季節を先取りしますが(重陽・十句)

 歳を取ったということでしょう、「今日は何の日」ということにまったく興味が湧かない。過ぎてしまえば、いつも通りの「一日」です。それで不満も喜びも感じることはないのですから、「やれやれ」という気分になるのでしょうか。一時間は一時間、一日は一日、同じだというのではなく、それに身を任せる心持ちは常の心という程度のものです。気が付けば本日は「重陽の節句」だとか。この一か月や二か月は、劣島各地で「災害」が降って湧いたり、地下中から突き上げ、飛び出したりで、それこそ、「応接に遑(いとま)なし」の体でありました。どこそこに地震だ、彼の地では集中豪雨だなどと訊けば、まるで「わがこと」のように、気ばかりは漫(そぞ)ろになり、安閑としておられないのです。これもまたもって生まれた性分かと、自らを慰めるほかに手もないことではありますね。8月9月の砌(みぎり)は、それこそ連日のように集中豪雨に痛めつけられ、まさに天井が破れ、床が抜けたような日々の連続でした。今日もまた、何とか無事に過ぎることに、事々しい関心を持つのですから、いったいどういうことでしょうか。

 この季節、京都時代には、しばしば見事な菊花を観賞したことがあります。子規ったか、「菊」は見ないで「菊人形」とかいう句がありましたが、ぼくは反対に、菊人形は見たことはありませんし、ぼくの好みには合わなものでした。作りすぎという、わざとらしさが嫌でしたね。近所の庭先に、それこそ「丹精を籠めた」菊花を見るだけで、もう胸がいっぱいという気分になったものです。ぼく自身は一度だって菊を育てようとしたことはなかった。ぼくにはそれだけの根気も愛情もなかったということかもしれませんが、それでも観賞することは欠かしすことはありませんでしたね。

 本日は9月9日、いわゆる「重陽の節句」です。旧暦では10月19日に当たります。近所に菊花を育てている粋人がおられるのかもしれませんが、まだ未見です。もう少しすると、よく行くスーパーなどでは「菊花展」が催されることがあります。何度かその折に目にしたことがあります。でも、「菊花」を展示するには場所柄が、とか何とか言って、ゆっくり堪能することもできず。結局は、いにしえの多くの俳人・文人の秀句佳句の痕跡に縋(すが)るという芸のなさです。ひたすら鑑賞に浸るのみ、それでぼくは満足する。旧暦の「重陽」にはかなり早いのですが、よりどり10句、ぼくの偏向した好みで選んでみました。解説は無用でしょう。

・山中や菊は手折らぬ湯の匂ひ(芭蕉)

・菊の香や奈良には古き仏たち(芭蕉)

・わがいのちさびしく菊は麗はしき(秋櫻子)

・白菊のしづくつめたし花鋏(蛇笏)

・白菊のあしたゆふべに古色あり(蛇笏)

・これよりは菊の酒また菊枕(青邨)

・重陽や天日変はりなく廻り(福島清恵)

・小座敷や袖で拭ひし菊の酒(一茶)

・重陽や嵯峨野直ぐなる道あらず(長田等)

・重陽の日と知るのみの菊を買ふ(川上百合子)
季節のことば(ちょう よう 【重陽】)筆者: 三省堂編修所 2007年9月9日

どういう意味?

