無実の人への差別と迫害は何を意味するか

 大人も子供も「みんなガス室に向かった」 戦後75年、ユダヤ人女性が見た無数の死 アウシュビッツ生存者の消せない記憶(1)(2020.10.22 11:00  47NEWS)(https://www.47news.jp/5404267.html)

)アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(第2収容所)に到着し、選別を受ける人々。制服姿で手前に立つのはナチス親衛隊員、左手前の縦じまの服の人々は収容者。1944年、親衛隊撮影(エルサレムの記念館「ヤド・バシェム」提供・共同)+++++ 第2次大戦中、ナチス・ドイツが占領下のポーランドに設置したアウシュビッツ強制収容所がソ連軍に解放されて今年で75年になった。欧州各国から約130万人が移送され、110万人以上が命を落とした。ガス室、餓死、銃殺、病死。あらゆる種類の死が待ち構え、収容所を生き永らえた人々は死の記憶とともに戦後を歩まなければならなかった。あの場所で何を見たのか、残り少なくなった生存者が体験を語った。3回続きで報告する。(共同通信=森岡隆)

(➡)アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(第2収容所)のガス室に向かうユダヤ人の親子。1944年、ナチス親衛隊撮影(エルサレムの記念館「ヤド・バシェム」提供・共同)+++++ ▽偽りの音 貨車を降りた人々は笑い、あいさつを送ってよこした。軽やかな音楽が演奏されている。「それほどひどい場所ではないだろう」。人々の心中が伝わってくる。女性に男性、子どもに高齢者、みんなが目の前を通り過ぎる。行き先はガス室。彼らの運命を知っていたが、楽団の一員としてアコーディオンを弾き続けた。背後には銃を持ったナチス親衛隊(SS)隊員が立つ。この後間もなく、シャワーを浴びるとの説明を受け、ガス室に詰め込まれた人々。警告できるチャンスはなかった。演奏しなければ自分が撃ち殺されていただろう。自身も捕らわれの身だった。/ 大戦さなかの1943年、アウシュビッツ・ビルケナウ収容所(第2収容所)。ドイツ生まれのユダヤ人女性エスター・ベジャラーノさん(95)は当時18歳で、貨車で送られてきたユダヤ人たちの前で連日演奏していた。

 人々は到着直後、ガス室に行くか強制労働に就くか、SSの医師に選別された。7割以上はガス室。子どもや幼子を連れた母親、高齢者、病人らはガス室行きだった。人々の不安を和らげ、ガス室に送る―。SSは約40人の女性で楽団を編成し、偽りを演じさせた。人体実験を重ねて「死の天使」と恐れられたSS大尉の医師ヨーゼフ・メンゲレが時には自分たち収容者の前に立って選別をした。誰かの顔が気に入らなければ手を右に振ったメンゲレ。それはガス室行きだった。左だと死までの猶予が与えられた。

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(⇦)アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所(第2収容所)で、所内に移動するユダヤ人の女性収容者ら。背後に立つのはナチス親衛隊員。1944年、親衛隊撮影(エルサレムの記念館「ヤド・バシェム」提供・共同)

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 この連載が掲載されたのは、今から一年半前のこと。ぼくは既知の事実として、しかし改めて、目を凝らしてこの記事を読み、これはいつのことなのか、どうしてこんなことが起こったのか、「これが人間のすることか」そんなとりとめもない事々に思いを巡らせていました。ナチの「ホロコースト」に関して、ぼくはできる限り資料を集め、いろいろな観点から書かれたものを読んできました。おそらく半世紀以上、この問題に関心を抱き続けていたのです。「人、一人殺すことは、誰にも許されない」のは、人間社会で集団をなして生きていく上での「最低限度の約束」です。人が人を殺さないというのは「約束」なんであって、それを破る人間がいても、ぼくたちは「ひとごろし」を止めることはできないのです。人間社会は、実に脆(もろ)いつながり、関係で成り立たせられている。この「約束」を疑えば、実はどんな「崇高な規則=道徳・宗教」も根拠を失ってしまうばかりです。だからこそ、これは人間の人間に対する「至上命令」なのでしょう。しかし、これを踏みにじるものが出てくれば、それを防ぐ手立てはない。これもまた、「人間の無力(helpless)」の一つではないでしょうか。暴力の前に「道徳」は自らの存在を絶対否定されるのであり、しかしその「暴力」からの「人間性の回復」もまた、頼りない、壊されやすい「道徳」に縋(すが)るしかないのです。

 この問題(強制収容所)に関して、数えきれない体験談も記録されてきました。もちろん、その大半は「収容所からの帰還(生還)」を果たした人たちによるものです。収容所の側にいた人々(つまりはナチに属し、それに協力した者)の残した記録や証言は、それに比して、極めて少数で、ぼくは数点しか見ていません。そのごく少数のものでも、「命令されたからやった」「自分ではそれを断ることはできなかった」「誰だって、その状況にいれば、やっていたことだ」という自己正当化というか、自己弁護に終始している印象を受けたのです。まず、責任回避、それが自分を生かす唯一の方途なのかもしれません。「仕方がないじゃないか」と、ぼくたちはいつでも日常生活で練習しているのです。(「長いものにまかれろ」、がいきわたると、集団は秩序を得るというのでしょうか)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 映画で映し出された「凡庸な女性」                                  

 この映画の監督は4人、ドイツ出身の監督とかつてナチスに統治されたオーストリア出身の監督による混合チームだった。彼らは作品の中でポムゼルの言葉に対して、直接の評価をくだしてはいない。/ カメラはおよそ103歳とは思えない明晰な口調、時折クローズアップされる顔に刻まれた深い皺、眼鏡の奥にある鋭い瞳を捉える。作品制作に4年、「過去を語りたくない」と拒否していた本人を説得するのに1年かかっている。/ 制作チームはゲッベルスを悪の権化としてではなく、一人の人間として位置付けようとした。彼のそばにいたポムゼルもまた同様である。彼女はそれまで放送局に勤めていた働く普通の女性だった。与えられた仕事をこなし、メディアの世界で友人ーその中にはユダヤ人もいたーより多くの給与を稼ぎ「優秀」と称される。/ 30代を迎えた彼女にある転職話が持ちかけられる。得意の速記を見込まれての打診だった。ナチスの宣伝省に入らないか?ーー。給与明細をみると放送局の給与に加えて、いくつもの手当がついている。「これは運命だ」と彼女は思う。やがて、彼女はゲッベルスの秘書として重用されていく。/ あの時代を生きたどこにでもいた「凡庸」な個人としての証言が、逆に時代を超えた「タイムレス」な言葉になる。それが制作チームの狙いだった。(以下略)「特集 ナチス宣伝相の秘書が残した最後の証言「私に罪はない」の怖さ」(https://www.huffingtonpost.jp/2018/06/15/a-german-life-20180615_a_23459673/)

(映画『ゲッベルスと私』予告編:https://www.youtube.com/watch?v=Zqd_krnWdy0))

