
【日報抄】9歳の姉と5歳の弟がかくれんぼをしている。1から10まで数える姉。「もういいよ」とせかす弟。世界で最も迫害されている少数民族と呼ばれるロヒンギャを描く映画「ロストランド」は、そんな場面から始まる▼上越市の高田世界館で上映されている。舞台あいさつに訪れた藤元明緒監督は「かくれんぼは見つかるのが楽しい遊びでもある」と語った。ここにいる、忘れないで-。子どもの遊びに民族の痛切な叫びが隠喩される▼ロヒンギャは生活拠点だったミャンマーで不法移民として存在を否定され、弾圧される。おびただしい血が流れた。国籍すらなく、隣国バングラデシュの難民キャンプで110万人が肩を寄せ合うが、劣悪な環境に光は見えない▼現実に基づく映画では、幼い姉と弟らの決死の密航が描かれる。演技経験のない200人ものロヒンギャの人々が出演する。主演の姉弟もそう。自然体でスクリーンに映る姿は奇跡にも思える▼藤元さんによると、ロヒンギャは日本国内に400人ほどいる。新潟県には2人が暮らしていると、サイン会に来たその当人から聞いたという。ロヒンギャの生きる壮絶な世界と私たちの日常がほんの少し近づく▼きょう6月20日は国連が定める世界難民の日だ。何ができるか。ロストランドのパンフレットに映画ジャーナリスト徐昊辰(じょこうしん)さんの言葉がある。「(映画を)見ることは無力ではない。見ることは知ることへ、そして想像することにつながる。その想像力こそ最初の一歩になる」(新潟日報・2026/06/20)

パレスチナ問題にかまけて、すっかり忘れられてしまったかもしれない、そんな問題はいくらでもあるのですから、どうしようもない時代にぼくたちは生きているというほかありません。かなり以前から、ぼくは「ロヒンギャ(Rohingya )」と称されてきた人たちの境遇・運命について、できる範囲で知り、例によって文字通り「貧者の一灯(a poor man’s lamp)」でしかない灯り(lamplight)を点(とも)してみようと思い続けてきました。現在、ぼくはいくつかの国際難民援助(NGO)の一会員として、ロヒンギャ問題に対してもささやかなかかわりを持ってきました。それで何ができる・できたというものでもありませんし、あるはずもない「自己満足」の一寸の足しにもなりませんけれど、ここにも、不条理な世界と世紀の渦に巻き込まれている人々が存在していると考えるだけで、正直に告白すると、ぼくはまさに「発狂」寸前状態にあります。
現在各地で「上映中」の「LOSTLAND」、何とかして鑑賞に漕ぎつけたいと念じているのです。その前に、さらに「ロヒンギャ問題」の歴史を、それこそ蝸牛の歩みのようにではありますが、学習を続けてきました。このような苦難そのものが自らの歴史になるという少数民族が存在していることを知るのは、我が脳天に雷が炸裂するほどの衝撃であります。その時にも、「難民キャンプ」で飢えと病気の恐怖に苛(さいな)まれている「幼子」は「あれは自分だ」という、意味のない焦燥感ばかりが募ります。(*映画『LOST LAND/ロストランド』海外版予告編|2026年4月全国ロードショー:https://www.lostland-movie.com/)
*ウィーン少年合唱団・シューマン作曲「流浪の民」(https://www.youtube.com/watch?v=sTuQ9WMZoig&list=RDsTuQ9WMZoig&start_radio=1)

◎ 流浪の民(るろうのたみ、ドイツ語: Zigeunerleben)は、ドイツ浪漫派の作曲家ロベルト・シューマンによって1840年に作曲された重唱曲『3つの詩 作品29』(独: 3 Gedichte, op.29) の第3曲。本来はピアノ伴奏の四重唱曲だが、合唱曲として演奏されることも多い。原題は「ロマの生活」もしくは「ロマの人生」の意味。/詩はエマヌエル・ガイベル(ドイツ語版、英語版)によって書かれたもので、ナイル川のほとりからスペインを経てヨーロッパの町々をさすらうロマ(かつてはジプシーと呼ばれることが多かった。ドイツ語ではツィゴイナーとも)の生活を歌ったもので、「ジプシーはもともとはエジプトの民族である」という当時の不正確な俗説に基づいた内容となっている。/日本語の訳詞は石倉小三郎による。名訳として有名で、原詩を超えるとも評されるが、原詩との乖離が大きいとの批判もある。(Wikipedia)