『全訳読解古語辞典辞典 第三版』には、「(易で陽の数である「九」が重なるところから)陰暦九月九日の節句。菊の節句」とあります。
もう少し詳しく…
『全訳読解古語辞典』では、語釈のあとに「読解のために」というコラムがあります。そこでは以下のように書かれています。
易では奇数を陽とし、偶数を陰とする。五節句の一月七日(=人日じんじつ)、三月三日(=上巳じょうし)、五月五日(=端午たんご)、七月七日(=七夕)、九月九日(=重陽)の、いずれも奇数月・奇数日であるが、九は陽数の極であるところから、九月九日を特に重陽と呼ぶのである。(後略)
ちなみに…
同じく『全訳読解古語辞典』で「菊」をひいてみるとその周辺には菊の節句にまつわるいろいろなことが載っています。
「菊」には「①植物の名。中国から渡来し、奈良時代にはすでに、重陽(ちょうよう)の節句(=陰暦九月九日)に不老長寿の薬とされる菊酒を飲むことが宮中で行われた。『万葉集』の歌には詠まれず、秋を代表する花となるのは平安時代から。とくに白菊が、寒さで赤く変色するのを賞美した」との情報が。
「菊の酒」「菊の露」(菊の花の上にたまる露)は長生き、「菊の綿」(菊の花にかぶせて、花の香と露をしみこませた綿のことだそうです。なんとステキな!)は体をぬぐうと老いをぬぐいさる…「菊」の効用が「古語辞典」でわかるというのはおもしろいですね。(ことばのコラム:https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kisetsu05)

〇重陽= 9月9日の節供。陽数(奇数)の極である9が月と日に重なることからいい,重九(ちようきゆう)ともいう。中国行事の渡来したもので,邪気を避け,寒さに向かっての無病息災,防寒の意味もあった。菊花宴ともいい,685年(天武14)を起源とするが,嵯峨天皇のときには,神泉苑に文人を召して詩を作り,宴が行われていることが見え,淳和天皇のときから紫宸殿で行われた。菊は霊薬といわれ,延寿の効があると信じられ,この日,菊酒を飲むことも行われた。また,茱萸(しゆゆ)(カワハジカミ)の袋を柱に菊とともにつけ,悪気を払う風習もあった。5月5日の薬玉を,この日に茱萸袋ととりかえるのが平安時代の後宮で行われている。また,宇多天皇のときをはじめとする菊綿(きくわた)と称する風流な慣習がある。8日の夜に綿を菊花にかぶせ,その露にぬれた菊の香のする綿で9日の朝,肌をぬぐうと,老をすてるといわれ,これを贈物としたことが《紫式部日記》などにくわしい。平安末期には,天皇の出席もなく,平座(ひらざ)が多くなった。(改訂新版 世界大百科事典)

++++++++++++++++++++++++

 今ではことさら「重陽の節句」を祝うということはなくなったでしょうか。「菊酒」とか「栗ご飯」など、それを思わせる、微(かす)かな痕跡は残りますが、さて、この先はどうなりますか。よく「麗しい伝統」とか我が国固有の「順風美俗(「すなおで人情の厚い、美しいい風俗・風習」デジタル大辞泉)」などと、多くの人々は日本の「文化」を寿(ことほ)ぎ、論(あげつら)うものです。言われるまでもなく、どこの社会にも、そのような「美点」とされるものはあるんですがね。

 考えてみるまでもなく、この国に長く残されてきた「伝統」「慣習」「年中行事」の、その多くは、極めて早くから印度や中国、あるいは韓半島からの伝来(舶来)ものでした。さらに明治以降には怒涛のように洋風の文明が流入していきました。早期のものは「和漢混交」とでもいうべき受け入れ方であったし、ことに明治以降は「西洋技術、東洋道徳」(佐久間象山)という呪文で、いわば近代国家の一員たろうと必死でした。統治の方法や機能・制度だった。都は洛陽・長安に似せて作られ、政治の方面では「天皇制」なども、その最たるものだったとぼくなどは考えますが、だからどうだというのではありません。日本の独創に与る(あずか)ものは皆無ではないでしょうが、その大半は輸入されたもので、それを、いわば「和風」に拵(こしら)えあげたところに、この国の「賢(さか)しら」があるのではないでしょうか。洋服に下駄とか、丁髷(ちょうんまげ))に背広、これなどは最も異国人が「異(い)なり」として関心を持つのではないでしょうか。和洋折衷をして日本の「ゆかしい伝統」となる図ですね。それはそれでいいのですが、いわば「加工文化」、それがこの国の伝統だったと言ったらどうでしょう。インバウンドが引きも切らないのは、「円安」だけではないといわるるかもしれませんが、さて、そうでしょうか。

IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII