【天声人語】シンデレラじゃないけれど 埼玉県に暮らす30歳の女性の話だ。いまから6年前、彼女は悩んでいた。人との付き合いがうまくいかない。大学院に通っていたが、言葉に傷つき、体もしんどくて、休学し、自宅にこもっていた▼ああ、将来、どうしよう。私、仕事できるかな。不安で、不安で、でも、誰にも相談できなくて、何か「通気口」がほしい。そう思って、朝日新聞の人生相談コーナー「悩みのるつぼ」に投書した▼〈自分らしくいればいるほど浮いてしまうのは、どうしたら良いでしょうか〉。回答は美輪明宏さんだった。〈誰に恥じることもありません。そう。あなたは、それでいいのです〉▼新聞を読んで、涙がこぼれた。自分の人生を肯定してもらった気がした。切り抜いて、何度も読み返した。大切な宝物、踏ん張るときの支えができたと思った▼今夏、美輪さんの訃報(ふほう)が届いた。当欄がこの相談に触れ、異才の死を悼むと、女性から連絡があった。筆者は会いに行った。喫茶店でコーヒーを飲みながら彼女は話してくれた。学校はやめたこと。うまく働けないこと。でも、やっと少しずつ、前を向き始めていること。「人生ゲームで新しいマスを自分で作っているみたいです」▼あなたの話を書いてもいいですかと尋ねると「どうぞ」。生きづらさを感じているのは自分だけではない。いま苦しんでいるどこかの誰かに、そう気づいてもらえたら……。「私はシンデレラストーリーじゃなくて、道半ばですけど」。小さく笑って、彼女は言った。(朝日新聞・2026/09/10)
(ヘッダー写真:https://kids.disney.co.jp/)

人は、時には誰かに自分の話を聞いてもらいたい、自分のことをわかってもらいたいという心境になるものでしょう。ところが、自慢でも何でもなく、ぼく自身は誰かに何かを聴いてほしいと思ったことはあったでしょうが、それを実践したことはないと思う。自分の言い分を、必要ならば、ぼくはきっと言葉にしていたからでした。あるいはこっちの方が本当かもしれませんね、誰かに聞いてもらいたいほど、ぼくには深刻な「悩み(worries)」がなかったということです。しばしば、ぼくは「真面目は恐い」と言い触らしてきました。余裕や遊びがないと、生きることがつらくなる、そんな経験をした人は多いでしょう。真面目よりも正直に、それがぼくのモットーみたいになっていた。よく言えば、ぼくは「冗談の多い」人間だったことになります。深刻ぶるのは性に合わないし、仮につらい目に遭っても、「気分を変える」そんな方法をいつだって見つけ出していたと思う。「雨の日には笑え!」って。(もちろん「線状降水帯」に襲われて、笑ってなんかはいられませんが)
「ああ、将来、どうしよう。私、仕事できるかな。不安で、不安で、でも、誰にも相談できなくて、何か『通気口』がほしい。そう思って、朝日新聞の人生相談コーナー『悩みのるつぼ』に投書した」とコラム氏は、一人の女性の煩悶ぶりを紹介している。「〈自分らしくいればいるほど浮いてしまうのは、どうしたら良いでしょうか〉」という「苦衷の想い(bitterness)」を新聞に投書された。ぼくにはできないことだと、こんな人を見て、いつだって驚くばかりです。新聞への投書ができるほどに、相談者は世界(世間)への通用・通気口を持っておられたからでした。そしてまた、回答者は美輪明宏さんだったことも、相談者にはよかったかもしれません。

「〈誰に恥じることもありません。そう。あなたは、それでいいのです〉」といかにも美輪さんですね。これが「説教好き」の回答者だったり、こうしなければという「高飛車」な回答者だったらどうだったか。もちろん「悩みのるつぼ」もまた、「新聞種」の一つですから、ぼくは、あくまでも「話半分」として読んだ。新聞に投書するのですから、この相談者は自分で物事を判断できる力があると思えば、回答者もそれを知ったうえで回答するのでしょう。面倒ですから、端折りますが、紙上における「人生相談」というのは、ある種の「その場しのぎ(の読み物」」みたいなもの、ではないですか。でも、だからと言って、何の効果もないというのではありません。似たような状況にある読者がそれを読んで、意外な力を与えられることはあり得るからです。(でなければ、百年以上も新聞欄(コラム)で続くこともなかったでしょうから)

