「死刑もやむを得ぬ」と答えられ…

 【日報抄】罪を犯して収監された人に宗教や学問を教える職務がある。教誨(きょうかい)師と呼ばれる。ノンフィクション作家、堀川恵子さんの著書「教誨師」は、東京拘置所で半世紀にわたって死刑囚に寄り添った僧侶に取材した労作である▼世に出すのは自分の死後に、との約束で僧侶が語った死刑の記憶は凄絶(せいぜつ)だ。法が定める刑罰とはいえ、人の命を奪う行為である。死刑囚はもとより、拘置所の担当者ら携わる人々の誰もが懊悩(おうのう)を重ねて執行に臨む▼本の中で僧侶は言う。〈世間を騒がす死刑事件が起こると、マスコミは繰り返し報道する。もう「死刑」という言葉を聞かされても、すっかり耳が慣れてしまって今さら驚くこともない。しかし、実際の執行現場のことになると、人々はまるで自分には無関係とばかりに考えることを放棄してしまう〉▼法相は死刑のはんこを押す地味な役職-。法相辞任に追い込まれた葉梨康弘氏の発言は、執行現場に無関心どころか、究極の刑罰の重みを全く理解していない。死刑に関わる全ての人をおとしめるものだ▼「外務省と法務省は票とお金に縁がない」「法相になってもお金は集まらない」という発言もあった。どこかのポストは票やカネになるらしい。人権や命をつかさどる法よりも、そちらを重視する人物だったようだ▼旧統一教会との接点が相次いで判明し、辞任させられた直後に所属政党の要職に就いた前閣僚がいる。政治とカネの問題が浮上した現職閣僚もいる。岸田内閣の「適材適所」とは何なのか。(新潟日報・2022/11/12)

 この「辞任劇」に触れないつもりでいました。触れるだけ、ぼくの心情が腐るおそれがあると考えていたからです。でも、じっと我慢していても、遂にはこらえきれずに、悪態をつくことになった。放っておけばいいものを。これまで、ぼくは「死刑反対」を公言し、またあちこちでその問題を訴えてきました。その経緯は省略しますが、「人を殺害したものは懲役刑、死刑に処す」という刑法に大いなる異論がある。死刑反対の理由は明快です。これまでに「死刑執行」されたなかに、明らかに「冤罪」であったと確信できるものが何件もあったということ。また下級審で「死刑判決」を受け、最高裁で「差し戻し」、最終判決は「無罪」だったという事案もいくつもある。人(裁判官)が人(被告)を裁く、無謬ではありえないことを、多くの判決事例が教えています。「冤罪」による死刑執行はきわめて低い確率であるから、問題なしとでもいうのでしょうか。生命の尊厳は「確率」「統計】では測れません。(右上図はアムネスティインターナショナルによる、2020年段階)

 この社会以外の多くの事例を見ると、あからさまに「死刑制度」はすでに支持されていないことがわかります。EU加盟の条件には「死刑廃止」があります。「人を殺すのはよくない」という道徳感情がある一方で、「極悪人は死刑にすべき」という直情の反応(復讐心)もあります。「死刑制度」は国家が設けているものであり、殺人を正当化する唯一の制度でもある。国家権力以外は、殺人(死刑を含む)を犯すなというのが、近代国家の建前だったといえますが、それも今日では妥当性を欠く制度と受け取られてきました。「人権」は何人にも認められる基本権だという建前が、国家優位の建前に席を譲ったままで何十年も経過しました。(この問題は、すでに何度か別の駄文録で綴っています)

 今回、法務大臣が「失言」したというので、辞任騒ぎになっていました。ぼくに言わせれば「失言」ではなく、彼の「公言」「広言」したかったことを言ったまでで、そんな人間を「法務行政」のトップに据えた任命者の責任こそ、問われるべきでしょう。なんとこの任命権者はある私立大学の「法学部」出身だそうです。「放言の主」は(どうでもいいことだとぼくは考えていますが、当人たちには「自己尊厳・自尊心」の根拠になるほどの重大事だと思われているようですから、言いたくないのに、言ってしまいます)、筑波大学附属駒場高校から東京(旧帝国)大学法学部卒で、警察庁に入庁と履歴にあります。ここですよ、問題の所在は。偏差値は高そうです、駒場も旧帝大も。劣島で一、二を争うという。滓だとか屑だと、このようなヤクザな連中を罵るのは、鼻だけが高いつもり(見たところは低いのに)を自慢して、それがその人物そのものになっているきらいがあるからです。要するに、「惻隠の情」「思いやり」といった人間のキモみたいなものを育てないままで、偏差値至上人間になっているのです。それが機会を得て、「失言」ではない、「当たり前の発言」になって飛び出してくるのでしょう。

 「言うべきではないことを、うっかり言ってしまうこと」を「失言」と辞書は言います。そういう場合が多いのは確かでしょうが、「言うべきことを、自覚していう」こともあります。これを「ホンネ(確言)」というのでしょうか。この「滓大臣」は、この手の「偏差値おたく」だったというべきだし、それが、大騒ぎになるのはどうしてか、そこを考えてもいいのではないかと、ぼくは指摘したいのです。悪態ばかりつく人間だと、ぼくは自己評価をしています。ぼくも「滓」、偏差値の低い「滓」であることを否定はしない。「滓」であることを自覚している。世の中で「幅を利かせる」のは、大半は「偏差値一点張り人間」です。点取り虫のこと。政治も経済も官僚も学者も、ほとんどの分野で、天下を睥睨するのは、こういう連中です。このような「輩」に対して、別に遺恨があるわけではありません。考えてみれば、この人達も「学校教育の犠牲者」「偏差値・受験教育の被害者」だと言えなくもないからです。自分が偏差値人間にさせられていることに抵抗も苦痛もないはずはありません。でも、他に優るという「優越感」が、その苦痛を忘れさせてくれると信じていたフシがあります。それが、一旦ある地位や要職につくと、はしなくも出るべくして出る、「態度」や「発言」が、ぼくには目障りなんですよ。

 誰に言われるでもなく、ぼくは「劣等生」を自認していましたから、逆に、これらの「偏差値オンリー」の習性がよく分かるのです。友人や知人には、旧帝大出がたくさんいます。実名を上げて「評価」してもいいのですが、大人気ないと自分でも思うし、「お前、羨ましいんだろ?」と言われないとも限らないので(言われても構わないが)、それは止(や)めておきます。半世紀ほど「教師まがい」を稼業にしていましたが、一貫して「偏差値」を呪うというか、否定しきっていました。偏差値が高くて、なお人間性も豊かというのは、どう考えてもありえないことだと、経験上から確信していました。そんな奇特な人物には、一度だって出会わなかった。偏差値を一点あげるたびに、人間性や誠意の「一部」がきっと腐食・剥落していくことを知っていましたから。

 今の内閣に限りませんが、どうしてこんな為体(ていたらく)かというなら、「偏差値教育」の成功・成果というほかありません。他人を押しのけ、他人に勝りたい一念で、嫌な勉強を我慢してやったのでしょ。森鴎外やハムレットのなんたるかは知らなくても、試験勉強の際には必要だから、名前は覚えている、それ以上を求めないのが「偏差値志向教育」です。だから「函だけ」「中身なし」、そんな人間が生まれるんです。多くは、戦後三十年以上経ってから生まれた人だと、ぼくは見てます。もちろん、戦前にも、江戸時代にだって、「偏差値人間」はいました。そういう人間(内容のない)を養成するのが、この劣島の教育の伝統でしたから。

 「失言」「暴言」「食言」「空言」「揚言」「慢言」「漫言」・・・。数限りなく、この種の「言い草」「言辞」がありますから、それだけ、人間は言葉をもちいて、いろいろな表現をする能力を持っている証明にもなるでしょう。葉梨某さんです、彼は「法務大臣は、死刑のはんこを押すだけ云々」といって、自分を高く売ろうとしているにすぎないんです。みんなとはいいませんが、多くの政治家諸君(ばかりではない)の常套論法は、居丈高に自分を見せつけるのではなく(まったくいないわけではありません)、自分を卑下して(へりくだって)、じつは「偉いのだ」ということを、あからさまに相手(聞き手・聴衆)に匂わせるという、じつに嫌味の趣味を磨いている人物なんだね。

