思ふこと今年も暮れてしまひけり

 【水や空】「十三月」に思える 日本SF小説の始祖といわれる海(うん)野十三(のじゅうざ)は戦争末期の1944(昭和19)年12月、日記を書き始めた。住んでいる東京で日に日に空襲が激しくなり、記録を残すことにしたと、日記の前書きにある▲大みそかの夜にも3回の来襲があった。45年の元日にこう書いている。〈「一月ではない、十三月のような気がする」とうまいことをいった人がある〉(「海野十三敗戦日記」青空文庫)▲空襲に次ぐ空襲で、旧年も新年もあったもんじゃない。そんな嘆きが交じっている。次から次にウイルス禍の波が押し寄せ、年をまたごうとするいま、そこまで来ている年の初めが「十三月」にも思えてくる▲今のところ第3波は収まる気配がない。県内でも感染確認の数は高止まりが続き、首都圏などから帰省する人もずいぶん少ないらしい▲皆が集まりその年の苦労を忘れること、つまり「年忘れ」を今年は多くの人が自粛した。歳末の街のにぎわい、年忘れ、帰省で混み合う駅や空港…と、1年に終わりを告げる風景が見られないまま、ひっそりと年が暮れていく▲新しいカレンダーをめくってみたら「13月」とある-わけがなく、鮮やかに「1月」と印字されている。〈初暦知らぬ月日の美しく〉吉屋信子。13月、14月、15月…と我慢や不安を持ち越すことになりませんよう。(徹)(長崎新聞社・2020/12/30 )

 いま、2020年「大晦日」の午前七時過ぎ。眼前に眩しい太陽が顔を出し始めて、すこし経過したところです。昨日の午後にはかなり大きな揺れの地震があり、さらに歳をまたいで大雪が降り続くと予想されています。新型コロナの感染者数も死者数も一向に衰えを見せておらず、ゆく年くる年もないような、暗澹として朝を迎えている。政治や行政の長は、馬鹿の一つ覚えの如くに(自分を棚に上げて)「静かな年末年始を」というばかり、このままでは「緊急事態宣言」を「要請」したり「発出」したりしなければならないとかなんといって、まるで庶民を脅しているのか愚弄しているのか。年始からの「惨状」が年末に至って隠し果せないような事態にいたっているのが、この島の「政治(家)状況」です。くれぐれも、わが身は己で守るほかないと、心したいと改めて気を引き締めているところです。

 新玉の春もあるなし年の暮れ(無骨)

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【国原譜】「大晦日分別ばかり残りけり」(森川許六)。大掃除の分別ごみが残ったわけではない。なすべきことが残ってしまったというべきか。● 課題は先送りされるのが常。消費増税が半年延びて、2015年10月実施が民主税調で了承された。苦い薬は飲みたくないが、飲むなら早いほうがよい。● 国の財政を見れば、これからの社会保障は、消費税として国民が負担するしかないと誰もが感じている。この痛みをどう分かち合うかだろう。公平性の担保がほしい。● 当初案より半年遅れでも、首相が「政治家としての集大成」と見得を切った以上、決意の中身に注目したい。離党者が出ても「素志貫徹」がぶれないよう。● 税金だけでなく、私たちの社会はお互いに助け合わなくてはやっていけないのだと痛感した1年だった。被災地救援に黙々と向かって行く若者がいた。多額の寄付を人知れず届けている人がいる。● 善意が裏切られてはならない。それを生かし切るのが政治だ。一歩でも前へ進まないと明日はない。あれこれあったが、取り急ぎ「いざや寝ん元日はまた翌の事」(与謝蕪村)(コ)(奈良新聞・2011.12.31)

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 ぼくの気分は明治二十八年の大晦日に移っています。またもや、子規と漱石です。「男心に男が惚れて」だったかどうか、すこし怪しい二人の関係でしたが、それぞれに、一端の骨のある青年でしたね。子規の死後に書かれた漱石の、子規の墓碑への、偽りのない「銘」のような文章です。  

 漱石「正岡子規」

 「非常に好き嫌いのあった人で、滅多に人と交際などはしなかった。僕だけどういうものか交際した。一つは僕の方がええ加減に合わして居ったので、それも苦痛なら止めたのだが、苦痛でもなかったから、まあ出来ていた。こちらが無暗に自分を立てようとしたら迚も円滑な交際の出来る男ではなかった。例えば発句などを作れという。それを頭からけなしちゃいかない。けなしつつ作ればよいのだ。策略でするわけでも無いのだが、自然とそうなるのであった。つまり僕の方が人が善よかったのだな。今正岡が元気でいたら、余程二人の関係は違うたろうと思う。尤も其他、半分は性質が似たところもあったし、又半分は趣味の合っていた処もあったろう。も一つは向うの我とこちらの我とが無茶苦茶に衝突もしなかったのでもあろう。忘れていたが、彼と僕と交際し始めたも一つの原因は、二人で寄席の話をした時、先生も大に寄席通を以もって任じて居る。ところが僕も寄席の事を知っていたので、話すに足るとでも思ったのであろう。それから大いに近よって来た。

 彼は僕には大抵な事は話したようだ。(其例一二省く)兎に角正岡は僕と同じ歳なんだが僕は正岡ほど熟さなかった。或部分は万事が弟扱いだった。従って僕の相手し得ない人の悪い事を平気で遣ていた。すれっからしであった。(悪い意味でいうのでは無い。)」(明治四十一年初出)