「新聞を読んで、涙がこぼれた。自分の人生を肯定してもらった気がした。切り抜いて、何度も読み返した。大切な宝物、踏ん張るときの支えができたと思った」そうだったんですね。よく、世間では「あの人は自己肯定感が強い(弱い)」と言います。ぼくにはよくわからない「感情」です。自己中心でもなければ、他人本位でもない、自分を尊重する心持を言うのでしょうが、なかなかにわかりづらい感情だと、今だってぼくは思っています。
ところで、我が強い、我を張る、そんな人は嫌われるのでしょうけれども、にもかかわらず、世の中には「ガンバル」「ガンバレ」がいつだってどこにだって蔓延(はび)っている。「頑張る」は「我を(に)張る」でしょう。元来は「眼張る」という意味からだったとされます。とにかく、この「ガンバル」はぼくのもっともも嫌いな言葉(表現)です。自分の口から「頑張ります」といったことは、おそらくないでしょう。それくらいに、言うのも聞くのも嫌な言葉だし、誰かが頑張ると、その分、誰かが迷惑したり悲しんだりするのではないでしょうか。
〇 がん‐ば・る〔グワン‐〕【頑張る】読み方:がんばる
[動ラ五(四)]《「が(我)には(張)る」の音変化、また「眼張る」の意からとも。「頑張る」は当て字》
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」(デジタル大辞泉)

コラムで紹介されている女性は「頑張る自分」を願っていたのでしょうか。そんな自分をうまく制御できないままに「落ちこむ」ことに窒息しかかっていたのかもしれません。「人との付き合いがうまくいかない。大学院に通っていたが、言葉に傷つき、体もしんどくて、休学し、自宅にこもっていた」のは、世間に自分を合わせようとしていたからだったかもわからない。「〈自分らしくいればいるほど浮いてしまうのは、どうしたら良いでしょうか〉」仔細はぼくにはわかりません。しかし、「自分らしく」という、そのこと自体がなかなかにめんどうなことです。いくらかの時間をかけてみて、ようやくわかる気がする、そんなものでしょう。「自分(汝)自身を知れ」という、ある種の哲学的な問いは、いつの時代にあっても問われ続けてきました。
「私はシンデレラじゃなくて」と漏らされたという。どういう意味でしょう。世間から自分は「継子」扱いを受けていると思い込んでいたのか、あるいは「成功譚」を夢見ていたのでしょうか。勝手な推測に流れますが、「世間から継子扱いを受けている」と疑えば、なかなか生きづらさは消えないし、「シンデレラ」になるという夢物語に浸っていたのだとすれば、これもまた、滅多に実現することはなさそうです。人生は、いつだって「道半ば」だという意識を失わなければ、この先も、何んとか折り合いがつけられるのかもしれません。ゆっくり歩く。
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〇 シンデレラ(しんでれら)(Cinderella)= 昔話の女主人公の名。本来は口伝えの継子譚(ままこたん)だが、フランスではシャルル・ペローが『過ぎた昔の物語ならびに小話』(1697)のなかに『サンドリヨンまたは小さなガラスの靴』として再話している。継子が家のつらい仕事ばかりさせられ、台所の灰の上に座っているので、サンドリヨン(灰かぶり)とよばれる。王子が舞踏会を催すと、継母の実子たちは正装して出かける。継子も行きたくて泣いていると、名付け親である仙女が現れ、カボチャを杖(つえ)でたたいて馬車にし、二十日鼠(はつかねずみ)を馬に、太った鼠を御者に、トカゲを従僕に変身させ、継子の服も豪華なものに変えて、舞踏会に行かせる。そこでは王子に注目されて、ともに踊るが、夜中の12時前に帰宅して、元どおりの姿になる。翌日も美しい姿で行って踊るうち、12時の鐘が打ち始めたので急いで帰る。そのときガラスの靴の一方を置き忘れ、王子は、その靴に足のぴったりあう娘を妻に迎えるという。高貴な女性には靴があわず、嘲笑(ちょうしょう)のうちに継子が履くとぴったりあう。名付け親が現れ、服を杖でたたくとふたたび豪華な服になる。継子は王子の妻になる。ドイツではグリム兄弟が、その口伝え童話集のなかに『灰かぶり』Aschenputtelと題してドイツの類話を入れている。(↷)

