命を大事にするって、どういこと?

【有明抄】猫の言い分 拾った財布をこっそり自分のふところへ…。悪事や過ちを隠して知らんぷりすることを「ネコババ」という。猫がトイレの後、砂をかけてそ知らぬふりに見えるからというが、当事者にすれば迷惑な話である。本能に従っただけなのに◆テーブルの魚料理に近づいた猫を「コラッ」としかりつけると、飼い主に背を向けて時折上目づかいにこちらを見る。「よしよし、反省しておるな」などと人間は考えるが、猫はただ相手から目をそらしているだけ、というのが専門家の説◆何をしても人間のように見える。飼い猫を「家族」と感じるのはそのせいでもある。だからつい野良猫にも家族の面影を重ね、放っておけなくなる。そのうち手に負えないほど繁殖し、離島などでは希少動物を襲うケースもあるらしい。国は生態系に影響を及ぼすため対策が必要な外来生物として、人に頼って生きる野良猫や飼い猫も含める方針という◆無責任にかわいがるだけで、あとは見て見ぬふりの「ネコババ」を決め込んでいるのは人間の方なのだろう。地域で愛される猫たちは肩身が狭くなるが、人間のものさしでは測ることのできない「野性」とのつきあい方を見つめ直したい◆〈野良猫にエサやらないでの貼紙を野良猫じっと見つめいるなり〉岩城英雄。やっぱり人間みたいで、彼らにも言い分はありそうだけれど。(桑)(佐賀新聞・2026/06/30)

 「対策が必要な外来生物」って、どいうことですか。動物の売買を許可したり、飼うのに飽きてしまった動物を捨ててしまう、そんな人間の「不始末」をこそ、問題にしなければならないのに、ですよ。ぼくのところに、不定期ではありますが、「犬・猫」などの売買禁止や保護猫の世話の依頼(署名依頼を含めて)などなど、たくさんのメールが飛び込んできます。拙宅には、今もなお、もとをただせば「野良猫」⇒「保護猫」となったものが、二十人ばかりいます。いつしか帰宅しなくなる子たちもいるが(一か月ぶりで帰宅するのもいる)、常時、猫の数はあまり変わりません。

 雑木林の中の一軒家ですから、夜昼問わずに家の内外が遊び場になっている。玄関の戸は、夜間(就寝中)以外はほとんど明けてあり、時には知らない猫も入っていることがあります。この何年、かみさんと二人で半日といえども家を空ける(留守にする)ことは絶えてありません。猫のほかに、タヌキやアライグマ、あるいはイノシシやキョンなども家の敷地にお構いなしに入ってきます。家の外で食事を摂る猫(たぶん近所のもの)もいるので、家の縁側の下などに食事用の皿を出してあると、たくさんのカラスが、驚くほどの勢いで襲うこともあります。要するに、ぼくたちは、猫に「家」を乗っ取られたような、いわば「軒を貸して母屋を取られる(Lending the eaves and losing the main house.)」という始末です。

 よく「猫が好きなんですか」と訊かれます。「好きでやってるわけではない」とは言うけれど、多くは理解しないでしょう。避妊や去勢の手術は確実にする。家に来る・家にいる猫たちにはひもじい思いをさせない(たらふく食べさせる)。いつ何時事故に遭遇するかもわからないからです。もちろん、ケガなどをしたら病院へは連れて行く。木や竹の切り株で足の傷が絶えないし、喧嘩によるケガ、あるいは蛇に咬まれることもあります。また、近年では「マダニ」の脅威が報じられているように、「害虫」退治の薬剤は定期的(月1)に施しています。交通事故に遭う子もいるので、まさに「子ども育てる」のと変わらないだけの手数がかかると思っています。何でこんなことをしているのかと気になることも時にはある。けれども、誰もがする・できるわけでもなく、やれる者が面倒を見ればいいという、そんな気持ちで付き合っている。これまでに、結婚して以来、大半は猫たちでしたが、おそらく50匹以上とは付き合ってきたと思う。

 猫には偏差値も受験も、学歴(たぶんない)もありません。あくまでも「野良」のままで、成長してくれればいいと考えている。血統書などついていない、野良猫という生き方がおそらく猫にはぴったりなのかもしれません。野良(のら)というと、あまりいい印象を持たれませんが、もとをただせば、人間だって「野良人」。野良とは「田」や「畑」を指して言う言葉、「ら」は接尾語でしょう。要するに、人間の生活環境範囲内にいる存在が「野良」だった。とするなら、たまには家で寝ることもあるけれど、基本は「野良」が住処(すみか)だといえなくもありません。拙宅の子の半分くらいは、そんな二重生活をしています。いわば「職住接近」です。

 「猫の言い分」とか「猫の気持ち」と、いかにも分かったように言われますが、さて、どうでしょうか。猫と付き合うのは、なかなかに面倒ですよ、猫の「性分」は、大なり小なり「固有性」がきっとありますから、できる限りよく付き合う(交際する)ことから学ぶほかに方法はないようです。最後に「ネコババ」という言葉、いったいいつ頃から使われているのでしょうか。とても嫌な言葉(表現)ですね。つまり、人間の観察は、なんとも浅薄で、動物をいつだって「自分以下」にしか見ないところがあるんでしょうね。「飼う」という語も、そんなニュアンスが濃厚にあるでしょう。

 差し当たり、ぼくが実際に行動を起こしてみたいことは「ペットショップ」禁止の法律や条例を作るための行動ですね。これまでにも署名活動などには積極的に参加していますが、それをさらに乗り越えて、具体的な行動を起こしたいですね。欧米各国ではそのような方向で物事がどんどん進んでいるようにぼくには思われます。

◎ ねこ‐ばば【猫×糞】= [名](スル)《猫が、ふんをしたあとを、砂をかけて隠すところから》悪いことを隠して素知らぬ顔をすること。また、拾得物などをこっそり自分のものとすること。「拾った物を猫糞する」(デジタル大辞泉)(「ねこばば」と同じ意味を持つ語として「着服・横領・失敬・横取り・くすねる」など解説するものがありました。とても悪意を抱かせる語群ですね。

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