和して同ぜず、同じて和せず(三)

 「毎日が四月朔日(ついたち)」、それが政治家の明け暮れ、変わりない暦というものなのでしょう。その心は「 April Fool」です。「嘘をついても、嘘をつかれても」許されるというのですから、相当に神経が図太いか、あるいは無神経(insensitive)でなければ務まらない職業だと思われます。「嘘が真であり、真が嘘である世界」とは?政界の常識は世間の非常識で、世間の常識は、ぼくにとっては非常識ということになれば、なんともややこしい、煩わしい社会に生きていることになります。

 どんなに嘘つきと言われても、「あれは千三(せんみ)つだから」と呆れられつつ、存在が許される(かどうか、怪しいが)。あいつは嘘つきで、千の内、三つしか本当のことを言わないのだ、と。ぼくがもっと好きなのは「万八(まんぱち)」です。《万の中で真実なのはわずかに八つだけの意》(デジタル大辞泉)この偽名で、小さな原稿(コラム)を、あるところにしばらく書いていたこともありました。それほどに「嘘」はつきたいものであり、つかれたくないものなんですね。この流儀では達人の域にある政治家にはどんな冠をつけたらいいのか。使いたい言葉が出てきません。

【正平調】うそつきと政治家を結びつけることには「異論がある」と、作家の星新一さんがエッセーに書いていた。希代の皮肉屋がなぜ、と意外に思ったら続きがあった◆「政治家はうそつきではない。なぜならうそをついているとの意識がなく、とんでもないことを本気でそう信じているらしいからである」(「きまぐれ星のメモ」)◆たしかに世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係をめぐる数々の“弁明”を聞いていると、そんな気になる。地元での深い関係が明らかになった自民党の萩生田光一政調会長も最初は「特別、承知の上でお付き合いをしていたわけではない」と余裕だった◆最近、目を引いたのは山際大志郎経済再生担当相。関連団体主催の会合への出席を指摘されると「当時の資料がないので確認できない」を連発した。この人は手帳でスケジュール管理をしないのだろうか。多忙だろうに◆ボードレールの詩がある。〈見よ、見よ、此処(ここ)に、偽りの顔の後(うしろ)にのけ反りて 酷(むご)たらしく痙攣(ひきつ)れる、真の首あり、実の顔あり〉(「仮面」より、斎藤磯雄訳)◆自民はようやく全議員の調査を始めたが、もう結果に驚くことはない。弁明がうそであれ、本気であれ、〈真の首〉と〈実の顔〉が見えたことだけは、はっきりした。(神戸新聞・2022/08/31)

 自分のことを棚に上げておいて、「この嘘つき!」と、他人を詰(なじ)る、誰にでも覚えがあるでしょう。それでも、毎日が「四月朔日」というのですから、相当にしんどいことで、それなりの根性というか、覚悟(修練)が必要になる。洋の東西を問わず「政治家は嘘つき」というのが相場らしいと、大体の見当は付きます。というより、「嘘つきが政治家なのだ」といったほうが正確です。「嘘つきは泥棒の始まり」ともいいますが、その言われるところは「悪いと思わないで嘘をつく人は、泥棒をするのも平気になるということ」(デジタル大辞泉)さすれば、政治家はまっとうな「泥棒」だということになりますね。この実例のお手本になるような、稀代の政治家がいました。疑惑をかけられても、嘘で塗り固めて逃げ切りを謀っていた。果たして、逃げ果せたのだろうか。小心が大悪を犯す。

 泥棒とは、他人の物を盗む輩であり、それ故に、政治家という「嘘つき」は選挙民の「投票」を盗み、「票に託した願い」を盗む。更に言うなら、民衆のなけなしの「善意」をいとも軽々しく盗んで、溝(どぶ)に捨てるような人を言うのでしょう。つまりは、政治とは、根本において「盗むこと(steal)」で成り立つ職業です。選挙民に向かって「平然と嘘をつく(公約という)」のが選挙運動という、自己(虚偽)主張であり、その習性は変わらず、国会議事堂においても、姿が見えない国民に向かって(テレビを介した、衆人監視の中で)虚言を吐く。それが政治だと納得するには、あまりにも「国民」は愚弄されていると、ぼくのような気の弱い人間でさえ、怒りが湧き出してくるのです。つまり、政治家という職業人は、自分が相手にしているのは人間ではなく、人間の顔をしている「木偶の坊」だと見做しているにちがいない。だから、平然と嘘をつくのだ。嘘をつくことに疚(やま)しさがないのですから、それを「嘘つき」と詰(なじ)るだけ、当方の気持ちが、次第に壊れる、萎えるというものです。しかし、軒並みに「嘘とわかる嘘をつく」連中が出てくると、見ていて、反吐さえ出なくなるのですから、面の皮の厚さと他者を愚弄することにかけては、並み居る政治家は「見上げたもんだよ」と、うっかり感心してしまいそうになる。(左上の「コラム」は東京新聞)

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● エープリル‐フール=〘名〙 (April fool) 欧米の習慣で、四月一日は嘘をついてもよい日として楽しむこと。本来はだまされる人のことで、フランスでは poisson d’avril (四月の魚)という。キリストがユダヤ人に愚弄されたのを忘れないためとも、キリストの命日ともいい、あるいはインドの揶揄節(やゆせつ)に基づくともいう。日本には大正ごろ(一九一二‐二六)に伝わった。万愚節四月馬鹿。《・春》(精選版日本国語大辞典)

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 交通違反切符を切られると貯まる「違反点数」のように、あからさまな「嘘」とわかる嘘を吐(つ)いたら「虚偽点(嘘つき偏差値)」が貯まるようにし、一定の点数に達したら、公民権停止としたらどうか。でなければ、この状態では「嘘の皮」が政治家だけでなく、マスコミにも波及・感染する(すでに感染中か)からだ。マスコミの連中は、「▼さん、それは嘘だ」「✖先生、いまのは嘘でしょ」と、絶対に言わない。政治家と深い交わりをしているのだから、どんなに鈍感でも真偽はわかろうというもの。わからないなら、よほど感度は不良で、マスコミ人には向いていない。政治家向きかな。わかっていてもわからないふりをするのは、すでに「政治家の仲間」だとみなす。

