赤い花なら 曼殊沙華 和蘭屋敷に …♪

 河川敷 まっかっか 高知県四万十市入田でヒガンバナ見頃 
 
 四万十市入田の四万十川河川敷でヒガンバナが見頃を迎えている。春は一面の菜の花でにぎわうスポットは秋、真っ赤に染まり、訪れた人を楽しませている。
 河川敷には柳の木が点在し、地面を覆い尽くすように自生のヒガンバナが群生。柳の木陰で赤が明るくなったり暗くなったりして、波打つような空間をつくり出す。秋風に乗って遠くからツクツクボウシの鳴き声が聞こえ、季節の変わり目を感じさせる。
 高知市から友人2人と訪れた会社員、西川知佐さん(54)は「初めて来たけど、すごい、圧巻。一度にこれだけのヒガンバナを見られてよかった」と夢中で写真に収めていた。
 市観光商工課によると、9月いっぱい楽しめる。(ヘッダー写真:柳の下に広がるヒガンバナ(四万十市入田、森本敦士撮影))(富尾和方)(高知新聞・2026/09/29)

 生まれてこの方、自然の草花に親しんだなかで、このヒガンバナ(彼岸花)がもっとも早いものだったかもしれません。能登半島の田舎に生まれたので、至る所が自然そのもので、ひときわ鮮やかな赤い花で、幼い子どもの目を引いたのかも知れない。後年には、菜の花や桜などに強く惹かれますが、この曼殊沙華(マンジュシャゲ)だけは特別の花として、長く記憶に残りました。その思い出の中には、決して縁起のいい花ではないという知識も埋め込まれていたと思う。「しびとばな」「てんがいばな」「ゆうれいばな」「すてばな」などとというおぞましい呼び名は、小さいものの怖気を誘ったものと思う。

 加えて、少し年長になって覚えた流行歌に「長崎物語」(昭和十四年発表)がありました。このことについてはどこかで書きましたが、ぼくの中に強烈な印象を残しました。この流行歌を覚えたのは5歳くらいだったでしょうか。「赤い花なら曼殊沙華 オランダ屋敷に雨が降る」今でも流行歌は好きですが、少しでも歴史性がある曲なら、どれも大好きですね。作詞家の「観念からの作詞」にはほとんど興味はありません。

 拙宅の近所の田んぼの畦道(あぜみち)にも、至る所に「彼岸花」が咲いています。その理由はいくつかありますが、何よりも球根が含んでいる「毒性」でネズミや他の動物の被蓋から稲や野菜類などを守るということのようです。しかし、その毒性をとり除けば、そこに含まれるデンプンが食料にもなったのですから、何かと大事な植物だったことがわかります。

 夜来の雨はまだ降り続いて言います。しかし風はほとんどなく、台風26語は、おとなしく、少しばかりの雨をもたらして、南海上に消えてくれるのでしょうか。そして、まだ安心するのは早いので、次の台風候補が発生しつつあるという。房総半島は、25号の痛手も癒えぬ間に、次々に台風の洗礼を受けているのです。台風よ、もう来るな! 来てもいいけど、これ以上の「暴風豪雨」はいらないぞ!

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◎ まんじゅしゃげ【曼珠沙華】=〘 名詞 〙 (「まんじゅしゃけ」とも ) ( [梵語] mañjūṣaka の音訳 ) 仏語。赤色(一説に、白色)で柔らかな天界の花。これを見るものはおのずからにして悪業を離れるという。四華の一つ、紅蓮華にあたる。日本では、彼岸花(ひがんばな)をさす。《 季語・秋 》 〔いろは字(1559)〕 〔法華経‐序品〕(精選版 日本国語大辞典)

◎ ひがん‐ばな【彼岸花】=〘 名詞 〙 ヒガンバナ科の多年草。中国原産といわれ、古く日本に渡来し、本州以西の各地の土手、路傍、墓地などの人家の近くに生え、また、まれに栽培もされる。高さ三〇~五〇センチメートル。地中にラッキョウに似た鱗茎があり外皮は黒い。秋、葉に先だって花茎が伸び、頂に六個の花被片をもつ赤い花が数個輪生状に集まって咲く。花被片は長さ約四センチメートルの披針形で外側に巻き縁がちぢれている。花後、鱗茎から線形の厚い葉を叢生する。古くは救荒作物の一つとされていた。全草に有毒成分を含むが、煎汁を腫れもの・疥癬(かいせん)などに塗ると効果がある。漢名、石蒜。まんじゅしゃげ。しびとばな。てんがいばな。ゆうれいばな。すてごばな。はみずはなみず。《 季語・秋 》 〔和漢三才図会(1712)〕(同上)

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◎ 長崎物語(ながさきものがたり)= ・長崎物語 (曲) – 1939年(昭和14年)に発表された由利あけみの曲。歌詞は「じゃがたらお春」をモデルとしている。・長崎物語 (映画) – 1947年(昭和22年)製作の日本映画。・長崎物語 (菓子) – 長崎県で製菓業を営む唐草が1967年(昭和42年)より製造・販売する菓子。(Wikipedia)

◎ じゃがたらお春(じゃがたらおはる、1625年ごろ – 1697年)あるいはジェロニマは、江戸時代初期に長崎に在住し、後にバタヴィア(ジャカルタ)へと追放されたイタリア人と日本人の混血女性。偽作「じゃがたら文」は、彼女がジャカルタから日本へと宛てたとされる手紙を装って書かれた偽書である。生涯 ポルトガル商船の航海士であったイタリア人・ニコラス・マリンと、長崎の貿易商の子女・マリア(洗礼名。日本名不明)との間に生まれる。筑後町の親類宅に住み、容姿端麗、読み書きにも長けていたとされる。寛永16年(1639年)6月に発布された第五次鎖国令により、同年10月、長崎に在住していた紅毛人とその家族がバタヴィアへ追放された際、母・マリア、姉・お万と共に14歳(または15歳)で離日した。オランダ側の記録では、お春は「ジェロニマ」、お万は「マダレナ」とされている。この時同じ便で日本を離れた者の中には、慶長5年(1600年)にウィリアム・アダムス(三浦按針)らと共に日本に漂着したメルキオール・ファン・サントフォールトもいた。/追放後の1646年11月29日、21歳のとき、オランダ人との混血男性でオランダ東インド会社の事務員補だった、平戸生まれのシモン・シモンセンと結婚。シモンは東インド会社で要職を歴任した後、貿易業を営んだ。お春はシモンとの間に三男四女(または四男三女)を儲け、1697年4月に72歳で死去したという記録が残されている。(同上)

(⁑長崎物語:歌 谷 真酉美 作詩 梅木三郎  作曲 佐々木俊一 昭和14年)(⁑長崎物語(由利あけみ)

 この歌に出てくる「じゃがたらお春」は、この島におけるもっとも早い時期における「ハーフ」だったと思われます。長崎で生きるのはなかなかに困難を極めたと思われます。彼女の生涯については、一度調べたことがあります。ここでは関係もありませんので、そのこおとは割愛します)

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〔今から300年ほど前のおはなし。当時、幕府は、外国人の妻や子を探し出しては、ジャカルタに追放していた。長崎の筑後町に住む娘・お春も、オランダ人の父と日本人の母との混血だったため、役人の目から逃れてひそかに暮らしていた。が、15才になったとき、ついにお春が混血であることがばれ、ジャカルタに連れていかれてしまう。その後も、お春は長崎への望郷の思いを抱きつつ、異国の地で暮らしたという。お春は「日本にかえりたい」という手紙を幾度も出し、当時お春が流された地をじゃがたらといっていたことから、その手紙は「じゃがたら文」と呼ばれるようになった。/-というかなしいお話の碑が、この聖福寺に建っている。この碑の文字は「広辞苑」の編者・国語学者の新村出の筆によるもの。裏には吉井勇の句が記されている。/左上の表紙写真は、福田清人・作、太田大八・画の長崎出身作家コンビによる短編民話集「じゃがたらお春」(さ・え・ら書房)。同書には「じゃがたらお春」のほか、長崎県下に伝わる民話が掲載されている。あとがきには、福田清人の長崎・大村での幼時期の記憶などが若干つづられている〕(「長崎の児童文学散歩」・http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/sanpo/NAGASAKI/Sanpo_OHARU.html)

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田舎と都会と(現代版「都鄙問答」)

【春秋】金なんか望むな。倖せだけをみろ。北の大地の美しさと厳しさを、家族の姿を通して日本中に伝えた。ドラマ「北の国から」を手がけた脚本家、倉本聰さんが亡くなった。物質的な豊かさを追い求める世の風潮を疑い、人間の幸せとは何かを問い続けた人だった▼若くして脚本家として活躍したが、曲折あって東京から北海道へ。42歳で富良野に居を構えた▼原野を歩く中で三つの廃屋に気付いた。浜に鰊(にしん)番屋、山に炭住、荒れ地に離農者の小屋。無念と怨念が漂っていた。基幹産業が時代に捨てられ、地方が国に見放され、忘れ去られて滅んだ跡は創作の原風景の一つである▼1984年のドラマ「昨日、悲別(かなしべつ)で」は、北海道の架空の炭鉱町を舞台に青春群像を描いた。坑内事故で父を亡くしたヒロイン、寂れゆく古里。物語に作者の憤りと悲しみが色濃くにじんだ。かぐや姫の主題歌「22才の別れ」が切なかった▼東日本大震災による原発事故の後、放射性廃棄物をテーマに「悲別」の続編を書き、舞台化した。これ以上「棄民」を生んではならないと、脱原発の立場で発言し続けた▼「北の国から」の最終話で、五郎は純と蛍に伝える。「金なんか望むな。倖(しあわ)せだけを見ろ。ここには何もないが自然だけはある。自然はお前らを死なない程度には充分毎年喰(く)わしてくれる。自然から頂戴しろ。そして謙虚に、つつましく生きろ。それが父さんの、お前らへの遺言だ」。倉本さんが貫いた思いだ。(西日本新聞・2026/09/29)

 倉本聰さんが亡くなられた、その報道で、ここ数日の新聞などは持ちきりです。残念ながら、ぼくは全くテレビを見ない人間ですから、倉本さんの数ある「名作ドラマ」も全くといい程見ていません。だから、倉本さんについて、何かを書くという資格はいささかもないと自覚しています。ただ、高名な脚本家の死去をめぐる報道に、やや違和感を抱いたので、倉本聰さんの評価というのではなく、「時代に生きる混沌」、あるいは「現代社会批判の場所」といった点について、感想めいた愚論を駄弁るだけです。