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 ブルンヒルデ・ポムゼルに関しては、彼女が書いた同名の著書に触れて、すでにぼくは駄文を書いています。「私には罪はない」といい、「どうすることもできなかった」という発言は彼女のすべてを表しているとも読めますが、決してそうではなかったでしょう。ヒットラーの盟友の秘書であったという事実と、そのヒットラーが率いるナチが犯した史上最悪ともいえる「ホロコースト」に、もしポムゼルに責任があるとして、いかなる「罪の意識」を彼女は感じたのか、それがどこにも見当たらないということに、ぼくは深く傷つけられたのでした。「だれだって、同じような立場にいれば、そうしたでしょう。いったい、それが罪なんですか?}と。「私は人を殺しもしなければ、傷つけさえしなかったのだ」という彼女の発言は事実だし、それ以上に何かを問うことは、あるいは問い詰めることは誰にもできないことなのかもしれない。「あの時は、仕方がなかったのだ」ー オスカー・シンドラーの「ユダヤ人救済」は天啓ででもあったのでしょうか。

 昨日は「シンドラーのリスト」に触れ、本日もまた同じような事柄について、触れてしまうのは、なぜなのか。今の今、ウクライナで行われている「惨劇」は、ある人々に言わせれば、「ナチ以上に凄惨」ということになります。ぼくはナチの所業を現場で見たことがありませんから、確かにそうだ、とは言えません。しかし、ロシアが「人道回廊」と称して、多数(おそらく、今現在でも万に達するウクライナ市民)が、ロシアの地域内に誘引されていったと報道されています。この先は「希望に満ちた天国」と誘い出し、着いてみれば「逃げ場のない地獄」だったというのは、強制収容所だけではないと、ぼくは、ロシアの地にのみ開かれていた「人道回廊」のニュースを聞いて、卒倒しそうになりました。ナチ以上に残酷・残忍だという意味は、どこにあるのでしょうか。同じように、「シベリア抑留」も、ぼくの脳裏を離れないのです。アウシュビッツが、現代によみがえったのか、あるいはそれはドイツからロシアに、地続きでつながっていたのか。昔から、そう大学生の時から、ぼくたは「我々が生きているのは、一面においては、強制収容所ではないのか」という憂鬱な、しかし否定しようのない事実でもあるような意識に襲われてきました。地獄への人道回廊、それはナチが「甘言」を囁き、微笑みを浮かべて、多くのユダヤ人を引きずり込んだ「奈落の底」への帰還不能の道行きでした。それがいま、この時代に恥じることなく行われていることに、ぼくたちは「慚愧の念」を抱かないのでしょうか。そんなものを抱いたところで、仕方がなかろうではないか、というのでしょうか。

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「なおも模索しつづけるのです、わたしがこれほどまでにかくありたいと願っている、そういう人間にはどうしたらなれるのかを。きっとそうなれるはずなんです」(アンネ・フランク)(1944年8月1日 :最後の日記)

 「私たちはもう起こったことを変えることはできません。私たちにできる唯一のことは、過去から学び、罪のない人々の差別と迫害が何を意味するのかを理解することです」(アンネの父、オットー・フランク)

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ありがとうと言われたいボランティアはいない

『シンドラーのリスト』の「赤いコートの少女」が今、ウクライナ難民にもたらす希望 スティーブン・スピルバーグ監督のオスカー受賞作『シンドラーのリスト』(1993年)で印象的な幼女を演じた女性が、いまポーランドでウクライナからの難民を助けている。わずか3歳で「赤いコートの少女」に扮したオリビア・ダブロフスカだ。/ 今のダブロフスカ(32)はコピーライターだが、この3月からは戦火を逃れたウクライナの人々の支援にボランティアで走り回っている。/「あの少女は希望の象徴だった。もう一度、彼女をそうする」。ダブロフスカは映画のスチール写真と共に、そうインスタグラムに投稿した。

『シンドラーのリスト』は全編がモノクロで撮られているが、ダブロフスカの演じた少女のコートだけが鮮烈な赤い色を放つ。この少女は、虐殺されたユダヤ人が罪のない存在だったことの象徴だ。/ ポーランドの古都クラクフ出身のダブロフスカは、ポーランド国境に到着した難民を援助するボランティアグループを率いており、その活動内容をインスタグラムでフォロワーに伝えている。/ 3月13日には、長距離バスの近くに立つ自身の写真を添えて、こう書いた。「今日、ロシアはヤボリウを爆撃した。ポーランド国境からわずか20キロ。とても近い! 怖いけれど、だからこそ難民を助けようという思いが高まる」

「ありがとうと言われたいボランティアはいない」 翌14日にはインスタグラムのライブ配信でこう語った。「何かを期待しているわけじゃない。ありがとうと言われたいボランティアは一人もいない。みんな、やるべきことをやってるだけ」/「今日は10家族の住める家を見つけた……数え切れないほどの人を、クラクフなどに送り出した……私は、自分にできる限りのことをする。この人たちのこと、その顔、その目を、私は決して忘れない」/「心の準備はできないよ。でも想像してみて。これだけの人が苦しんでいる。子供も、お年寄りも、病人もいる」/ ダブロフスカは世界中から応援のメッセージを受け取っており、「疲れている」が「まだ助けたいエネルギーに満ちている」という。(以下略)(2022年04月21日(木)20時26分 エマ・ノーラン(Newsweek:https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2022/04/post-674.php)

*Schindler’s List (1993) – Full Expanded soundtrack (John Williams)sound (https://www.youtube.com/watch?v=p_TN2-8Rx2c)この演奏のパールマン、文字通りに「人を得た」というべきではないでしょうか。若いころから、彼の演奏は聞いてきました。屈託のない、おおらかな演奏で、聞いていて楽しくなるのはもちろんで、彼自身が「楽しくなければ、ヴァイオリンじゃないよ」といいたそうに弾くのでした。がこの映画の主題曲はまったく趣が違っています。彼の演奏によって聴くと、その音色は、ぼくのような穢れた人間の琴線にまでしみいるようでした。繰り返し聴いてみたい曲だと思います。主題が、パールマンの出自に重なって、耐えられないような、いくつもの場面が浮かび出てくるのです。

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◎シンドラーのリスト=1993年製作のアメリカ映画原題《Schindler’s List》。ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺をテーマにした、実話に基づく歴史映画。監督:スティーブン・スピルバーグ出演:リーアム・ニーソン、ベン・キングズレー、レイフ・ファインズほか。第66回米国アカデミー賞作品賞、監督賞、美術賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、作曲賞受賞。第51回米国ゴールデングローブ賞作品賞(ドラマ部門)受賞。第47回英国アカデミー賞作品賞受賞。(デジタル大辞泉プラス)

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 映画について、あるいは映画のもとになった「リスト」を作り、ユダヤ人を救った、オスカー・シンドラー(➡)についても,、本日は話はしません。「サウンド・オブ・サイレンス」ですね。一見、この世界はそれなりに平和そうな状況で、理不尽極まる事態が進行しているさなか、ひたすらシンドラーのなしえた「救済」を考え続けるばかりです。彼は、ある時期からはナチに入党し、その余得を存分に生かして財をなした人でしたし、ある意味では極めて享楽的な生活に浸りきっていた人でもあったのです。その彼が、なぜ、身を賭してまで「ユダヤ人」を救うようになったのか、これは一種の奇跡のような出来事であり、いや、それは人間の深いところにきっと存在している「良心の痛み」でもあったのでしょうか。いのちを足蹴にし、塵芥のように扱うことに対する、抑えられない怒りでもあったのか。

