【天声人語】みそラーメンに消えた相談 中学1年の男子生徒だった。1学期のちょうど、いまごろの季節のことである。彼は担任の先生のところに来て、言った。「先生、相談があるんです」。少し心配そうな顔をしていた。「よし、ラーメンを食べにいこう」と先生は言った▼彼はきょとんとして、でも「ラーメンは嫌いか」と尋ねると首を振る。週末、2人でラーメン屋に行った。先生はみそ味を注文し、彼も同じものにした。小学校のころの話をした。家族や故郷のことも話した。彼はニコニコして楽しそうだった。ああ、おいしかったと2人は店を出た▼先生は思った。あれ、何の相談だったかな。不思議なことに、彼の不安げな表情は消えていた。歳月が流れ、卒業式の後、短い伝言があった。「お世話になりました」。彼のお礼の言葉だった▼松山市にある愛光中学・高校の校長、中村道郎(みちろう)さん(79)は学校のサイトにコラムを連載している。すでに800回を超える。この話も、そのうちの1本の内容で、30年以上も前の自らの経験を記したものだ▼どうして彼に尋ねなかったのですか。不躾(ぶしつけ)な質問をさせてもらうと、中村さんは笑顔で答えてくれた。「とても明るく、楽しい雰囲気だったからですよ」。大事なことは、ときに言葉にならない。大切なことは、ときに言葉でないから、心にとどく▼立派な大人に彼はなっているそうだ。卒業の後も、会う機会はあったが、みそラーメンの話はしていない。それでいい。いや、それがいい、と中村さんは思っている。(朝日新聞・2026/07/03)

一週間前の「天声人語」です。こんな話はいたるところにあるんですね。まして、「先生の、ちょっといい話」「師弟、秘話」みたいなことになると、多くの読み手は飛びつくんじゃないでしょうか。この国の学校や教師が、決して幸福ではないだけに、「いい先生だな」「心温まる話だね」と、受け入れたくなるんでしょうね。そして、この校長先生の「30年以上も前の自らの経験(談)」を読んだ途端に、四十年近く前に、劣島中で大騒ぎ(ブーム)になった、「一杯のかけそば」という「童話」とその作者のことを、ぼくは思い出しました。あるいは、それは「醜聞(スキャンダル)」の類だったかもしれません。(ぼくにはとても変な性癖があって、世の中が大騒ぎすると、そんな話題から目をそらす、背中を向けるという偏屈じみたところがありました。今だってそんな悪癖は直っていません。あえて言うなら、断じて「付和雷同」に与しないということでしょうか。だから「一杯のかけそば」はついに未読のまま)

当時、ぼくはこのブームには決して乗らなかった。そうこうしているうちに、「実話」建て(つくり)の外壁が剥がれてきて、作者はとんでもない「食わせ者」というような次第になり、「大晦日」の素敵な話が、何処にでもある「作り話」だったことが明かされ、おまけに作者への人身攻撃までがはじめられたというお粗末な展開が繰り広げられました。
それはともかく、「ちょっといい話」には「眉唾が多いのだ」という直感がぼくにはありますから、この作り話を「実話」と銘打ったところが致命傷でした。これが童話だったら何の問題もなかったでしょうね。でも、この手の「施し・親切ものの話」にはいくつだって類似話がありますので、「盗作」「剽窃」という問題にならないとも限りません。だれだって話を面白おかしくする癖(「盛る」という)があるでしょうし、だから「彼の言うことは話半分」という評判が立つのでしょう。「話の半分程度はうそや誇張であること。半分ぐらい割り引いて聞いてちょうどよいことこと。『―に聞いておく』」(デジタル大辞泉)ところが、「一杯のかけそば」は「真っ赤な嘘」でしたから、著者は大いに叩かれました。

◎「一杯のかけそば」= 1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそばを1杯頂きたい」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出されたかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。(Wikipedia) (『一杯のかけそば』(いっぱいのかけそば)は、栗良平による日本の童話、および同作を原作とした日本映画作品。実話を元にした童話という触れ込みで涙なしには聞けない話として、1989年に日本中で話題となり、映画化されるなど社会現象にまでなったが、実話としてはつじつまの合わない点と、作者にまつわる不祥事でブームは沈静化した)(Wikipedia)
◎ 「一杯のかけそば」劇場公開日:1992年2月15日(東映)(「映画.com:https://eiga.com/movie/34800/)
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一週間前の「天声人語」にある「みそラーメンに消えた相談」と「一杯のかけそば」には何の関係もありません。「天声人語」を読んで、その昔、この社会で大騒ぎになった事件を思い出しただけです。だから「二つを並べる」のはよくなくない書き方だといわれるかもしれません。誤解があるといけないので、あえてお断りをしておくまで。ぼくはこの「ラーメン」の先生とは一面識もない。だから、彼はなかなかの教師だとか、さぞかしいい先生だったんだろうという、想像が働くだけのことです。
ぼくも、世間でいうところの「教師稼業」に、それも半世紀近くも就いていましたから、学生たちとの付き合いの思い出は腐るほどあります(表現は美しくないが)。そんな話(「みそラーメンに消えた相談」)でいいなら、いくらだって駄弁れそうですが、ぼくはそれはしないことにしている。あくまでも「個人(間)の問題」ですから、誰かに語る必要はないと考えるからです。いや、「(面白おかしくしないでも)そんな話」を語ることを、自分に禁じているところがありますね。「それを喋(しゃべ)ってどうするんです」という、もう一人の自分の内なる声が、いつだって囁くんだね。盛るのは「そば」であって、「話」ではないんじゃないですか。聞いていると、自然と「自慢話」めいてくる、それが嫌なんだな。これはぼくの個人の感想であって、「ラーメン」の校長さんのことを言っているのではありません。念のため。
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