注意」から生じるという、単純な真理に、今一度、踵(きびす)を返したいと念じればこそ、です。「不注意」は冷静さを失った時に闇雲に生まれるのです。(「徒然日乗」・XIX)(2022/11/04)

▼ 男性か女性かを問わず、誰かと誰かの共同生活に子どもが加わる。これを「家族」というのでしょう(事実婚とか法律婚という名付け方はどうでしょうか)。夫婦(男と女とは限らないし、子どもも「実子」である必要はない)には、それぞれの「地位」にふさわしいとされる「役割」があり、「父・母」と「長男・長女」などという関係にも求められる「行動」があります。どんな集団にも、濃淡の差はありますが、地位群があり、その地位に応じた「役割(務め)」が求められます。父親らしい行動とか、教師にふさわしくない行為など、それぞれの地位と役割の承認によって「社会」は成立しています。地位にふさわしくない、役割を果たしていないなどとみなされる場合、その人々は社会(集団)的非難や批判を受けますね。▼ これまでの社会観とは無関係ではありませんが、ぼくはもっと個人同士のつながり・親密さにおいて、社会(集団)をとらえたい。親子関係であれ、教師と生徒の関係であれ、地位と役割の根底に「他者(相手)への心遣い・敬う心」が求められます。自らの不注意によって過ちを犯す、それは自己や他者への配慮が欠けるとき(不注意によって)に起きますね。自他への「配慮」「思い遣り」、それをぼくは「注意」と呼びたい。それぞれが「注意深く」考え行動する時、犯さなくていい過誤や失敗から救われるのではないでしょうか。他人がするのは「助言」「命令」「忠告」などと言われるもの、「注意」は自分が自分に対してするものです。「いい社会」とは、そんな「注意深い個人」によって作られる集団なのだと、じつに単純であって、とても難しい集団のあり方をいつでも考えてきました。民主主義の理念もここに、ここから生まれますね。(https://www.bbc.com/news/world-asia-63468752)(つづく)(「徒然日乗」・XVIII)(2022/11/03)

▼ いい社会とは? こんな質問をいつでも、誰彼なしにしていました。反応はいろいろ。けれども、ぼくが求めていた「答え」らしいものは、まずなかった。大半の人は「社会」の定義を難しく考えていたと思う。社会というのは「集団」です。家庭、学校、地域社会や企業(会社)、あるいは市民社会、さらには「国家社会」など、さまざまな段階(形態)がありますので、どれにも妥当するような「いい社会」観が見えなかったからでしょう。ぼくはじつに単純に 「家族(家庭)」を頭に置きます。いい家庭とは?これならもっと具体的に、身に覚えもあるので、いい条件が見いだせるでしょう。家庭という社会集団は、夫婦(親)と子(兄弟・姉妹)を中心に作られています。これが基本型というか、理念型。親ひとり・子ひとりもあれば、犬や猫といっしょに作る家庭もある(夫婦だけのこともあります)。そのような集団において、もっとも望ましいあり方とはなんでしょうか。▼ 父(夫)や母(妻)が役割を果たす、子どもも、その地位(長男とか長女)などにふさわしい行動を取ると言えば、わかった気になりますね。でも、ぼくはそんなところに「いい社会」の条件を求めない。たった一言で、「いい社会とは?」 ― それぞれが「自分に対して、注意深い人間になること」、そんな方向(期待)を持った社会(集団)です。「注意」というと、ほとんどの人は「他人に注意する」と考えますが、それは間違いというか、とらえ損なっていますね。「注意は自分に払うもの」です。(Be careful)(Pay attention to myself)他人に対して、どんなに注意しても、それを聞く(受け入れる)かどうか、それは他人次第です。最後は「当人」ですね。〈You can lead a horse to water,but you can’t make it drink.〉(つづく)(「徒然日乗」・XVII)(2022/11/02)

▼ 数日前に、どこの予備校だったか、「大学全入時代に突入」という見出しをつけた記事を出していました。ぼくの感覚では、相当前から、実際上は「大学全入」が始まっていた。文科省の決める「定員」と大学が判断する「入学者数」には、かならず乖離があり、ひそかに(超過した)定員数を確保している大学が後を絶ちませんでした。ぼくは勤め人時代から「希望者は全入に」と主張してきた。今もその考えに変わりはありません。▼「大学」の存在理由、あるいは「大学教育」の必要性は、時代とともに変化してきた。にもかかわらず、大学関係者は、その変化に鈍感だった時期が相当続きました。すでに大学は「真冬の時代」に突入しているんじゃないですか。(「徒然日乗」・XVI)(2022/11/01)