 この二人の「想い出」のよすがに。明治二十八年の大晦日にタイムスリップしましょうか。

 前年春、子規は陸羯南の住まいの隣(根岸)に転居。羯南主宰の「日本」に入社。四月には日清戦争の従軍記者として渡清。五月には鴎外と現地で語り合う。帰途の船上で喀血し、神戸で入院。その後小康を得て松山に帰省。松山中学の教師だった漱石の住まいに居候。やがて健康を回復し、八月末に帰京、その途上に大阪、奈良などによる。この年の十二月、虚子に「後継者」を要請するが断られる。虚子は俳句より小説を、という時期であった。(ぼくは虚子の短編小説をいくつか読みましたが、すべて読了できませんでした。初志を曲げて、俳句に戻ったのは幸いだった)

 そして、いま二十八年の大晦日。居住まいをただして、気の置けない友人を待つ風情です。(新年には「句会」が予定されていた。それにはやがて鴎外も参加する)

 梅活けし青磁の瓶や大三十日  梅活けて君待つ菴の大三十日 何はなくとこたつ一つを参らせん

 漱石が来て虚子が来て大三十日 思ふこと今年も暮れてしまひけり

 子規二十九歳の大晦日(おおつもごり)でした。このころから、宿痾(痼疾)が始まっていた。新年睦月末には鴎外の「めさまし草」が創刊され、子規は「俳句革新」の健筆を振るいはじめます。

●陸羯南=1857-1907 明治時代の新聞記者。安政4年10月14日生まれ。内閣官報局勤務ののち,明治21年谷干城(たてき)らの援助をうけ,新聞「東京電報」を創刊。22年同紙を「日本」に改題,39年まで社長兼主筆をつとめ,一貫して国民主義の論陣をはった。明治40年9月2日死去。51歳。陸奥(むつ)弘前(ひろさき)(青森県)出身。司法省法学校中退。旧姓は中田。本名は実。著作に「近時政論考」「原政及国際論」など。
【格言など】民の声は必ずしも音あるにあらず,音あるものまた必ずしも民の声にあらず(「無音の声」)(デジタル版日本人名大辞典+PLUSの解説)

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 島を明るく包んでくれているようだった

 島を包む虹のアーチ クリスマスイブの阿嘉島に奇跡の1枚

(阿嘉島にかかった虹=24日午前10時40分ごろ、座間味村阿嘉島(提供))

 【阿嘉島=座間味】クリスマスイブに阿嘉島で不思議な虹が見られた。撮影したのは阿嘉島在住の女性で、仕事のため、隣の慶留間島に行く途中で遭遇したという。霧のような雨が降る中で、一瞬陽が射した時にかかったようだ。最初は光が足りずにうっすらとしか見えなかったが、次第にはっきり姿を現し、まるで阿嘉島を包み込むような形となった。/ 雨が続き鬱々(うつうつ)とした日々が続く中、光が射したような奇跡的な虹の写真は見た人の気持ちを温かくした。/ 虹を撮影した女性は「島を明るく包んでくれているようだった」と笑顔で話した。(村石健一通信員(琉球新報・2020年12月29日 12:48)

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 海の青、虹の七色。こんな景色に恵まれるとは、いかにも南の島だけに恵まれる幸運しょうね。ぼくは沖縄には出かけたが、島めぐりはしませんでした。気が進まなかったというのではありません。沖縄を考える、ぼくの旅は遅々として進まず、ひたすら「学習」(座学)に専念していた嫌いがあったのです。友人知人もたくさんいたが、今ではほとんど音信が途絶えています。これは沖縄に限ったことではありません。本土においても事情は全く同じ。最大の理由は、ぼくの物ぐさです。別に「仙人気取り」を楽しんでいるのでもなく、他人からそう言われるのは心外で、都会や街中暮らしに嫌気がさしただけであありました。人混みというか、人ゴミというか、ぼくにはそれがたまらなく嫌だったのです。仮の住処が山中といっても、まさか人跡未踏。未開などというのでもありません。ぼく自身は粗野かつ未開ではありますが。

 若い時から、海よりは山、水よりは木、それがぼくの偏愛したものでした。若気の至りで、天城の山中に住もうとしたり、那須の山肌に家を建てようなどと計画にならない無謀な試みをしたこともありました。まだまだ、ネット時代の先行きは見えなかったころの話です。海と山、これは人それぞれに好みがあるのだと思います。他人は知りませんが、ぼくは山に入ると落ち着きます。反対に、海のそばだと、気が休まらない。それぞれが「静と動」かもしれなく、ぼくは「静」がこよなく好きだということになります。(右は阿嘉島)

 島国といわれるだけあって、なんと大小、有人無人を合わせて六千八百余もあるという(海上保安庁による)、まことに、正真正銘の島国です。「日本を愛する」というのは「六千超の島」を愛することだと、偉い人と言い合ったことがあります。「君には愛国心が欠けている」となじられ、それじゃいったいいくつの島から、出来上がっているか、知ってるかと、売り言葉に買い言葉のお粗末でした。上には上があるもので、ぼくの記憶ではインドネシアが一万四千弱、フィリピンは七千余もあるとされています。潮の満ち引きの関係で頭を出したり隠したりするものは除きます。それはともかく、小さな無人島だから、だれかにくれてやるというわけにはいかないのが、近年の世界状況です。尖閣だ、竹島だ、北方領土だといって、その領有権が問題となり続けています。排他的経済水域、実効支配、安全保障上の重要性などが絡み、今にも一触即発の危険地域でもあるのです。(いままた、馬毛島という南の島が問題として浮上しています)

