「復興を弄ぶ狂気」の止むときはあるのか

 首相、原発処理水先送りできず 福島第1巡り、認識表明

(右写真 高田松原津波復興祈念公園を訪れ、献花する菅首相= 10日午後、岩手県陸前高田市)

 菅義偉首相は10日、東京電力福島第1原発の汚染水を浄化した後の処理水の処分について「極めて重要な事であり、いつまでも先送りはできない」との認識を改めて示した。視察先の岩手県宮古市で記者団に語った。/ 処理水を保管しているタンクは2022年夏にも容量が限界となる見込み。政府は海洋放出を検討。10月にも処分方針を決定する方向だったが、調整に時間を要しており、結論を得ていない。/ 首相はこれまでも処理水への対応を先送りできないとの認識を表明。風評被害対策にも取り組む考えを示している。/ 首相は、被災地の復興状況に関して「内閣として全力で応援していきたい」と強調した。(秋田魁新報電子版・20年12月10日)

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 年が明ければ、福島原発事故発生以来、十年目を迎えます。「復興」は急ピッチで進み、各地に避難していた被災者もほとんどが帰還し、それぞれの地域はかつての賑わいを取り戻したように見える、よくここまで「復興」したものだ、さすがは「政府の力は本物だ」と、被災地では感嘆の声がしきりです、かくいうのは「真っ赤な嘘」で、復旧もしていなければ、復興などなおさらだという景観(証拠)がいたるところで見られるのです。被災地におられる方々には申し訳ありませんが、まるで「無人の荒れ野」ではないか。

「なんとか伝承館」が作られ、今夏(9月20日)開館しました。中味は空虚で、福島原発事故は遥か彼方に消えてしまったという「原発事故遮断。隠蔽記念館」のようでもあります。東京新聞の空中写真でもわかるように(右写真)、広大な無人の荒野に「伝承館」は位置し、その西側には福一がいまなお事故後の困難を極める処理作業に奔走しているさまが見て取れるのです。今でも日々、放射能は降り注ぎ、地下水は汚染され、場所によっては基準値(誰が設定したのか)を超える数値が示されているのです。「伝承館」もできた、「震災と原発事故」を「振り返りましょう」という旗を立てて、インバウンドにも誇らかに復興を誇示するかのように、人も住めない場所に「伝承館」は孤立しています。

 最後まで復旧が遅れていた常磐線。この春にようやく全線が開通した。この春でなければならなかった。まだ十分に安全だとは言えない状況にもかかわらず「全線開通」の日が三月に設定された。なぜか。いうまでもなく、東京五輪開催のためには、三月開通は至上命題だったのです。避難者がどれだけ残ろうが帰還者がまったくいなかろうが、被爆線量がどれだけ高くとも、とにかく「全線開通」で、福島は復興したのだと、世界に向けてアピールした(かったのだ)。驚くべき、政治の退廃。

 つまりは、島の中だけではなく、世界に対して「嘘」を発信していたのです。「原発はコントロール」下にある、汚染も減少した、復興住宅も召し上げる、とさんざんのごまかしや無理強いをして、荒れ地を更地にするかのごとく、そべて「汚染物」を地下に隠し、海中に投棄して、さあ「五輪開催」です、と既成事実つくりの一環で、あることをないことに、ないことをあることにされてきたのでした。とにかく「万難を排して、五輪を開きたかった」という前総理の企みだった。「この馬鹿が」、と今では誰もがみなしているだろうか。

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 常磐線、きょう全線開通 被ばくの懸念 根強い声

(写真左 帰還困難区域を通過する車両の線量測定などを訴える動労水戸の組合員ら=ひたちなか市で)

東京電力福島第一原発事故の影響で不通が続いてきたJR常磐線富岡(福島県富岡町)-浪江(同県浪江町)間の二〇・八キロで十四日に運行が再開し、茨城県民になじみ深い鉄路が九年ぶりに全線開通する。しかし、不通区間の駅周辺の避難指示は解除されたものの、一帯は放射線量の高い帰還困難区域のままだ。県内の労働組合や沿線住民の間からは、放射線被ばくによる健康被害を懸念する声が根強い。 (佐藤圭、水谷エリナ)

 JR東日本の社員らでつくる労働組合「動労水戸」の調査によると、試運転で帰還困難区域を通過した車両のフィルターに付着したちりから一キロ当たり二三五〇ベクレルのセシウム137が検出され、放射能濃度は通常の車両より二十三倍も高かった。動労水戸は調査結果を踏まえ、帰還困難区域内を通過する車両の線量測定のほか、車両整備員の被ばく防止教育や防護用具の配備を要求したが、JR側は「車両の測定を実施する考えはない」と拒否している。

 JR東日本水戸支社の雨宮慎吾支社長は十三日の定例会見で、車両への放射性物質の付着について「(不通区間の空間線量が避難指示の目安を下回る)毎時二マイクロシーベルトだということから考えて問題ないと思う」と主張した。/ 動労水戸は十三日、ひたちなか市のJR東日本勝田車両センター前で抗議活動を展開し、約二十人が「会社は車両の線量を測れ」「労働者を被ばくさせるな」「乗客を守れ」などとシュプレヒコールを上げた。/ 車両センターでフィルターの洗浄作業に携わっている整備員は約五十人。木村郁夫委員長は「毎日のように放射性物質が付着した車両が入ってくるが、現状のままでは労働者が健康を害し、命を失う危険さえある」と警鐘を鳴らす。

 牛久市の主婦(62)は全線開通に疑問を抱き、勉強会を開いたり、JRに問い合わせたりしてきた。「JRは観光PRばかりで、帰還困難区域内を通過する点には触れない。車両を測定せず、社員の健康を守ろうとしない姿勢では、乗客の安全も心配だ」と不信感をあらわにする。

◆専門家ら疑問視 

 福島第一原発事故を経験した元首長や専門家も常磐線の全線開通を疑問視する。

 原発事故当時の福島県双葉町長で、町民の県外避難を指揮した井戸川克隆さん(73)は「原発事故の悪いイメージを早く払拭(ふっしょく)し、東京五輪という大行事に国民を熱くさせるためだ」と指摘した上で、「放射能汚染を示す数字はごまかせても、重要な交通インフラの鉄道が開通していない物理的実態は隠蔽(いんぺい)できないので、無理な開通をさせた」と断じる。

 原発の危険性を告発してきた元・京都大原子炉実験所助教の小出裕章さん(70)も「(不通区間は)本来なら放射線管理区域に指定しなければならない場所。公共の交通手段が乗り入れるなんてあり得ない」とあきれる。/ 放射線管理区域は、原発や放射性物質を取り扱う研究機関や医療機関で設定され、作業者や周辺住民の被ばくを基準以下に抑えるため、人や物の出入りを厳重に制限している。

 一般人に許容される年間被ばく量は一ミリシーベルトだが、福島第一原発事故による避難指示に当たって年間二〇ミリシーベルトに緩和。国は今月、緩和した基準に基づき、不通区間の夜ノ森(富岡町)、大野(大熊町)、双葉(双葉町)の三駅と線路、周辺道路の避難指示を解除した。/ 小出さんは「二〇ミリシーベルトというのは、かつての私のような放射線業務従事者が、給料をもらう引き換えにようやく受け入れさせられる線量。それを子どもも含めて適用するなんて論外だ」と指弾した。 (宮尾幹成)(東京新聞2020年3月14日)