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都道府県別「学力」競争 ? 狂気の沙汰だ

 【有明抄】スマホを置いて 勉強やスポーツなど日常的な取り組みは質と量が大切。集中しても短すぎては成果が出ないし、長い時間を費やせばいいというわけでもない。質と量はどちらも重要になる◆本年度の全国学力・学習状況調査で、佐賀県は全科目で正答率が全国平均を下回った。要因の一つに、家庭学習の不足が挙げられている。授業以外の学習が平日1日当たり「1時間以上」と回答した県内の小学6年生は54・9%、中学3年生は60・1%で、全国平均よりもそれぞれ4・5ポイント、9・4ポイント低い◆正答率のわずかな差に一喜一憂する必要はないが、学習時間の短さは気にかかる。素人考えでは少し宿題を増やせばと思うが、そう簡単な話ではないようだ◆教育関係の会議で「勉強する環境が整っていない家庭がある」との指摘を聞いた。親子がそれぞれにインターネットの動画を見たり、ゲームに夢中だったり。一つ屋根の下は「個」や「孤」の空間になっており、改善には家庭との連携が重要だという◆内閣府の調査(2021年度)では10~17歳のネット利用時間は1日当たり4時間24分。有用なツールとはいえ、さすがに長すぎないか。依存や学力低下との関連も懸念されている。たまにはスマホを置いてみてはどうだろう。大人と子どもが触れ合って楽しく学ぶ「教育・文化週間」(1~7日)でもある。(知)(佐賀新聞・2022/11/05 )

 このコラム氏は何を言いたのでしょうか。佐賀県内の小学生は「学習時間が短い」「たまにはスマホを置いてみてはどうだろう。大人と子どもが触れ合って楽しく学ぶ『教育・文化週間』(1~7日)でもある」コラム氏の家庭では「子どもはこうです」「親と子はこうして触れ合って、楽しくな学んでいる」という事例を出してくださるといいのにね。この記者の「学習観」は、圧倒的な多数派でしょう。真面目に机に向かっているのが望ましいとでもいうようです。「勉強する環境が整っていない家庭がある」と誰かが言ったっそうですが、どんな環境が「勉強にふさわしい環境」なんですかと問いたいものです。じつに陳腐だし、おそらくこの平均的は「子ども観」「勉強観」「学校観」がこの島を覆っているのです。

 こんなことは当たり前すぎて言うのも気恥ずかしいのですが、どんなところでも勉強はできる、また、しているのです。それを「勉強」とみなし、「学習」と認めるかどうか、それが問われているんでしょ。ぼくは教室だけが「学習環境」だと思ったことは一度もないし、家庭で「一時間以上」勉強した記憶は少学校時代も中学校時代もない。第一、机なんてものがなかった、高校生になるまで。(だからだめなんだと、言われましょうが、それは「見解の相違」ですね)。いまさら、こんなお説教を聞かされても、そうですか? というほかない。昭和三十年代初頭、テレビが家庭に鎮座しだし、やがて、カラーテレビが猛烈な勢いで普及しだしたと見るや、テレビは一日何時間と、見る時間を制限する、チャンネル権は子どもに持たせない、休肝日ならぬ「休観日」を設けるべきだと、アホくさいことしか言わないと定評のある「教育学者」たちが、自分のことを棚に思い切り上げて、珍説を開陳していました(今でもそうかもしれない)。

 テレビが子どもをだめにした、あるいはこの国の衰退を引き起こしたといえますか。言ってもいいけど、テレビにはそんな馬力なんかなかったでしょう。現実を見てください。テレビは、ただの箱。だから、「テレビ番組が低俗だった」とは言えるでしょうが、そのために子どもや青年が痴呆になったのですかと、ぼくは聞きたい。ネットの時代でもそうです、同じように便利で楽しいから、あまりそんなものに時間を使うと、生きるための「偏差値」が下がるというのでしょうか。明治の初期に鉄道が敷設された際、人力車の組合が「鉄道反対」を訴えました。◯✖車界党といったような団体でした。しかし、数年も経ずして鉄道は社会にとって不可欠の「インフラ」になった。つまるところ、便利・娯楽にうつつを抜かすと人間がダメになると、いかにもそのように想われますが、じつは、そこにも明らかな「学習」があるのだと、どうして認めないのでしょうか。