◎ ロヒンギャ(ろひんぎゃ)(Rohingya = おもにミャンマー連邦共和国の西沿岸部にあたるラカイン州の北西部に住むイスラム系少数民族。2015年5月、難民が南タイの海岸沖で木造船に乗って漂流する事件が発生したとき以来、ロヒンギャは国際的な注目を浴びるようになった。翌2016年10月にはミャンマー(ビルマ)西部のラカイン州北西地域とバングラデシュ南部が接する国境地帯において、ロヒンギャ武装集団によるミャンマー国境警備隊襲撃事件が起き、政府軍と治安警察の報復によって数万人の一般ロヒンギャ住民がバングラデシュ側に難民となって流出した。続く2017年8月には同様の襲撃事件がアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA:Arakan Rohingya Salvation Army)によって発生し、ふたたび政府軍と治安警察による一般住民に対する大規模な報復が行われ、そのため約半年間に90万人以上のロヒンギャ難民がバングラデシュに流出、その帰還は実現していない(2019年12月時点)。大規模な難民流出としてのロヒンギャ問題は、1978年と1991年にも生じているが、国連をはじめ国際社会がそれを深刻な問題として認識するようになったのは、2015年以降の一連の事態を経てである。(↷)

ロヒンギャをめぐる問題そのものは、20世紀なかばから存在する。彼らは前述のラカイン州北西地域に住むムスリムの集団で、推定人口は100万~110万人とみなされているが、ミャンマー政府は独立後の十数年間を除き、彼らを「土着民族」として認めず、排他的姿勢をとり続けている。仏教徒を中心とする多数派世論も彼らを「土着民族」ではなくバングラデシュからの「不法移民」とみなし、強い反感を示している。そのためロヒンギャは長期にわたる抑圧にさらされ、2015年にはそれまで与えられていた臨時国籍証も剥奪(はくだつ)された。一方、バングラデシュ政府はロヒンギャをミャンマー国民とみなしている。
民族的出自がベンガル地方で、言語もベンガル語(バングラデシュの公用語)のチッタゴン諸方言の一つを使用し、ロヒンギャという民族名称の使用も文書の上では1950年までしかさかのぼれない彼らであるが、その起源は古い。この地で15世紀前半から18世紀後半まで栄えたアラカン王国(ムラウー朝、1430~1785年)の時代に、仏教徒とともにムスリムも居住していたため、のちにロヒンギャを名のるようになる集団の起源は、そこまでさかのぼることができる。(以下略)(日本大百科全書ニッポニカ)

◎ ロヒンギャ(Rohingya)=ミャンマー西部ラカイン州,特にその北西部に多く居住するムスリムの民族集団。ラカイン地域では 15~18世紀に栄えたアラカン国(ムラウー朝)の時代から,仏教徒とともにムスリムが居住していた。その時代のムスリムを基盤に,19世紀以降のイギリス領下でベンガルから移住したムスリムと,1948年のミャンマー独立前後に同じくベンガルから入ってきたムスリムが混合し,その一部が 1950年頃から単独の民族ロヒンギャを名のるようになった。その詳細な成立過程は不明である。ミャンマー政府からは,バングラデシュからの不法移民とみなされ国籍を付与されていない。ミャンマー国民の多くからも土着民族として受け入れられず,政府,国民から排斥や抑圧を受け続けている。ラカイン州に住むロヒンギャの多くはゲットーのような収容地域に隔離されている。1970年代後半と 1990年代初頭,それぞれ 20万人規模の難民がバングラデシュに流入し,国際的な注目を浴びた。21世紀に入っても事態は変わらず,2015年5月にはタイ南部の沖合いでロヒンギャ難民を乗せ漂流していた多数の木造船が発見され,インドネシア・マレーシア当局により救助された。彼らは国際会議での協議を経て両国により 1年間の期限付きで保護されることとなった。(ブリタニカ国際大百科事典)
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