 若い倉本さんが、東京を離れ、北海道富良野の地に移住する、その端緒となったのは、NHK大河ドラマ「勝海舟」をめぐる、当時のNHK演出家・H.T.さんとの確執があったということになっています。ここでは、その内容には一切触れません。もう何年前になるでしょうか。そのH.T.さんと、たった一回だけでしたが、何時間か親しくお話しをする機会がありました。それは、東京を根拠にする演劇集団の芝居を見物した後のことでした。今はその演劇集団の代表を務めている女優のSさんも同席されていました。何を話したか、内容はすっかり忘れましたが、倉本氏との葛藤にも触れられたと思う。敏腕演出家という評価のある方でしたが、悠揚迫らない、奥の深さを感じたことを覚えています。

 言うまでもありませんが、倉本さんの代表作は「北の国から」でした。それを含めて、ほんの数回、いくつ科の連続テレビドラマを垣間見ただけでしたが、その主張というか、ドラマから発信されるメッセージだけはよく届いたという気もしました。倉本さんのドラマの媒体の大半が「テレビ」だというところに、ある種の「アイロニー」があったと思うばかりです。「アイロニー【irony】《「イロニー」とも》1 皮肉。あてこすり。2反語。逆説。3修辞学で、反語法」(デジタル大辞泉)ここで僕が使う「アイロニー」は、あえて言うなら「皮肉」「逆説」が確かにあったのだと、ぼくには思われたのでした。科学技術(文明)の利器が都会を生み、人間関係を複雑化した、その都会からの離脱を慫慂するような倉本さんの「信条・心情・文明批判」が、その都会や文明のたまものである「テレビや映画であったという点に、ぼく句が感じた「アイロニー」のことです。

 この「北の…」に限って言うなら、その作品のメッセージは西日本新聞のコラム「春秋」氏が指摘されている通りだったでしょう。「北の大地の美しさと厳しさを、家族の姿を通して日本中に伝えた」のだ、と。「物質的な豊かさを追い求める世の風潮を疑い、人間の幸せとは何かを問い続けた人だった」、というのもその通りでしょう。便利の内在させる危うさを説き、不便のもたらす人間への効用を説き切ったといったらどうでしょう。「文明」を謳歌するのではなく、土地に根差して生きる生活そのものを指す「文化」の価値や意味を倉本さんは再発見すべきであるという生き空を、身をもって実践されたのでしたが。

 ぼくは何度か北海道に出かけました。富良野も駆け足で通り過ぎただけでしたが、その空気を吸ったことがありました。もちろん、まだ倉本さんの住居も富良野塾もなかったから、当然「北の国から」も誕生していませんでした。もう半世紀以上も前のことです。以下に、東京新聞の十年ほど前のインタビュー記事を引用しておきました。そこには倉本さんの「時代批評」というか、「日本は大丈夫か」というメッセージのようなものが展開されています。「未来は暗いですよ。真っ暗じゃないですか。若い人たちを見ていると、物質的な贈与は受けていると思います。でも、精神的な贈与は受けていない。贈られているのに、ちゃんと受け取っていないと強く感じます。僕はそれをやろうとして富良野塾を26年間やったんだけど、年を追うごとに吸収、インプットができない若者が増えました」という倉本さんの感慨は、少なくともぼくも抱くところのものでもあります。

 ぼくが惹きつけられたのは、現代若者の「貧弱な精神」のよって来るところは「偏差値教育、知識偏重教育」にあるという、その指摘でした。当然といえば当然ですが、学校教育の歪(いびつ)な機能が、いわば一人一人の人間性の歪さを生んだということでしょう。それはまた、倉本さん自身の学校教育経験から由来するものだったでしょう。偏差値重視、知識偏重という、その「知識」のありよう、与えられようが、今もなお続く、この社会の危機の要因だったというのは仰せの通りだと、ぼく自身も首肯するのです。倉本さん自身がそのような「知識」「学歴」「偏差値」という、ある種の時代宗教の過度・過激な信者(の申し子)のような経験をされています。それではどうするか。答えは一つではないでしょうし、学校教育だけがそれを解決(解消)できるともぼくは考えていません。倉本さんの主張する「徴農制」も一つでしょうが、さて、その方法はどうするか。都会での猫の額のような空き地で「学校菜園」「家庭菜園」でも営むのでしょうか。

 この駄文には結論などありません。一つの現代社会現象を「ドラマ化」した希代の脚本家の死に際して、いろいろな感想、しかもきわめて陳腐な感想が沸いたというだけのことです。都会を離れ、「北の国」に腰を据えたとされますが、彼の仕事・生活は「都市・都会・文明」が存在して初めて成り立ったともいえるわけで、「田舎・田野・文化(農耕・栽培)」もまた、都市文明(civilization=都市に住むこと・都市化)に依拠する人々がいて初めて成り立っているということを明確に示していたともいえるでしょう。要するに「文化」と「文明」の葛藤、それは人間の内部にも存在する「大人(教養)」と「子ども(野蛮性)」にも比肩しうる価値(人生観)の葛藤でもあると思う。倉本さんの生涯もまた、それを如実に示しているようにぼくには見えるのですね。(オフグリッドで「文明生活」ってのはあるんでしょうか)

 〈追悼〉倉本聰さん「9条変える責任が取れるのか」 武器を手にした経験があるから語っていたこと

 テレビドラマ「北の国から」などで知られる脚本家の倉本聰さんが9月18日、多臓器不全のため亡くなりました。91歳でした。東京新聞は2017年9月23日の朝刊で、倉本さんへのインタビュー記事を掲載しました。その内容を再掲します。(年齢、肩書は当時)(東京新聞・2026/09/28)

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 日本のテレビドラマの歴史に残る傑作「北の国から」。脚本を書いた倉本聰さん(82)がドラマの舞台となった北海道富良野市に移住してから、今年でちょうど40年になる。自然の中で人の営みを見詰め続けてきた賢人の目には、今の日本はどう映っているのか。森の中のアトリエを訪ねた。 (大森雅弥)

◆僕は徴農制導入を主張しています
 ──北の国に住んで、ちょうど40年。今の日本をどう思いますか。
 未来は暗いですよ。真っ暗じゃないですか。若い人たちを見ていると、物質的な贈与は受けていると思います。でも、精神的な贈与は受けていない。贈られているのに、ちゃんと受け取っていないと強く感じます。僕はそれをやろうとして富良野塾を26年間やったんだけど、年を追うごとに吸収、インプットができない若者が増えました。
 これは偏差値教育、知識偏重教育から来ていると思います。僕たちは子どものころ、まず道徳や倫理を教えられた。難しいことじゃない。うそをついてはいけない、恥を知れといったことです。今はどうですか。加計学園の問題で、文部科学省の前川喜平前次官がこういう文書がありましたと言っているのに、それを裏付ける証言がなかなか出てこなかった。文科省の職員たちは当初、うそをついていたわけですね。教育をつかさどっている文科省がそうなんだから、後は推して知るべしですよ。
 ──知識偏重ではない教育とはどのようなものですか。
 僕は徴兵制ならぬ徴農制を導入しろと主張しています。若い人たちは土に向き合うべきなんです。なぜ農業か。食うこと、つまり生きることの根源につながるからです。江戸時代の思想家・安藤昌益は万人が額に汗して田畑で働く「直耕」を掲げました。孔子も孟子も釈迦(しゃか)すらも、働かずに観念をもてあそぶ者として拒否した。極論だけど見事だな。僕は男の人と会うときは、つい爪を見てしまう。爪の中は黒くあるべきですよ。土に触れていればね。
 根源的に生きるとは、何も持たない海抜ゼロから自らの力で生きていくことです。そこには覚悟と責任が伴います。知識偏重の社会では、それが欠けがち。原発や憲法の論議にも、それを感じますね。
◆原発被災地、国は真剣に考えていない
 ──原発では何が問題でしょうか。
 各地の原発が再稼働していますね。本当に物を考えていないなという気がします。審査を通ったということですが、核のごみはどうするのかという肝心な問題は解決されていない。再稼働なんてすべきじゃないですよ。
 一方で、既に出てしまったごみはどうするのか。知らないでは済まされないとも思っています。誰かが責任を持って引き受けないといけないのに、誰も言い出さない。安倍さんも地元の鍾乳洞「秋芳洞」に受け入れるとは言わない。
 だから言ったんです。僕はもう80すぎで、いつ死んでもいいから、もしどこかに最終処分場を造って周囲300キロを限定地域にし、医療施設があるなら住みますよと。
 大体、原発事故の被災地について国が真剣に考えていないと思います。復興庁を置くなら、どうして福島県内のがれきの中にしないのか。目の前に都会のネオンが見えているのと、がれきが見えているのとでは、意識が全然違うはずです。
◆9条変えれば 戦争することに理屈がつく
 ──憲法論議についても、違和感を覚えますか。
 理屈でいえば、安倍さんが言うように今のままでは自衛隊は違憲。自衛隊のレーゾンデートル(存在理由)としては困るんでしょう。国としてはおかしいという気はしますよ。ただ、僕としてはおかしいままでいいんだと言いたい。9条が改正されれば、戦争をすることに理屈がついてしまう。戦争が当たり前になっちゃいけないんですよ。あのあいまいさが日本的でいいという気がする。
 ──北朝鮮が挑発を強め、安全保障上の危機を感じている人は増えていますが。
 北朝鮮の核開発により、ここまで危機が迫っているからこそ、あいまいなままでいいと言いたい。戦争はけんかですから、殴られたら殴り返します。歯止めがきかなくなりますよ。ほかの法律だってあいまいだ。なぜ9条だけはっきりさせないといけないのか。
 僕が9条を改正しなくてもいいというのは、単なる平和主義ではありません。自ら武器を手に取って戦うことに向き合った経験があるから言うのです。
 30年ほど前、米ソの関係が危なかった時期がある。北海道の陸上自衛隊名寄駐屯地に講演に行ったら、そこのトップの司令に「本当に危ない。いつ攻めてくるか分かりません」と言われたんです。そこでリアルに考えました。ソ連兵が攻めてきたらどうするか。かみさんと山に逃げるだろう。そして洞穴を見つけて隠れようと。クマはいるだろうけど、クマの方が怖くない。かみさんやマネジャーが捕まったらどうするか。僕は戦う。チェーンソーや下草刈り機なら使い慣れているから武器になると。
 それに、血を見ることに僕はそれほど恐怖心は持っていません。富良野塾で毎年、塾生にニワトリをしめさせてきたから。僕はナイフで羊をしめた経験もあります。命を奪うということの恐ろしさを知っているつもりです。
 ──護憲派も改憲派もそういう経験をしていない。
 護憲派は戦争が嫌だって言うけれど、殺されるのが嫌なのか、殺すのが嫌なのか、あいまいなんですね。あれはね、殺すのが一番怖いんですよ。殺す方がトラウマ(心的外傷)になる。だから米国は遠くから攻撃できるシステムを作り上げてしまった。遠隔攻撃の先で何が起きているか。ボタンを押した方は想像できていない。そういう現実を知って反対しないとだめですよ。
 改憲派は9条を変えるというけれど、みんなそのことに責任取れるんですかね。言っている人たちは軍隊に行く度胸や勇気がありますか。「俺は足が動かないから無理」というのはなし。足が動かなくても車いすでも行かないといけないんだから。
 安倍さんも防衛相も自分が戦場に行くなんて思ってないでしょう。あるいは自分の息子が戦争に行く、自分の妻が強姦(ごうかん)されるなんて想像もしていない。でも戦争ってそういうものなんだから。満州(現中国東北部)から引き揚げてきた人たちは実際そういう目に遭った。
◆今の危機は 「自分で考えるチャンス」
 ──若い人たちに一言。
 日本のお先は真っ暗なんて言いましたが、今の危機はあなたたちが自分で考えるいいチャンスだと思います。国のために戦えるかというアンケートを世界各国で取った時、日本は11%で最下位だった。これでは困る。いざとなれば自分が戦うという覚悟があってこそ、今の憲法をどうするかの議論が生きたものになるでしょう。今のままでは、日本は無政府主義になってしまう。国の成り立ちを考えれば、役人や政治家はあくまで公共のしもべにすぎない。自分たちが主人であるとの自覚を持って、生きてほしいですね。

