【新生面】スイートホーム テレビアニメや絵本にもなった、こなみかなたさん作の漫画『チーズスイートホーム』は、好奇心旺盛な子猫のチーが主人公だ。親きょうだいとはぐれ、迷い込んだ公園で山田家に保護される▼母猫を思い「おうち かえう(帰る)」と鳴いてばかりのチーだが、次第に山田家を「おうち」と認識するようになる。その後も方々で迷子になっては他の猫に助けられ、おうちに帰るのが定番のエピソード▼こちらからも助けを求める鳴き声が聞こえるようだ。熊本地震後、県内でペットの犬猫が数多く迷子になっている。発生から約1カ月間に動物愛護センターや保健所に寄せられた行方不明の相談は計272件。半数以上はまだ見つからず行政や民間団体が捜索を手助けしている▼突然の激震に驚いて、壊れた扉や窓から外に出てしまうケースが多いという。懸命に捜す飼い主はもちろん、犬や猫たちもさぞ心細かろう。交流サイト(SNS)や本紙のミニ広告にも情報を求める投稿が相次いでいる。何とか見つけ出して、家族の元へ帰してやりたい▼今回は無事だった飼い主も備えを再確認する必要がありそうだ。連絡先を書いた迷子札は欠かせない。個体識別番号入りのマイクロチップ装着も推奨されている。GPS機能付きの首輪もあると聞く。しっぽの形や体毛の柄などの特徴を細かく撮影しておけば、痩せて顔つきが変わっても判別できる▼ペットもスイートホームの一員だ。命尽きるまでずっと一緒に。その願いを全うできるよう手を尽くそう。(熊本日日新聞・2026/09/08)

ぼくは、ある時期からテレビも漫画も見たり読んだりしない人間になりました。だから「チーズスイートホーム」についても何も知らない。コラム「新生面」で書かれているだけの内容を知っても、少なくとも猫とともに暮らす生活がどんなものかは、いやでもわかります。拙宅には、今でもおよそ20匹の猫たちがいる。もともとは「野良」の親から生まれた猫たちだし、「野良猫」も、その前は飼い猫だったと思われます。
拙宅の隣の家に、たくさんの猫がいることを知ったのは、ここに越してきて何年かたってからだった。 その家のかみさんが「うちにたくさんの猫がいるのを知っていますか」と奇妙な聴き方をしたのを覚えている。その当時でも少なくとも20匹は超えていたはずです。満足に食餌を与えていなかったことがその後に判明します。たくさんの猫と暮らしてわかるのは、次々に生まれるのは同じ両親からではない、猫同士は全くの他人、あるいは片親が同じというケースがあったりする。言いたいのは、一緒にいると「相性が悪くて喧嘩」「弱い子は追い出される」、こんなことがよくあるのです。家の付近をうろうろしている猫に、五年遅れで越してきたかみさんが「食餌」をやるのを見て、面倒なことになるなあ、と嘆息したことを覚えている。その後からは、次々に林の中で産んだ子どもを家に連れてきたり、親ともどもが家にやってきて、多い時では20を超えたことがありました。しかし、家にいつかないで外で寝る子も出る始末。食事だけは家で摂るのですが、ほとんどは外で生活する。拙宅に猫がき出してから7年ほどが経過します。少なくとも家に来た猫たちは全員が避妊や去勢の手術をしている。

何日も家に帰らず、ついに行方不明になる猫たちもしばしば出る。だから、家にいる・くるネコである限りはいつだって満腹状態にしておこうというの、ぼくの猫との付き合いの第一原則です。今では、隣の家の猫や、そこを追い出された猫も、食餌時には必ずやって来る。家の猫たちと分け隔てなく、欠かさずに食餌を与えています。猫の食餌代だけでもなかなかのものです。当節の「物価高騰」時代では、猫用品は浅ましいほどの値上げが続いています。足元を見るというのか、人間の分を減らしてでも食べさせてやりたいという気になります。「猫と暮らす」であって、ぼくは「猫を飼う」という気持ちになったことはない。結果的には一緒じゃないかといわれそうですが、それははっきり違うといいたいですね。ぼくにとって、猫はペットではない、愛玩すべきもの(存在)じゃないんですよ。「猫と暮らせば」、この世は天国とは思いません。猫が家に来て以来、七年間、夫婦のどちらかが必ず家にいる生活を続けています。夫婦で一緒にどこかに出かけることは全くない。(ここに越す前にもいつだって猫たちが多く、我が家にいました)
漫画やアニメで描かれるものを茶化す気もなければ、過大に評価するのでもありません。漫画やテレビアニメとは比較を絶した「ともに暮らす」の明け暮れには、想像もつかない「恩典」というか、一種の「余禄」がある事だけは確かでしょう。余禄(余得)とは、人間との付き合いだけでは学べない、猫からの贈り物がいつでもあるということ。世話とか面倒というのも、その「余録」の一種でしょうか。
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<猫のいる日常に共感 「こねこのチー」フランスで人気 「チー、ボンジュール!」。海外での日本製アニメ・マンガに対する見方を変える作品となるか。常人離れした主人公が異世界で戦うファンタジー、ではなく、猫のいる家庭の何げない日常を描いたアニメ「こねこのチー」(原作マンガ「チーズスイートホーム」=こなみかなた作、講談社刊)がフランスで人気だ。7月にパリで開かれた、アニメや漫画など日本文化を紹介するイベント「ジャパンエキスポ」はチーを公式ゲストとして招待。着ぐるみのショーに大勢の子供が声援を送り、キャラクター文具や日用品などが並んだ物販コーナーもにぎわった。/「こねこのチー」は、親兄弟と生き別れた猫のチーがマンション住まいの山田一家に拾われ、猫の目から見た人間の暮らしなどを描いた作品。現在3DCGアニメがテレビ東京系列で放送され、Amazonビデオでも配信されている。(左写真;「」ジャパンエキスポで踊る「こねこのチー」=2017年7月、フランス・パリ(講談社提供))
講談社によると原作は米国や中国など23カ国・地域で累計350万部を出版。2010年から出されたフランスでの評判は特に高く、「名探偵コナン」「ドラゴンボール」などを抑えて2016年まで5年連続で子供向けマンガのセールス1位を記録しているという。ジャパンエキスポの企画を担当した講談社ライツ事業部の北本かおり副部長は「若者に人気のバトルものとは異なる、広い層に親しまれる21世紀の古典に育てたい」と期待する。

もともと猫を飼っている家庭が多いフランス。エキスポ会場でチーのデザインTシャツを買った女性(24)は、「チーはうちの猫と同じようなしぐさをして可愛い」とほほえんだ。フランス語版を出版するグレナ社のブノア・ユオ漫画部編集長は「作品で描かれた家庭の姿が、自国のことのように違和感なく受け入れられ共感を集めている」と話す。フランスではチーのヒットの影響で、ほかにも猫を主人公にしたマンガが生まれているとい>。(朝日新聞・2017年8月16日)(右写真;「フランスの子供たちには身近な存在のチー。絵本やマグカップ、文房具など様々なキャラクターグッズが作られていた=2017年7月、フランス・パリのジャパンエキスポ会場」)

〇 TVアニメ= 本作『今日のこねこのチー』は、TVアニメ『こねこのチー ポンポンらー大冒険』を原作としている。原作TVアニメ版は2016年10月2日から2017年9月24日にかけてテレビ東京系列で放送された。これは、こなみかなたの『チーズスイートホーム』のTVアニメ版『チーズスイートホーム』シリーズの第3期にあたり、第2期『チーズスイートホーム あたらしいおうち』の続編で、第4期『こねこのチー ポンポンらー大旅行』に続く。監督は草野公紀、キャラクターデザインは鴻巣智、皆川恵美香が務めている。キャストは、チーをこおろぎさとみが演じている。(漫画ペディア)
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「降る雪や明治は遠くなりにけり」(中村草田男・昭和6年、作者30歳の作)父の仕事(外交官)で中國厦門(アモイ)で出生。三歳で帰国。後に、松山で成人。大学休学中に虚子に師事、「ホトトギス」で活躍。水原秋櫻子の指導を受ける。中村さんについては、この駄文録で何度か言及しています。ぼくの大好きな一句に「はまなすや 今も沖には 未来あり」が。

それはともかく、です。「文化の日」を「明治の日」にしたいそうです。変えたらどうでしょうか。今時、永田町国会に屯(たむろ)している「総与党」の輩(あるいは「親族(うから)」かもしれません)が、そう願っているそうです。圧倒的多数の議席を支配しているのですから、自由にどうぞという気分です。休日とか祝日とか祭日とかいうけれど、「明治の日」を作りたいというのは、要するに、過去の「栄光」(があったかどうか、ぼくには疑わしいのだが)の気分(感覚)だけでもを取り戻したいという「歴史離れ」した連中の寝言です。でも、寝言は「本音」であることもないわけではないのですから、面倒なことになるのです。あるいはいっそのこと、「明治節」とか「明治天長節」としたらどうでしょう。それに倣ってて、「大正節」「昭和節」「平成節」と、元号を愛(め)でる「祝日」を、それこそ「粗製乱造」したらいい。どこかの国などから、何を馬鹿なことをするのか、そういわれても気づかないでしょう。太陽歴を廃止して「太陰暦」に変更すこともお忘れなく。

