
昨日の国会審議を聴いていて、「あれっ、誰も何とも云わないな」「気が付かなかったのかな」「それとも何も問題がないと思っているのかな」、そんな疑問が一気に湧きました。皇室典範改正問題の「まやかし・マヤカシ」を問われた首相が「今上天皇は云々」と語った時、ぼくの耳には、はっきりと「こんじょう(今上)天皇」と聞こえた。この人はこれまでにも「こんじょう」と発音し、何かと話題にされていました。「こんじょう」が間違いだというのではありません。それは果たして、特定の主義や思想的立場に独特の読み方なんでしょうか。同じようなことかどうか、この首相は「日本」を、あえて「ニッポン」と発音します。誰も彼もが「ニッポン」派ではなかろうし、むしろ「ニホン」という読み方が定着しているような、そんな感想をぼくは持っている。
西暦を忌み嫌って、「元号」で押し通す一派があります。ぼくは、いつもは「西暦」派です。その昔、「元号」を使っていて、批判(非難)されたことがありました。今でも概ね役所は「元号」を強いるようですが、了見が狭いですね。これらは「天皇制」支持派と固く結びついているのかどうか、調べたことはない。でも、同じ「事柄」を指すのに、いくつかの呼び方があってもおかしくはありませんけれど、どういう読み方・使い方をするかで、今の場合でいうなら、「天皇制」支持派だとか、反対派だとか言うのも、いかにも不便だし、不自由であると、ぼくなどは考えてしまいます。
「今上」を「きんじょう」と読もうが、「こんじょう」と読もうがどうでもいいようなものですね。でもその読み方には、ある種の「価値観(implication)」「世界観(worldview)」が入っているとするなら、読み方の問題を超えて、別の次元の問題(政治的)を呈するのではないでしょうか。この問題に関しては、いずれゆっくりと愚考を披歴していきたいと思っています。微妙な問題であると同時に、歴史上の経緯を踏まえれば、単純な話でもあるといえそうです。こんな例はいくつだってありますよ。(ヘッダー写真は「終わりよければ全てよし」の表紙。「『終わりよければ全てよし』(おわりよければすべてよし、All’s Well That Ends Well)とは、ウィリアム・シェイクスピアによる戯曲である。1603年から1604年ごろに書かれたと推測されている」Wikipedia)

それはともかく、いくつかの疑惑が掛けられていた首相が国会審議の場から逃げ回っていたかに見えましたが、会期も詰まってきて、いよいよ逃げ回れないと観念したか、国会の場に戻ってきて、その審議の場面を、昨日聴いたのですが、逃げ回っていた割には、疑惑解明の方策を練っていたとは見えない答弁ぶりだったのには、改めて、「一日も早い辞任を」というほかありません。ごちゃごちゃ質問攻めに遭うのは嫌だから、奈良の秘書の「陳述書」で回答に代えたいと国会で明確にに答弁していた(6月22日)にもかかわらず、「陳述書」を出して、それで国会の質疑を逃れるつもりはないと昨日は語っていた。前言を翻すというのですね。「陳述書」という、考えようもない愚策・奇策に対して、無理筋だと「目が覚めた」のだったかどうか。それにしても頭も悪いし、根性も悪いと、ほとほと感じ入ってしまいます。
以下、久しぶりに「天声人語」を読んでみました。(もちろん、月々なにがしかの代価を支払って、です)そして、「それは昔のそれならず(It is not the column what it used to be.)」でしたね。長い長い時間が確実に流れていたのですから、それをどうこう言いませんが、最近(この二十年ほど)の「天声人語」はほとんど、「人声人語」に近くなっていると、ぼくはほとほと痛感するのです。「天声」とは「1 天が人に伝える声・言葉。天の声。2雷鳴。転じて、大声。また、名声」(デジタル大辞泉)とあります。コラム「天声人語」の場合は、どれに当たるでしょうか。また「人語」は「1 人間の言葉。2人の話し声」(同前)と解説されています。これもまた、どれに当たりますか。

いずれにしても「皇室典範」改正論の経緯とその帰結は「お粗末に過ぎる」という指摘は確かであって、この点では「天声人語」氏にぼくは同調します。各党の意見を集約し、得た結論は「立法府の総意」とまで語りつつ、出てきた案はそれとはまったく趣旨を異にしていたし、その「(偽物の)立法府の総意」を受けて閣議決定された「政府案」もまた、勝手な文言や付録を点けている始末で、やることなすことが「最低・最悪」の域を出ていないのですから、話にならない。