 くらもと・そう 1935年、東京都生まれ。東京大文学部美学科卒。1959年にニッポン放送入社。1963年に退社し、日本を代表する脚本家の一人として活躍する。1977年には北海道富良野市に移住。1984年から2010年まで、役者や脚本家を養成する私塾「富良野塾」を主宰、多くの才能を育てた。2006年からはNPO法人「C・C・C富良野自然塾」を主宰。代表作は「北の国から」「前略おふくろ様」「うちのホンカン」「6羽のかもめ」「昨日、悲別で」「君は海を見たか」(以上テレビドラマ)「明日、悲別で」「マロース」「ニングル」(以上舞台)「駅 STATION」「冬の華」(以上映画)など多数。テレビ朝日系で放送中の「やすらぎの郷」が話題。

◆あなたに伝えたい
 若い人たちを見ていると、物質的な贈与は受けていると思います。でも、精神的な贈与は受けていない。
◆インタビューを終えて
 会う前はどんなに気難しい人だろうと想像していたが、本物の倉本さんはそういう圧迫感が全くない方だった。
 今から思うと本当に失礼だが、取材中に「先生のような大御所」と言ってしまった。倉本さんはすぐに小さい声で「いや」と否定された。そのたたずまい。名声などとは無縁に、常に一人の裸の人間として生きている人なのだと思った。
 取材の後に「何かお言葉を書いていただけませんか」とお願いすると、「森は無口である 噂(うわさ)話をしない」と書かれた。森の木のようにすっくと立っているから、人間の美しさ、悲しさが見えるのだろう。

(光村図書:「北の国から」中学校2年/平成5・9年度版)(https://www.mitsumura-tosho.co.jp/webmaga/timetravel/c-02-kitano)

◎ 倉本聰(くらもとそう)(1935―2026)= シナリオ作家、放送作家。本名山谷馨(やまやかおる)。東京生まれ。東京大学文学部美学科に在学中から劇団「仲間」の文芸部に所属する。1959年(昭和34)ニッポン放送に入社、1962年にフリーとなり作家活動に入る。映画『月曜日のユカ』(1964)、『冬の華』(1978)、『駅』(1981)、テレビ・シリーズもの『六羽のかもめ』(1974)、『前略おふくろ様』(1975)、『北の国から』(1981)、架空の炭鉱町を舞台にした青春グラフィティ『昨日、悲別で』(1984)、テレビ一話完結の『ばんえい』(1973)、『うちのホンカン』(1975)、集団疎開した子供たちと教師と寮母の生活を描く『失われた時の流れを』(1990)など、作品の数は多い。また『北の国から』のスペシャル版としては『北の国から’83冬』『北の国から’84夏』『北の国から’87初恋』『北の国から’89帰郷』『北の国から’92巣立ち』『北の国から’95秘密』『北の国から’98時代』がある。同シリーズでは、北海道富良野(ふらの)を舞台に繰り広げられる黒板一家の兄妹(純と蛍)の成長を約20年間描き続けてきたが、2002年(平成14)『北の国から’02遺言』で、テレビドラマとしての『北の国から』は幕を閉じる。1977年、東京から北海道の富良野に居を移し、時代とかかわる文明批判を笑いとペーソスで描いている。(日本大百科全書・ニッポニカ)

◎ 都鄙問答(とひもんどう)= 江戸中期の心学(しんがく)者石田梅岩(ばいがん)の主著。4巻16段の問答体よりなり、石門(せきもん)心学の原理論を説いた書。1739年(元文4)刊。第1巻は「都鄙問答ノ段」以下5段、梅岩の思想体験と学問観を中心に、「孝」の道をはじめ四民の道を論じ、総論とする。第2巻は「鬼神ヲ遠(とおざく)ト云事(いうこと)ヲ問(とう)ノ段」以下4段、神儒仏諸思想の一致を説く。なかでも「或(ある)学者商人ノ学問ヲ譏(そしる)ノ段」は、商人の道が士農工の道と同等で普遍的人間の道として、時代の通念であった賤商(せんしょう)論に反論した注目すべき段である。第3巻は全巻「性理問答ノ段」にあてられ、梅岩独自の心学哲学が展開されている。第4巻は「学者行状心得難(こころえがた)キヲ問ノ段」以下6段、学者、僧侶(そうりょ)、医者、商人のあり方や信仰の問題など、多方面にわたる具体例について梅岩の主張を明らかにする。同書は全巻を通じて梅岩の誠実な人格と思索がうかがわれ、近世中期の庶民が自覚した哲学を示す代表的著作として注目すべきである。(日本大百科全書・ニッポニカ)

◎ オフ=グリッド(英語:off-grid)、オフ・ザ・グリッド(英語:off-the-grid, OTG)とは、電力、ガス、水道など生活に必要なライフラインの一つ、または、それ以上を公共のインフラストラクチャーに依存せず、独立して確保できるよう設計された建物の特徴やその生活様式を指す。オフ・ザ・グリッドの原義は電力網(Electrical grid)に接続されていない状態を表す。21世紀の現代においても電力会社の商用電源に頼らず、自家発電などで電力や常を賄えることを指す場合が多い(「オフグリッド住宅」など)。電力だけでなく、ガス、上下水道のみを独立させた状態も含み、住居から小さな集落(コミュニティ)に対し拡張させることも可能である。/オフグリッド生活では建物で人々が自給自足で暮らせる状態を目的としている。これは、通常のライフラインを利用できない場所において有利であり、環境への影響や生活費を削減したい人には魅力的となる。一般的にオフグリッドの建物は、建物自体で電力と飲料水を供給することができ、食料品、廃棄物(生ごみ)、廃水を管理できることが必須条件とされる。(Wikipedia)

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  素粒子
 
絶望が虚妄であるのは、まさに希望と同じだ!(魯迅)
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 辛亥(しんがい)革命後の動乱の中で深い失意と寂寞(せきばく)に突き落とされた中国の作家は、「希望」を盾として辛うじてこらえたが、それが虚妄でしかないことにも気づいていた。そしてその虚(むな)しさを凝視する中で、「絶望」もまたついに虚しい盾でしかないと、ハンガリーの詩人のこの一節を復唱しつつ、おのれを奮い立たせた。散文詩「希望」(片山智行『魯迅「野草」全釈』所収)から。(朝日新聞・2026/09/28)

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「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」

 ほぼ四十年ぶりに「奥崎謙三」に再会した思いがしました。昨晩遅く記録映画を観て、改めて、この奥崎という存在に心を打たれた。なかなか観る機会がなかったもので、ネットでの上映だった。ネットに挙げられているのを知ったのは少し前でした。このドキュメントが劇場公開されたのは1987年8月。それ以前から、ぼくには強烈な印象があった奥崎謙三氏。大学院入学した翌年の正月2日。新年参賀のあった皇居で、「昭和天皇にパチンコ玉を発射、暴行罪で逮捕される」という衝撃的な事件の犯人だった人物。この「不敬罪」に関しては、今でも報道規制が敷かれているのではないかという疑念をぼくは持っています。この劇場映画が公開された当時から、何年かの間、ぼくが担当している学校における授業で課していた学生諸君のレポートの中で「奥崎謙三」の名前をしばしばみることになっていた。なかには「お前は、奥崎にそっくりだ」と書かれていたものでした。(もちろん、現実のぼくは、いくつもの面で彼の足元にも及ばないのですが)

 こういう元日本兵(帝国軍人)がいるのだという事実に、ぼくは深く驚愕し、彼の名前とともに、彼の信条(心情)といい、直情径行といい、我が胸中深くに長く把持されることになった。「神軍平等兵」を自称する、この元兵士の復員後の行動が、何を意味しているか、誰もが知りつつ、それに対して意図的に目を伏せ、耳を塞(ふさ)いできたのだった。(一面では、作家大岡昇平氏の「作品(「野火」や「俘虜記」など」をはるかに凌駕する「戦争と天皇」を指弾する「罪責の念」を時代や社会に過激に突き付けている人物だったと思っています)この映画が作られた意図、あるいは目的は様々に受け止められ、あるいは拒絶されたことだと思う。映画の中で、軍内での「部下銃殺」「人肉食」の記憶の襞に隠されていた事実を暴く奥崎さんと、その上等兵や同僚兵士の格闘と葛藤、人間が生きる中に刻まれた深淵を見せつけられるようで、ぼくは深い悲しみや人間の弱さを痛切に感じながらでなければ、この映像を見つめることはできなかった。何度でも観る「記録」ではないけれど、忘れてはいけない「戦争」がひとりひとりの人間の心や感受性を、どこまで痛めつけるのか、それを知るためにも観るべき映画ではないかと、今も考えている。(⁑「ゆきゆきて、神軍」:https://www.youtube.com/watch?v=l-ksx0efY6U))

