「民主主義の道」は「地平線への歩み」

(11月、香港の裁判所敷地内で記者会見する民主派の(左から)周庭氏、林朗彦氏、黄之鋒氏=共同)

 【上海=白山泉】香港の裁判所は2日、昨年6月の反政府デモを巡り、いずれも民主活動家の周庭しゅうてい氏(23)に禁錮10月、黄之鋒こうしほう氏(24)に禁錮13月半、林朗彦氏(26)に禁錮7月の実刑判決をそれぞれ言い渡した。昨年6月21日の反政府デモの際、警察本部を包囲する無許可集会に参加した罪や参加を扇動した罪とされる。(東京新聞・2020/12/02)

 蔡総統、周庭氏ら禁錮刑に「遺憾」 香港民主化弾圧を批判台湾の蔡英文総統は2日夜、香港で無許可集会扇動罪などに問われた民主活動家の周庭、黄之鋒の両氏ら民主活動家3人に禁錮刑が言い渡されたことに対し、フェイスブックで「深い遺憾」を表明し、香港人による民主化の要求を弾圧するものだと判決を批判した。/ 蔡氏は、台湾が独裁体制から民主主義に移行する過程で奮闘したことに触れて「香港人も心に秘めた理想を忘れてはいけない。まだ絶望する時ではない」と呼び掛け、台湾は民主化を目指す香港人を支援するとエールを送った。(共同)(産經新聞・2020.12.3 08:3)

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 民主化要求のための「雨傘運動」デモが香港で起ったのは2014年です。以来、六年が経過しました。燃え上がったかに思われた香港人民の熱気は中国の「圧政」「暴力」「弾圧」で一気に消滅したのでしょうか。決してそうではないでしょう。百万からの民衆の心の中に灯された民主化への「希求」は絶えることはないし、いまもなお熱く燃えていると、ぼくは思う。闘争とか運動は「表現」を求めるのですが、それ以上に、暴力や弾圧に向かう「抵抗」する志は派手なものでもなく、華やかなものでもない。ぼくが、ささやかとはいえ、幾多の歴史の学習を通して得た確信のようなものは、いったん前に向かうベクトルが現れたら、再び逆流も反転もしないということです。一歩進んで二歩下がるという、まるで牛歩以下の緩やかな歩みに見えても、着実に前進しているはずです。今回の暴力的な「有罪」宣告は、かえって「中国権力中枢」側の焦りや手詰まりを示しているだけであるとも、ぼくは見ています。「青二才たちに勝手なこと」をさせてしまった、「蟻の一穴天下の破れ」ということになりかねない、一連の強権政治には、いかにも習体制の恐怖心が明らかに見て取れます。

 例えば、周さんや黄さん、林さんたちが三十歳になる頃にはどうでしょう。中国も香港も、さらには台湾もきっと「民主主義」の価値をもっと認めることになっているかもしれません。ぼくは予言も予断もできないし、だからそれはしませんが、自由や平等という生きる支えになる(目に見えない空気のような)価値の尊重には大きな期待を持っているのです。人権を尊重する、その程度のやさしさや気高さがあっても損はしないという「別種の政治」に深い値打ちを認めるものです。

 「民衆が民衆である限りにおいて、民主主義は、その言葉の全的な意味では、つねに理念以外の何物でもない。良かれ悪しかれ、人は地平線に近づいて行くのと同じで、決して全的にその理念に到達することはありえない」と、アメリア議会で述べたのは劇作家でもあった、チェコ大統領のハ―ヴェル(Vaclav Havel)さんでした。1990年2月のことでした。(彼については別の機会に)ソ連の圧政に踏みにじられ、ハ―ヴェル自身も数か月前に逮捕され「私はこの度は二日ですむのか、それとも二年もかかるのか、全然見当がつかなかった」それから一か月半後に、彼は大統領に選ばれた。香港の若い活動家の中に「ハ―ヴェル」がいないとは誰にも言えない。

 人は、果てしない地平線へ向かうが、そこに到達することはありません。でも、そこに向かって「歩いた」という歴史(経験)は、自分にも他人にも、さらには国家にさえ、たくさんの事実を生みだしてくれるのです。

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震源地探しは必要、感染予防はもっと必要

 U.S. Covid Cases Found as Early as December 2019, Says Study Bloomberg News(2020年12月1日 17:36 JST Updated on 2020年12月1日 17:44 JST)

Testing has found Covid-19 infections in the U.S. in December 2019, according to a study, providing further evidence indicating the coronavirus was spreading globally weeks before the first cases were reported in China.

