教員の個人スマホ禁止広がる…相次ぐ児童の盗撮被害受け 埼玉県内30超の自治体がガイドライン策定 「盗撮防止をより徹底」とする一方「緊急通報の手段が必要」の声上がる 公用端末の導入を決める自治体も
相次ぐ教員による盗撮被害から児童生徒を守るため、盗撮防止ガイドラインを策定し、教職員が個人で所有するスマートフォン(個人スマホ)の持ち込みを禁止する動きが広がっている。一方で、不審者の侵入や突然の心停止といった緊急時に備え、連絡手段の確保を求める声も。埼玉県内の教育現場の対応状況を探った。
■盗撮防止の徹底
近年、教員によるスマホでの盗撮事件が相次いだことから、文部科学省は昨年7月に服務規律確保の徹底を求める通知を発出。教室やトイレ、更衣室の定期的な点検や、私的な端末で児童生徒を撮影しないことなどの徹底を求めた。
この通知は個人スマホの持ち込み禁止を求めるものではなかったが、その後、全国で教職員の個人スマホ持ち込みを禁じる動きが広がった。県内でも30を超える自治体が持ち込みを原則禁止としたガイドラインを作成し、ホームページ上で公開している。
県教育局小中学校人事課によると、各市町村にガイドラインの策定を呼びかける際、個人スマホでの撮影を禁じた県立学校のガイドラインと併せ、持ち込み禁止の記載がある市町村版を参考例として送付した。その意図について、同課の担当者は「盗撮防止を、より徹底するということで記載した。最終的には各市町村の判断」としている。(以下略)(埼玉新聞・2026/09/16)

事は埼玉県内だけではありません。全国数万ある国公私立学校のすべてにおいて、「盗撮」云々というのではないのは勿論です。しかし、こんなに方々の学校教職員がかかる「犯罪行為」に手を染めている、この現実を知れば、さて、何か有効な策があるのだろうかという、疑念や不信の念が、犯罪防止に立ち上がる人々の前に立ちはだかるでしょう。
「先生、個人用のスマホは道込み禁止です」と、毎朝、登校時に管理職が検査するのでしょうか。あるいは、みずからが担当しているクラスの子どもたちに調べさせるのでしょうか。「悪いことに使う恐れがあるから、先生スマホを持ってきてはいけないんですよ」「ぼくたち(わたしたち)だって、使用を禁止(制限)されているんだから」(左写真は上掲の埼玉新聞)
今も昔も「よからぬことをする教師」はいたでしょう。でも、スマホが普及し、性能が格段に向上することによって、画期的な場面が展開されるようになったことは事実ではないでしょうか。聖人君子の面をして、偉そうなことをいうつもりはありません。問題の深刻さから比べれば、その受け止め方の浅薄さが一番の問題点となっているのではないでしょうか。教師も子どもたちも、いとも容易に「狂気」「欲望」を発揮させる環境が準備されている、この現実をどうするか。ぼくに名案があるわけではありませんし、この手の「犯罪」はいつの時代にも存在していました。学校という場所は、そのような犯罪を誘発す環境としてはとても条件が整っているのでしょう。
そのいちいちを言いませんが、「教師」対「子ども」という関係において、圧倒的に教師は優位に置かれているのは事実でしょう。➀教師という存在は、子どもに向かって犯罪行為を犯す危険性がある、という疑念が子どもたちにあれば、少しは問題の発生は防げるかもしれません。だから「気をつけなさい。担任教師(や校長・教頭)が隙あらば、盗撮する機会を狙っているのだから」と、親からも、教師自身からも子どもたちに諭すのでしょうか。➁毎朝登校時に、「先生が私用スマホを持っていないかどうか、日直を中心に、こどもたちが検査する」「その結果を、校内の掲示板に張り出す」ことも考えられます。➂日直のように、日替わりに、個々人の教師の挙動を監視する役割を設ける等々。教師対生徒の関係は、互いに不振の気分で見張りあうようにしたらどうでしょうか。

ぼく自身は、いつも言っているように、学校(組織)や教師(個人・集団)に、全幅の信頼を置くことはありませんでした。むしろ、不信の念を持ち続けていたといいたいほどです。もちろん、それは「教育」という機能や目的に関して、そのような「強制教育」を行う学校との間に、一定の距離を持っていたのでした。現実に生じている「課題」への対処も大事です。起こっていることは犯罪ですから、それを取り締まるには当たり前の方策がとられてしかるべきでしょう。警官の学校常在を制度化するの一法でしょうし、今教育委員会などが考えている「公用スマホの貸し出し」もあるのかもしれません。でも性的な犯罪が絶えないから、教師を徹底して監視するように、法律を作るなどと言うことも現実にあるかもしれません。真面目に、こんなことを考えなければならないところに、ぼくたちの社会は「追い込まれている」とい事実に、ぼくたちは気がつかねければ、もう終わりですね。ここまでひどいのだと、それは政治や経済の要路の人たちだけではないんですね。