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 人命尊重が何よりという。ホントにそう考えているのかと問えば、途端に怪しくなる。「国民のいのちを最優先にするのがわたしの政治」と現総理は啖呵を切った。詭弁を使うことは知っているんですね。口から出まかせとは言うまい。心底そう思っていることを吐露したまでだと言われるかもしれないが、それならもっと悪質だと言わなければなるまい。この総理が何をするか、ぼくは手に取るように見える。「汚染水」は海洋投棄を腹では決めているという。なぜそうなのか、理由や根拠は示せない。つまるは「問答無用」なんですね。俺のすること、言うことに文句をつけるなという、もっとも唾棄すべき手法です。「鬼に金棒」ではなく、「なんとかに刃物」の類で「権力」をふりまわされて困るのは、だれあろう「最優先で守らなければならない国民」であることを、この御仁は忘れたらしい。つまり、「口から出まかせ」の化けの皮、なんでこんなのばかりがまかり出すのでしょうか。それが政治家というものさ、とささやく声がする。

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 「政府は、『復興』の名の下に避難指示区域の解除を進める。住民の立場に立って考えてほしいと思うが、霞が関や赤坂のビルの中から、福島の住民のことを「我がこと」として考えるのは難しいのかもしれない。霞が関は、東大をはじめ有名大学を出ている人たちが仕切っている」「首長は避難指示の解除を求めるが、住民はほとんど戻らない」「家に戻りたい人たちもいる。しかし健康影響がわからず、廃炉が進まない中では戻れないという人たちもいる。今後の放出のリスクをどこまで引き受けられるか、被爆のリスクをどこまで引き受けられるかという判断は、すべて自己責任になる」「賠償は打ち切られる。原発事故避難者用につくられた復興公営住宅に入居した人や多くの自主避難者が避難者数から除外され、数字の上では避難者数そのものが急速に減っている。避難指示区域が解除されると、避難者は「強制避難者」から「自主避難者」へと呼び名が変わり、そればかりか、「帰らないわがままな人たち」とレッテルを張られるようになる」「『避難者を支持しよう』という言葉すら、言えなくなる日も近いかもしれない」(青木美希『地図から消される街 3.11後の「言ってはいけない真実」』講談社現代新書、2018年刊)

 青木美希さんについてはどこかで触れておきましたが、この間、つねに福島に通い詰めで、事故後の軌跡を丹念に報告されています。このような人の仕事に対して、ぼくは敬意を隠しません。彼女以外にも、何人もの方が取材を続け、事態の行く末を報道されています。青木さんも、どこかで言われていますが、このような取材や報道を快く思わない、語るに落ちた「選良たち」が大きな顔で闊歩している。

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神も仏もない絶望感というけれど

 菅首相が追加経済対策を表明 事業規模73.6兆円、財政支出は40兆円

 菅義偉首相は8日午前、政府・与党の政策懇談会で、新型コロナウイルス感染拡大を踏まえた追加経済対策について、金融機関の融資や民間の投資も含めた事業規模を73・6兆円、財政支出を40兆円とすることを表明した。政府は8日夕に閣議決定する。/ この裏付けとして、2020年度第3次補正予算案と21年度当初予算案に計30・6兆円程度を計上する見通し。首相は「雇用を維持し、事業を継続し、経済を回復させ、新たな成長の突破口を切り開くべく策定した」と述べた。

 追加経済対策は、感染拡大防止策に5・9兆円程度▽ポストコロナに向けた経済構造の転換に18・4兆円程度▽国土強靱(きょうじん)化の推進に5・6兆円程度▽20年度と21年度の予備費計10兆円程度――の計40兆円程度の財政支出を見込む。このうち3次補正は一般会計と特別会計を合わせて20・1兆円程度となる見通しだ。/ コロナ対策では、自治体の要請に応じて営業時間を短縮した飲食店に支払う協力金に充てられる「地方創生臨時交付金」を増額するほか、医療機関向けの「緊急包括支援交付金」も拡充して病床確保を支援する。PCR検査の強化やワクチンの確保・接種体制の整備も進める。

 ポストコロナに関しては、脱炭素化に向けた研究開発を支援する2兆円規模の基金創設や、官民のデジタル化を促進する1兆円規模の予算が盛り込まれる方向。国土強靱化では、21年度から5カ年の緊急対策に必要な事業規模について「15兆円程度」を目指す方針。初年度となる21年度の事業費は3次補正で措置する。3次補正と21年度当初予算は、いずれも12月中の閣議決定を目指す。【和田憲二、花澤葵】(毎日新聞2020年12月8日)

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 新聞記事には書かれていませんが、次年度の税収がおよそ55兆円(コロナ禍で、前年度の63兆円から減収)で、追加対策と今年度の予算や補正予算のために必要な国債発行額は100兆円を軽く越えるというのです。年収の二倍を超える借金を重ねる「家計」の無謀さ加減は言うまでもないでしょう。いったいこの借金をだれが負担するのか。もちろん、これまでの「国債」という名の借金は累計1000兆円余り。赤字国債を含めた国債発行の多くを日銀が購入し、株価を下支えしており、日本の株は(ある線までしか)下がらないと評価されており、投資家の儲けの保障にさえなっているのです。細かい数字をいじるのは好きではありませんし、面倒なことこの上ないので、深くは立ちいりませんが、こんな出鱈目な、無謀な、無定見の財政運営の結果がどういうことになるか、火を見るより明らかです。税収が少ない、だから国債発行という、バカでもできる金繰りを「財政運営」などというのは正気の沙汰ではありません。

 国家財政と言いますが、その基盤は税収です。いろいろな名目の税収は、景気の動向に大きく依存しています。この十年もの間、デフレ基調が続き、経済規模は縮小してきました。そこに大鉈を振るうという勇ましいことを言って打ち出したのが「アベノミクス」というタネの割れた手品でした。これに触れるのも虫唾が走ります。さらに財政は悪化、経済は不調、そこにコロナ禍でした。まさしく「泣き面に蜂」とはこのこと。危機の事態に「優れた政治家」を期待したのではありません。ぼくには、優れた政治家というのは言語矛盾と映りますです。「優れた」は政治家の形容詞ではないのだし、政治家は「優れていない」のは、これまでの人生経験で嫌になるほど学ばされてきました。詐欺師、嘘つき、金権盲者、乱痴気好き、名誉心の塊、権力嗜好症者、などなど、とにかくどうしてこんなにひどいのばかりが政治家の首領になるのか、不思議でならないのです。きっと今度こそはましな奴とみていると、彗星のごとくどこからともなく現れる輩もまた、屑でした。

