ぼくらの旗は こじき旗だ …暮しの旗だ

【素粒子】旗といえば、編集者・花森安治の詩「見よぼくら一銭五厘の旗」を思い出す。戦争はとうに終わって民主主義の世になったはずなのに、気がつけばまた、ものを言わない社会に戻っていた。「こんどこそ ぼくら どうしても 言いたいことを はっきり言うのだ」♭ 国旗損壊罪で愛国心を育てる、とまで侮られても大きな反発はない。暮らしに関係ないと思うからか。ただ、ものが言えない空気が広がれば、暮らしに困っても政治に訴えようがなくなる。「ぼくらは ぼくらの旗を立てる」。私たちの譲れない旗とは何だろうか。(朝日新聞・2026/07/15)
                                                            (今からでも遅くない、ぜひ「アサヒハアサヒラシイ、コレガアサヒナノダトイウ、シッカリシタハタヲタテテクダサイ」「ゲンロンノジユウヲセンメイニスル、ソンナハタヲタテテホシイ」「権力ニコビルヨウナイヤシイハタハタテルナ」(一読者のたっての願いだ)

「一銭五厘の旗」花森安治 (2,530円(税込) B5判340ページ/ISBN978-4-7660-0026-9)       「この本の題の「一銭五厘の旗」とは庶民の旗、ぼろ布をつぎはぎした旗なのである。この本の全部に、その「一銭五厘の旗」を振りかざした著者の正義感があふれている。正義感ということばは正確ではないかもしれない。しかし、それに代わる適当な言葉が見つからない。よこしまなもの、横暴なもの、私腹をこやすもの、けじめのつかないもの、そういう庶民の安らかな暮らしをかき乱すものすべてに対する著者の怒りとでもいったらいいだろうか。(刊行当時の「毎日新聞」書評より)/『暮しの手帖』の基礎を築いた初代編集長・花森安治の思いが詰まった自選集、今なお輝きを放ちます。1972年(第23回)読売文学賞随筆・紀行賞受賞作」

「ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた
暮しの旗だ
」  

 「一銭五厘の旗」は、『暮しの手帖』創刊編集長の花森安治が、1970年(2世紀8号)に発表した「見よぼくら一銭五厘の旗」という文章に由来します(※銭、正しくは旁のみ)。/ 戦時中、満州に出征した花森は、上官から「貴様らの代わりは一銭五厘(当時の葉書一枚の値段)で来る」と罵られました。権力者の利益のために庶民が犠牲になる構図は、戦後25年を経ても変わっていないと誌上で訴え、錆びついてしまった民主主義を組み立て直そうと、暮しの手帖社の屋上に、端布を縫い合わせた「一銭五厘の旗」を掲げました。(「戦争を考える」『暮しの⼿帖』5世紀 37号・(2025年7⽉25⽇発売)

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 「暮らしの手帳」は健在ですか。ぼくには小さな因縁のある「雑誌」であり「雑誌社」でしたし、今でもそう思っています。花森さんは、当り前に自分であることをいささかも装わなかった人。誰が言ったか、「偉い人は目立つことはないよ」と喝破したのですが、どうやら花森さんはそういう人だったかも。目立ち過ぎたのは、時代・社会が未熟だったからであったかもしれない。

 (ヘッダー写真:大橋鎭子と花森安治「まじめに自分の暮しを考えてみるひとなら、誰だって、もう少し愉しく、もう少し美しく暮したいと思うに違いありません。より良いもの、より美しいものを求めるための切ないほどの工夫、それを私たちは、正しい意味の、おしゃれだと言いたいのです」花森安治)(「花森安治のデザイン」 新美術情報2017)

◎ 花森安治(はなもりやすじ)= [生]1911.10.25. 兵庫,神戸 [没]1978.1.14. 東京 ジャーナリスト,編集者,装丁家。1935年東京帝国大学文学部美学科卒業。第2次世界大戦中は大政翼賛会宣伝部に所属。「欲しがりません,勝つまでは」のスローガンを公募作から選ぶ。戦後,1948年に大橋鎮子とともに婦人家庭雑誌『暮しの手帖』を創刊。独自の商品テストによって,消費者の保護,育成を編集方針の根幹に掲げる。ビタミンCの含有をめぐる「ポッカレモン」の不当表示の告発,石油ストーブの消火法をめぐる消防庁との「水かけ論争」などは,出版史上に残る。雑誌に他社の広告を載せると,その雑誌の自立性が失われるという信念から,自社の出版物以外の広告を載せない方針を貫いた。1956年菊池寛賞受賞。著書に『一戔五厘の旗』(1971)がある。(ブリタニカ国際大百科事典)

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