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 「彼は、同時代の人たちから見てくれよく育ってきた人間とみなされて、上流社会の中で立ち回り、良い身なりをし、女性たちからももてはやされ、金銭を湯水のように使っていた。/ そんな楽天的な工場主の経済的な関心は、ナチス党政権に対する不信感の前に次第に後退していった。(略)やがて出来る限り多くのユダヤ人を救済したいという願望の下に、最後には全財産をこの目的のために投じただけでなく、自らの生命まで賭けようとしたのである」(wikipedeia)(左の「リスト」はAFP記事中のもの。下記参照)

IIIIIIIIIIIIIIIII

 八十年後に、ポーランドの若い女性は、世間に強く呼びかける風でもなく、しかし自分にできる、大事なことに従事する気持ちを語っています。「私は、自分にできる限りのことをする。この人たちのこと、その顔、その目を、私は決して忘れない」「心の準備はできないよ。でも想像してみて。これだけの人が苦しんでいる。子供も、お年寄りも、病人もいる」というダブロフスカさんのような、今日の「シンドラー」は世界のいたるところに存在し、現実に身を挺して「命を敬っている」のです。このような危険な活動に積極的にかかわる、「今どきのシンドラー」を生んでいる「現実世界」の覇権競争にやり場のない憤りがわいてきます。しかし、若い人の働きがきっと今の世界を、少しずつではあれ、確かに人間が大事にされる方向に歩いている、そのことをぼくは確信しているのです。

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 「シンドラーのリスト」作成の元秘書、ラインハルトさん死去 107歳 (2022年4月9日 2:27) 

【4月9日 AFP】第2次世界大戦(World War II)中のポーランドで、ドイツ人実業家オスカー・シンドラー(Oskar Schindler)の秘書として、多数のユダヤ人をホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大虐殺)から救うためのリストを作成したミミ・ラインハルト(Mimi Reinhardt)さんが死去した。107歳。家族が8日、明らかにした。/ ポーランド南部クラクフ(Krakow)のゲットー(強制隔離居住区)に住んでいたユダヤ人の多くは、シンドラーの工場の従業員リストに載ったことで、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所への送還を免れた。シンドラーの下でラインハルトさんがまとめたリストは、約1300人のユダヤ人の命を救った。/ 自身もユダヤ人であるオーストリア生まれのラインハルトさんは、シンドラーに雇われ、1945年まで秘書を務めた。戦後は米ニューヨークに移住。2007年に一人息子が暮らすイスラエルに移り住んだ。(以下略)(https://www.newsweekjapan.jp/stories/woman/2022/04/post-674.php)(c)AFP

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さみしいからこそ、生きていられる

 孤独を託(かこ)つ、などといいます。「託つ」という語は「 心が満たされず、不平を言う。ぐちをこぼす。嘆く。「不運を―・つ」 他の事のせいにする。口実にする。かこつける」(デジタル大辞泉)などとあって、あまり楽しくなるような言葉ではなさそうだし、それを聞いて愉快を感じるということもなさそうです。「託」という語には、いろいろな解説があります。しかし、総じてやはりうれしくなるような要素は少ないようです。託つ、託(かこつ)けるなどといって、どこかしら「口実」を設けて、自分は不幸であるのは他人のせいであるなどといいたい気分がその裏に潜んでいるようにも思われるのです。もちろんそれだけではなく、信託や委託などいう使い方もありますが、相手にお任せしますという、「あなたのお好きに」と、そこに自己主張の場面がなさそうにも思われます。(ヘッダー写真:https://eatiiyama.satonomegumi.net/header-photos/)

 「孤独」とか「孤立」、あるいは「孤影」とか「孤愁」「孤高」などというのは、いかにも仲間と楽しくにぎやかにというのとは反対に、たった一人で「寂しく」「心浮かない」状態にあることを指して言われるようにも見える。孤は個であり、個は孤であるというのが、ぼくの本音です。一人でいることは寂しいと感じる場合もあれば、煩わしさから解放されたいと願う時もあるでしょう。どんなことがらにも、きっと「表裏」というか「二面性」があるのであり、そのどちらも、一方を切り離すことができないのではないか、そんことを片時も忘れないで(記憶にとどめて)、ぼくは生きてきたようです。当たり前に「孤独」を楽しんだということはありませんが、あまり寄り集まってにぎやかに、ということはあまり好まないままで、生きてきたのです。だから、どうなんだといわれると困るし、なんだか大変なことを言うようですが、それほどのものではない。家族などの紐帯が煩瑣に思われて、いっそ「独り・ひとり・一人」になりたいと願うことは誰にもあるでしょう。しかし「天涯孤独」という経験がぼくにはなかったから、その「身寄り・頼り」のなさ=寄る辺なさ(helplessness)というもの深さを知らないのだと言われれば、その通りというほかありません。山頭火の「其中日記」に、次の文があります。このところ、京都の友人と電話で、よく山頭火のことを駄弁りますので、その勢いで。

 「さみしいなあーひとりは好きだけれど、ひとりになるとやっぱりさみしい、わがままな人間、わがままな私であるわい」と、いかにも自己卑下したような書きぶりですが、それが「存在の様相・実相」というものではないですか。一人はいいし、一人は寂しい。どっちの感情も、この自分からはなくなってくれない、それが人生の歩き方(過ごし方)ではないでしょうか。もう一つ、「ゆうぜんと飲み、とうぜんと酔う。そういう境遇を希う。/ 飲みでもしなければ一人ではいられないし、飲めば、出かけるし、でかけるとロクなことはない。/ ひとりしずかにおちついていることはできないのか、あわれな私である」(同上)おそらく、山頭火さんの句というのは、こんな行きつ戻りつしている自らの心境を読み込もうとしたものであり、それが彼の真骨頂だったといえばいえそうです。酒飲みは、おしなべて、しがない泣き虫なんですね。

頼りない、寄る辺ない、つまり helpless というのは「〈人が〉無力な,自分ではどうすることもできない,助けを得られない,〈表情・しぐさが〉困惑した,お手上げの;(…するのに)無力な≪to do≫」(デジタル大辞泉)と多様な説明がなされています。一例として「無力な赤ん坊」というのを例に挙げてみます。何か自分ではできないのが「赤ん坊」の姿であり、それをどうこういっても始まりません。それと同じように、無力であり、お手上げ状態が、「人の常態・状態」であると思い至れば、必要以上に「孤独」「孤立」にこだわることもないのです。でもそれは人によりけりで、どんな慰めを与えられたところで、「自分の孤独は癒しようがない」と感じるのはご当人であり、それを他者はいかんともしがたいといわなければならないでしょう。「果報は寝て待て」ではありませんが、さらに言えば、「待てば海路の日和あり」ですが、寝られないし、待てないとなると、手に負えませんね。明けない夜もなければ、止まない雨もないと気づけば、もう一工夫してみようかという料簡が生まれるかもしません。

 こんな漠たることを空想したのも、久しぶりに漱石に出会った気がしたからです。彼は「神経質(神経衰弱)」で、ぼくらの想像を超えた暗闇から、世の中を見ていた人だったように、ぼくには思われました。若いころは耽読した作家です。(以下の「コラム」参照)

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 【河北春秋】孤独は人間に付きもののよう。多くの著名人が関連する言葉を残している。例えば、夏目漱石の小説『吾輩は猫である』には「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」とある。言い得て妙だと改めて感じ入った▼新型コロナウイルス禍で深刻化している孤独・孤立問題を巡り、政府が2万人を対象に初の全国実態調査を実施した。孤独感が「ある」と答えた人は約4割で、高齢者より20代と30代の方が多かった。若い人ほど寂しさを抱えている現状をきちんと認識しなければなるまい▼「せっかく入学した大学がオンライン授業ばかり」「1人暮らしを始めたが、友達ができない」。不安は募るばかりだろう。振り返れば、初めて1人暮らしをした三十数年前、「○○定食」としか言葉を発しなかった日が何日もあったような…▼孤独な環境が、人間的な成長を促すことは否定しない。ただ、実生活でそれが続き、孤立してしまうと精神的にきつい。「そばにいてほしい」「話を聞いてほしい」というのは、人間の自然な感情のように思える▼実態調査で「しばしば・常に孤独を感じる」と答えた人の雇用形態は、「失業中」と「派遣社員」が多かった。金銭的不安も人を追い詰める。コロナ禍の我慢はいつまで続くのか。(河北新報・2022/04・21)

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幡ヶ谷のバス停で寝泊まりする女性を襲った悲劇 周囲が気にかける中で…東京・渋谷の暴行死事件

 ◆石を入れた袋で頭部警視庁によると、女性は住所不定、職業不詳の大林三佐子さん(64)。11月16日午前4時ごろ、渋谷区幡ケ谷2の甲州街道沿いのバス停「幡ケ谷原町」のベンチに座っていたところ、男に石などが入ったポリ袋で頭を殴られ、外傷性くも膜下出血で死亡した。/ 傷害致死容疑で逮捕された同区笹塚2の職業不詳、吉田和人容疑者(46)は容疑を認め、調べに「バス停に居座る路上生活者にどいてもらいたかった」と供述している。事件前日に大林さんに金を渡して移動してもらおうとしたが、断られたことに腹を立てたとみられている。(以下略)(東京新聞・2020年12月6日 08時14分)

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 上の記事にある「被告」は、来月十七日の初公判を前にして、四月八日、都内で「飛び降り自殺」をしていたのが発見されたという。暴行を受けて亡くなった女性は広島県出身で、若いころには演劇で活躍をしていたといわれます。「被告」は早くから「引き籠り」状態にあり、問題行動が多く見られたと、近所でもよく知られた、噂の男性だった。事件の被害者と加害者について、ぼくは何も知るところがありません。ネットなどのニュースで報道された範囲を超えないままで、その事件や被害にあわれた方と加害者についてとやかく言うことはしませんし、できない相談です。ひたすら、二人の「不幸な遭遇」を悼むことしかできないのです。ことが起こってからは、言っても詮無いことしか、ぼくたちは言えない、そんなことがどうしようもなく続きます。もし、「こうしておけば」、「こうなることが分かっていれば」、といかにも「言葉の無力」「行動の欠如」を痛感するのも事実です。その無力な言葉が、もう少し通じ合えていたなら、一瞬でも話ができていれば、「悲劇は起きなかった」といっても繰り言になり、詮方ないことです。どれだけ尽くしたとしても、「ああしておけば」「こうしなければ」という後悔の臍を噛まなければならないのは、すべからく「いのちあるものの寄る辺なさ」に起因しているからです。

 身寄りや頼りがあるなら、なんとかできたといえることもあります。しかしたとえ身寄り頼りがあったとしても「(人間存在の根っこに基づく)ヘルプレス」はいかんともしようがない時もあるのでしょう。そのような場合の方が圧倒的に多いとも思われます。二年前の事件を考えるにつけ、人間の頼りなさ、はかなさを知らされますし、その頼りなさ・はかなさが、生の根元に宿っているということに、ぼくは「慄然」とするばかりです。「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」というのは漱石自身の嘘偽りのない「本音」ではなかったか、そんなことを考えたりします。

 「顔で笑って、心で泣いて」ということがあります。一面では「やせ我慢」でしょうが、このやせ我慢こそが世間の付き合いの礼儀だともいえそうです。外面如菩薩、内面如夜叉というのは、これとは少し趣が違うようです。しかし、いずれにしても、二重の心持、あるいは本心の二面性のようなものが、生きていく中では必要でもあるのです。世間で生きるというのは、ある種の「仮面」を被って生きることを指すともいえます。仮面が素面(素面が仮面か)であると、どうしても息苦しさが先に立つので、世間の方もなかなか付き合いづらいことになる。奇妙な表現ですが、素面そのままで生きると、どうしても「角が立つ」ことになるのです。渋谷で起こったやりきれない「殺人事件」の報道を見、その加害者が、一年半もたたないで「飛び降り自殺」をしたというニュースに接して、ぼくは、思わず破廉恥なことを考えたのは、きっと漱石の唆(そそのか)しがあったのかもしれません。「呑気(のんき)と見える人々も、心の底を叩(たた)いて見ると、どこか悲しい音がする」という戯言の前にあった、「ザンギリ頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」とはやされたのは、明治初期の「西洋かぶれ」を揶揄した風情でありますが、それはそれで、時の勢いで、やがて世の中は、「ザンギリ頭」ばかりになり、「文明開化の音声」がとどろきわたる時代になったのです。しかし、反動はきっとやってきます。まさか「袴に二刀流」「高島田に打掛」とはいかなかったが、洋服に下駄という奇怪ないでたちで、やがて、その古今東西の不調和(矛盾・分裂)が、列島の、個々の人間を襲うようになったのでしょう。

 「猫」の最後のところで漱石は苦沙弥先生に、次のように語らせています。 

「死ぬ事は苦しい、しかし死ぬ事が出来なければなお苦しい。神経衰弱の国民には生きている事が死よりもはなはだしき苦痛である。したがって死を苦にする。死ぬのがだから苦にするのではない、どうして死ぬのが一番よかろうと心配するのである。ただたいていのものは智慧が足りないから自然のままに放擲しておくうちに、世間がいじめ殺してくれる。しかし一と癖あるものは世間からなし崩しにいじめ殺されて満足するものではない。ずや死に方に付いて種々考究の結果、嶄新な名案を呈出するに違ない。だからして世界向後趨勢は自殺者が増加して、その自殺者が皆独創的な方法をもってこの世を去るに違ない」(「吾輩は猫である」)(左上は岡本一平筆)