 これに歩調を合わせたのだろうとみるのですが、官僚軍の劣化頽廃が猛烈を極めて進行しています。人民を愚弄するのはまだまし、政治家を愚弄し、最後には自らをも愚弄してはばからないという堕落ぶりです。永田町や霞が関という町内会には、すこしは「惻隠の情」の感じられる手合いは断じていないということです。また、かかる手合いを養成しているのが「名門」(と聞いて呆れますが)と称される有象無象の「大学群」であり、それにしがみつこうとしている諸学校です。つまるところ、この島の諸学校は、愚かな官僚や政治家を長い時間をかけご丁寧に教育して、天下気取りの「利得収賄者」の期待に応えてきたというわけです。とすれば、学校もまた、屑ですね。ぼくは、自らの不明を恥じるのですが、こんな手合いを、いわば「養成する」機関の末端に間違えて席を占めていたことがあります。今、正直に言いますが、ぼくは「贖罪」中です。誰に云うのでもありません、わが身に恥じる、取り返しのつかない過誤、一生の不覚でした。

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 新型コロナウイルス感染拡大で医療体制の逼迫する北海道旭川市で、クラスターが発生した「慶友会吉田病院」に入る陸上自衛隊の看護官ら=9日午前)(2020年12月9日午前 写真提供:共同通信社)

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 「医者たちは病気が何か分からず、自分たちがまず犠牲者になる危険にさらされた。患者たちは神殿につめかけて助けを求めたが、何の救いも得られなかった」。たとえばこれは古代アテナイの疫病の記録である▲古来、悲惨な疫病の歴史的記録は、神を信じる者も信じぬ者も、善人も悪人も、貧者も富者も、老若貴賤(ろうにゃくきせん)の区別なく等しく命を奪い去られる衝撃を生々しく描いている。「人の掟(おきて)も神の掟もみな威信を失い、消えてしまう」のである▲いわば神も仏もない絶望感は、人々の医学への信頼の厚い今日ならば「医療崩壊」の恐怖と似ていよう。そんな不吉な言葉がますます現実味を帯びてきたから心穏やかでない。各地でとまらぬコロナ感染拡大による医療体制の危機だ▲北海道旭川市の病院での大規模クラスター(感染者集団)発生で、医療体制の逼迫(ひっぱく)が地域に連鎖的に広がっている。自衛隊の看護官らが支援に入ったが、コロナ以外の診療にも支障が生じ、医療従事者の疲労はつのるばかりだという▲感染が広がる現在、このような医療崩壊の危機は全国どこの市町村でも起こりうる。また大都市圏では大阪府が自衛隊の支援を要請し、感染者が1日600人を超えた東京でも医療逼迫が始まったと専門家が危機感をあらわにした▲旅行など人の移動促進に巨費をつぎ込みながら、いざ感染が全国で広がればすぐさま医療体制の逼迫や疲弊が露呈するのはどうしたことか。古い記録の伝える絶望を、今日によみがえらせてはならない。(毎日新聞「余録」・2020/12/11)(註「(太字の」たとえば」の部分、これは何でしょうか)

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 この島では、すべてが「崩壊に陥っている」か、「崩壊に瀕している」かのどちらかです。医療崩壊の危機とか、崩壊の恐れがあるといっていたのは、今年の三月です。半年以上も感染者が何人、重症者が何人と、天気予報ならぬ、真偽定かならぬ「患者数」報道に明け暮れている惰性の裡に、関係者の多くは「医療崩壊」を待望していた節があります。いや、きっとこうなると、確信していたのです。誰の責任でもない、コロナのせいだといわぬばかりに、(場当たりで)「やっている」ふりをひたすら演じてきました。その挙句、ついに「太陽は西から出」始めたのでした。川の流れに「石が浮き、葉が沈み」だしたのです。「泥棒が政治家に」、「政治家が泥棒に」なっていたのです(これにはもっと長い歴史がある) 

 その結果、医療従事者は疲弊の極に達し、職場から逃走が始まってもいるのです。欧米の春先の状況をわが身に照らせば、もっともっとやるべきことがあったのですが、手をこまねいていた。実際のところ、傍観していたんです。これがルーティンとなっているんでしょうね。人命を歯牙にもかけない輩が「政治・行政の中枢」に居座っているという、最悪の不幸を人民は舐めさせられている。嘆いているのではありません。「自らのいのちは、自分で守る」「できる範囲で助け合う」ということを痛感させられてきたという成果はあったのです。政治家や官僚たちに「依存しない」という姿勢を改めて強めることができたのです。

 この先も、こんな不道徳で荒唐無稽な、人権無視の虚偽・痴戯・擬態に塗れた紙風船のような政治は間違いなく続く。いやもっと悪くなること請け合いです。自衛隊の出動だと騒いでいるが、ぼくには「まじめに笑える」場面だ、といえば不謹慎と謗られもするでしょう。「コロナ」は自然災害だというのですか。たしかに「災害派遣」と自衛隊の車には書かれています。「被災者」は「コロナ罹患者」です。病院が災害に見舞われた現場。北から南から、この島に「被災病院」が続出している。この状況をなんといえばいいのでしょうか。

 これでも go to は止めない、五輪は初志貫徹するというのです。これだけでも何兆円もの税金が(投入)されています。さらにこれからも際限のない税金の投入は続きます。どうしてですか。例えば、ここに百万円あり、それを何かに使うとすれば、政府官僚は、民間に委託(丸投げ)する。ここで「手数料」(相場は投入金の2割だそうです)が「中抜き」される。さらにこの(80万円の)仕事を中間業者に委託する。ここでも中向きが発生。さらに下請けに、この仕事(70万円)を投げる。「手数料が発生」し、最終的には元の資金の4、5割までピンハネされるのです。このピンハネ分(50、60万)が必要だから、税投入で始めた仕事は止められないのです。(この間隙を縫って、自衛隊増強策は確実に進められている)

 またまた、収賄政治家(元農水大臣二人)が出現、さらに多数いるという報道もあります。集(たか)り屋「政治家」は着々と「養成され」つつあるのが、劣島の多くの教育現場においてです。大臣室で「賄賂を受け取る」というのが流行しているらしい。その内、国会議事堂内でも「受け取り」が行われるのでしょう。「どこで貰おうと、金に変わりはないからさ」だとよ。賄賂で法律が生まれる(曲げられる)んですね。次年度の「税制改正大綱」が決まったそうです。その責任者も「大臣室受け取り」派でした。こんなことをしても捕まらないどころか、厚顔で無恥のゆえに、堂々と政治家という家業に勤しんでいるんですね。汚らわしい、腐臭の漂う「汚職劣島冬景色」が寒々として見えています。「次郎長」が恋しいなあ。

 この島の崩壊現象の発端は、人民を嘘で騙しとおした「嘘政権」が七年以上も続いた当然の帰結であり、無関心ではなかったにせよ、それを許してしまったぼくたちの無作為の報いでした。これだけの長さにわたって、すべてをだまし切り、ついには自分をもだました「嘘つきの天才」がまず、政治を崩壊させたことは決定的でした。当然、かかる政府が行った経済(政策)も金融(政策)も崩壊し、あろうことか、このコロナ禍の最中に、医療崩壊は必然的に起こされたのです。庶民にとっては災難であることは間違いありませんが、地震や津波のような災害ではない。まさに人為的災厄です。やがて、国会にも自衛隊が乗り込んでくるのではないでしょうか。