 ぼくの持論を言っても仕方がありません。しかしあまりにも偏頗な教育論や人間論が未だに棲息しているのを見ると、一言いいたくなる。遊びはいけないと、ほとんどの人は言う。そうかもしれない。でも「遊びの中に勉強がある」と、ぼくは経験から学んだのですから、否定されようが非難されようが、少しも動じません。同じことです、「勉強の中に遊びがある、なければ勉強じゃない」と。遊びのない勉強は、文字通りに「強制」です。学ぶのではなく、学ばされる。学ぶとか学ばないという判断は、自分一個のものでしたね。個人の経験ばかりでは普遍性がないというか。そんなところに「普遍性」などを持ち出すまでもないでしょう。いいでしょうか。人間の歴史において、「学校のない時代」は「学校のある時代」の比ではないほどに長い歴史を重ねてきたのです。ぼくはまた聞きたいですね。縄文人や弥生人と呼ばれる人々と、我々「現代人(文化・文明人)」のどちらが賢いのか、と。答えは明白です。だから、ここでは言わない。

 なんのための勉強ですか、という肝心要の「核」が抜けているように思うのです。「賢く」なるためですが、それは「ずる賢く」なることではない。賢さは、点数や偏差値では測れませんね。だから、却って測定可能な「数値」を後生大事にするのです。「成績」というやつですが、これが学校や社会で幅を利かせて来たために、テレビやネットがもたらすであろう弊害の比ではないほどの災厄を子どもたちや親たちにもたらしたのではなかったか。縄文人や弥生人は、もちろん「スマホ」「プレイステーション」なんかは持たなかった。それで不足や不自由があったとは思われない。「賢い」というのは、仲間として生きている存在を押しのけない、意地悪をしない、やたらに優劣をつけないで、互いに助け合うことでしょう。その理由は、集団全体が崩壊しないためです。この「共助」とでもいう関わり方は、いい例ではありませんが、大災害が生じた時に発生する「ボランティア」のはたらきです。助け合うのはお互い同士であり、他者が困った時に助ける、この精神は、いつの時代でも存在していました。学校時代は、たかだか百五十年です。ぼくは、「やがて学校はなくなります」と断言してきました。百五十年ほどの制度が、この先も続くとは微塵も考えられない。そんなものがなくても、人間は学ぶことができるからです。むしろ学校は余計な「悪知恵」を植え付ける。植え付けたのではないですか。序列・席次・偏差値などなど、優劣感情、こんなものでは測れない「内容」をうちに秘めているのが人間です。

 「親子がそれぞれにインターネットの動画を見たり、ゲームに夢中だったり。一つ屋根の下は『個』や『孤』の空間になっており、改善には家庭との連携が重要だという」と件の教育会議の御託です。子どもが「勉強する」ために学校と家庭が連携するべしと、いとも簡単に言いますね。できるなら、とっくに実現しているでしょう。学校は、子どもが自分を見つける場です。仲間を発見する場でもあります。みんな仲良くもいいけれぞ、もっと大事なのは「仲良く喧嘩する」ことを学ぶことですね。この経験は、学校を放れてからも有効な働きをする。優等生を否定はしませんが、優等生になるための「勉強」や「学校」の押し売り、それは金輪際御免被るという一念で、ぼくは学校時代をくぐり抜けてきました。「勲章をもらう」ほどの人間には、さいわいにもならないできました。