 鳥でも昆虫でも、いとも簡単に島から島へと飛翔しています。人間だけが、愚かにも角突き合わせたり、今にも沈みかけている岩礁をコンクリートで固めて、「偽島」に仕立てたりする。「覇権争い」というメンツにかかわる、沽券にかかわる厄介なものを持っているのが、取り屋昆虫ならぬ、人間たちです。島から島へと瞬時に虹の橋が架かるさまを、ぼくたちはあっけに取られてみるほかないのでしょう。虹が消えたら、また何もなかったように、心中にも「普段(領有権・支配欲)」が居座るのです。たとえ一瞬でも、心のなかに「虹の橋」が架かっていたという記憶は、きっといつの日か鮮明に思い出されて、島に纏わる新たな地平を開く縁(よすが)になる、そんな夢を、ぼくはこの「阿嘉島の虹」を写し取った一枚の写真に託したくなりました。

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 コロナにもいろいろな「仲間」がある

 【日報抄】「CORONA」。店員さんは太字の名札を下げていた。新潟市郊外の家電量販店は歳末商戦たけなわだ。「新型は消臭力が強くなりました」。暖房コーナーでファンヒーターを熱心に説明している▼三条市のメーカー「コロナ」から派遣された若手社員だった。「大変な年でしたね」。思わず声を掛けた。マスクの彼はうなずいて言う。「でも年配の方が励ましてくれました。ありがたいです」▼世界中に広がった疫病の正式名は「COVID-19」。だがウイルスの名前の一部である「コロナ」の呼び名が広がった。本来は太陽の周囲で光る輪である。クラウン(王冠)の語源で暖房器メーカーにぴったりの社名だ▼感染拡大に伴い、感染した人に対する差別や偏見の符丁にもされた。「キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです」。6月、社長が社員の子どもらを勇気づけようとメッセージ広告を本紙に載せると、共感の輪が全国に広がった▼3月、米国の俳優トム・ハンクスさんが感染した。アニメの主人公の声も務めていたため、少年から見舞いの手紙が届いた。少年の名はコロナ君。名前でいじめられていると打ち明けた。ハンクスさんは愛用のスミス・コロナ社製のタイプライターを贈り、返事にはアニメ主題歌の「君はともだち」のフレーズを記して感動を呼んだ▼年末年始はまた大寒波が来そうだ。感染予防で“冬ごもり”も長引きそう。きっとあのストーブで、身も心も温める団らんの光景が増えるだろう。(新潟日報more・2020/12/29 08:30)

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 「キミのじまんのかぞくは、コロナのじまんのしゃいんです」という社長のメッセージについて、以前このブログの中で触れたことがあります。偶然でしたが、コロナ社の製品を(二台も)使っていたから、どうしても関心を持ってしまったのです。さいわいにも、企業の業績は落ちることなく「盛業」中であると知って嬉しくなります。いまなお感染者への差別、病院勤務者やその家族に対するこころないいじめなどが後を絶たないのは、どうしたことか。このようないやな事態は「コロナ感染中」のどこにでも見られる現象なのでしょうか。きっとそうでしょう。でも、状況は似ていても、その表れ方は地域によってきっと異なるのだと、ぼくは見ています。偏見と差別、これは人間の集団にあっては、けっして克服できない課題のようにも思われてきます。まことにささやかではありましたが、長い間、ぼくはこの問題と格闘してきたといってもいいほどでした。時間が経つとともに、問題は大きく深くなってきたという実感もあります。

(それには理由がある。「女のくせに」と男が言っても見逃されていた時代が終わりつつあるということの証拠です。このような事態はなににおいても明らかです。見えなかったものが見えるようになったということですね。無視して平気だったのが無視できなくなったという段階です。難しいのはこれからですね)

 普段は地下に隠れていて(差別意識・偏見の思考)、何かのきっかけによって地表に顔を出す(差別行動・態度)。顔を出すというだけではなく、なにかと「悪さ」をする。この一年、アメリカでも多くの「差別事件に」が発生し、多くのいのちが蔑ろにされた。いつでもどこでも誰でもが「偏見と差別」の当事者(加害者であり、被害者であるという意味)になります。自分には関係ないと思っていても、そうなります。自分は加害者じゃないと意識していても、じつは加害者にもなるのです。(その反対もある)「命を守ろう」「生命を尊重しよう」という掛け声や呼びかけではまず埒が明かないのが、この問題です。人権を尊ぶ、その程度の「かしこさ」「こころつかい」があってもいいんじゃないですか。

 (ぼくは下の写真をよく覚えています。中学生で、まだ京都にいましたが、昭和三十六、三十八年豪雪は記憶に生々しく残されています。一人一台を背負って、駅まで、船着き場まで、二キロ、四キロを歩いたというのです。会社とは、職業とは、それがどういうものであるかを明示する「一枚の写真」ではないでしょうか。いまなら、さしずめ「自衛隊災害派遣」事態でした。そして、こんな企業が、この島の背骨だった時代があったんですね。今ももちろん、いくつもこのような企業のあることを、ぼくは知っています。いい会社とはと聞かれて、どうこたえるか。いつでもどこでも、この答えを求め続けたいですね。