 神も仏もない絶望感に打ちひしがれるといいますが、「地獄に仏」ともいうでしょ。人の世の温かさ、これはけっして嘘・偽りではないんです。「情けは他人の為ならず(One who is kind to others is sure to be rewarded.)」というのは、自身への叱咤・激励でもある。

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持つ人と持たぬ人と

〈持つ人〉と〈持たぬ人〉-人生の〈不平等〉について-

 「持つ人は与えられ、持たぬ人は、持つと思うものまでも取られる」(ルカ福音書八・18)

 「持つ者は与えられ、持たぬ者は持っているものをも取られよう」(マルコ福音書四・25)

    「すべて持つものは与えられてあり余り、持たぬものは持つものも取られよう」 (マタイ福音書十三・12、二十五・14~30)

 皆さんはこの章句をどのように読まれるでしょうか。努力や才能の結果なら、多く持つ人と少しも持たない人がいても当然ではないか、と思われますか。すべてが平等ではあり得ない以上、持つ者と持たぬ者がいるのはあたりまえではないか、と。

 何時の時代にも、「持つ人」と「持たぬ人」がいます。この島でも「格差社会」という表現がずいぶんと長く使われてきました。たしかに、数字にもそのい格差は明瞭に表れています。「富裕層」と「貧困層」と言い換えられもしています。どこから、このような「格差」が生まれるのでしょうか。「結果(現実)」があるということは「原因」があるということを示しています。当然のことですが、「貧困」は避けたい災厄であり、「富裕」は望ましい目標ともなるのですが。

 聖書でも、この問題はくり返し提示されています。しかし、その内容を、はたしてぼくたちはよく理解できるものなのか、大いに疑問なしとしないのです。

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 新約聖書のマタイ福音書(二十五)は「タラントの譬え」とされているものです。奇妙な譬えです。およそ躓きの石となるような譬えだと私には思われます。

 「天国は、旅立つ人がおのが僕をよんで財産を預けるのに似る。ひとりには五タラント、ひとりには二、ひとりには一、すなわち各人の力に応じて与えて旅立った」そこで五タラント受けた者はそれをもとにもう五タラント得、二たらんとの者ももう二タラントもうけた。一タラントを受けた者は地面を掘ってそれを埋めてしまった。

 主人が旅から戻ってきて、五タラント、二タラント受けた者が同じだけもうけたことをしらせると、主人は「けっこう、まめなよい僕よ、わずかのものにまめであったから多くのものをまかせよう。主人の喜びにあずかれ」といいました。

 一タラント受けた者がきて「主よ、あなたはきびしいお方で、まかぬところで刈り、散らさぬところでお集めとしっていましたので、おそろしくなってお預けのタラントを地に隠しました」といったところ、「怠け者の悪い僕」それをしっていたのなら、その金を預金し利子をもうけるべきだった。「そのタラントを取り上げて十タラント持つものに与えよ。すべて持つものは与えられてあり余り、持たぬものは持つものも取られよう。この無益の僕を外の闇に放り出せ。そこでなげきと歯ぎしりがあろう」と命じたというのです。

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 私は聖書をきわめて個人的に読んできました。およそ自由気ままに読んできたものです。したがって、今ここで、考えようとしていることも、キリスト教とはなんの関係もなく-というのは言いすぎかもしれないが-道徳や教育をより丁寧に考える材料として選んでみたのです。果たして、それでいいのかどうか、わかりませんが。

 この譬えは何をいおうとしているのでしょうか。才能、富、名誉、地位、…。持っている人はさらに与えられ、持っていない人は持っている(と思っている)ものまで取り上げられるだろう、というのです。まるで、この世の現実そのままを肯定しているともいえるような譬え話ではありませんか。試験でいい成績を上げた人はさらにいい成績をあげるし、たくさんの金を持つ人は、それを元手にもっと稼ぐことになる。位人臣を究めるという「権勢家」もいるでしょう。いかにも不平等は拡大するのです。持たない人から取り上げることによって、持つ人はさらに豊かになる、これが当たり前の現実なのでしょう。

 〈持つ〉〈持たない〉とはどういうことか、これが問題となりませんか。ぼくたちもなにがしかのものを持っていると思っています。しかし、いつとはしれずに取り上げられ(失って)しまうのです。いったい何を持っていて、どうして取り上げられるのか。持つというのは、ただ「所有する」ということなのでしょうか。あるいは、持つとは「育てる」という意味合いを指して言うのでしょうか。旧聞にすぎますが、以下を。

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 談話室 ▼▽ラジオの深夜放送は時に悲しみの受け皿にもなる。長寿番組「オールナイトニッポン」で28年前、いじめに悩む中学生からの切ない便りが読まれたことがある。当時の担当は中島みゆきさん。要約するとこんな内容だ。▼▽差出人は中3女子。「私世界で一番のブスです。分かっています。でも人から言われると傷つくんです」。周囲から白眼視され、面前で吐くまねをされ皆の笑いもの。願書を出す予定の志望校にも怖い人がいて、また泣かないといけないのかと思うと死にたくなるとつづる。▼▽「みゆきさん、こんな私でも生きてて良かったと思う日来ますよね」。読み終え中島さんは聞き手に呼び掛けるように語る。「誰が一番醜く見えるか、みんな分かると思います」。顔はお金できれいにできても、お金かけてもきれいにできないものもある、それを大事にと。▼▽大津市の事件でいじめに関心が高まっている。今もどこかの空の下でいじめが潜んでいるのだろう。言葉の刃に(やいば)無神経だったり心の醜い人には育ってほしくない。「美顔はできても、お金で心までは磨けない」。“みゆき節”による、さまざまなメッセージを思い出している。(山形新聞・12/07/15)

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  「持つ人」と「持たぬ人」の譬えは、何を、どのようなものとして言おうとしているのでしょうか。「持つ・持たない」とは「何を持つ・持たない」と言っているのか、さらには、何かを「所有する人の何が」問題とされているのでしょうか。これに対する答えは「一つ」ではなさそうです。無限にというと大げさですが、いくらでも答えが出せそうです。大事なのは、時や状況におうじて、「私は納得した」「ぼくには理解できる」という答えがはたして自分で見つけられるかどうかが問われているのではないでしょうか。説得でもなければ、強制でもなく、「なるほど」というところにまで自分がいたれるかどうか、それが問われているのだと、ぼくは考えるのです。

 「私世界で一番のブス」といった彼女は、何を悲しんでいるのですか。他人から「ブス」と罵られ侮辱されたことか、あるいはそういう扱いを受けて「傷つく自分」を嘆いているのですか。それとも、両方でしょうか。「こんな私でも生きてて良かったと思う日来ますよね」と、「なるほど」という答えの半分はすでに彼女の中に生まれているとも言えます。(「忠告」助言」もとても大きな支えになります。それを認めたうえで、まず「そうなんだ」という「自分」を発見することが肝心ではないでしょうか。

 「福音書」の「譬え」に、ぼくはじゅうぶんに対面していないようにも思われますし、いやいや、その答えは、いつでも自分が見つけようとする姿勢や態度の中に在るのだ、という感覚もぼくの胸中にはあるのです。(今朝の四時からのラジオ放送で、激しいDVに襲われていた一人の女性が、長い葛藤や苦しみの最中に、いろいろな出会いがあって、遂には「離婚」し、子どもたちと自立する生活を選んだ結果、「自分にもできる」「私の足で歩けた」という生活の実感を得た。その上で、今では「DVに悩む人の自立支援組織」を運営しているという女性のお話を聞きました。それを考えているうちに、「持つ・持たない」という迷路に入り込んだというわけです。

 数年前にぼくは友人の妻から「助けて!」という緊急メールをもらい、激しいDVに襲われている彼女の必死の声を聞いて、(途中経過は省きます)しばらくの後に「調停離婚」にまで至ることができたという経験をしました。(もちろん、ぼくは彼がいつでも妻や子どもに「暴力」を振るっているのを知っていたし、強く諫めたり、非難したりしたこともしばしばでした。しかし、まさか「これほどの暴力」をくりかえしているとは、と驚愕したし、その点で、ぼくは不覚を恥じ入った。なんとも迂闊であったといわざるを得ないのです。このような「経緯」はどこかで触れるかもしれませんが、とにかく、「暴力」を振るうのはまず「男」です。「男」は何を持っているのか。あるいは何を持っていないのか、ラジオを聴きながら、胸を痛めていました。「愛情」を持っていると思っていたが、それはいつしか奪われてしまった、ということもいつでも、どこにでもあるのでしょう、また反対に、自分にはなかったと思っていたものが、じつはあったのだという経験をすることもあるでしょう。「ある・ない」というのは何をもって(基準に)決められるのか、あるいはそれは簡単に決めつけてはいけないことなのか、たくさんのことを考えなければならないようです)

(この問題は、さらに考察を深める必要がありそうです)

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忘れてはならない日が、我々にはあるのです

 その朝の授業は鬼のあだなで畏怖された教授の英語だった。その朝とは、一九四一(昭和十六)年十二月八日。日米開戦の日だという▼開戦の臨時ニュースが校内に伝えられた。教授は廊下に飛び出し、「万歳」と叫んだそうだ。当時の学生が書き残している▼作家、半藤一利さんの『十二月八日と八月十五日』にあったが、とりわけ珍しい話ではなかろう。<やみがたくたちあがりたる戦(たたかい)を利己妄慢(ぼうまん)の国国よ見よ>斎藤茂吉。長く続く米英との緊張。当時の国民はうっとうしさや閉塞(へいそく)感の中にあり、真珠湾攻撃はその暗雲を吹き飛ばすかのように受け止められた。「利己妄慢」の米英という大国に挑む痛快さもあったという。茂吉もそうだったのだろう▼十一年後の五二年に建立された、広島の原爆死没者慰霊碑。碑文は<安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから>である。その言葉を考案したのは十二月八日に「万歳」を叫んだあの教授だそうだ▼歴史の皮肉を書きたいわけではない。教授の名は当時広島大学教授の雑賀忠義さんとおっしゃる。この人も被爆している▼あの日、今から考えれば、勝てるはずもない日米の開戦に国民の大半が高揚した。記憶にとどめなければならぬ戦争の過ち。それは軍や政府によるものだが、感情に任せたわれわれの側の「万歳」をそこから除く理由もまた見当たらぬ。繰り返すまい。(東京新聞・2020年12月8日)

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 昭和十六年十二月八日、ぼくはまだ「虫」にもなっていなかったし、生まれた後に、親からもこの日の出来事を聞いた覚えはなかった。いくつかの本を人並みに読み、いくばくかの感想をいだきはしましたが、なお「戦争」はぼくの視野の外にありました。その後、昭和二十五年に「朝鮮戦争」が起こされましたが、ようやく「虫けら」なっていたぼくの記憶には何事も刻印されなかった。ただ、その当時のことだったか、田舎(おふくろの郷里・石川能登中島)で、昼の日中に空高く軍機が飛行していたのを見上げた記憶が残された。飛行機を見たのも初めてだったので、それが朝鮮戦争中のものだったと、勝手に思い込んでしまったのかもしれない。(右上写真「日本海海戦」)(左下写真、現在も、南北朝鮮両国は「休戦協定」を結んだままです)

 小学校に入っていたぼくは、担任の教師から「日露戦争物語」を連日聞かされた。これが「戦争」について物心がついた初めだったのかもわかりません。日本海海戦(右上写真)を図解入りで授業され、また後の戦争による「日本占領図」なるものを示され、何の感慨もわかなかったとことに不思議な気がしました。まだ「戦争」がなんであるかが理解できなかったのでしょうか。反戦・非戦の思想や宣伝を頻繁に耳にするようになったのは「60年安保」でした。社会科の男教師が東京のデモを目撃(参加していた)情報として授業で話したのを鮮明に覚えている。とまあ、ようやく「虫」から「虫けら」に、やがて「昆虫」に進化していたぼくは、まったくの自己流に縛られながらも明治以降のこの島の歴史を学びだした。(ここからは書く必要を求めないし、書く気もしないのでやめにします)

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●  原爆死没者慰霊碑(公式名は広島平和都市記念碑)は、ここに眠る人々の霊を雨露から守りたいという気持ちから、埴輪(はにわ)の家型に設計されました。中央には原爆死没者名簿を納めた石棺が置かれており、石棺の正面には、「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻まれています。この碑文の趣旨は、原子爆弾の犠牲者は、単に一国一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。
 広島市は、この碑文の趣旨を正確に伝えるため、昭和58年(1983年)に慰霊碑の説明板(日・英)を設置しました。その後、平成20年(2008年)にG8下院議長会議の広島開催を機に多言語(フランス語、ドイツ語、ロシア語、イタリア語、中国語(簡体字)、ハングルを追加)での新たな説明板を設置しました。その全文は次のとおりです。

 広島平和都市記念碑
(原爆死没者慰霊碑) 昭和27年(1952年)8月6日設立

 この碑は 昭和20年(1945年)8月6日 世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を 平和都市として再建することを念願して設立したものである
 碑文は すべての人びとが 原爆犠牲者の冥福を祈り 戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉である 過去の悲しみに耐え 憎しみを乗り越えて 全人類の共存と繁栄を願い 真の世界平和の実現を祈念するヒロシマの心がここに刻まれている
 中央の石室には 原爆死没者名簿が納められており この碑はまた原爆死没者慰霊碑とも呼ばれている。(広島市HP https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/faq/9398.html)

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海軍無線電信所船橋送信所(船橋市)船橋市行田に、コンパスで描いたかのような奇妙な円形道路がある。直径約800メートルの円内にはかつて、海軍無線電信所船橋送信所が置かれていた。真珠湾攻撃の決行を告げる暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」はここから発せられ、日本は太平洋戦争に突入した。

 開戦の「Xデー」を1941年12月8日としたことを示すこの電文は同2日、船橋送信所から海軍の全艦艇に、愛知県刈谷市の依佐美送信所から潜水艦に向けて打電された。作戦当日、真珠湾上空に到達し、米軍の迎撃がないことを確信した指揮官機から放たれたのが、「トラ、トラ、トラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ)の電文だ。(以下略)(読売新聞・2018/08/07)