 今頃のマスコミ界には「政治家」顔負けの、錚々たる紳士淑女(会社員)記者(ブン屋じゃない)たちがいるというのも、流石(さすが)に、この社会の現実ですね。テレビ草創期に(某放送協会の制作する)「事件記者」という番組がありました。警視庁記者クラブのようなところに屯している「各社の事件記者」が、まるで刑事顔負けの張り込みや犯人探しをするというもの。どんなに難解な事件でも「きっちり、三十分」で解決していました。暇な折に腰掛ける飲み屋があり「瓢(ひさご)」といった。その女将がなかなかいい雰囲気の女優さんでした。(ぼくの中学時代の記憶)(番組では、政治ネタは扱わなかったかも)実話ではなくとも、実話(現実)を下敷きにしたドラマだったと思う。トップ屋と名指された週刊誌の記者もいた。何が真実か、それを必死でを追っかけていた時代でした。職業には、その職業にふさわしい義務感というものがあった気がします。

 すべてが「大本営」側の人間では、もはやマスコミはいらない。語るに落ちた嘘を平気で垂れ流す政治家に、誰一人として、水もかけない、いや洟も引っ掛けない、そんな報道陣は滓(かす)だか、屑(くず)だか、どっちにしても掃いて捨てるしかない。罵倒してご覧よ、民衆が背中を支えているからさ。いつの頃からか、政治家になりたがる「ブン屋」くずれや「放送人」あがりが叢生しているのは、こんなに美味い商売があるのかと、政界を、常々見ているから、すべてを熟知したからでしょう。マスコミの人間として「政界の人々」を見ていると、いかにも「隣の芝生は青い」という気になるのかも。他人がどう動こうと、ぼくには関係ありませんから、そのことをとやかくいうのではない。役人から、あるいは、新聞・テレビ界から政治家に転出・転身するのもいっこうかまわない。芸能人から政治家に早変わりするのも結構でしょう(本音は嫌ですが)。国会は「二世(偽・にせ)」や芸能人上がり、スポーツ界崩れなど、それぞれが「功なり、名を遂げ(かけ)た」名士たちで満杯です。いい国作るよ、源頼朝、かね。(1192.1917)(左写真は「オンライン」の不思議な光景、違和感がないのかね、画面前に居並ぶ「木偶」諸君よ)

 しかし、政界の住人になった途端に「嘘つきが始まる」のはどんな因果かと、ぼくは訝(いぶか)るのです。天性の「嘘つき」が、今までは隠していたが、「政界」では天真爛漫に振る舞えるから、嘘をつき出すのか。それとも、政治家になるというのは、嘘をつくことだという「仁義」を切るからでしょうか。どなたも、じつに見事に「嘘つき」になりきっている。こんな輩に大枚の税金を払うのは、「お天道様」が許さないのではないか。たとえ、お天道様が許しても、ぼくは断じて許したくないね。

 これまで、政治家は「嘘つき」とか「嘘をつく」といってきましたが、じつは、それにとどまらず、もっと恐ろしいことが進行しているのです。率直にいうなら、選挙民、あるいは国民を、著しく「愚弄」しているということ。図抜けた厚かましさで、平然と、堂々と「嘘をつく」、それも明日の天気は晴れとか雨などというのはご愛嬌です。自体は深刻、じつに深刻劇だね。人間の深いところで感じられる「人間性」「人間の感受性」などという、それなしでは人間であることが困難な「資質」を失ってまで、政治家である理由はなんですかと、ぼくは問いたい(と、一応は言ってみるが)、それは無駄ですね。ぼくごときの手に負える代物ではないでしょう。

 彼や彼女(政治家)に、最も欠けているのは「誠意」「誠実」です。それがなければ、人間じゃないとは言わぬが、人間として大事なバックボーンを失ってしまうのです。それをして、歴史的には「木偶の坊」と言ってきた。もしそうならば、木偶を使いこなす存在があるはずです。それは何者か。まさか、国民(選挙民)だというのか。政治家は選挙民を愚弄し、選挙民は愚弄されながら、政治家を使い倒している、これが「倭(やまと)的民主主義」、つまりは相身互い身であり、持ちつ持たれつであるということになるのかしらねえ。まるできつねとたぬきの、騙し合いと騙され合いで、いかにも深い、欺瞞に塗(まみ)れた、汚らわしい友情(契)に満たされているのかもしれない。ぼくも選挙民であるのを、いまさら隠さない。

 この劣島には、先の展望はまったくないというほかありませんね。(たとえ駄文とはいえ、本気で怒りだしそうになってきて、ここで何が飛び出すかわかりませんから、本日はここまでにします)

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「死もまた、社会奉仕」と湛山は書いた

 国葬考(その二)…「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」元総理の「国葬」処遇は憲法違反。「国葬」挙行の理由如何?(下記参照)。悉く「賛同」できぬ。在任中の「非政治的業績」は、「虚偽答弁」が惹起した信用失墜(不信拡大)、「アベノミクス」による財政破壊(「日銀は政府の子会社」)、「国権の無視(「私は立法府の長」)」、「北方領土」「拉致問題」などの政治的悪用。刹那的・恣意(個人)的政治行政により国益を激しく毀損、行政長たる地位を濫用した「(独善的)公私混同」によって政治本来の筋道を著しく歪めた。最たるものは「旧統一教会(カルト)」との癒着だ。石橋湛山は山縣有朋逝去に遭い、「死もまた社会奉仕」と直言。国主宰の「葬儀」ではなく、「国を葬る儀」とすべき理由は素朴そのもの。社会健全化のためにも。「(「言うべきことは言う」第六回)(2022/08/30)

(写真は東京新聞・2022/07/22)

 「地獄の沙汰も金次第」とは、この浮世のえげつない拝金主義を呪った言い草です。元総理が凶弾に倒れ、非業の死を遂げた機を捉えて、有象無象が、「その死」を(表向き)大いに悼みつつ、最大限にそれを、自らの権力・権限拡大のために利用しようとしています。人民の意向(の大勢)は「国葬」反対。にもかかわらず、政府与党等は、挙行・強行するのです。(左図表は東京新聞・2022/08/19)

