精神の貧困、老衰の防波堤になるか

【天声人語】手書きの文字に思いをのせて よく小欄あてに読者の方から手書きのお便りを頂く。はがきや便箋(びんせん)にしたためられた文字から、お人柄や性格がにじむ。達筆な方も多い。流れるような美しい文字に見とれて、会ったことのない姿を想像する▼先日、文化庁の国語に関する調査結果が発表された。手紙やはがきは「手書きや、手書きが一言加えられたもののほうがいい」と答えた人が8割超だった。一言でも手書きの文字があると、人の思いを感じられるからだろう▼調査はさらに、手書きの未来についても聞いている。「これからの時代も手書きを大切にすべきだと思う」と答えた人の割合は、意外にも16~19歳が85%と最も高かった。スマホとともに育った世代が、他のどの世代より手書きを大切にすべきだと感じていることに驚いた▼かつて武家には「右筆(ゆうひつ)」という職があったという。記録をとったり代書をしたりする役目だったらしい。小川糸さんの『ツバキ文具店』は、そんな右筆の子孫にあたる20代の女性が、鎌倉で代書屋をする物語である▼離婚のあいさつ状を出したいという元夫、借金の無心をうまく断って欲しいという男性。代書屋は依頼人の思いをくみとり、ふさわしい紙とペンを選び、文字のスタイルを決める。あるとき客は言う。ただ生きていると伝えたいだけなんです、と▼自分の思いを相手に届けることは難しい。大量の文字が氾濫(はんらん)する時代だが、本当に伝えたい言葉を届けられているのかは、心もとない。手書きの文字に考えさせられる。(朝日新聞・2026/10/09)

(ヘッダー写真「全国手紙作文コンクール中学生の部 最高賞)(中日新聞・2021/02/13)(https://www.chunichi.co.jp/article/201522)

 もともと、ぼくは筆不精をもって任じてきましたから、まず手紙やはがきを書くという日常習慣がありません。こんな言い方をすると、まるで自慢話に聞こえそうで気が引けますが、これまでに書状を書いた経験は本当に数えるほど。はがきも頻繁にというほどではなかったのは当然でした。早く(十八歳)に東京に出てきて、親や友人に、それなりに連絡したり時候の挨拶などをかわした記憶がありますが、それもこれも、まだ電話が普及していなかった時代でした。上京したのが昭和三十八年三月でした。当時の郵便料金は、葉書が五円、封書は十円でした。隔世の感というのは、このことを言うのでしょうか。最近の料金は、葉書が八十五円、封書は百十円となっています。(左:石川啄木が北海道・小樽から、盛岡中学の先輩だった言語学者・金田一京助に宛てたもの)(https://michill.jp/enjoy/a204672)

 郵便事業は郵政省の管轄でした。その出鱈目ぶりは、「会社化」された今も、ほとんど変わらないという気がしています。いわば「親方日の丸」というちゃらんぽらんでした。「《親方は日の丸、すなわち国の意》官庁や公営企業は、経営に破綻(はたん)をきたしても、倒産する心配がないので、厳しさに欠け、経営が安易になりやすい点を皮肉っていう語」(デジタル大辞泉)その親方の懐が寒くなると、勝手に生きろとばかり放り出された結果、やがて、葉書は五百円、封書は千円ということになるのかもしれません。東京に出てきた当座は、ぼくでも、はがきも封書も手書きでした。中でも年賀状や暑中見舞い状など、世間の慣習に追随していただけという恥ずかしさもありましたが、それなりの枚数をこなしてもいたものです。

 やがてワープロ時代、さらに、パソコン全盛期を迎えて、ぼくは一気に「手書き廃止」に走ってしまったのは迂闊でした。以来、三十数年、来る日も来る日もパソコンに向かいワード文書を作ってきたのは、仕事の都合で仕方のない面もありましたが、葉書や封書の類まで、右に倣えというだらしなさでした。この傾向は、ぼくの中では一向に改まる風もなく、時流に掉さすという不甲斐なさ、だったと深く悔やんでいるのです。遅まきながら、三年ほど前から、せめて葉書や封書は「拙い文字(手書き)」でと、実行に移しつつあります。それも使っていた印刷機が故障(猫にも責任がある)した結果の、仕方なしの心変わりでした。往時は年賀状が五百枚近くということもあり、まさに突貫工事よろしく、ワードで一気に作成し印刷していたのですが、実にいい気がしなかった。それでも数日間はかかっていたのです。