「ゆきゆきて、神軍」

解説・あらすじ
ドキュメンタリー映画監督の原一男が、過激な手段で戦争責任を追及し続けるアナーキスト・奥崎謙三の活動を追った傑作ドキュメンタリー。神戸市で妻とバッテリー商を営む奥崎謙三は、自らを「神軍平等兵」と名乗り、「神軍」の旗たなびく車に乗って日本列島を疾駆する。ある日、自身がかつて所属していた独立工兵第36連隊で、終戦後23日も経ってから敵前逃亡の罪で2人の兵士が処刑されていたことを知った奥崎は、その遺族らとともに真相究明に乗り出す。時には暴力も辞さない奥崎の執拗な追及により、元兵士たちの口から事件の驚くべき真実と戦争の実態が明かされていく。1987年の初公開時は単館上映ながら大ヒットを記録。第37回ベルリン国際映画祭でカリガリ映画賞を受賞するなど、国内外で高く評価された。戦後75年、奥崎謙三生誕100周年となる2020年の8月、全国のミニシアターでリバイバル公開。

1987年製作/122分/日本
配給:疾走プロダクション
劇場公開日:2020年8月14日
その他の公開日:1987年8月1日(日本初公開)
スタッフ・キャスト
監督 原一男
企画 今村昌平
製作 小林佐智子
録音 栗林豊彦
編集 鍋島惇
構成 鍋島惇
助監督 安岡卓治 大宮浩一
撮影助手 德永靖子 三好雄之進
選曲 山川繁
効果 伊藤進一  (「ゆきゆきて、神軍」:https://eiga.com/movie/39908/)

◎ 奥崎謙三 おくざき-けんぞう(1920-2005)= 大正9年2月1日生まれ。昭和44年「太平洋戦争で死んだ戦友への義務として」新年参賀式で昭和天皇にパチンコ玉を発射,暴行罪で逮捕される。58年この事件をテーマにした映画「ゆきゆきて,神軍」の完成時期に,もと上官の長男に発砲,殺人未遂で懲役12年。平成17年6月16日死去。85歳。兵庫県出身。著作に「ヤマザキ,天皇を撃て!」。(デジタル大辞泉)

*参考資料❶(歴史のダイヤグラム)奥崎謙三と「皇居パチンコ事件」 原武史」  〔1969(昭和44)年1月1日「午前十時ごろ」(『ヤマザキ、天皇を撃て!』)、その男は神戸駅から東海道本線の上り快速電車に乗った。ということは、神戸9時54分発の京都ゆきか、10時9分発の大垣ゆきに乗ったのだろう。乗る際には、尾行者がいないかどうか注意を払うのを忘れなかった。/男の名は奥崎謙三。ニューギニアで壮絶な戦闘を体験し、豪州軍の捕虜となって復員してからは神戸市内で商売を営んでいたが、56年に家を借りる話をめぐって不動産業者を刺殺し、10年間服役した。また戦争責任をとるどころか戦後も在位し続ける昭和天皇に反感をもち、天皇制の廃止を求めて訴訟を6件起こすなど、過激な言動から当局にマークされていた。

 神戸を出た快速電車は元町、三ノ宮、芦屋、大阪と停(と)まり、新大阪に10時29分ないし44分に着いた。奥崎は新大阪で降りた。/新大阪駅の構内でも尾行者に注意しつつ、12時ちょうどに出る東海道新幹線上り「ひかり26号」の指定席車両に乗った。京都、名古屋に停まり、東京に着いたのは15時10分だった。/こんどは私服警察がいないかどうか注意した。駅の総合案内所で宿を探していると告げると、新橋の第一ホテル(現・第一ホテル東京)を紹介された。ニューギニアでともに戦った元伍長の会川利一が世田谷区に住んでいたので電話でホテルに呼び、深夜まで話し合った。そのあとタクシーで会川を自宅まで送り、ホテルに戻ったときには日付が変わっていた。(↷)

 2日朝、奥崎が東京駅丸の内口から歩いて向かったのが皇居だった。新宮殿の完成に伴い、同日に新年一般参賀が開催され、ふだん入れない皇居に入れるばかりか、皇室一家が6年ぶりに姿を見せることを知ったからだ。/午前9時に正門の扉が開くと、奥崎は大勢の人々とともに皇居に入った。10時になると、新宮殿の玄関口にある長和殿のバルコニーに昭和天皇らが現れた。奥崎はパチンコ玉を発射し、「山崎! 天皇をピストルで撃て!」と繰り返し叫んだ。山崎というのはニューギニアで餓死した戦友、山崎豊のことだった。/「私服、制服の警官も、周囲の群衆も、私を取り押(おさ)えようとしないので、私は演技の間がもてなくなってしまいました。そこで仕方なく、予定・計画していなかったのですが、ズボンの左のポケットの中の硬貨の中にまじっているパチンコ玉を一個だけ手さぐりで選(よ)り出し、天皇に向けて、またパチンコで発射しました。しかしそのパチンコ玉は、バルコニーの下の菊の紋章の一、二メートル右に当(あた)りました」(同)/奥崎は逮捕され、暴行罪が適用された。この「皇居パチンコ事件」を機に、長和殿のバルコニーには防弾ガラスが設置される。(政治学者)(朝日新聞・2025年11月1日)

〔「ドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』について、マイケル・ムーアは「生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ」と評価し、マーティン・スコセッシは「誰もこんな映画を作ったことがなかった」「誰もこんな映画をみたことがなかった」と述べている〕(Wikipedia)(奥崎夫人はとても素晴らしい人だと思った。この男にして、この女性ありという、ぼくは深い感慨を以てこの女性の偉さを痛感しました。「反天皇制」主義者に添う存在の「ここおrの広さ」が奥崎謙三氏を包んでいたのではなかったか)(奥崎さんは「アナーキー」であると同時に、あるいはそれを超えて、「テロリスト」だったことも否定できないでしょう。ぼくは彼を擁護も三号もしない。それだけに、奥崎問題は。一筋縄ではいかない問題を提起してやまないと思っています)

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「徒然に日乗」(1228~1234)

◎2026/09/27(日)夜9時から、記録映画である「ゆきゆきて、神軍」(2時間)を観る。三十年ぶりだった。このドキュメントが公開された当時、多くの学生のレポートに「お前は奥崎にそっくり」と指摘されたこともあった。足元にも及ばない「アナーキー」な人だと思う。ぼくには、この「奥崎」という名前は強烈に記憶に残されている。「皇居参賀パチンコ事件」(1987年1月)の当事者だったから。すごい人物(元日本兵)がいるものだと、深く印象づけられたのだった。(1234)

◎2026/09/26(土)「日経平均66,364.20 +850.21 NYダウ51,828.62 +478.64 ドル円157.31-33 -0.89円高 NY原油92.44 -2.17 長期金利3.070 -0.005」(日経新聞・2026/09/26)円安で金利上昇が新段階を迎えていると思う。米国からなにをいわれ、その意を受けようと、円安が止められないというのが実際だろう。▼中米首脳会談が終わった。「日本軍国主義(ファシズム)」に対して、手を携えて戦った、その「同盟国」で果たした役割を忘れないと、両首脳は主張した。米中を強く結び付けたのが日本首相の「台湾有事発言」でもあった(2025/11/07)ことは確かだ。今更「発言」を撤回できないし、撤回の有無にかかわらず、米中は更に結びつくだろう。日本の孤立は容易ならざる事態には入り込んだと思う。〔高市早苗首相は26日夜、トランプ米大統領と電話で協議した。(略)日本政府は米中両首脳が歴史に関する事柄で呼応したことを警戒する。トランプ氏は中国を大戦時の「同盟国」と呼び、習氏は「中国と米国は日本軍国主義の侵略者との戦闘で肩を並べて戦った」と言及した。/首相は25日に日米の関係について「いまは非常に強い絆で結ばれた同盟国としてお互いに信頼し合える関係だと思っている」と記者団に語った。高市政権を「新型軍国主義」と批判する中国側の主張にトランプ氏が引き込まれる懸念がある。(後略)〕(同上)(1233)

◎2026/09/25(金)「日経平均66,364.20 +850.21 NYダウ51,349.98 -161.61 ドル円158.02-04 -0.18円高 NY原油92.99 -1.62 長期金利3.075 ±0.000」(日経新聞・2026/09/25)▼「トランプ氏、中国は「同盟国」 習氏「日本軍国主義と戦った」―第2次大戦絡め異例発言 【ワシントン時事】トランプ米大統領は24日、中国の習近平国家主席を迎えたホワイトハウスでの歓迎式典で、第2次世界大戦で米中が『同盟国』として共に戦ったと発言した。当時、米国が連合国の一員として一緒に戦ったのは蒋介石率いる中華民国軍で、毛沢東の共産党軍ではない。米大統領が中国を同盟国と呼ぶのは異例で、発言は物議を醸しそうだ。トランプ氏は『共通の利益の追求が、多くの相違を乗り越えて両国民を結び付け、第2次世界大戦ではわれわれを同盟国にした』と語った。習氏はこの発言を受け、日本を念頭に『第2次大戦中、中米はファシズムの侵略に肩を並べて戦った』と応じ、『この歴史を決して忘れない』と強調した」(時事通信・2026/09/25)▼日本の首相は、この米中首脳の「同盟国」発言をどう聞き、どう対処するのか。頼るべき米国に「袖にされた」ともいえそうだが。米国追随外交の「正味」がこういうことになるとは。(1232)

◎2026/09/24(木)久しぶりに快晴。溜まりに溜まった洗濯物を仕上げた。▼茂原まででかけるのに、おおいに苦労した。自宅近くの何か所には土砂崩れも見られた。この後に降雨がなければいいのだが。▼草加の娘から、非常用備品などが山ほど届けられた。われわれは情報難民だったが、テレビなどを観て、意外に凄い被災状況に、彼女は驚いたのだろう。ありがたいこと。▼印旛沼の決壊は、この後にもかなりの影響を及ぼすだろう。「日本列島を強く豊かに」というキャッチフレーズが泣くだろう。ぼくたちはひどい「政府」を持っていることを今更のように見せつけられている。▼「日経平均65,513.99 +495.04 NYダウ51,511.59 -352.10 ドル円158.78-79 +1.30円安 NY原油93.66 +1.50 長期金利3.075 +0.100」(日経新聞・2026/09/24)▼「日本の投げ売り状態」が報道されないのは各報道機関の「自己規制」なのか、政府筋の「強制」なのか(1231)