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「1961年(昭和36)と1963年(昭和38)の記録的な豪雪により輸送路が寸断された時には、全国から届く注文に少しでも応えようと、猛吹雪の中、社員全員がストーブを一台ずつ担いで2km の道のりを最寄駅まで運び、そこから客車で輸送させました。鉄道がストップすると、4km先の信濃川にある船着場まで同様にストーブを運び、船で出荷をして注文に間に合わせました。創業の精神である「誠実と努力」で社会に貢献した象徴的な出来事だったといえます。」(https://www.corona.co.jp/company/history/)

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 この会社の宣伝をするのではありません。いまもなお、「コロナ」で社会に貢献しようとするその企業の姿勢に、かえって励まされる思いがするといいたかったのです。その一方で、「復興」にいったいどれくらい税金がかかるのか、全く予測されない福島原発事故。やがて年が明ければ十年です。これまでに軽く、いや、貴重な税金を充てたのですから、そんなことは言えませんね、言いようのないくらいに重たい税金を十兆円超も費消し、詐欺や横領や抜き取りなどをあちこちで許しながら、先行きが真っ暗な一大挑戦作業は(遅々として、遅々ながら)進められているのか。空恐ろしい「不正・腐敗」が堂々と罷り通ているというほかないように、ぼくは見てきました。(「福島原発事故とその後」については別項で扱います)原発事故の被害者になった(された)まま、行政からも見放され、見知らぬ人からも差別を受け、居場所を見出せずに「漂流」している、多くの避難者がおられる、九年目の年の暮れです。(さとみ君、「サクラ」になってる場合じゃないよ。 右下写真)

 復興五輪と銘打った以上は。嘘でもなんでも、「立派に復興」を世界に示す。そのための看板(表だけ)作業にも、莫大な税を投げ入れてきたのでした。何が何でも「五輪開催」という人々は、何を考えて「開催」を叫んでいるのでしょうか。日々感染者数は増大の一途をたどり、並行して死者もまた驚異的な数になっています。世界の各地で、コロナ(covid-19)は猛威を振るい続けています。いつ終焉を迎えるか、誰にも分らない状況で、無駄な税金を湯水のごとくに使い、いまなお「東京五輪」にしがみついている。それで何をしゃぶり取ろうとしているのでしょうか。

 誰かが決めるまでもなく、当たり前の感受性があれば、「平和の祭典」はこの災厄の時代に開くべきではないと、誰しもが認めているのです。ぼくはいつも、「開きたい、開くのだ」を騒いでいる人間だけでやればいいじゃないか、パン食い競争だろうと、税金取り比べだろうと、組織委員会の面々が率先して一肌脱いだらどうですか、といっている。「聖火リレー」とやらも、国と東京都と組織委員会の関係者で走りなさいよ、まず福島の被災現場を。(左、ここにも囮たち)

 2013年、五輪招致が決まった段階で、組織委員会は開催費用「73億ドル」と明言していました。それが次々に膨張(関係者は増長)し、今では三兆円を軽く超えるといわれています。何のための予算ですか、予算を組むたびに金額は右肩上がり、何のための五輪。たかだか三週間程度で、三兆円を突破する無駄遣い。正確には、ただ今現在でもどれだけの税金が使われているか、誰も知らないという底抜け。原発事故は「統制されている」という嘘から始まり、七千億で収まるという嘘がつづき、緊縮予算にと三百億円を削って、さらにその何十倍もの税金を計上するという売国奴ぶりです。歳毛まで待たないで、年内に「開催中止」を世界に明言すべきだし、消失した税金は「返納」してほしい。元総理をはじめ、大蔵(財務)次官たちがスクラムを組んで「税金泥棒」だったとは、情けないのを通り越す、愚挙ではないですか。はじめは「嘘」から始まった「五輪」招致。その前には賄賂を贈ってまで招致に駆け込もうとしたのでした。

 「はじめ良ければ、終わりよし」とするなら、その反対ももちろんある。こんなに「亡国の徒」がそろったのは、いつ以来でしょうか。徳川末期は言うまでもありませんが、第二次大戦の敗戦時にまでさかのぼるのか。時代も事態も、なんにも変わらないと思われるほど、人間の愚かさ(個人と言わず集団と言わず)は「不変」であり「普遍」であります。「あっという間の煙草の煙」ですが。

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 no cure for a fool

 まだ腰が、肩がガタついている。あちこちの力が抜けたのです。誰かの吐いた嘘に「脱力」機能があるとは、迂闊にも油断していたのです。改めて見せつけられた「嘘力」から、もう五日もたつというのに、不愉快きわまりない気分が抜けない。まるで筋肉が萎えたような具合です。世の中に生きる際、いろいろと「苦痛の種」は、まるで地雷のようにあちこちに撒かれているし、それを踏んだがために竹箆(しっぺ)返しを食うことはしょっちゅうです。そんな時は、いつも後悔に似た気分を持ってしまう。「自分で踏まなきゃいいじゃないか」と。今回もそうだ。はなから無視、無関心、そう固く決めていたんですが、「魔が差した」か。とくと見てしまったのです、ネットで。25日の国会質疑の模様です。今はもう、口(活字)にするのも気が滅入るのですが、それを乗り越えないとこの先が思いやられるので、年末の大掃除、そのつもりで、いやな記憶も「雑文の屑籠」に放り込もうという魂胆です。一種の精進落としか。

