お前さん、電話鳴ってるよ

 神田伯山「地獄絵図…もう最悪」 舞台で観客がマナー違反、ハンズフリー電話から「もしも〜し」

 人気講談師の神田伯山(37)が、16日深夜放送のテレビ朝日「お願い!ランキング」(月〜木曜深夜0・50)のコーナー「太田伯山ウイカの『はなつまみ』」に出演。「地獄絵図」となった舞台での出来事を語った。

 今回は「どこでも電話に出る人」が話題に。伯山は一番困ることに「講談中に(観客の)携帯が鳴る」を挙げた。

 5日間あった舞台の最終日。事前に携帯電話の使用については注意していたにもかかわらず「すごいシーンとして聞いほしい時に鳴ったんですよ」と、マナー違反が出てしまったという。

 「(舞台中の会場は)暗闇だから、慌てて消そうとしていたけどハンズフリーを押しちゃって…」と、相手とつながってしまい、電話の向こうから「もしも〜し。もしも〜し。出ないな。どうしたの?」といった声が響き渡ったと回顧。伯山は「地獄絵図ですよ。もう最悪」と言いつつ「無視してしゃべらないと。江戸の世界観でやってるから。笑える話じゃないからそのままいくしかない」と話し続けたと振り返った。

 公演後にはサイン会があり、携帯を鳴らしてしまった観客の姿が。「来たんですよ。『鳴らしちゃいました〜。だから(伯山の)本を買います』って。(サイン色紙には)“携帯鳴らし男”って書きました」と笑った。

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 爆問・太田「もう冷や汗」 マナー違反の観客に対する談志さんの対応「あのトーンがすごかった」

 爆笑問題の太田光(55)が、16日深夜放送のテレビ朝日「お願い!ランキング」(月〜木曜深夜0・50)のコーナー「太田伯山ウイカの『はなつまみ』」に出演。落語家・立川談志さんのエピソードを明かした。

 この日は「どこでも電話に出る人」についてトーク。太田は談志さんの公演に出ていた時のことを「『芝浜』をやってたの。談志師匠が熱演だったね〜」と回想しつつ「一番良いところで(観客の)携帯が鳴ったの」と明かした。

 「芝浜」とは古典落語演目の一つで夫婦の愛情を温かく描いた人情噺。「女将さんが躊躇しながら旦那を起こすシーンがあるわけ。『お前さん!』って言う場面で、『おま…』って言った時に“ピリリリー!”って鳴ったんだよ」と振り返り、「ちょうど、ちょっと前に客が酒を飲んで寝て、談志師匠が舞台を降りちゃって裁判沙汰になったっていうのがあって、客はもう冷や汗だよ」と語った。

 当時、太田は「どうするんだろう」と思っていたというが、談志さんは「お前さん、電話鳴ってるよ」。 

 アドリブでネタに取り入れたことで「客はドカーンと一気に安心。談志師匠は怒らなかった。(会場は)しばらく笑いが止まらなかった」と絶賛した。

 しかし、その後については「談志師匠は落語を始めないの。だまりこんで『そんなに忙しかったら寄席なんか来なきゃいいんだよ』って。あのトーンがすごかった。笑ってた客が一気に…(静まった)」と振り返った。(スポニチアネックス・2020/12/17)

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 多分同じ番組だったのでしょう。神田伯山(六代目)に関しては何も知りません。一席も伺ったことはありませんから。講談はもっぱら一龍齋派でした。この六代目はまだ三十代後半です。いつか聞くことがあるかどうか。機転が利く人だと、テレビトークの記事を読んで、思いました。(この番組は、もちろん観ていない)次の爆問太田氏。(裏口入学)疑惑で、裁判があったと記憶しています。それはともかく、談志さんの逸話。これもずいぶん昔、都内のドイツ料理屋さんでお見掛けした。寄せも数回ばかり。あまり感心できなかった。理由は簡単。話芸が荒過ぎたようにぼくには思われた。利口な方だとは分かりますが、あまりにも目端が聞くので、落語界の「遅れ」「不勉強」に我慢ならなかった人のようにも見ました。(談志と志ん朝ご両人の「危機一髪」にも、芸人の根性・魂胆が見えていました)

 この「芝濱」誰のがいいとは言えませんが、ぼくは志ん生に指を折ります。話の中身はいずれ。この談志の逸話。さすがに立川流家元です。これが機転が利くというのか、目端が利くというのか。いかにも談志さんらしい受け止め方でしたね。寄席で啖呵を切り、喧嘩を売るのも、彼の芸の裡でした。でもそれが「席料」に入っているなんて、ぼくは嫌だった。談志という人は風雲児などと言われて、古い落語家や落語界をご破算にしようとした人です。でも、彼はたった一人だった。「名人」(というにしても)、それは彼一代の芸でしたね。参議院議員になったこともありました。話芸にはマイナスでしたろう。ぼくにも小さな「談志」との思い出がありますが、それは秘密。

 芝濱はいいですよ。一度は聴くものですね。誰でもいいとは思いませんが。聴くなら、CDです。 もちろん、談志さんの高座も聴きました。ぼくはほとんどすべて(かどうか怪しいが)、談志師匠の話は聴いていると思います。いいものがたくさんありますよ。

 今風・今時の「芸人」さん、このテレビ番組のような「話芸」「才気煥発」みたいな、面白おかしくしようというコマセの芸が受けるのでしょうね。でも、話芸は「寄席にかぎる」というのがぼくの主義です。金を払ってね。いつだって「当たり外れ」があるのです。外れたら、また行こう。当たったら、もう一度行こう、ってね。まるで「宝くじ」みたいなものです。前後賞はないけど。(話芸の途中で「携帯が…」、これで、芸は折れてしまいましたね。筋書きにない、でたらめが闖入したのですから。無理に続けたところで、もはや話芸は腰折れしていますよ) 

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「サヨナラ」ダケガ人生ダ

(写真上から、東京新聞・2019/04/13 wikipedia・2017/04/15 首相官邸・2013/04/20)

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●于武陵(読み)うぶりょう(英語表記)Yu Wu-ling [生]元和5(810)[没]?
 中国,晩詩人本名,鄴 (ぎょう) 。武陵進士となったが,を捨て各地を放浪し,孤高の生活をおくった。「人生別離足る」ので終る五言絶句『勧酒』が有名。(ブリタニカ国際大百科事典)

   コノサカヅキヲ受ケテクレ
 ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトヘモアルゾ
 「サヨナラ」ダケガ人生ダ

   (井伏鱒二『厄除け詩集』)

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 ぼくは桜大好き人間です。小学校の頃から、ずいぶんと桜について自己流の勉強もしました。誰に強いられたわけでもなく、ただ好きだからというだけの理由で、方々に出かけて、山中に迷い込んではたった一人で桜に対面したこともある。「花見」などというのは嫌いです。第一に、人混みが苦手だからだし、桜の花にだけ「酒や肴」で大騒ぎするのはまったく無粋じゃないですか。「花より団子」派でもありません。一人静かに観桜、一人ゆっくり手酌にかぎる。古今亭志ん生の「まくら」に上野の花見風景があります。「おめえ、上野に行ったんだって」「とにかく、すげえ人出で大変だったよ」「で、桜はどうだってえ」「見なかった」と。

 新宿御苑も半世紀前くらいには毎年のように出かけました。花見じゃありません。学校の近くだったから、散歩のついでにといった具合でした。(ここは江戸の昔は「内藤新宿」と言って「花街」でしたね。だから人だかりがするんだろうか)昨年からの一年半、この島では「桜を見る会」疑惑問題とやらが国会で問題になり続けてきました。まだ片が付いていません。司直の手に渡ったようですが、その手も汚れている。それはどうでもいいんです、ぼくには。この「見る会」とやらで、桜を愛でている人間はどこにも、一人もいないというのは、桜に失礼じゃないか、そう思うだに腹が立つ。バカは高いところに上るだけではないね。人のいるところに寄りたがる。孤独に耐えられないのかねえ。

 「馬鹿三態」のように「お山の大将気取り」の小心者を切り取った絵を並べました。年々歳々、バカが深まっていくように感じられます。来年は中止だとか、続けるといいですね、バカの定点観測です。ぼくはこの絶景を見ていて、五十年、七十年後には、誰もこの世にいないじゃないかと、おもわず我に返る、粛然となるんです。たった「一瞬の人生」のために、嘘をつき通すのも人生、悪を重ねるのも人生、ささやかに世に住むのも、海を見ず、飛行機にも乗らないで過ごすのも、また人生。三日見ぬ間の桜かなと言いますように、ほんの一瞬の人生だから、、どうしますか、と問われているですね。(「方丈記」冒頭 右上写真)

 そしていつも、こんな物思いにふけるときは、きっと于武陵です。「勧酒」というのはどういう心境であり、どんな場面だったか。詳細不明の人生を送った人でしたが、「官を捨て、孤高の生活を送った」というところに、若いころから魅かれていました。ぼくは放浪はしませんでしたが、気持ちの上では「いつでも放浪」「春放浪の花の山」でした。この五言絶句には井伏鱒二さんが似合います。(井伏さんについても、どこかで触れてみたいですね。ずいぶんと教えられましたから)太宰治の師匠格でした。太宰が自死した時、「この程度の小説を書いておいて、自殺するなんて(生意気だ)」と放言(失言)したのは有名な逸話。

 一言二言、いや四言五言で、世態のあまりの醜悪さに、絶句というのですか。

 「サヨナラ」だけが人生、これもまた、一詩人の人生観です。ひとそれぞれの「サヨナラ」がある。

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いらぬお節介を焼くようですが、「桜」について云々するなら、ぜひとも一読を。

桜の樹の下には    梶井基次郎

 桜の樹の下には屍体したいが埋まっている!
 これは信じていいことなんだよ。何故なぜって、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。

 どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。

 いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った独楽こまが完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱しゃくねつした生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心をたずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
 しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱ゆううつになり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
 おまえ、この爛漫らんまんと咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
 馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛ふらんしてうじが湧き、たまらなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪どんらんたこのように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。
 何があんな花弁を作り、何があんなしべを作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
 ――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやくひとみを据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
 二三日前、俺は、ここのたにへ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに出喰でくわした。それは溪の水が乾いたかわらへ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあったはねが、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
 俺はそれを見たとき、胸がかれるような気がした。墓場をあばいて屍体をこのむ変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
 この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。うぐいす四十雀しじゅうからも、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心はなごんでくる。
 ――おまえはわきの下をいているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
 ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
 いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
 今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒がめそうな気がする。(青空文庫・底本:「檸檬・ある心の風景 他二十編」旺文社文庫、旺文社 1972(昭和47)年12月10日初版発行 1974(昭和49)年第4刷発行 初出:「詩と詩論」 1928(昭和3)年12月)

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そっと置くものに音あり夜の雪(牧之)

 京都で積雪 嵐山が雪化粧し墨絵のような世界に 京都市では17日未明にかけて雪が降り続き、気象庁によると午前5時に積雪1センチを観測した。/ 右京区と西京区に掛かる渡月橋付近では嵐山が白く雪化粧し、墨絵のような光景が広がった。/ 早朝からカメラを手にした人が訪れ、盛んにシャッターを切っていた。(2020/12/17 07:35京都新聞)

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 余録 「夏草やつわものどもが夢の跡」をもじった「この雪に馬鹿者どもの足の跡」という江戸川柳がある。雪が降れば、いさんで雪見に出歩く物好きをからかった句で、昔の江戸は今よりも雪の日が多かったようだ▲雪景色の浮世絵や雪見の名所の評判がそれを示している。実際に江戸時代後期の気候は寒冷で、隅田川の結氷という記録もある。ただ、雪にはしゃいだ江戸の人に対し、雪国の人が豪雪に苦しみ、恐れたという対比は今昔変わらない▲越後の人・鈴木牧之(すずきぼくし)が、初雪が来れば喜ぶ江戸の人と、これからの雪中生活を思う雪国の人を比べ「楽と苦と雲泥のちがいなり」と記したのもよく分かる。さて雪のシーズンも始まったばかりなのに、早くもドカ雪が雪国を襲っている▲列島上空への強い寒気の流入により、まだクリスマスも先なのに日本海側の地方や関東の山沿いでは記録的な大雪に見舞われている。群馬県みなかみ町や新潟県湯沢町では、24時間の降雪量がそれぞれ観測史上最高を記録したという▲交通への影響や停電の被害も各地で出ている。きょうも降雪は続くというから、屋根からの落雪や雪崩への警戒も必要だろう。例年ならクリスマスや年末年始寒波が話題となるが、雪国の人も驚く師走半ばの記録的寒波の急襲である▲「雪は天から送られた手紙」とは氷雪の研究で知られた物理学者、中谷宇吉郎(なかや・うきちろう)の言葉である。シーズンのっけからのドカ雪も、荒々しさを増す地球規模の気候変動にまつわる天からの消息なのかもしれない。(毎日新聞2020年12月17日 東京朝刊)

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 コラム氏が触れている鈴木牧之(明和7年・1770年 – 天保13年・1842)。新潟は魚沼の人。商人。随筆、俳句などにすぐれた作品を残す。中でも最もよく知られたのが『北越雪譜』、ぼくの愛読書でもあります。これと並んでよく読んだのは菅江真澄の『菅江真澄遊覧記』。いつかは触れてみたい人と作です。真澄という人は生涯の大半を漂泊の旅に費やした。驚異的と言っていい、歩く人だった。宮本常一さんも真っ青というくらいに歩き、かつ書いたのでした。さて、鈴木牧之さんです。この人も長い年月をかけて「雪国の生活誌」というべきものを残した。それが『北越雪譜』です。

 魚沼あたりは何度か遊んだところです。その時期にはまだ記念館はありませんでした。平成元年創立とあります。当地の冬の奇祭に誘われて参加したり、下手な横スキーなどに時を過ごしたのでした。それはともかく、雪の多い地方でしたね。今はすっかり様変わりしてしまいました。などとのんきなことを言っているうちに、東北や北陸などで「大雪(豪雪)」との報道。雪に馴れるということはないのでしょうが、雪かきや雪下ろし、道路の除雪など、どんなに大変か、重労働かは少しばかりの経験で身に染みています。

 「鈴木牧之は1770年に越後塩沢の地、縮(ちぢみ)の仲買と質屋を営む鈴木屋の子として生を受けます。牧之は幼い頃より商売を学ぶかたわら、父・牧水の影響もあり俳諧や書画もたしなむ人物でした。
そんな彼に転機が訪れたのが19歳の時、縮の行商で訪れた江戸でのことでした。雪深い越後の国と異なり、暖かな気候のもとに暮らす江戸の人々。彼らに雪国のことを話すと、まるで異国の話であるかのように全く理解してもらえません。/ そこで牧之は、雪深い地域での生活文化を広く多くの人々に知ってもらいたいと思い、長い歳月と文人らの協力を経て、苦労の末に『北越雪譜』を世に出したのでした。」「鈴木牧之記念館」HPより。(https://www.pref.niigata.lg.jp/site/minamiuonuma-miryoku/1298404865782.html)

 「牧之は各地域の文人・俳人などと、書簡を交わし、『北越雪譜』の出版に至るまでの過程には、こうした文人らとの交流なくしては語ることができません。交友の中には「南総里見八犬伝」で知られる滝沢馬琴、「東海道中膝栗毛」で知られる十返舎一九、『北越雪譜』を出版に漕ぎつけた山東京山、その兄・山東京伝などの存在がありました。」(同上)かくして、なんと四十年余をかけて『北越雪譜』を書きあげた。まるで宣長さんの『古事記伝』のようではあります。彼はこの仕事を三十五年かけて完成させた。彼のおかげで、ぼくたちは「古事記」を何とか読めるようになったのです。また菅江真澄です。郷里を出て以来、およそ半世紀も旅の途上にあった。一度も帰郷しなかった。詳細は別の機会に譲りますが、博覧強記であり、歩きに歩いた人であり、空前絶後の漂泊の人でした。牧之に先立つこと、数年の先覚でした。

●菅江真澄=1754-1829 江戸時代中期-後期の国学者,紀行家。宝暦4年生まれ。三河(愛知県)の人。国学,本草学をまなび,天明3年より信濃(しなの),奥羽(おうう),蝦夷(えぞ)地などを遍歴。享和元年からおもに出羽(でわ)久保田藩(秋田県)領内に居住。旅先での地理,風俗を挿絵入りで記録した日記「真澄遊覧記」や,地誌,随筆をのこした。文政12年7月19日死去。76歳。本姓は白井。名は秀雄。(デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説)

彼らはなぜ、このような記録を残すことに「執念」を燃やしたのでしょうか。たんなる読者ごときには、その気心が知れません。ぼくは真澄についても論文か本を書こうとしたこともあったのです。もちろん、途中で放棄してしまいましたが、彼や牧之の生活・地理に対する拘泥というか関心といおうか、その向学の志をこそ、ぼくは感じ取りたいと今でもなお願っているのです。(絵と文・真澄 ⇒)

 雪が多ければ多いほど、そこには雪の生活・雪にかかわる文化があるということでしょう。雪は邪魔だから除雪してしまえというのは、この時代の生活観です。それが間違いだともいけないともいうのではなく、ぼくたちの今ある生活の、その前の時代には、どのような「人と暮らし」があったのか、それが知りたいというだけの話です。当たり前の、偉くもなんともない「人間の生活」を学びたいというのです。

 一雫ふた雫つつ終氷柱(つらら)かな(牧之)  *雫=しずく

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 (この雑文・駄文は、二月の初めころ(コロナ感染初期、ほんの走りでした)から書きだしました。高尚な目的があったわけもなく、単なる思いつき、あるいは「老化防止」(無駄な抵抗ですが)のためだけで、日記でも書くつもりで、だらだらと続けてきました。発端は若い友人の一言でした。暇があり、頭の体操にもなるから、「漢字の練習にもなるから、なんでも書いて見なさいよ」と言われたのです。分かりましたと、始めたのですが、なかなか思うに任せず、老化老衰の惨状を明かすだけの結果になっているようです。歳をとる、それはスリルであり、スリラーですね。

 じゃあ、物は試しで、いつでも終わりにします、という気楽な気持ちで、客の来ない「本屋」みたいなものを開店しました。でもまだ「自主トレ」の効果は絶無ではないにしても、芳しくないとの自己判断がありますので、暫時継続か。日銭も入らないし、閉店が迫っていますが。(SNSではなく、ブログでというところが「反時代的」ですな。ニイチェという奇人には「反時代的考察」という危険な本がありました)

 でも、どんなことにも余録はあるもので、若いころに読んだ本や、くり返し学ぼうとしたよしなしごとを今頃になって整理している気にもなってきました。常に気に懸けていたのは「読んだ本(の内容)はどこへ行ったんだ」という思い。本の形骸・骸骨は書屋に積んである。でも中味がすっぽり抜けているんですね。それを取り戻そうとしても無理ですが、読んだ本の臭いぐらいは、もう一度嗅いでみたいという程度の「自主トレ」で、なんの効果や改善もなさそうですが、まあ、「コロナ禍」の年回り、腐敗の臭(衆)に悪態でも付きながら、猫ともつきあいながら、ゆっくりと歩きますかね)

 (蛇足 春先から拙宅の軒先や車庫にいた猫たち、今は何と家の中で、文字通り「傍若無人」「乱暴狼藉」の振舞いに及んでいます。小生はまるで、朝五時からの「給仕」扱いをされている。これが、「軒を貸して、母屋を取られる」という図ですな。ただ今、大小合わせて七人、(それにプラス)かみさんとおれ。この暮れも無事に越せるでしょうか。その内に、七人の姿(侍)を掲載しますか)

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to be a lady and to be independent

<金口木舌>時代の空気 「法廷は天候に左右されないが、時代の空気には左右される」。映画「ビリーブ 未来への大逆転」に出てくるせりふだ。9月に他界した米国の最高裁判事ルース・ギンズバーグ氏(享年87)の半生を描いた作品▼1970年代、ギンズバーグ氏が勝ち取った裁判に、母親を介護する男性が未婚を理由に介護費用の税金の控除が受けられないのはおかしいという訴えがある。当時、控除を受けられるのは女性と既婚男性のみだった▼「介護は女性が担うもの」という性別役割分業を固定化する法律は、男性にも不利益を与えていることを認めさせた。生涯を通して全ての人の権利を擁護・推進した▼日本にも似た事例がある。婚姻歴のないシングルマザーに、これまで適用されていなかった税金の控除が本年度から認められることになった。当事者団体の根強い要請が国会議員を動かし、画期的な税制改正となった▼離婚・死別の母子世帯と異なり控除が適用されない未婚の場合、保育料や公営住宅の家賃の算定で高くなり、不利益があった。法制定時に比べ、時代の空気の変化を議員が理解したことが大きい▼「真の変化は一歩ずつもたらされる」とは、ギンズバーグ氏の言葉。人の考えや価値観は急に変えることはできないが、時代の空気をつくるのは私たち。どのような空気にするかは私たちの意識にかかっている。(琉球新報・2020年12月16日)

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【ギンズバーグ最高判事死去】アメリカでもっとも尊敬された女性RBGの生涯 渡邉裕子 Sep. 19, 2020,

 米連邦最高裁判所は9月18日、ルース・ギンズバーグ最高裁判事が膵臓がんによる合併症のため亡くなったと発表した。87歳だった。アメリカで歴代2人目の女性判事で、リベラル派や女性、若者たちから絶大な支持を集める人物だった。Business Insider Japanは、多くの人々から尊敬を集めたギンズバーグ判事の生涯を描いた記事(2019年4月6日公開)を再掲します。/ 2018年アメリカで公開され、大変話題になった2本の映画が日本でも公開される。/ 日本の女性たちも、これらの映画を見たら大いに刺激を受けるだろうし、男性たちが驚くであろう逸話もでてくるので、ぜひ紹介したい。

 1本は「ビリーブ 未来への大逆転」(原題:「On the Basis of Sex」)は日本でもすでに3月下旬に公開されており、ドキュメンタリー作品「RBG 最強の85才」(原題:「RBG」)は5月10日公開予定だ。/ いずれも今年86歳を迎えた、現・アメリカ最高裁の判事の1人であるルース・ベイダー・ギンズバーグの人生を主題にしたもの。RBGは彼女の名前の頭文字をとった愛称だ。/ ギンズバーグは25年以上、米最高裁で判事を務めている。アメリカでは歴代2人目の女性判事で、現在最高齢判事でもある。彼女の道徳的な高潔さ、少数派意見を述べるときの理路整然とした冷静なタフさは有名で、政治的にリベラルな層や、女性、法曹界、若者たち等から絶大な尊敬を集めている。/ 「アメリカ人が尊敬する女性ランキング」では必ず上位に名前が挙がる。(以下略)(https://www.businessinsider.jp/post-188622)

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 彼女の存在自体がアメリカの度量の広さ、深さを示していたと思われます。もちろん、その前に、彼女の才能という努力があることは当然でした。でも、単に「才能」があっても、時宜を得ないと首尾は一貫しないのも事実です。彼女は「存在すべき時に、存在した」と言いたい。今秋、亡くなられた時は大統領選挙運動の最中でした。彼女の凄さが報じられたと同時に、その後任選びもまた「大統領選の結果」を左右するという意味で注目されました。ぼくは必要上から、アメリカ連邦最高裁判所の「判決」をそれなりに読んできました。それに比べるつもりもないのですが、この島の最高裁の判決・判断も調べていました。この何十年、国政に影響を与えない限りの判断しかしなかったのが島の最高裁だったといえます。その意味で、ぼくは最高裁判断に置けり「少数意見」を熱心に読んできました。いずれこれが「多数意見」になるだろうし、それを願うという気持ちがありましたから。その一々を述べませんが、「憲法の番人」が、今では政権や国家側の番人ではないですかと、ぼくはあからさまな批判を持っています。

 このRBG現象をどう見るか。おそらく、彼女の人権感覚が「女性を救う」という以上に「男社会の盲点」、男性優位で成り立つ「社会への告発」を彼女は一時も放棄しなかったということでしょう。たった一人の「ヒーロー・ヒロイン」で何かが変わることはない、でもその少数意見が「正しさ」を内包しているなら、いつかは必ず「多数」の賛同を得るはずです。主観は、やがて客観を得ることによって、あるいは「正しさ」を獲得するということでしょう。「真理は小数意見にあり」とは、このままでは断言できませんが、大多数が「真理に叶う」ということは、まず考えられない。「たくさんの少数意見」が出ることが望ましいですね。それを時間をかけて「実地に試し」てみる、それが民主主義の実験であり、この実験には終わりはなさそうです。「真の変化は一歩ずつもたらされる」

 ギンズバーグさんは一貫して「少数の立場」から物事を考え始め、その地点において「多数派をの横暴を剔抉」したとも言えます。それは、一面では母親譲りだったのかもしれません。ある映画の中のセリフです。

 My mother told me two things constantly. One was to be a lady, and the other was to be independent. 

 彼女の夫の「粋」な言葉です。

 ”I have been supportive of my wife since the beginning of time, and she has been supportive of me,” “It’s not sacrifice; it’s family.”

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 アメリカは、ぼく(たち)が思い込んでいるような(お手本にするような)社会や国ではないということを、この一年のさまざまな出来事で学んだように思われます。そこには「いい人」もいれば「悪い人」もいる、ぼくたちの社会とまったく同じで、優れている点もあれば、驚くような遅れた面も併存しているのです。黒人との婚姻が認められ、公民権法が制定され、隔離政策が間違いであると気づいたのは、この数十年(たかだか三十年か四十年ほど前)のことでした。様々な法律が制定され、法的な処置が施されるようになってもなお、今回の大統領選挙の最中において、人種差別や女性差別、少数者の権利無視が横行している現状を、ぼくたちは目の当たりにしました。その意味では、さらになお「一歩」が求められるのでしょう。

 でもその現実に、腰を据えて立ち向かう人がいることもまた実感したのでした。デモクラシーは一進一退の歩みそのものでしょう。しかし、その鈍(のろ)い歩みは、いつしか気の遠くなるような地点に立っているということもあるのです。歴史はバトンタッチであり(pass the baton to one’s successor)、気がつけば多くの人々がそのレース(差別からの解放)に参加しているのを見ることができるのです。その歩みの道筋には日米の差はないのです。もちろん遅速は避けられないものですが、歩く方向は同じだと、ぼくは信じている。誰でもが同じ速度で歩いたり走ったりできない、自分の歩調や歩幅でしか歩けないのですよ。そして、この点においてだけは日米に差はないといえるでしょう、「真の変化は一歩ずつもたらされる」ものなのだと。

 ぼくが明治維新期に大きな関心をいだくのは、この百五十年の間に人間の心持、社会の価値観はどのように変化し、またそれを壊したり育てたりしてきたかを実感するための試験問題を前にしているつもりだからです。この島には島に見合った歩幅や歩調がある、それをよくよく調べてみたいという心持が湧いている。人の歩みも、社会の歩みも、国家の歩みも、けっして淡々と一直線に前進するものではありません。大きな過ちを犯し、絶望的な状況に陥りながら、身を起して、さらに歩き続けるのです。失敗を重ね、後退を余儀なくされながら、でも次の第二バトンを確実に手渡せるだけの準備を生きている中で果たす、それが、「人が生きている」、一つの意味でもあるのではないでしょうか。

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げに小春日ののどけしや

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 今頃の季節には、きっとこの唱歌が懐かしくなります。初出は大正二年(1913)でした、例によってこの歌も作詞作曲は不詳となっています。それにはいろいろと理由があるのですが、その大半は学校唱歌の揺籃期というか未開拓の時代でしたから、民間人も含めて時の文部省内にいくつかの専門家委員会が作られ、議論(合議)を重ねた末に「唱歌」が出来上がるということだった。作詞や作曲の大家も入った委員会で、いまなら「コロナ専門委員会」「コロナ対策分科会」というようなものだったでしょうか。だれの詞、だれの曲とわからなくても、それを学ぶ(歌う)子どもたちにはあまり関係はなかったとも思われますし、成人してから歌う人にとっても「読み人知らず」では不都合はなかろうと思われます。誰の手になるか知らないで、ぼくたちはたくさんの「ものやこと」を好んだり、大事にしたりしているのが実際です。

 この「冬景色」もそうです。興味のある方はいるもので、歴史的にも高名は方たちが「ホシ」だとされています。なるほど、曲の調べやリズムの展開の具合から、あの方たちであろうといわれれば、「そうかなあ」という気にもなります。でも、ぼくは「古典」というものの作者はすべて「名無しの権兵衛」でいっこうにかまわないと考えているのです。誰が法隆寺を建てたか、誰が「カレーライス」を生みだしたか、そんなことには頓着しないで、いいものはいいし、うまいものはうまいというだけでいいのではないですか。日常生活に欠かせない「火」はだれが発明したか、発見したか。(「子どもたちの遊び」(石井行昌撮影写真資料 明治時代)左上写真)

 この曲の調性には異同がありますが、とりあえずは「ヘ長調」版の楽譜を挙げておきます。

 何度も繰り返し「歌詞」を読んでみる、晩秋か初冬の一日、朝、港には霧がかかっている。舫(もや)ってある舟も、霜が降りて白くなっている。麦畑には人(子どももいるでしょう)が作業をしており、そこに「小春日」が降り注いている。嵐が襲い、雲が低い、時雨(しぐれ)て日が暮れ、陽がかげると、まるで野辺は暗くなって、人家の灯が漏れてこなければ、まるでどこだかわからない。夜明けは遅く、陽の入りは早い。

 この詩を書いた人はきわめて早起きで、湊(江)の住人がまだ起きてこないうちに、海や港を観察しています。まさしく、これぞ「冬景色」という場面ではないでしょうか。今から百年余も前の島の朝景色の一枚でした。三・三・五調というのは、快活、すっきりですね、「寒い、団から出るのは嫌だ」なんていってられるか、そんな調べじゃないですか。