 「国際社会から極めて高い評価」が出ているとするが、それは「外交辞令」、つまりはおべんちゃらだ。「憲政史上最長の在任期間」といって、その「憲政」を踏み躙(にじ)ったのが「最長期間」の総理だったではないか。「経済再生」ではなく、「経済再生不能」にまで悪政策を強行したのです。「大きな実績」とは、どこを探して言うのか。「最大の空虚・虚無」だと、ぼくは、再三に及んで、言ってきました。かかる「宰相」をあてがわれた人民は、不運であり不幸だったと、今にして(今だから、か)言うべきでしょうか。ぼくたちに、「政治の質」や「政治家の品性」を見る目(観察力)(政治センス)がなかったと言われても仕方あるまい。

 繰り返して言いました。国葬は、「やりたければ、どうぞ」、と。ただし、それは「国を葬る」儀式としての「国葬」です。国という機関が健全に機能する気遣いはないとぼくが考えるのは、その機関を運営するのは「政治的人間」「権力志向人間」ばかりだからです。政治的人間とは、自分一個の欲望の赴くままに、権力を行使したがる性癖に淫した存在のこと。そのような行政府の(肥大化する)権限による「統治(運営)方式」が避けがたいのなら、政治家や官僚(役人)、つまりは当局者には(可能な限りで)限定された権限のみを付与すべきでしょう。(「小さな政府」とは何か。これは宿題にしておきます。後日)

 これもすでに何度か触れましたが、ぼくは「アナーキー(無政府主義)」論者です。今や、政治的権限が大きくなりすぎて、守るべき人民の生命や財産を破壊し、蹂躙することが政治権力だと錯覚する輩が多出している。人民に対する「生殺与奪の権」を持っていると、恐ろしいまでの錯覚(勘違い)を自覚していないのだ。その挙げ句が「戦争」をしたがるという「暴力信奉」の持ち主です。いまも、いくつかの地で「戦争」が生じている。国民(人民)のだれかが「戦争しよう」と言ったから、戦争が始まるのではない。「臥薪嘗胆」「鬼畜米英」と雄叫びを上げ、根拠のない暴走に傾き、自らの政治的野望として「他国併呑(植民地化)」をぶち上げる「不道徳」な権力者がいるからです。

 恐らく、権力者は、悉(ことごと)く「不(非)道徳」なもの、と言いたくなりそうです。その「堕地獄」から遠ざかるのは不可能に近い。それほどに「政治権力」は、まともらしい人間を堕落、頽廃させる。その危険性を自覚している「政治家」は、果たしているのでしょうか。「権力の誤用」が常識となるのが、政治の世界であり、逆に「政治道徳」は二律背反で、道徳心は、そこでは棲息できないのではないかと思ってしまう。それは八百屋で「カツオ」を買おうとするようなもの。まことに笑止そのものではないでしょうか。

 今般の「国葬」問題の背景は、じつに単純で、「法の下の平等」を踏み躙る政治権力が、「憲法蹂躙」を繰り返した元総理を顕彰し、それによって「おのが権力・名誉」を得ようとするからにほかなりません。憲法を土足で踏み躙った元総理を弔う主が、同じく泥靴で憲法を踏み躙ってまでやろうとする現総理だというのです。「憲法」遵守を蔑(ないがし)ろにし、それでもなお政治家を続けているという、驚きべき厚顔の面々です。「顔厚忸怩(がんこうじくじたり)」という「姿勢」は絶えて見られない。「俺(お)ら、こんな国いやだ」

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 「国を葬る」儀式に遭遇するとは

 国葬について(その一)…浅薄かつ空無な「政権在位」が史上最長とされた「故総理」の「葬儀」が八百長芝居の舞台で開幕寸前だ。今や「国葬反対」の怨嗟の声は拡大一途。人みな反対の折り、敢えて「国葬賛成」を開陳する。「国葬」と書き「国を葬(ほうむ)る」と読む。誰が「国」を葬るのか。故総理であり、その「死」を悪用した政治家や政党、それに「右に倣え」をする共謀者たちである。「国を葬る」儀式なら、素直に賛成したい。国土に住む民の安寧や平和への切願を一切等閑無視、「権力欲」の醜悪極まる剥き出しの連鎖が「国葬」に行き着いた。現総理は、故総理が手を染めた「カルト集団」との連携共謀に、故人と「同穴の契り」を結んだ。「宗教政治=祭政=カルト」という忌まわしい「レガシィ」相続を宣言したのだ。加えて、原発再稼働と新規増設という「ルビコンを渡る」愚挙に出た。自らの言語も思想も責任感も持たぬ「能天気」は「国葬」に華を添えたがっている。頑陋至愚。(「言うべきことを言うだけだ」第五回)(2022/08/29)

 故人に向かって「哀悼の意」を捧げるのは、大切な人情です。しかし、葬儀の方法には人それぞれの考え方がありますから、内閣が「国葬」にすると決めたから文句を言うな、とは通らない理屈だろう。閣議決定というと、いかにも「公的」に思われるが、虚仮威しに過ぎぬ。ある故人は「国葬」で、別人は「民葬」だとするなら、そこには決定したものの恣意が入る。生まれるときも死ぬときも、「私(わたくし)=私人」、それが真実なのだ。誰彼にも存する「私事私情」というものが宿している、厳粛な趣(おもむき)を尊重したい。原敬が、東京駅頭で凶刃に倒れた際、その妻は直ちに遺体を引き取り、「亡くなれば私人です」と、「国葬」の提案を拒絶したという。(原敬はそれほど好みませんが、連れ合いの女性の心意気には高いものがありましたね)

 「政府は、安倍晋三・元首相の「国葬(国葬儀)」について、国民への理解を広げることに注力する。多くの海外の首脳級要人の参列が見込まれるため、安倍氏の外交面でのレガシー(政治的遺産)の継承を内外に打ち出す「弔問外交」の舞台としても活用する考えだ(以下略)」(左写真も。読売新聞・2022/07/21)

