人はいさ心も知らずふるさとは…

 折々のことば:3720 鷲田清一

最も重要な「防波堤」はわれわれの心の中にある。
 (ジャック・アタリ)
     ◇
 社会の不寛容や道徳的頽廃(たいはい)、生態系の崩れなど、文明の防波堤が決壊寸前だとフランスの経済学者・思想家は言う。女性の進出を阻む防波堤なら決壊させればいいが、人々の生活や価値観を守るそれは強化すべきだと。まずは守るべきものが何かを見分けること。それができる個人が最後の防波堤だ。『ジャック・アタリ 豊かな人生を送るための金言集』(林昌宏訳)から。(朝日新聞・2026/09/18)
 折々のことば:3719 鷲田清一

 私の決断は一瞬でした。この人たちに仕え、この人たちと共に生きていこう、と。
 (公文和子)
     ◇
 長らくケニアで障がい児とその家族の支援に従事してきた医師は当初、救いたいという「傲慢(ごうまん)」な意欲と、医師としての無力の狭間(はざま)に落ち込んでいた。ある日牧師に、何をするかより誰のために生きるかを考える方が大事だと教わる。そしてある児童がとびっきりの笑みを向けてくれた時、「友となるべき人」が示されたと確信した。『グッド・モーニング・トゥ・ユー!』から。(朝日新聞・2026/09/17)

 「折々のことば」を繰り返し読んでいます。ものによって好き嫌いはあるけれど、どれもこれも「反芻(はんすう」」すべき、あるいは玩味すべき「ことば」たちだと、まさに愛おしくなります。二日続きのものの引用です。人間性の異なった場面を指しているように思われる「箴言」ですが、よくよく見れば同じことを、異なった見地から表現しているとも受け止められます。

 いわば、心情の深い部分には、自分だけの「ふるさと(道徳本能)」があるといったらどうでしょう。日々の生活や世の中の圧倒的な変貌に心奪われているうちに、「わが心、いかにありやなしや」という、いわば迷妄の淵や迷路の行き止まりに追い込まれてしまう、そんな閉塞感に、われわれは襲われていないでしょうか。紀貫之の「人はいさ 心も知らずふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける」は、あなたのお気持ちはどうだか知りませんが、いつだって古里(ふるさと)には、あの梅の花が豊かに匂い立ち咲き誇っていますよ、と言っているようです。ぼくたちの心持も、自分では知らないうちに変わりゆくものかもしれませんが、ふと立ち止まると、どっこい、いささかも変わらない「ふるさと(直感)」のような領分(安堵の地)があるのではないですか、そんな風にぼくは勝手に受け取っている。

 これをするか、しないか、その「カギ(鍵)」はわが内奥にあるということを失念しないように。「まずは守るべきものが何かを見分けること。それができる個人が最後の防波堤だ」というのはアタリ氏(Jacques Attali・1943 ~)です。その昔は真面目に読んでいた思想家でした。「防波堤(brise-lames)」とは自分が自分であることを守護する・証明する「砦(とりで)」のようなもの。今は、文明(科学・技術)の防波堤も文化(生活)の防波堤も危殆に瀕しているのですから、自分自身の「砦」もまた、崩壊寸前、あるいは崩壊の危機に晒されているのでしょう。

 公文(くもん)さんの「ことば」もまた、人の心を射貫くものです。一人の意思の覚醒をもたらした契機を語る、その「ことば」に込められた思いは深く強いものがあるでしょう。一人の牧師の「何をするかより誰のために生きるか」という暗示が彼女を心底変えたかと思われます。「誰のために生きるか」という方向感覚をだれもが持つのでもなく、持てるものでもないのかもしれません。でも、公文さんはこの「何をするかではなく、誰のために生きるか」という「寸言」を受け入れるだけの「心のふるさと」を捨ててはいなかったということに、ぼくは感動します。

◎ ジャック・アタリ(仏: Jacques Attali、1943年11月1日 – )は、アルジェリア出身の経済学者、思想家、作家、政治顧問。旧フランス領アルジェリアの首都アルジェ出身のユダヤ系フランス人。ミッテラン政権以後、長きに渡り、仏政権の中枢で重要な役割を担った人物として知られ、つづくサルコジ、オランド、マクロン大統領にも直接的な影響を与えており、フランスのみならず欧州を代表する知性のひとりと目されている。(Wikipedia)

◎ 公文和子=・1968年に和歌山県和歌山市で生まれ、東京都で育つ。 ・1994年に北海道大学を卒業後、北海道大学病院小児科に入局し、北海道大学医学部附属病院、千歳市立病院、市立札幌病院、北見赤十字病院、新日鐵室蘭総合病院(現 製鉄記念室蘭病院)で小児科医として勤務する。北海道大学大学院でも学ぶ。 ・2000年にイギリス・リバプールに留学し、熱帯小児学を学ぶ。内戦後の東ティモールや内戦中のシエラレオネ、カンボジアの小児病院で医療活動にあたる。 ・2002年にJICAの専門家派遣により、ケニアで活動を始める。また国際NGOでも働く。 ・2007年に長女を出産する。 ・2015年に障害児やその家族の支援事業である「シロアムの園」を設立する。(https://www.e-resident.jp/content/interview_pro/6545

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