腐っても国会議員です、という矜持

【新生面】「信なくば立たず」 弟子が政治の要を質問すると、孔子は軍備と食と信頼であると答えた。そのうち、どうしても諦めないといけないとなればどれか、と重ねて尋ねられ、まず挙げたのは軍備、次に食、一番大事なのは為政者への民の信頼で、これがなければ国は成り立たない、と。論語にある成句「信なくば立たず」の由来である▼その要の上位二つ、食をつかさどる大臣の信頼失墜だから当然の措置だろう。予算カット発言をした簗和生農相が更迭された▼なお気になるのは、これをただの失言劇として幕引きしようとする思惑が見えることだ。国会で高市早苗首相は「何もしていないのに、地元で自分を大きく見せようとした」と簗氏を評したが、発言対象となった自治体は実際に予算が減った。当然、何かした結果と疑われる▼簗氏は自民党の派閥裏金事件で処分歴がある。首相は「2回の選挙を通じ、有権者から国政に送り出してもらった」と閣僚起用は問題ないとしていたが、先の衆院選では比例復活だった。地元から十分な信任を受けていたわけではない▼内閣改造直後の全国世論調査でも「裏金閣僚は不適切」との回答が66%を占めた。首相は2月の施政方針演説で「政治への信頼回復」を掲げていたのに、今国会の所信表明演説では言及しなかった▼「政策転換を前に、皆さまに信を問うべきと考えた。『信なくば立たず』だ」と、踏み切った解散で大勝を得た。その結果を過信し、くすぶっていた政治不信を軽視したことが、今回の問題の背景ではないか。(熊本日日新聞・2026/10/16)

 「信なくば立たず(Without the trust of the people, there can be no government.)」人が人を信じられなければ、そこに望ましい人間関係が成り立つはずもないでしょう。当たり前に過ぎます。親子の関係、教師と生徒との関係、もちろん、友だち同士との仲においても、この「信」「信頼」が醸し出されなければ、ただの人と人の集まり。まるで、交差点で信号待ちしている群衆・集団のような、通い合うものがない他人同士です。この「信」は、もちろん中国儒教のもっとも重要な道徳価値で、あえて一言で言い表すなら「うそのないこと。まこと。誠実」という、ある種の人間関係を結ぶ潤滑油、あるいは、できるだけ摩擦をとり除く「仲立ち」となる空気のようなものでしょう。たがいに、その関係に流れる、信頼できる「空気」のようなものとも言っていいでしょう。

 ところが、この言葉ほど多くの政治家に好かれているものはないでしょう。それだけ「国民に信頼されていない」ことをだれよりも知っているからであり、この言葉はとても「口当たり」(「耳障り」ですね、ぼくには)がいいというか、誰でも遣い勝手がいいのでしょうね。金はかからないし、覚える厄介もない。しかし、その「真意」「中身」は想像以上に深く、内容まではよくわからない、わかっていないといっておきます。おそらく、望ましい、「あるべき政治」を語ろうとするような政治家なら、猫も杓子もこの言葉を引用します。政治家が何よりも好きなのは「お金」でしょうけれど、その次にこの言葉が来るほどに、誰彼なしに使っています。。ほとんどの政治家(だと自分で思いこんでいる者)は例外なく、「信なくば立たず」というが、その意味を体現したり、十分に意を汲んでいる政治家はまずいないんじゃないでしょうか。自分は他人から「信頼されている」と、思い込まなければ「私は政治家です」とは、恥ずかしくて言えないでしょう。

 どういうことでしょう。今風にとらえなおすなら、国民の信頼が得られないような政治なら、国そのものが成り立っていかない、そういうことでしょう。この国の現状を見れば、まさに「信なくば立たず」(「信がないから、国はうまくいっていない)であることは、どんなに馬鹿な人間でも(ぼくでさえも)わかろうというもの。しかし、この言葉を乱用する政治家は、たぶん、国は成り立っていると、国民の信頼を得ていると思い込んでいる・勘違いしているのではないでしょうか。そんな国民の政治への信頼を壊しているのが、ある特定の政治家、例えば「Y大臣」だったりなどと、そんな程度の考えでいるから、不心得者さえ切って捨てれば、国民の信頼は回復すると錯覚するのでしょう。「政治不信」は「政治家不信」であり、政治に従事する「人間不信」そのものを示しているでしょう。

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 本日の熊日のコラム「新生面」がとても秀逸だと読んだのは、単純に「愚かな大臣の首を挿げ替えたから」、一件落着とはせず、そんな大臣に重責を担わせた軽薄な存在(首相)にも物申す、記者(コラムニスト)のはっきりとした姿勢が見られたからでした。❶「予算カット発言をした簗和生農相が更迭された」❷「気になるのは、これをただの失言劇として幕引きしようとする思惑が見えることだ」➌「高市早苗首相は『何もしていないのに、地元で自分を大きく見せようとした』と簗氏を評した」❹「発言対象となった自治体は実際に予算が減った」❺「簗氏は自民党の派閥裏金事件で処分歴がある」❻「首相は『2回の選挙を通じ、有権者から国政に送り出してもらった』と閣僚起用は問題ないとしていた」❼「先の衆院選では比例復活だった。地元から十分な信任を受けていたわけではない」➑「内閣改造直後の全国世論調査でも「裏金閣僚は不適切」との回答が66%を占めた」➒首相は2月の施政方針演説で『政治への信頼回復』を掲げていたのに、今国会の所信表明演説では言及しなかった」と、「信なくば立たず」という状況を地震が体現してきた、いくつもの「前科」がありました。きりがないのでいちいちを挙げませんけれど、数々の不適切な政治判断・言動をほしいままにしてきたのは、当の総理大臣だった。国民の意向を、ことごとく裏切ってきた人でした。しかるに、国民もおめでたいのであって、「裏切られている」という自覚がなさすぎるのです。

 口を開けば、「任命責任(responsibility for the appointment)は重く受け止める」と軽々しく言って、受け止めないで流すだけです。言った尻から、口を拭う。「《盗み食いの後、口をふいて素知らぬ顔をする意から》何か悪いことをしていながら素知らぬふりをする。また、知っていながら知らないふりをする」(デジタル大辞泉)という厚顔無恥ぶりはどうでしょう。「私のやなちゃん」「私の知恵袋」を公言・多言していて、辞めさせる気は毛頭なかった。黙っていれば事は終わると、実に主権者を舐め切ったた態度に終始していた。それが一転、自分の判断に対して世論の風向きが変わる、自分に形勢不利となると、手の平を返したように「(予算カット発言が)事実であるとしたら本当に不適切なもので本当にダサいと思います」と、前言を翻し、「私のやなちゃん」を突き放したのでした。 「事実であるなら」とあいまいな表現を使っているものの、「事実」だから当の大臣は憔悴しているにもかかわらず、「お鉢」が自分に回ってこないような、用心することには長(た)けているのだ。信頼もへちまもない、利用できなくなれば切って捨てる、実に薄情の鉄面皮でした。「恥知らずで、厚かましいこと。また、その人や、そのさま。厚顔」(デジタル大辞泉)と、辞書そのものを体得している人物でした。

 子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立(「論語」「顔淵第十二7」)

 (子貢政を問ふ。子曰く、食を足し、兵を足し、民之を信にすと。子貢曰く、必ず已むことを得ずして去らば、斯の三者に於て何をか先にせんと。曰く、兵を去らんと。子貢曰く、必ず已むことを得ずして去らば、斯の二者に於て何をか先にせんと。曰く、食を去らん。古より皆死有り。民信無くんば立たずと。)

 国を守り、食量を確保することは大事なことですが、どんな人間だって死を免れることができないのです。だとするなら、軍備よりも食糧よりも、何よりも「民の信頼」こそが政治にとって、政治家にとって大切なものではないかと、師(孔子)は語られた、これは単に政治家個人の資質や能力の重要性を指摘したのではなく、一国の人民が政治・政治家に信頼を置かないようでは、その国は治まらないと言ったのであって、支持率がどれだけあろうが、政治家がどれほどのパフォーマンスを示そうが、その国では犯罪が絶えない、地域社会が壊れる、人間同士の関係がうまく成立しない、それこそが、政治に信頼がないという証しではないでしょうか。

 何度も引用した「鼓腹撃壌」という話。もちろん、それは「神話」「(伝説)の類です。でも、少なくとも善政・悪政の区別は言い当てているし、その「哲学」をぼくたちは失うべきではないと思っているのです。いわば、政治哲学であり、政治実践の鏡のような逸話です。

 「日出而作、日入而息。鑿井而飲、耕田食。帝力何有於我哉」

 ◎ こふく‐げきじょう‥ゲキジャウ【鼓腹撃壌】= 〘 名詞 〙 ( 中国、堯帝の時、一老人が腹鼓(はらつづみ)をうち、大地をたたいて歌い、堯の徳をたたえたという「帝王世紀」などにみえる故事から ) 政治がゆきとどき、人々が太平を楽しむさま。[初出の実例]「鼓腹撃壌之民、舞二於紫陌一」(出典:経国集(827)二〇)[その他の文献]〔十八史略‐五帝・帝堯陶唐氏〕(精選版 日本国語大辞典)

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 現首相はしばしば「これは私の矜持(きょうじ)」という表現を用いる。その語意は「《慣用読みで「きんじ」とも》自分のの能力を優れたものとして誇る気持ち。自負。プライド」(デジタル大辞泉)とある。どんな人だって「自負心(pride)」がなければ生きることは困難になるでしょうが、この首相程度の人間が、ことさらに「矜持」「矜持」と強弁すると、嘘くさく思われるし、底が浅いと感じてしまう、つまりは「お里が知れる(thoughtless)」、まさかの無知が透けて見えるのです。加えてこの人の賢明でないところは「間違いを認めない」「決して謝ろうとはしない」「嘘を吐(つ)くことを政治信条にしている」という、見たくないところばかりが見え見えです。「君は愚かだ」と、首に鈴をつける人もいないし、いたとしてもそれを受け入れないでしょう。それほどに厄介な、「独りよがり(Self-centered)」の御仁です。

 今回の問題は、けっして一人の「暴言大臣」云々の話ではないことはだれにもわかるでしょう。しばしば、彼女の支持率の高さが言われます。でも、彼女に会ったことも見たこともない人間たちが、あの人は「いい、悪い」「好き、嫌い」といって、さて、アイドル選びの人気投票にはなるでしょうが、まるでその昔の天気予報、あるいは八卦見(はっけみ)で、当たるも八卦、当たらぬも八卦です。そんなものに、政治家もぼくたちも振り回される必要はないのではないですか。それこそ、「ダメなものはダメ」というしかない事柄でしょう。この手の胡散臭い人間に「国を盗られた」としたら、やはり、その程度の「国民」にふさわしい、似合った「首相」ということになるでしょう。<A prime minister who is in line with the level of the people>それもまた、デモクラシーのもたらす政治と政治家の姿でしょう。

 かくして政治は地に堕ち、政道は廃れる。政治家はいるけれども、利権や地位や金に恋々、この国の実情を憂える人民の心が休まるときはまず訪れないようです。「痩せても枯れても(どんなに落ちぶれようとも、いかに衰えても)、私は国会議員(代議士)である」「腐っても政治家だ」という「矜持」「職業倫理」、それこそ「五分の魂」を堅持している人材はどこかにいるのでしょうか。いないのでしょうか。

 (*蛇足 「嘘つけ」といわれそうですが、ぼくは元来が「非政治的人間」だと思ってきました。でも、あまりにもひどい現実の政治が、ぼく自身の私的な部分に侵入してくるなら、それを払いのけることぐらいはします。今日の政治状況はどうでしょう。「税金」を勝手に右し左するという政治ゴロが横溢・横行しているなら、それに無関心ではいられない、ただそれだけの理由で、政治談議を繰り返しているというお粗末さです。ご寛恕を願う次第)

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