The study published Monday identified 106 infections from 7,389 blood samples collected from donors in nine U.S. states between Dec. 13 and Jan. 17. The samples, collected by the American Red Cross, were sent to the U.S. Centers for Disease Control and Prevention for testing to detect if there were antibodies against the virus.

“The findings of this report suggest that SARS-CoV-2 infections may have been present in the U.S. in December 2019, earlier than previously recognized,” the paper said.(Omitted below)(https://www.bloomberg.com/news/articles/2020-12-01/covid-infections-found-in-u-s-in-2019-weeks-before-china-cases)

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 フランスにおいても昨年末に「インフルエンザに似た症状」で入院した患者が、死後にコロナウィルスに感染していたことが判明したと、上記記事には書かれています。その他、いくつもの報告がなされており、「武漢発」が証明されていないことを裏付けるような状況にあります。この島でも、国会審議で「武漢ウイルス」を連呼した議員が一人や二人ではありませんでした。中国発、武漢発生源説に驚喜したのか乱舞したのか、いかにもありそうな「単細胞」輩です。それが「武漢発」であったとしたら、どうだというのですかね。賠償や保証を取れという「強盗まがい」も出る始末です。

 いったい、発生源がどこであったか、はっきりとした断定ができるのかどうか、ぼくにはわかりませんまだ」、まだまだ未知の世界は広いのであり、新型ウィルスに関しても暗中模索の状態にあるのが医学界ではないですか。一年を経過し杳として正体を捕まえられないこと自体、ぼくたちはいかにも手探りで暗闇を歩いているというのが現実です。どんなところにも政治が入り込みますし、それは避けられないのですが、「余談」「偏見」がいかにも「正論の衣」を被り「正論風」を吹かせて闊歩するのは世間では日常の、ありふれた景色なんですかね。

 「仮想敵国化」「敵国氏視」すると、評判が上がり、人気はうなぎのぼり、こんな場面をぼくたちはいたるところで見せられています。でも、とぼくは立ち止まる。かかる状況にあって「絶叫している当人」は、きっと隠れたところで、さまざまな悪事を働いているに違いないと、確信をもってとはいいませんが、そういってもそんなに外れないのではないですか。これは別に政治家や人気者だけにかぎりません。(左は厚労省作のポスター)

 「巧言令色仁に鮮なし」、あるいは「巧言令色鮮し仁」(《「論語」学而から》巧みな言葉を用い、表情をとりつくろって人に気に入られようとする者には、の心が欠けている。)(デジタル大辞泉)

  これは、「論語読みの論語知らず」であっても、ぼくはとてもすきな箴言です。多弁で流ちょうな、立て板に水のような「お喋り」には気をつけなさいね、真心なんかないのだから、というのでしょうね。その正反対になるような、「剛毅木訥仁に近し」(子路)というのがあります。読んで字の通りです。「剛毅は意志堅固」「朴訥は虚飾がなく、寡黙なこと」、こんな人はほんとに少ない。ひょっとしたら、絶滅種だったかもしれませんね。いたら、格好いいとファンになりそう。

 「巧言令色」「讒諂面諛」「阿諛追従」「奸佞邪智」「面従後言」「甘言蜜語」…、もうどうにも止まらないような、同類後の連鎖です。その多くは中国の古典中に見られたものです。その意味は、「今も昔も変わらぬものは、馬顔の長さと人の性」(無骨)でしょう。こういう「性(さが)に生きている輩がやたらに「政治家」に多いのは、たしかな理由があるんでしょうね。

 「論語(季氏)」はいってます、こんなのがありますよって。「損者三友」「益者三友」と。おおよその雰囲気は分かりますね。中味は言いません。兼好さんにも、にたような人物評がありました。

