寛容と不寛容について

 《06年10月2日、米ペンシルベニア州のアーミッシュの学校に、同じ地域に住む非アーミッシュの32歳の男が侵入し、銃を乱射。13歳から7歳までの5人を殺害、5人の子どもに重傷を負わせ、自殺した。事件当日の夜から何人かのアーミッシュが男の家族を訪ねて男をゆるすと伝え、男の葬儀には大勢のアーミッシュが参列した。被害者の家族の何人かは娘の葬儀に男の家族を招き、数週間後には双方の家族が一堂に会して悲しみを分かち合った》(朝日新聞・09年07月08日)

 (事件は以下のような経過をたどった)

 午前一〇時四四分。農家の庭先から九一一通報を受けてからわずか九分で、三人の州警察官が学校に到着した。警察官は、ドアがロックされブラインドが下ろされているのを確認した。やや遅れて、さらに七名の警察官が現場に駆けつけ、学校を素早く包囲した。交渉担当が、パトカーの拡声器を使ってロバーツに話しかけ、銃を下ろすよう繰り返し説得した。

 立てこもったロバーツは、携帯電話で妻を呼び出し、もう家には帰らない。皆に書き置きを残してある、と伝えた。神に腹を立てている、と彼は言った。それは、九年前に生まれた長女のエリーズが、生後わずか二〇分で死んでしまったためだ。妻に宛てた書き置きには、「俺は君にふさわしくない。完ぺきな妻である君にふさわしいのは、もっと・・・ 俺の心は自分への憎しみ、神への憎しみ、途方もない空しさで一杯だ。皆で楽しく過ごしていても、なぜエリーズだけがいないんだと怒りが湧いてくるんだ。

 警察が来て、少女に悪戯する計画が駄目になったと知り、ロバーツはさらに動揺した。午前一〇時五五分には、自分で九一一番に通報し、「少女一〇人を人質にとった。全員ここから出ろ・・・ 今すぐだ。さもないと、二秒で皆殺しにする。二秒だぞ。わかったか!」

 それから、少女たちに向かって言った。

 「娘の償いをさせてやる」

 教室にいた十三歳の生徒二人のうちの一人、マリアンが、ロバーツは皆を殺すつもりだと悟り、年下の子たちを何とか守ろうと思って、言った。

 「私を最初に撃って」

 そうすることで、他の子供を救い、自分が世話を焼いている小さな子たちへの義務を果たしたかったのだ。

 午前一一時五分、警察は、散弾銃の銃声三発、続いて拳銃の速射音を聞いた。玄関の窓から発射された散弾が、数人の警官をかすめた。警察隊は校舎に突進、棍棒とタテで窓を壊した。壊れた窓から突入したちょうどそのとき、殺人犯が拳銃で自分を撃ち、倒れた。床の上には、まるで処刑場のように、撃たれた少女たちが一列に横たわっていた。五人は瀕死の状態である。もう五人も重傷を負っていたが、頭を両手でかばい、転げ回ったため命が助かった。

 静かなアーミッシュの村を襲った学校乱射事件は、世界に衝撃を与えた。しかし、それと同じくらい世界を驚かせたのは、(ペンシルベニア州ランカスター郡)ニッケル・マインズのアーミッシュが、その直後に殺人犯を赦(ゆる)し、その家族に思いやりあふれた対応をとったことだった。

 事件直後、同情した外部の人々がアーミッシュのコミュニティを支援していたとき、アーミッシュ自身も別の仕事にとりかかっていた。優しく、そっと、静かに、赦しという困難な課題に取り組もうとしていたのだ。

 アーミッシュが、ロバーツの未亡人と遺児たちも事件の犠牲者なのだ、と気がついたのは早かった。夫や父を失った上に、プライバシーを暴かれている。しかも、アーミッシュの犠牲者と違い、ロバーツの家族は、最愛の人が無垢(むく)な子供と家族に凶行を働いた恥を忍ばねばならない。アーミッシュのなかには、事件後わずか数時間後のうちに、早くもロバーツの家族に手を差し伸べた人たちがいた。