◎2026/09/23(水)停電はまだ続いている。▼午後3時ころ、牛乳がなくなったので土気のコンビニまで出向く。家から最短のコンビニへは通行止めの個所があるので、再び土気のコンビニまで(およそ8キロぐらい離れている)。「帰宅するころには通電(復旧)しているだろう」といって出かけたが、案の定、帰宅直前に復旧。ようやく「オフグリッド状態」から解放。この程度の自然災害で、アタフタするのだから、文明人(自分をも仲間に入れている)もだらしがないという気もする。▼メールや電話で、「安否の問い合わせ」をくださった方々に、「無事」であることを連絡する。埼玉草加の娘からも電話あり。夕刻五時過ぎのニュースで「印旛沼が決壊」とあったので、驚いた。(1230)

◎2026/09/22(火)停電はまだ続いている。雨は止んでいる。▼猫缶の保存が危なくなってきたので、買い増しにでかけたが、茂原に行く途中の道はすべて「通行不能」、土砂崩れのため。方向を変え、土気(あすみが丘)まで行こうとした。途中には、何か所も土砂崩れ・法面崩壊の個所を観る。降雨が終わっていたので、何んとか通れたが、今少しの雨でも大変なことになっていたかもしれない。帰宅後、午後2時を過ぎていたか、町会議員の一人が来宅。防災関連で、安否確認のために回っているとのことだった。東電に問い合わせをしたが要領を得なかったようだ。連休でもあり人でが足りず、「復旧がいつになるかわからない」という返答だという。ひどい会社であることを今更のように確認した。▼車でいける範囲で近所を見て回ったが、なかなかの大きな災害だったと、改めて考えなおしたほど。死者も何人も出ている。特に神奈川と千葉の被害が大きい。我が家も「孤立状態寸前」だったと思いなおしたほど。横浜の娘からも電話あり。かみさんの携帯でやっとつながる。この後、そのの形態(スマホ)は電池切れ。(1229)

◎2026/09/21(月)終日、激しい雨が続く。猫の食料が底をついて来たので、近所のスーパーに出向くが、駐車場が冠水していて一面の海状態。その近くの薬局には少しばかりだが猫缶が置いてあるので、それで間に合わせる。▼夕食時(午後6時半ころ)に「停電」した。想定していたような豪雨も暴風もなかったように感じていたので、「停電」には驚いた。だから、少し時間が経てば復旧すると思っていた。2019年10月の19号台風急襲のことをはっきりと思い出している。その時は「停電」「断水」が同時だったので、ほぼ孤立状態。今回、今のところは停電だけ。夜半になっても復旧はしないままだった。(1228)

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「悪女の深情け」っていうんですか

 日米首脳、対中連携確認 トランプ氏米中会談説明 高市早苗首相は26日、トランプ米大統領と約20分間電話で会談した。トランプ氏は中国の習近平国家主席との会談結果について直接説明した。日米首脳は、経済安全保障を含む経済や安全保障など中国を巡る課題を中心に意見交換し、日米の連携を確認した。首相が会談後、官邸で記者団に明らかにした。
 米中が第2次大戦時の「同盟国」として共闘した歴史をトランプ、習両氏が振り返ったとの米中両政府の発表を踏まえ、首相は「日米は今や最も信頼し合える同盟国となっている」とトランプ氏に伝えた。その上で「共に世界の平和と安定に貢献していくと確認した」と述べた。(共同通信・2026/09/26)

⁂「週のはじめに愚考する」(138)~ 「悪女」というものをどう表現していいか、ぼくにはよくわかりません。ごく一般的な意味では「容貌の劣る女性。男性の視点からの表現で、暗に執念深くて迷惑だが、どうにもならないといったニュアンスで使われることが多いことばです。転じて、男女関係にかぎらず、一方的にほれこんで、どこまでも離そうとしないことのたとえに使われる場合もあります」とある辞書(ことわざを知る辞典)には解説されています。「怖い女」でもあるんですね。あるいは同じことを別の辞書では「醜い女のほうが美人に比べて情が深いということ。また、ありがた迷惑のたとえ」とあります(デジタル大辞泉)。こちらもなかなかに、ですね。(ヘッダー写真は「悪(わる)女」深見じゅん著。講談社刊 1990年)

 このように辞書に書かれている解釈をそのまま、「そうだね」とは、ぼくは受け取りかねます。「悪女」にもさまざまな受け取り方(解釈)があるのですから、辞書の意味のように「一概」には言えないのではないでしょうか。ある種の女性は(もちろん、男性でも)、とても情が深く、相手に対する思いやりがとても強いということなのでしょうが、これも簡単には、そういうことだ、と言い切れないところがあります。

 「悪女」といって、世間では「1 性質・気立てのよくない女。2器量の悪い女。醜い女」(デジタル大辞泉)と、両様の、あるいは両者を合わせて使っているのでしょうか。なんでこんな単語(表現)を思いついたかというと、お察しの通りで、日本の首相は米国の大統領に「ぞっこん」だというのはこれまでも明らかなことでしたが、はたして相手(米大統領)はどうだったか、それが曖昧なままだったのが、この数日間で一層明らかになったからです。誤解されないように断っておきます。第二次世界大戦後一貫して、日本は米国追従外交に徹底していたといえます。(K.T.首相時代は、そうだとは言い切れませんが)つまり、この国の首脳は、米国(旦那)に対しては、いつだって、必要以上の「悪女ぶり」であったし、その悪女のお得意の「深情け」を相手国大統領にかけ続けてきたのでした。これまでのすべての「悪女(首相)」は男性だったから、物事の真相が、今回ほどあからさまには見えなかっただけですね。

 首相は9月22日、国連総会で「演説」し、聴衆のほとんどいない閑静な雰囲気の議場において、日本の「主張(法の支配)」なるものを披歴した。その前に米大統領と35分という時間の中で、「実りある会談」をなしている。「日米同盟の強化」という理解で一致したと首相は明言。その二日後に、「日米」の次元を遥かに超えた「同盟関係」を米中は確認していたことが明らかになりました。「第二次大戦中」は米中両国は「日本軍国主義(ファシズム)に対して肩を並べ戦い勝利した」と確認するのです。それを知って、日米関係の揺ぎなさを再確認したくて、日本の首相は帰国後に米大統領に電話。その経緯が最初の記事(共同通信)として出ていました。「記事にはこんなふうに出ているけれど、この私を袖にしないでね」と。

 方々に「戦争(侵略)」を仕掛け続ける米大統領を、「ノーベル平和賞候補に推薦」し、「世界に平和と繁栄をもたらせるのはドナルドだけ」とデマカセを、表情たっぷりに、心を込めて(装って)発信し、いよいよ日米同盟関係は「強固」になったと思いきや、米中が「ファシズム日本」を相手に「同盟」していたと、驚くようなスピーチを聴かされ、青くなってか、白くなってか、急遽、電話会談に及んで、「大丈夫だ、好きだよ」とささやく声を聴いて「安堵した」という発表を深夜に行ったのです。

 これまでも、ぼくは何度も繰り返し、「日米同盟(Japan-US alliance)」というけれど、アメリカは「同盟」などとはつゆ考えていないこと、一旦緩急あれど、「アメリカは日本を助ける」ことはないといい重ねてきました。日本中に米軍基地があるのは、日本を守るためではなく、米国の極東戦略の必要上からだ、とも。何年にもわたり沖縄の米軍基地問題が大きな、あるいは小さな「火種」になっているのですが、普天間は危険だから辺野古にというのは図面の上での話。辺野古ができても普天間は戻らないことは早い段階で明らかになっています。日本の権力者は、対米関係を「政権維持」の道具にしてきたつもりだったのに、実はそれは最初からアメリカの「掌(戦略)」の上で弄(もてあそ)ばれてきただけのことでした。おそらく、米国大統領は「台湾」は中国の内政問題であると、すでに中国に伝えているはず。だから、現実には「台湾有事」は起こらないとなると、首相の昨秋の「誤った発言」はどうなるのでしょうか。

 中国にとって、今更「取り消す」には及ばないのであって、あの「間違い発言」は歴史として残り続けるでしょう。冷静に見れば、日本の首相は、米中から「足蹴にされ」たも同然です。まるで「寛一・お宮」の構図です(「金色夜叉」)。にもかかわらず、「深い関係はさらに続くよね」と米大統領に言わせたくて、米国に電話をかけたというのでしょう。米大統領は顔を背け、耳を塞(ふさ)いでいるのですが。これぞまさに、「悪女の深情け(The ugly woman’s deep affection)」、じゃないですか。「悪女」は、それはそれで必死なんでしょうが、その悪女が率いるこの国は破綻・損壊の危殆に瀕しているんですよ。(なお、この「日米首脳会談」(時間にして、公表は35分、実質は通訳付きで20分だった。それもそのはず、通りすがりに出合い頭の「立ち話」みたいなものだったからね。一瞥したところ、米国のメディアは、この「会談」にほとんど触れてはいませんでしたね)

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 〔* 高市首相、トランプ氏と連携確認 「米中」受け電話会談 高市早苗首相は26日夜、トランプ米大統領と20分間電話で協議した。トランプ氏から米中首脳会談の結果について直接説明を受け、引き続き日米が連携して経済安全保障や防衛など中国に関連する課題に対処することを確認した。/首相とトランプ氏は米中首脳会談直前の22日に米ニューヨークで対面で会談した。直後にも対話の機会を持つことで、日米離間を狙う中国に対抗する狙いもある。/電話会談後、首相は首相官邸で記者団に「詳細な説明」があったと強調。具体的な内容は明かさず、「1週間に2度の首脳会談は日米同盟の絆の強さを示すものだ」と訴えた。/米側が出した米中首脳会談の発表文には、米中は「第2次大戦での同盟国」として「勝利のため共に戦った」と記された。/ 首相はこれに関してトランプ氏から言及があったかどうか記者団に問われ、同氏に「日本と米国は今や最も信頼し合える同盟国となっている」と伝えたと明らかにした。その上で「共に地域、世界の平和と安定に貢献していくことを確認した」と記者団に述べた〕(時事通信・2026/09/26 22:36)