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 第二次世界大戦史は、さまざまな角度から書かれるべきであるし、戦勝史や敗戦史としても書かれてきました。ぼくの知っている事実はたかが知れているし、きわめて限られた関心から得られたものですから、大きく偏っていることを否定しません。どんな局面でも戦争に無関係なものはないという姿勢で、まるで「巨像の歴史(戦争史)」に立ち向かうことの無謀とはかなさの両面を痛感してきただけのようでした。

 歴史の教訓、それは何か。今日というより、人間の記憶力の観点からみれば「忘却の力」だといっていいでしょう。「この前は負けたけど、今度は負けない戦いをする」という「歴史の学び方」が、いつでも主流なんですね。ぼくがこれまでに住んだ二、三の地域においてさへ、軍事関係の施設や遺物がなかったところはありません。それほどにこの島では、いたるところに「戦争するための」装置が作られてきたという意味でしょう。でも人間の記憶は、実に都合よくといいたいほどに「忘れたり」、「忘れた振り」をしたりするのです。もっと言えば、忘却の彼方に消し去ります。「歴史の改竄」ですね。誰でもこれをするのです。ぼくも例外ではない。いやなことは「消す」、「忘れる」ことは無にしてしまうこと。

 ぼくが敬愛する随筆家は「沖縄の骨」という本を書かれ、沖縄の土地には「無辜・無数の骨が埋まっている」と繰り返し書かれもし、話しもされてもいた。彼女の生涯は「軍国乙女」から「反戦・非戦の鉄のような女性」に生まれ変わって生きたと、ぼくは言いたくなるほどでした。このブログの早い段階で紹介した岡部伊都子さんです。岡部さんから心底の「反戦・非戦」の生き方を学んだとぼくは考えています。

 昨日の雑文にも書きましたが、この島国が「やるべきではなかった戦争」(どんな戦争もすべきでないのは当たり前ですが)、その戦争を始めたという「印の日」として、十二月八日は忘れてはならないのです。「開戦記念日」とは、まさか誰も言うまいとは思いますが、ぼくひとりだけは、胸の底から「非戦」の覚悟(ちょっと大げさですが)を改めて強くする日でもあるのです。しばしば「勝つ見込みのない戦争」という言い方がなされています。勝ち目があろうがなかろうが、人を殺し自然を破壊する「戦争」を肯定する根拠はどこにもないと、ぼくは強く言いたい。当事者の間に問題が生じたら、「とことん話し合う」、そのために言葉を人間は生み出したのだし、どんな言葉でも「翻訳できない語」はないのです。

 ぼくたちは言葉というもの、言葉の理解ということをじつに安易に考えています。同じ日本人なら、使う言語が同じだから、必ず「通じる」と思い込んでしまう。ホントにそうか。言葉が通じないからこそ、さまざまな事件や事故が日常的に生じているのではないですか。しかし、自分が知らない(理解できない)言葉でさえも、それを受け止めようとする姿勢や態度に徹すればきっと通じるはずです。今では猫語や犬語、さらにはウサギやハムスターなど多くの生き物の言語を理解しようとして、そこにコミュニケーションがなりたつことをぼくたちは経験しているのです。

 問答無用という、あからさまな他者嫌悪が争いや事件を生みだしている。親子・夫婦、友人・知人間においてさえ「問答無用」が時には悲惨な事件をきたすことがある。国民同士でも国同士でも、分かろうとする態度、それは相手に対するいささかの敬愛の念を求めるのですが、それがあれば、必ず通じる(理解しあえる)とぼくは確信しているのです。

 戦争反対を叫びながら、着々と戦争の準備をするという愚劣きわまりない国策。「平和の祭典」を開こうといいながら、「軍事力の増強」を言い募る。これは矛盾というものではありません。「戦争反対」が本物の叫びではない証拠です。「平和五輪」までも政治の道具にする。「原子力の平和利用」と同じ手口で、人民を愚弄してきたのです。コロナ禍を一日も早く終わらせるために行動自粛を求めながら、旅行に出かけろ、飲食に出かけろと煽る始末。それは、感染などものともしない、さらにいえば「多少の人命の犠牲」には目をつむっても、経済(景気)(金儲け)の回復こそが大事だという態度表明です。

 「いささかの敬愛の念」が最も求められるのは、無能きわまりない、権力亡者の「為政者」にですが、そいつらに求めても無駄なのか、でも、なお言うべきなのか。ぼく(たち)は「座して死を俟つ」という哀れで愚かな、最悪の姿勢をとらない。自らのいのちを壊されないためにこそ、専守防衛に徹し、そのために手を伸ばし、手をつなごう。「はやぶさ」如きに興味を奪われてはなりません。誰かが付け入る隙を作っていないか、注意しよう。GNPなんかで、人民の尊さなんか測れるか。個人の尊厳は、金品から独立している。弱ったり、困ったりしている人に気が付けば、「できる範囲」で「貧者の一灯」を、その微少な精神のはたらきを目覚めさせたい。

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これは、誰が決めたのですか

 真珠湾攻撃で煙を噴き上げる米軍艦の写真が、文芸作家による同人雑誌の目次ページに掲載された。1941(昭和16)年12月8日の日米開戦から間もなくのことで、国中が「やった、やった」の万歳にわいていたころである◆同人の席で作家の野口冨士男さんが苦々しげに言った。「これは、誰が決めたのですか、このような写真をのせるのは軽率というか…どうも」。多くの人が内心ではうなずきつつ、誰も声を発しなかったという◆やりとりを見ていた作家、水上勉さんが書きとめている。「このように、あの時代の物ごとのとりきめというようなものは、人がだまっているうちに決まってしまったのかもしれない」と(「文壇放浪」より)◆抗しがたい場の空気が人々の耳をふさぎ、口をつぐませる。徹底して異論を排した国の悲惨な末路を79年後の私たちは知っている。言論を一色に染め上げ、戦意をあおったメディアの責任もまた問われ続けよう◆〈最初からはんたいでしたとみんな言うそれならこうはならないものを〉(松村正直)。現代歌人の一首は暗い過去の話のようでいて、必ずしもそうとは言い切れない◆場の空気にかき消され、ひっそりとうずくまる小さな声に気づく。そういう耳を持ちたいと今日の日に思う。(神戸新聞・「正平調」2020・12・8)(註 雑誌掲載写真とは異なると思う。所蔵しているはずですが、資料は見つからなかった)

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 もう八十年が過ぎたともいえるし、まだ八十年しかたっていないとも言えそうです。対米戦争の火蓋を切った「真珠湾攻撃」、確かに奇襲作戦だったのかもしれませんが、すでに米側は「暗号解読」によって、この奇襲を想定していたとされています。指揮官は「短期決戦」しか望まない、長引けば勝ち目はないといった。ぼくが大学に入ったころ、上の「正平調」に述べられている雑誌だったか、記憶はあいまいですが、ある高名な文芸評論家は、この写真を評して「美しい」という形容詞を使ったのを読んでいました。その時分のぼくはまだよちよち歩きを始めたばかりでしたから、事の真相というか歴史のとらえ方が未熟だったので、その写真と文章をやり過ごしてしまいました。(左は野口富士男氏)