 近くの教区の牧師エイモスは、我々にこんなふうに説明した。

「ええ。私たち三人は、(事件が起こった)月曜日の夜は消防署近くにいたんですが、そのとき、ロバーツの未亡人エイミーに言葉をかけにいこう、ということになりました。まず自宅へ行ってみると、誰もいない。彼女のお爺さんの家も尋ねてみましたが、そこにも誰もいない。それで、お父さんの家へ歩いて行ってみると、エイミーと子供たち、彼女のご両親がいました。私たちは一〇分ほどお邪魔してお悔(く)やみを言い、あなたたちには何も悪い感情をもっていませんから、とお伝えしてきました。

 同じ晩、数マイル離れたところでは、別のアーミッシュの男性が殺人犯の父親を訪ねていた。父親は元警察官で、地元のアーミッシュのため運転手をしていた。ロバーツ家の代理人ドワイト・レフィーバーは、後にマスコミ取材に対し、アーミッシュの隣人が一人、家族を慰めに来たことを話している。

「その人は一時間そこに立っていました。それから彼(ロバーツの父親)を抱擁し、『私たちはあなたを赦しますよ』といいました」

 その翌日から、ロバーツの両親のもとをつぎつぎとアーミッシュが訪れては赦しの言葉を伝え、彼らを優しくきづかった。

 (母親の腕の中でその死が見届けられたその翌日、二人の姉妹の祖父はいきなりマスコミの取材を受けた)

「犯人の家族に怒りの気持ちはありますか?」と女性レポーターが聞いた。

「いいえ」

「もう許している?」

「ええ、心のなかでは」

「どうしたら赦せるんですか?」

「神のお導きです」

 同じ日の午前中、ジョージタウンに住むアーミッシュの女性が、CBS(テレビ局)の「アーリーショウ」にシルエットで出演し、殺人者を赦すことについて語っている。「赦さなければいけません。神に赦していただくには、彼を赦さなければいけないんです」

 マスコミを通じ全国に報じられたもう一つのエピソードは、先ほどの姉妹とは別の犠牲者の祖父の話だ。自宅に安置された棺に横たわる孫娘の無残な姿を見て、まわりにいる幼い子供たちに「こんなことをした人でも、悪く言ったりしてはいけないよ」と言ったというのだ。(文中の引用はクレイビル、ノルト、ウィーバーザーカー共著『アーミッシュの赦し―なぜ彼らはすぐに犯人とその家族を赦したのか』亜紀書房刊、08年からです。少し変えたところがあります)

 テロには報復を、というのがアメリカ社会の風潮だった当時、アーミッシュの行為をブッシュ(前)大統領の野蛮な選択に重ねることがあったという。悪(テロ)には報復がふさわしい、報復しかないという大きな声に対してこのアーミッシュの「赦し」はどのような意味をもっているのか。たくさんのこと、それを深く考えなければならないとぼくたちにせまっていないかどうか。

 「許す」か「許さない」か、その間にもう一つの選択肢(「赦し」)がないのかどうか、アーミッシュの人々の態度や行動はそのことをつよく教えていないでしょうか。彼らや彼女らの生き方は信仰に基づけられた特殊なものだといっただけではすまないものが、そこにはあるにちがいありません。信仰の有無にかかわらず、ぼくたちははげしく問われているようです。

寛容(赦し)とはどのようなことだろう、と。

 事件の詳細を知るにつれ、ぼくはこの時代に存在する「アーミッシュ」という生活団におおきな衝撃を受けました。かなりな資料などを渉猟し、それなりに考えようとしたのですが、いまなおぼくにはわからないことばかりです。「許し・赦し」とは? 寛容であるのは大事な姿勢でありますけれど、誰に対して寛容であり得るのか。あるいは寛容であるかないか、それは場合によるとすれば、寛容には二面性があることになります。不寛容が存在して初めて寛容が問われるのだ、と。

 いまではこの共同体は相当程度に変質し変形しているともいわれます。時代の波が押し寄せるということですが、中からもまた、うねりになっているかどうかわかりませんが、アーミッシュ社会に向けるうちからの意識の変化が相当に大きくなってきているのは否定できそうにありません。これを機会に、あらためてアーミッシュをとおして「許し・赦し」「寛容」の問題を考察し続けたいと思うのです。

(*アーミッシュ【Amish】キリスト教プロテスタントのメノー派の一派。また、その信徒。スイスのアマン(J..Amman  1644頃~1730頃)の創始。迫害を避け、アメリカのペンシルヴァニア州に移住、地域社会集団を形成。電気・自動車などを用いず、質素な生活様式を保つ)(広辞苑 第五版)

 遊びに主意を立てて

 どこかの駄文で幸田文さんを紹介しました。その父親が幸田露伴(1867-1947)です。さまざまな分野の小説を書き、漢詩・漢学をよくし、徘徊にも親しんだ。少年文学といわれる分野を開拓した人でもありました。生まれは江戸は下谷の三枚橋横町。落語でなじみの町です。父は幕臣だった。有職故実というよりは、礼儀を大事にするか風だったのかもしれない。それは次女の文さんの書かれたものを読めばよく分かります。以下はその一つである『休暇伝』(1897年)から。威儀を正した教師の姿が(露伴に重なって)彷彿としてきます。

 それは、教師と子どもの、どこにでも見られるとはかぎらない、「友愛」に満ちた結びつきを核とした作品です。 山深い村の小さな、しかし高等科もある小学校。明日から夏休みに入る。先生は子どもたちに話しかけ、問いかける。明治中頃の島のある学校に展開される出来事の一場面です。ぼくは露伴好きですが、なにかにつけての詮索は好みませんので、この小説の背景に関しても知るところはありません。露伴という小説家が描いた「教師」像を、懐かしさを込めて愛読するばかりです。この「休暇伝」の一読を勧めますね。

 《時間も済みましたなればすぐとみなさんお帰りになっても宜しゅうござります。暑さのはなはだしいため今日かぎり休暇になりますが、これは学校でみなさんに授業をいたさぬというばかりで、学校へ出ませんでも、私は生きておりますから、私は私だけに必ず何事かいたして働きます。みなさんも生きていらっしゃるうえはかならず何事かしてお働きになるが宜しい。天を見ても地を見ても生命あるものの働いておらぬはござりませぬ。

 かよう申しますればとて、毎日毎日複読したり算術をしたりいたしておらるるが宜しいというのではござりませぬ。遊びということはけっして無益なるものではござりませぬ、大切な働きの一つでござります。暑中のことですから学事ばかりに身心をつかって健康を損ずるようなことをなさるのは私の望むところでではござりませぬ。むしろ愉快に活溌に高尚に、精悍しく美しく遊んでいただきたいのです。

 ただ大切なのは、かねてよく考えておいてじぶんのおもしろいと思う遊び方をさだめることです。そしてじぶんの遊びの結果を見るのです。みなさんめいめいに、じぶんの遊び方を考えて、何によらず結果のある遊びをなさい。宜しゅうございますか。みなさん、何をなさってもかまいませぬから、遊びに主意というものを立てて、そして能く遊んで、遊び終わったときにわが遊びから生じたることを観るというようになさい。

 どうです。みなさん。何をして遊ぼうかとわが遊びの主意を考えさだめるのもおもしろいことではございませぬか。そしてわが遊びをして遊びつづけるのも愉快ではござりませぬか。それからまたわが遊びの結果を観たときに、その結果が好かったら実に楽しいことではござりますまいか》(「露伴全集」全44巻・岩波書店刊から)

 「遊びの主意」という語にぼくは惹かれました。「遊び」と「勉強」はちがう、二つははっきりと分けなきゃ、などと親も教師も子どもにやかましく言う。そのくせに、自分たちは遊びに主意を立てているのか。「子どもに注意する」などと生意気なことを言う大人がたくさんいるけれど、それは文句か小言がほとんど。露伴が描く「教師」の紳士としての振る舞いは、子どを一人ひとりの人間(紳士・淑女)として敬う、そんな姿勢が横溢しているようです。ぼくは、この一編の作品で露伴がどんなことを願っていたか、手に取るようにわかる気がします。

 百数十年前の一人の「教師の面影」がぼくに語りかけます。(「遊びつづけるのは愉快」)

