Stupidity can only be cured by death.

 素粒子
 
 手塚治虫の「火の鳥」が好き。その輪廻(りんね)思想の影響か、今も虫を殺せない。首相がXに投稿した。戦争体験を色濃く映す手塚作品。「戦争を反省なんかしていない」なんて言える愛読者がいるとは。
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 「もう二度と、戦争なんか起こすまい(中略)あの時代、生き延びた人々は、だれだってそういう感慨をもった」。手塚の言葉だ。
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 虫も殺せないと書けば、人を殺せる兵器は輸出するのに、と突っ込まれるのは目に見えている。それでも書くのは異論を気にしていないのか、想像力に欠けるのか。(朝日新聞・2026/08/24)

 ある時代までは、この国を代表する新聞社だった「朝日」と「毎日」。今も社名も新聞紙も残っているが、たぶん、盛んな時代の「形骸」というべきか、「残骸」というべきか。今は疎遠になりましたが、両社にも、ぼくの先輩・友人が何人かおり、ある時期までは記者として活躍されていたものでした。しかし、この新聞社に限らず、ぼくの個人的な実感からすれば、「昔日の面影」が感じられなくなった、最も大きな原因(理由)は、いったいどこにあるのかと、思いはいつだって同じところにたどり着きます。たどり着くというより、そこにしかないという固定観念(偏見)がぼくには強すぎるという自覚があります。

 (真犯人は「学校教育・受験教育」にありますが、その程度の偏向教育に手もなく人間性を曲げられた「ご当人」の弱さ、不勉強こそが真犯人だったと思っています。長年、学校教育の不毛地帯で、ぼく自身もまた完膚なきまでにやられたという実感を持つものです)

 福沢諭吉は「門閥制度は親の仇でござる」といった。その門閥制度に等しい制度が「学歴」「学校歴」が幅を利かした時代にあったんですね。今でもまだ、残存し続けている。役所や新聞社など、その「学歴」制度の最も悪質な利用者だったでしょう。

 近事片々

 朝鮮半島からの引き揚げ者だった作家の五木寛之さんは「無言の死者」のために生きようと、執筆をやめない。
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 敗戦の日は「解放の日」ではなく「悲劇のスタート」だった、と(17日付朝刊)。
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 名も無き引き揚げ者が孫に残した手記を読む。「トラックで追い越す自分を見上げて手を振る同胞の顔をまともに見ることができなかった」
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 空襲、沖縄戦、原爆、引き揚げ、シベリア抑留……。そのうずく傷痕を正視するのが国家の責任であるはずが。
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 次は負けない、とばかり勇ましさが先走る戦後81年。(毎日新聞・2026/08/24) 

 過去の遺産すらも喰い潰しながらも、老醜、あるいは痴態をさらしているのは、人間個体と同様に、組織体にも寿命というものがあるからでしょう。同じ業態を一日でも長く続けることは無意味ではありませんが、それもある期間を過ぎれば「自己保存」というか「生きながらえること」自体が目的化するということになりかねません。朝日新聞は明治12(1879)年、大阪で創刊。毎日新聞は明治5(1872)年、東京で創刊。両社ともにほぼ150年ほどの歴史を重ねています。これは新聞社に限らないことですが、昭和20年8月、この国は「無条件降伏(敗戦)」した日でしたから、当然のように、その日を期して、倒産(解散」、再出発すべきだったと思っています。

 朝日新聞社には、敗戦時に武野武治さんという記者がいました。「8月15日に、朝日は解散すべし」と社員総会の場で提案したが、辞めたのは彼一人だったといいます。その後、彼は郷里に戻り「たいまつ(松明)」というタブロイド判新聞を出し続けた。ぼくが勤めていた学校も「創立は明治15(1882 )年」だったけれど、敗戦時に閉校すべきであったと、ぼくは学内で話していたことがあります。一旦は「廃校」にして、出直すべきだったと思っていたからでした。もちろん、新聞社も大学も、多くの関係者は、敗戦時は「解散」からの「再生」という思いをいだいていたのは事実でしょうが、やがて、敗戦の痛手も忘れ、戦争の否定すべき面さえも忘れて、その後は「長いがゆえに尊い」という、没歴史観に支配されたのではなったでしょうか。今でいうなら、「長寿」ばかりを誇るという、情けない姿をさらす羽目になったと思う。

 本日は、朝日の「素粒子」と、毎日の「近事片々」というともに夕刊のコラム(昨日付)から一編ずつ。「素粒子」は、1921年から「今日の問題」、(後に「三角点」と改題)、これを引き継いで1959年4月1日から「素粒子」と命名して続けられてきました。毎日の「近事片々」は1976年創刊のコラムですから、まだ駆け出しといえばそうでしょうが、それでも半世紀が経過しています。両コラムが優れているから、とても風刺が効いているからという評価を、ぼくはするのではありません。これはぼくの持論ですが、ここで書かれているような「思想」「姿勢」をこそ、新聞本体でなぜ書かないのかというのです。これでも、「権力批判」といいたのでしょうけれども、そんな物騒な棘(とげ)は何処にも見当たりません。気の利いた洒落、気の抜けたビール、その程度のものではないでしょうか。でも、字数が少ないのはいいですね。

 200字程度で「寸鉄人を殺す」、そんな文章が書ければ、ぼくなどは最高だと思ってしまう。「短い刃物で人を刺し殺すの意。短く鋭い言葉で人の急所をつくたとえ。寸鉄人を刺す」(デジタル大辞泉)パソコンの調子が至ってよろしくないので(一台は修理に出しました)なるべく「短文」を心掛けたいものです。ぼくの一番に狙うところは「川柳」ですね。でも、そこに「人を殺す・刺す」鋭さが宿るかどうかはぼく自身のもわかりません。しかしながら、いつだって、そんな心持だけは失いたくはないですね。「胎内の動き知るころ骨がつき」(鶴彬・つるあきら)(右上写真)

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