 いつか使う(再読する・利用する)機会もあろうと、ぼくはいくつもの書きかけの駄文や「記録」「資料」「新聞記事」などをたくさん保存しています。ぼくの一大悪癖でもあるのですが、年末恒例(ぼくには年末の恒例なんか何もありません、世の習慣に倣ってです)の大掃除のホウキやハタキの使い方のつもりで(コラム氏には申し訳ありません、謝罪します)、二つの旧聞と旧聞になりかけを「掃きだし」がてら紹介します。

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【春秋】電車で「すぐに降りますので、どうぞ」…高校生がついた優しいうそ

 彼女はエープリルフールが嫌いだった。彼のうそによくだまされるからだ。重い病気になった、転勤が決まった…。ついつい信じて、泣いてしまう▼また訪れた4月1日。もうだまされないと用心していた。彼の部屋で過ごすうちに夜も更けて、午前0時近くに。今年はうそはなしかな、と思っていたら、彼が真顔になって「結婚しよう」▼そんな大事なことでうそをつくなんて。号泣する彼女に、彼は優しく言った。「だましてごめん。でも、うそはあれ」と壁の時計を指さした。実は時計の針を遅らせていて、日付は変わっていたのだ。彼女を見つめ、彼は「一生、君をだまさない。結婚してください」▼ネットで見掛けた体験談を、ちょっと脚色したお話。エープリルフールにつき、拙文お許しを。ネット上にはこんな話も▼混んだ電車の中。立っていた妊婦らしき女性に、高校生が「すぐに降りますので、どうぞ」と席を譲った。電車は次の駅に。ホームに出た高校生は、別の車両の扉から再び車内へ。女性に気を使わせまいとした、小さな、優しいうそだった▼新型コロナの感染拡大で外出もままならず、鬱々(うつうつ)とした日が続く。こんなときは悪質なデマや根拠のない中傷が飛び交いやすい。事の真偽にも神経を使いがちだ。けれど、決して人を傷つけず、すぐにばれて、笑える-。そんな優しい「うそ」を楽しめる心の余裕を、きょうくらいは持ちたい。(西日本新聞・2020/4/1 10:30 )(2020/10/20 16:38 更新)

 よくある世間話、それ以上でも以下でもないような「下世話」なネタだと思う。「世間で人々がよく口にする言葉や話」(デジタル大辞泉)の域を一歩も出ていない。だからいけないというのではありません。「一生、君をだまさない」というのは「嘘か誠か」、この時点ではわからない、あるいは「真っ赤な嘘」だったかもしれない。でも、その「嘘」(と決まったわけではないが)で、たとえ一瞬でも彼女が「笑顔」になったのなら、この手の「嘘」はつき甲斐があろうというもの。確かに「コラム」氏の脚色で、あんまりスマートじゃありませんが、でもぼくにはこんなのがいい、読んでほっとしますから。「騙されるなら、見事に」という感覚がぼくにはあります。「」嘘でもいいから、言ってちょうだい」と。(でも、「一生騙さない」と、まるで生命保険みたいなことはぼくには言えない。せいぜい二、三日の保険ならなんとか、ぼくはその程度です。でも気が付いたら、五十年ですよ、われわれ夫婦は、さ。「あっという間の煙草の煙」)

 次の高校生の逸話は、じつは実話。ぼくは何度でもこんな「嘘」(嘘だろうか、気づかいでしょ)をついてきました。こんな「小さな嘘」くらいの心持で世間は寄りあって生きていけるんですね。「袖すりあうも他生の縁」とか。気遣いや心遣い、たまには小遣い、それを嘘の範疇に入れたくないね。また言う、「嘘」を楽しめる心の余裕、そんなものはぼくにはないし、それこそ、「次で降りますから」というのは「楽しい嘘」ではない。いわば「本心から、席を譲りたい」という心持が主な動機となっていたのでしょう。ここでは「嘘」は付録にもならない。それを嘘というのは、悲しいかな、情けない話です。

 二つ目のコラム、題して「リンゴと聖書と1ドル札」の三題噺です。これは有名になっていますから、この話をご存じの方は多いはず。ちなみに「三題噺」ですが、今でも寄席では盛んにやっています。客からお題目を三っつばかりもらい、「いただきました」「整いました」とかいって、それを小話にまとめるという色物だと、ぼくは見ている。本筋の落とし噺じゃなかろうから。(この客が、たいていは「サクラ」だったという。なんでもそうで、うまい話には裏がある。いまなら「台本」「脚本」ですね。下手な台本ばかりとは言いませんけど、国会にも台本が出店を出しています、✖✖ライターだとさ)