 子どもの声に聞く

 小さい者がいろいろの大きな問題を提出いたします。夕方などにわずかの広場に集まって「かーごめかごめ籠の中の鳥は」と同音に唱えているのを聞きますと、腹の底から国文の先生たちを侮る心が起こります。こんな目の前の、これほど万人に共通なる文芸が、いまなおそのよって来たる所を語ることあたわず、かろうじていわけない者の力によって、忘却の厄からまぬかれているのです。何かというと、「児戯に類す」などと、自分の知らぬ物からは回避したがる大人物が、かえってさまざまの根無し草の種を蒔くのに反し、いまだ耕されざる自然の野には、人に由緒のない何物も成長せぬという道理を、かつて立ちどまって考えてみた者がありましたろうか。(柳田国男『小さき者の声』)

 かーごめ かごめ かーごのなかのとーりは… 

 今はもうどこにも見られなくなったかと思われますが、「かごめ、かごめ」という子どもの遊びがありました。みなさんもやられましたか。見たことも聞いたこともありませんか。

 「一人のこどもに目を閉じさせて、丸い輪の真中にしゃがませます。手をつないだ大ぜいが、その周囲をきりきりと回って、はやしことばの終わるとともに不意に静止して、『うしろの正面だーれ』と問うのです。その答の的中したときは、名ざされた子が次の鬼となり、同じ動作をくり返すことになっていますが、もとはこの輪を作っているこどもの中の年かさの者が、他にもいろいろの問答をしたのではないかと思います」(同上) 

 この「かごめかごめ」という児童の遊戯をみて、なにを感じるか。あるいは、そこでどのようなことを考えることができるか。柳田さんはそこから、はるかな昔のまじめな大人たちの神事(信心)を聞き取ったのでした。それは「遊戯の意味(歴史)」を尋ねることであると同時に、「子どもとはなにものか?」という疑問に直面することでもあるはずです。子どもとは、単に幼い、半人前の存在ではない。大人になるための準備段階に生きているものではないというとらえ方は、この島では当たり前に見られました。いかにも不可思議な存在、それが、子どもに対する社会(大人)の視線であったといってもかまわないと思います。「七つ前は神のうち」「七つまでは神のうち」などといいました。

 そのことを、柳田国男という人は「かごめかごめ」という遊戯をとおして考えようとしたんですね。

 「若い男女の多く雇われた大農の家の台所で、冬の夜長の慰みに、あるいはまたなにか寄合いの余興などに、仲間の中でいちばん朴直なる一人を選定して真中にすわらせ、これを取り囲んで他の一同が唱え言をする。多くは神仏の名をくり返し、また簡単な文言もあります。こんな手軽な方法でも、その真中の一人の若者には刺激でありまして、二、三十分間も単調な詞(ことば)をくり返すうちに、いわゆる催眠状態にはいってしまうのです。そうすると最初のうちは、『うん』とか『いや』とか一言で答えられることばかりを尋ねますが、後にはいちだんと変になっていろいろのことをしゃべるそうです。後しばらく寝かせておくと、いつの間にかもとのとおりに復すると申します」(同上)

 こんな報告もあります。山形県の三面(みおもて)という村で行われていた神事です。

 そこでは村のために必要な場合には「神降ろし」をするそうで、その様式は「かごめかごめ」とまったく同じであったというのです。「神おろし」とは「神の託宣を聞くために、巫女 (みこ) がわが身に神霊を乗り移らせること」(デジタル大辞泉)です。そして、いろいろなこと(稲の豊作・不作や吉凶など)を占ったというのです。いまではすっかり「子どもの声」は聞こえなくなりました。小さな人たちは、どこでどうしているんでしょうね。

〇かごめ‐かごめ【籠目籠目】児童の遊戯の一。しゃがんで目をふさいだ一人を籠の中の鳥に擬し、周囲を他の数人が手をつないで歌いながらまわり、歌の終ったとき、中の者に背後の人の名をあてさせ、あてられた者が代って中にうずくまる。細取(コマドリ)。(広辞苑)

〇こ‐とり【子捕り・子取り】①子供の遊戯の一。一人は鬼、一人は親、他はすべて子となって順々に親の後ろにつかまり、鬼が最尾の子を捕えれば、代って鬼となる。子をとろ子とろ。(広辞苑)