いうまでもなく、「教員はすべて犯罪者である」という話ではありません。だから、「個人用スマホの学校内所持は一律禁止」という案には賛成しません。子どもたちには一律「SNS禁止」の措置を講じていながら、教師にはそれは認めないのもおかしいでしょう。とはいいつつも、ぼくは、子どもも教師も、「私物スマホ」の所持は認めるのが当然だと思っています。だから、必要以上にスマホをいじらないだけの「自制心」を育てることが何よりではないかと思うばかりです。どんなに厳しく、予防策を張り巡らしても「犯罪」は起こります。だから、何をしても仕方がない、というつもりはありません。「欲望」「情念」を育てないこと、底から自分が解放されるように、自らを育てること、それに尽きますね。
今日、このように教員の「自制心」「自己管理能力」などの著しい欠如が問題になる、その背景なり理由を丁寧に探さなければ、おそらく、十年後二十年後には、また異なった場面での「犯罪」が問題になること請け合いです。ぼくは、自らの経験からも、繰り返し、学校教育の「偏差値偏重」「優劣発見主義の蔓延」等に関して、現状の教育の根本からの是正、いや改廃を訴えてきました。学校廃止もあり得ます。学校はなくても、教育は行われてきました。

「他人の評価」を得るための教育、優劣を競わせる教育、それが「学校教育のメインストリート」になってきたのではないでしょうか。その「幹線(感染)道路から外れたものは、いわゆる「落ちこぼれ」ですね。自慢でも卑下からでもなく、事実として、「まぎれもなく、ぼくは落ちこぼれ」でした。人並みに大学まで在籍しましたが、ぼくがしてきたことは、あえて言うなら「反(非」学校教育」という振る舞いだったでしょう。従順よりは正直、成績より友情、勤勉であるのではなく、自分の足で立つ(自分の頭で考える)練習、それをこそ、ぼくは自分なりに重んじてきたと思う。(左写真の表は神戸新聞・2025/12/25)
他者に誇るべき何物も所有しない人生をかたくなに歩いてきて、今痛感することは、「地雷や不発弾がばらまかれている地平原を、よくぞ歩いてきたものだ」という気分です。今の今だって、危ない地面の上に乗っているのです。ぼくが犯罪に傾かなかったのは、単なる偶然であり、ちょっとした幸運の連続だっただけでしょう。罪を犯す素地・素質は十分にあったことを否定しないし、できません。単なる偶然の重なりで、ここまで歩いて来たのだと思う。あと四日もすれば、ぼくは八十二歳になります。数々の間違いを犯しながらも、ここまで来たという、まさにそれが「実感」があります。実に、あの時は危なかったなあ、そんな冷や汗をかく人生でしたね。

時に浄土教でいう「二河白道(にがびゃくどう)」を思ったりすることがあります。我が身にそぐわない話ですが、ぼく自身の心持は、そこに示された「白い道」を、必死の想いで歩き通したいという存念だったと思うのです。もちろん、まだ歩き切ってはいません。いつ足元から崩れるかもしれない。願うことは、学校や教育が子どもたちの「幸運」を祈るように機能するためには、一人の教師もまた、剥き出しの情念や欲望に足元を掬われる危険性を常に冒しながら、あるいは失敗を重ねながら、自らをつかむ苦行を止めないことです。
明治この方、百数十年にわたる「学校教育」の偏頗極まりない「優劣決着教育」の、自分は被害者であることを、教師自身が片時も失念しないで、目の前の子どもたちに誠心誠意、向き合ってほしいと思っています。
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◎二河白道(にがびゃくどう)= 浄土往生(おうじょう)を願う者が迷いの世界から極楽(ごくらく)に至る道筋を、水・火の二河をもとに説き明かしたたとえ。唐の善導(ぜんどう)(613―681)が『観経疏(かんぎょうしょ)』散善義(さんぜんぎ)で記述したのによる。人が西に向かって行くと、南に火の河、北に水の河があり、その中間に4、5寸(約12~15センチメートル)の白道があって、水火が猛然と押し寄せ、後方からは群賊や悪獣が迫ってくる。進退窮まり、白道を渡ろうかと思案していると、東岸から早く渡れ、死の災いはないという声、西岸からかならず守るからという声に励まされ、信じて西岸に達した。火の河は人間の瞋(いか)りや憎しみ、水の河は愛着や欲望、白道は浄土往生を願う清浄(しょうじょう)心、群賊たちは人間の迷いから生ずる悪い考えなど、東岸の声は娑婆(しゃば)世界の釈尊(しゃくそん)の教え、西岸の声は極楽浄土の阿弥陀(あみだ)仏の呼び声に例えたもの。日本では絵解きとして広く知られた。美術的遺品では、鎌倉時代の制作になる京都・光明(こうみょう)寺、兵庫・香雪(こうせつ)美術館の図が名高い。(日本大百科全書(ニッポニカ))