【余録】父親がリンゴと聖書と1ドル札を息子の部屋に置いた。リンゴをとれば農業を継がせ、聖書なら牧師、札なら商人にするつもりだった。しばらくして部屋をのぞくと息子は聖書に腰掛けてリンゴを食べていた▲「おい、ドル札はどうした」。父親が聞くと息子は「オレ、知らないよ」。結局、息子は政治家になった。――アメリカンジョークだが、政治家にはうそと金がつきものということだろう。「オレ、知らないよ」がキーワードである▲こちらも政治資金規正法違反はすべてが秘書の独断専行で、当人は知らなかったとの弁明が通ったらしい。東京地検は「桜を見る会」前夜祭をめぐり同法や公職選挙法違反の容疑で告発されていた安倍晋三(あべ・しんぞう)前首相を不起訴処分とした▲刑事責任追及での「秘書の壁」はやはり厚かったが、安倍氏が国会で繰り返した“虚偽答弁”の責任も重大だ。秘書を雇う安倍氏は真実を知りうるし、知らねばならぬ立場だった。「知らなかった」だけでは国民への弁明にならない▲「桜」前夜祭の費用につき「事務所の関与はない」「差額の補塡(ほてん)はない」など、事実と異なる答弁は118回に及んだ。不起訴処分を受け、安倍氏はきょう国会で答弁の訂正を行う。誰もが納得いく説明と責任の取り方が必要である▲「政治家がうそをついている時って、どうやって分かるの?」「連中が口を開いた時だ」――これもジョークだが、今は笑えない。証人喚問を求める野党がいうように、今度は真実だという保証がほしくなる。(毎日新聞「余録」・2020/12/25)(蛇足 「聖書に腰掛けて」とはどういうことですか?)

 「刑事責任追及での「秘書の壁」はやはり厚かったが」と、あっさりすませているところは、きっとこの「余録氏」は「サクラ(囮)」だとぼくはみなしている。「図星」だと思うよ。ぼくは国会の質疑を聞いていても感じたのは、「前首相は嘘をついている「嘘でしょ」の一点張り。競馬でも花札でも、賭け事は何でも、「一点張り」は危険です。投網をかけるように、疑似餌を撒くように、外堀を埋めるように、でなければ、「逃がした魚は大きい(けど、腐っていた)」と、後で臍を噛むことになります。

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●いってん‐ばり【一点張り】 の解説 賭け事で同じ所だけに金銭をかけること。 他の事を顧みず、その事だけを押し通すこと。「勉強一点張りの生活」「わからないの一点張りでその場をしのぐ」(デジタル大辞泉)

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 その「一点」に集中して、責めまくっているように映りましたが、「嘘つき烏」は抗弁も弁解もしていないのです。誤魔化してすらいなかった。お互いが話す(使っている)言葉が異なっていたんですよ。通訳しなければ、話に埒が明かないのは、これまでにも経験済みだったといいたいですね。何を「経験」下いたのか、責める(攻める)側は。「秘書がやった」「秘書の仕業」で、俺は知らなかったと、「誠心誠意からの嘘」を彼は主張しているのです。闘う土俵がちがっていたんです。嘘つきガラスには「土俵」なんかなかった。

 相手がこんなに上手では、並みいる議員さんもまず太刀打ちできないという画像・画面でした。検察は「総理の嘘」なんかに興味はない(ふりをして)、はじめから「不記載」が問題なのだから、秘書を処罰(罰金百万円)した。それで、一件落着。海釣りなんかで「ダボハゼ」などという下手は狙わないのが繰ろうと、つまりプロです。ここで貸しを作っておいて、いずれの「おんとき」には返してもらうという算段がありました。地検は、捜査をした振り、事情聴取をした振り、罰則を科した振りと、「…振り」のオンパレードです。ぼくは検察も見事な「サクラ」だと確信しています。

 かんたんに「嘘」と言いますが、この元総理(嘘をついたのは現役総理時代)のそれは「天下一品」「人間国宝」級の代物です。名人芸ですね。質問者が何とかできる相手ではない。シャーシャーと「嘘を垂れ流す」というのも彼の至芸です。まさか「総理は嘘をつかない」と、勝手に信じ込み思い込んでいた方が悪い。「正直者はバカを見る」というやつでしょうか。(「悪賢い者がずるく立ち回って得をするのに反し、正直な者はかえってひどい目にあう。世の中が乱れて、正しい事がなかなか通らないことをいう。正直者が損をする」(デジタル大辞泉)本当にそうでしょうか。「嘘つきは得をする」「正直者は損をする」というなら、誰が得して、誰が損したのか。これは損得の問題ではなく、次元の違う話だといいたいね。

 元総理個人に限定して、今回の問題をいうなら、国家・国民に与えた「損失・迷惑・名誉棄損」などを勘案すれば、もちろん、「切腹」ものです。のうのうと国会に居座る気が知れないというのでしょう。ぼくが、どうにもやりきれないと泣きたくなるのは、「気が知れない」という「気」を彼は待っていないということ、「心から謝罪」とかいうけれど、その「心がない」というのが彼の天稟・天性であるということです。「嘘」がわかるのは「ホント(実)」を知っているからですね、世間では。でも、これは「嘘」がなんであるかを知らないのだから、「自分が嘘をついている」という自覚が働かないのは当然です。これを「病気」といってはみもふたもなくなりますが、要ははそのようなレベルの話です。嘘を言ったのではなく、「事実と異なる点」があったという、このあたりは至芸です、大勲章授与、座布団五十枚ですね。(腹式呼吸といいますが、こちらは嘘式呼吸で、嘘で「阿」といい、嘘で「吽」というのです。吸うのも、吐くのも「嘘」だらけ) 