● 国葬(こくそう)=国が国家儀式として、国費で行う葬儀。第二次世界大戦前には、1926年(大正15)従来の先例・慣例を法制化して国葬令が制定され、国は、法定上行われるものと、特旨によるものの2種とされた。前者は、天皇太皇太后皇太后皇后大喪と、皇太子、同皇太孫、同妃、摂政(せっしょう)たる親王、内親王、王、女王の喪儀(7歳未満の皇太子、皇太孫の死去は除く)である。特旨によるものは、国家に大きな功労のあった者と、死に際してとくに勅旨のあった者の葬儀で、皇族も含まれていた。国葬当日は廃朝で、官庁と学校は休み、歌舞音曲は停止または遠慮し、全国民は喪に服し、国葬を厳粛に送ることとされた。国葬は神道(しんとう)式で行われ、葬儀の事務は国の機関が担当した。第二次世界大戦前、特旨により国葬が行われた者は、1878年(明治11)の大久保利通(としみち)の準国葬以後、次の皇族8名、一般人12名である。岩倉具視(ともみ)(1883)、島津久光(ひさみつ)(1887)、三条実美(さねとみ)(1891)、有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)(1895)、北白川宮能久(よしひさ)親王(1895)、毛利元徳(1896)、島津忠義(1897)、小松宮彰仁(あきひと)親王(1903)、伊藤博文(ひろぶみ)(1909)、有栖川宮威仁(たけひと)親王(1913)、大山巌(いわお)(1916)、徳寿宮李太王煕(とくじゅのみやりたいおうき)(1919)、山県有朋(やまがたありとも)(1922)、伏見宮貞愛(ふしみのみやさだなる)親王(1923)、松方正義(まさよし)(1924)、昌徳宮李王(しょうとくのみやりおうせき)(1926)、東郷平八郎(1934)、西園寺公望(さいおんじきんもち)(1940)、山本五十六(いそろく)(1943)、閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王(1945)。(⤵)

 戦後は、「皇室典範」で天皇の大喪儀を定めている以外は、国葬の明文規定はない。1967年(昭和42)10月20日、元首相吉田茂の死去に際して、臨時閣議の決定によって、10月31日、日本武道館で戦後最初の国葬が行われた。また89年(平成1)2月24日、昭和天皇の大喪のが新宿御苑で行われた。(ニッポニカ)

 密かに想いを寄せていたかと思われる、一女性が亡くなった際に、漱石が詠んだ句が忘れられません。      ・ある程の菊投げ入れよ棺の中

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自然も息をしている、森は生きている

 【明窓】土砂崩れは大地の深呼吸 自家製みそにする大豆を自然栽培で育てており、この時季は週末の早朝、草刈りにいそしむ。根こそぎ刈ったり抜いたりはしない。どの草も必要だから生えており、草の頭をなでるように刈る。すると地中で細根が増え、土が軟らかくなる。徹底除草すれば土中は一気に乾燥し、イネ科などの強い植物がはびこる▼山梨を拠点とする造園家で環境再生医の矢野智徳さんは、これを「風の草刈り」と名付ける。矢野さんを追ったドキュメンタリー映画『杜人(もりびと)』を先日、雲南市で観賞した▼植物が枯れ生き物が減りゆく各地を巡り、矢野さんは「大地の呼吸」が弱っていることに気付いたという。大地の血管である水脈がコンクリート構造物でふさがれて、水と空気が循環せず、固まり傷んでいるのが原因。そこでスコップや重機で穴や溝を掘り、分断された水脈をつなぎ、窒息寸前の大地に息を吹き込む。「土砂崩れは大地の深呼吸。息をふさがれた自然の最後の抵抗」。矢野さんの言葉が深く胸に刺さった▼作家の故石牟礼道子さんも、テレビ番組で同様のことを言っていた。場所は、抗議活動で足を運んだ水俣病の原因となった工場の本社前。アスファルトに覆われた街の姿に「東京の大地は生き埋めになっている。その上のビルは近代の卒塔婆だ」と▼コンクリートの堅さで災害に強い地域を目指す国の国土強靱(きょうじん)化(か)対策が時にもろく、恐ろしく感じる。(衣)(山陰中央新報・2022/08/28)

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● 矢野 智徳 (やの とものり)元 一般社団法人 大地の再生 結の杜づくり 顧問 合同会社 杜の学校 代表=1956 年福岡県北九州市生まれ、花木植物園で植物と共に育つ。東京都立大学において理学部地理学科・自然地理を専攻する。全国を放浪して各地の自然環境を見聞し、1984 年、矢野園芸を始める。/ 1995年の阪神淡路大震災によって被害を受けた庭園の樹勢回復作業を行う中で、大量の瓦礫がゴミにされるのを見て、環境改善施工の新たな手法に取り組む。/ 1999 年、元日本地理学会会長中村和郎教授をはじめ理解者と共に、環境 NPO 杜の会を設立。/ 現代土木建築工法の裏に潜む環境問題にメスを入れ、その改善予防を提案。在住する山梨県を中心に、足元の住環境から奥山の自然環境の改善までを、作業を通して学ぶ「大地の再生」講座を開催。(https://daichisaisei.net/#about)

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 もう二十年の昔になりました。知人でもあった、沖縄の建築家Mさんが「沖縄県は、一人あたりのコンクリート(セメント)消費量は世界一」だと言われていたことを思い出します。地形的な問題から、「台風の通り道」とも呼ばれていたのですから、むべなるかなと、強く記憶に残りました。また、その昔話とほぼ同時期、「コンクリートから人へ」という軽薄なキャッチフレーズを飛ばした政党や政治家がありましたが、コンクリートならぬ「人材不足」と「不勉強」で政権の座を奪われた(転げ落ちた)ことがあった。それに変わって登場したのは、旧来型の土建国家建設で政治を占拠・独占した利権第一主義の政治家たちでした。「国土強靭化」などという、おぞましい政策(なのか?)、いや政治題目で、劣島をコンクリートで固めようとしたのでした。コラム氏が書かれている石牟礼さんの表現(告発)の場面を、ぼくはよく記憶しています。「東京の大地は生き埋めになっている。その上のビルは近代の卒塔婆だ」いよいよ、「現代の卒塔婆」は高さを競っている。愚かしいこと限り無し。(右は熱海の崩落事故現場、2021/07/04。下も)

 この一月ほどの間、日に数時間の割で、「草取り」を続けてきました。敷地内の大方を済ませたところです。最初に刈り出したところには、すでに別の草が、元気に成長している。この繰り返しで、まるで「いたちごっこ」ですが、ぼくはまず「除草剤」は使わない主義です。大した理由はない。草木が枯れる(死ぬ)ということは、間違いなく人間にも、動物にも危険が及ぶと経験済みだからです。除草剤や殺虫剤に関しては、これまでにも何度か触れています。要するに、ある環境に住んでいる(棲息している)「生命体」を外部からの毒性の威力で「根絶やし」「絶滅」にするということでしょう。どうしても、やむを得ずという場合もありますから、必要最低限度の使用に気を配ってきました。除草という「切のない作業」は、少なくとも、年に三回は行うことにしています。

 ぼくが住んでいるところは、標高百メートル。小さな山の頂上です。大雨が降ると、しばらくして「地下水」の流れる音がはっきりと聞こえてくる。ものすごい勢いで流れている。その地下水道の真上に住んでいることになります。もちろん、湿気が多くて生活に支障を来すことはありますが、それをコンクリートで固めて地下水脈を閉ざすという考えは起こってこない。近所の田んぼの畦道は、大半が土ですが、中には護岸よろしく、コンクリートで固めているところも見られます。年々、それが少しばかり増えてきたように感じています。

 「土砂崩れは大地の深呼吸。息をふさがれた自然の最後の抵抗」という指摘はそのとおりでしょう。三年前の今頃、台風の直撃で街に出る道路は崩落した。山に降った雨水の流れる道が奪われていたから、自然の摂理で、坂道を下るように、土砂を削って流れる道を作った結果、道路は何箇所か崩れ、つい最近まで、その修理に時間と金を費やし、それ以前よりさらに強固なコンクリート道路を作ったのです。台風の爪痕はまだ何箇所か残されており、その修復の過程もつぶさにたどれる。前よりも強靭で強固な工事をしたのでしょうが、それを上回る豪雨はきっとやってくる。それに負けじと、「国土強靭化」が叫ばれるという仕組みで、土建業やそれに群がる政治家たちが利権を漁(あさ)る・得る仕組み(政治)が整っているのです。

 築二十年、三十年の家屋(多くは木造)を重機で破壊している現場に遭遇して、何度も辛くなった経験があります。作るのと変わらないような費用がは破戒するのにかかるという、どういう魂胆なんでしょうか。コンクリート造りでは半世紀しか維持できないが、木造なら、一世紀にわたり住んで生活することができます。よく暇にあかせて、ぼくは法隆寺などのことを調べたりしました。創建当時使用された檜(ひのき)の部材は樹齢千年を超えていたといいます。それからさらに千年以上が経過して、なお「ひのき」は生きていると言われました。山と川は兄弟です。一体不可分の「全体」を構成しているもので、山を荒らせば川が暴れることは、誰にもわかりやすい現象です。にも関わらず、山を荒らし、川を暴れさせて、その御蔭で「国土強靭化」政治が止むことがないのでしょう。(「杜人」予告編https://www.youtube.com/watch?v=ySrnMT2v1ls&t=224s

 この時世、まだ機会が得られていないので、「杜人」は観ていない。おおよその見当はついていますから、急いで出かけようとは思いません。加えて言うと、この矢野さんのような方は、各地に沢山存在しておられ、それぞれが貴重な仕事をされていると思う。小さい頃から、近所に植木屋さんや林業関係の仕事をされている家があったので、自然に森林や植物に親しくなった。思い切り、それに近づいて職業にするということはありませんでしたが、ぼくの関心は一貫していたように思います。樹木医という職業の職人の何人かを、ぼくは知っています。

 いらぬ心配かもしれませんが、今年は「台風の当たり年」のような予感がしています。たくさん来るというのではなく、大きな被害をもたらすものが「いくつか」襲来するのではないかという危機感です。想定を遥かに超える豪雨はすでに何度も経験しています。自然現象が、純粋に「自然の出来事」とはいえない状況で、ぼくたちは大きな被害を受け続けている。こうなると、避けられる「戦争」と同様に、「准自然災害」(一義的には人災)から生命や財産を守護する確実な方法はどこにあるのか、それが問題となるでしょう。石牟礼さんの言われる「卒塔婆」は、高ければ高いほど値打ちがあると、誰が決めたのでしょうか。ひょっとすると、「なんとかも煽(おだ)てれば木に登る」の同胞ではないんですか。

 じつに迂遠な話に思われます。しかし「杜人」が成し遂げようとしている道を歩き続けることから、避けられる・避けられたであろう「災害」に遭遇しないで生きることが可能となるにちがいありません。今日の都会の「風物」はタワーマンションですね。これをして「バブルの塔」、いや「バベルの塔」と言ったらどうですか。すでにその条件は備えているし、何年か後には、始末に負えない「卒塔婆」となっているはずです。誰が、線香を上げるのか。

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● バベルの塔(バベルのとう)(Tower of Babel)=旧約聖書創世記』中に出てくる塔。大洪水のあと同じ言葉を話していたノアの子孫たちは,東方のシナルの平野に移り住んだとき,民族の分散を免れることを願って,煉瓦瀝青を用いた町と,天に達するような高い塔とを建設することを企てた。ヤハウェはこれを見て同一言語を有する民の強力な結束と能力を危惧し,彼らの言葉を混乱させ (バーラル) ,その企てをはばんだ。民は町と塔の建設を断念して各地に散った。この町はバーラルという語の発音に似せたバベルと呼ばれるようになった。この物語は,民族と言語の多様性を説明すると同時に,神と等しくなろうとする人間の罪を描いている。こうしてバベルの塔はノアの子孫たちの分散の原因となった (11・1~9) 。ただし『創世記』 10章における諸民族の成立の記事にはこの塔のことは触れられていない。バベル (バビロン) はアッシリアでは「神の門」の意味であるが,『創世記』はヘブライ語の語根バーラルと結びつけている。なおこの塔は,ジッグラトと呼ばれるバビロンのピラミッドをさすという説もある。(ブリタニカ国際大百科辞典)(左はブリューゲル画による「バベルの塔」)

