「任期が分かっていて妊娠とは無責任」

「記者コラム」「非常識」は常識に代わる 「人は生まれながらに自由で平等な権利を持つ」と掲げたフランス革命でさえ、男女間には歴然とした権利の差があった。今では当たり前な女性の参政権や財産権を求めた女性活動家は、「非常識」と非難され、現代風に言えば“炎上”した。🔷5月、京都府八幡市の川田翔子市長(35)が数カ月の産前・産後休暇を取ると表明すると、著名な政治家を含め批判が相次いだ。「任期が分かっていて妊娠とは無責任」「特別職の首長は、会社員や議員とは立場が違う」。誹謗(ひぼう)中傷もあった。🔷壁があるなら、否定して道を閉ざすのではなく障壁を取り除く知恵を出し合えばいい。女性史はそうして「非常識」と言われた挑戦を常識に変えてきた歴史だ。川田市長の行動はきっと、「首長も産休・育休を取って当たり前」の時代へ向かう一歩になる。(壇知里)(西日本新聞・2026/08/28)

 穏当な表現ではなさそうですけれども、とても珍しい取り合わせの対談(二人)というか、鼎談(三人)を観(見)ました。もう何年も前から愛聴しているネット番組でのこと。司会者は元朝日新聞記者。欧米の特派員時代から、彼の記事や報告に接していた。数年前に彼は会社を辞し、新たにネットメディアを立ち上げ。ぼくはその時以来の視聴者となってきました。他は、落合恵子さんと佐高信さん。お二人とは、かなり前になりますが、何度かお会いしたことがあります。佐高氏には、勤め人時代、勤め先(学校)の担当授業で話をしてもらった。落合さんにも来てもらう予定でいたが、都合が悪くなって、そのままで終わっていたが、何年前だったか、親しくお付き合いしていただいていた随筆家の岡部伊都子さんの「お別れ会」でお会いした。細かく言えばきりがありませんけれど、ここで止めにしておきます。佐高・落合両氏が、岡部さんの著作集を編まれたこともある。(写真右。鎌田・落合・佐高三氏、東京地裁前)

 いわば、今日においてもなお、「社会的良心」の生き残りのような、お二人のお話だった。話題が方々に飛んだが、要するに、この人たちはある種のメディア界隈に多年住み続けてきた人だったと思う。約半世紀ほどのサラリーマン時代、担当授業に、それこそ何十人もの「有名・無名」の方々に来ていただいた。「人権への視座」という授業名で、それこそ縦横無尽に様々なテーマについて語りつくしていただき、学生たちとも交流してもらった。いちいちのお名前は出さないが、それなりに「一家言」あり「専門家」でもあり、「権力批判」では鎬(しのぎ)を削っていた方々でした。憲法九条を変えることに反対の隊列を作り、その先頭に立った著名人には加藤周一氏・鶴見俊輔氏・大江健三郎氏等々、ぼくは個人的にも話を伺ったし、その仕事ぶりにも大いに刺激され続けていた。佐高さんや落合さんもその列に連なり、ある時期から先頭に立たれている。ぼくは何度か誘われたことはあるが、街頭には立たなかった(本音でいうと「ぼくは、教室で溺れた人間なのだ」、と)。

 ある時期に落合さんが病気になられたと聞いた。三年ほど前のことだったか。それが昨日はとても元気に長時間語られていたので、大いに安心した。ぼくは知人のお嬢さんの勤め口として「クレヨンハウス」を薦めたことがありました。数年を経ずして退職されたが、その当時はまだ落合さんは元気だったと思う。佐高氏は、それこそ八面六臂の活躍ぶりです。いわゆる「反体制」「権力の横暴批判」の立ち位置をいささかも揺るがせにしない生き方の流儀には、ぼくは大いに学んできたつもりです。お二人は昭和20年1月生まれ。ぼくは19年9月生まれですから、いわば同学年か。右とか左ではなく、権力の横暴・暴力に反対の声を上げ続ける、その姿勢には共感するばかりです。

 ぼく自身の性格が大いに影響しているのですが、ぼくは「著名人」には、いつだって距離を置く方でした。「君子危うきに近づかず」というのではありません。性分として、知識人とか文化人、あるいは作家や評論家として著名を維持されている方には近づかないのを流儀にしていました。だから、担当授業に招聘(しょうへい)するのも、ほとんどが友人・知人からの推薦や依頼でした。ルポライターの鎌田慧さんの紹介で、雨宮処凛さんに登場を願ったこともある。そのコスプレには驚きましたが、その後の付き合いはありません。著名人ばかりではなく、薬物経験者や、ストーカ殺人事件のご遺族などなど、さまざまな事件や事故にかかわる「人権問題」に焦点を当て続けていたのでした。

 本日のコラムに「『非常識』は常識に変わる」という西日本新聞の「記者の目」を出しました。内容はお読みいただければわかるでしょう。佐高氏や落合氏なら、「首長も産休・育休を取って当たり前」という立場で、さらに松任で歌劇でもある発言をなさるだろうし、そういう方々が少数か、あるいは皆無になったらどうしますかという、問題意識がぼくにもあるからです。現行「天皇制」にぼくが反対する・賛成しないのは「天皇」の「人権」が認められていないからです。つまりは「法の下の平等」が皇室・皇族に適応されないという、決定的な理不尽を認められないからです。ネットニュースの喧(かまびす)しい時代、「アークタイムス(Arc Times)」は極めて良心的だと、ぼくはその価値を認めています。既存メディアが壊滅状態の中、ある種「絶滅危惧種」に属するとされる「著名人」や、そのような方々の語る場を生み出す新しいメディアの筆頭格として、ぼくは、いささか気を長くして、その「愚痴」も「暴論」も併せ呑みながら、ぼく自身の行く末と重ねてその「メディアとしての成長」を念じているのです。

 (⁑(戦後81年SP)落合恵子さんに聞くhttps://www.youtube.com/watch?v=aObxHw8UllM

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