 規則を守るということ

 ある気持ちのよい晩、アーネム動物園のチンパンジー飼育係が、彼らを室内に入れようと呼び集めたところ、二頭のメスが建物に入ろうとしなかった。この動物園では、夜間用の宿舎に全員が入らないかぎり餌を与えないことになっている。チンパンジーたちは規則の遵守に積極的で、宿舎に入るのが遅くなると、腹ぺこの仲間たちに激しい敵意を向けられるのがつねだ。

 若いメスたちは頑固で、この日宿舎に入るのが二時間以上もおそくなった。報復を避けるために別の寝室が与えられたが、保護措置はいつまでも続かない。翌朝屋外に出たチンパンジーたちは、前夜の食事が遅くなった怒りを爆発させ、無法者をみんなで追いかけまわして殴りつけた。その夜いちばんに宿舎に戻ってきたのは、言うまでもなくそのメスたちだった。(F・D・ヴァール『利己的なサル、他人を思いやるサル』早思社、1988年)

 ヴァールさん(Frans de Waal、1948 – )はオランダ生まれの動物学者。現在は米国在住。日本にも来られました。

ヴァールさん(右)

 上の引用につづいて、彼は記述規則と規範規則について述べています。

 たとえば、ほ乳類のメスは勝手にじぶんの子どもに近づくものには威嚇するというような規則を記述規則とします。それは典型的行動を述べるものですから、規則のおよぶ範囲は動物に限定されません。手を石からはなせば落ちるし、ヘリウム入りの風船は落ちないといったような規則がそれにあたります。

 それに対して規範規則とは動物と人間にのみ妥当する規則で、それは見返り(報償)と懲罰によって支えられ強化されます。いわば道徳に類する規則とされます。

 《母親が子どもを守る行動にいま一度目を向けてみよう。母親はそうした行動に出るとなれば、ほかの者も子どもへの近づき方、接し方をそれなりに変えなくてはならない。チンパンジーのコロニーでは、母親の基準にそぐわない者は怒りを買い、それからは子どもを預けてくれなくなる。群れの個体が、自らの行動と母親の行動とのあいだに生じる偶発事故を認識して、好ましからざる結果をできるだけ避けようとすると、そこに規範規則が生まれる》(同上)

 ヤーキース霊長類研究所で飼われていたチンパンジーの集団でつぎのような事件が起こった。ナンバーワンのジモニー(オス)が、じぶんが気に入りのメスと若いオスのソッコが密会をしているのを発見した。彼は執拗にソッコを追い回しつづけた。

 ジモーが目的を達する前に、数頭のメスが「ウオアオウ」と吠えはじめた。最初はほかのメスたちはようすをうかがっていたが、最高位のメスが加わったので、全員が参加して、その声は耳をおおうばかりの激しさで、まるで抗議の合唱のようだった。メスたちがみんな吠え声を出しているのに気づいたジモーは神経質な表情を浮かべて、ソッコの追跡をやめた。「どんな喧嘩でも、吠え声を誘発するわけではないのだ。吠えるのは、個体どうしの関係や生命が重大な危険にさらされたときに限られる」

 「規範規則と秩序の感覚はまぎれもなく、社会階層に由来している」とヴァールさんはいいます。下位に位置している者はつねに上位者の言動に注目していなくてはならない。「地位の上下があることを認め、上にいる者の立場を尊重しないかぎり、社会規則に敏感に反応することはできない」というのです。

 「個体どうしの関係や生命が重大な危険にさらされたときに限られる」という緊急事態にあるのが「新型ウイルス」の急襲下にあるわれわれです。いたるところからくる情報はけっしてゆるがせにできない危機的状況に陥っている場面からのものばかりです。いったい、ぼくたちはどのような「吠え声」をだせば、この限界寸前の危機から脱出できるのでしょうか。この場合、「ソッコ」はだれで、「ジモニー」はだれなんでしょうか。「ジモニー」を黙らせるにはどうしたらいいのか。