「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」(日本国憲法)、「改定案は、ここに抵触し違反しているのは明らかですから、議案としてはふさわしくないとしなければならないでしょう。首相は「立法府の総意」として受け取った、それを尊重して法案提出を決めたと、おかしなことを言う。「立法府の総意」ではないと、公開の場で明かされているのに、「立法府の総意」であると(勝手に)誤読するのは、どう考えてもよくないでしょう。まして、それは「国民の総意」ではないことは明らか。首相は「今上天皇の意見」をも完全に無視しています。彼女は「天皇制」は大賛成ではあるというものの、「天皇個人」は無視している風が明確にみられます。それは「国家」は重んじるが、その姿勢は、「国民」を軽視・無視するのに重なります。それを何というのでしょうか。「形式主義」、あるいは「観念主義」とでも言っておくか。国会議員は有権者によって選ばれる「国民の代表」ではありますが、その国民には様々な意見や批判がある、その国民の「代表」ですから、一色ではないし、異見が存在するのは当たり前の話。
【天声人語】丙午と天皇ご一家 丙午(ひのえうま)の2026年も半ばを過ぎた。「この年生まれの女性は気性が荒い」などの迷信も過去の話で、少子化に歯止めがかかればいいと願う。だが出生数はまだ下がるのではないか。そんな暗い気持ちになるのは、皇室典範改正を巡って聞こえてくる発言がどれも時代錯誤だからだ▼盆や正月に親族が集った時のような居心地の悪さを感じる。「跡継ぎは女じゃダメだ」「いなければ養子をもらえ」。とにかく男、男、男▼改正案をまとめた議員は、一般家庭の話ではないと言うだろう。ただ戦後の皇室の姿が、国民の家庭観に影響を与えてきたのは事実だ▼皇太子(今の上皇さま)は1959年、旧華族ではない美智子さまと恋愛結婚した。「ミッチーブーム」をみた政治学者の松下圭一は、皇太子を「新憲法のシンボルとなった」と論評した。皇室が畏怖(いふ)の対象から大衆の憧れになったとして、家父長制ではなく夫婦同権の家庭こそが存在理由になるとも指摘した▼かたや86年の男女雇用機会均等法施行の後に新卒入社した女性たちは、同年代の雅子さまに、家庭か仕事か選択を迫られる自らを重ねた。女性だけに忍従を強いる家族像のほころびを見いだす識者もいる。だが国会の議論はむしろ復古に逆回転している▼皇室は、象徴のあり方を模索してきた。憲法を守り、平和を祈るご一家の姿に、国民の多くが敬愛の念を寄せる。皇室典範改正を急ぐ政権にはその歩みを方向修正させたいとの底意もあるのでは。勘ぐりすぎだろうか。(朝日新聞・2026/07/07)

今の政治家に「天皇制」を弄(いじ)らせるとろくなことにはならない、ということだけははっきりしたと思います。「男系男子」以外は、罷りならぬと、どうして君たち(法案の提案者)が言えるのか。この時代に、あからさまな「男尊女卑(male domination of women)」を押し通す、その無神経には赤面するほかない。恥ずかしいことです。
(ぼくは「天皇制」には反対する人間です。理由は単純。「第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。②華族その他の貴族の制度は、これを認めない。(以下略)」(同上)、現行天皇制においても、この視点を重視することが何よりでしょう。「天皇」と雖(いえど)も、人権(自由に発言する権利)は尊重されなければならないし、その名誉もまた尊重されなければならないのは言うまでもありません。現行「天皇制」下の「皇族」には、憲法で規定されるもろもろの「権利規定」が及んでいないので、(憲法や皇室典範において)それを変えることが何より優先されるべき事項でしょう。
今回の「皇室典範」改正法案は、ともかく無条件に廃案とすべきですね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

昨日付「素粒子」の「第三項目」の「松下政経塾云々」は、言う必要のない文言ではないでしょうか。学ばなかったのはこの人(首相)の方だったかもしれないと、ぼくは思う。あるいは「嘘のつき方」も同政経塾のカリキュラムに入っていたとは思われません。この塾出身の政治家や、その界隈の人間を幾人かは知っていましたが、誰もが嘘つきだったり、物事の優先順位の付け方を知らないとは思われませんでしたから。ひとえに人物の「性格」「性情」「知性」「愚鈍性」によると、ぼくには思われるのですよ。疑惑追及に窮して、逃げ回るのに疲れてかどうか知りませんが、ついに国会に出て来る羽目になっても、相変わらず「嘘吐き」のままでしたから。「少数意見の尊重は教わっているといいけれど」と、野暮なことを言うのが「素粒子」さんです。もっと単刀直入に、「引き際の美学」を提示されたらどうでしょうか。「つべこべ(四の五の)言わず、お辞めなさい」とか。
【素粒子】
大学生向けの塾がある、とデジタル版の記事にある。幼児教育の塾はとうにある。就活塾や、社会人向けの英会話教室もある。最後には、終活セミナーの用意まである。一生塾行く、塾育ニッポン。
♭
塾に通うと安心なのはわかる。けれども大学の4年間くらい、わからなさを味わうのも悪くない。
♭
松下政経塾では優先順位の付け方を学ばなかったのか。寝る暇もないからと答弁を避けた人が、宝石が似合う著名人の表彰式には喜々として出席する。少数意見の尊重は教わっているといいけれど。(朝日新聞・2026/07/06)
IIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII