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大統領はAIに支配されているのだ

 米国大統領の投稿するSNSを追跡しているわけではありせんが、そのほとんどを報道を通じて読んでいます。彼の発言…

信じるために 飛び始めるのです

 3月31日(火)、年度最終日。特別に感慨があるはずもない。明日は年度初めですから、まるで「大晦日」と「元日」…

「余得にあずかる」、それは稀有なことだ

 百人一首の選者である藤(ふじ)原(わらの)定家(さだいえ)の日記「明月記」は、超新星爆発をはじめ世界的にも貴重な天文記録があることで知られる。その定家は治承4(1180)年9月に、京で巨大な火球を目撃して記録している▲「夜半ばのころ、天中に光り物が現れた。大きさは、鞠(まり)のほどか。色は燃えるようで、躍るように南西から北東へ飛び、しばらくすると炉を打ち破ったように破裂した。火は空中に散って消えたが、もしや大流星か。驚き怪しんだ」▲先日の未明、東海から近畿、四国の広い範囲で映像にとらえられた火球とよく似た描写である。今回の火球は燃え上がって破裂した瞬間に空全体を明るく照らし出した。専門家によれば、満月と同じ程度の明るさだったと推定される▲振り返れば、今年7月には関東や東海で大火球が目撃された後、千葉県習志野(ならしの)市などで火球のものと思われる隕石(いんせき)の破片が発見された。火球の目撃と隕石本体の発見が同時になされたのは国内初というから、今年は火球の当たり年か▲習志野隕石もそうだが、隕石はその多くが太陽系誕生当時の様子を伝えるタイムカプセルだといわれる。そういえば、この6日未明には「はやぶさ2」が太陽系の成り立ちを伝える小惑星の砂を地球に送り届ける予定にもなっている▲目前のコロナ禍に追われる今年だが、空気の冷たく澄んだ夜には視線を遠く星空に放ってはどうだろうか。私たちはどこから来てどこへ行くのか。次々にやってくる「宇宙からの便り」がそう考えさせてくれる。(毎日新聞・2020/12/02)

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 ときどき、気が向いたら「余録」氏を引きあいに出してはなにかと文句を言い募ったり、なるほど「そうだったか」と納得させられることがあります。これは、変わらない生活の中の「余録」だといえるかもしれません。何気なしに使っている「余録」という語、改めて考えるほどのものでもありませんが、はて、どんな意味があるのかと、「字引き」にカーソルを合わせます。これぞ「辞書」という見本のような説明があります。「「余得」に同じ。「余禄の多い仕事」」というのは毎度世話になっているデジタル大辞泉。では「余得」とはと尋ねると、「余分の利得余禄。「余得にあずかる」「給料以外に余得がある」」とあります。何ですか、これ。

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 じゃあ、毎日新聞の「名物コラム」は、どんな語として使われてきたのですか。ぼくにはよくわからない。「余分の利得」からの「余得」では同語反復で、たんに略しただけでしょ。(ある辞書で「右」を引いたら「左」でないこととありました。これで金をとって売ってるんですからね)このコラムは「新聞代」以上に得をしたというので「余録」なのか。あるいは余り(残り)ものに福があるという「余録」なのか。大辞泉は言っています、「人が取り残したものや最後に残ったものの中には、意外によいものがある。」と。こんなところでしょうか。「意外によいもの」というのはめったにないといえますね。だから「余録を授かる」「余得にあずから」というんでしょうか。まるで「神頼み」です。

 つまらぬ詮索は横において、さて「明月記」です。奇遇と言えばそうですが、ぼくはこの「コラム」を見逃して脇で「定家」を書こうとして「前置き」を記したのが昨日です。新聞記者でも編集者でもありませんから、単なる偶然と、ひとりほくそ笑むという程度の事でした。「空気の冷たく澄んだ夜には視線を遠く星空に放ってはどうだろうか。私たちはどこから来てどこへ行くのか。次々にやってくる「宇宙からの便り」がそう考えさせてくれる。」というコラム氏の思索へのいざないが、あるいは読者にとっても「余録」なのかもしれないですね。本年はコロナばかりではない、たしかに「隕石」の当たり年のようなめぐり合わせです。

 しばらく前には「火星が地球に接近します」という「国立天文台」発の記事も出ていました。

(夜空で赤く輝く火星は、地球の一つ外側を公転している惑星です。火星は直径が地球の半分ほどしかなく、地球から遠い位置にあるときには、望遠鏡を使っても表面の様子をなかなか観察することができません。しかし、火星はおよそ2年2カ月ごとに地球に接近し、観察の好機を迎えます。その観望の好機が2020年の秋に訪れます。2020年の秋は、赤く輝く火星に注目しましょう。)

 《 今回の火星と地球の最接近は、2020年10月6日に起こります。このときの火星と地球の間の距離は約6207万キロメートル。最接近の頃の火星はマイナス2.6等の明るさで輝き、視直径は約22.6秒角です。/ 2018年の最接近の際には、地球と火星は約5759万キロメートルまで接近するいわゆる「大接近」となり、大きな話題になりました。2018年の最接近には及ばないものの、今回の最接近時の火星の視直径は20秒角を超え、明るさもマイナス2等を超え、見ごたえは十分です。/「最接近」と聞くと、その日にちや時刻ばかりを気にしてしまいがちです。しかし、火星は2020年9月上旬から11月初旬までマイナス2等以上の明るさを保ち、観察しやすい時期が長く続きます》(https://www.nao.ac.jp/astro/feature/mars2020/)

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 「見上げてごらん 夜の星を」と謳ったのは坂本九さん。悪乗りしているのが「N@K」という政府広報(みたいな)テレビです。「NHKでは、この冬「#見上げてごらん」をキャッチフレーズに新型コロナウイルスと向き合う人、新しい生活の中で頑張る人を応援します。コロナ禍に負けず気持ちが上向きになる写真を大募集!「希望」「感謝」「しあわせ」を感じる写真を、エピソードとともにお寄せください。」(https://www.nhk.or.jp/shutoken/yokohama/miagetegoran/)

 他人の「フン✖シ」で相撲を取るの類で、自分は何をしているんですか。もっと、知恵と金をだなさなけりゃ。「みなさまの…」が泣きますよ、いやもうとっくに泣いています。

 さらに、時節柄「歳末助け合い募金」です。「「NHK歳末たすけあい」は、共同募金会を通じて、国内の福祉施設やコロナ禍で不安を抱える方など、支援を必要とする方々のために役立てられます。「NHK海外たすけあい」は、日本赤十字社を通じて、世界各地の紛争や自然災害、感染症などに苦しむ人々のために役立てられます。」(https://www.nhk.or.jp/event/tasukeai/)と、これも恒例行事です。「みなさまの…」はこのように言いますが、それ以上に、他人に求めるばかりではなく、なぜ「自分から寄付」しないのかと、何時も疑問に思い、不信をいだいています。きっと「俺たちの…」というのが本音でしょ。ぼくはテレビを見ないけど、かみさんがファン(しょうもない)で、「見物代」を払っているから、文句の一つも言いたくなるのです。

 ここでぼくには驚愕するような妄想が浮かびました。募金します、寄付します、というのは「庶民」だとすると、じゃ「みなさまの…」はどういう役回りですか、まさかD通みたいに「中抜き」なんか、と。(「みなさまの」会社も新聞社Aも「仮の本業」は不振でも、「別の本業」(不動産業)は盛業だそうです)

 つまらない寝言(ではないかもしれない)をいっているうちに、「定家」が消えてしまいました。火の玉になって、何かに衝突したか、あるいは「鎌倉の世」に飛び散ったか。ぼくは、これから「定家の破片」を見つけなければならないようです。

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当初ノ僚友往キテ留ル無シ

 早い段階で、このブログで触れた堀田善衛さんです。熱心な読者じゃなかったが、彼の主だったといわれるものは読んできました。とくに「定家明月記私抄」は耽読しました。それについて駄文を、少し書いて見たくなりました。「明月記」とはなにか。