 つまるところ、ぼくたちは「全員がサクラ(囮)」にさせられていた、なっていた、という実に情けない事態だったのですね。この何幕物かの芝居の、一方の登場人物であり、席料を払った見物客だった。そして、時と場合にあって、「いよー、大統領、いや総理大臣!」「待ってました、アベノマスク!」「いよー、山口県!」などとを歓喜して囃し立て、大挙して「大向こう」の座席占めていたのです。「新宿御苑」も大向こうだったね。彼の演じる極上の「嘘芝居」は大向こうを唸らせた、名人芸だった。「成田屋ー」「音羽屋ー」「待ってましたー、シンゾー!(心臓!)」と掛け声をかけ通しで、気が付いたら「歴代最長の嘘つき総理」という名誉を献上したのです。これはだれか特定の人間のしわざ(犯罪)ではなく、全員参加の結果だった。島を挙げての「一場の芝居」(とても長丁場でしたが)。いったい、何度選挙があったことか。こいつが「嘘つき辞任」した直後の支持率は七割を超えていました、ともろもろの「サクラ新聞」は報じました。よほど人民は、嘘つく彼がお気に入りだったんだ。「われわれ」が「心からお詫び」というか、一から出直すという覚悟を決めて生きようとしないかぎり、再生の道はないのだと思う、だから「やり切れない」のです。自己を見直し、他者を見直す、人を見る目を深く養うのが何よりも優先・先決問題でしょうよ。

 彼が米国の大統領と「意気投合」したのは「同類」「同病」だったからであり、二人の仲を他国の首脳は「信じられない」という胸のうちを隠さなかったほどです。トランプとトランペット、いかにも似合いの夫婦ではないけれど、それに近い関係だった。さらに言えば、二人ともに、相手を「心から尊敬」などしていなかったというところもそっくりでした。米側は「脅せば(強請(ゆす)れば)、金を出す」とみなしたし、島の方は「自分を高く見せるには、やつは最高のカモ」と瀬踏みしていた。これを「友情」というなら、動機が「不純」な「交友」だったとなる。両側の人民は「いい面の皮」だった、そういうことになります。 

 両者は余人をもって代えがたいといっていい。方や「七千万余票の支持者」があり、こなたは「七年八か月の最悪不当(不倒)政権」だった。どちらも「潔くない」のは、自分が「潔い」と盲信しているからです。その証拠に、再び、三度、「表舞台に登場」を念じています。大向こうには浮かれ(陰謀論)信者が陣取っている。この「期待に応えなけりゃ」と、厚顔無恥のご両人は手ぐすね引いて、捲土重来を期しているのでしょう。出馬しなければ、きっと「in prison」ですね。

 どんな場合でも、選挙(投票)する人間は賢くなければならないと、痛感している。ご両人も、堂々と「選ばれた」トップだった。こういうことはいつでも起こりうる。だから、「民主主義」というのは「最悪の制度」だ、賢い人間が「選挙をするのでなければ」です。(後援会の関わりをだれも見逃しているようにも思われます。「前夜祭」の宴会費用は、すべて「供与」「全額補填」(公選法違反の疑いを持っています、ぼくは)だったんじゃないですか。どうして宴会参加者は「沈黙を決め込んでいるの」ですかね。嘘に加担していたとなりますね。自他の過ちを救済する機会にもなりますが)

 「馬鹿に付ける薬はない(no cure for a fool.)」といいます。ぼくたちに何か手があるのか。それぞれの「悪質(fake)性」に気づかせるには、どうするか。もっと書きたいのですが、やむを得ず中座します。今これを書いていて、ぼくの頭には「山縣有朋の死」などが浮かんだり消えたりを、くりかえしています。なにがいいたいか。山縣が亡くなった時、「死もまた社会奉仕」と石橋湛山は書いた。この部分はどこかで触れておきましたが、今、ぼくにはこの湛山さんの「小文」が気になりだしているのです。(この項、今日はここまで)

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 ともかくもあなた任せのとしの暮

 河北春秋 暮れに演じる落語家が多く、ベートーベンの交響曲第9番にちなんで「落語の第九」と言われる演目が『芝浜』。何人もの落語家による録音が残されている中で、立川談志さんのものが人気だ▼談志さんのCDも何種類かあり、いずれ劣らぬ名演ぞろい。少しずつ人物描写が違っているようだが、本人をして「落語の神様が降りてきた」と言わしめたのが2007年12月18日の高座。その様子はDVDやブルーレイで見られる▼腕はいいが酒好きで、稼ぎがよくない魚屋の勝五郎。女房に叱られて嫌々ながら商売に出掛けるが…。粗筋を書くのはヤボだろう。知っている人には屋上屋を架すことになるし、知らない人にはいわゆるネタばらしになってしまう▼歴史小説家の童門冬二さんは「えー、落語というものは人生のケーススタディーのようなものでして」と語っている。童門さんの『人生で必要なことはすべて落語で学んだ』という本にある。では、名作・芝浜が語り掛けるものは何だろう▼伝説の口演から4年後、喉頭がんで亡くなる談志さんは、すでに声が出にくくなっていた。「人間というものはネ、何と言ったって働く喜び、働ける喜びが必要なんだよ」。声がかすれ気味の熱演を見ていると、そんなメッセージが伝わってきそうだった。(河北新報・2020年12月28日 06:00)