 後年、くだんの評論家の書くものにいたく魅せられ徹底して読んだのですが、徐々に彼の内面の「国粋」(天皇とのきわめて近い距離感の強調)とでも言いたいような感性に強い違和感をいだいてしまい、すっかり、その熱は冷めたのでした。でも時間的には相当長い熱病にかかっていたといえそうです。「こんなに古い歴史を持った国はほかにはどこにもないのだ」といった「独尊」を声高にではなくとも、言い募る姿勢に、ぼくは近寄ることができなくなっていった。「これは、誰が決めたのですか、このような写真をのせるのは軽率というか…どうも」「このように、あの時代の物ごとのとりきめというようなものは、人がだまっているうちに決まってしまったのかもしれない」このような何気ないやり取りを、ぼくたちは見過ごしてしまう。ものごとは、「だまっているうちに決まる」ということがあるのでしょうか。

 「世紀の一戦」が始まった、その初頭を飾った一枚の写真にどのような感想や評価を下すか、それはどうでもいいことではないと思う。この「奇襲作戦」の成功を寿ぐ新聞の大報道はどうでしょう。「このような写真をのせるのは軽率というか、」という批判も新聞社では決して生まれていなかった。「どうも」困ったものだという記者がいたら、新聞社は取り潰されていたでしょう。これは、八十年前の昔話ではありません。「電波法」や「再販制」をかたに取られて、グウの音も出ないことおびただしいのです。それもあろうが、我は権力側に列する(与する)と自己判断しているという愚かさです。

 先に挙げた文芸評論家は「国民は黙って事変に処した」という言い方を「満州事変」に際して使いました。また従軍報道者として戦地に赴き、たくさんの文章(「戦地慰問」風)も残しています。それもまた、ぼくは熱心に読んだものです。「事変」というものの意味も脈絡もわからず、ただ彼が書く文章の綾というか、思考されたものがそのままに文章になるという「推敲」「考察」の見事さに浮かされていたと、白状しておきます。還暦を過ぎてから、彼が書いたものを「同年代」の人間として読んで、一驚したことを思い出します。こんな程度の事だったのか、なんと狭い了見だったかと。

 一枚の写真が語る事実(写実)にはたくさんの側面というか、表情があります。軍艦を爆撃する、見事な奇襲(だまし討ち)だという「感動」もあろう。そこに何の感傷・偏見も入らない(必要ない)というのも一つも立場です。撃沈され艦隊の乗組員はどうした、その家族の歎きはどういうものか、例えばそのようなあれこれの背景や事情を思いが浮かべれば、まったく異なった見方が生じるであろうし、ひいては「戦争」に対する態度もまた、大きく異なってくるに違いありません。

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 「言論を一色に染め上げ、戦意をあおったメディアの責任もまた問われ続けよう」「場の空気にかき消され、ひっそりとうずくまる小さな声に気づく。そういう耳を持ちたいと今日の日に思う」コラム氏の言うところに、大きな異議があるのではありません。この「開戦記念日」(などという日があっていいのだろうか)、「この日」だからこそ、かかる「感想」が沸いたのではないでしょうに、そう言いたいのです。「メディアの責任」を自問自答する、それは新聞人であるという以上に(その前に)、一人の大人(職業人)として、当たりまえの姿勢だと言わなければならないし、「うずくまる小さな声」に耳を傾けることこそが、デモクラシーの初歩じゃないかとぼくは愚考しているのです。特別の才能や努力が求められるのではなく、すこしばかりの「尊敬心」があればこそ、それだけのことでしょう、人が集まって住む社会に、他者と生きているというのは。

 「徹底して異論を排した国の悲惨な末路を79年後の私たちは知っている」という部分、ぼくにはよくわかりませんでした。「悲惨な末路」がわかるために「79年」が必要だったのですか。「戦争は愚かなことだ」というのはぼくにはつねに「事実」ですから、敗戦後何十年もたたなくてもわかっているのですが。あるいは、それとも、…。(ぼくは「戦後」と同じ意味合いで、いつでも「戦前」という語を使っています。もっと言えば、一つの戦争が勝ち負けは別として、片が付く(終わる)と、そこからまた、いつでも「戦前」が始まるといいたいのです)

 今もなお(あるいは、また)「大東亜戦争を」たたかっているんじゃないのでしょうか。「言論を一色に染め上げ」「戦意をあおったメディア」は、果して責任をどうとらえているのか。「大東亜」という幻想はどこにでも生まれる。れは「たとえば、それは東京五輪」という旗を振っているのかもしれないし、「国民なら、だまって賛成する」のが当然だと、「ひっそりとうずくまる小さな声」をローラーで踏みしだいているのではないでしょうか。主要メディアは挙って「東京五輪」のスポンサーとなっています。(下の新聞「号外」「特別号外」と銘打った「臨時ニュース」でした。七年前の九月のこと)

 (現在もなお「原子力緊急事態宣言」は発令中です)(これは、誰が決めたことですか)

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科学技術の二つの側面(快挙と愚挙)

 「宇宙航空研究開発機構(JAXA)の探査機「はやぶさ2」が投下した小惑星りゅうぐうの石が入るとみられるカプセルは6日未明、地球の大気圏に突入し、約30分後の同日午前4時24分(日本時間午前2時54分)、オーストラリア南部ウーメラ近くの砂漠に計画通り着地、回収された。初代「はやぶさ」に続く快挙。打ち上げから約6年間に当たる2195日で52億4千万キロを飛行した探査は完了した。(東京新聞・2020/12/07)

 劣島はこのニュースでもちきりのようで、「コロナ禍」の災厄を忘れそうな束の間の「宇宙ショー」 に驚喜した人も多かったでしょう。挙って「宇宙オタク」になる瞬間でした。この「はやぶさ計画」が莫大な資金を投入して、いったいどのような幸運や幸福を人類にもたらしてくれるのか。あるいは、この島の人民に何が恵みとして贈られるというのか。夢と希望もいいけれど、それ以上に今必要なものやことがある筈ではないか、そのような疑問もあってしかるべきでしょう。ぼくは「宇宙開発」に賛成しますが、その開発は国際間の競争や争いにつながっていないとは言いきれない。地上はもう立錐の余地もないほど、戦力・攻撃力が、相対立する国家群によって占められているから、これからは「宇宙開発」だ、というたくさんの産官学の大群がいるのです。

 ここで、気を付けなければならないのは、かかる出来事(快挙)の隙をついて、権力者は「隠し事」をこっそりと処理(無にする)しようとする、ということです。現下の隠し事(これは周知の事実ですが)はなにか。この島には、それこそいくつもあるが、それらを素知らぬふりしてえげつない始末を平気でしてきたのが政府(権力者)でした。それらの処理が人命や自然環境を壊すような危険なものであるなら、なおさら、きれいごとを言い立てて、事態の深刻度を軽くしようとするのです。先ず第一に指を屈しなければならないのは、「福島のこれまで」です。年明けには事故発生以来、十年になります。ぼくは、この福島時代に生きている人間として、しかも素人の悲しさを伴いながら、福島原発事故の後処理の問題を、ずっと考え(ても仕方ないのですが)つづけてきたし、今も考えているのです。