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探り当てるべきは「非戦」「不戦」への道です

  Jアラートの響き渡る愚劣島 ~ この島国が標的にされているわけでもなく、まして、実際の戦時でもないのに、北朝鮮が行っている発射実験に、異常な反応を示し、まるで人騒がせな警報で「発射」「通過」を知らせる意図(魂胆)はなにか。地上千キロ超の上空を通過したと、あちこちでアラートが鳴り響き、まるで空襲警報時のように「防空壕もどき」に退避する人々が出ている。やがて、ウクライナに向けて発射した、ロシアのミサイルにも「Jアラート」は鳴るだろう。核シェルターの建設を言い出す自治体も出てくる始末。自衛のための戦力では物足りず、「敵基地攻撃納能力(反撃能力)」「戦闘維持能力」まで言い募り、そのために防衛予算を倍増するという。食料自給率が四割にも満たない中で、防衛予算が焼け太りする理由は、有事も無事も無関係に、やたらに鳴らされ続ける「Jアラート」のせいでしょう。周りは危険な「敵国」に囲まれている、にもかかわらず、こんな貧弱な軍事予算で大丈夫かと、戦争をしたがる輩が勢い込んでいます。「台湾有事は日本有事」と叫んでいたのが故元総理だった。五十年前の日中共同宣言で「(日本政府は)中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」と合意した、その約束はどこへ消えたのか。嫌な言葉ですが「腹が減っては戦ができぬ」と、まず空腹を満たす必要は何時でも求められているのです。この「戦」とは生活そのものでしょう。「政治」を蔑ろにして、政治(権力ダッシュ)ゲームに現(うつつ)を抜かす永田町住人にこそ、国民の叫びのような「Jアラート(早鐘)」が響いているのに、いっかな耳に入らないんだな。この島は沈没寸前。(第十回・2022/11/04)

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【くろしお】滅亡へ赴く意志 福岡市出身の直木賞作家梅崎春生。彼を「戦後派文学」の代表的存在へと押し上げたのが、自らの海軍経験を基に書いた「桜島」だった。主人公は米軍上陸に備え桜島へと転勤が決まった暗号員村上兵曹だ。▼登場人物の会話が戦時のうっ屈した空気に満ちている。村上が、丘の上で見張り役の男と話す場面が印象深い。両手を後頭部で組んで寝転がった男はこう語る。「人間には生きようとする意志と一緒に滅亡に赴こうとする意志があるような気がするんですよ」―。▼文化の日のきのう。やや遅く起きて、もうろうとした頭でテレビをつけると、聞こえてくるアナウンサーの口調がどうも物々しい。ちゃんと目を開けて見ると、北朝鮮によるミサイル発射のニュースを報じていた。すべてのチャンネルで。「またか―」。思わずつぶやく。▼ミサイルは3発で、うち1発は大陸間弾道ミサイル(ICBM)の可能性があるという。日本の上空は通過しておらず被害情報もないというが、一時Jアラートで宮城、新潟県などを対象に避難するよう呼びかける事態となった。前日の2日には、短距離弾道ミサイルなど23発以上を発射している。▼くだんの「見張り役の男」の言葉が頭をよぎる。そこまで愚かではないと思いたいのだが…。文化の日は「晴れの特異日」。だが、しばらくして外に出ると、すっきりしない天気。どんよりとした空が、傍若無人な国に手を焼く国際社会の心象風景に見えた。(宮崎日日新聞・2022年11月4日)(梅崎さんについては、後日、どこかで触れてみたいですね。大事な人でした、ぼくには)

 中国と戦争をする気でいるのですか、とぼくは問いたい。動機や理由は何かと、さらに尋ねたい。誰にか、といえば、北朝鮮や中国を敵視する(風を装っている)「国家第一」亡者たちに、です。本当に「戦う」ことを求めているのか。あるいは戦わない方向を賢明に探っているのでしょうか。それでも「備えあれば憂えなし」というつもりでしょうか。ぼくに言わせるなら、「備えあるから、憂えあり」だと。中途半端な武力を持つと、どんなに危険な冒険に誘惑されることか。ぼくは不戦派であり、非戦派でしたし、今もそのとおりです。戦う理由より、戦わない方向を、いつでも求めるのがぼくの信条です。どこまで行っても「言葉を尽くす」、それが非戦派の思想・態度です。

 みるからに「精神」も「体力」も貧弱・貧困な愚劣島が「いささか強気を装って」いられるのは、アメリカの「破れ傘」を当てにしているからです。「寄らば大アメリカの傘」、アメリカの権力者を信用するというのはおめでたい限りです。個々のアメリカ人は信じるに足るとしても、権力者は信じられませんね。戦後に限っても、アメリカの国家権力は世界中に「戦争の種」を播き、戦果を得ても得なくても、先の展望がなければ、一気に退散する、遺されるのは戦争の犠牲・被害者と荒廃の限りの破壊された国土です。ベトナムでもアフガンでもイラクでも、すべてがそうでしたね。

 日本を守る、と信じるのは自由ですが、人民を巻き込まないでほしい。「台湾有事は日本の有事」と、まるで「日本の有事」を待望しているような物言いでした。元総理は死して、戦争の火種を残したと言われては、本人以上に国民がたまりません。