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● 明月記=藤原定家(ていか)の日記で「照光記」ともいう。現存は、1180年(治承4)の18歳から1235年(嘉禎1)74歳までの56年間の日次(ひなみ)日記。途中欠脱もあるが、原本の多くが冷泉(れいぜい)家時雨(しぐれ)亭文庫に現存する。冷泉家に残る譲状(ゆずりじょう)によると、仁治(にんじ)年間(1240~43)まで記されたのであった。また、『明月記』の引用は嘉禎(かてい)4年の記事まである。時雨亭文庫現蔵は、1192年(建久3)~1233年(天福1)までの54巻(途中欠脱年あり)で、そのほか諸文庫にも伝存する。定家の生活や個性を知る最大の資料であるほか、歌壇の動きや詠歌事情、『新古今集』撰修(せんしゅう)の実状が詳細に記され、晩年に多くの古典書写をしたその実態が知られる。また、鎌倉初期の公家(くげ)の政争や生活、ときには庶民社会の記事を含んでいて注目される(ニッポニカ)

● 鎌倉時代、藤原定家の漢文体日記。治承4~嘉禎元年(1180~1235)までの公事・故事・歌道に関する見聞などを記し、史料としての価値が高い。(デジタル大辞泉)

●藤原定家=1162‐1241(応保2‐仁治2) 中世初期の歌人。〈ていか〉ともよばれる。父は俊成,母は藤原親忠の女で,初め藤原為経(寂超)の妻となり隆信を生み,のち俊成の妻となった。兄は10人以上あったが成家のほかはすべて出家,姉も10人以上あり妹が1人あった。 定家は14歳のとき赤斑瘡,16歳には痘にかかりいずれも危篤に陥り終生呼吸器性疾患,神経症的異常に悩まされた。19歳の春の夜,梅花春月のに一種狂的な興奮を覚え,独特の妖艶美を獲得した。この美に拠って86年(文治2)和歌革命を行い(《二見浦百首》),天下貴賤から〈新儀非拠達磨歌〉との誹謗(ひぼう)を受け,14年間苦境にあえいだ。(世界大百科事典)

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 来ぬ人をまつほの浦の夕凪(ゆふなぎ)に焼くや藻塩(もしほ)の身も焦がれつつ

 これが代表的なものかどうか、ぼくにはわかりませんが、こんな程度の歌詠みで、百人一首に残るとは。身が焼き焦がれるほど、想い人を俟つとは、なんともつらいね。定家の想い人は夢か現か、ぼくには定かではありませんが、これなら、今日にも当たり前に通用します。定家は、まさか「さざんかの宿」で「来ぬ人をまつ」身だったんですかね。

 中世歌人の筆頭格と謳われた歌人であり、「名門」の出とあれば、さぞかしその出処進退はいかにも、名誉の人にふさわしいものだったかと、貧しい想像力を駆り立てるほかありません。堀田さんは「戦時中」に「定家」に出会われた。生身のじゃなく、歴上の人としての定家に、です。

 「私はこれまでの生涯をかえりみてみて、いくつかの言葉が、指標のようにして立っているのを見る。/ もっとも早く来たものが、戦時中に知った、藤原定家の日記である明月記中の、

 紅旗征戎非吾事。(紅旗征戎ハ我事ニ非ズ。)

 戦争なんぞおれの知ったことか、というものであった。天皇からの召集令状なるものが、今日来るか明日来るかと、兢々としていた時に、戦争なんぞ、と言い放つことのできた定家が、心底から羨ましかったのである。この一言は、私の生涯に強い尾を引きつづけて、六十代の大半を明月記の解読に費やされる羽目になった。『定家明月記私抄』正続二冊(新潮社)がそれである。」(堀田『天上大風』ちくま学芸文庫)