 今ではすっかり「麦畑」が姿を消して、麦ふみなどという仕事も想像すらできなくなりました。麦なんか輸入すりゃいいじゃないかと。「小春日」に恵まれて、咲きだしたのが桜か梅か。拙宅の枝垂れ桜も「返り咲きぬ」で、今も山茶花といっしょに「開花」を楽しんでいる?これを書いているのが夕方の五時過ぎです。少し買い物にと車で出かけて、途中で雨、いや霙(みぞれ)に遭遇しました。いやに寒くなったと思っていたところでした。「野辺の里」という言葉とそれが含む風合いは、ぼくのとても好むところです。同じ唱歌「朧月夜」(大正十三年、六年生唱歌)に「さとわのほかげ」という詞がでてきます。これもまた、ぼくの偏愛する情景です。岡野貞一曲、高野辰之詞でした。「冬景色」も、このコンビの仕業だという説がもっぱらです。「さとわ」という生活の場は、すっかり消されてしまいましたか。

●さと‐わ【里曲/里×廻/里回】 《「さとみ(里曲)」の平安時代以後の誤読》人里のあるあたり。「―の火影 (ほかげ) も、森の色も」〈文部省唱歌・朧月夜〉(デジタル大辞泉)

 「さとわ」「さとみ」」という地名は島中に点在しています。房総半島にもいくつもあります。「里見八犬伝」などはその代表でしょうか。市川には「里見公園」-かみさんと手をつないでだったか、歩いたところでしたー、この近くに「野菊の墓」があります。

 という次第で、小学校唱歌を愛好し続けるのは、ぼくのささやかな趣味であり、また、この島のまだまだ貧しくも健康であった時代、明治という若い時代の詩情というか、気分を味わうための歴史の学習でもあるのです。唱歌を通しても、いろいろの「明治」があったという実感を持ちたいという願いがあります。どんなにひどくても、今日のような腐敗や堕落は、まだ始まっていなかったとぼくは見ています。唱歌にもそれは明らかに透視画のように映っています。真面目であり、誠実であることが虚仮にされない、人間の社会でしたね。(Source by: The New York Public Library ⇓)

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一市井人として、言わねばならないこと

 政府、福島移住に最大200万円 原発事故再生へ支援金

 政府が2021年度、東京電力福島第1原発の周辺12市町村に移住する人に対し、最大200万円の支援金を支給する制度を設けることが14日分かった。避難した住民の帰還が進んでいないのが背景。移住者を呼び込み、発生から来年で10年となる原発事故からの再生を後押しする。/ 移住してから一定期間の定住や、就業などを条件にする考えで、詳細を詰めている。併せて、受け入れ側の自治体が実施する移住促進事業も支援する方針。財源は復興庁が福島県や市町村に配分する福島再生加速化交付金を活用する。(共同通信・2020/12/14)

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 福島原発事故からやがて十年。いったいこの月日はどのようなものと理解したらいいのでしょうか。ぼくたちもまた、被害者であるという認識を持たなければ、事故は日々にに遠ざかってしまい、ついには忘却の彼方に捨てられてしまうのです。被害に遭った人には気の毒だった。でも自分には自分の生活がある。こんな具合に「フクシマ」はアレグロではなく暗断点かもしれないが、叙情に忘れ去られていくのでしょう。それを千秋の想いで待望しているやからが蔓延しているのです。

 この事故の直接的な被害を受けた人々は、事故発生以後の人生と、それ以前の生活とが否応なしに分断され、いまもなお「被災者」であり、「被害者」であり続けているのです。前後に二分された深い亀裂にかける橋はない。この間、事故を起こした政府と東京電力は、「二人三脚」「夫唱婦随」宜しく、見せかけの「復旧・復興」を旗印に、途方もない税金を注入して、いったい何をしてきたのか。おそらく、一日も早く「原発事故」の痕跡を消去しようと齷齪(あくせく)しているのであり、あわよくば「なかったこと」にしたいがためにあの手この手を使って、懐柔やら拒絶やらと、あろうことか、「飴と鞭」の政策に奔走していたのです。国威をかけて「事故の痕跡を葬ろう」、これが第一目標です。自らの「過ち」を消したい、底から歴史の捏造が生じる。人であれ、国であれ、やろうとすることは「誤り」「失敗」を無にすることです。政府は、そのためにばくだいん「税金」を使いまくっている。

 いまなお汚染物質は拡散しているのであり、被爆状態は一日も休むことなく、継続しているのです。ぼくは暇に飽かせて、いくつかの視点から「原発事故」問題を調べようとしてきましたが、ほとんど途方に暮れ、路頭に迷うばかりの暗中模索状態を抜けることが出来ないでいます。なぜか、情報があまりにも拡散しており、真偽の見分けが極度に困難は状況が続いているからです。これまでにも何とか、「事故の現在」という問題意識を駆り立ててきましたが、端的に言って、原発事故の責任を負うべき当事者が、まず責任の所在をあいまいなままにして、「事故処理は終わった」「復興ができた」とありとあらゆる言動を駆使して、金を投入して、この問題を隠し通そうとしてきたし、今も同じ姿勢を保ちつづけているのです。度し難い、人民への裏切りであります。

 期限を切って、それ以降は面倒は見ないという。避難せざるを得ないからそうする人の間にも分断線を引く。言うことを聞く人と聞かない人。今度は「帰還者」が少ないかほとんどいないから、何が何でも住みつかせる(一時でも構わない、偽装でもいい)、移住者には「金をくれてやる」というのです。ぼくには言葉がない。結果的には金銭が絡むであろうことも認めますが、それを言うにも、礼儀があるというのです。しかし、かかる無礼きわまりない人間どもですから、礼儀云々は通用しない。それではと、誠意や誠実を口にしかかるけれど、言葉が出てきそうにもないのです。どこの国でも弱者ーこの場合は被災者ー社会的に排除されてしまう人を作っておいて、「お為ごかし」をしようというのです。それが政治であり行政であると、開いた口もふさがらないのです。基準に合ってている、基準を満たしていないと、硬軟合わせ技で、人民を虚仮にしているのです。そして、その「基準」は「政治」がつくる。空気や海水の汚染度も「国家基準」だと、この地球には島社会(にほん)しかないような、傍若無人の振舞いです。

 これまでにも、さまざまな後始末に「天文学的な」国税が投入されてきました。事故の補償費でも十兆円を超えると言われています。さらに「廃炉」に向けた各種の作業にも気の遠くなるような税が投入されています。「廃炉」から始まる道は「亡国」に至るのです。ぼくの感覚では、もうすでに「亡国」の入り口に来ています。

 いくつもの証言があるのですが、除染作業一つとっても、放射線量の低下が望めないような(見かけの除染作業が生み出す)事態が生じています。切りがないので止めますが、国税が投入される事業は、根本的には同じような「中間搾取」「中抜き」(早い話が、横取りです)、こんな言葉は使いたくありませんが、そのようなからくりを使って、金儲けの大きなチャンスととらえる向きが横行しているのです。コロナ禍に際しても同じような、これこそ「詐術」かと言いたくなるような、税の収奪が多発していました。五輪開催にむけても、すでに二兆円ものカネが費消されています。この先、どれくらいになるか「予測不能」だとされています。「予算」執行に際して、おそらく「ニ、三割は手数料」名目で消えています。今年度の最終予算額は「180兆円」に届こうかと報道されている。「横取り天国」だね。

 「五輪招致」も嘘から出た実(まこと)ならぬ、嘘でした。嘘からは嘘しか出てこない道理です。この時期に、五輪を開く理由はまったく見つからない。、あえて言えば、おのれの威信をけて「虚偽を世界に発した」「前総理」を筆頭とする権力亡者たちの自己(事故)顕示欲だったし、「横行する「横取り屋」だったが、ぼくたちはその生贄にされてきたのです。(これに関しては何も言わない、いうだけの値打ちもない)あまりにも不真面目が過ぎるし、不誠実です。劣島あまねく「虚勢や虚偽」が横行しています。むしろ、この虚勢や虚偽の感染力を、ぼくは恐れもし、歎きもするのです。  

 以下に挙げるような、幾多の「原発事故関連事業」においても、「詐欺」とは言いませんが、著しい「税の無駄遣い」が横行しています。いったいどれだけの公共事業、公的事業で税金を「溝(海)に捨てる」ようなことが行われているのでしょうか。ほんの一例として「原発事故」に便乗した政官財のコラボ「税収奪」スキームをし示しておきます。この問題に関する気の遠くなるような資料を見ていて、ほとほと「悲嘆にくれる」という、かつてない経験をぼくはしばしばする羽目になりました。こんなことはぼくの今までの知るところではなかった。まるでこの島社会は「泥棒天国」「律義人地獄」だと痛感しているのです。かような詐欺まがいは「枚挙に遑(いとま)なし」です。数え上げているうちに歳をとるね。

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 福島の洋上風力発電、全撤退へ 600億投じ採算見込めず

 政府が、福島県沖に設置した浮体式洋上風力発電施設を全て撤去する方針を固めたことが12日、関係者への取材で分かった。東京電力福島第1原発事故からの復興の象徴と位置付けて計約600億円を投じた事業で、民間への譲渡を模索していたが、採算が見込めないと判断した。経済産業省は、来年度予算の概算要求に撤去関連費50億円を盛り込んだ。再生可能エネルギー関連の産業を推進する福島県にも痛手となりそうだ。/ 浮体式洋上風力発電施設は2012年から、原発事故で一時全町避難となった楢葉町の沖合約20キロに3基を順次設置した。最大の1基は今年6月、不採算を理由に撤去済み。(右上写真 今回撤去方針が固まった福島県沖の浮体式洋上風力発電施設の1基)(共同通信・2020/12/12 )

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 要するに、すべては「国家プロジェクト」というわけです。触れるも腹が立ちますが、よってたかって「国を亡ぼす」という計画です。国家破壊のためになされる「公共事業」に「国税」が投げ入れられています。これに参加・参入する企業群をはじめ、なんでこいつらというべき「(アクドサトいう点では)錚々たるメンバー」です。大学生の人気企業ランキングの上位企業であり、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの感がある「経済官庁」であり、「国家強靭化」に絶大な興味と関心を示す「政治家」です。つまりは「政官財(産)」のトリオがかならず潤う例で、国家破壊プロジェクトは着実に進行中というわけです。go to~といいますが、ここにもトリプルプレイは盛業中なんですね。感染に感染、それを税金で奨励するという、度し難い蛮行が猖獗を究める国になり果(おお)せたのです。(虫唾が込みあげてきましたので、今回はここまで)

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