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 例によって、この駄文には結論も、気の利いた落としどころもありません。生きることは喜びでもあり、悲しみでもあるという山頭火や漱石の、一種の実感・経験談は、ぼくのような粗末な人間でも、少しはその臭いをかいで生きているといいたかったし、そのどっちつかずの人生、すっきりしない人生模様は誰かのせいでもないし、もちろん自らの不始末なんかでもないといいたいのです。人はどんな「死に方」をするか、まるで死を選べるような雰囲気がありますが、それがどんな最期であっても、やはり「寿命」というものだという錯覚だか確信だか、そんなものがぼくにはありそうなんですね。どうなるか、わかりませんが。人によっては「天寿」「天命」を全(まっと)うするというおめでたい最期が準備されてもいるようです。寿命も天寿も、本人には知られていないかもしれぬが、決められた、予定された「命の長さ」です。

 「むしろ、さみしいからこそ生きている、生きていられるのである」(山頭火)、これこそ種田氏の「真言」だったのではないでしょうか。

 (ぼくは、ひそかに漱石と山頭火の「接点」を探しています。一つは見つかりました、重篤な「神経衰弱」です。さらに一つは「松山」「子規」でした。もっと重要な接点は、駄文といえども、まだ「書く段階」ではありません)

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「自分の理解を示すため」「支援の印」

 塗りつぶされても恐れない、平和の壁画描く画家 ロシア【4月19日 AFP】ロシアの首都モスクワから車で2時間の場所にある人口約1万人のボロフスク(Borovsk)。元エンジニア、ウラジーミル・オフチニコフ(Vladimir Ovchinnikov)さん(84)は、この小さな町で何十年も前から建物の壁に絵を描いてきた。だが、ロシアがウクライナに侵攻して以来、ウクライナや平和をテーマにした絵を描くと塗りつぶされるようになった。/ 最近、近郊の村の以前は店舗だった建物に立ち寄ったところ、壁に描いた青と黄のウクライナ国旗が白いペンキで塗りつぶされているのを見つけた。/ 鉛筆を取り出し、その上にハトの絵を描き始めた。すると、住民の男性がやって来て「警察を呼ぶぞ」と言われたという。/ だが、オフチニコフさんは絵を描く試みを続けることに恐怖は抱いていない。「この年になると、何も怖くない」と語った。 /ボロフスクでは、ウクライナ国旗の色の服を身に着けた少女の頭上に爆弾が三つある絵を描き、3万5000ルーブル(約5万4000円)の罰金を科された。この絵も白く塗りつぶされたが、オフチニコフさんはその上に1羽のハトを描いた。/ 罰金が科されたオフチニコフさんに、150人以上から寄付が集まった。(以下略)(https://www.afpbb.com/articles/-/3400986?pid=24426945)(https://www.afpbb.com/articles/-/3401150?cx_part=common_focus)(2022年4月19日 18:12 発信地:ボロフスク/ロシア(AFPBB)

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 「ペンは剣より強し」と、繰り返し言っています。この時、「ペン」とは,暴力をいっさい伴わない、しかも、じゅうぶんに「武力」と対峙しうる人間(個人)の姿勢であり態度であると、ぼくは疑わないのです。瞬間(刹那)的に見れば、どんな力強い「ペンのちから」も、一丁の機関銃の前では「虫けら」同然であります(個々の人間もまた「虫けら」と選ぶところがない扱いを受けることを、ウクライナの現実は嫌になるほど見せつけています)。しかし、その「ペンのいのち」は生き続けるし、時間と距離を超えて生きるのではないでしょうか。確かにオフチニコフさんの描いた「絵」は、ぼくのような無知であり、何事も一人前にできない老衰しきった人間のところにまで届き、「今少し活力を出しなさい」と教えてくれているのです。プーチンの、残忍至極の殺人行為のためのミサイルの爆裂も迫撃砲の嵐も、この房総半島の山中にまでは飛んでこない。飛んでくる力がないからです。すべてのいのちを「虫けら」と同然視しなければ、武力はなにひとつ破壊することはできないのです。戦時の殺戮の主役たちは、家に帰れば「よき父(母)」「よき夫(妻)」「優しい国民」であるのかもしれません。国家という「強制随伴装置」は、人間を劇的に作り変えるし、同じ国家は、その国民をいいように牛耳るのでしょう。「しかし、武を嫌い、文を求める人々」が、この世界にいる限り、「ペン」の潜在力は尽きることがないのではないか。「ペンは剣より強し」と、わがいのちのある限り、言い続けたいね。

 「オフチニコフさんは、ロシア社会が新たに『分断』されつつあり、『非常に悪い方向』に進みかねないと懸念している。一方で、平和を促進する芸術の力を信じており、これからも絵を描き続けるつもりだ。/『私が絵を描くのは、自分なりの理解を示すため。そして多分、他の人に影響を与えるためでもある』と話す。/『政治に無関心な人』『何が起きているかを知らず、ただテレビの前に座っている人のために』」( 映像は14日撮影。(c)AFP/Romain COLAS)

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 志を同じくする人はここにもいました。この人はフラスン人。「少しでも笑顔になって、人間らしさを取り戻せたら満足だ」とC215氏は言います。「パリの貧しい地区に生まれたギュミー氏は、過酷な人生を送ってきた。母親は10代で自分を産み、後に自殺した。自分自身もつらい別れを経験し、うつ病を患った。/ 破局後、グラフィティ・アートを制作するため仕事を辞め、娘の壁画を描いた。うつに対処するためだったと話す」(下記の記事参照)

 仏アーティスト、ウクライナに壁画 「笑顔と人間らしさを」【4月10日 AFP】仏パリを拠点とするグラフィティアーティストC215ことクリスチャン・ギュミー(Christian Guemy)氏(48)は、絵に最後の仕上げを施す。ウクライナの首都キーウのバス停に青と黄色のスプレーで描かれた少女の絵が、周りの破壊された建物とコントラストをなす。/ スプレー缶を持ったギュミー氏はAFPに、「支援の印だ」と話した。「厳しい状況の中で、人々が少しでも笑顔になって、人間らしさを取り戻せたら満足だ」(以下略)2022年4月10日 15:00 発信地:キーウ/ウクライナ(https://www.afpbb.com/articles/-/3399086?pid=24389453)(AFPBB)

 「子どもに罪はない」「子どもは戦争に耐える必要もない」とギュミーさんは言われる。ぼくはこれまでなんども「無辜の民」という語を使ってきました。「辜」とは「罪」「咎(とが)」「はりつけ」などという含意になるといいます。「書経」が典拠とされます。人災であれ天災であれ、その人自身にまったく「責任」がないことを指します。いきなり隣国からやってきて、「そこを明け渡せ、それは俺の土地だ。どかないなら、皆殺しだ」という、この「乱暴狼藉は」いった通りのことをする。「ジェノサイド(皆殺し」を、この時代にやってのけるし、それを世界はテレビなどを通してみているのです。「戦争についてのストリート・アートをやりたいなら、戦争が起きている場所で制作し、被害と現状を伝えるものでなければならない」とギュミーさんは話しておられます。「被害者の側に、自分はいたい」というのです。(右はチュニジアで描かれたギュミーさんの作品「猫」)

HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH

 「戦車とことば」と並べて語る人もたくさんおられます。「ペンと剣」と同じような表現でしょう。「戦車」は語れないから、「砲弾」を連射するしかない。言葉を失っているから、自らの意図を「暴力」で表すしか方法を持たないのです。よく「問答無用」といわれるのは、この事情を表しているのではないでしょうか。「腕力に物を言わせる」とも言いますけれど、それは「相手に語るべき、人間に共通する言葉を持たない」ということを証明しているのです。戦争も、根っこには同じで、共通の「言葉の不在」ですね。「外交」とか「交渉」というのは、基本は言葉による「対話」です。対話は「言葉による(によって成り立つ)共同体」の必須の条件でもあります。その不可欠の条件を持たないということは、相手を仲間として認めないということと同義であり、あるいは「敵」視するからこそ、いともたやすく「暴力行使」に及ぶのでしょう。子どもの世界で問題になる「いじめ」の構図も同じです。共通の言葉を持たないから、敵対できる。これはいつでも、どこでも生じうることです。自分では持っていると思われた言葉が、いとも簡単に暴力に代わるのです。親子だったり、兄弟・姉妹だったり、あるいは親友や仕事仲間だと認め合っていたもの同士が、突如として「敵」になることで、事件(戦争)が発生するのです。

 自分は言葉を持っていると、自信を持ってい言えるでしょうか。持っていると思っていた言葉は、何かの拍子に奪われ、あるいは言葉の力が、根底から損なわれます。その瞬間には、暴力が芽生えているのです。「ペンは剣より強し」といいますが、その「ペン」は瞬時に「剣」に代わりうるのです。ぼくたちは、そんな危険性を冒しながら、日常生活を「綱渡りしている」というべきかもしれません。大切なことは「「戦車と言葉」というときの「言葉」、どんなことがあっても「戦車」に変えてしまわない、代わってしまわない、そんな「言葉」を、わが身のうちにいつでも育てておかなければならないのです。これは、実に至難の業ですけれど、それをやり遂げようとしなければ、何時でも「暴力」は蔓延(はびこ)る。

 ペンは剣より強し、それは単なる例えでもなければ、ことわざでもなく、何時でも、誰にでも、実際に経験してもらわなければならない「生きる方法」(文化)でもある。上に見た、二人の画家は、そのことを、実に雄弁に、ぼくに示されています。「無辜」とは「無実」であり、その事実(内容・中身)がないという意味になります。有名無実などという表現がそれを示しているでしょう。死の苦しみを受ける「覚え」がない多くの人々、そのような人々がどうして死命を制せられ、苦しみや不幸を背負わされなければならないのか。ぼくたちは、身代わりになれるのでしょうか、なれないのでしょうか。この「プーチンの戦争」が続く限り、ぼく(たち)は、この問いから逃れられません。

 (露軍の戦車等の「Z」マークにはいろいろな解釈がなされていますが、もっともはっきりしているのは「7」を逆向きに並べたものだというのが本当らしい。従来から言われている、「5月9日」は独ソ戦の「戦勝記念日」で、本年は77回目だというので、その記念日のために、「P」の戦果を顕彰したいという計画のための「ウクライナ侵略」であり、そのための「武力攻撃の」続行だという。なんともたまらない「頽廃」であり、「堕落」の極致だというほかありません。愚かしいこと無比、無双、無類です。残酷だというなら、ナチだってといいたくなりますが、一刹那にしか存在しない権力者「P」の顕彰のために、かかる残虐行為を遂行する、「愚」という点では、右に出るものなしですね、そんな「屑・塵の勲章」のために無辜無数の民は「殺戮」されたというのですから、「無念」やるかたなしです。
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代かくやふり返りつゝ子もち馬(一茶)

 寒い朝を迎えました。寒暖の差が大きく、体調も天候の目まぐるしい変化に慌てているような様子が、我ながらわかります。このところ、時々、陽光のさしている時間を狙って、少しばかり歩いています。すっかり桜が終わったかと思っていたら、まだ、山桜の遅咲きが今を盛りに麗しい姿を見せている。拙宅の横の竹林にも、樹齢がかなり高い、一本の大きな山桜が満開の花びらを風や雨に散らしています。本日の雨天で、花は終わりになるのでしょう。周りの田んぼは田植えの準備に余念がありません。代掻きも苗代づくりも田植えも、今ではすべて大型の機械で実にあっさり、たった一人でやっているのを見かけます。いい時代になったのかどうか。ぼくの幼年時代(まるで井上陽水のよう)、まだまだ「田植え」は一年のうちでもっとも大事な、しかも晴れやかな作業(行事)として取り行われていました。結(ゆい)とか巻(まき)催合(もやい)とか、その他地域によっていろいろな呼び名がついていましたが、いわゆる「集合の力」が、この際に発揮されたのでした。村を挙げて、総出で「田植え」をする、そんな印象がまだ、ぼくの記憶には残っているのです。

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◎ 結(ゆい)=語源的には結う、結ぶ、結合、共同などを意味し、地域社会内の家相互間で行われる対等的労力交換、相互扶助をいう。地方によってはイイ、ユイッコ、エエなどとよばれ、また中国・四国地方のように手間換(てまがえ)、手間借(てまがり)と称する所もある。結は催合(もやい)とともにわが国の伝統的な共同労働制度の一つであるが、催合の慣行がかつて漁村で盛んで現在は衰退しつつあるのに対し、結は農山村で盛んで、現在も田植、稲刈りなどさまざまな機会に行われている。結における労力交換では、多くの場合、働き手として出動する個人の労働力の強弱はあまり問題とはされないが、一人前の人間が1日提供してくれた労力に対しては、かならず1日の労働で返済することが基本で、金銭や物で相殺することを許さない点に特徴がある。結は農耕作業で行われることが多く、起源もそこにあると考えられるが、実際の機会はそれにとどまらず、屋根の葺替(ふきか)え作業における茅(かや)の切出しや縄ないなどでもよく行われた。/ そのほか奇抜なものとして、秋田県では共同で按摩(あんま)の練習をすることを結按摩とよんでいたし、結で髪を結い合うなどの例もあり、結の意味が共同という範囲にまで拡大して解釈されることが少なくなかった。(ニッポニカ)

◎ 代掻き(しろかき)=に水を入れた状態で、土の塊を細かく砕く作業。田面に散布した肥料を混和するとともに、表面の土を柔らかくして田面を均平にし、また水田漏水を抑える効果がある。田面が凸凹だと、田植がしにくく、また、田植後に水を入れたとき、稲株が沈んだり、水が届かなかったりするので、これを防ぐために田面を均平にする作業はきわめて重要である。従来の人力あるいは畜力を用いた時代は田を荒起こししたのち水を入れ、数日置きに数回櫛型(くしがた)馬鍬(まぐわ)などを用いて代掻き作業を行って、それぞれ荒代(あらしろ)、中代(なかしろ)、植代(うえしろ)とよんだ。現在は一般に、ロータリーティラーなど耕うん用機械で耕し、水を入れてからロータリーティラー、カゴ型ローターなどで代掻きを行う。(ニッポニカ)