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 この雑文・駄文には、あらかじめ何を書こうかなどという計画はもちろんありませんし、ふっと思いついて書くという「気ままな暇つぶし」の繰り返しです。「暇つぶしで忙しい」という、間尺に合わない明け暮れですな。詳細に立てられた「リハビリのプログラム」にはインストラクターがいるのでしょうが、小生のものは「自主トレーニング」で、その時の気分でやったりやらなかったり、実にいい加減なものです。まるでぼくの「人生」そのもです。他人からとやかく言われることはなにものにもよらず、いやなことでしたし、それを「児童・生徒・学生」時代を一貫して貫こうとしてきたのですから、本人は言うの及ばず、教師たちには不評を買ってばかりでした。

 無計画がキモ、いい気なものですが、時には、こんなことも書いちゃおうかと準備して書き置くことも、次のネタとして保存しておくこともごくたまにはあります。じつは昨日(27日)がそうでした。とっておきのネタ)を仕入れて、さあ行商に出かけようかろ、天秤を担ごうとしたら、「かご」には何も入ってないという始末。いったいどうしたんだろうと思案しましたが、消えたものは出てこない。結構いいネタだったんだがと、(まあ、逃がした魚の類です)気を取り直して書こうとしているのが、この駄文です。数日前、近所の郵便局へ「税金」の振り込みに行って、一箇所は済ませて帰宅した。別口の振り込みを忘れてしまったことに気が付いたのですが、役所からの支払票がみあたらない。(なにかと「物忘れが重なり、やがて暮れ行くわが末路」というような塩梅です。

 湛山さんが書いていた小さな文章をワードで書き写したのですが、それを消してしまった。どこへ行ったか、杳として行方が見つからない。もちろん「湛山氏の原物」はありますから、それをもう一度復元(書き写す)のは簡単ですが、いまはしない)テーマは「もの忘れ」「記憶違い」「度忘れ」がひどくなったという自覚はあります。この「自覚」が失われれば、やることなすこと、常に新鮮ですが、別の言い方をすれば、「過去」がないという話。それでもいいじゃないかという思いもしますが、之では他人とは付き合えないのは当然ですね。

 「度忘れ」という表現はどうでしょう。「度」はどういうつもりで頭に来ているのか。「[名](スル)よく知っているはずの物事をふと忘れてしまって、どうしても思いだせないこと。胴忘れ。「知人の名前を度忘れする」」(デジタル大辞泉)「度」は「胴」だというのですね。「胴忘れ」を引くと「度忘れに同じ」と来ます。これぞ、辞書ですな。こんな矛盾というか、いい加減さを気にしないようにならなければ、「私は辞書です」と啖呵は切れないようです。

 「銅の摂取量が多いシニア世代の女性は、物忘れが多いことが明らかになった。東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科茨城県地域産科婦人科学講座の寺内公一氏らの研究による結果で、詳細は「Food Science & Nutrition」7月1日オンライン版に掲載された。」(https://diamond.jp/articles/-/250764)

 それで「銅忘れ」とは、いかにも出来過ぎですね。どうでもいいけど。「胴忘れ」です、問題は。(いずれ暇な折に調べておきます)

 本当は落語で年越し、主題は「芝浜」のつもりでした。面倒になりましたので、後刻廻しにします。今は亡き、ぼくの友人の奇人だった麻生芳伸さんをしのびながら書こうと考えています。この人は、実に変わった人だったな。懐かしくも、そぞろ悲しみが襲い来るような気もします。

 そこで、一茶です。なぜか? 唐突がぼくの信条になっているのです、「おらが春」。

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 問ていはく、いか様に心得たらんには、御流儀に叶ひ侍りなん。答ていはく、別に小むつかしき子細は不存候。たゞ自力他力、何のかのいふ芥もくたを、さらりとちくらが沖へ流して、さて後生の一大事は、其身を如来の御前に投出して、地獄なりとも極楽なりとも、あなた様の御はからひ次第あそばされくださりませと、御頼み申ばかり也。如斯決定しての上には、「なむ阿みだ仏」といふ口の下より、欲の網をはるの野に、手長蜘の行ひして、人の目を霞め、世渡る雁のかりそめにも、我田へ水を引く盗み心をゆめゆめ持つべからず。しかる時は、あながち作り声して念仏申に不及、ねがはずとも仏は守り給ふべし。是則、当流の安心とは申也。穴かしこ。 

 ともかくもあなた任せのとしの暮    五十七齢 一茶

  文政二年十二月廿九日

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 何時でも、ぼくには年末も年始もなく、「普段通り」を通そうとしてきました。本年は、「コロナ禍」であれば、なおのこと「いつも通りで、今年も暮れる」となります。どういうわけか、ぼくには少々「晴れ着魔」的なところがあるというか、「天邪鬼」と言った方がぼくの性情に近いのかもしれませんが、ことさらに騒ぎ立てることに歯向かいたい、背きたいという傾向が著しくあります。困ったことではありますが、直しようもなく、ここまで歩いてきました。一茶という俳人は、「一筋縄」ではいかない、ほとほと手を焼くような生き方をした方でした。「1本の縄。また転じて、普通のやり方。尋常一様の手段。」というのが「一筋縄」(デジタル大辞泉)ですね、まったく筋が通っているんですけど、こんがらがって一本というじつに韜晦を絵にかいたような人間だった。だから、ぼくは好んだのです、ただし、ある一面を除いては。「一面」はここでは書かない。友人の想い出を書き、「芝浜」を語り、世情を呪うというより、虚仮にして、「一筋縄」ではいかない明け暮れを確かめたいですね。(これから郵便局へ行き、昨日の失せ物を探してきます、あってもなくても構わないが)

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