
ほぼ四十年ぶりに「奥崎謙三」に再会した思いがしました。昨晩遅く記録映画を観て、改めて、この奥崎という存在に心を打たれた。なかなか観る機会がなかったもので、ネットでの上映だった。ネットに挙げられているのを知ったのは少し前でした。このドキュメントが劇場公開されたのは1987年8月。それ以前から、ぼくには強烈な印象があった奥崎謙三氏。大学院入学した翌年の正月2日。新年参賀のあった皇居で、「昭和天皇にパチンコ玉を発射、暴行罪で逮捕される」という衝撃的な事件の犯人だった人物。この「不敬罪」に関しては、今でも報道規制が敷かれているのではないかという疑念をぼくは持っています。この劇場映画が公開された当時から、何年かの間、ぼくが担当している学校における授業で課していた学生諸君のレポートの中で「奥崎謙三」の名前をしばしばみることになっていた。なかには「お前は、奥崎にそっくりだ」と書かれていたものでした。(もちろん、現実のぼくは、いくつもの面で彼の足元にも及ばないのですが)

こういう元日本兵(帝国軍人)がいるのだという事実に、ぼくは深く驚愕し、彼の名前とともに、彼の信条(心情)といい、直情径行といい、我が胸中深くに長く把持されることになった。「神軍平等兵」を自称する、この元兵士の復員後の行動が、何を意味しているか、誰もが知りつつ、それに対して意図的に目を伏せ、耳を塞(ふさ)いできたのだった。(一面では、作家大岡昇平氏の「作品(「野火」や「俘虜記」など」をはるかに凌駕する「戦争と天皇」を指弾する「罪責の念」を時代や社会に過激に突き付けている人物だったと思っています)この映画が作られた意図、あるいは目的は様々に受け止められ、あるいは拒絶されたことだと思う。映画の中で、軍内での「部下銃殺」「人肉食」の記憶の襞に隠されていた事実を暴く奥崎さんと、その上等兵や同僚兵士の格闘と葛藤、人間が生きる中に刻まれた深淵を見せつけられるようで、ぼくは深い悲しみや人間の弱さを痛切に感じながらでなければ、この映像を見つめることはできなかった。何度でも観る「記録」ではないけれど、忘れてはいけない「戦争」がひとりひとりの人間の心や感受性を、どこまで痛めつけるのか、それを知るためにも観るべき映画ではないかと、今も考えている。(⁑「ゆきゆきて、神軍」:https://www.youtube.com/watch?v=l-ksx0efY6U))
「ゆきゆきて、神軍」
解説・あらすじ
ドキュメンタリー映画監督の原一男が、過激な手段で戦争責任を追及し続けるアナーキスト・奥崎謙三の活動を追った傑作ドキュメンタリー。神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、自らを「神軍平等兵」と名乗り、「神軍」の旗たなびく車に乗って日本列島を疾駆する。ある日、自身がかつて所属していた独立工兵第36連隊で、終戦後23日も経ってから敵前逃亡の罪で2人の兵士が処刑されていたことを知った奥崎は、その遺族らとともに真相究明に乗り出す。時には暴力も辞さない奥崎の執拗な追及により、元兵士たちの口から事件の驚くべき真実と戦争の実態が明かされていく。1987年の初公開時は単館上映ながら大ヒットを記録。第37回ベルリン国際映画祭でカリガリ映画賞を受賞するなど、国内外で高く評価された。戦後75年、奥崎謙三生誕100周年となる2020年の8月、全国のミニシアターでリバイバル公開。
1987年製作/122分/日本
配給:疾走プロダクション
劇場公開日:2020年8月14日
その他の公開日:1987年8月1日(日本初公開)
スタッフ・キャスト
監督 原一男
企画 今村昌平
製作 小林佐智子
録音 栗林豊彦
編集 鍋島惇
構成 鍋島惇
助監督 安岡卓治 大宮浩一
撮影助手 德永靖子 三好雄之進
選曲 山川繁
効果 伊藤進一 (「ゆきゆきて、神軍」:https://eiga.com/movie/39908/)

◎ 奥崎謙三 おくざき-けんぞう(1920-2005)= 大正9年2月1日生まれ。昭和44年「太平洋戦争で死んだ戦友への義務として」新年参賀式で昭和天皇にパチンコ玉を発射,暴行罪で逮捕される。58年この事件をテーマにした映画「ゆきゆきて,神軍」の完成時期に,もと上官の長男に発砲,殺人未遂で懲役12年。平成17年6月16日死去。85歳。兵庫県出身。著作に「ヤマザキ,天皇を撃て!」。(デジタル大辞泉)
*参考資料❶(歴史のダイヤグラム)奥崎謙三と「皇居パチンコ事件」 原武史」 〔1969(昭和44)年1月1日「午前十時ごろ」(『ヤマザキ、天皇を撃て!』)、その男は神戸駅から東海道本線の上り快速電車に乗った。ということは、神戸9時54分発の京都ゆきか、10時9分発の大垣ゆきに乗ったのだろう。乗る際には、尾行者がいないかどうか注意を払うのを忘れなかった。/男の名は奥崎謙三。ニューギニアで壮絶な戦闘を体験し、豪州軍の捕虜となって復員してからは神戸市内で商売を営んでいたが、56年に家を借りる話をめぐって不動産業者を刺殺し、10年間服役した。また戦争責任をとるどころか戦後も在位し続ける昭和天皇に反感をもち、天皇制の廃止を求めて訴訟を6件起こすなど、過激な言動から当局にマークされていた。

神戸を出た快速電車は元町、三ノ宮、芦屋、大阪と停(と)まり、新大阪に10時29分ないし44分に着いた。奥崎は新大阪で降りた。/新大阪駅の構内でも尾行者に注意しつつ、12時ちょうどに出る東海道新幹線上り「ひかり26号」の指定席車両に乗った。京都、名古屋に停まり、東京に着いたのは15時10分だった。/こんどは私服警察がいないかどうか注意した。駅の総合案内所で宿を探していると告げると、新橋の第一ホテル(現・第一ホテル東京)を紹介された。ニューギニアでともに戦った元伍長の会川利一が世田谷区に住んでいたので電話でホテルに呼び、深夜まで話し合った。そのあとタクシーで会川を自宅まで送り、ホテルに戻ったときには日付が変わっていた。(↷)

2日朝、奥崎が東京駅丸の内口から歩いて向かったのが皇居だった。新宮殿の完成に伴い、同日に新年一般参賀が開催され、ふだん入れない皇居に入れるばかりか、皇室一家が6年ぶりに姿を見せることを知ったからだ。/午前9時に正門の扉が開くと、奥崎は大勢の人々とともに皇居に入った。10時になると、新宮殿の玄関口にある長和殿のバルコニーに昭和天皇らが現れた。奥崎はパチンコ玉を発射し、「山崎! 天皇をピストルで撃て!」と繰り返し叫んだ。山崎というのはニューギニアで餓死した戦友、山崎豊のことだった。/「私服、制服の警官も、周囲の群衆も、私を取り押(おさ)えようとしないので、私は演技の間がもてなくなってしまいました。そこで仕方なく、予定・計画していなかったのですが、ズボンの左のポケットの中の硬貨の中にまじっているパチンコ玉を一個だけ手さぐりで選(よ)り出し、天皇に向けて、またパチンコで発射しました。しかしそのパチンコ玉は、バルコニーの下の菊の紋章の一、二メートル右に当(あた)りました」(同)/奥崎は逮捕され、暴行罪が適用された。この「皇居パチンコ事件」を機に、長和殿のバルコニーには防弾ガラスが設置される。(政治学者)(朝日新聞・2025年11月1日)
〔「ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』について、マイケル・ムーアは「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と評価し、マーティン・スコセッシは「誰もこんな映画を作ったことがなかった」「誰もこんな映画をみたことがなかった」と述べている〕(Wikipedia)(奥崎夫人はとても素晴らしい人だと思った。この男にして、この女性ありという、ぼくは深い感慨を以てこの女性の偉さを痛感しました。「反天皇制」主義者に添う存在の「ここおrの広さ」が奥崎謙三氏を包んでいたのではなかったか)(奥崎さんは「アナーキー」であると同時に、あるいはそれを超えて、「テロリスト」だったことも否定できないでしょう。ぼくは彼を擁護も三号もしない。それだけに、奥崎問題は。一筋縄ではいかない問題を提起してやまないと思っています)
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「徒然に日乗」(1228~1234)