  源平の合戦が終わったのは、定家二十過ぎの千百八十五年(これを「治承・寿永の乱」という)だった。「朝廷(紅旗)に纏わらない(抵抗する)蛮族である戎を征伐する」、そんなことは「俺は知らぬ存ぜぬ」と定家は言うのです。今からは想像もできない「戦乱」に明け暮れていた御代、歌人の行く末には暗雲が立ち込めていたといっていいでしょう。ここに定家論をさらすのではありません。「堀田さんの顰」というものを思い描き、何かそこから学べるかと愚考したまでです。あるいは堀田さんの定家解読をなぞりながら、過ぎてしまった「定家の時代」を「俯瞰」しようという生意気な、でもいつの時代にも通う「はかなさ」というものを垣間見たいと、目を覚ましていながら寝言を言うような仕儀をしでかそうというわけです。ひょっとして鴨長明に再会できるかもしれない。(この項、断続しながら綴ります)

 良夜清光ノ晴未ダ忘レズ 当初ノ僚友往キテ留ル無シ(定家)

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こがらし こがらし さむいみち

「たきび」(巽聖歌作詞・渡辺茂作曲)

かきねの かきねの まがりかど
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
きたかぜぴいぷう ふいている

さざんか さざんか さいたみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
しもやけ おててが もうかゆい

こがらし こがらし さむいみち
たきびだ たきびだ おちばたき
「あたろうか」「あたろうよ」
そうだん しながら あるいてく

「今も人々に愛唱されている「たきび」のうた。この童謡の作詩者巽聖歌(たつみせいか:本名:野村七蔵1905~1973)は、岩手県に生まれ、北原白秋に師事した詩人で、多くの優れた児童詩を残しました。/ 聖歌は、この詩が作られびた昭和5、6年頃から約13年の間、萬昌院のすぐ近く、現在の上高田4丁目に家を借りて住んでいました。/ 朝な夕なにこのあたりを散歩しながら、「たきび」のうたの詩情をわかせたといわれています。/ 歳月が流れ、武蔵野の景観が次第に消えていくなかで、けやきの大木がそびえ垣根の続くこの一角は、今もほのかに当時の面影をしのぶことができる場所といえましょう。」昭和58年3月 中野区教育委員会(https://www.ai-road.com

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 何年も前でした、身過ぎのための浮き草稼業で、致し方なく都内へわが身が運ばれていたころ、ふと思い立って中野区に赴きました。この看板がかかっている場所でした。当時は背丈の二倍はあろうかというほどの「山茶花」が垣根(に相応しくないいで立ちで)仕立てで茂っていました。以来、幾星霜というほどの時もたっていませんが、あたりの風景は一変してしまったようです。まだ昭和といった頃でした。

 巽聖歌と渡辺茂のお二人とは、語るほどではありませんが、ちょっとした因縁がありました。懐かしい人になりました。今はあまり語りたくもありませんので、省略。「たきび」は昭和十六年の初出でした。「国民学校」時代の始まりに当たっていました。

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 「JASRACには『たき火』として登録され、作曲渡辺茂(2002年没)・作詞巽聖歌(1973年没)とも没後50年を経過していないので、著作権は有効である。

 当時、巽は東京都中野区上高田に在住していたが、自宅の近辺には樹齢300年を越す大きなケヤキが6本ある「ケヤキ屋敷」と呼ばれる家があった。その家にはケヤキの他にもカシムクノキなどがあり、住人はその枯葉を畑の肥料にしたり、焚き火に使ったりしていた。「ケヤキ屋敷」の付近をよく散歩していた巽は、その風景をもとに詞を完成させた。」(中略)

「12月9日と10日の「幼児の時間」で楽曲が流された。当初は12月9日から3日間の放送で流すことを予定していたが、12月8日に太平洋戦争が勃発したために、初日に放送されると軍当局から「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」とNHKに批判があり、11日の放送は戦時番組に切り替えられた。」(wikipedia)

 この唱歌を聴くと、まず巽さんを思い出し、次いで無著成恭さんが連想される。さらに無著さんから平野婦美子さんへ、あるいは「山びこ学校」の山元中学校、あるいは都内吉祥寺の明星学園へ、さらにはそこに集ったたくさんの教師たち、さらにさらに…。かくして、ぼくの夢の中の連想の糸、あるいは人々の連鎖は、夢幻の境を行き来しています。

 それ以上に、この唄からぼくが受ける汚れ切った印象は、「焚き火は敵機の攻撃目標になる」「落ち葉は風呂を炊く貴重な資源だからもったいない」という「戦時の愚劣」の加減です。泣きたくなるほどの愚劣です。この権力に連なる末端の「愚劣」は権力そのものの「愚劣」にほかなりません。軍の広報機関だった「N#K」も含めて、今日と少しも変わらないというのではなく、今日もまた「総力戦」時代であり、「戦時下」にあるということになるでしょう。いったい誰と誰が闘っているのでしようか。この国家にこびりついた「愚劣」の連鎖も万世一系です。巽さんも浮かばれないと想えば、無性に悲しくなります。彼も鎖にとらわれていた人でした。ぼくの貧相な書架には巽さんの著書が何冊か、しばらく読まないままで埃をかぶっています。

 (さらにもう一つ、ぼくの下品な性分のしからしむるところ、連鎖は「不倫地獄」の修羅場に落ちていきます。「さざんかの宿」です。「くもりガラスをふいて 明日が見えますか」というのか。「愛しても愛しても 他人(ひと)の妻」「燃えたって 燃えたって 他人の妻」と知って、それをいうのか。こんな不倫に「春はいつ来る」などと、何を考えているかと、ぼくは吉川治さんに直言したいですね。「さざんか」を先入観なくしては、見られなくなったじゃありませんか、と。裏庭には五、六本の山茶花が今を盛りに花をつけています。「燃えたって 燃えたって」と唄う「他人の妻」は、幸いにか?ぼくには いませんなあ。

 ぼくは今頃は、ほぼ毎日のように「焚火」をします。いや、それは「野焼き」だと言われるほど、たくさんの焼却物を始末しているのですが、この時間ばかりは「無心」になれるのですから、これだけでも田舎暮らしの値打ちがあるというものでしょう。「野焼きだ 野焼きだ あたろうよ」だね。この地に来て間もないころ、拙宅前の畑の刈り取った「雑草」に火をつけたところ、瞬く間に燃え広がり、直ちに消防車が直行、草刈りをしていた人にもたんまりと「冷や水」がかけられたし、こっぴどく叱られていました。気を付けたいね、いかにも怒られ方がすごかった。家の中まで、叱声が聞こえてきたのですから。

 「北風」は今も変わらず吹きすさびぶ。「しもやけ」は撲滅されたのでしょうか。あるいは痛いしかゆいと、顔をしかめて泣いている人がいるのでしょうか。「そうだんしながら」あるいているお子たちは、今はどこに消えたのか。すっかり姿を隠してしまいました。この島にも「ハーメルンの笛吹き」が現れたのかもしれません。いつでも、どこでも「あたろうか あたろうよ」と、声をかけ仲間に入れてくれる「焚火のような人情」をこそ、ぼくたちは恋しく思い、消したくないと願っているのです。

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看護師たちは真っ昼間から泣いている

高齢コロナ患者を抱きしめる医師が話題に、連続勤務252日目

2020年12月1日 11:20 発信地:ワシントンD.C./米国 [ 米国 北米 ]

【12月1日 AFP】米テキサス州の病院の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)専門の集中治療室(ICU)で、取り乱した高齢の患者を抱きしめて慰める医師の写真が世界中に拡散し、話題となっている。撮影時、この医師は連続勤務252日目だったという。

 写っているのは、テキサス州ヒューストン(Houston)にあるユナイテッド・メモリアル医療センター(United Memorial Medical Center)の医局長、ジョセフ・バロン(Joseph Varon)医師。感謝祭の日に白髪の男性患者を抱きしめる姿を、写真販売代理店ゲッティイメージズ(Getty Images)のフォトグラファーが撮影した。

 バロン医師は11月30日、米CNNに対し、新型コロナ専門ICUに入っていくと、高齢の男性患者が「ベッドから下りて、治療室から出ていこうとしていた」と語った。「彼は泣いていた」

 バロン医師は患者に近づき泣いている理由を尋ねた。「彼は『妻と一緒にいたい』と言った。私はただ彼をつかみ、抱きしめた」と述べ、「本当に切なかった。彼と同じように、私もとても悲しかった」と続けた。「やがて彼は落ち着き、泣くのをやめた」

 CNNの取材に応じた日、連続勤務256日目だと述べたバロン医師は「どうして自分が倒れていないのか分からない」と語った。「看護師たちは真っ昼間から泣いている」(中略)

 バロン医師はまた新型コロナのパンデミック(世界的な大流行)を警戒しない人々にもメッセージを送り、「バーやレストラン、ショッピングモールに多くの人が出掛けている」と述べた。「クレージーだ。忠告を聞き入れなかった人々が、私のICUに来ることになる」

 続けて「みんなを抱きしめなければいけない状態など求めていない。それを知ってほしい」と述べた。「みんなが基本的な予防措置を取る必要がある──対人距離を確保する、マスクを着ける、手を洗う、人がたくさんいる場所に行かないといったことだ」

「みんながそうしたことを守ってくれて、私たち医療従事者が休めるといいのだが」 (c)AFP

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 現段階では特効薬などはないし、もちろんワクチンも、最終段階とはいえ、まだ開発中です。迎えくる季節は、ウィルスには最良かもしれませんが、感染する側には最悪です。光明のないトンネルに入ったままです。感染を防ぐには何が必要か。何ができるのか。「クレージーだ。忠告を聞き入れなかった人々が、私のICUに来ることになる」と件の医師は言います。さらに「みんなを抱きしめなければいけない状態など求めていない。それを知ってほしい」と述べた。「みんなが基本的な予防措置を取る必要がある──対人距離を確保する、マスクを着ける、手を洗う、人がたくさんいる場所に行かないといったことだ」と。それ以外に何があるか。ぼくたちの島でも事態は予断を許さないままで厳寒一直線と突き進んでいます。

 「国民のいのちを護る、これがわたしの政権の最優先課題」というのは島の村長さんです。ホントかね。その椅子に座る人間の言葉ほど信用ならないものはないことを、庶民は知っています。自らのいのちは、自らで守る。ひたすら「専守防衛」に尽きると、ぼくは考えています。「先制攻撃」もダメだし、「敵を迎撃する」手段ももっていない。眼にも見えず、鼻にも臭わず、正体不明ながら、四方八方に潜んでいる、もちろん我が体内にも深く静かに潜航しているかもしれない。決して侮るなかれ。睡眠をよくとる。疲労を重ねない。そして「頭寒足熱」となれば、またいい知恵も浮かんでくるでしょう。(この島の政府や「対策チーム」、さらには連日テレビなどに専門家面して「忠告・指図」をしている一団は、この春先から同じことの繰り返し。事態はいっこう改善されないのは、当然なのかも。まるで再放送の再現画面をのべつ見せられているようです)

 バロン医師のような人がいるからこそ、ぼくたちはなんとか「生きていこう」という意欲も出てくるのです。さらに看護師をはじめとする医療従事者にも深甚の感謝をささげたい。この春以来、片目でコロナ禍の行方を見つめながら、もう一眼で、かみさんの入院手術などの経験を通して、医学や医療者の仕事というものをつぶさにとらえようとしてきました。いまだ、病院からは解放されませんが、だからこそ、このような職業者に対して、ぼくたちは衷心からの敬意を表したいのです。

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 追加 

【12月1日 AFP】ベトナム最大の都市ホーチミン(Ho Chi Minh)で11月30日、同国で約3か月ぶりとなる新型コロナウイルスの市中感染が確認された。当局者らは感染拡大を食い止めるのに必死だ。
 厳しい移動制限、広範な隔離措置、そして感染経路の追跡を徹底的に行ったとして、ベトナムの新型コロナウイルス対策は称賛されていた。/ しかし、ベトナム保健省は先月30日、ホーチミンで32歳の男性の感染が確認されたと発表した。男性は、先週末に陽性と判定されたベトナム航空(Vietnam Airlines)の客室乗務員の親族。/ 保健省は「感染者が訪れていた(ホーチミン市内の)場所を一時的に封鎖する措置」を取り、数十人の濃厚接触者を隔離していると発表した。/ 人口約9600万人のベトナムだが感染者は1347人、死者は35人に抑えられている。(c)AFP

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