この型の継子譚は世界的に分布があるので、変化も多い。継子の祭り見物を妨害するために、継母が継子に、灰の中から豆を選び出すなどの難題を課するが、いつも親切にしてもらっている動物たちがきて手伝ってくれるという話もある。また、実母の墓に生えた木から美しい着物などが与えられるという話もあり、これは、日本の御伽草子(おとぎぞうし)の『鉢かづき』のモチーフに通じる。シンデレラの発見は、王子のスープに入れた指輪によるということもある。スウェーデンのビルギッタ・ルートの研究によれば、この話はオリエント起源で、西と東に分かれて伝播(でんぱ)したものと考えられている。日本の昔話では「米福糠福(こめぶくぬかぶく)」がこの系統で、「姥皮(うばかわ)」も部分的には対応がみられる。(日本大百科全書(ニッポニカ))

〇 落窪物語(おちくぼものがたり)= 平安時代の物語。4巻。題名は、継母が姫君を寝殿の一段低い部屋に住まわせて落窪の君と呼ばせたことによる。成立時期、作者とも未詳であるが、およそ一条(いちじょう)朝の初期、寛和(かんな)~正暦(しょうりゃく)(985~995)ごろ、男性によって書かれたものと考えられる。
内容は、継母に虐待される薄幸の姫君が左大将の子息に救われて幸福になるという継子(ままこ)いじめの物語。中納言(ちゅうなごん)には北の方との間に2男4女、亡き王孫の女君との間にも美しい姫君があった。北の方はこの姫君を寝殿の落ち窪んだ部屋に住まわせ、召使い同様の仕打ちをして虐待した。姫君の忠実な侍女阿漕(あこぎ)は左近少将の乳母子帯刀(めのとごたてわき)と恋仲であったので、姫君のことは少将の知るところとなり、やがて少将は阿漕の手引きで姫君と契りを結んだ。継母は姫君を一室に監禁し、好色な老人典薬助(てんやくのすけ)に与えようとしたが、姫君は阿漕の機転で難を免れ、少将に救出される。少将は継母への復讐(ふくしゅう)として、四の君の婿に面白(おもしろ)の駒(こま)という痴者(しれもの)を逢(あ)わせたり、継母一行の清水詣(きよみずもう)でや賀茂祭(かもまつり)の見物を妨害したり、中納言が移ろうとした三条殿を先取りしたりした。その後、中納言は姫君と対面して事の顛末(てんまつ)を知り和解する。少将は中納言のために七十の賀を催したり大納言に推挙したりし、継母にも大納言死後の邸(やしき)を伝領させた。少将はますます栄達し、姫君は3男2女をもうけ幸福を極めた。
以上の内容から、この物語の構成は、第1部継子いじめと少将の救出、第2部継母への復讐、第3部少将、姫君の栄華と中納言方への心尽くし、という3部に分けられよう。全編に勧善懲悪的な道徳観や一夫一婦の理想性や権力謳歌(おうか)的な性格などがみられるが、しかしこれらは副次的なもので、この作品の主張ではなく、むしろ作者は主観的な思想感情を抑え、冷静な知的態度で即物的に筆を運んでいる。その点、継子いじめという類型的な話型を枠組みとしつつも、叙述は写実的、現実的で、『源氏物語』出現以前の構成の整った王朝家庭小説として、物語史上の価値は少なくない。
伝本は、九条家旧蔵本など室町期にさかのぼる写本が数本あるが、大部分は江戸期の写本で、共通の祖本から派生したものと認められる。版本には寛政(かんせい)6年(1794)版、上田秋成校の寛政11年(1799)版がある。(日本大百科全書(ニッポニカ))
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参考資料として、美輪さん(本年6月20に死去)のある時の「相談者」への「回答」を出してみました(2025年6月21日号)。回答そのものにも「賛否」があるでしょうが、美輪さんは「当節の誹謗中傷」罹患者に対して、一刀両断ぶりを発揮されていました。ある時期、それもごく初期の美輪さん(当時は丸山姓)に魅了されたことがありました。それにしても、美輪さんは「一を以て之を貫く」、そんな生き方をされましたね。

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