 ある人が「偉い」と思われるのは、着ている服装や持ち物(学歴や履歴)によるのではなく、内面の「誠実さ」、あるいは「他者への思い遣りの深さ」によるのですよ。どこかで触れましたが、多くの学生たちに「どんな人が偉いと思われるか」「偉い人とはどんな人でしょう」と、何年にもわたっても尋ね続けてきました。ぼくにとっては驚くべきことでしたね、ほとんどの人は即座に答えられなかった。「教育の成果」、じつは「教育の敗北」なんですが、そのことを痛感しました。「どんな人が偉いと、あなたは思いますか」と聞かれて、熟考というか、考えあぐねている学生諸君を見ていて、ぼくは腹の底から悲しみが湧いてきましたよ。「高学歴」は、じつは「低人間力」に重なるんだと言いたくなることがしばしばだったし、それを隠さないで言い続けてきました。他者とのつながりにおいて「優越感」を持つ、それは「無恥」「無知」なんですが、それで平気でいられるとは、その人自身の内面に、いいようのない淋しさ悲しさを生み出しているのです。それに気がつくかどうか、それが問題ですが。

 現内閣の閣僚たちの多くは「立派な学歴の所有者」でしょう。不幸なことに、お気の毒さま、とは言わない。でも心配はしています。偏差値を高める、受験競争に勝つ、そのために失ったものは、場合によっては取り戻せないものかもしれないのです。だから「可愛そう」と同情を禁じ得なくなる。「地味」を売り込もうとした「滓大臣」は「統一教会に抱きつかれて、テレビに云々」といった。どこまで言っても「可愛そうな馬鹿」というほかありません。このような大臣を「選ぶしかなかった」「任命するよう強いられた」総理大臣は、何倍も「可愛そうな✖✖」という。

 最後に一言(失言ではない)、死刑制度には断じて反対です、これは、ぼくの「人権問題」に関わる際の背骨ですから。

 (内閣府の五年ごとの「死刑制度」等に関する調査について、このアンケートは「誘導尋問」というほかない代物)(それでも、簡単に国家権力に対して「殺人(死刑)」を容認するという、圧倒的多数の、この姿勢に、ぼくは暗澹(あんたん)たる思いを抱くのです。「知らぬが仏」というのは、ここでは場違いか?)

 以下の図は、「内閣府基本的法制度に関する世論調査」(令和元年のものからの抜粋)。

Q2で「(イ)死刑もやむを得ない」と答えた方に)

Q2SQb1〔回答票4〕 「死刑もやむを得ない」という意見に賛成の理由はどのようなことですか。この中から、あなたの考えに近いものをいくつでもあげてください。(M.A.)
(n=1,270)

(53.6)(ア)凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ
(56.6)(イ)死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない
(46.3)(ウ)死刑を廃止すれば、凶悪な犯罪が増える
(47.4)(エ)凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと、また同じような犯罪を犯す危険がある
(1.6)(オ)その他
(https://survey.gov-online.go.jp/r01/r01-houseido/3_chosahyo.html)

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 失言の葉梨康弘法相が辞任「一から出直す」 後任は斎藤健元農水相 「死刑はんこ」発言 自民党の葉梨康弘法相は11日、首相官邸で岸田文雄首相に辞表を提出した後、記者団に対し「国民の皆さまに不快な思いをさせてしまった」と陳謝し、「この上はしっかり一から出直して、一兵卒として日本国のために働くということで、これからの私の政治生命を国民のために尽くしていきたい」と語った。/ 葉梨氏は一連の発言について、「死刑に関する判断についての発言でないとは言え、例示として死刑という文言を軽率にも使ってしまった」と話した。10日夜から進退について首相と相談していたと明らかにした。/ 首相は同日夜、葉梨氏の辞任を認め、後任に自民党の斎藤健元農林水産相を起用すると記者団に説明。自らの任命責任について「重く受けとめている。今後、山積する課題に取り組みを進めていくことによって職責を果たしていきたい」と語った。首相は同日、東南アジア歴訪に向かう予定だったが、閣僚の交代のため、出発を延期した。これに関し首相は「一連の日程に予定通り出席するべく、この後午前1時出発する予定で調整をしている」とした。/ 葉梨氏は、死刑をめぐる発言の責任を問われての事実上の更迭。9日夜に出席した会合で「法相は死刑(執行)のはんこを押す。ニュースのトップになるのはそういうときだけという地味な役職だ」などと話し、10日の参院法務委員会で発言を撤回、陳謝していた。(デジタル編集部)(東京新聞。2022/11/11)(https://www.tokyo-np.co.jp/article/213429)

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「民主主義と選挙」雑感

 「骨折り損の草臥(くたび)れ儲け」とは、どうせ苦労しても疲れるばかりで、少しも成果がないことの例えとして、あまりいい方便としては使われてこなかった。「いくらやっても無駄」というのでしょう。これと似ているのではありませんが、ぼくは「百聞は一見に如(し)かず」という俚諺が好きです。「見ると聞くとで大違い」とも。もちろん、そのままで受け取るのではなく、一面では正反対のものとして、です。多くは「百を聞くより、一回見る方が確か」とでもいうらしい。でも、なんの学習もなければ、実物を見たところで、なにもわかるものではない、「百聞という経験」があればこそ、一見の価値は確かなものになると、ぼくは言いたいのですよ。

 「骨折り損」の方はどうでしょう。せっかく苦労したのに、草臥(くたび)れただけだというらしい。骨を折って損をした、それはご苦労様でしたね。しかし、無駄ではなかった、「草臥れが儲かったのだから」と、ぼくは受け取る。こちらも「経験すること」の大切さ、確かさです。ぼくたちがなにかを学ぶのは「経験する」ということです。「民主主義とはかくかくしかじか」と学校で習ったといいます。でもそれは習った(教わった)けれど、実際には学んでいませんね。民主主義を経験していないのではありませんか。どんなに真面目に投票に行っても社会は変わらないと、棄権する理屈を述べる人がいます。投票率が三割に満たない選挙は、はたして制度として成立しているのか、たしかにぼくは大きな疑いを持っています。自分の思うように時代や社会が変わらない、それは当たり前でしょう。だから「投票に行っても無駄」ということにはならないと、ぼくは考えています。

 「ローマは一日にして成らず」というのは、どういうことを言うのでしょうか。「ローマ(を例にしていうなら)建設」という大事業は一日で出来上がるものではないという、それなら「民主主義というローマ」は、権利を有するすべての人の参加(意識)がなければ、到底望めないのではないでしょうか。日米の選挙模様を眺め、彼我の差や「選挙制度が罹患している病状」を考えるにつけ、いくつかの浮かび出てきた雑感の端くれを綴りました。

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 徒然に日乗(XXI~XXV)

民主主義と選挙 ~ アメリカの中間選挙の開票状況をネットで見ていました。朝の五時ころからお昼ころまで。上・下院の選挙は、「小選挙区制」で、当選者は一選挙区一人。これはスッキリしていていいですね。この島の選挙の仕組みは、小選挙区選出議員に加えて比例代表だのなんだのとよくわからない(既存政党の利害調整の賜でしょう)。選挙区の投票者が「落選」と決定した候補者が、別のカテゴリー(比例区)で選ばれるという、じつに珍奇な制度です。落選したのに、当選するという、珍無類の現象が現出している。もちろん、どんな制度にも長短はあります。それにしても、小選挙区比例代表並立制などと御託を並べて、選ばれる議員は「滓(かす)」ばかり(と言えば、「選良」は立腹し復讐するかもしれないが)、選ばれるものが「滓」だから、その「滓」の中から釣り上げられる「大臣」といったら、滓に輪をかけた「愚図」ばかりという、とんでもない惨状を、連日連夜のように見せつけられています。▼ もちろん、アメリカだって、かなりいい加減というか、負けそうになると(結果はまだ出ていないのに)、この選挙は奪われたと、あちこちで声を上げる出鱈目さ。ある女性知事候補が「あなたは自分が負け(そうにな)ると、選挙は盗まれた」という。「勝ったら、どういうのですか」と質問されて、答えに窮していた。曰くつきの元大統領だって、未だに「盗まれた選挙」といいつつ、選挙運動を展開している始末です。いずれにしても、民主主義の制度的担保が「選挙だけ」という根拠は脆弱ですね。「ナチ」は選挙を通して生まれていったという、近年の歴史を忘れたくないね。(もちろん、権利行使する選挙民は「賢い人間」(偏差値とは無関係の「賢さ」)であることが条件ですよ)「徒然日乗」・XXV)(2022/11/10)