 その昔から、自分からは筆不精をいいことに、年賀状を出すということはしなかった。いただいた方に返信するという主義のような「無礼」を誰彼を問わずに働いていたのでした。それでも五百枚程度もあった。さすがに、老齢とみに老い衰えてきた今日、百枚に足らない枚数になりましたが、これを手書きでというのですから、なかなかに大ごと。ぼくは年末年始にの忙しさにかまけて、年賀の挨拶は「立春」までに、つまりは二月の初めまでと決めてしまいましたから、やや時間の余裕もあって、何んとか、無礼をなくすこことができないにせよ、手書きの励行にこれ勤めているのです。(右:富岡鉄斎が佐佐木信綱へ宛て暑中見舞い)(https://michill.jp/enjoy/a204672)

 今から二十年も前に郵政民営化(2007年)が始まり、ぼくの「郵便」嫌い(実は役所嫌いだった)はさらに募ったと思う。「会社(民営)化」の背景はいろいろにあるのですが、それには触れません。要するに、葉書や封書を、あえて続ける時代状況ではなくなったということなのですね。他人に「便り」を書いて出すという必要性も余裕も失われていくのを避けることはできない趨勢にあった。そんな時代に、あえて「手書き」を再開するのは、自らのさらなる老化の進行を阻止する手段でもあると考えれば、葉書も封書も「手書き(handwriting)」に切り替えるのは、それなりに有効でもあるという判断は成り立つのでしょう。

 「貧すれば鈍する」(貧乏すると、生活の苦しさのために精神の働きまで愚鈍になる)(デジタル大辞泉)といいますし、「小人窮すれば斯に濫す」(論語)、とも言います。あるいは 「窮すれば通ず」(易経)で、その意図するところ「事態が行き詰まって困りきると、かえって思いがけない活路が開けてくるものである」(同上)とする。飯のタネに窮する以上に、むしろ精神の貧困を託(かこ)つ、その前に、自らの想いは自らの言葉で表現し、それを他者に伝えるという、まっとうな人間交際・交流の方法を今一度自分に取り戻す、それは精神の回復の一助なるかも、たぶん、そんな機会がぼくたちの生活の中にに訪れているのでしょう。

 少し大袈裟だという気もしますけれども、コラム氏は書いています「自分の思いを相手に届けることは難しい。大量の文字が氾濫(はんらん)する時代だが、本当に伝えたい言葉を届けられているのかは、心もとない。手書きの文字に考えさせられる」と。自分の想いを相手に伝えることそのものが、時には、実に疎かに、粗末にされていて、それでいて、孤独を嘆き、人恋しさを憂える、それが今の時代の「主流」であり「奔流」になっているのではないでしょうか。

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 咄嗟の判断、吉と出るかどうか 数日前に卒業生からメールが入り、「今月11日の夜、都内神田でゼミの同窓会をします」「君は東京には出ない、と聞いていましたが、参加されるなら嬉しいよ」と、参加される予定の、懐かしい人たちの名前を教えてくれました。卒業以来、すでに三十年を経過している。ぼくの老い先も短すぎる。ついつい、懐かしさに「絆(ほだ)されて」(「 情に引きつけられて、心や行動の自由が縛られる」デジタル大辞泉)、「参加していいですか」と返事を書いたら、電話がかかってきました。彼女は二年前、拙宅に来てくださった、Y子さんでした。台風だの地震だのと、天変地異が、挨拶もなしに来ることを恐れますが、何もないことを願って、退職後十五年ぶりに「都心の舗道」「紅灯の巷」を彷徨(さまよ)うのかと思うと、何んともへんてこな感情が走り出しています。いわば、「咄嗟の判断」のなせる業でした。

 「有レ朋自二遠方一来、不二亦楽一乎」(「論語 学而」) 言葉を尽くして、人と交わる、その方途はさまざまでしょう。糸電話はないかもしれませんが、SNSあり、メールあり、携帯あり、テレビ電話(ライン)あり。でもやはり面と向かって語り合えるのもなかなかのものでしょうね。「面晤(めんご)」して「面語」に及ぶ、また楽しからずや。ぼくのようなところにも、葉書や封書で、近況報告、あるいは訪問のお尋ね等、いろいろな便りが届きます。無礼な人間ですので、必ず、その都度返信するということがないのです。メールや電話なら、すぐに反応するのにという想いが募ります。時代に流され、加えて、ぼくの「精神の衰え」「老衰の加速」は、いよいよ一時も忽(ゆるが)せにできない段階に入っていると、深く認識させられているのです。さて、心を入れ替えられますか ?

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