【春秋】朝を制する者は人生を制する ばちん、ばちん。今年も出勤途中にある相撲部屋から、鍛え上げた肉体がぶつかり合う音が響く季節になった。福岡の秋の風物詩、大相撲九州場所は8日に始まる▼早朝から鍛錬する朝稽古にはいくつか理由がある。満腹だったら激しいぶつかり合いに耐えられない。体をいじめ抜いた後にちゃんこを食べて体重を増やしやすくする。伝統ある大相撲の習わしの一つである▼仕事や学校に出かける前の早朝、健康づくりや趣味、自己研さんなどに励む「朝活」はすっかり定着した。数分間の読書、ウオーキング、玄関の掃き掃除…。交流サイト(SNS)にはさまざまな人の「モーニングルーティン」があふれている▼米IT大手アップルのティム・クック会長は超朝型で知られる。4時前後に起きて数百通のメールを確認、返信する。ジムで汗を流した後、6時には出勤し、人けのないオフィスで仕事に励む。朝は「自分が完全にコントロールできる唯一の時間」と語っている▼作家の村上春樹さんは長編小説を書く時、朝早く起きて4~5時間、机に向かう。もっと書きたくても、いまひとつ乗らないなと思っても、原稿用紙10枚ほどを書き上げる。そんな生活を何年も続けている、と著書に記す。「規則性が大切な意味を持ってくるから」▼少し早起きして、びん付け油の香り漂う朝稽古をのぞく。地道に精進を重ねる力士の姿に、反復する朝の価値を知る。(西日本新聞・2026/11/02)

「早起き」を推奨する「ことわざ」類は、枚挙に遑(いとま)がありません。「不遑枚挙(ふこうまいきょ)という成語があるほどですから、ありすぎて困るほどだというのです。「不遑」は余裕がない様子。「枚挙」は一つずつ数を数えること。(四字熟語辞典ON LINE)別の角度から見ると、人間はいかに「宵っ張りの朝寝坊か」という事態を説明していることにもなるでしょう。もちろん、宵っ張りは近年に生じた現象で、しかも、社会全体が「夜型」になったという、一つの証拠ではあるでしょう。宵っ張りの蔓延(はびこ)る分、それだけ「睡眠不足」「寝不足」の人がたくさん発生しているのかもしれません。西日本新聞のコラムの「春秋」氏は「朝を制する者は人生を制する」とまで言う。すごい覚悟とも受け取られますね。(ご本人も当然、れっきとした「朝型」というのでしょうか。
現代社会における「(仕事上の)成功者」は、洋の東西を問わすに「朝型人間」が多いということを予想させる書きぶりです。ある人曰く「朝は『自分が完全にコントロールできる唯一の時間』」と、またある人は調子が出る出ないにかかわらず(と思う)、「朝早く起きて4~5時間、机に向かう」「『規則性が大切な意味を持ってくるから』」と言われます。「夜型」「朝型」という区分けはいつごろから言われ出したことか。少なくともこの社会ではそんなに古いことではなさそうです。江戸庶民の性情(「気風(きっぷ)」)を示すような表現に「江戸っ子は宵越の銭は使わぬ」という。嘘か実か「その日に得た収入は、その日のうちに使い切る。金銭に執着しないことのたとえで、江戸っ子の気性の一つとされた」(「精選版 日本国語大辞典」)とあります。