「猫に鰹節」は厳禁ですね ~ だから、猫に小判ならぬ、猫に首輪、です。生後三ヶ月の八つ子で、白が五に赤虎が二、黒が一。「白」は、全員がほとんど同じで、区別が付きません。赤虎も同じ顔容(かおかたち)。動物医院に連れて行く時に往生します。どれがどれやらと、医者からも「分かるようにしてほしい」と要求が出ました。アマゾンで九個の首輪セットを購入。なんとかして、全部につけたい。先に生まれていた子は、少し大きくなってからつけようとしたら、もう大変でした。五個分ほどつけたのですが、一日かそこらですべて外され、すっかりなくしてしまった。いまでも、薬を飲ませたりする際に、区別が付かないで、「君の名前は?」と聞く始末。答えてはくれませんが。朝ごはん時の出席確認も大変。なにしろ我が家は出入り自由ですから。▼ 本当はなにもしないほうがいいに決まっている。でも、当方の間違いを防ぐために、名札(なふだ)代わりにと、我慢してもらうばかりです。少し先に生まれた子にも「名刺(名札)をどうぞ」と試みるのですが、つけるやいなや、もぎ取ってしまう。(たった今もそう、わずか数秒で「瞬殺」でした)もうこうなると、相当に「野生化」したと言えそうです。▼ これは猫集団ばかりではなさそうで、人間社会にも、お仕着せやしつけ(躾)をするのに効果なく、かなり手遅れ状態のものが蔓延(はびこ)っているようです(表現はよくありませんが、「傍若無人」「我が物顔」という意味では、野生化・野獣化してしまったかもしれませんので、不適切な物言いはお許しを乞う)。(追記:犬や猫にパンツやシャツを着せるという趣味はぼくにはないし、猫や犬にもないでしょう。自然がいいと。人間でも同じではないかと、当の本人からの判断や行動を引き出したいですね。自分でパンツをと、猫が欲するなら、致し方ないが)(「徒然日乗」・XXIV)(2022/11/09)

▼ ぼくには「戦争の記憶」はない。生まれは敗戦一年前の九月でしたから、記憶力抜群の神童だったら戦時の惨状の幾分かは覚えているでしょう。さいわいにして、ぼくは凡児でありました。しかしこの年齡になって、いたく戦争の「怖さ」を痛感している。端的に言うなら、「日常が戦争」であり、「戦争が日常」になるという「不感症」への恐怖です。恐怖といって誤解されるなら、戦争に「馴れる」という感覚の怖さ、鈍麻、無感覚に陥ることです。▼ 今現在、猛烈な戦闘(殺戮)が続けられています。日に何度か、その状況をニュースで知る。しかし、「侵略」開始当初の「怒り」「異議申し立て」「反対」が、なくなったわけでもないにもかかわらず、日常に埋没していないかどうか、ぼくはいつでもそのことを自問しています。侵略戦争は断じて認められず、その一点で地球上の大方の合意が得られるかと思いきや、ロシアに武器援助をする国がいくつもある。ウクライナに対して大手を振って「武器援助」をNATO諸国はしている。それどころか、米国がウクライナを動かして「代理戦争」をしているとも言われている。アメリカの中間選挙の結果は「戦争の現状」に少なくない影響を与えるとも。▼ 何の罪科もない、無辜の民が殺されるという、それだけで戦争は断じて認められないと決断・行動するほど、人間は賢明ではないということか。▼ 要するに、ごく一部の破落戸(ならずもの・ごろつき)が「覇権」を競っているだけの「無謀そのままの野蛮」に、この時代は支配されているというほかなさそうです。それに拮抗しうる方途をぼくたちは持ち得るのか、それが問われています。戦いによる勝ち負けを待つのではなく、戦いをやめる方途をこそ。(つづく)(「徒然日乗」・XXIII)(2022/11/08)

日常のなげきに狎(なれ)れつ冬に入る (蛇笏)~ 本日は「立冬」だそう。人の振る舞いに無関係に季節は巡る。七十二候(初候)では「山茶始開(つばきはじめてひらく)」とも。「山茶(さんちゃ)」は「椿」の漢名、「山茶花(さざんか)」を指すこともある。わが荒れ庭の五、六本ばかりの「山茶花」も咲き出している。七十二候でいう「山茶(つばき)」は自家用栽培の茶木。▼ 外界の現象に時間を奪われ、興味を強いられるままに「冬」は来た。慌ただしいばかりの明け暮れで、この先も続く予感も頻りです。ますます酷くなること請け合いと、情けない始末です。現下の事態は「停滞」とか「泥沼」などという悠長な段ではなく、まるで「地獄を見る」ところまで来ているような、「ホモ・サピエンス」のなす罪業に悍(おぞ)ましさを覚える「冬の入り」です。貧寒というのはこのざまをいうのか。(「徒然日乗」・XXII)(2022/11/07)

ジャーナリズムの夜明け~とっくに夜が明けているともいえるし、まだ夜は続いている、闇は深いということもできます。昨年のいつ頃でしたか、ネットの番組で元朝日新聞記者のS.H. 氏を知った。同社の政治部長だったという方です。御年五十歳。四十九歳で退社されたそうです。S さんの話や書かれたものを読んで、教えられています。SAMEJIMA TIMESを主催されているので、時々、そこに立ち寄っては、書かれたものに目を通しています。▼ ぼくは、早い段階から「独立派」、つまり、どこにも帰属しない無所属の職業人を大変に尊敬してきました。ぼくのように堕落した人間、小心者は会社に入って、目立たず慎ましく、年月が過ぎ去るのを待つばかり、そんなタツノオトシゴのような生き方をしていると、無性に「無所属」に憧れてしまう。朝日新聞を退社した人を何人も知っています。定年(諦念)を待たず退職する理由は、それぞれでしょうが、そこに居続けられないという点では共通しています。▼ 朝日に限らず、他社(マスコミ)を中途で辞められた方の多くは、ジャーナリストとして旗を掲げておられる。そのような人々は、ある種の回り道をした方ですが、これからはますます「無所属派」が増えていくことでしょうし、歓迎したくなります。老化現象の著しい人間であるぼくは、そんな無所属派の書かれた記事や原稿から、さまざまな刺激を受けている。インディペンデント、言うは易く行うは難し。ぼくの後輩の何人かも、最初から無所属で精進されている。呑気に衰えてなんかいられない気にさせられますね。(「徒然日乗」・XXI)(2022/11/06)

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思考する演奏家であるこの類い希なアーティスト(Bernstein)

 【日報抄】「『もっこ』だったからね」。亡き父について母はよく、愛情を込めて揶揄(やゆ)する。「もっこ」は佐渡弁で「へそ曲がり」や「変わり者」。家では無口で自己主張をしなかったが、長年連れ添った母には頑固な一面を見せたのだろう▼ことし生誕90年、没後40年を迎えたピアニストのグレン・グールドも正真正銘の「もっこ」だった。天才ぶりや端正な顔立ちとともに奇行が注目を集めた。夏でもコートを着込む。背を丸めたり足を組んだり、セオリーに反する姿勢でうなり声を上げて演奏した。独自の作品解釈を曲げず、周囲と衝突した▼名指揮者バーンスタインと共演した演奏会では、最後までテンポについて意見が合わなかった。納得いかないバーンスタインは聴衆に「これはグールドのテンポです」と前置きして演奏したという▼普通なら脂が乗る30代でコンサート活動から退き、専らレコーディングに取り組んだ。現在のようなデジタルの編集技術はない時代。録音テープを切り貼りし、最高の音を追求した▼彼の演奏は今も根強い人気がある。録音メディアを芸術と呼べる領域にまで高めた先見性も近年、改めて評価されている▼自分を曲げない人は、しばしば厄介者と見られる。だが、彼らの発想やこだわりは新しい価値を生み出してきた。アップル創業者のスティーブ・ジョブズも長岡藩家老の河井継之助も偏屈と言われた。近年はあえて「変人」を採用すると掲げる企業もある。今後「もっこ」は褒め言葉になるかもしれない。(新潟日報・2022/11/11)

協奏曲にあっては誰がボスなのか?(会場爆笑) 独奏者なのか、それとも指揮者なのか?(大爆笑)」(このライブ録音を、かなり前にネットで見たことがありました。バーンステインにとってはかなり深刻な場面であったと思われましたが、ユーモアの感覚を失わず、しかもグールドに対する彼自身の評価(敬意)も添えて、「テンポの不一致」を説明しました。これは「グールド氏のテンポだ」と。異例の「告白」でしたが、それはまた、指揮者の「良心」というものだったとも言えそうです。ぼくには好感が持てた。(バーンステインの内心穏やかならざる「心境(雰囲気)」も感じましたが)(https://www.youtube.com/watch?v=iHz2i6bhUXw

 「ボス云々」は、バーンステインのスピーチの触りです。グールドという音楽家、言うまでもなく、ぼくがもっとも好んだ人で、彼の右にも左にも、誰も出る人はいないというくらいに、彼を受け入れていたし、とにかく、このピアニストにははまり込んだ人生でした。ぼくは彼をすでに半世紀以上も聴き続けています。もちろん、バーステインも好きでした。彼は多彩な人でピアノも作曲もやり、指揮も本職として大いに評価されてきた人でした。「ウエストサイド物語」の音楽を作曲した。また小澤征爾さんをいの一番に評価した人としても忘れられない音楽家でした。彼は、若い才能を伸ばすことに大きな労力を注いだことでも知られています。

● バーンスタイン(Bernstein,Leonard)([生]1918.8.25. マサチューセッツ,ローレンス[没]1990.10.14. ニューヨーク=アメリカの指揮者,作曲家。ハーバード大学で作曲を学び,卒業後カーティス音楽院で F.ライナー,S.クーセビツキーに指揮を学んだ。 1943年ニューヨーク。フィルハーモニー交響楽団の指揮者 A.ロジンスキーに認められ,副指揮者となる。 45~47年ニューヨーク・シティー・センター管弦楽団の指揮者,58年ニューヨーク・フィルの常任指揮者。翌年同楽団監督となり,ニューヨーク・フィルハーモニックと改称するなど数多くの新しい試みを行なった。一方,作曲家としても『エレミア交響曲』で 42年ニューヨーク批評家賞を受賞。ポピュラー音楽にも手を染め,ミュージカル『オン・ザ・タウン』 (1944) ,『ウエスト・サイド物語』 (57) ,その他バレエ・映画音楽など幅広く活躍した。(ブリタニカ国際大百科事典)

 この「ブラームスのピアノ協奏曲一番」は曰くつきで、ぼくもこのライブ盤を持っています。(1962年4月6日、カーネギーホールでのライブ)もちろん録音はモノラルです。そのような器械的なレベルの低さが消えてしまうような、ぼくにとっては新鮮な演奏でした。この二人には多くの演奏(共演した)が残されています。おそらくバーンステインはグールドの天稟(てんぴん)を誰よりも認めていたのでしょう。ぼくがバーンステインを愛聴するのは、この度量の広さ・深さでした。この島の音楽家、ことにに指揮者で、彼の導きを受けた人はたくさんいます。

 グールドについては、何度もこの駄文集録で触れていますので、ここでは余計なことは言いません。もはや、没後四十年も過ぎたかという感慨はあります。訃報を聞いたときの衝撃のような驚きは今でもはっきりと記憶しています。ぼくは四十前でした。それ以前から、彼の演奏論を書いてみようと四苦八苦していたのですが、遂に書くことはありませんでした。ひたすら聴き続けるということに徹したのです。彼の記録で、公刊されたもののほとんど(レコードや書籍その他)を手に入れ、こんな天才が同時代に行きているという感覚をいつでも豊かに持っていたいと念じてきた。(このブラームスの「P.C.協奏曲一番」のエピソードについて触れている方がおられましたので、紹介しておきます。「クラシックのCD聴き比べ」)(https://www.youtube.com/watch?v=iHz2i6bhUXwl

 本日はここまでにします。グールドのレコード録音の方法などについても述べるべきことがありますが、それも別の機会に。「日報抄」の記者の導きにより、思わないところ、思わぬ時期にグールドに再会したような気がしましたし、こんな経験は今回が初めてでした。同好の士がどこにでもいるという驚きと共感を、同時に得たという貴重な機会を喜んでいます。

 モーツアルトは「神童」とか「天才」と称されてきました。ぼくはその実際は知りません。しかし、グールドは、紛れもなく「ジェニー(genius)」の名に値する音楽家だったと、同時代に生きて、彼の演奏を聴く機会に恵まれた人間として、身をもって信じてきました。

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 マインドはコントロールされないものです

<卓上四季>カルトの子 一枚の絵がある。高いビルの間の一本道を母親に手を連れられて歩く少女。足には鉄鎖と鉄球。後ろを振り返る少女の腕は折れ、その表情は苦痛にゆがんでいる▼教団の教義に反したとして熱心な入信者の親に自由な恋を押しつぶされ、言葉を失った少女が描いた。成人後には自殺を図ったことも。ルポライターの米本和広さんが、カルト集団の病理が子供をむしばむ危険性を告発した「カルトの子」(文春文庫)の一例である▼20年以上前に読んだ話を思い出したのは、親による信仰の押しつけが虐待であるとして、旧統一教会などの信者を親に持つ子供たちが法整備や支援を求める会見を開いたからだ。見捨てられた子供たちを救ってほしいという訴えは胸に迫る▼心理学で言う「チャイルド・アビューズ(児童濫用(らんよう))」である。身体的・心理的虐待のほかネグレクトや貧困、そして結婚などの選択権の喪失とその被害は実に幅広い。虐待ばかりに目を向けると大事な意味を見落とすという精神科医斎藤学(さとる)さんの分析は重く受け止める必要がある▼親が自分の価値観を子供に教えるのは自由だが、自分の生き方に子供を巻き込む自由はない。米本さんの指摘だ。子供に対する度を超えた支配権の行使と言わざるを得ない▼冒頭の少女の母親は脱会後、後悔を口にした。「娘は誰も自分のことを守ってくれないという想いが強かったのだと思います」(北海道新聞・2022/11/09)

 昨日に続いて、この問題を考えてみたくなりました。人間が集団で生活するようになって以来、あらゆるところで、この「カルト」問題は生まれては消え、消えては生まれてきたでしょう。そのどれもが、同じ原理で機能しているとはいえません。しかし、ある特定の目的をもって「カルト」の威力を発揮させるという点では、多くは共通していともいえます。カルト問題を考える、最初の出会いは、ぼくにとっては「狐憑き」という「習俗」に類する民間信仰でした。石川県時代にも京都時代にも、この「狐憑き」の信仰行事を見る機会がありました。詳細は省きますが、おおよその内容は以下の事典の説明を参照してください。どう考えたって、動物の「悪霊」が人間に乗り移写り、さまざまな祟(たたり)を齎(もたら)すと考える理由はないのですが、その時の精神状態によって「藁にも縋(すが)る」心境になっていれば、自由な判断が働かなくなり、遂には「荒唐無稽」な策略に引っかかるのでしょう。これをマインドコントロールと言ってもいいし、洗脳と言ってもかまわない。まあ、ある種の「オレオレ詐欺」ですね。この手の事件は枚挙に暇なしで、この島の至る所にあったし、今でもあるのではないでしょうか。妖かしの狐を材料にして、一端の「藁」になりきって、「溺れるもの」の弱みに付け込んでは、しこたま金品を巻き上げるのです。人間の判断力は、いかにも脆弱(ぜいじゃく)にできているのです。

● きつねつき【狐憑き】キツネの霊が人間の体に乗り移ったとする信仰。現在でも広く各地で信じられている。憑かれるのは女性が多い。憑かれるとキツネのような行動をして,あらぬことを口走ったりするのが,狐憑きの典型的な症状であるが,体などに原因不明の異常が生じた時,そのような症状を呈さなくても,祈禱師によって,キツネが憑いているからだとされる場合もある。キツネに憑かれたままにすると,内蔵を食いちぎられて,病気の末に死んでしまうとされ,祈禱師などを招いて祈禱したり,憑かれた者をいじめたり,松葉でいぶしたりして祓い落とす。(世界大百科事典第2版)

● マインド・コントロール=洗脳という言葉は、1950年代、朝鮮戦争中に米国人捕虜たちが共産主義者から受けたとされる尋問や教化の方法を指して、米国のジャーナリスト、エドワード・ハンターが作った言葉。「脳を洗う」という意味にとれる中国語から英語に直訳し、ブレイン・ウオッシングとした。洗脳は、長時間にわたる身体的拘束や拷問、薬物の投与などにより、個人の精神構造(信念やアイデンティティー)を強制的に変えるものである。これに対してマインド・コントロールは、物理的・身体的に強制的な方法を用いずに、本人にもまた周囲の人々にも、それとは気づかれないうちに個人の精神構造に影響力を及ぼすような、洗練された社会心理学的テクニックである。しかし、マインド・コントロールという言葉は心理学の用語としては認められておらず、カルトが暗黙のうちに使っているテクニックをそう呼ぶようになった。日本では90年代半ばから一般に普及し、様々な場面で拡大解釈されて使われるようになった。そこで、個人の自主性を著しく阻害し、心身の不調、人間関係の崩壊や犯罪行為への加担など、本人が望まないような結果を生じさせる心理的操作として、マインド・コントロールを限定的にとらえていく必要がある。(知恵蔵)

● 山岸会(やまぎしかい)=山岸巳代蔵 (1901~61) が編出した養鶏法の根本にある精神を広め,幸福な社会の実現を目指す目的で 1953年に結成された社団法人。その基本信条は無所有一体の生活にあり,会員となるには一切の財産を会に供出する誓約が求められる。このヤマギシズムを実践するため,58年三重県の伊賀町に共同生活の養鶏場をつくったのを手始めにに,幾度かの曲折を経て,全国に数十ヵ所の共同体をもつにいたった。養鶏を中心にした有機農法による生産物の供給や,関心をもつ者に会の理想を体得させるための特別講習研鑽会を通じて,一般社会に働きかけている。(ブリタニカ国際大百科事典)

 学生の頃、ぼくの周囲の何人かは「ヤマギシ会」に所属していた。大きな「騒ぎ」を起こして、この社会の特異集団として、山岸さんは大いに注目されたのでした。(後年の「イエスの方舟」を想起させます」ある種の「原始共産社会」を模した集団を作ろうと、「無所有一体」の集団生活を徹底していた。体験入会した人から話を聞いたことがあります。洗面所(学校の水道場のような)にある歯ブラシや歯磨き粉は人数分だけなかったそうです。どうしてかと思って、よく見たら、歯ブラシに「だれのものでもない」と書いてあったそうです。これより前には、作家の武者小路実篤が初めた「新しい村」などがありましたが、人間社会あり方を追求し、理想を求めたのであったろうと思われます。しかし、理想は理想、現実は現実で、目標は高く、現実は低くというのが相場です。

 このように、世間の垢や泥から抜け出し、望ましい人生を送るにはそれなりの精進が求められます。その「精進」の極意が「洗脳」であり「マインドコントロール」だったということが、多くの宗教を騙る集団の常套手段でした。もちろん、信教の自由を認めるのですから、「鰯の頭」であれ、「狐の妖術」であれ、ご当人がそれに疑問を持たない限りは、どうこういう筋合いはない。どうこういう筋合いが出てくるのは「常軌を逸した行動」に走るからです。被害や迷惑が、すくなくとも当人限りならまだしも、家族、特に子どもに及ぶなら、それは宗教の名においてではなく、むしろ「社会規範」というか「倫理問題」として、必要な処置を取らなければならないのではないですか。善悪の判断が機能しなくなり、誰が考えても「百害あって一利なし」の事態に陥っているなら、あらゆる手段をもちいて、救済をしなければならないでしょう。

 繰り返しになります。「信教の自由」は認めるとしても、「信教」行為が他者に危害を加え、人権を侵害し、暴力に及ぶとしたら、それを排除するために、とりうる方策を考慮するべきでしょう。家庭内のこと、それは教育や躾の一環だと言い張る人も多いようですが、暴力という何当たる行為は、法律に照らし、社会倫理に照らして、それを容認することはできないのです。

 「洗脳」とか「マインドコントロール」という言葉に示される、人間の「考える」「信じる」はたらきは、人によって千差万別です。ぼくは「洗脳」に遭遇することも「マインドコントロール」をかけられたこともありません。かけられかかったたことはあったかもしれませんが。(これは小さな声で言うのですが、かみさんと結婚したのも、どこかに「洗脳された」という部分があったかもしれない。でも「痘痕(あばた)も笑靨(えくぼ)」というように、生涯、「笑窪」だと信じ込んでここまで来たのです。やっぱり「マインドコントロール」にかかっているんだね)「自分をコントロールする」のは、じつに大切です。「自制」とか「注意」などといつでもいうのですが、この「自制心」や「注意」が他人に向けられると、面倒なことになる。自分を制御するのではなく、他人を制御(コントロール)する、それを養育や教育などと錯覚(誤解)している人がどんないることか。学校の教師や親たちは「子どもに注意する」という。でも、その中身(内容)は「子どもを管理し、支配し、行動や思考の自由を奪うことになる」ことをつゆ考えないんじゃないですか。幼児期の段階で、親から「管理」され「支配」され「命令」されることに身を任せると、いつかは親以外の「教祖さま」にもすっかり心身ともに委ねてしまうのでしょう。

 「洗脳」から解き放たれることは、そんなに容易ではありませんが、不可能でもありません。ぼくの感覚では、いわゆる新(興)宗教(それらはぼくの受け入れる「宗教」ではないことがほとんどです)に「入信」した人よりも「脱会」した人のほうが多いという気がしているのです。具体的な数字があるわけではありません。しかし、人間の心理状態をつぶさに見れば、生涯を「一信仰」「一教団」で一貫している人は少ないように思われてきます。この島の人間は「宗教の掛け持ち」をしている。キリスト教も仏教も神道も、なんでもござれという、あからさまな「融通無碍」もまた、既成・既存の宗教教団に応接する態度として、ぼくはそれを求めるものです。

 「親が自分の価値観を子供に教えるのは自由だが、自分の生き方に子供を巻き込む自由はない。米本さんの指摘だ。子供に対する度を超えた支配権の行使と言わざるを得ない▼冒頭の少女の母親は脱会後、後悔を口にした。「娘は誰も自分のことを守ってくれないという想いが強かったのだと思います」(コラム氏)我が子ではあっても、「親の持ち物ではない」と、どうして考えられないのか。じつに訝(いぶか)しいところですね。「よくなって欲しい」「子どもの幸福を考えればこそ」と、親は「愛情」のようなものをちらつかせる。間違いですよ。どんなに子どもが間違いを犯しかけていても、子どもを支配したり、命令してはいけないんです。子ども自身の選択と判断にゆだねられるかどうか、その姿勢、それこそが、あえていうなら「親の愛情」というものではないですか。愛情の受売りも、安売りも御免被りたいですね。ぼくは小さい時に「少しは勉強せなあかん」と、親から言われたことは一度もなかった。大学生になって、それは無上の仕合わせであると、「親の愛情」をしみじみ感じたことでした。それと同じように、ぼくは我が娘たち(双子の女性です)と付き合ってきました。自分で判断し、自分で行動する、それができないときは、「助言ぐらいはするよ」という、一見無責任は姿勢を持ち続けてきました。するかしないか、それを決めるのは子供の領分。選択を子どもにゆだねること、それができないんですね。

 とても大事なポイントです。だれもが「マインドコントロール」にかかるといいます。おそらくそれに近い状態があることは否定しません。でも本当にマインド(心・精神)がコントロールされるのでしょうか。コントロールされ、支配されるのは、それとは別のもだという直観がぼくにはあります。その昔、「精神分裂病」という病名がもちいられてきました。(今日では、「統合失調症」と変更されています)この「精神」は分裂もしないし、増加もしません。いつでも「精神」は、その人のものとして変容は加えられないのです。(これを語りだすと面倒ですから、機会を改めて考えます)「精神」は、一貫したその人の核心部をなすものでしょう。その精神が「管理」され「支配」されのなら、「再生(洗脳からの解放)」はいかにして可能となるのでしょうか。「健全な精神」が存在するからこそ、再起も再生も可能になるのだという、たくさんの事例をぼくは見てきました。(マインドを「意識」と限定するなら、意識を支配されることはいくらもあります。言葉の問題というより、人間の身体(器官)機能、神経の働きをどのように捉えるかという問題に逢着します。何れにしても後日、少し丁寧に考察してみたい)

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信教の自由は、誰にも認められるべき権利

 このところ「宗教二世」あるいは「宗教三世」ということがしきりに話題にされています。もちろん、現下の「統一教会」問題が、その実態を明らかにしたからであり、今まで十分に声を上げられなかった「当事者」が勇を鼓して訴え始めたからでした。「信教の自由」というのは年令や性別などにかかわらず、まぎれもない「一つの人権」であり、何人も「信仰の自由」を持つ、その意味は、他者から信仰を強制されないということであり、同じように信仰を放棄することを強いられないということでしょう。その両者の根底にあるのは「自由という権利(人権)」です。「信じる自由」と「信じない自由」のどちらに重みを置くかという問題ではないと思います。それにしても、身内のつながりを遮断し、家庭を崩壊させてもなお、「信教の自由」というに至っては、それはお門違いですよといいたく生る。宗教の意味や役割りは、どこにあるか、人によって力点の置きどころは違うでしょう。しかし、現今の問題になっている教団、これは宗教ではなく、間違いのない「カルト教団」であり、宗教の名を騙(かた)った物取り集団だと言わなければならないようです。信仰を深めるのに、どうして「金をせびる」のですかね。「寄付」が聞く耳を持っているなら、聞いて呆れますよ。

 「宗教二世」の弊害・被害は今に始まったことではなく、どの宗教・教派にもついて回っていました。「統一教会」の場合は、集団(合同)結婚という、狂気の混じった婚姻から生まれた子女が、(無条件に)統一教会の信者にさせられるというものでした。これとよく似たものに「幼児洗礼」があります。あるいは統一教会の宗教二世は、キリスト教のある宗派の「幼児洗礼」を模倣したものかもしれません。キリスト教と称されるものは、どの教団も「幼児洗礼」を認めているわけではありません。「バプテスト派は幼児洗礼を認めず,自覚的信仰告白に基づく浸礼を主張」(下記事典を参照)自らの選択がなければ、信仰を受け付けないというのは当然であるといえます。親が信者だから、無条件に子どもも信者にする・なるのだというのは、教団にとっては、じつに虫のいい話(信者確保という観点から)であり、強制をいとわない、当該宗教の全体主義的傾向は否定できないでしょう。ぼくは、早くから、選択能力の備わらない「幼児洗礼」に大いなる違和感を持っていた。(画像はテレビ朝日:https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000273440.html

 原則として、ぼくは「信教の自由」を尊重する。当然であります。しかし、自ら望まないにも関わらず「信仰を強制される」「棄教を強いられる」事例はいたるところにあります。この劣島に限っても、国家仏教としての天台宗・真言宗を始め、鎌倉新仏教である真宗・浄土真宗、あるいは日蓮宗など数多の「教派・教団」が生まれました。「隠れキリシタン」や「踏み絵」などは、宗教弾圧の歴然たる痕跡、事例です。明治以降に限定しても、いわゆる新(興)宗教、その多くは仏教・神道系でありましたが、それらが雨後の筍の如くの叢生したという歴史があります。どんな思想信条も、(反社会性を帯びた活動をしない限りは)原則として、認められるべきであり、それは憲法に規定しなければならない「基本権(人権)」だというべきでしょう。

 問題の「宗教二世」、あるいは「宗教三世」についてみると、そのような境遇にいた同級生が何人もいたことを覚えています。羨ましいとか、反対に嫌だなあと思ったことはなかったが、それは宗教に関して今以上に「無知・無恥」だったからでした。その時よりは少しは知恵もついたと自己評価はしますが、いまでも、当時と似たような感情を持っている。「信仰も家業かよ」、そんなふうに言いたいね。よく似ているのが、職業選択の不自由です。歌舞伎などはその典型例です。「天皇制」も、選択の余地がないという点では、窮屈そのもの(人権侵害にあたります)ですね。

 誰がどんな信仰を持っているかに関しては、ぼくは可能な限り「偏見」を剥き出しにしないようにしてきました。人間の性向(傾向)として、宗教的あるいは非宗教的の二種類があるように思われます。かみさんなどは、はっきりいうなら「宗教オタク」のようで、いろいろな新宗教に惹かれるようです。ぼくはまったく正反対。上にも書きましたが、信念や信仰まではいいとして、「個人崇拝(a personality cult)」にまで行くと、ぼくはまず門戸を閉ざします。しかし、新であれ、旧であれ、大なり小なり「教祖」を崇めることを条件に信者であることを認めるのでしょうから、ぼくには縁がないというほかありません。(左画像はNHK番組による:https://www.nhk.jp/p/gyakuten-j/ts/JYL878GRKG/episode/te/69X2M5G8Y9/

 学生時代、在学していた大学でもいち早く「原理研究会」が作られ、何人もの知り合いの学生が活動をしていました。しかし、その段階ではまだ「宗教二世」は生まれてはいなかった。当然、その多くは「合同結婚式」以降の夫婦によって「誕生」した人々です。ぼくは、生理的に「一個人を崇拝」することはまず受け入れられない人間ですから、ほとんどの宗教には心が開かれることはなかった。エホバの証人(別称「ものみの塔」)の信者らしい人がよく家を訪ねてきます。その人々にぼくは、ある人の名前(明石順三)を出して質問します。ほとんどの人は知りません。そんなものです。文鮮明だとか韓鶴子という「教祖」を名乗っている人間も、ぼくには「詐欺師」としか思われないし、霊感商法に加わっていた同級生もいたことから、この「団体」は宗教ではないと確信してきました。「勝共連合」に関しても同じでした。それに加わっていた知り合いが何人もいたし、それらと闘争を繰り返していた側にも知人がいましたから、宗教ではなく、カルト(個人崇拝)であり、政治団体を名乗っている偽物教団であると、ぼくはいささかの疑いも持っていなかった。

 そのような「宗教まがい」「宗教を騙る」団体の信者の子どもに対して、まずは被害の実態を調べ、場合によっては「所管官庁」は監督責任を明らかにする必要があると言いたいですね。「認証」だけはして、後は知らぬというのでは「共同正犯」ということにもなりかねませんから。現政権は、政権浮沈の狙いがあるのか、被害者救済の法制定を日程に乗せています。「認証取り消し」は、即刻なされなければなりません。「霊感商法」「入信勧誘」では大々的な強制や詐欺行為が認められて、裁判にもなっています。教団敗訴の決定がたくさん出ているのです。このマヤカシ政権において、どんな「救済法」ができるか、認証取り消しに至るのか、悔しいけれど、大きな不信を持ちながら見ています。

 以上に加えて、新たな名乗りを上げた「宗教三世」の方がおられます。エホバの証人の元信者でした。

 「親から体罰、希望していた受験もできず」 エホバの証人3世訴え▢▢▢ キリスト教系新宗教「エホバの証人」の3世として育った夏野ななさん(仮名)が7日、国会内で開かれた野党のヒアリングに出席し、熱心な信者だった親から体罰を受けるなどした生い立ちを明かした。「子どもが親に信仰を強制されず、学ぶ機会を奪われないようにしてほしい」と悲痛な思いを訴えた。/ 夏野さんは30代で東京都在住。3歳の頃から週3回、エホバの証人の集会に参加した。居眠りなどをすると家族にトイレに連れて行かれ、平手やベルトでたたかれたこともあった。「悪い影響を受けるから」と言われ、保育園や幼稚園には通わなかった。教義のため、クリスマスや七夕、誕生日会などのイベントも禁止された。校歌の斉唱や運動会の騎馬戦にも参加できず、小学校ではクラスメートから奇異の目で見られた。親から「宗教活動に割く時間が減る」と言われ、希望していた中学受験もさせてもらえなかった。 「教え強制していない」 ▢▢▢ エホバの証人の広報担当者は毎日新聞の取材に「聖書の教えに基づき、子どもは愛情をもって育てるように伝えている。方法は各家庭で決めることだが、体罰をしていた親がいたとすれば残念なことだ。教えを強制することもしていない」と話した。また、行事への参加の禁止については「異教徒の習慣に基づく祝日は参加しないように聖書が教えている。ただ、決めるのは個人で、特定の祝日に左右されない形で楽しい時間を過ごすようにしている」と話している。【高良駿輔】(右上写真:「エホバの証人」の宗教3世として経験した苦悩を語る夏野ななさん(仮名)=国会内で2022年11月7日午前10時57分、高良駿輔撮影)(毎日新聞 ・2022/11/07) 

 このような問題が放置されてきたのが、何かあれば「法治国家」と紋切り型の反応しかしてこなかった社会の、新たな(じつは被害は長年続いていた)課題です。訴えをどのように受け止められるのか。家庭における「幼児・児童虐待」に類する行為であり、あからさまな「人権侵害」でもあります。宗教(信仰)の名においてなされている「暴力」は、他の暴力と何ら選ぶところはないのです。ぼくは統一教会を宗教団体とは見ていないし、エホバの証人についても、戦時中の戦争協力姿勢などについて、宗教の教団とは認められないものがあったと思いますし、いまでもそれは継続していると考えています。「戦争」に積極的に協力したのが(洋の東西を問わず)各国の宗教教団でした。この国においても、圧倒的な体制(翼賛)で、ほとんどの教団は戦争応援に靡きました。国粋・国家主義のお先棒を担いだ。その反省はきわめて不十分でした。(どちらかと言えば、宗教は政治と兄弟姉妹のようであり、どうかすれば、一気にカルト集団に豹変するという歴史に照らしても、信仰は「Belief」であり、個々人の「信念」において把握されるものだと、ぼくは考えているのです。徒党(教団)を組むというのは、何かしらの目的があるからであり、往々にして、それは宗教とは似て非なるものだということでしょう。その点では、内村鑑三さんの「無教会派(主義)」が、ぼくには一つのヒントになっています。

 件(くだん)の教団名に使われていた「世界統一教会」というのは、紛れもなく「覇権」を宣言しているとしかみえないですね。今般、あからさまになりつつある「政治と宗教」の関係、実態は「似非政治と似非宗教」の談合であり癒着であり、そこには真面目な政治思想も宗教思想も含まれていないことに、ぼくたちは呆れているばかりでは足りないのであって、その積年の弊害が、どれほど「宗教」と「政治」そのものを汚濁してきたかに思いを及ぼす必要があるでしょう。宗教二世や、三世の方々が訴えている叫びには、既存の教団や政党が「堕落・頽廃」を我が世の春と決め込んでいる間に生み出された人々の、人間回復のための「肺腑の言」であると受け止めるし、それこそ誠実に対応すべきだと考えています。当事者の叫び、訴えは、あらためて「人間の誠実とはなにか」というものを、ぼくたちに突きつけると思う。

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● 洗礼(せんれい)(baptisma; baptism)=キリスト教で,水によって神の名 (普通は三位一体の名) において原罪,自罪とそれによる罰を許し,人を神と教会の子,すなわちキリスト教徒とするサクラメント。「浸す」というギリシア語 baptizōの名詞形。水を用いての清め,あるいは新生を与えるという思想は,古代東方諸宗教をはじめ旧約聖書にもみられるが,教団入信の儀式としての確立はユダヤ教への改宗者に対してなされたものによる。イエスもヨハネから洗礼を受けたが,ヨハネのものは,すべての人に要求された終末的悔い改めの洗礼であったのに対し,イエスが命じた洗礼は,罪の許しと永遠の命を得させるものとなった。イエスが復活後,弟子たちに命じたことに基づいて,洗礼は聖霊の力によって「イエスとともに死に,ともに新しい命に生きる」契機となり,復活のイエスのからだである教会の肢となることを意味する公の礼典となった。 12世紀頃までは全身を水に浸したが,今日では頭部への灌水が一般的。初代教会以来,受洗には信仰告白が前提であったが,2世紀に幼児洗礼が確立。バプテスト派は幼児洗礼を認めず,自覚的信仰告白に基づく浸礼を主張。(ブリタニカ国債大百科事典)

● 新宗教【しんしゅうきょう】=新興宗教とも。既成宗教に対して新しく興った宗教の意味であるが,その概念は必ずしも明確でない。歴史的には明治以降の成立が考えられるが,第1次大戦当時盛んとなり多くの教団の源流となった大本教をはじめ,天理教,黒住教などを除く見解もある。性格的特徴としては,教祖個人の呪術(じゅじゅつ)的性質やシャーマン的性質をもとにし,病気・貧乏・争いなどの日常的問題を超自然的な力によって解決しようとし,現世利益中心の教義が多い。新しい教説に基づいて教祖や組織者によって形成され,布教活動が盛んに行われる。在家・俗人主義で教職者でも俗人のままである。入信を導いてくれた人を〈親〉などと呼ぶ宗教的親子関係が擬制され,教祖は絶対化・神格化され,権威主義が支配的である場合が多い。教派的には神道と仏教の真言・日蓮宗系のものが多く,現在約600の教団が数えられる。(マイペディア)

● 宗教法人(しゅうきょうほうじん)=宗教法人法(昭和26年法律第126号)によって法人格を取得した宗教団体をいう。公益法人の一種。現行法においては、宗教団体が法人になるか否かはまったく任意であって、非法人であっても自由に宗教活動を行うことができる。宗教団体が法人格を取得することの意義は、団体の名により財産を所有し、維持運用し、訴訟その他の法律行為を行う能力を獲得することであって、宗教上の活動の自由とは無関係である。宗教法人は、税法の定めるところにより、一定の非課税規定の適用を受ける。/ 宗教法人になることができる宗教団体は、宗教の教義を広め、儀式行事を行い、および信者を教化育成することを主たる目的とする団体で、(1)礼拝の施設を備える神社、寺院、教会、修道院その他これらに類する団体、(2)前号に掲げる団体を包括する教派、宗派、教団、教会、修道会、司教区その他これらに類する団体、の2種類とされている(宗教法人法2条)。宗教法人は、法の定める要件を備えた規則を作成し、所轄庁の認証を受け、設立登記を行うことによって設立される。所轄庁とは都道府県知事または文部科学大臣である(同法5条)が、日本国憲法が信教の自由(20条)を保障し、そのために政教分離の原則を定めていることを受けて、認証申請が適法であれば所轄庁の裁量でこれを不認証とすることはできない(宗教法人法14条)し、宗教上の事項について監督、統制、干渉、調停をする権限もない(同法85条)。/ ところが、オウム真理教(2000年アレフ、2003年アーレフ、2008年Aleph(アレフ)に改称)が地下鉄サリン事件など、一連の犯罪行為を行ったことを契機に、1995年(平成7)宗教法人法が一部改正され、宗教法人は備え付け書類を所轄庁に提出することを義務づけられ(同法25条)、一方、所轄庁には宗教法人に対する一定の質問権(調査権)が与えられる(同法79条の2)など、宗教法人は所轄庁の管理下に置かれるものという色彩が強められた。しかし、これらの改正規定は、所轄庁の裁量権限を否定している同法の認証主義と整合性を欠くことになり、また憲法の政教分離原則に違反する疑いも払拭(ふっしょく)できないので、かなりの数の宗教法人が書類提出を拒否して抵抗の姿勢をみせるなど、多くの問題を残すことになった。(ニッポニカ)