(参考までにヴァールさんの著書のいくつかを紹介しておきました。ほんの一部です。ばくは手に入るものはほとんど読んできましたが、人間(の限界・程度・分際)を知るためのまことにきわめつけの入門書になり、人間の本性を知るためのまたとない解説書でもありました。「お前は、動物の賢さがわかるほど賢いのか」とメス(オスではない)を突き付けられながらの毒(読)書だったですね。(ボノボ(ピグミーチンパンジー)はぼくの兄さんであり父さんです)

 使われる人を育てる

 結局、日本の教育は「使われる人間」しか育ててこなかったのではないか。学校はだれかに、あるいは何かに使われるためのトレーニングの場にすぎなかったこと。おとなしくか、要領よくか、有能にか、ともあれわが身を、使われる人間としてしか思い描けない日本人ばかりを育ててきたのではなかったか。

 使われる人間は、寂しい。独りで、ばらばらに生きることしか知らないから、リストラや倒産や定年で辞めたとたん、友だちは散ってゆき、いっきに萎(な)えてしまう。こうした人々の群れが、これからの一年間、この国の底に澱(おり)のように溜(た)まっていくのだろう。(吉岡 忍「みずから動く人間を育てよう」朝日新聞・05/01/15)

 使う人がいれば使われる人がいます。人それぞれの能力や性格、あるいはその他の条件によって立場が分れるのが当然です。でも、吉岡さんがいわれるように日本の教育は「使われる人間」しか育ててこなかったといってもいいのかどうか。その傾向は顕著ですけど、「~しか」とはいえないのではないでしょうか。学校からはみ出す人もいますし、嫌な言葉ですが「落ちこぼれ」もいます。「落ちこぼされ」というのが実情に近いでしょうが。

 「人に使われる人間」は、一面では素直で従順でおとなしい人なのかもしれない。だから使われることに抵抗しようなどとは考えもつかないわけですね。その反対に、使われたくない人に対しては、意外と意地悪な見方をするのも世間です。素直じゃない、反抗しているなどと、いかにもたてつくことは許せないとばかりに攻撃的になるんです。

 「自分からは動かない。動きたくない、動けない大人たちは傍観を決め込んでいる。

若者たちはどうだろう。若年層の10人に1人が失業中だ。学校にも仕事にも研修にも行っていない、いわゆる『ニート』な若者に、私もときどき旅先で会う。彼ら一人ひとりは、私ほど露骨な言い方をしないけれど、使われる人間の窮屈さや哀れな末路をたくさん見聞している。なぜ無理してまで世間に加わらなければいけないのか、とためらっている」(同上)

 大人とはちがって若者は、といえなくなってしまった時代にわたしたちは生きています。「いまどきの若者は…」としたり顔して教訓を垂れていた大人どもがからっきし弱くなってしまったからです。やることなすこと、まったく若者(たんに年端が行かないというだけの意味です)とおんなじじゃんといいたくなります。もちろん、すべての大人がそうだというのではない。そんな大人がいかにも多いというのがぼくの実感なんです。

 結論でもなんでもありませんが、学校という空虚な場所に身も心も預けてしまって、手足をもがれてほぞをかんでいる人たちで埋まっているのが、この社会の実態です。昔も今も変わらないでしょうね、この実態は。学校というところは、だれかに頼らなければ生きて行けないと人びとに思わせる魔術を施すようです。あるいは麻薬なのかもしれない。頼られるより「頼る人」こそがこの島、この時代には必要だったからです。

 ペットをみればいい。飼い主に頼らないペット(がいるかどうか)なんてかわいくないし、なにより飼い主に嫌われていてはペットでありつづけることはできないでしょう。お手、といわれて手だか足だかを出し、泣けと命じられて、ワンとかニャーとかわい子ぶっていれば、食事にありつけることを勉強したペットは幸いなるか。実際は、どうか。けっして飼い主に丸め込まれてばかりではなさそうに思われないでもない。「ペット」とは「愛玩用の動物」といわれます。「愛玩」というのは「大切にし可愛がること」と辞書には出ています。ほんとにそうか。子どものペット化、ペットの子ども化が盛んになっている時代ではないですか。いいのか、悪いのか。

