困難を乗り越え、希望を紡ぎ出していく

【金口木舌】かき消せない声 早朝の糸満市摩文仁。「平和の火」の正面から昇る朝日が「平和の礎」を照らす。礎が除幕された1995年の慰霊の日、日米の代表に加え朝鮮半島の南北の民間代表も参列した▼「このことが『村山談話』につながったのでは」と礎の建設に関わった石原昌家さん(沖縄国際大名誉教授)。この年、村山富市首相は植民地支配と侵略により、アジアの人々に痛切な反省と心からのおわびを表した▼日本政府の姿勢はその後著しく後退した。あの手この手で沖縄を黙らせようとする。教科書でもアジアや沖縄への加害性を薄めようとしてきた。今度は平和学習を巡る文部科学省の指導だ▼1982年、教科書から日本軍の住民虐殺が消されようとした。糸満市真栄平では沖縄語を話した女性が日本兵に首をはねられ、子どもも殺された。食料強奪、壕追い出しも相次いだ。この体験から「軍隊は住民を守らない」という教訓を得た▼沖縄語を使えば殺せとした日本軍。そんなことは、もうできない。摩文仁に響く嘆き、辺野古断念を求めるウチナーンチュの訴え、アジアの人々と共に平和を求める声もかき消すことはできない。(琉球新報・2026/06/24)(ヘッダー写真も)

 およそ一時間余の「式典」の中継をぼくは見ていました。なににせよ「式典」というものは形ばかりの、内容の伴わない「儀」だと心得ていましたから、歴々の「心のこもらぬ作文(挨拶)」を覚悟していました。驚きも感慨もなく、こんなことを何百回繰り返しても、何の足しにもならぬということを、ぼくは肝に銘じているつもりでした。その通りの成り行きになりつつある矢先に、首相登場、その瞬間に会場から「戦争するな」「九条守れ」「沖縄に来るな」という、怒りを含んだ罵声が飛び交いました。会場内には警備陣が準備万端で、「怒号」の主たちを特定し、式場外いに連れ出していた。その間も、首相は「心のこもらない挨拶(棒読み)」を続けていました。

 これは人型ロボット「サナエトークン」だと、ぼくは断じていました。ヤジや怒声に、一瞬たじろいだかに見えましたが、作文朗読は続けられた。その時、この首相と思しき人物は、どうして国会の委員会のように「怒りをあらわにしないのだろうか」と不審に思いました。言い訳や嘘を振りまくのがお得意の「サナエトークン」でしたから、ある意味では、それ以上の醜態は晒さなかったが、ぼくには気の毒にも見えてきたのだから、この御仁はここに来るべきではなかったのだ。言いたいことが言えない(「沖縄は防衛の砦にするのだ」)、その「身の上」に同情はしませんが、こんな「茶番」を演じ続けて国の行方がどうなるものではないという気もしました。会場にどれほどの参加者がいたのかわかりませんが、その中の三百人ほどが「戦争するな」「九条を守れ」と、それぞれに声を挙げたらどうなっていたでしょうか。沈黙を守って座していた人の中にも、同じように声を挙げたかった人もいたと思う。もちろん、その反対もいたでしょうけれど。(「式典」終了後、質問を受けた首相は「今は、戦争をしていない」と答えた。さらに「平和を守るために、国民の皆様の命を守るために、防衛力はしっかりと、自主的に強化をしたいと考えております」と、語るに落ちた「作り話」を語った)

 ぼくの正直な感情を吐露すると、この「首相(日本国政府を体現)」は土足で「平和の礎」に眠る「御霊」を踏みつけたのだ。そして、心にもない空虚な作文を読み上げ、読み棄てて、そそくさと(逃げるように)帰って行ったということだったでしょう。今や、内外のいたるところで「醜悪な場面(醜態)」を展開するだけの首相になっているのですから、とても恥ずべきことでしょう。列席していた防衛大臣は《「(氏はSNSで、)…「次世代に平和な世の中を引き渡していく。これからも平和でありますように、その願いは皆同じはずなのに、あいさつ中の高市総理に対するヤジは残念なものでした」と指摘した。/さらに、追悼式で中学生が平和の詩を朗読したことを挙げ、「静かな祈りをささげる場を抗議活動に使う大人と、曽祖母の戦争体験を平和メッセージとして心を込めて静かに強く披露した中学生。共感を広げたのがどちらだったかは明らかでした」と投稿した》(毎日新聞・2026/06/23)この指摘は当然だ、という声が出そうです。しかし、これこそが「沖縄の現実」だという認識を持たない、無知な国会議員(防衛大臣)だともいえるのですから、ぼくは首相に抱いたのと同様の感想しか持てないのです。どちらにも「寒心に堪えない」というばかり。

 「式典」だから、厳かに、粛々にというのは当たらないと思う。その具体例は「昭和の日」に見られるでしょう。天皇夫妻の臨席のもと、口封じ。しかも自分たちは「昭和歌謡のカラオケ大会」並みのはしゃぎようだった。ぼくはこれまでにも述べてきましたが、この首相やその毒牙に充てられた連中は「お国大事」「天皇制(国体)護持」は叫び散らすけれど、生身の天皇や皇族を尊敬しないどころか、政治の道具にしている風が否定できない。「国体(国柄)」を生意気にも云々するけれども、国民の一人一人をいささかも尊敬していないのは、これまでのさまざまな「言動」で明らかに見て取れます。二か月先がどうなっているかぼくには予想できませんが、「終戦記念日」(8月15日)までに在任していたなら、この首相はどんな「挨拶」をするのでしょうか。まさか、「天皇のお言葉」は拒否(口封じ)しないでしょうが。

 「日本政府の姿勢はその(「村山談話」)後著しく後退した。あの手この手で沖縄を黙らせようとする。教科書でもアジアや沖縄への加害性を薄めようとしてきた。今度は平和学習を巡る文部科学省の指導だ」「摩文仁に響く嘆き、辺野古断念を求めるウチナーンチュの訴え、アジアの人々と共に平和を求める声もかき消すことはできない」という琉球新報のコラム「金口木舌」の訴えは切実(serious)に過ぎます。防衛大臣の顰(ひそみ)に倣うと「静かな祈りをささげる場を抗議活動に使う大人と、内容空疎な作文で『平和メッセージ』を偽装する首相。共感を広げたのがどちらだったかは明らかでした」、と言わずもがなのことをぼくは提示しておきます。「口先三寸から。平和は生まれない」と、八十を超えた老人もまた抗議の声を上げ続けたい。

 「困難を乗り越え、希望を紡ぎ出していく」(首相「挨拶」) 「先の大戦においては、ここ沖縄の地は、凄惨な地上戦の場となりました。罪もない民間人や、県内外出身の兵士の方々など、20万人以上もの尊い命が失われ、沖縄の美しい自然、豊かな文化は容赦なく破壊されました。」(首相「あいさつ」)

 なぜ、この「地上戦」が沖縄で起こり、どうして「民間人や兵士(沖縄在住民の「4人に1人」となぜ明示しないのか)」が20万人以上もが命を落としたのか、それを語らない、語れない「挨拶」をもってして、ぼくは「空疎(くうそ)」というのです。「歴史」の無視でしょうか、無知でしょうか。まるで「台風」や「地震」に因る被害の如くに言い換えないでほしい。犠牲者や被害者への冒涜(profanity)になるのですから。(「首相あいさつ」全文は官邸HP・https://www.kantei.go.jp/jp/105/statement/2026/0623okinawa.html

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