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注意深くある人たちが作る「社会」

 【水や空】起きてはならない悲劇 もしも、親や先生に叱られた子どもが「遺憾に思います」とか「あってはならないことです」と答えたら…。哲学者の鷲田清一(きよかず)さんは「空想してみたら愉快だ」と、エッセー集「大事なものは見えにくい」(角川ソフィア文庫)に書いている▲心の底から発せられた言葉ではないと分かるから、どこか空々しく、滑稽にも思えるのだろう。韓国ソウルの繁華街・梨泰院の雑踏事故を受けて、尹錫悦(ユンソンニョル)大統領は「起きてはならない悲劇」と述べた▲その割に、韓国の警察庁は「主催者がいれば予防対策も立てられたが、難しかった」「前例がない」と繰り返した。想定外であり、予測不可能だったという弁明に「人災だ」と韓国で怒りが強まる▲狭い空間で何百人もが押し合いへし合いする時の苦しさは、想像を絶するだろう。想定外だ、なすすべもなかった、と当局は遠回しに逃げ口上を並べた。だが、5年前のハロウィーンでは、この路地は通行禁止になったという▲備えが不十分だったと、当局はきのう認めた。打てる手はあったのだと、心の底から思い直したのかどうか▲事故の衝撃からだろうか。東京・渋谷では、仮装した若者たちが警察官に誘導されて、速やかに流れていた。心配された大騒ぎや暴動もなかったというのに、どこかしらホッとできずにいる。(徹)(長崎新聞・2022/11/02)

 自分の人生において何が大事か、その決め手はどこにあるのか。あるいはそれを決めるのは誰なのか、というように、「大事なもの」は考えなければ見えてこないんですね。(まるで「星の王子さま」のように、ですね)事件や事故が起こった時、そのことに関心を持てば、その事件や事故は、なにがしかの「思考」を求めてくるのではないでしょうか。写真や動画を見れば分かる部分もありますが、どうしてもわかり得ない部分が残るでしょう。その分からない・見えない部分をこそ、ぼくたちは、自らの「考えるはたらき」で埋めていこうとすんですね。それが「考えること」です。「あってはならないこと」といってみて、では、どうして「あってはならないこと」が起こってしまったのか、その理由は考えないで「二度と同じことが起こらないように」といって、起こってしまった「あってはならないこと」をやり過ごしてしまう。どんなに頻繁に「悲劇」が起ころうとも、「あってはならないこと」といい、「二度と同じことを起こさないために」ということで、問題への意識は消えてしまうし、消すことができる芸当ができるのが「政治家」なのではないですか。

 被害者の家族(遺族)には、そんな無責任な「口吻」は無縁でしょう。事後、何年過ぎようが、どんなに慰めの言葉をかけられようが、「起こってしまったこと」は消えてなくならない。犠牲になった「家族の一員」は、年月を超越して、遺された者たちに語りかけるのです。「韓国の警察庁は『主催者がいれば予防対策も立てられたが、難しかった』『前例がない』と繰り返した。想定外であり、予測不可能だったという弁明に『人災だ』と韓国で怒りが強まる▲狭い空間で何百人もが押し合いへし合いする時の苦しさは、想像を絶するだろう。想定外だ、なすすべもなかった、と当局は遠回しに逃げ口上を並べた」と。でも、このような「弁解」はなにも韓国の警備当局に限りません。あらゆるところで、同じような「言い逃れ」や「通り一遍のみせかけの謝罪(虚言)」が繰り返されてきました。

 「二度と起こさないために」といった舌の根も乾かないうちに、また同種の事件や事件は起こっている。禁煙の自動車整備検査関係での、この島の自動車会社の度重なる「犯罪行為」は、あからまさに、事件や事故への姿勢を見せつけています。見つかれば、指摘されれば、「見せかけ謝罪」をし、バレなければ、いつでも不正を働く、それが企業の生産行動なんだ。殆どの自動車会社が繰り返し不正検査を指摘され、摘発され、例によって「見せかけ謝罪」の会見を開く。ぼくにはよく理解できないのは、なぜ「記者会見」なのかということです。「格好だけ謝罪し」、その日からも「不正」を続けている。一体これをなんというべきか。見つかれば「謝る」、バレれば、紳士(淑女)ヅラを決め込むという体質。これは何型人間集団なのでしょうか。「やったが悪いか」という厚かましさです。

 適切な表現ではありませんが、世間ではどんな「悲劇」も「惨事」も、「人の噂も七十五日」と、経過する時間にすっかり委ねて、日常を生きているのです。ある意味では、世間の冷酷さでもあり、生き延びる方策でもあるのでしょう。いまでは、その賞味期限も「七十五日」どころか、せいぜいが「十日あまり二十日」であって、つまりは、一、二週間で起こってくる、新たな事件や事故に対応する準備をするのです。「事件や事故を風化させるな」「被爆者の苦しみを忘れるな」「原発事故を忘れないように」と言われます。その傍らで、事件や事故は済んだこと、原爆の悲劇は「広島」「長崎」だけのことであって、もう歴史の彼方に消えたんだと、いかにも軽くいなすのです。「福島原発事故」といいますが、放射能の流失などは「アンダーコントロール」といった能天気がいました。いつまでも「原発事故」に悲しんでいられない。さらに安全な「原発」を緊急に作らなければと、時の権力は、何かに突き動かされ(脅迫され)ているかのように叫んでいます。

 「喉元すぎれば熱さを忘れる」というのは、失敗や過ちを犯した「当人」の「性懲りのなさ」を笑ったものです。しかし、今日発生する「事件」「事故」は多くの人が「当事者」になっているのですから、その当事者(世間)が「喉元の熱さを忘れない」とならないのは、経験した事柄に対する自覚や意識が希薄に過ぎるからでしょう。いつも言うことですが、「過去」は紛れもない「歴史」であり、その「歴史」を生きているのがわれわれです。過去を忘れるということは、「歴史」に加わっていないということでしょう。仮に「人間の歴史」というものがあって、それに加わらないということは「蟻の歴史」か何かのように、きっと過去を持たないで生きているということです。過去から学ぶことがないという意味は、本能に従う行き方をしているということにならないでしょうか。「ものを学ぶ」とは「過去の経験から学ぶ」ということと同義です。そのような学習経験を持たないで生きるなら、繰り返し同じようにみえる失敗や間違いを犯すことになるでしょう。「本能」も一つの学習能力です。しかし、それはまったく「予想外の変化・現象」には対応できません。それを考えると、まるで学習よりも本能のほうが「人間にふさわしい能力」だと思ってしまいそうになります。

 「起きてはならない悲劇」という言い草はどういう性質のものでしょうか。ぼくなら「起こしてはならない」というでしょうね。自らの関与が「起きたこと」に対して問われるからです。親の不注意で「子どもが事故でが亡くなった」とき、親は「起きてはならない悲劇」とは断じて言わない。自らの不注意(無責任)が引き起こした事故だからこそ、「犯してはならなかった誤ち」「起こしてはいけなかった事故」だという意識から自由になれることはないのです。責任とか責任意識とは、「犯した誤ち」から責められることであり、責められ続けることではないでしょうか。自己の過失を責めることでしか「起こしてはならなかった」事故・事件に向き合う方法がないのです。大きな事件や事故を起こした企業ではしばしば見られることです、「社長の俸給何ヶ月分、何%カット」と。いつでもぼくは思ってしまうんです、「ここでもまた、自らの地位を金で買っている」と。

 ぼくが勤務していた学校で、ある時期「教員が公金を不適切に使った」という事件があり、当時の総長の責任(問題)意識が問われた(問題の教員を招聘したのは総長だった)。ぼくはその際、総長に向かって「責任の所在を明らかにすべきだ」と繰り返し問いただした。その後、総長は「何%俸給のカット」を言いだし、それでケリを付けたいと言いたかったのでしょう。ぼくは「あなたは、わずかばかりの金額でポストを買うんですか」とある会議で詰(なじ)ったことでした。「偉い人」は、その程度の悪態には平然とできる「耐力」「厚顔力」を持っているんですね。次々に発生する不祥事に付き合っていては、この「大切な御身」がもたないということなんでしょう。

 結論はない。あえて言うなら、ぼくたちが生きている時代や社会はけっして「いい社会」ではないということ、いつでもそうだといえますが、では、そんな時代や社会に「生きる」ということはどういうことかと問うこと、これが大事ではないかと言いたい。「いい社会」とは、大上段に振りかぶって問題を広げることではなく、毎日の生活において、くれぐれも「注意深く生きること」、自分にも他人にも「注意深く」、そんな姿勢や態度を自らにおいて作ることです。そういう「注意深い人」が形成する社会が、ぼくの考える「いい社会」です。(ベラーたちが書いた「GOOD SOCIETY」は、ぼくの愛読書でした。▶)