草田男さんの「明治は遠くなりにけり」をよく鑑賞すると、何が見えてくるか。そこからは決して「安っぽい感傷」などは見ることはできない。ひたすら「月日の経つのは夢のうち」という浦島太郎の心境でもないでしょう。この句は昭和6年、卒業以来20年ぶりに母校(都内南青山小学校)を訪れたときの、折からの降る雪に促されて、懐旧の情、もだしがたく、雪の降る校庭を急ぎ足で行きかう、雪に遊ぶ子どもたちに、ふと我に返らされた、草田男さんの歴史意識だったと思う。昭和6年9月「満州事変」が起こります。日本軍の謀略(による南満州鉄道の爆破)が発端でした。
ここで一休み。以前にも触れましたが、 鴎外の評論に「歴史其儘と歴史離れ」という小文があります。ぼくの好きな一編です。鴎外は小説家であり、しばしば歴史小説を書いています。つまりは「歴史(事実)と小説」という問題に関するエッセーです。特に「山椒大夫」執筆した経験・意識を材料に、この主題を早口で論じています。
「わたくしの作品は概して dionysisch (情念的)でなくつて、apollinisch(理性的) なのだ。わたくしはまだ作品を dionysisch にしようとして努力したことはない。わたくしが多少努力したことがあるとすれば、それは只観照的ならしめようとする努力のみである」と鴎外は述べます。これはニーチェの「悲劇の誕生」に詳しく使われていた「概念」であり、ある種の「芸術論」でしょう。この二者を総合したと解されるのが、ワグナーの「楽劇」だとされます。ぼくにはよくわからない音楽でしたね。理性と情念、ですね。
【国原譜】現在は「文化の日」となっている11月3日。この日に「明治の日」を併記する、祝日法改正に向けた動きが進んでいる。来年の施行が目標という。/運動の主体は超党派の議員連盟。年間16日ある「国民の祝日」の中に「昭和の日」(4月29日)があり、これにも関係しているようだ。/4月29日は昭和天皇の、11月3日は明治天皇の誕生日だ。1927~1947年には、11月3日は「明治節」と呼ばれていた。戦後の日本国憲法の公布を受けて「文化の日」になった。/日本映画の傑作に数えられる2本、『東京物語』(1953年)と『ゴジラ』(1954年)が公開されたのも11月3日だった。偶然でもあるまい。/「あの戦争」の終結とともに「明治節」は記憶の片隅に追いやられたのであり、復活を望む声も大きくはないだろう。ただし、歴史にはしっかり刻まれるべきだ。/それにしても、なぜ「明治の日」か。「一世一元の制」を尊重して「大正の日」もつくるのか。愚案だけれど、「明治の日」は9月8日にしてはどうか。1868年のこの日が「明治」改元の日(旧暦)だから。(北)(奈良新聞・2026/09/08)

つまりは、現在国会に議席を占めているほとんどの議員諸君は「ディオニュソス的(「情念」「狂気」(陶酔」などなど)」にいかれているのであって、小さな国の小さなサークルが「世界」そのものであるという、まさに「神話」か「物語」あるいは「作り話」の世界の住人なんですね。もちろん、ぼくはそんな世界に住むのはお断りですよ。「歴史」ではなく「歴史物語」をこよなく愛する(偏愛する)人々は、きっと司馬遼太郎さんが大好きだと思う。「小説」で描かれた世界が「自分の住む世界」であると、見事に錯覚するのです。一人で錯覚するならまだしも、国民を巻き込もうとするのですから、質が悪いし、今から見れば、司馬さんも「罪作り」な作家でしたね。ニーチェいうところの「アポロン的」なものとは、「秩序」「理性」とでもいうような、「事実」に立脚した「歴史館」を尊重する姿勢です。

面倒なことは言わないつもりです。大きな犠牲を払って、今日までたどり着いたのに、もう一度「明治の御代」に戻り、その歴史を踏襲するつもりなのか、いや、明治の一時期に戻ったまま、一歩も進まないで、小さな狭い世界に閉じこもり、要するに「鎖国」状態を国是としたいのでしょうかね。ぼくはご免被るよ。あくまでも「猫と暮らせば」を続けたいし、そうであるなら、大事な時には目を覚ましていなければならないんですよ。猫を見ていると、やはりアポロん的、それが目を覚ましているということですね。過去のある時代に拘る、そこに「理想郷」を観るのを「イデオロギッシュ(ideologisch)」という。過去に拘(こだわ)る、未来を観ない、それは「教条主義」というものでしょう。国家主義もまた、一つの(イデオロギー」にほかなりません。
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