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 治水・治山が国を起こすし、その反対に、治山や治水を騙って、人間の都合で乱開発する「自然破壊」は国を、いや土地や土地に住むあらゆる生命体(森羅万象)を滅ぼすことになるのです。環境問題は、地球規模で起こっている。ということは、ぼくたちの身の回り、生活範囲においても、当然のように生じていることになります。ペットボトル一つの始末に、実は困難を感じているのが現実です。リサイクルされるものの何倍もが、投棄され、環境汚染源になっている。海洋汚染は、少なくとも海洋環境に生息する「生物」を汚染し、翻って、それを食料とする人間にも危害が及んでいるのです。環境汚染の連鎖と言うべきです。人間もまた、「生態系」の環からは免れていない。 

 では、どうすればいいか、現実に発生している多くの問題は(頭では)理解されている。しかし、そのとおりに実行実施すれば、現在のコストを遥かに凌ぐから、結局は「今だけ」「この時代だけ」という、勝手主義や商売根性が汚染や破戒の修復不能状態を、近未来あるいは将来に確実に回しているのです。極めつけの「刹那主義(ephemeralism)」というべきです。

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会社の方針らしい、但し異様です

 【天風録】会社の方針、異様です。 パソコンやスマホで文章を作るとき、入力した文字が思わぬ字面に化けることがある。「それは会社の方針とのこと、正しいようです」。そう書いたはずが、画面に現れたのは「それは会社の方針とのこと、但(ただ)し異様です」▲変換ミスを集めた日本漢字能力検定協会のコンテスト「年間変漢賞」の上位作品にあった。16年も前に切り抜いた記事だから、今は昔の話と思っていたら…。この会社では20年前から、異様な方針がずっと続いていた▲トラック製造の最大手、日野自動車である。偽のデータでエンジンの排ガスや燃費の試験をすり抜けていたという。新規まき直しの調査報告書から1カ月もたたず、新たな不正が明るみに出た。泥沼はどこまで深いのか▲「上に物を言えない」「できないことをできないと言えない」。調査報告書が非を鳴らした「言ったもの負け」の企業風土。そうした上意下達の土壌は、ほろ苦いことだが、「言われたことをよく聞くのが良い子」という学校風土の延長線上にある▲例の作品集から、もう一つ引く。「常識力検定を導入してはいかが」が、「上司気力検定を…」に。どちらの力も、出題や採点は部下に任せる方がいい気がする。(中国新聞・2022/08/25)

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 今だって問題にされるのですが、原稿を活字にする作業で不可欠なのが「校正」です。ぼくも、数は少ないけれど、これまでにも原稿を書かされ、それを一冊の本にしたことが何度かあります。これはいいことか悪いことか、ぼくは一度だって本を出してほしいと出版社に頼んだことがない。第一、わざわざ原稿を書くという作業が苦手中の苦手だったから。しかし、「書くのは考える練習」だから、決して嫌いではなかったが、それをどうして出版するのかという、その乗り越える溝が大きかったのです。浮世の付き合いで、原稿を書いて(本を出して)くれまいかという、奇特な出版社が、あるいは編集者がいた結果、ぼくは気後れしながら原稿を書いた。いまから半世紀前から、そんな「不承不承」という不心得が続いていました。原稿を出版社に渡し、戻ってきた「ゲラ刷り」に手を入れる作業が、ぼくには面倒この上ない仕事でした。「校正」という作業です、それは、ぼくには切りのない作業で、何度も何度も「校正」をするので、原稿を書いてまでして、本を出版することは向いていないと気がついたのです。

 大半の人々は「完成原稿」を編集者に渡すのでしょう。ぼくにはその「完成」がいつまで経ってもやってこないという、一種の悪癖が根っこにあるということがわかった。だから、いつも編集者に叱られながら「いい加減にけじめを付けてください」と言われるのがオチでした。原稿を書くのは簡単ですが、それを「完成」させるのは、ぼくには至難の技でした。いつまでも、ぼくのものは「草稿(ドラフト)」のままでした。やがて、原稿も「手書き」から「Word」というソフトで作るようになったら、ぼくの「校正病」は際限がなくなり、「病入膏肓 (やまいこうこうにいる)」という具合になりました。ぼくの「校正」の方法、つまりは原稿の直しは、じつに単純で、「字数を削ることが第一にあり、その中で文意を損ねないように手直しするのです。これはじつに面白い作業(遊び)で、ぼくは、今でもすっかりそれにハマっている。同じ文意を、より少ない字数で言おうとするのですから、勢い、そこに「推敲」という暇人の、趣味のような「遊び」が行われるのです。

 どういうことかというと、まず字数が「百字」のものを「七十字」に削り、さらにそれを「五十字」に減らす。字数が半分になったから、原稿の質も半分になるのかどうか、それは自分ではわからないが、だんだん「スッキリしてくる」という気になってくるのです。(このブログという「駄文録」ではそれをしない、しているとキリがないから、「一日一題」はおぼつかないという点もありますから。もっと大きな理由は、原稿をいじるのが面倒だからです。この駄文の記録は、すべて「書き下ろし」、いや「書き放し」「書き捨て」です。「旅の恥はかき捨て」というでしょう。行き交う時もまた旅人ですから。

 一旦書いたら、まず「校正」はしないという勝手な原則です。もちろん事実の間違いや、明らかな誤字は訂正しますが、急いで書いたり(キーを打ったり)、間に合せに書くものについては「校正」、つまりは「変換ミス」などは訂正しないままであることがほとんどです。実に恥ずかしい話ですが、それが実情。ところが、この「変換ミス」にも、時には仰天するような傑作があるから、始末に悪い。まだ教師まがいをしている時、「次の文章に、変換ミスと思われるものがいくつかあります。それ(ミス)のない文章に直してください」などというふざけた問題を作っていたことがありました。

 この駄文録は、誰もが読まれないことを想定して原稿を書いているのが、こんな横着な態度になってしまっているんですね。後で見直して、あまりにひどい「間違い」、大半は「変換ミス」ですが、それも「公開」してからしばらくして、読みながら直すことがあります。直しに入ると、際限がなくなるので、それもまた「中途半端」で留めておきます。こんな文章にならないものをも読んで下さる方々には、「まことに申し訳ない」という気持ちでいっぱいです。

 コラム氏の指摘について。この日本漢字能力検定協会は「流行語大賞」などを主催している団体です。いつでしたか、お金にかかわる事件を起こし、いろいろと取りだたされたことがあります。いまは、この「年間変換賞」はやっていないようですね。自らが「社会的変換ミス」を犯し、味噌をつけたからかどうか。手書き原稿時代には「校正」が不可欠の編集作業でしたが、著者が正しく「校正」したものが、思わない表現になることもしばしばありました。それを称して「校正、恐るべし」と言われたものでした。その具体例には、残念ながら触れません。

 今回のメーカーの「変換ミス」は、明らかに「意図」してやったものですから、ミスではなく、犯罪ですね。日野に限らず、多くの自動車メーカーで、この犯罪行為が見られるのはなぜでしょうか。その代表例は三菱自動車でした。やがてこの会社は存続できなくなり、日産に吸収され、さらに日産の不祥事で、今はどうなっているのか。自動車業界で「不正」が日常業務になっている理由は何か。単純化して言えば、日本経済の基幹産業だという自負というか、自惚れと、それをさらに維持するために元官僚を「天降(天下)らせている」ための、ある種の「傲(おご)り」「昂(たかぶ)り」がそうさせてきたのではないかと、ぼくは見ています。日野が摘発された段階でも、他社は堂々と、それを横目で見ながら、平気で「不正」をしているという事態がいつまでも続いています。この「不正行為」で、自動車が走行中にハンドルが抜けて、事故を起こす危険性があるわけではないといいますが、製造も検査も販売も「自給自足」「自分次第」という尊大産業のしからしむるところでしょう。「不正天国」であり「犯罪者大国」ですね。

 こう見てくると、まず政治家が「虚偽」を積み重ね、官僚がそれを上回る「不正」に手を染めている、だから民間企業でも「見つからなければ」という輩から、「見つかったって」という手に負えない連中まで、「日本劣島虚偽大国」という惨状を晒しているのです。たしかに、日本もひどいけど、よそだってもっとひどいと、「酷(ひど)さ」比べをしている気になっているんじゃないですか。上には上が、下には下が、と言いつつ、この国は上にも下にも「一番」になりつつあるようです。上は「不正」で、下は「正直」でという観点において、です。

 「『上に物を言えない』『できないことをできないと言えない』。調査報告書が非を鳴らした『言ったもの負け』の企業風土。そうした上意下達の土壌は、ほろ苦いことだが、『言われたことをよく聞くのが良い子』という学校風土の延長線上にある」というコラム氏の指摘は図星でしょうか。学校関係者はどう反応するか。「どんなひどい校則でも、守る子はいい子」というのは誰でしょう。不正や虚偽、それを見過ごしていると、やがては、誰もが相手をしなくなるものです、人でも会社でも、国でも。そうじゃありませんか。ことは「変換ミス」で済ませられないのです。

 「それは会社の方針とのこと、正しいようです」 ⇆ 「それは会社の方針とのこと、但(ただ)し異様です」

IIIIIIIIIIIII

商人の嘘は神もお許し  ・嘘にも種が要る  ・嘘つきは泥棒の始まり  ・大嘘はつくとも小嘘はつくな  ・死にたいと麦飯食いたいほど大きな嘘はない   ・人の噓は我が嘘  ・譬えに嘘なし坊主に毛なし  

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「人生百年時代」はお題目、要は中身です

 【談話室】▼▽「明治の男は気骨があった」。そんな話を聞くたびに「明治の女性も立派です」との思いが募る-。報道写真家笹本恒子さんは75歳にして明治生まれの女性の取材を始めた。ひたむきな情熱を後世に残す必要があると。▼▽写真集を開くと個々の肖像写真に取材時の逸話が添えられている。本県の女性の姿もあった。基督教独立学園高(小国町)の書道教師桝本うめ子さんは当時98歳。授業中は立ちっ放しで、生徒たちに手本を書いて回る。「どの字が難しいの。そうか、あなたはまだ1年生ね」▼▽洋画家桜井浜江さん(山形市出身)が東京都内の自宅アトリエで後進を指導している場面も印象深い。飾らない姿で当時87歳。多くの後輩から「思いやりのある優しい方」と慕われている。後進への稽古について尋ねてみると「食うためにね」とおどけた答えが返ってきた。▼▽自らも生涯現役を貫いた笹本さんが107歳で亡くなった。近著では地球儀をそばに置いてほしいと若者に語りかける。「くるり、くるりと、そこに生きている人の命と暮らしを想像する。そうすれば世界はもっと仲良くなれるのではないですか」。心に染みる言葉である。(山形新聞・2022/08/25)

  報道写真家の笹本恒子さん死去 女性では草分け 女性報道写真家の草分けとして知られた、笹本恒子(ささもと・つねこ)さんが15日、老衰のため神奈川県鎌倉市の施設で死去した。107歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。喪主はおい正男(まさお)氏。  1940年財団法人写真協会に入り、日独伊三国同盟の関係者らの会合など日米開戦前夜の現場を記録。戦後は日米安保闘争など現代史に残るシーンを取材した。  一時撮影から離れたが、85年、昭和史をテーマに撮りためた作品による個展「昭和史を彩った人たち」が反響を呼び、70代で写真家として復帰。写真集に「きらめいて生きる明治の女性たち」「昭和を彩る人びと」など。(共同通信・2022/08/22)