 快挙と愚挙 ー 福島の十年を前にして、いったい何が起こっているのか

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 ただ今、特に急がれているのが、「原発処理水」始末をどうするかという問題です。現場では、事故直後から問題の解決困難さは少しも変わらないし、さらに困難度が増すような、新たな課題が発生しているというのが正直な感想です。ぼくは、事故後間もないころに、福島を訪れました。多くの若い人々といっしょでした。その経験から、ぼくはこの問題を、(変な言い方ですが)自分のものにしようとした。以来、幾人ものジャーナリスト(事故直後から今日まで福島に直接かかわり続けている多くの人があられます)に導かれ、教えられながらの、牛歩ながらの学習でした。

 率直な感想を言えば、福島在住者だけではなく、今もぼくたちは被爆しています。「福一」からは毎日休むことなく「放射能」が出ていますし、汚染された地下水は山に川に田畑に住宅地に、そして大海にと、すこしの例外もなく蓄積され続けています。十年一昔、「福島は終わった」と言い包めて「復興五輪」を招き寄せた犯罪容疑芬々とした「総理」がいました。その「無能権力者気取り」を取り巻いた無数の曲者たちも、「事故を無化する」のに狂奔しています。彼等彼女らはすべて、同罪です。

 多くの人は福島に関心を持ち続けているかいえば、残念ながら、コロナや go to に耳目を寄せているのでしょう。そのように「為政者」が仕向けているからです。その尻馬に乗ってマスコミもまた、目先の遊興気分に油を注いで、柔な民衆を靡かせてきました。「済んだことはもういい」、「福島は終わった」と言わぬばかりに。

 劣島における原発問題の発生はそもそもは政治命題からでした。まるでアメリカに力づくで政治問題化されたといえます。それに加担し、一儲け、いや大儲けを企んだのが電力会社であり、立地自治体の「金の亡者」でしたが、その面々の両頬を札束で張り倒し続けてて、気づいたらこの狭い劣島に五十四基もの原発が出来上がっていたという、まるで、グロテスクなお伽話のような歴史がありました。いまもなお、このお伽話、つまりは儲け話は健在で、「核のゴミ処分場」立地に北海道の小さな自治体が手を挙げ、悪辣役人政治家の狙い通りに「金製の投網」に、喜び勇んでかかってくるという始末です。(北海道寿都町と神恵内村)

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「処理水*の貯蔵量(2020年11月19日現在)1,236,874㎥*水位計の測定下限値からタンク底部までの水を含んだ貯蔵量 福島第一原子力発電所では、発生した汚染水に含まれる放射性物質を多核種除去設備等で浄化し、処理水*(ストロンチウム処理水を含む)として敷地内のタンクに貯蔵しています。/ なお、敷地内には1052基のタンクがあります。(多核種除去設備等処理水の貯蔵タンク993基、ストロンチウム処理水の貯蔵タンク45基、淡水化装置(RO)処理水12基、濃縮塩水2基/2020年11月19日現在)。※2020年末までのタンクの建設計画は約137万㎥(https://www4.tepco.co.jp/decommission/progress/watertreatment/)

*現在、多核種除去設備等の処理水*は、トリチウムを除く大部分の放射性核種を取り除いた状態でタンクに貯蔵しています。
多核種除去設備は、汚染水に関する国の「規制基準」のうち、環境へ放出する場合の基準である「告示濃度限度」より低いレベルまで、放射性核種を取り除くことができる(トリチウムを除く)能力を持っています。(同上HPより)

 政府経産省東電は強靭な決団力を誇って、実に功名というか、(汚染水並みの)汚いやり方で「汚染水」(「ストロンチウム処理水」「多核種除去設備等の処理水」などと、いくつもの「変名」を駆使して、庶民の目を誤魔化そうとしています)を海洋投棄か水蒸気放出の二択で検討と偽計を働き、この秋には、予定通りに「海洋投棄」を実施する予定でした。

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「現在、1日に発生する汚染水は約140トンで、1週間で巨大タンク1基が満水となるペースだ。東電では、敷地内に137万トンまで溜めるスペースを確保しているが、それも2022年夏ごろには限界を迎える。一方、東電は21年から原子炉内の燃料デブリの取り出し開始を目指しており、廃炉作業が本格化する予定だ。廃炉のためにはさまざまな試料の分析用施設や、資機材の保管施設、事故対応設備の建設が必要となる。また、そのための人員や車両の出入りもあるため、敷地内にさらなるタンクを増設することは困難だという。

 処理水を溜めるスペースがなくなることは早い段階から想定されていた。2016年11月から処分方法の検討を進めてきた経済産業省の小委員会では、海洋放出、水蒸気放出、地層注入など複数の案を比較した上で、今年2月に「技術的に実績がある水蒸気放出及び海洋放出が現実的な選択肢である」との提言をまとめた。地元の農林水産業者や費者団体は反対意見を表明しているが、政府は近く、小委員会の提言に沿って「海洋放出」を正式に決定する。」(https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00976/)

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 すでに海洋投棄を決定し、実行する直前の段階にあったが、いろいろと評判が悪いようなので、すこし延期(ごまかし時間稼ぎ)したというのが実情で、あくまでも海に流してしまうつもりです。魂胆は見え透いています。

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 政府説明に周辺住民が強く反発 福島第1原発、処理水の海洋放出

 東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含む処理水の処分法を巡り、国と原発周辺住民らとの意見交換会が6日、福島市で開かれた。「海洋放出がより確実に実施可能」と説明する政府側に、漁師は「海が汚れ生活できなくなる」と強く反発した。

 (東京電力福島第1原発の処理水について、意見交換会で憤る漁師の小野春雄さん=6日午後、福島市 ⇦)

 経済産業省資源エネルギー庁の奥田修司・原子力発電所事故収束対応室長は「容器に入れ、手で持っても健康に影響がないほど低線量」と処理水の安全性を強調。新地町の漁師(68)は「生態系に影響があるかもしれないし、魚が売れなくなる」と憤った。別の住民から「なぜ福島の海に流すことが前提なのか」との声も出た。(東京新聞・2020/12/06)

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 「はやぶさ」と「原発事故隠蔽」、二つの正反対の方向にある現象(出来事)、どちらも科学技術の産物ですが、それが同時進行のままで突きすすめられています。原発事故発生後の数年間、ぼくは多大な関心を持って事態の推移をみてきした。おそらくぼくが亡くなった後も、最終的な解決が見つからないままに、この小さな島社会は、とてつもない時間と資金を浪費しつつ、まるで浮遊物であるかのように、除け者にされながら、地球上のあちこちを彷徨い流れるにちがいありません。この島の現状が、救い難い頽廃や堕落に直面しておりながら、そこからの出口を見つけられないでいるのは、きっと「原発事故」の手の打ちようのない後始末に、(誰も言わないのですが)疲弊しきった、疲労困憊の日常的な脱力感の表出ではないかと、愚かにもぼくは感じたりしているのです。(この「福島」の部分は相当に長くなりそうな予感がします。焦らないで、十年を迎えるべく、一つの区切りをつけたいと願っています。福島の多くの友人知人とも旧交を温めつつ、「福島後の世界」(願わくば)を敗残兵としてではなく、未来の星(幼い子どもたちも含めた若い世代に)のためにも、刹那主義に嵌らないだけの「見取り図」を描きながら、いくばくかのバトンのようなものを手渡ししたいと念じています。(つづく)

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