ぼくはこれにはいささか疑問を持っているものです。それはさておき、この言い方から「江戸っ子は、夜中の零時までには寝ていた」とも読めませんか、ということ。もちろん、夜にやる仕事、あるいは夜通し行われる業務など、さまざまな事情があって働く人たちもおられます。ここでは文字通りに「宵っ張りの朝寝坊」的な習慣づけになっている人や状態を指して、「早寝早起き」でなければという、そんな批判をかましたい口ぶりで、「朝を制する者は人生を制する」とされるのでしょう。
「夜遅くまで起きていて、朝遅くまで寝ていること。また、その人」(「デジタル大辞泉」)は、とかく嫌われるのはどうしてか。「朝寝坊」と「早起き」を並べれば、誰だって「早起き」に軍配を上げるはず。文科省だって「早寝早起き朝ごはん」とかなんとか言っているくらいです。米をたくさん食べてほしいから、「早寝早起き」という標語を出すのかもしれません。
「子供の生活習慣づくりについて、社会全体の問題として子供たちの生活リズムの向上を図っていくため、平成18年4月に『早寝早起き朝ごはん』全国協議会が発足し、文部科学省は同協議会と連携して、「早寝早起き朝ごはん」国民運動を推進しています」(文科省)(右写真のイラストの「悪趣味」は、とても「教育」「教養」の推進に携わろうという官庁の仕業とは思えませんけれど、これが日本社会の実態ですね)(「習慣づけになった生活」って、どんなものですか。「習慣というのは、苦労や努力しなくても、自然にできる」というものだとしたら、そんな生活は「堕落」したもんじゃないかと思うね。「生活習慣病」というではないか)
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若いころ、特に大学生の頃は、ぼくは典型的な「夜型」人間、「夜行性」動物でした。何をしていて寝るのが遅くなったのか、いろいろな事情があったでしょうけれど、もっとも大きな理由は「次の日の予定を深刻に考えなくともよかった」というようなことでしたね。高校生時代のように「8時までに登校」などという面倒な規則はなかったし、授業も昼からだったり、授業のない日もあったりで、とにかく生活が不規則というか、出鱈目だった。それがどういう了見で改心したのか、ある時期からぼく驚異的な「朝型」になりました。特に就職してからは明らかに早朝起床が当たり前になった。
長い期間、ぼくは朝3時起き(就寝は、前夜午後8時過ぎ)でした。通勤に1時間半ほど要した。ぼくは何よりも混雑と慌てることが嫌いでしたから、何事も余裕を以てというのが鉄則のようになっていた。勤務時には始業1時間前には学校に着いていました。ぼくは呑兵衛でしたから、終電(夜中の零時)が多かった。帰宅は1時半ということもかなりもありました。
寝る時間が遅くとも、朝は3時に起床。当日の授業の準備をして、朝5時にはシャワーを浴びる(これも毎日の日課みたいになっていた)。自分で朝食(狐うどん)を作る。7時過ぎには家を出る。こんな生活をかれこれ三十年ほども続けていました。今は、退職の身ですから、次の日は気にしなくてもいいのでしょうが、いいのか悪いのか、猫たちがたくさんいて、少しも時間を守ってくれません。だいたい、3時には起こされます。早い時は1時か2時にも起きなければならないこともあります。だいたいが3時に起床。その段階で朝帰りするネコもいるし、そこから外に出るのもいる。猫は「夜行性」だとされますから、季節にもよりますが、とにかく夜は遅い、夜遊びが好きなんですね。外で過ごす子もいる。ぼくはほぼ、10時には就寝体制に入るのですが、なかなか、うまくは行かない。深夜零時を過ぎることもある。

まあ、今でもぼくは朝型人間であると思っている。「早起きは三文の徳」という俚諺(りげん)の意味はよく分かりません。早起き人間として、何かいいことがあったとは思いませんし。「得」をしたことなど一度もない。早起きが「徳」というのも、なんだか為政者の都合で言いふらされた感があるのです。損得、徳不徳に関わらず、ぼくは早起きを何十年も続けている。朝方になった「きっかけ(Point de départ)」は、はっきりと覚えています。学生時代から読んでいたアランという人の「幸福論」にあった「人生は朝から始まる(La vie commence le matin)」という言葉に出会って、そのことを深く考えるようになりました。
彼は長く高校(リセ)(lycée)の哲学教師をしていた。このエピソードにはどこかで触れました。彼は生徒たちに、質問があるときは「始業前に黒板に書いておく」ようにと伝えていた。その質問に答えることから授業を始めた。ある時、生徒の一人が、小難しい質問を書いていて、時代や社会に不平・不満を漏らしていたらしい。その質問に答えるようにして、実は若い子どもたちに、アラン先生は「人生は朝から始まる」と諭したのだったか。これまでの学生生活で、教師から「人生は朝から…」などと訊かされたことがなかったものですから、ぼくはこのアラン先生の言葉に衝撃を受けた。