◎ 二河白道(にがびゃくどう)とは、浄土教における極楽往生を願う信心の譬喩。二河譬(にがひ)とも。善導が浄土教の信心を喩えたとされる。主に掛け軸に絵を描いて説法を行った。絵では上段に阿弥陀仏と観音菩薩・勢至菩薩の二菩薩が描かれ、中段から下には真っ直ぐの細く白い線が引かれている。 白い線の右側には水の河が逆巻き、左側には火の河が燃え盛っている様子が描かれている。 下段にはこちらの岸に立つ人物とそれを追いかける盗賊、獣の群れが描かれている。下段の岸は現世、上段の岸は浄土のこと。 右の河は貪りや執着の心(欲に流されると表すことから水の河)を表し、左の河は怒りや憎しみ(憎しみは燃え上がると表すことから火の河)をそれぞれ表す。 盗賊や獣の群れも同じく欲を表す。東岸からは釈迦の「逝け」という声がし、西岸からは阿弥陀仏の「来たれ」という声がする。 この喚び声に応じて人物は白い道をとおり西岸に辿りつき、悟りの世界である極楽へ往生を果たすというもの。(Wikipedia)(ヘッダー写真および右写真:二河白道図(奈良国立博物館蔵、重要文化財)
🔵 参考資料 盗撮事件で広がった教員のスマホ規制 公用支給でも解決しない問題 名古屋市が学校現場への私有スマートフォンの持ち込みを禁止して1年となった。教員グループによる盗撮事件を受けた措置だが、戸惑いを感じる教員は少なくない。
他の自治体では新たに公用スマホを支給する動きがあるものの、「オールハッピーの対策にはならない」との声もある。
きっかけは教員集団の盗撮事件
事件の発覚は昨春。現役教員らがSNSのグループチャットで着替え画像などを共有。名古屋市や東京都などの教員ら7人が次々に逮捕され、これまでにうち6人が有罪判決を受けた。
文部科学省は2025年7月1日、性暴力根絶に向けた対策をとるよう都道府県と政令市の教育委員会宛てに通知を出した。事件の端緒となった名古屋市教委は17日後、教室への私用スマホ持ち込みや撮影を禁止する新ルールの運用を始めた。
学校現場での盗撮は悪質な犯罪だ。ただ、名古屋市内で勤務する小中学校などの教員は1万人にのぼる。「有無を言わせず、教員全員を犯罪者扱いするなんて……」。今もこうした思いを抱く教員は少なくない。
スマホ禁止で業務に支障も
近年、私用スマホは教育活動で幅広く活用されてきた。学校で見せる子どもたちの様子を撮影し、「学級通信」に掲載することは多く、「子どもにも保護者にも喜ばれ、やりがいの一つだった」。元教員の男性は振り返る。
連絡手段として欠かせない通信手段だったとの指摘もある。
ある教員は、自身が勤務する市立中学校では、連絡用として職員室につながるインターホンが各階の廊下に一つしか設置されていないとし、こう話す。/「暑くて、熱中症の疑いのある生徒がいる際、廊下にまで出る必要があるので、すぐに連絡が取れない」
夏にはプールの授業もある。子どもが溺れた際、プールにあるインターホンから職員室に連絡し、消防などに連絡する段取りになっている。だが、ある小学校の教員は「必ずしも連絡がスムーズにいかない時がある。1分1秒の遅れが命に関わる」と口をとがらす。
給食の場面ではアレルギー食品に伴うアナフィラキシーショックの恐れもあり、教育現場では子どもの命が危険にさらされるリスクを抱えている。
公用スマホは長時間労働を助長?
持ち込み禁止は名古屋市を皮切りに、北海道や横浜市、札幌市などにも広がった。他方で、全教員に公用スマホを支給する自治体も出始めている。/愛知県春日井市では、25年秋から一部の小中学校で支給を始めた。市の担当者は「トラブル発生時に初期対応が早まった。教員にとっては必要不可欠」として、全校での運用を視野に入れる。東京都教委でも7月、全ての都立学校の正規教職員ら向けに公用スマホを配備した。
名古屋市では現状、公用スマホ支給の機運は高まっておらず、中学校のある教員は「オールハッピーな対策にならない」と指摘する。/理由はこうだ。/公用スマホが持ち帰りも可能となると、「いつでも連絡可能となり、土日の業務対応が生じる恐れがある」。都教委はスマホ配備を働き方改革の一環と位置付けるが「長時間勤務につながる可能性をはらむ」と懸念する。
支給対象者に非常勤の教員も含めるのか。事故やアクシデントが発生する可能性のある部活動の外部コーチはどうするのか。
こうした詰めるべきルールも多いとし、「公用スマホを支給すればすべての問題が解決するわけではない」と指摘する。【藤顕一郎】(毎日新聞・2026/07/23)
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