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外でも「井の中の蛙」だなんて

 米中首脳会談、日本政府は情報収集・分析急ぐ…トランプ氏「同盟国」発言など利用した中国の「宣伝戦」警戒
米時間24日に行われた米中首脳会談に関し、日本政府は合意内容の情報収集と分析を急ぐ方針だ。トランプ米大統領が中国を「第2次世界大戦での同盟国」と呼ぶなど良好な関係をアピールしたこともあり、中国が会談を宣伝戦に利用しないか神経をとがらせている。/高市首相は25日、首相官邸で記者団に「第三国間のやりとりであり、逐一コメントしない」と論評を避けた。木原官房長官も記者会見で「米中関係が日本を含む国際社会の安定に資するものになることが重要だ」と述べるにとどめた。
 首相は直前のトランプ氏との会談で中国を念頭に日米の連携を確認しており、トランプ氏は日本の立場を「十分理解した」(外務省幹部)とされる。日本政府はトランプ氏が米中会談で大きな譲歩をした可能性は低く、「同盟国」発言も、中国へのリップサービスの一環とみている。/ただ、 習近平シージンピン 国家主席は晩さん会で日本を名指しし、中米両国が日本の軍国主義と戦ったなどとけん制した。首相は先の国連演説で、第2次世界大戦の敗戦国を対象にした国連憲章の「旧敵国条項」について「早急な削除」を訴えたばかりで、これに反発する中国がトランプ氏の言動を利用して自国に都合の良い発信を強める展開を警戒している。
 首相は記者団に、「日米に戦争はあったがその後しっかりと和解を果たした。今は非常に強い絆で結ばれた同盟国として、信頼し合える関係だ」と反論した。/米中首脳会談は年内にあと2回開かれる可能性があり、日本政府は様々なレベルで米側と接触を重ね、連携を強めていく方針だ。(読売新聞・2026/09/26)

 日本側には「予期しない会談内容(「対日戦争」での同盟国同士)」と映るが、国際問題にずぶの素人であるぼくは、今回の米中首脳の「対日発言」は事前のすり合わせ(合作)ができていたと見る。米大統領は「第二次大戦では(米中は)同盟国として戦った」と話し、中国主席は「(日本という)ファシストと手を携えて戦った」と述べた。たぶん「青天の霹靂(へきれき)」だった日本首相は「「第三国間のやり取り」だからコメントしないというのですが、明らかに「浮足立って」(「なんでや」)いることがありあり。(右上写真:「会談したトランプ米大統領(右)と中国の習近平国家主席」=ワシントンのホワイトハウスで2026年9月24日、ロイター)(左図は「トランプ氏「中国は大戦時の同盟国」 習氏の抗日歴史観に危うい呼応」日経新聞・2026/09/25)

 早い段階から「中国をあまり刺激するな」と米大統領に指摘されても、それが理解できなかった節があるし、国内の支持層向けの発言をしていれば、自分の地位は安泰と思っていたはず。それが、「井の中の蛙」状態を国際社会にまで持ち出してしまうという、いいようのない愚かさ、醜悪さに示されている。「日本はファシスト(ファシズム)」だと断言され、返す言葉を持たなかったのは、5月の日米会談で「真珠湾攻撃」をなじられ、揶揄された、その段階で気が付くべきだったのでしょうが、何ひとつ抗弁すらできなかった、相変わらずの迂闊さでしょう。この首相は名代の愚か者ですが、それを支えるべき外務省には、状況判断する具眼の士が全くいないということもまた、天下に晒されました。 首相は辞任するのみ。存在そのものが「一つのスキャンダル」ですね。

 「世間知らず」「内弁慶」は、一面では無知ゆえの可愛さがありますが、時と場合によって、それは「馬鹿の見本」にもなる。「「日米は和解し、強い絆で結ばれた同盟国」(日本国首相・9月25日)と、まるで寝言を言うばかりで、現実の米中関係がとらえられない一方、日米関係の認識すら極めて怪しいものでしょう。米国が後ろにも前にもいるから「中国なんて」と、足らぬ狸の皮算用をしている間に、米国は中国とがっちり握手していた。これが現実でしょう。「日米に戦争はあったが、その後しっかりと和解を果たして関係を深め、今は非常に強い絆で結ばれた同盟国として、互いに信頼し合える関係だ」と、歴史の無知を晒すばかり。米国は日本をまともに評価した試しはない。歴代の首相が「参勤交代」よろしく、米国もうでをするのがその証拠。ほとんどが「朝貢外交」だった事実は覆い隠すことはできないのです。日米戦争の発端、主因は日中戦争(「満州事変」という侵略戦争)を日本が引き起こしたという事実に目を伏せているようでは、話にもなりません。(上の写真は「日中首脳会談時のもの」共同通信配信・2025/10/31)(日本首相は中国主席に「抱きつき」をしなかったのはどうしてか」「タイプちゃうしなあ」だったのでしょうか)

 日中会談・日米会談の前に、首相は国連憲章にある「旧敵国条項」を削除することを国連総会で訴えたが、その直後に揃い踏みで「旧敵国条項」を差し出されたのですから、「藪から棒に(abruptly)」というか、「騙し打ちに遭う(fall victim to a sneak attack)」ようなもので、気が付かなかった方がバカだったということになるでしょう。粋がって「台湾有事は日本有事」、いざというときはアメリカが助けてくれると、どうして思い込むのか、恥ずかしさを通り越して、ほぼスキャンダル(醜聞)ではないでしょうか。寄りかかろうとしなだれたら、その場に、当の相手がいなかったという構図です。「世界の真ん中で咲き誇る日本外交」という法螺(ほら)を吹いている分には「うけ」はよかろうが、支持者もまた、同じ「井の中の蛙」です。愚かが愚かとつるんでいては話になりませんね。

◎ 井の中の蛙(いのなかのかわず)= 見聞の狭いことや、それにとらわれて、さらに広い世界のあることを知らないことのたとえ。井戸の中のカエルが、東海に住むカメに、自分の住居の楽しさは無上であると自慢したところ、カメが海の話をし、海では千里も遠いうちに入らず、千仞(じん)の高さも海底の深さに達せず、時の長短や量の多少でいっさい計れないのが東海の大楽であるというと、カエルは驚きあきれて、返すことばもなかったと『荘子(そうし)』「外篇(がいへん) 秋水(しゅうすい)」にあり、韓愈(かんゆ)の『原道(げんどう)』にも「井に坐(ざ)して天を観(み)る」などとある。「井の中の蛙大海を知らず」「井(かんせい)の蛙(あ)」ともいい、単に「井蛙(せいあ)」「井底(せいてい)の蛙(あ)」ともいう。(日本大百科全書(ニッポニカ))

◎ 敵国条項(てきこくじょうこう)enemy-state clauses= 国連憲章にみられる連合国の旧敵国に対する差別的規定。これは同憲章が第2次世界大戦の末期に連合国だけによって作成されたものであるため,日本,ドイツ,イタリア,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,フィンランドなどの敵国を特別に取扱っている。すなわち,第 53条では,地域的取決めまたは地域的機関による強制行動は安全保障理事会の許可なしにはとれない旨を定める反面,旧敵国に対する場合はその例外を認め,また第 107条では一般的に,憲章のいかなる規定も連合国が旧敵国に対し戦争の結果とった行動を排除するものではないと定めている。この規定に対して,1950年代に相次いで国連加盟国となった旧敵国は,この条項の非合理性と不当性に対する不満を表明するようになり,撤廃を主張するようになった。日本政府も国際環境の変化を考慮に入れて再三,撤廃を呼びかけている。

 高市首相「日米は和解し、強い絆で結ばれた同盟国」…トランプ氏「米中は同盟国」発言による懸念打ち消す
 高市首相は25日夜、米中首脳会談の結果について「逐一私からコメントすることはない」と論評を控えた上で、日米両国の揺るぎない結束を強調した。首相官邸で記者団に対し、「日米に戦争はあったが、その後しっかりと和解を果たして関係を深め、今は非常に強い絆で結ばれた同盟国として、互いに信頼し合える関係だ」と語った。/トランプ米大統領は米中首脳会談の歓迎式典で第2次世界大戦に言及し、日本と戦った当時の米中両国を「同盟国」と呼んで波紋を広げた。戦後の日米の絆をアピールした首相の発言は、トランプ氏が中国に同調しているとの懸念を打ち消す狙いがあったとみられる。(読売新聞・2026/09/25)

(左写真「首脳会談で握手する高市首相(左)とトランプ米大統領」(22日、米ニューヨークで)=ロイター)

 昨日も触れましたが、左の写真は「ロイター」配信です。日本のメディアのほとんどすべて(だと思う)が、このスナップ(峰不二子命)を採用しているのは、サル筋からの達しがあったからだとぼくは断定しました。「掲載するなら、この写真を。総理の表情といい、姿態といい、誠に上出来のこんこん知己ですからな」、と。上に掲げた「ホワイトハウス」での米中会談の写真と比べるべくもありませんが、左の写真は「国連本部」でのもの。要するに通りすがりの「挨拶」に過ぎないのを「日米首脳会談」と嵩(かさ)上げして(盛って)いるのです。会談時間は、たぶん、正味に20分(あるかないか)程度でしたが、何んとそこで話題になったのは重要な9項目だという。ホンマですかいな。中に通訳が入っているし。つまりは出会い頭の「挨拶」程度でしたね。

つまらん、国内政治でもある「内閣改造」を、何分間も話したか、時も所もわきまえないバカ総理ですよ。恥ずかしい、穴があったら入りたいと、「総理」が本来なら言うべきです。会談前のプレビューで、外務省の通訳が「「記者は退出を」とあらぬことを命じるという無礼を働いて、それを日本のメディアは「痛快なり」と誤認する始末、恥ずかしいこと、この上なしです。。首相が他国で、他国の記者を追い出してどうするんです。恥を曝(さら)け出しても、当人はそれを「恥」と感じないという、二重の恥です。これを「恥の上塗り(compounding one’s disgrace.)」という