 この時「注意」というのは、自分に対する期待であり、こんなところで躓いて堪るかという、自身への希望を奮い立たせることです。誰もが、「注意深い人間」になることができる、なろうとする社会、それはぼくにとって、この上ない「いい社会」です。人間は間違いを犯し続ける存在であり、その間違いを忘れないで生きられる動物でもあります。その核心は、「他人の振り見て、我が振り直せ」であり、「他山の石」という貴重な存在を大事にすることです。(このブログの右サイドに「徒然日乗」と題して、生活の雑感・偶感・愚感を綴っています。ここ数日のテーマは「いい社会とは?」です)

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「人間の命は大事だ」という感受性

 【正平調」400ページを超えるその本の第1章は「あの日 歩道橋に向かった人達」から始まる。お父さんの仕事が予定より早く終わったから。家族で夏休みの登山から戻った後に…◆有馬正春さんの小学生の子どもたちは、全財産を財布に入れて花火大会に出発した。姉は千円札や500円玉。弟は100円玉や10円玉。夜店で何を買おうかな。たこ焼きか。金魚すくいもいいな。弾むような足取りがまぶたに浮かぶ◆韓国・ソウルの繁華街で150人以上が死亡した雑踏事故は、コロナ禍のマスク着用義務が解除された3年ぶりのハロウィーンだった。犠牲者の多くが20~30代という。友人や恋人と、年に1度の祝祭に胸を躍らせていただろうに◆人波にふさがれた道で逃げ場がなかった。2001年に起きた明石歩道橋事故と共通点が多い。警備計画は? 予見はできなかったのか? 疑問は尽きない◆冒頭で触れた本は「明石歩道橋事故 再発防止を願って」(神戸新聞総合出版センター)。向き合うのがつらく2度あきらめかけたが、事故から21年目の今夏、遺族らがまとめた◆「目的は同じような事故の再発防止」と出版会見で語っていた。教訓を受け継ぎ、備えていれば、確実に防げた事故だった。若者たちの笑顔と命はもう戻らない。(神戸新聞・2022/11/02)

 ソウルの繁華街で「多くの若者が雑踏の中で圧死した」という報道を知って、咄嗟に明石市の「歩道橋事故(実際は事件です)」を想起しました。紛れもなく、それは警備の手抜かりであり、いわば「人災」だった。死ななくてもいい命が失われ、何年経っても被災者の遺族や関係者の悲しみは癒えません。当時の状況から、その後の二十年に及ぶ事件の軌跡を、当地の神戸新聞が追いかけていました。その一部を以下に引用しておきます。読んでいく中で、どうしようもない怒りがこみ上げてくるのです。韓国の事件もまったく同じような当局の無責任な対応が「人災」を引き起こし、あたら若者の多くの命が奪われたのでした。いつどういうことで死ぬかもわからないのが「人生」であるとはいえます。たしかに、その状況は様々であっても、しばしば言われるような「死ぬ理由がない」「大事な命が奪われた」という点では、殺人事件に遭遇したようなものでしょう。

(左写真は神戸新聞・2021/7/20 )(事故の約1時間半前、現場近くの住民が撮影した明石市の朝霧歩道橋。歩道橋から大蔵海岸まで、花火の見物客で混雑している=2001年7月21日(住民提供)(この歩道橋 ー 長さ104メートル、幅6メートルの歩道橋の上に6千人以上が殺到)(すでに先日どこか書いたことですが、歩道橋の「定員」「積載量」はどの程度であったか、警察は承知していた。にも関わらず、いろいろな隠蔽工作をして、崩落事件の責任から逃れることに汲々としていたのです。誰が見ても、大事故が生じる危険性は明らかです。ソウルの事件も同じでした。責任を持って「市民の安全」を保証するという自らの職務とその責任を忘れていたというか、人命を甚だしく軽視していたと言う他ありません。.

 「発生から20年の月日が流れた兵庫県の明石歩道橋事故。現場に居合わせた負傷者や遺族、市役所、警察などの関係者…。さまざまな人たちに取材を進める中で、事故がそれぞれの人生に落とした影が浮き彫りになった。1本の記事としては書けなかった証言、埋もれかけていた事実、さらに事故がなぜ起きたのか。取材記録として報告する。(歩道橋事故取材班)/ 事故で亡くなったのは、0~9歳の子ども9人と高齢の女性2人。「この20年で去来する思いを聞かせてほしい」と犠牲者全員の遺族に取材を申し込んだが、うち3人の遺族には取材に応じてもらえなかった。「取材はもう受けたくない」「(裁判も)すべて終わったので」というのが理由だった。代理人を務めた弁護士は「いつまでも遺族ではいられない人もいる。新しい生活がある人もいるのだから」と話した。/ 長男・佐藤隆之助君=当時(7)=を失った父親(58)は「(隆之助君の)姉の成長で時間の経過を感じる一方で、隆之助の時間は止まったまま」と語った。当時小学生だった姉は結婚して家を出た。/ 妻は毎日、夕食を3人分並べて夫婦2人で食べる。隆之助君の部屋は当時のままで、毎日のように出入りするという。「生前と何も変わらない。ただ隆之助が部屋にいないだけ」/ 長男=当時(3)=を亡くした男性(60)も電話で「息子が生きていればどんな大人になっていたのかと想像するたび、大きく気持ちが揺れ動く」と今も続く苦しさをにじませた。/ 「変わっていくもの、ずっと変わらないものをただ受け止めるしかない」。整理が付かない悲しみや怒りを抱え続ける遺族の言葉に胸が痛んだ。(2021/7/24 05:30神戸新聞NEXT)(明石歩道橋事故20年取材の記録(上)ビデオの有無、残る疑念

 場違いだとの譏(そし)りを受けるかもしれません。ぼくは、黒人差別に抗議して生じた「BLACK LIVES MATTER」という広範なデモンストレーションの持っている意味を考えて見る必要性を感じたのです。直接的な「黒人差別」への異議申し立てであり、命の重さ、尊さに変わりはないという、誰の胸にも宿っている「人権尊重」の精神が、至るところでないがしろにされているがゆえに、その危機状況に対する、一人ひとりの訴えが、このような広がりと強さを持った抗議行動につながったと、ぼくは考えています。「黒人の命は大事だ」と声高に、多くの人々が拳を上げて訴えなければならないほど、黒人の命が軽視されてきたという歴史があった。もちろん「黒人対白人」の対立が完全になくなっていない社会状況に、多くの人たちは、「自分の命は大事だ」と叫ぶ、同じ強さと響きを持って、黒人を始めとする人間たちの「人権尊重」を訴えたのでした。何が言いたいか。「誰の命も大事だ」という精神や思想を、どんな場合にも忘れたくないということです。ソウルの事件(人災)も、結果的には「大したことにはならない」という警備体制の手抜かりが、大惨事を招いたのです。なぜ「大したことにはならぬ」と警備当局は見誤ったか。誤解されそうですが、ハローウィンのお祭りを、「浮かれた若者たちの大騒ぎ」くらいにしかみていなかった、その歪んだ姿勢が大惨事をもたらしたのではなかったか。(ソウル梨泰院の雑踏事故で150人超死亡(2022年10月30日):https://www.youtube.com/watch?v=U7XtJ_kEVSI

 その場に「総理の子ども」がいるとわかっっていたなら(仮定の話です)、決して今回の「過失」は起きてはいなかったでしょう。過剰警備といわれかねない警備体制が取られていたのではなかったか。兵庫県明石の事件もそうでした。一旦事故・事件が発生し、責任が問われそうになると、あらゆる策を弄して「責任逃れ」に走るのです。こんな警察当局の姿勢では、被害を受けた人たちには「立つ瀬がない」と言わなければならないでしょう。ソウルでも、事前に多くの危機サインが当局に寄せられていたといいます。なぜ、万が一の状況に備えなかったのか。こんなところにも、「人間の命は大事だ」、でも「ハローウィンで騒ぎたがる若者の命」や「花火見物に浮かれるような見物客の命」は「あまり大事ではなかった」のかと、不見識を承知で、怒りをぶつけたくなるのです。同時期に起きたインドの吊り橋事故も、まったく同じ状況下で発生したといいます。人名軽視、人権無視の風潮は、世界的規模で大感染しているのです。このパンデミックには、残念ながら、有効なワクチンはないんです。

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