 唱歌「田植」も、しばしば歌っていました。その歌詞は、今から考えれば、いかにも「瑞穂の国」然としていたことを、驚きをもって、しかも懐かしくも思い出しているのです。昭和十七年といいますから、戦争のさなかだった。作詞の井上氏は島根出身の文部官僚で、長く図書監修官(教科書検定にかかわる)をつとめ「サイタサイタ」読本の生みの親でもありました。相馬盆歌に通じる「稲作賛歌」を色濃く感じさせます。「御国」「小金の花」など、ぼくは何も知らないで口ずさんでいたのでした。教室は「苗床」であるといったのは、芦田恵之助という大先輩でした。(この雑文山のどこか、裾野にあたるところに書いています)

『田植』
そろた 出そろた
さなえが そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
米はたからだ たからの草を
植えりゃ こがねの花が咲く

そろた 出そろた
植え手も そろた
植えよう 植えましょ
み国のために
ことしゃほう年 穂(ほ)に穂が咲いて
みちの小草(こぐさ)も 米がなる
(文部省唱歌『田植(たうえ)』昭和17年。作詞:井上赳、作曲:中山晋平)

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 ある時期、農家の跡取り問題が心配され、その後、それは「三ちゃん(じいちゃん・ばあちゃん・かあちゃん)農業」といわれるような、農業自体の行く末が案じられる時代を迎えました。ぼくが生まれ育った、能登半島の中ほどの村では本家と分家、あるいは新宅などという普通名詞で、その家主を表していたことを今も覚えています。長子相続という長い間続けられてきた農業の世界の劇的変化は、何時起こったか。人によって解釈や意見は異なるでしょうが、ぼくが最も面白いと思ったのは、歴史学者の網野義彦さんの「列島は戦後になって、弥生時代が終わったのだ(弥生時代は戦争に負けるまで続いていた)」という大胆な仮説(?)でした。その真偽はともかく、この社会が世界の一員として「やり直す」という覚悟(だったと思う)を決めた直後には、もう新たな産業時代に突入していったのでしょう。

 世界という「町内会」に加盟して仲良くやっていくという宣言は、やがてコメ中心の農業の姿が変化することを指し示していたともいえます。その行き着く先が、米離れと農作業の機械化と、農業人口の劇的減少時代の到来でした。しかし、さまざまな施策の導入、個々の農家の工夫と創意による「個性的農業」とでもいうような、それぞれの得意分野を限定した農業経営の展開が各地でみられるようになりました。その半面で、食生活の変化というか、米食中心から多彩な食糧需要の傾向が濃厚になったのでした。大きなテーマではありますが、ここではそれには触れません。大きな町内化に加入したのですから、互いに交流するため「付き合い方」があるのは当然、ある時期まではいろいろと迷いもあったが、そのうち、その町内会のボス(戦争に負けた相手国)の子分というか、腰巾着になることで、徐々に「世界一家」という町内会でも羽振りを利かすようになっていきました。近年では、ボス自体が、このところ急激に地盤沈下というのか、すっかり昔日の面影を失い(それは一面ではいいこと)、親分が後期高齢者でもあり、それはいけないのではありませんが、とにかく、この町内全体を広くかつ遠くまで見通す「展望」が持てないままで、老衰していくような状況が見えます。

 と、ここまでの世迷言は「田植え間近」の景観を眺めながら、今年はやたらに「休耕田」が多いという気がしてきて、それはどうしてかとなにかと心配しだしていた結果でもあるのです。このところ、立て続けに猫が通院しています。その付き添いはひたすら僕です。食事の世話も基本は当方で、まるで僕は家にいる猫の「ヘルパー」か、それ以下の扱いを受けているので、いささか、行く末を儚(はかな)んでみた次第、というのは嘘。今のところ、確たることは言えず、ぼくの印象だけで、「休耕田の増大」をいうのです。しかし、コメが生産方のようだと、毎年のようにささやかれ、それを家畜米などと称して処分しているというのも、この先の心配のためなんです。こういう本人が、おそらく何日も米の飯」を食わないで生きているのですから、世話がないのでしょうが、それだけコメ中心の生産と消費のが変化してきた、明らかな証拠もなどでもあるでしょう。

 そしていま、この大変な時期に、町内会にいながら、隣国を踏みにじって、なお「恬として恥じない」という国家が暴れだし、その勢いに多くは反対するかと思いきや、意外に多くの国が「乱暴狼藉」を称賛しさえしているのは、いかにもこの「老衰大国」のこれまでの所業を快く思っていなかった「胸の内」の顕在化であろうと愚考するのです。そんな「老衰大国」にコバンザメよろしく付着しいるだけでていいのかどうか、コバンザメの一部・一片たる「ぼく」は杞憂しているす。

 この島では、久しく「コメ余り」現象である、あるいは「フードロス」の防止などと、食材にまつわるいろいろな課題が現れてきました。健康にいい接触、食の安全なども大きな話題となってきています。そのいずれもが、なかなか一筋縄ではいかない問題の深さを持っています。「食の無駄・浪費」が云々されている一方で、貧困や、最低限の食の確保が追及されるべき問題ともなっているのです。大半が貧しかった時代から、ほとんどが満腹であるにもかかわらず、少数が空腹を訴えているという事態を、ぼくたちはどう見たらいいのか。これは一国内における問題の所在ですが、世界大でも同じような現象が認められてきました。食糧危機は、食料の不足だけではなく、必要以上に栄養過多の地域や人々がいるという、二律背反のような問題でもあるのです。

HHHHH

 朝一番(九時)に猫を連れて病院へ。レントゲンを撮って、抗生物質の注射を打って、七日分の抗炎症剤などを処方してもらい、金一万二千円也。数日前にも、近所の猫だと思われますが、喧嘩でかまれた傷口の化膿のために消毒と抗炎症剤処方。同じような金員がかかりました。(喧嘩両成敗とはいかないんですね)この後には、避妊組と去勢組、さらに「年一回のワクチン」、それが一回につき六千円だったか。七人いますから、えーと、いくらかわかりませんが、とにかく「金が出ていく、レシートは残る、残るレシート何になろ」と愚痴歌を歌いたい気分です。この行いは、けっして「み国のために」ではないのですよ。猫と付き合っていても、黄金の花が咲かないんだな。本日は終日雨のよう。

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 雨の日にはいい顔を!そして、若い人たちの楽しそうな演奏を!❣(Flashmob Concentración Músicos de Cuerda “Málaga por la Música”)(https://www.youtube.com/watch?v=U4ApptU7dyE

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その時、心、さらにこたふる事なし

 抑(そもそも)、一期の月かげ傾(かたぶ)きて、余算の山の端(は)に近し。たちまちに、三途の闇に向はんとす。なにのわざをかかこたむとする。仏の教へ給ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり。今、草庵を愛するも、閑寂(かんせき)に著(ぢゃく)するも、さばかりなるべし。いかが、要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ。

 静かなる暁、このことわりを思ひつづけて、みづから、心に問ひていはく、世をのがれて、山林にまじはるは、心を修めて道を行はむとなり。しかるを、汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり、住みかはすなはち、浄明居士(じょうみょうこじ)の跡をけがせりといへども、たもつところはわづかに周利槃特(しゅりはんどく)が行だにおよばず。もし、これ貧賤の報(むくい)のみづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし。ただかたはらに、舌根をやとひて、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ。

 于時(ときに)建暦の二年(ふたとせ)、弥生のつごもりごろ、桑門の蓮胤(れんいん)、外山の庵にして、これをしるす。(「方丈記」参考文献は既出)

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 「方丈記」の最後の部分です。「建暦二年」は一二一二年、「方丈記」が完成した年。同年には、法然も亡くなっていますが、はたして長明は、それを知っていたかどうか。その四年後に長明は亡くなります。六十二歳でした。

 この一文をここに引用した深い意味はありません。その長明さんですら、「要なき楽しみを述べて、あたら、時を過ぐさむ」つまらないことを述べて無駄にする時間があるのか、そもそも、山林に入り、草庵を開いたのは修行のためではなかったか。今のお前は「姿は聖人でも、心は濁りに染まっているではないか」という彼の「自己領解」は、およそ仏教徒の道からはるかに離れていたのです。周利槃特(釈迦の弟子の一人で「生来愚鈍で愚路とよばれたが、のちに大悟したという)(デジタル大辞泉)にすら及ばないとは、出生や生活の貧しさ賤しさの報いか、あるいは妄信が身を狂わせたのか。「その時、心、さらにこたふる事なし」長明は、自問して、自答することがなかった。辛うじて、「南無阿弥陀仏」を三度ばかり唱えて、後は何もしなかった・できなかった。

 まさしく、「一巻の終わり」です。長明さんなのだから、もっと悟りを開いていただろうとか、もう少し修行者らしい一面を見せてくれてもよかったではないか、世の多くの人々はそう考えたかもしれません。しかし、長明は「舌根をやとひて(ちょっと舌を動かして)、不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」気が進まないながらも、念仏を三度唱えただけでした。生に(を)悟る、死に(を)悟るといいますが、その多くは「言ってみるだけ」ではないでしょうか。生死を超越していた、などといわれる人が時にはいましたが、それはどういうことでしたか。

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 ぼくは「宗教」とはおよそ縁遠い生き方をしてきました。宗教問題に関するいくらかの読書体験はありますが、自らが「修行」するなどということはただの一度だってしたことがないし、「教理」に深くひかれたことはまったくありません。日本流の仏教(既成仏教)の「虚飾」「形骸化」にはむしろうんざりしていたところがありました。もちろん、ぼくの知らないところで、「大悟」を開いた人はいたでしょう。しかし、そもそも、「人生とは何ぞや」などという答えのなさそうな疑問や難問は、ぼくには生まれてこの方、ただの一度だって生じたことがないのです。これをして「罰当たり」といわれるのか、あるいは「恩知らず」「縁なき衆生」と謗(そし)られるのでしょうか。これはキリスト教も同じでしょうが、信者になり、信仰を持つことで「救われる」ものは何でしょうか。このような問題に関しては少し前にユダヤ教の「ラビ(教師)」だった人の話に触れたことがあります(H.S.クシュナー「なぜ私だけが苦しむのか」岩波現代文庫)。「深く神を信じている」にもかかわらず、どうして不幸があの人に、あるいはこの私に起こるのか、それに対して教会やそこにいる神父たちは答えられないと思うのです。いや、正確に言えば、なんとでもいえるというだけの話でしょう。仏教徒であり、キリスト教徒であるということで「安心」が得られることはあるでしょう、それもつかの間ですが。

 神を信じている人にも信じていない人にも「災害」は起こる。戦争の犠牲者になるのは、信仰が足りなかったからだといえる牧師はいるのでしょうか。仏教でも同じことが言われてきました。日中戦争や日米戦争で「鬼畜米英」と、憎き敵を殲滅すべく「旗を振った」のは本願寺であり、高野山であったし、その他も残らずに参戦したのです。個人において「戦争の非なること」を身をもって訴えた信仰者はいました。でも信心に関係なく、そのような「人間の正しさ」を求めた人はいつでもどこにでもいるのです。信仰というのは「姿勢を正す」ということ、それだけではないにしても、そこから離れては成り立たないのではないでしょうか。名もない神や仏はいるのでしょう。「信仰を持たない」というのは「啓示」を与える神や仏に依存していないということであって、少なくとも「自らを超えた、ある何か」に対して、ぼくたちは拝むのであり、祈るのでしょう。

 「なぜ、こんな不幸が私の家族に?」「神の前に正しい生き方をしてきたのに」「阿弥陀さんに願いは通じなかったのはどうしてか?」とぼくたちは言いたくなります。しかし、それに対して神や仏は答えられないのです。その解答は自分で見つけるしかないのです。その発見に至る道を、「神」や「仏」がともに歩いてくれるだけです。(そのように考える・信じるのは自分心です)その人といっしょに歩く人を、ぼくたちは「神」といい「仏」というのでしょう。でも、まったく別の名で呼んだってかまわない。現にウクライナの地で「無辜(むこ)の民」が「虐殺」されています。その惨状に対してローマ教皇は「お願いだから、もうやめてください」というしかなかったのです。

 宗教に関して、言わなければならぬことは多くありますが、ここで言いたかったのは、信仰を持つとか持たないことが、人生にどれだけの有効性をもたらすか、それは人それぞれで、何とも言えないのです。信仰を持つことで、自らの生活を律する人もいるでしょうし、そうでないからでたらめの生活に明け暮れたということもできないのです。答えに窮する難問は、生きているさなかにいくらでも起こるでしょう。その難問を超えるには「信仰」の力による人もあれば、それ以外の何かによる人もいるのです。「神も仏もあるものか」といいたくなる時、それは神や仏に「助けてくれるのは当然ではないか」という「信仰」による迷い(依存心)ではないでしょうか、信仰心が足りるとか足りないの問題ではなく、生きる姿勢や態度にこそ、ぼくたちは足場を築くべきだと思うのです。それを教えてくれていると、ぼくが愚考したのが「方丈記」の最後の一文だったのです。

 「汝、すがたは聖人(ひじり)にて、心は濁りに染(し)めり」「もし、これ貧賤の報(むくい)のみづから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか。その時、心、さらにこたふる事なし」「不請阿弥陀仏、両三遍申してやみぬ」このように答えるしかできなかった長明さんを、ぼくは、この上なく好んできました。悩みをそのままに、自らに隠さなかったという意味で。

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 ロイター通信によると、教皇はロシアの侵攻を巡り、「残酷で無意味な戦争に巻き込まれ、暴力と破壊によって痛めつけられたウクライナに平和が訪れるように」と訴えた。/また「あまりにも多くの流血と暴力を見てきた」と述べ、名指しを避けつつも、ロシアを批判した。ウクライナからの難民を受け入れている隣国ポーランドなどの人々に謝意を表明し、早期に戦争が終結し、平和がもたらされることに期待を示した。(以下略)(読売新聞・2022/04/18)

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 このところ、ずっと<sound of silence>に惹かれつづけている。「沈黙の音」「静寂の声」とは何でしょうか。轟音が響き渡り、烈風が吹きすさぶ地獄さながらの境地に、しかし「沈黙の音」「静寂の声」が、きっとぼくたちにまで届いているような気がしてならないのです。

                                                                                                                 “The words of the prophets are Written on the subway walls And tenement halls And whispered in the sound of silence.”(https://www.youtube.com/watch?v=NAEppFUWLfc

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