◎ あらん(Alain)(1868―1951)= フランスの哲学者、評論家。本名はエミール・オーギュスト・シャルチエEmile Auguste Chartierで、筆名は中世詩人アラン・シャルチエにちなむ。3月3日、ノルマンディーのモルターニュに生まれる。ミシュレ校時代、哲学に目を開かれ、高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)ではサント・ブーブ、ルナン、テーヌ、ブリュンチエールらに熱中し、のちアリストテレス、プラトン、とくにカントに深い感銘を得た。ドレフュス事件でジャーナリズムに初めて執筆し、1900年ルーアンの高等中学校(リセ)で哲学教授となる。ルーアンでの生徒の一人アンドレ・モーロアの『アラン』(1949)によれば、教師としての彼は、抽象的な理論よりも身近な実例をあげ、それを分析することにほとんどの時間を割き、また「偉大な書物のなかにはかならず哲学がある」との信念に基づいて、ホメロスやバルザックを読ませたという。ルーアン滞在中にアランの筆名で土地の新聞に、日々のできごとについての考察「語録」を掲載し、この短文形式が彼の思想を表現する最適なものとなった。パリのアンリ4世校在任中、第一次世界大戦が起こり、46歳の彼も志願兵として従軍し、その体験が『マルス、または裁かれた戦争』となり、愛国者の憤激を買った。『精神と情熱に関する81章』(1917)、『諸芸術の体系』(1920)もこの間に執筆された。1951年6月2日、パリ近郊ルベジネで83歳で没するまで多彩な著述活動を続け、主著に『幸福論』(1925)、『教育論』(1932)、『人間論』(1947)などがある。(「日本大百科全書(ニッポニカ)」)
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習慣と継続とは、どこ(何)が違うのか
「人生は朝から始まる」という意味は、この国でいうなら「日の出とともに一日が始まる」というようなことでしょう。早起きが習慣になっている人がいるでしょうか。喫煙や飲酒が習慣化されるのは、「人間の弱さ」によるのだと、アランは言いました。酒も煙草も止めたい、体に悪いと知りつつ、なかなかそれを止められないのは「人間の弱さ」であり、「習慣の側」に責任はない。悪習にぼくたちが縛られる(服従する)のは、「意志の弱さ」による。ご多分に漏れず、ぼくは酒も煙草も人並みに習慣化されていました。それがある時期に、両方ともに、あっさりと止めていました。気が付いたら「酒も煙草も」いらなくなっていた。アラン流にいうなら、「ぼくは強くなった」のでしょうか。

どこかの総理大臣のように、酒も煙草も止められないのは、「習慣」が強力だからではなく、「ご当人」が「惰弱」だからでしょう。(「権力欲王政」に見えますが、それは欲望という情念が人の何倍も強いという出毛で、褒められはしません)。いろいろと「(悪習・悪癖を)止めない理由を論(あげつら)う」が、それは「習慣に屈服する状態」に溺れているからでしょう。いくら御託を並べても「酒と煙草」に溺れている証拠は腐るほどあるけれども、その悪習から身を助ける(救う)気がない、つまりは「意識」(意欲と言い換えてもいい)がそこでは働かないからです。習慣化された行為の第一の特質は、そこには本人の「意識」が及んでいないという点にあります。

「習慣は第二の天性(Habit is a second nature.)」といいます。「習慣の力は大きなもので、生まれつきの性質と変わらないほど日常の行動に影響を及ぼす。[類語]習慣は自然の如し・習い性となる」(「デジタル大辞泉」)ぼく流の言い方をするなら、無意識の状態(意識をもって、ではなく)で、ぼくたちは勉強はできない。「勉強する習慣をつけなさい」と教師はいい加減なことを子どもたちに言いふらします。習慣化された「勉強」って何ですか、どんな勉強でしょうか、と逆に訊きたいものです。この時、「意識」というのは、自分が現にやっていること、やろうとしていること(現実の事柄)に自分をつなぎとめる働きです。「現実」に関心(意識)を失うとどうなりますか。いろいろな場面が考えられます。その最も深刻な状態は「生に対する無関心」だとぼくは思っています。
(いたずらに「早寝早起き」を慫慂するのも考え物だと思う。いろいろな理由や事情で、それがかなわない人がいつことも事実ですから。ここでも、下手に無理をするとろくなことにはならないということを言っておきたいですね)
習慣はまた、「習い性」とも言います。ひとたび習慣化されると、人間は「習慣の虜(とりこ)」になってしまう。「自分が完全にコントロールできる唯一の時間(=意欲して得られる「継続的行為」)」といい、「規則性(意識手・意志的)継続)が大切な意味を持ってくるから」といわれるのも、自分のすることに「意識的である」「意欲的である」ということを指しています。人間は意識しているときに、自分であるのであり、無意識状態では「(呆然)自失」状態にあるといって間違いないでしょう。そこには「自分(意識するはたらき)」がいない。ながらスマホでダンプ運転中に事故(「前方不注意」)を起こし「6人死亡」、これぞ「自失」「不注意」だった何よりの証拠でしょう。ぼくたちの生きる時代・社会に「呆然自失」する人間(ではなく、いわば、(肉体と)情念の塊です)が数限りなく存在するのは、何を暗示しているのでしょうか。
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「徒然に日乗」(1263~1269)