 つまり、学校がやっていることは人間の家畜化ならぬペット化ではないか。立てとか座れとか、右向けとか、教師は言いたい放題で、それに背けばレッテルを張られるんだ。しかも近年はなんとたくさんのレッテルがあることか。飼い犬に手を噛まれる飼い主といえば、笑えないジョークだけど、教えてやってる子(教え子というんだって)に噛まれる、じゃない、教えられる教師がもっとたくさんでてくればいいんですね。

 先に紹介した吉岡さんは次のように文章を結んでおられます。

 「人が人を動かす人間社会の原理は、これからも変わらない。雇用や上下の関係のないところで、一人ひとりはどう動けるのか。そのステージを社会と呼べば、やっと私たちは社会を作り始めたばかりである」(同上)

 吉岡忍さん(1948年、長野県佐久市出身)。ノンフィクション作家で、たくさんの作品を書かれています。もう何年も前に、ある会に呼ばれて、彼と対談(雑談)をしたことがあります。多分、横浜で。教育や子どもの問題についてだったと思います。ぼくは自分のふがいなさを棚に上げてというのではないつもりですが、「無所属」の人に強烈な敬意を抱いてきました。年齢的には吉岡さんはぼくよりも若い人ですが、尊敬する気持ちは今でもたいへんに強いものがあります。

 入試は「くじ引き」で

 《教育でいちばん大事なのは、子どもたちの身になってやることだと思います。これは口でいうのはやさしいけれど、おとなが子どもたちの身になるということはなかなかむずかしいことです。かつては子どもであったけれども、子どものころのことは忘れてしまっているからです。

 いまの中学生の身になってみたらどうか。たとえば、内申書制度であります。いま、どこでもされていると思いますが、高校入試のときに使われる内申書制度くらい悪いものはないと私は考えます。中学にはいったときから、あらゆることが点数に換算されるのです。これは子どもにとってはやりきれないだろうと思うのです。息ぬきができないのです。このようにされると、ほんとうに自分はだめなんだと思いこむようになるのは当然でしょう》(遠山啓「競争と遺伝を優先する教育を超える」)

 クジ引き(抽選)の効用

 数学者であり数学教育の実践家でもあった遠山啓(1909~1979)さんは、入学試験を廃止してクジ引きにしたらいいとさかんにいわれた。入学試験の理由は志願者が多くで収容しきれないからであって、大人社会では「入学試験」に類することは行われていません。たとえば公営住宅や民間マンションにたくさんの希望者があったとき、ほとんどの場合はクジ引き(抽選)です。どこかの不動産屋は購入者を選ぶのに「入居試験」をやったなんて聞いたことがない。それはやるのが面倒だからでもなければ、やれない事情があるからでもないでしょう。単純に、やる必要がないからです。(大方は終わってしまったと思われる入学試験。この問題になると、ぼくはいつも遠山さんの提案を思い出したり、あちこちで話したり。上から順番に合格を決めないで、下から真ん中からではどうか、と提案したことも記憶にあります)

 じゃあ、入学試験はやる必要があるのか。ただちに「はい、あります」と答えていいのかどうか、ぼくにはわからない。なぜなら、こんにち多くの学校(小・中・高・大)ではこれまでやっていた入学試験を実施しないところが増えてきたからです。どうしてか。定員に満たないからです。それなら、いままでは定員の何倍もの志願者が集まっていたので、ふるい分けのために試験をやっていたのかといえば、けっしてそうじゃなかったと思われます。たんにそれまでやってきたから、惰性で行っていたというのが実情に近い。競争率1.1倍とか1.05倍で、なんで入試をしなければならないのですか。

 《たとえば、これは、私は長いあいだ大学にいて、ずいぶん入学試験をやってきて思ったのですが、上からずうっと点数で取っていくわけですが、そうすると、中あたりは同点が十人、二十人もいるのです。これを区別することはできないからぜんぶ入れるか、ぜんぶ落とすかというかたちで処理するので、最初に発表した収容人数と少しちがう人数になるわけです。私は、この境目の点数の一点、二点なんて、なんの意味もないと思うのです。千点以上のなかでの一点なんていうのは偶然のものです。だから、私はその境目の前後十点くらいは受験生のあいだでクジを引いたらよいと思う》(遠山・同上)

