折々のことば:3705 鷲田清一
「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」というところが好きです。
(林明子)
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終戦の年に生まれた絵本作家は学校で日本国憲法を習い、「もう大丈夫だ」と思ったという。中でもこの条文の「将来の国民」という表現。その決意に震えた。そしてこれを蔑(ないがし)ろにして、一度でも武力行使に出たらもう取り返しがつかないという胸騒ぎが強まってきたと。随筆「夢の永世中立国」(『子どもを描く 林明子の世界』所収)から。(朝日新聞・2026/08/27)

林明子さんが亡くなられた。熱心な読者ではありませんでしたが、その仕事には敬服していました。ぼくよりも一歳年下にあたりますので、「学校で日本国憲法を習い、『もう大丈夫だ』と思ったという」ところに、ぼくはどうしようもない自らの「無知」(無神経」「野蛮性」を知らされます。ぼくは、この世に「憲法」などというものがあるなどとは知らないままで、心行くまで「野生児」生活をしていたからでした。たぶん、小学校時代は、すべてそうだったと思う。中学校や高校で「日本国憲法」を学んだのでしょうが、「もう大丈夫」という手応えなどあるはずもなかった。「基本的人権」とは「冒すことのできない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる」という、その「将来の国民」にという部分に「震えた」といわれます。すごいですね、立派ですね、と、能天気人間としては、ひたすら讃嘆するばかりでした。
ぼくが、後年(大学に入ってから)憲法条文でとても感心したのは、第十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」という件(くだり)でした。国民なら誰だって「権利は与えられる」というのならことは簡単。まるで「配給制」みたいなものではなかったと、さまざまな事件裁判が教えてくれました。平等に、間違いなく誰にも「与えられる」、現実にはそういうことはありえません。「これを保障する」と条文にあっても、それを具体化するにはそれなりの努力というものが求められるということでしょう。この問題を深く(と自分では思っていました)考えるようになったのは、憲法二十六条(教育を受ける権利)の部分に大きな関心が生まれてからでした。
〔教育を受ける権利、教育の義務〕第26 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。2すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
どんな国民も「等しく教育を受ける権利を有する」と書かれていますが、それは無条件に「有する(与えられる)」というのではなく、子どもの権利は親・保護者(や行政)が子どもの権利を実現する「義務」を果たさなければならないというのでしょう。「子どもの権利」は「親(保護者)の義務」に依拠して初めてかなえられるという、ある種の「強制」であると同時に「努力目標」でもあるとされている。何事も、憲法に書かれている(規定されている)から「大丈夫」ということではなく、再言しますが、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて」初めて、その可能性が開かれるのだというのです。憲法は「政治権力」の暴力や暴走を戒める・束縛するものをとされますが、ひるがえって、国民もまた、そこに表現されている「(当然の)義務」を果たすように強く求められているのです。

現行憲法は、いつだって「改憲(する・される)」の可能性を有しています。「憲法改正」はあって当然であると、ぼくには思われますが、どの条文、どの条項をいかように「改正」するかは、深い議論があってしかるべきでしょう。一語一句たりとも「変えてはならぬ」ということは現実にはそぐいません。まして「改正」というのですから、悪い方向に改正することはあり得ないはずです。「戦争放棄」の条文を「改正」して「戦争できる」「そのために戦力を有し」「国の交戦権は認める」という「改悪」はあり得ないのではないですか。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
「人権」は国家および国家権力に、「蹂躙」されてはならないものだということを、憲法を通して、ぼくたちは証明してゆかなければならないのですね。「人権」は国から与えられるものではなく、生まれながらに備わっているという、人間肯定の大前提を認めなければ、何事も始まらないんですよね。それを認められる程度には、国民(人間)は賢くなっていなければならないということです。
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〔国民たる要件〕第十条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める。 〔基本的人権〕第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。 〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。 〔個人の尊重と公共の福祉〕第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。 3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。(日本国憲法)
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絵本作家の林明子さん死去 「はじめてのおつかい」「こんとあき」 「はじめてのおつかい」などの絵本で知られる絵本作家の林明子(はやし・あきこ、本名征矢明子〈そや・あきこ〉)さんが7月1日、肺炎で死去した。81歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は長男征矢剛さん。/登場人物の心の動きが見えるような、繊細で生き生きとした描写の絵本を多数送り出した。東京生まれ。1973年に「かがくのとも」11月号の「かみひこうき」(文・小林実)で絵本作家デビュー。筒井頼子さんとの共作「はじめてのおつかい」(「こどものとも」76年3月号、77年刊行)は、累計発行部数261万部のロングセラーに。そのほか、第30回サンケイ児童出版文化賞美術賞を受賞した「おふろだいすき」(作・松岡享子、82年)、自身が作・絵を担った「おつきさまこんばんは」(86年)「こんとあき」(89年)など。角野栄子さん作「魔女の宅急便」第1巻の挿絵も手がけた。(以下略)(朝日新聞・2026/07/08)

◎ 林明子 (はやし・あきこ)1945ー2026 = 昭和後期-平成時代の絵本作家,挿絵画家。昭和20年3月20日生まれ。イラストレーター・真鍋博に絵をまなぶ。昭和48年「かみひこうき」が最初の絵本。54年「きょうはなんのひ?」で絵本にっぽん賞。58年「おふろだいすき」で産経児童出版文化賞美術賞。平成2年「こんとあき」で講談社出版文化賞絵本賞。「魔女の宅急便」の挿絵なども担当。東京都出身。横浜国立大卒。作品はほかに「はじめてのおつかい」「あさえとちいさいいもうと」,「くつくつあるけのほん」シリーズなど。(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)
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