
水澄みて四方に関ある甲斐の国(龍太)
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わたしを束ねないで (新川和江) わたしを束ねないで あらせいとうの花のように 白い葱のように たばねないでください 私は稲穂 秋 大地が胸を焦がす 見渡すかぎりの金色の稲穂 わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように 高原からきた絵葉書のように 止めないでください わたしは羽ばたき こやみなく空のひろさをかいさぐっている 目には見えないつばさの音 わたしを注がないで 日常性に薄められた牛乳のように ぬるい酒のように 注がないでください わたしは海 夜 とほうもなく満ちてくる 苦い潮 ふちのない水 わたしを名付けないで 娘という名 妻という名 重々しい母という名でしつらえた座に 坐りきりにさせないでください わたしは風 りんごの木と 泉のありかを知っている風 わたしを区切らないで ,(コンマ)や.(ピリオド)いつくかの段落 そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章 川と同じに はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
●あらせいとう=(あらせいとう【紫羅欄花】:アブラナ科の多年草で、園芸上は一年草。南ヨーロッパ原産。高さ五○~八○センチメートル。葉は長卵形で細毛が密生。五~九月頃、白・桃・紫赤色などの花を多数総状につける。八重咲きなど園芸品種が多い。ストック)(広辞苑)
●新川和江=詩人。1929年、茨城県結城(ゆうき)生。高等女学校在学中より西條八十に師事。1983年から1993年まで吉原幸子とともに「現代詩ラ・メール」誌を主宰、女性詩人の活動を支援した。詩集に『ローマの秋・その他』(室生犀星詩人賞)、『ひきわり麦抄』(現代詩人賞)、『はたはたと頁がめくれ…』(藤村記念歴程賞)、『記憶する水』(現代詩花椿賞、丸山薫賞)など。『千度呼べば』に収められた「ひといろ足りない虹のように」をはじめ、多くの詩に曲が作られ、愛唱されている。(新潮社)
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飯田龍太さんの句をいくつか。

春の鳶寄りわかれては高みつつ 紺絣春月重く出でしかな 春すでに高嶺未婚のつばくらめ 春暁のあまたの瀬音村を出づ
●飯田龍太=俳人。1929年、山梨県生れ。日本の近代俳句に大きな足跡を残した飯田蛇笏の四男。国学院大学文学部国文科卒。卒業論文は〈芭蕉の悲劇性の展開〉。1954年第一句集《百戸の谿(たに)》を出版,戦後俳壇の新鋭として注目を集める。1957年現代俳句協会賞を受賞,1968年第四句集《忘音》で読売文学賞を受賞。蛇笏主宰の俳誌《雲母》を父の死後継承し,蛇笏没後30年にあたる1992年に900号をもって終刊した。現代的な感覚溢れる瑞々しい叙情性が特徴の作風で知られ,現代俳句の第一人者と評される。郷里山梨において,山梨県立文学館の創設などに尽力した。句集に《童眸》《春の道》《山の木》《涼夜》《山の影》《遅速》など。《飯田龍太全集》全10巻が2005年に完結。2007年没。(百科事典マイペディアの解説)
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孔子の語には好きなものがたくさんありますが、中でもぼくが好んで実践したいと願ったのは「述而不作 信而好古」というもので、これは彼の生活の流儀だと思ってきました。信じるに足る「古」(この場合は先達・先輩)を好んで、それを語るだけが「私の生き方」だ。自分は何かを創造するような人間ではないのです、と。つまりは「私は聖人君子ではない」というのでしょう。まあ、ぼく流に砕けて受け止めれば、先輩のいいものをひたすら読んだり、書いたりするばかりで、それ以外の行いは慎むべし、とこれまでもこれからも自分に言い聞かせることをやめないつもりです。
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