◎2026/11/01(日)本日から十一月。まるで超特急の新幹線のように、猛烈な勢いで時間・日時が過ぎてゆく。かみさんは87歳、小生は82歳。結婚して早くも53年が過ぎてゆく。▼本日も快晴、外作業の続きを。何本の竹を伐っただろうか。ここの竹は孟宗竹だから、太くて背が高く、今は水分もたっぷりり保存しているので、とても重い。多量に含んだ水を抜き、十分に乾燥させてから、処分したい。その多くは焼却するつもりだが、中には使いやすいものを何本かは他の用途に使うために保存する予定だ。毎日3時間~4時間の作業だが、とても疲れる。 こういう時に、体力の衰えを痛感するのだ。無理をしないで、ゆっくりと自分のペースを崩さないで。(1269)
◎2026/10/31(土)昨日に続いて外作業。気温は25度を超えて、可なり暑い一日だった。今日も桑の木の伐根作業。多くは何とかn抜き取ることができたが、太く成長したものは簡単には抜けず、時間をかけてやるしかないだろう。今日は竹の伐採はできなかった。この空き地には三十本ほどがまだ残っている。できれば、すべ手を伐り取りたい。次の課題は、大量の枝葉や幹などの焼却作業。これもゆっくりと時間をかけてやるほかないと思っている。たった、三時間足らずの作業だったが、疲労困憊、立ち眩み(眩暈)もするほどだったのは、おそらく「寝不足」が原因だったと思う。無理をせず、睡眠を十分に、いわずもがのことを心にしまっている。(1268)

◎2026/10/30(金)昼前に、久し振りで外作業に入る。雨天続きだったが、今日はまずまずの天気で、これまで伐り切り取っておいた枝伐竹の整理と、桑の木の根を掘り起こすこともやった。途中で雨が落ちて来たので、最後までできなかったのは残念。空き地のおよそ半分の面積の整理と清掃はできたと思う。明日は好天になりそうなので、少しは作業を進めたいと思っている。▼米国の中間選挙(11月3日)を前にして、日米の経済指標・株価や長期金利はやや落ち着きを見せているが、選挙の結果如何では大変なことになりそう。イラン戦争のゆくえが何よりも重要にポイントなるだろう(1267)
◎2026/10/29(木)本日未明(0時すぎ)に千葉県北東で震度5弱の地震。当地は、震度2ということだったが、かなり揺れが大きかったようだった。▼今季一番寒い日だった。終日20℃を超えることはなかった。気圧配置もすっかり冬型。関東地方でも積雪があったほど。(1266)

◎2026/10/28(水)本日は久方ぶりの好天も、気温がかなり低く、肌寒さを感じた一日だった。本日も外作業は中止。屋内でやるべき仕事が溜まっていたからである。▼国会中継を見ていると、いよいよ現内閣の終焉とこの国の没落が同時並行で進行していると強く感じる。現首相をはじめとして各閣僚の政治手腕・政治家としての資質の低さは驚くべきものだし、こんな愚劣な者たちが国政の要路にあること自体、国の没落の何よりの証拠だといいたい気がする。(1265)
◎2026/10/27(火)時々は雨も降ったりで、はっきりしない天候だった。台風30号は消滅したが、秋雨前線が劣島の東西に張り出しているせいもあっての悪天候だった。この後、台風31号が劣島を襲う気配が濃厚なので、十分に備える必要がある。この先にはすっかり気圧配置も変わり、「西高東低」の冬型だとか。今日も外作業は中止を強いられる。残りの作業をすっきりと終わらせたいものだ。(1264)

◎2026/10/26(月)本日も雨。台風30号が温帯低気圧に変わったが、その影響と秋雨前線の両社で西日本各地では大量の降雨があった。さらに台風31号が発生、劣島へ影響が懸念されている。▼各企業等への不正アクセスによる「個人情報漏洩」問題や、そこから実際的な実害が発生している問題の対策に、関係する側の多くは苦慮している。ネット社会の進展による負の側面が一層拡大する時代。根本的な解決は可能だろうか。(1263)
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