◎2026/09/27(日)夜9時から、記録映画である「ゆきゆきて、神軍」(2時間)を観る。三十年ぶりだった。このドキュメントが公開された当時、多くの学生のレポートに「お前は奥崎にそっくり」と指摘されたこともあった。足元にも及ばない「アナーキー」な人だと思う。ぼくには、この「奥崎」という名前は強烈に記憶に残されている。「皇居参賀パチンコ事件」(1987年1月)の当事者だったから。すごい人物(元日本兵)がいるものだと、深く印象づけられたのだった。(1234)
◎2026/09/26(土)「日経平均66,364.20 +850.21 NYダウ51,828.62 +478.64 ドル円157.31-33 -0.89円高 NY原油92.44 -2.17 長期金利3.070 -0.005」(日経新聞・2026/09/26)円安で金利上昇が新段階を迎えていると思う。米国からなにをいわれ、その意を受けようと、円安が止められないというのが実際だろう。▼中米首脳会談が終わった。「日本軍国主義(ファシズム)」に対して、手を携えて戦った、その「同盟国」で果たした役割を忘れないと、両首脳は主張した。米中を強く結び付けたのが日本首相の「台湾有事発言」でもあった(2025/11/07)ことは確かだ。今更「発言」を撤回できないし、撤回の有無にかかわらず、米中は更に結びつくだろう。日本の孤立は容易ならざる事態には入り込んだと思う。〔高市早苗首相は26日夜、トランプ米大統領と電話で協議した。(略)日本政府は米中両首脳が歴史に関する事柄で呼応したことを警戒する。トランプ氏は中国を大戦時の「同盟国」と呼び、習氏は「中国と米国は日本軍国主義の侵略者との戦闘で肩を並べて戦った」と言及した。/首相は25日に日米の関係について「いまは非常に強い絆で結ばれた同盟国としてお互いに信頼し合える関係だと思っている」と記者団に語った。高市政権を「新型軍国主義」と批判する中国側の主張にトランプ氏が引き込まれる懸念がある。(後略)〕(同上)(1233)