 米中の関係がどうなっているのか、昨秋の首相の「無知発言以降」でも、少なくとも関心を持つべきだったでしょう。そんな重大事にもアンテナを張れない外務省や首相官邸は「眠りに落ちている」「惰眠を貪(むさぼ)っていた」としか思えません。このような無様な外交にもならない出鱈目ぶりの政府に対して「円安」は一気に進み、長期金利は「3%」を超えて、さらに上昇の気配を見せています。日本売りが加速しているのです。「夜明けは近い」どころか、「破滅はすぐそこまで」という事態にあっても、まだ「井の中の蛙」は目覚めない。意識を失っているというのか。

 「米中首脳会談、日本政府は情報収集・分析急ぐ…トランプ氏「同盟国」発言など利用した中国の「宣伝戦」警戒 高市首相は25日、首相官邸で記者団に「第三国間のやりとりであり、逐一コメントしない」と論評を避けた。木原官房長官も記者会見で「米中関係が日本を含む国際社会の安定に資するものになることが重要だ」と述べるにとどめた。/首相は直前のトランプ氏との会談で中国を念頭に日米の連携を確認しており、トランプ氏は日本の立場を「十分理解した」(外務省幹部)とされる。日本政府はトランプ氏が米中会談で大きな譲歩をした可能性は低く、「同盟国」発言も、中国へのリップサービスの一環とみている」(読売新聞・2026/09/26)

 まず何を措いても、強がりはよせ 峰不二子首相は「トランプの足に縋(すが)って」泣きじゃくりはしないだろうが、とにかく「神頼み」は外務省も同じ。「日本政府はトランプ氏が米中会談で大きな譲歩をした可能性は低く、『同盟国』発言も、中国へのリップサービスの一環とみている」と、まだ寝言を言っている始末。首相同然、もはや無神経というほかないようです。マスコミさんたち、手に負えない能天気です。間違いなく、全体状況が見えない、見ようともしない。自分の頭のハエすら追えない、首相、御一行様ですな。「偏差値教育」の最大の成果ですね。この自国意識・現状認識の浅薄さ・空虚さに、世界は呆れ、ぼくも呆れる。「政治家」と名乗る生き物はいるけれども、政治という「道」を行う「経綸」は微塵も見られないのです。国民を無視して、無知な生き物が突っ張ればどうなるか。最後に衝突するのは米国です。この国が、身の程知らずに、戦う敵は米国だと、ぼくは昔から断じている。「劣島の至る所に米軍基地」ですよ。戦う前から、日本は戦意喪失でしょう。自国ながら、「可哀そう」だと思うほかありません。「裸の女王様」に、名誉の下着や上着を、どなたか差し出さないか。(「経綸=[名](スル)国家の秩序をととのえ治めること。また、その方策」・デジタル大辞泉)

 昨年11月7日の国会答弁で、「台湾有事は日本有事」「台湾有事は存立危機事態」と問わず語り(語るの落ちた話)に答弁した直後に、元外交官(田中均氏)が新聞に寄稿した一文を引用しておきます。

 「台湾有事に対して日本が独力で武力行使を行うことはあり得ず、あくまで同盟国米国が戦闘に入り、その米国を支援して集団的自衛権を行使するということである」 「安全保障の基本概念は勇ましいことや武力をちらつかせて相手を刺激することではなく、静かに抑止力を充実させ安保環境を良くする外交を走らせることである。日本にとっての外交目的は台湾海峡の平和と安定を達成することにある。もちろん中国が武力行動を起こさないことを担保する抑止力は必要だが、それはあくまで米国の抑止力を支援する事に限られる。米中両国が関係の安定を求めて台湾問題を刺激することをしない時、日本があえて中国を刺激するのが正しい政策であろうか。高市政権の危さをみる」(毎日新聞・20265/11/14)

*バッハ:目を覚ませと呼ぶ声が聞こえ / アンドレ, パイヤール 1968(Jean-François Paillard / Orchestre de Chambre Jean-François Paillard Dec.1968 Bach : Choral “Wachet auf, ruft uns die Stimme” from “Cantata BWV140” 《カンタータ 第140番》)(https://www.youtube.com/watch?v=O-MtepjY29A)

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◎ヘッダー写真は「ちょうじゅうぎがテウジウギグヮ【鳥獣戯画】= 絵巻物。四巻。紙本墨画。鳥羽僧正覚猷筆と伝えるが、第一・二巻は一二世紀後半、三・四巻は一三世紀の作。動物を擬人化して描いた第一巻が特に名高い。絵はのびのびした抑揚に富む描線で軽妙な筆法をもつ。京都高山寺蔵。国宝。鳥獣人物戯画」(精選版 日本国語大辞典)

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「日本列島を、強く豊かに」かね?

【小社会】忘れてならない人
 太平洋戦争に関係して忘れてはならない人たちがいる。思い返す人はそれぞれで違うかもしれないが、10年前の9月18日、101歳で亡くなった杉山千佐子さんもその一人だ。
 軍需工場があった名古屋市は繰り返し米軍の空襲を受けた。1945年3月24日、防空壕(ごう)が爆風でつぶれて生き埋めとなる。大けがをして左目を失明した。
 当時29歳。傷痕を見て「死にたい」と思った。しかし、信仰心や友人の励ましで「生きよう」と考え直した。戦後、旧軍人や軍属らには国から補償が出た。民間人には被爆者らを除いて何もなかった。
 「こんな不公平なことが…」。戦災傷害者の組織を一人でつくり、救済法制定の活動を始めた。50代のことだ。賛同する国会議員らが何度も法案を提出したものの廃案となる。
 45年7月4日の高知では大空襲の後、電車通りを西へと進む長い長い列ができた。家財道具を積んだ荷車を引く人、汚れた服を着て疲れた表情の親子…。けがをして、家族を亡くした人もいただろう。当時見た人からそんな話を聞いた。
 戦時中、同じような光景が全国各地であった。だが、空襲被害者の正確な数はいまだに分からない。詳しい調査を国がしていないからだ。ドイツやフランスは軍人、民間人の区別なく補償してきた。何という違いか。日本政府は「戦後最も厳しい安全保障環境」と強調して、防衛費の増額を目指す。ただ、やるべきことはもっとある。(高知新聞・2026/09/25)
【産経抄】足元も空も不安、千葉・印旛沼が決壊 ナウマンゾウの化石は日本各地で見つかっている。同じ1頭の骨や歯がそろっているケースは、さほど多くない。千葉県では昭和41年に、印旛沼の水路開削工事の現場からほぼ完全な形で発掘された。約3万年前の化石だという。▼それにまつわる物語が何とも切ない。「水浴びにでも来て沼に落ち込んだものと考えられます」。印西市のウェブサイトには、そんな解説がある。印旛沼はもともと、広い内海の一部だったとみられている。干拓事業により、いまの北沼と西沼に分かれたのは戦後のことである。▼沼の周辺は、その北側を流れる利根川の水かさが大雨で増す度に、水害に泣かされてきた。享保、天明、天保。江戸中期から後期にかけて行われた3度の治水事業は、膨らむ工費や幕閣の失脚などが災いし、いずれも頓挫した。哀史といってよい。▼そんな地勢を踏まえ、雨続きの8月以降は沼の水を排水ポンプで利根川などへ流し続けていたと聞く。にもかかわらず、台風25号のもたらした大雨により沼の堤防が決壊した。近隣の佐倉市など広範囲に及んだ浸水は、もはや経験則では防ぎ切れない災害の現実を物語っている。▼命を守る行動に移るタイミングは、ここ数年で2拍も3拍も早まった感がある。異変のにおいをかいでからでは遅い。自分はどんな街に住んでいるのか。ハザードマップはむろん、地歴や災害史まで頭に入れることも、わが身を救う護符になろう。▼<日本中安全地帯ないと知る>玉井仁子。きのうの本紙「テーマ川柳」に、そんな一句があった。足元も不安なら頭上も不安、至る所が頼りなく見えてならない。標本となったかのナウマンゾウも、節度をなくした空を複雑な思いで見上げているのではないか。(産經新聞・2026/09/25)

 日本中に張り巡らされているのでしょうか。「日本列島を、強く豊かに。」という看板。これを昨年10月の党総裁選のキャッチフレーズとして、さらに本年2月の衆議院選挙の党の「公約」としてそれこそ、何百何千と幟(のぼり)やポスター、あるいはテレビコマーシャルとして訴え続けてきたことは周知の事実です。過去十年の間に生じた自然災害等を一瞥するなら、確かに、「この国を、強く豊かに」しなければならなというのは、ぼくにもわかります。政治家の仕事は国民の生命(健康)と財産(安全)を死守することにあるのですから、そのためにどれほどの「税金投入」がなされようとも、結果を得られれば、納税者(ぼくを含めて)は納得するのではないでしょうか。

 今夏は、ことさらに豪雨(台風も含む)によってこの劣島は痛めつけられています。その被害の状況や犠牲者の数もかなりなものになっています。そのような悲惨な災厄を目の当たりにすると、「日本列島を強く、豊かに。」というのは選挙目当ての「スローガン」だったということは明白でしょう。「ガセ」だった。さらに言うなら、「強く豊かに」と絶叫している足元で、この島社会は天変地異に見舞われ放題であることには、無関心だということです、この政治家たちの姿勢は。「それ(自然・人為災害)はそれ、これ(選挙公約)はこれ」と、まさに絵にかいたような「口から出まかせ」としかぼくには聞こえない。

 つい数日前には、千葉県を豪雨が襲い、各地・各所で大きな被害が発生していますが、中でも特筆に値するのは「印旛沼の堤防決壊」ではなかったでしょうか。印旛沼の干拓は江戸時代から大掛かりに行われてきましたが、今なおその完成形をみないとも言えます。未曾有の集中豪雨だったから、堤防が決壊したのは仕方がないともいえますが、何百年という時間をかけて、鋭意「干拓」を進めてきた揚げ句の「堤防決壊」「沼水氾濫」という現実をどう見ればいいのでしょうか。ぼくは1985年から30年ほど、佐倉市に住んでいましたので、この印旛沼には何度となく出かけたものでした。そのために、干拓の歴史の後を追っかけたり、現在の沼の自然や干拓によって生まれた水田地帯もしばしば歩いてみたものでした。今回の「堤防決壊と氾濫」の状況をテレビ報道等で見るにつけ、どれだけ万全を期しても、これで安全ということはないものだということを見せつけられています。