 いつも元気、いまも現役(フォトジャーナリスト 笹本 恒子さん) 日本初の女性報道写真家の誕生「日本では初めてですが、女性の報道写真家になってみませんか。女性の目で、あなたの目で見た写真を撮るのです」。写真協会の創設者の林謙一さんの言葉に後押しされて、昭和15年(1940年)に日本初の女性報道写真家となった笹本恒子さん。                                         代表作は、戦中の「日独伊三国同盟婦人祝賀会」、「ヒットラーユーゲント(ヒットラー青年団)来日」をはじめ、戦後の復興時代の「マッカーサー元帥夫妻」や「三井三池争議」、「安保闘争」など、日本の激動時代を女性の目でしなやかに捉えてきた。こうした歴史的場面を撮影する一方で、さまざまな分野の「時の人」を写真に収めた。/「最初は報道写真家なんて、わたくしにできるのかしらと不安はありました。林さんがライカ(ドイツ製カメラ)にフィルムを入れてくださって、日比谷公園でのスナップを勧めてくださったの。その写真を見て、『画家をめざしていただけあって構図がよくまとまっている』と言ってくださいました。それが少しの安心でしたね」と笹本さんは当時を振り返る。(以下略)公開日:2020年10月 1日 09時00分更新日:2022年8月23日 09時27分(https://www.tyojyu.or.jp/net/interview/itsumogenki-imamogeneki/sasamototsuneko.html

 「よく明治の男には気骨があるといいますでしょ。でもわたくしは男性ばかりでなく、明治の女性にだって立派な仕事を成し得た方がいるはずだと思っていました。戦前は女性には選挙権もなくて、男性だけが威張っていた時代。そんな中で矍鑠(かくしゃく)と仕事を続けてきた明治生まれの女性たちの功績を、大正生まれのわたくしが世の中に知らしめ、次の世代へ伝えていくのが使命ではないかと思いました。1人ひとりに手紙を出して撮影の約束を取り付けて、45名を写真に収めました」(上記の「いつも元気…」から)(左写真も笹本さんの作品。上野駅前「北畔(ほくはん)」の経営者、阿部なをさん。どうでもいいことだが、ある時期、ぼくはこの店によくでかけていました)

 笹本さんの作品を見るようになったのは、彼女が百歳を超えた時期からでした。ぼくの敬愛おく能わざる存在であった、むのたけじさんとしばしば並んで報道されたり、対談なども行われたからでした。もちろん、その名前は早くから知っており、作品にも何度も目を通していたはずですが、ぼくには、その段階では名だたる(男性)写真家に目を奪われていたから、彼女に視点(ピント)を定める余裕がなかったのだと、今更に白状します。写真よりも活字というふうにぼくが好んでいたのではなく、活字(文学や評論など)も写真もという、欲張りの志向を持っていたために、結果的には「虻蜂取らず」というか、両方への関わり方が中途半端なものになったのです。この「中途半端な(half-way)」こそが、自慢するのではありませんが、ぼくのなけなしの「特質」になったのは言うまでもありません。(映画『笑う101歳×2 笹本恒子 むのたけじ』、下の写真も:https://www.youtube.com/watch?v=aHj_-OA-mac) 

 いつの頃から言われだしたのか、「人生百年時代」と。あまり好まない表現です。おふくろは「百歳」でなくなりました。九十五歳を前にして、脳梗塞を患い、以後は病院で過ごした。親父が早くに亡くなり、その後、彼女は一暮らしを続けていたさなかの「脳梗塞」でした。最後の数年は、文字通り「眠るような」状態でありました。いま、社会の大きな課題になっている「介護」をどうするか、姉たちと話し合って、ぼく自身が引き受けることにしていたのでした。幸いにしてなどと言うと罰が当たりますが、そうなる前に病院に入り、手厚い医療のもとで、おふくろは亡くなった。

 入院中は何度か病院に出かけましたが、やがて昏睡状態に入り、静かに亡くなったと言う。おふくろは、言うともなく、「長く生き過ぎた」としばしば漏らしていました。ぼくにはまだよくわからない心境だった。九十を超えると、今では珍しくもないのでしょうが、以前(二十年ほども前)は珍しいことで、盛んに「長寿」と人にも言われ、我にも感じられていたのでしょう。長く生きることは尊いことなどと、単純には言えないでしょう。しかし、人によっては「健康で長生き」を絵に描いたような人生を過ごされる方もいる。実際はどうなのか、外部からは推し量れませんが。何が幸か不幸か、人それぞれだし、人によっても、その「幸福や不幸」は一人勝手に生み出せるものではないものでもありますから、運命でもあり、流されるままという「流転」のようなものでもあるでしょう。(下図は【人生100年時代に関する意識調査】・https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000035779.html)

 上に出てきたむのさんも百歳を超えて、各地で講演をしておられた。ぼくの先輩が、やはりむのさんの追っかけで、「むのさんの講演はすごいものだった。大きな声で、会場の外まで響いていた」と、その矍鑠(かくしゃく)ぶりを話してくれたことがある。笹本さんも極めて健康で過ごされていたが、百歳で転倒し、そのために入院(施設入所)されたと言う。リハビリに務められ、「もう一歩で本復」というところで亡くなられたのでした。「長く生きること」ではなく、「健康で長生き」をこそと思いますが、健康といい長生きということに関しても「定義」があるものではありません。だから「健康で長生き」は、各人が「そうだ」と思えるような生活を続けられるなら、それはそれで結構なことだと、ぼくはじつに素朴に考えています。

 長生きは「数字(年齢)」だけではないし、健康もまた、いろいろな条件を備えているのですから、ぼくにとっては「これが健康」というものがあれば、それに越したことはないでしょう。「病気」でない状態が健康なのだとはいえない。いつも言うことですけれども、病気の中にも健康な部分はあるし、健康の中にも病気の要素が入っているのです。健康と病気は「糾(あざな)える縄のごとし」ではないですか。(左図は厚労省の調査(2018年)による

 「(地球儀を横において)くるり、くるりと、そこに生きている人の命と暮らしを想像する。そうすれば世界はもっと仲良くなれるのではないですか」(笹本恒子) 

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