● 無教会主義(むきょうかいしゅぎ)=明治・大正期のプロテスタント系キリスト教思想家内村鑑三が唱道,実践した信仰の立場とその運動。福音の理解は聖書そのものの正しい研究によってのみ得られるとし,また福音の本義は律法によるのではなく,キリストの恩恵と信仰のみによる救いにあるとした。日本固有の使命を認め,海外の教会からはもとより,あらゆる支援を退け,独立自主を主張,日本における既存教会の教会主義を批判,聖書的教会 (エクレシア) は認めながらも現状ではそのような教会はないとして無教会主義を唱えた。門下から俊英が輩出し,特に第2次世界大戦後,南原繁,矢内原忠雄らが出て,その思想界における影響力を示している。(ブリタニカ国際大百科事典)

● エホバの証人(えほばのしょうにん)(Jehovah’s Witnesses)(Watch Tower=キリストの再臨と千年王国の出現を信じ、現実の制度を否定して、19世紀後半のアメリカに発生した異端的宗派。ニューヨークのブルックリンに本部がある。教会の伝統と組織と教職制度を否定する思想を激しく表明するため、制度的なキリスト教界では異端と評価されて孤立しているが、一般社会では、キリストの再臨と聖書研究を強調し、輸血や柔剣道など格闘技の拒否、兵役の拒否を主張する一教派とみられている。この派の教義はC・T・ラッセル(1852―1916)が提唱し、J・F・ラザフォード(1869―1942)が体系化した。現世拒否のモチーフ(権力批判)がキリストの再臨信仰と結び付いているため、緊張の固持が信者の日常的言動を包み込み、その熱意は世俗の生活者と制度的宗教家をときに刺激する。日本での最初の指導者は明石(あかし)順三。1926年(昭和1)日本支部の灯台社が創立され、太平洋戦争後は48年に日本支部が、53年にものみの塔聖書冊子協会が組織された。なお、「ものみの塔」は「ハバクク書」(2章の2)に由来する。(ニッポニカ)

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若し灯火の 漏れ来ずば それと分かじ 

 時期は少し早いかもしれません。しかし、「秋の夕暮れ」がすっかり暮れきり、朝晩の冷え込みも身を震わせる、そんな季節になったと実感している。どこからともなく聞こえてくる、冬の露や霜に凍えそうな「幻の歌声」に唱和している自分がいます。それは「冬景色」(大正二年発行)でした。作詞作曲者は不詳となっています。この他にもたくさんの、誰が詞を書き誰が曲を作ったかが判明していない唱歌がたくさんあります。理由はいくつかあります。もっとも多いのは、学校に音楽を取り入れることに忙しかった明治初期から、その道の専門家が集まって音楽教育に資する(曲)作りを始めた。一つの曲にいろいろな人が関わり、今で言えば「集団合議」で仕上げていったとされます。何ごとにおいても出発する段階の姿勢や様子は、その方向を決めると同時に、多くの唱歌も複数人が関与して作られていった、その名残が「作詞者・作曲者不詳」というわけです。共同作業もまた、人間の生活には欠かせない機能を果たしてきました。まるで「短歌」や「俳句」を集団で作っていくような作業でした。                                                                       (ヘッダー写真は日本旅行:https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/9lFPa

 誰が作ったかわからないのは気分がよくないと思われるかもしれません。しかし、ものに形があるというのは、その大半は誰かが作った(作り手あり)ということであり、時間の経過とともに作者がわからなくなったり、最初から集団で制作したがゆえに、個人名を留めていないものが伝えられてきたのです。その典型を一つ上げると、「法隆寺」です。この寺を作ったのは「聖徳太子」だと冗談のように言われますが、太子は大工ではなかった。だから正解は「大工を始めとした職人たち」でしょう。でも個々の名前はまったく消えています。その多くは朝鮮半島を渡ってきた渡来人です。建築者の名前がわからないから、この建物はだめだ、という人はいません。むしろ、個人名や作者がわからないもののほうが、人間の生活では圧倒的に多いのです。 

 一例を上げると、「火」は誰が作ったか、誰にもわからないでしょう。もちろん「唱歌」と火や法隆寺は同じように扱えませんが、作者がわからないものは怪しいというのは根拠のない理屈、あるいは「好き嫌い」だけの問題になるのです。この島の「学校唱歌」にはいろいろな思いが籠められてきました。学校教育の中核として、特に重視されたということはできませんが、むしろ、算数や国語並みの扱いを受けてこなかったから、唱歌が純粋にぼくたちの胸にも心にも響いているのではないでしょうか(唱歌)。音楽という科目は好きでも嫌いでもなかったが、音楽教師の何人かに個人的に教わったり、ピアノやアコーディオンの手引をしてもらったという些細な経験が後々に影響を与えたともいえます。二十歳過ぎてから、ぼくは、暇にあかせて「唱歌」に思い切り時間を使い、自分流に「唱歌の歴史」を学んだことがあります。戦後はもちろんでしたが、戦前のもの、特に明治大正期の唱歌を丁寧に調べたのでした。その結果、得たものがあったかどうかは怪しいが、唱歌に歌われてきたものは「日本の生活・風景」であり、そこに働く労働の尊さではなかったかと思い至るようになった。

 本日、取り上げている「冬景色」の場面はどこにもありそうですが、どこと特定されない、「幻の場所」です。でも、それが特定されない「不明」の場所の情景だからこそ、その歌を聞いたり謳ったりする人は、自らに親しい場の思い出を、その風景や場所に重ねることで、歌の味わいを深めてきたのではなかったか。この「冬景色」を想起すると、ぼくはいつでも、まずは、京都の嵯峨広沢の池(そのすぐ近所に住んでいましたし、親父やおふくろの「お墓」は下の写真に写っている「山(持ち主は広沢山遍照寺)」の地主が経営する墓所にありますので、なおさら、ぼくには「冬景色」は広沢池の景色と重なるのです。

 「唱歌」は、明治・大正期には現実に生きられている景色や生活を歌いこんだものが多く、今日では跡形もなく消え去り、消されてしまったこの島の各地の「営み(生活・文化)」を、いろいろな曲調に載せて、幼い子どもたちに伝えようとしたものです。それを歌いながら育った人々にとっては、今はない過去の「人や生活」を偲(しの)ぶ縁(よすが)にもなっているでしょう。この「冬景色」の「詞」を繰り返し読んでみます。まさにこれは、和歌であり、俳句である、そんなことを言いたくなるような「言葉の世界」であり、風情や風景を描いた一編の画幅とも受け取ることができます。このように言って、ぼくは郷愁に浸るというのではありません。自らが生きた過去、多くの人と歩いた過去を、もう一度、自分に取り戻す、過去を自らの今に取り戻す、そんな意味合いを感じているのです。自らの細やかに過ぎる「歴史(人生)」を辿る行程でもあるとぼくは考えているのです。

 生涯に一度も雪を目にする機会のない人もいましたし、海というものを経験したことにない人がたくさんいました。そのような未経験の世界を満たしてくれたのも、多くは「唱歌」であったかもしれない。大声で謳ったり、季節を考えずに謳ってもいいでしょうが、季節に応じた歌が齎(もたら)す、感覚や感受性というものも大事に会いたい。わかったようなことを言っていますが、ぼくは、小学校の音楽の時間で唱歌を習った記憶がまったくないのです。不思議といえば不思議です。その大半は学校とは無関係に、学校を離れてから、いつもひとりでに歌い継いできたのではないかという気もしている。唱歌は、きっと、一人の人間の細胞に刻まれた季節感や場所のイメージに大いに貢献してきたと、ぼくひとりは考えているのです。

(一)さ霧消ゆる 湊江の 舟に白し 朝の霜 ただ水鳥の 声はして いまだ覚めず 岸の家               (二)烏啼きて 木に高く 人は畑に 麦を踏む げに小春日の のどけしや かへり咲(ざき)の 花も見ゆ                                                          (三)嵐吹きて 雲は落ち 時雨降りて 日は暮れぬ 若し灯火の 漏れ来ずば それと分かじ 野辺の里

*「冬景色」(https://www.youtube.com/watch?v=oA_KqAHgV-A

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