◎2026/09/25(金)「日経平均66,364.20 +850.21 NYダウ51,349.98 -161.61 ドル円158.02-04 -0.18円高 NY原油92.99 -1.62 長期金利3.075 ±0.000」(日経新聞・2026/09/25)▼「トランプ氏、中国は「同盟国」 習氏「日本軍国主義と戦った」―第2次大戦絡め異例発言 【ワシントン時事】トランプ米大統領は24日、中国の習近平国家主席を迎えたホワイトハウスでの歓迎式典で、第2次世界大戦で米中が『同盟国』として共に戦ったと発言した。当時、米国が連合国の一員として一緒に戦ったのは蒋介石率いる中華民国軍で、毛沢東の共産党軍ではない。米大統領が中国を同盟国と呼ぶのは異例で、発言は物議を醸しそうだ。トランプ氏は『共通の利益の追求が、多くの相違を乗り越えて両国民を結び付け、第2次世界大戦ではわれわれを同盟国にした』と語った。習氏はこの発言を受け、日本を念頭に『第2次大戦中、中米はファシズムの侵略に肩を並べて戦った』と応じ、『この歴史を決して忘れない』と強調した」(時事通信・2026/09/25)▼日本の首相は、この米中首脳の「同盟国」発言をどう聞き、どう対処するのか。頼るべき米国に「袖にされた」ともいえそうだが。米国追随外交の「正味」がこういうことになるとは。(1232)
◎2026/09/24(木)久しぶりに快晴。溜まりに溜まった洗濯物を仕上げた。▼茂原まででかけるのに、おおいに苦労した。自宅近くの何か所には土砂崩れも見られた。この後に降雨がなければいいのだが。▼草加の娘から、非常用備品などが山ほど届けられた。われわれは情報難民だったが、テレビなどを観て、意外に凄い被災状況に、彼女は驚いたのだろう。ありがたいこと。▼印旛沼の決壊は、この後にもかなりの影響を及ぼすだろう。「日本列島を強く豊かに」というキャッチフレーズが泣くだろう。ぼくたちはひどい「政府」を持っていることを今更のように見せつけられている。▼「日経平均65,513.99 +495.04 NYダウ51,511.59 -352.10 ドル円158.78-79 +1.30円安 NY原油93.66 +1.50 長期金利3.075 +0.100」(日経新聞・2026/09/24)▼「日本の投げ売り状態」が報道されないのは各報道機関の「自己規制」なのか、政府筋の「強制」なのか(1231)

◎2026/09/23(水)停電はまだ続いている。▼午後3時ころ、牛乳がなくなったので土気のコンビニまで出向く。家から最短のコンビニへは通行止めの個所があるので、再び土気のコンビニまで(およそ8キロぐらい離れている)。「帰宅するころには通電(復旧)しているだろう」といって出かけたが、案の定、帰宅直前に復旧。ようやく「オフグリッド状態」から解放。この程度の自然災害で、アタフタするのだから、文明人(自分をも仲間に入れている)もだらしがないという気もする。▼メールや電話で、「安否の問い合わせ」をくださった方々に、「無事」であることを連絡する。埼玉草加の娘からも電話あり。夕刻五時過ぎのニュースで「印旛沼が決壊」とあったので、驚いた。(1230)
◎2026/09/22(火)停電はまだ続いている。雨は止んでいる。▼猫缶の保存が危なくなってきたので、買い増しにでかけたが、茂原に行く途中の道はすべて「通行不能」、土砂崩れのため。方向を変え、土気(あすみが丘)まで行こうとした。途中には、何か所も土砂崩れ・法面崩壊の個所を観る。降雨が終わっていたので、何んとか通れたが、今少しの雨でも大変なことになっていたかもしれない。帰宅後、午後2時を過ぎていたか、町会議員の一人が来宅。防災関連で、安否確認のために回っているとのことだった。東電に問い合わせをしたが要領を得なかったようだ。連休でもあり人でが足りず、「復旧がいつになるかわからない」という返答だという。ひどい会社であることを今更のように確認した。▼車でいける範囲で近所を見て回ったが、なかなかの大きな災害だったと、改めて考えなおしたほど。死者も何人も出ている。特に神奈川と千葉の被害が大きい。我が家も「孤立状態寸前」だったと思いなおしたほど。横浜の娘からも電話あり。かみさんの携帯でやっとつながる。この後、そのの形態(スマホ)は電池切れ。(1229)

◎2026/09/21(月)終日、激しい雨が続く。猫の食料が底をついて来たので、近所のスーパーに出向くが、駐車場が冠水していて一面の海状態。その近くの薬局には少しばかりだが猫缶が置いてあるので、それで間に合わせる。▼夕食時(午後6時半ころ)に「停電」した。想定していたような豪雨も暴風もなかったように感じていたので、「停電」には驚いた。だから、少し時間が経てば復旧すると思っていた。2019年10月の19号台風急襲のことをはっきりと思い出している。その時は「停電」「断水」が同時だったので、ほぼ孤立状態。今回、今のところは停電だけ。夜半になっても復旧はしないままだった。(1228)
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