 《おとなの世界にはマグレというのがたくさんあります。宝クジもあるし、公営住宅の抽選もクジが使われているし、ギャンブルもクジであるし、大人はクジを利用しているのに、子どもにはなぜクジを利用させないのか》(同上)

 試験でなにがわかるんですか

 入試にクジを採用する、その効用はクジに落ちても致命的な結果にはならないという点です。公営住宅入居の抽選に外れて、自己を否定したり、自殺する人はいないと思います、たぶん。また、千点満点や五百点満点のなかでの一点や二点、あるいは五点や十点のちがい(開き)になにかの意味があるとはとても考えられない。つまりは五十歩百歩じゃないですか。今の入試や試験制度では、この意味のありそうにない微差(誤差)(ゴミ)に決定的な意義を認めてしまうという看過できない愚を犯しているといわざるをえない。

 遠山さんの意見をもう少し聞きます。彼は「点眼鏡」という言葉を作りました。点数や点数で表された評価でもって他人を判断するということであり、点数という眼鏡で人を見るという意味でした。その点数で表されるテストについて彼は述べています。

 テストの性格

①まえもって出題範囲が決められている ②答案を書く時間が決まっている

③満点が決まっている ④採点は減点式でおこなう ⑤正解は一つで教師が決める(これは駄文の筆者が追加)

 このような枠組みでほとんどのテストがおこなわれます。このような性格をもった試験は「なんのために」採用されるのでしょうか。惰性で、といいたいのですが、さて。

 《そうすると、こういうテストでいい点数を取るには、狭い範囲でものを考える力、早く答をだす力、それからミスをしない力が必要で、こういう力が試されているにすぎないのです。だから、いまの優等生というのは、こういう三つの条件にかなった子どもであるのです》(同上)

 だれもがなりたいと思うとはかぎらない「優等生」の条件がこれ。遠山啓さんがこの文章を発表されたのはいまからおよそ四十五年も前(正確には76年刊)のことでした。この四十五年の間に、学校や社会で「こんな愚かしいことが教育だなんて、恥ずかしい」と、どんどんいい方向に変えようとしたか。残念だけど、「優等生」に自分もなりたいと錯覚させられた「ガンバル人間」を懸命になって生みだしてきたんじゃないか。家庭も学校も政治も経済も。つまり島全体で。いかにも愚かしいことでした。

 そして、全員がなれるわけではない「優等生」(いろんな意味で)によって、この島はめちゃくちゃにされたんじゃないですか。国や地方の借金(「優等生」が食いつぶしたんです)の合計は天文学的数字で、当たり前の感覚の持ち主なら気絶するにちがいない。営々と何十年も払いつづけてきて受給資格を得たとたんに、年金制度は破綻確実になった。いまなお「食いつぶし」は続いています。「国」も「地方」も根ぐされを起こしている、最大の理由は「シロアリ」ならぬ「クロアリ」ですね。その多くは「大学出のクロアリ」だ。(頭が黒くなくなった「クロアリ」もいます)

 この島以外でも、気の利いた人たちはこんな愚行からは外れようとしてきたのですが、ひるがえって、ぼくたちの「島」はどうか。そろそろ、「優等生」生産ラインから降りようとする、別の種類の学校を構想し作りたい、そんな奇特な人が少なくないようです。もちろん「優等生」をこれまでどおり作ろうとする学校の存在を否定しない。ただ、それは好みの問題であってほしい。ぼくは「優等生」生産学校はご免です。「学校」 にこだわらないが、いろんな種類の学校みたいな空間があればいいし、あったらなあと願っています。(そんな学校が、この島にもあった、いまもあります)世間が狭いぼくのことですから、数えられないほどあるのでしょう。ぼくはほんの数校しか知らないのですが、いずれゆっくりと、そのような「奇特な学校」「化石(fossil」のような学校」について雑談をしてみたいと、以前から愚考しているのです。

 遠山啓さんについては、いつかもう少しお話をしたいと思います。「水道方式」をはじめ、数学(算数)教育をはじめ、たくさんの教育実践に関わられました。(「劣等生」のおかげで「優等生」がいる)