 もちろん自然による大災害の発生を一内閣や一政党の責任にするつもりではありませんし、誰であれ、責任の取りようもないというのが実際でしょう。しかし、劣島の成り立ちからして、いつ何時「大自然災害」が起こっても不思議ではないという環境条件下にある以上、文字通り「日本列等を、強く豊かに。」は当たり前の政治課題であるはずです。しかし、国土強靭化といい、災害に強い国造りといい、その上での「日本列島を、強く豊かに。」を、いつでも声高に公言(広言)するのは実はある種の戦略というか作戦というか、自党や自分の作る政府・内閣に有効な選挙公約であり、あるいは、結果的には特定の企業を利するための「政治戦略」だったというほかないようにも、ぼくには思われます。必要以上に国家の強大化を論うのは、実際にはそうではないという自覚が働いているからなのでしょうか。それとも、国家は強くあるべきだが、国民のことは構っていられないという趣旨なのでしょうか。この傾向は、特に現内閣に著しいようにも見える。国家が大事、国民は無視、そんな性悪な性格をこの国は持ち続けてきたともいえるでしょう。

(いわづもがなのこと すべての新聞テレビ等の掲載写真を調べたわけではありません。しかし、そのほとんどが、日米会談の場面を示すのに、左に示した写真(ロイター提供)を使っていました(「国連総会に合わせて会談した高市早苗首相(左)とトランプ米大統領。9月22日、米ニューヨークで撮影」(2026年 ロイター/Kylie Cooper))。

 この事実は何を示しているのでしょうか。同行記者撮影の写真ではなく、一外国通信社のカメラマンが切り取った「日(米)首脳」の写真です。この写真を見た瞬間に、ぼくは「ルパン三世」の「峰不二子」を想起しました。テレビアニメでの印象でしたが、この「女盗賊」には強烈なイメージを植え付けられていました。とにかく、この「女首相」をあの手この手で推し活するのが、部下の何よりの仕事というわけ。かくして、あっちを見てもこっちを見ても「色気づいた年増女の写真」ばかりだから、「彼女は本当に一所懸命だ」と勘違いするんですね。それが後方の狙いだという意味です。この「首脳会談」の動画を観れば、どんなに恥ずかしい「姿態(痴態)」をこの首相は世界に晒しているかがだれにもわかると思うのですが。

 同業他社が挙って「同じ写真」を掲載しているという意味は、たぶん、この写真を決定版として「使うこと」という、サル筋からの「お達し(Directive・/ Instruction)」があってのことでしょう。サル筋は言うまでもありません。無能で恥さらしの「総理」を必死で「盛り立てる」のが主命の機関(機構)です。つまりは「猿回し(Monkey performance)」のサル遣いですね。峰不二子は、あるいは悪党サルだというのが作者のモンキーパンチ氏(本名は加藤一彦・1937~201)の意図したことだったと思う。(ある時期には佐倉市(印旛沼の近く)に居住され、ぼくも佐倉市在住当時は、よく市の広報活動などで知るところでした)

 「LUPIN the Third -峰不二子という女-日本のテレビアニメ。放映は日本テレビ系列(2012年4月~6月)。制作:トムス・エンタテインメント。「ルパン三世」シリーズのテレビ放送40周年記念作品。同シリーズの登場人物・峰不二子を主人公にしたもの。(デジタル大辞泉プラス)峰不二子について(アニメ版)「誰もが見とれるグラマーな美女だが、自分の欲望に忠実な悪女で、目的のためならためらいなく他人を裏切る。TVシリーズでは、ルパンが苦労して手に入れた宝をルパンの隙を突いて奪い去るシーンが多いが、その後不二子に災いが振りかかったり、不二子は宝を入手できずに終わったことも多い。ルパン一味では五ェ門と同じように単独行動または別行動することが多く、劇場版もしくはテレビスペシャルでは途中でルパンと合流しているケースが多い。また、ときどき政府機関や各国政財界の大物から特別な依頼を受けることがある」(Wikipedia)

【小社会】忘れてならない人
 太平洋戦争に関係して忘れてはならない人たちがいる。思い返す人はそれぞれで違うかもしれないが、10年前の9月18日、101歳で亡くなった杉山千佐子さんもその一人だ。
 軍需工場があった名古屋市は繰り返し米軍の空襲を受けた。1945年3月24日、防空壕(ごう)が爆風でつぶれて生き埋めとなる。大けがをして左目を失明した。
 当時29歳。傷痕を見て「死にたい」と思った。しかし、信仰心や友人の励ましで「生きよう」と考え直した。戦後、旧軍人や軍属らには国から補償が出た。民間人には被爆者らを除いて何もなかった。
 「こんな不公平なことが…」。戦災傷害者の組織を一人でつくり、救済法制定の活動を始めた。50代のことだ。賛同する国会議員らが何度も法案を提出したものの廃案となる。
 45年7月4日の高知では大空襲の後、電車通りを西へと進む長い長い列ができた。家財道具を積んだ荷車を引く人、汚れた服を着て疲れた表情の親子…。けがをして、家族を亡くした人もいただろう。当時見た人からそんな話を聞いた。
 戦時中、同じような光景が全国各地であった。だが、空襲被害者の正確な数はいまだに分からない。詳しい調査を国がしていないからだ。ドイツやフランスは軍人、民間人の区別なく補償してきた。何という違いか。日本政府は「戦後最も厳しい安全保障環境」と強調して、防衛費の増額を目指す。ただ、やるべきことはもっとある。(高知新聞・2026/09/25)

 戦争犠牲者への国家賠償に、国による違いがあるのは当然といえば当然、しかし、頼みもしない戦争を始めて、多くの民衆が被った犠牲には「国は頬かむり」というのはいかにも惨(むご)いことでしょう。杉山千佐子さん(左写真・中國新聞)一人ではない、無辜の民の被った犠牲に対して、国家は一顧だにしないのが、この国の「習い性」なのでしょうか。ぼくは、生来といいたくなるのですが、「国家必要悪」という考え方を持ち続けてきました。もっと言うなら「無政府主義」で行きたいと。人間が集団をつくり、それをなんとか維持して生活を守るためには、何らかの持続的機構・組織は必要でしょう。それを「国」といってもいいし「政府」といってもよろしい。しかし、それは国民(成員)の安全と財産を守るための装置なのだというならまだしも、その装置や機関が「口を持ち」「権力を持つ」段階になるとどうなるか。いわゆる「権力の悪用・濫用」は不可避となるでしょう。この国の歴史を眺めれば瞭然とします。

 国を強くし、国民の生活を守るという「デマカセ」を広言する政治や政治家にはほとほと愛想が尽きています。一日も早い退場を願うばかりです。

(ヘッダー写真は「印旛沼の堤防が決壊して冠水した農地(23日、千葉県成田市で)=宇野美咲撮影」読売新聞。・2026/09/23)(下の写真は「印旛沼の堤防が決壊し、冠水した一帯=千葉県成田市で2026年9月24日午前10時51分、本社ヘリから」毎日新聞・2026/09/24)

◎ 印旛沼干拓(いんばぬまかんたく)= 印旛沼干拓(いんばぬまかんたく)= 千葉県北部の印旛沼は,利根川水系の旧支谷を土砂が堰き止めてW字型の沼になったもので,沼面標高1m,最深1.8m,干拓前の面積21.3km2。江戸時代に干拓工事が3度(享保・天明・天保)試みられたがいずれも失敗。維新後にも計画があったが,着手されなかった。1946年(昭和21)国営事業として干拓工事が開始され,途中で工業用水確保のために北部・西部の二つの調整池が設けられて,69年に13.9km2の干拓地がうまれた。沼水は印旛沼放水路(新川(しんかわ)・花見川)から東京湾に排水される。(山川 日本史小辞典 改訂新版)

◎ 印旛(いんば)= 千葉県北部、印旛郡にあった旧村名(印旛村(むら))。現在は印西市(いんざいし)の南東部を占める地域。印旛沼の低地と下総(しもうさ)台地に広がる。1955年(昭和30)六合(ろくごう)村と宗像(むなかた)村が合併して印旛村となる。印旛沼に面する土地の意から命名。2010年(平成22)、本埜村(もとのむら)とともに印西市に編入。交通は鉄道、道路ともに幹線から外れて不便であったが、1969年(昭和44)以来、千葉ニュータウンの建設が行われ、2000年(平成12)には北総開発鉄道(2004年北総鉄道と改称)の延長敷設である都市基盤整備公団鉄道(2004年千葉ニュータウン鉄道と改称)が村の北西部の若萩(わかはぎ)まで進み、印旛村地区初の鉄道駅「印旛日本医大駅」が開業した。また、同鉄道沿いに整備された国道464号も通じる。中世千葉氏の支配を経て江戸時代には一部が佐倉藩堀田氏の所領となった。近世、印旛沼の干拓が進められたが、1969年水資源開発公団(現、水資源機構)によって干拓が完成し、沼は二分された。農村地帯で米が中心的産物である。県立印旛手賀自然公園に含まれ、釣り客が多い。

 印旛沼氾濫500ヘクタール浸水か 国交省、緊急復旧を支援 堤防決壊 台風25号 台風25号の記録的な大雨により北印旛沼(北沼)の堤防が決壊した氾濫で、推定の浸水範囲が約500ヘクタール(22日午後4時時点)に上ることが23日、分かった。千葉県などが明らかにした。国土交通省関東地方整備局は23日、堤防の復旧に向けて緊急災害対策派遣隊「TEC-FORCE」を派遣し、県などと現地の状況を確認した。
 県と独立行政法人水資源機構によると、成田市船形干拓の堤防約100メートルが決壊した。北沼に流れ込む同市下方の農業排水路でも、堤防の決壊が確認されている。両岸の計約100メートルが被害に遭ったとみられる。栄町の長門川でも堤防が決壊した。/3カ所で発生した堤防決壊により、北沼東側の成田市と栄町で大規模な浸水被害が出ている。約500ヘクタールの浸水範囲は水資源機構がドローンを使い推定した。けが人は確認されていない。/北沼は水路で西印旛沼(西沼)とつながっている。22日午前4時半に西沼の臼井地点で、水資源機構が管理を始めた1968年以降で最高となる5・04メートルの水位を観測した。水資源機構は水位を低下させるため、二つの沼の水を排水する作業を続けている。/TEC-FORCEの派遣は、県が22日に要請していた。派遣隊は一般社団法人日本建設業連合会と緊急復旧を技術的に支援する。船形干拓の決壊は規模が大きいため、工事監督を含めて後押しする。今後、工事日程などを検討する。(千葉日報・2026/09/24)(上の写真も)

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